2017年01月01日

128.2 最終話 後半



「12月24日お昼のニュースです。政府は24日午前、2015年度第3次補正予算案を閣議決定しました。今回の補正予算は今年10月に国家安全保障会議において取りまとめられた「日本国の拉致被害者奪還および関連する防衛措置拡充に向けて緊急に実施すべき対策」に基づいた措置を講じるためものです。
この予算案では先ごろ国内で発生したツヴァイスタンの工作員によるテロ未遂事件を受けてのテロ対策予算の拡充として500億円。ツヴァイスタンに拉致された疑いがある特定失踪者の調査費として28億円。近年日本海側で脅威となっている外国船の違法操業対策および外国公船の領海侵入対策として海上保安庁の予算を新たに1,000億円追加します。あわせてツヴァイスタン等によるミサイルの脅威に対抗するため、新たに5兆円の防衛予算を措置します。防衛予算においては国際標準である対GDP比2%の達成を継続的に維持するため、来年度の本予算においては今回の補正予算の5兆円を既に盛り込んだ10兆円とする予定です。これで今回の補正予算における予算額は合計で5.1兆円となります。これはリーマンショック以降の補正予算としては過去最大規模のものとなり、政府はこの内の5兆円を赤字国債の発行によって財源を捻出します。
また、政府は今回の安全保障政策の拡充を図る財政政策を積極的に行うことで、現在の日銀による金融緩和政策と連携して、デフレ脱却の起爆剤にすることをひとつの目標としています。
それでは今回の補正予算についての総理のコメントです。」
テレビの電源を切った片倉は立ち上がった。
「もう行くん?」
「ああ。やわら行かんとな。」
「次はいつ家に戻って来るん?」
「そうやな…。」
「新幹線は3月14日に開通するらしいわよ。」
「あ…そうか…その手があったか。」
「2時間半で東京やし、私もいつでも行こうと思ったら行けるわね。」
「ふっ…来ても相手出来んかもしれんぞ。」
「別にいいわいね。あなたが相手できんがやったら若林さんと一緒にお茶でもするわ。」
「え…。」
片倉は絶句した。
「嘘よ嘘。あの人つまんない人なの。」
「どこが。」
「だって少しは不倫しとる感じださんといかんから、手でも繋ごっかって言ったら、ボディタッチだけは勘弁してくれって。後で変な誤解が生まれたらあなたにどつかれるって。」
「ふっ…。」
「ぱっと見韓流スターみたいで素敵なんやけどねぇ…。」
「やめれ。」
「あ怒った。」
「怒っとらん。」
そう言って片倉は妻を抱きしめた。
「京子は?」
「ほら、またあなた忘れとる。」
「何が。」
「今日はクリスマスイブやよ。」
「あ…。」
「相馬くんとデートでもしとるんやろ。」
妻の肩越しに片倉は笑みを浮かべた。


「え?東京に?」
「うん。」
相馬と京子は昭和百貨店の一階にある喫茶店にいた。
「なんでまた。」
「知らんわいね。」
プリンを食べ終わった相馬はナプキンで口を拭った。
「あれ?」
「なに?」
「ちょ…京子ちゃん…。」
遠くを呆然として見つめる相馬に京子は怪訝な顔をした。
「だから何ぃね。」
「ほら…あそこ…。」
相馬が指す方を京子は振り返って見た。
「え…。」
そこには山県久美子が猫背の男と向かい合って座っていた。


「東京に行かれるんですか。」
「ええ。」
「どうしてまた。」
男は胸元からハンカチを取り出した。
「あ…。」
「覚えてらっしゃいますか。これ。」
「ええ。」
「こいつを渡してこようと思いましてね。」
「たしか…娘さんでしたっけ。」
「おお、よく覚えてますね。」
「だって古田さんみたいな人がウチの店にひとりで来るなんて、普通ないシチュエーションですから。」
「あ、やっぱり。」
2人は声を出して笑った。
「それにしてもあれから随分と日が経ってますけど。」
「ええ、ちょっと立て込んどってなかなかあいつのところまで行けんかったんですわ。」
「そうですか。」
「まぁあんたとこうやってここで茶を飲めたのも何かのご縁やったってことですわ。」
「そうかもしれませんね…。」
そう言ってコーヒーを口に運んだ時のことである。久美子の動きが止まった。
「どうしました?」
笑みを浮かべた久美子は古田の後ろを指さした。彼はそれに従って振り返る。
「あ。」
「そう言えば今日はクリスマス・イブでしたね。古田さん。」
ポリポリと頭を掻いた古田は苦笑いを浮かべた。


「はいもしもし。はいええ…。ですからブログ記事の出版はお断りしてるんですよ。え?どうやって取材?知りませんよ。おたくも出版社ならそこら辺のノウハウあるでしょ。ええ…はい…ですからそれはできません。」
黒田は眉間にしわを寄せながら電話を切った。
「...ったく...あいつら何なんだよ。なんで俺がブログ書いた人間だってわかるんだよ。」
「すごいっすね。黒田さん。あれから半年も経ってんのに、まだ出版社からバンバンオファーがあるじゃないっすか。」
「あん?」
「俺は思ってましたよ。黒田さんはできる男だって。」
「なんだよ三波。お前気持ち悪いぞ。」
「いや。黒田さんこそジャーナリストっす。会社の他の記者連中にも爪の垢煎じて飲ませてやりたいっすよ。」
「キモい。」
「黒田さん。実は俺いまネタに困ってるんですよ。何か旨いネタありませんかね…。」
「ない。自分の足で稼げ。」
「そんなこと言わずに。」
そうこうしている間に黒田の携帯が鳴った。
「はい。…え?金沢銀行と高岡銀行の合併!?マジですか!?」
電話を切った黒田は急いでノートパソコンをリュックにしまった。
「ヤスさん!」
「何だよ。」
「ヤスさん。今から金沢銀行です。」
「えぇ…今日は定時で帰らせてくれよ。」
「駄目です。スクープです。」
「そんなこと言わずたまには三波にも譲ってやれよ。お前が出張ると必然的に俺がカメラ回すことになるんだからさ。」
「そうですよ黒田さん。安井さんの言うとおりですよ。黒田さんも安井さんも働きすぎです。」
「つべこべ言わないで下さい安井さん。行きますよ。」
「嫌。」
「なんで!」
「だってお前口臭ぇもん。」
安井は鼻を摘んだ。
「うるさーい!」
「年内に医者行ってなんとかするって言ってたじゃん。」
「それとこれ何の関係あるんですか!」
「…ねぇな。」
笑みを浮かべた安井はカメラを取りに控室へ向かった。


昭和百貨店を出た相馬たちはバス停でバスを待っていた。
「今日はお休みなんですか?」
「うん。」
「だってクリスマスやし、店混んどるんじゃないんですか。」
「いいの。今日はちょっとゆっくりしたいの。なに?京子ちゃんウチの店手伝ってくれるの?」
「え?今日?」
「うん。」
京子は相馬を見た。彼はしょうもない顔をしている。
「ははは。嘘よ。そんなことしたら相馬君が怒っちゃう。」
「う…うん…。」
「あのね今日はお墓参りに行こうと思ってるの。」
「あ…。」
「最近忙しくってなかなか行けなかったから、あの人のところに行こうと思ってね。」
「一色さんですね。」
久美子は頷いた。
「熨子山行きのバスは後30分後ですね。」
「うん。」
「それにしても古田さんも水臭いですね。」
「え?」
「あとは若いもんでクリスマスイブの楽しい時間を過ごしてくれって行って帰ってしまった。」
「あ…何かあの人、東京の方に行くらしいよ。」
「え?東京?」
「うん。だから私にお別れを言いに来たみたい。」
相馬と京子の表情が変わった。
「京子ちゃん。」
「周。」
「なに二人とも。」
「これってアレじゃねぇが。」
「周もそう思う?」
「おう。」
「何よ2人揃って…。」
困惑した久美子をよそに相馬と京子は何やらブツブツとお互いの意見を交換しているようだった。


「久美子はこれから熨子山の一色の墓に行くみたいです。」
「そうか。」
「ワシはこれからあいつを付けます。」
「頼む。なにせ鍋島の特殊能力の影響を受けて存命する数少ない人間のひとりだからな。」
「はい。しかし石電の警備員が自殺とは…。」
「鍋島の妙な力のメカニズムが解明されないことには、あの事件は本当の意味で解決したことにはならないからな。」
「片倉から聞いています。都内でもなんや常識じゃ考えられん殺しが起こっとるって。」
「そのための片倉招集だ。」
「休む暇なしですな。松永理事官。」
「あーあ本当だよ。古田、お前も片倉と一緒にこっちに来いよ。こっちは猫の手も借りたいんだ。」
「勘弁してください。ワシはここで片倉の代わりに久美子を監視することに専念させて下さい。わしも年で正直身体が言うこと効かんくなっとるんですわ。」
「撃たれてもまだ久美子の監視に従事してんのに?」
「ははは。まぁあとわし結婚式も出んといかんですから。」
「あー佐竹のか。...えっとあれはいつだったっけ。」
「明日ですよ。」
「明日!?マジか。」
「マジっす。」
「...そいつは良かったな。おめでとう。」
「一色の同僚警官からのお祝いの言葉、あいつにしっかりと伝えますよ。」
古田はクリスマスの電飾光る香林坊の並木道を眺めた。コートなどの防寒着に身を包んだ通りを行き交う者たちは皆、一様に笑顔である。
「あ。」
「何だ。」
「そういやぁ理事官もやわらご結婚っちゅう歳...。」
「うるさい。構うな。」
「なんか良い人おらんがですか。」
「その話はもうするな。俺は恋などとうに忘れた。」
「それ...どこかで聞いたような...。」
「切るぞ。後は頼んだぞ。」
一方的に電話を切られた。
「なんだかんだ言ってワシはまだまだおもろい奴らと仕事できとるわ。」
ポケットに手を入れた古田の頭に冷たいものが当たった。ふと空を見上げるとそれははらはらと舞い降りてくる粉雪たちであった。
「えーっと明日の挨拶どうすっかな...。」



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128.1 最終話 前半



コミュの会場となった会館前には複数台のパトカーが赤色灯を灯して駐車していた。会館には規制線が敷かれ関係者以外の立ち入りは厳禁となっている。週末金沢駅の近くということもあって、このあたりで仕事帰りに一杯といった者たちが野次馬となって詰め寄せていた。規制線の中にある公園ベンチには、背中を赤い血のようなもので染め、遠くを見つめる下間麗が座っていた。


「ついては岡田くん。君にはこの村井の検挙をお願いしたい。」
「罪状は。」
「現行犯であればなんでもいい。」
つばを飲み込んで岡田は頷いた。
「よし。じゃあ君の協力者を紹介しよう。」
「え?協力者?」
奥の扉が開かれてひとりの女性が現れた。
「岩崎香織くんだ。」
岩崎は岡田に向かって軽く頭を下げた。
「岩崎…?」
ーあれ…この女、どこかで見たような…。
「近頃じゃネット界隈でちょっとした有名人だよ。」
「あ…。ひょっとしてコミュとかっていうサークルの。」
「正解。それを知っているなら話は早い。そのコミュってのが今日の19時にある。そこにはさっきの村井も共同代表という形でいる。」
「村井がですか?」
「ああ。」
「君には岩崎くとにコミュで一芝居うって欲しい。」
「芝居…ですか。」
「ああ。芝居のシナリオはこちらでもう用意してある。君はその芝居に一役噛んだ上で、流れに任せて村井を現逮してくれ。君らが演じる芝居が村井の尻尾を出させることになるはずだ。」
「大任ですね。」


「お疲れさん。」
彼女の横に座った岡田がミネラルウォーターの入ったペットボトルを差し出した。それを受取った麗は何も言わない。
「迫真の演技やったな。」
「…。」
「それにしても村井の奴、お前が刺されて倒れとるっていうげんに、お前んところに駆け寄ってくることもなく、淡々と参加者を煽っとった。」
「…。」
「薄情なもんやな。」
「…そんなもんですよ。」
「ん?」
「私はいつもそういう役回りだった。みんなロクに新規の参加者の獲得もせずに、能書きばっかり垂れてる。私は自分が唯一人より優れている外見を活用して新規の参加者を獲得してるのに…。私自身は全く評価されなかったわ。」
「ほうか…。」
「何かの度に私をヴァギーニャとか言って持ち上げるくせに、楽屋裏では私に対する妬みばかり。挙句の果てに私が色仕掛けしてまで参加者を獲得しているなんてデマまで流して…。」
「酷ぇな。それ。」
麗はペットボトルに口をつけた。
「…でも、兄さんはいつも私のことを心配してくれた。」
「兄貴ね…。」
「コミュの皆をまとめるために、時には周りと同調するようにあの人は私のことを責め立てた。でもその後直ぐにフォローの電話をしてくれた。お前には辛い思いをさせているがもう少しの辛抱だって。」
「妹思いの兄ってやつか。」
「でもその兄さんも、お父さんもあなた達に捕まってしまった。」
「麗。お前の話は本部長からひと通り聞いたわ。」
「そう…。」
「はっきり言うけど俺はお前に同情はせん。」
岡田は麗を断じた。
「さっきも放っといたらヤバいことになっとった。コミュの連中を原発まで動員してあそこで騒ぎを起こす傍ら、俺を片町のスクランブル交差点にトラックごと突っ込ませて、テロをする予定やったんやからな。」
麗は黙って岡田を見た。
「そんなもんを企てとったお前の兄貴と親父は法によって裁かれる。これはこの国では至極当たり前のことや。俺らはその当たり前のことを実行するために居るんやからな。」
「兄さんとお父さんはこれからどうなるの。」
「わからん。こっからは俺ら警察の管轄じゃない。」
「そう…。」
岡田は一枚の紙の切れ端を取り出してそれを麗に渡した。
「なに?…これ。」
「本部長が言っとった約束のあれや。お前が捜査に協力してくれれば母ちゃんの面倒をお前が見れるようにさせるって。」
「何よこれ…住所が名古屋じゃない…。お母さんは都内の病院にいるって言ってたわよ。」
「ほうや。お前の母ちゃんは都内の病院や。こいつは入管の住所。」
「入管?」
「入管にも話し通してあるってよ。麗。まずはお前はここで難民申請をしてこい。申請してこの国の方に則って、晴れてこの国で誰にもはばかることなく下間麗として暮らせ。」
「え…。」
「んで母ちゃんの看病をしてやれ。」
麗はメモに目を落とした。
「俺らは下間麗なんて人間のことは何も知らん。」
「岡田さん…。」
「ほんじゃあ、お前のことを待っとるやつが居るから、俺はここでお別れや。」
「…。」
「晴れて日本で暮らせるようになったら、いつでも俺を訪ねて来い。」
メモには携帯電話の番号が書いてあった。
「そこに突っ立っとる主演男優と一緒にな。」
そう言って岡田は彼女に背を向けた。
規制線の外に出た岡田はそこに立っている男の肩を叩いた。肩を叩かれた男は駆け足で麗の方に向かって来た。
「長谷部君…。」
麗の側まで駆け寄った長谷部はなにも言わずに彼女を抱きしめた。麗の瞳から涙が溢れ出した。
「麗…。ごめん…力強すぎた…。」
抱きしめながら麗の背中を擦る長谷部の様子を、相馬と京子の2人は遠巻きに見つめていた。


冨樫は何も言わずに机の上に古ぼけたカメラを置いた。
「下間。これは何や。」
「何って…カメラだ…。」
「見覚えは?」
下間は首を振る。それを見た冨樫は落胆した表情になった。
「何だ。」
「…これはな。仁川征爾の持ちもんなんや。」
「仁川…。」
「お前の息子がお前に言われるがままに背乗りした、仁川征爾のな。」
「…そうか。」
「お前やな。征爾の両親を事故に見せかけて殺したんは。」
下間は頷く。
「なんでほんなことしたんや。」
「愚問だ。俺らには仕事の選択権はない。上の言うことはすべてだ。上が指示を出したからやった。以上だ。」
「上とは。」
「執行部。」
「朝倉は。」
下間は苦笑いを浮かべた。
「関係ない。当時はまだあいつは公安だったはずだ。俺らとあいつはむしろ対立関係にあった。」
「じゃあその執行部とは。」
「本国だ。」
「ツヴァイスタン本国。」
「そうだ。」
下間はため息をついた。
「でなんだ。そのカメラ。」
「あいつの両親を世話したおっさんがまだご存命でな。このカメラ持ってずっと征爾の帰りを待っとる。んでな、そのおっさんがこう言うんや。もしも征爾が生きとったらこいつで写真撮って自分のところにそれ送ってくれ。もしも征爾が死んどったらこのカメラを墓にでも供えてくれって。」
「そうか…気の毒なことをした。」
下間は天を仰いだ。
そして口をつぐむ。
「…冨樫とか言ったな。」
「…おう。」
「それは随分と古いカメラみたいだが、ちゃんと動くのか。」
「あ?ああ…。動作確認はできとる。」
「じゃあそのおっさんに仁川の写真撮って送ってやれ。」
「え…?。」
「仁川征爾は生きている。奴はツヴァイスタンに拉致された。」
取り調べの様子を記録している捜査員の手が止まった。
「なに?」
「言っただろう。仁川はツヴァイスタンにいる。」
「お…お前…そいつは…本当のことか…?」
「ああ。お前ら警察は掴んでたんだろう。」
冨樫は口をつぐんだ。
「ツヴァイスタン工作員による拉致は掴んでいたが何もできなかった。なぜならそれがセンセイ方の意向だったから。」
「…。」
「拉致問題があると言って、日本はツヴァイスタンに拉致された国民を奪還する術はないからな。」
「現状はな。」
こう言った冨樫の顔を見た下間はニヤリと笑った。
「本気なのか。政府は。」
「ワシはただの末端公務員。政府中枢の思惑はわからん。」
「今回の手際の良い警察の動きを見る限り、俺には伝わってくるよ。」
「そうか。」
「ふっ…。これで少しはまともな国になるかもな。」
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2016年12月31日

127.2 第百二十四話 後半



7時間前 12:00
「1512室ですか?」
「はい。」
「失礼ですがお名前をお願いします。」
「岡田と言います。」
「岡田様ですね。失礼ですがお名前もいただけますか。」
「圭司です。」
「岡田圭司様ですね。しばらくお待ちください。」
ホテルゴールドリーフのフロントの女性は受話器を取って電話をかけはじめた。
「フロントです。ロビーにお客様がお見えになっています。はい。ええ男性です。岡田さんとおっしゃるそうです。ええ。はい。かしこまりました。それではお部屋までご案内致します。」
女性は電話を切った。
「私がご案内いたしますので、一緒に来ていただけますか。」
「え?どこか教えてくれれば自分で行きますけど。」
「当ホテルのスイートルームになりますので、私がご案内いたします。」
「スイート?」
エレベータを5階で降りそのまま廊下をまっすぐ奥に進むと、いままであった部屋のものとは明らかに作りが違うドアが現れた。重厚な作りの観音扉である。女性はインターホンを押した。暫くしてその扉は開かれた。
「おう。」
「え?」
扉を開いたのは数時間前まで捜査本部に岡田と一緒にいた、県警本部の捜査員だった。
「え…なんで?」
「まあ入れま。」
豪華な作りの玄関を抜け、いよいよ部屋の中に入るという時に岡田は異変を感じ足を止めた。
「あれ?おいどうした。」
「あの…なんか騒がしくないですか。」
「ほうや。訳あって大所帯になっとる。」
捜査員が部屋の扉を開くとそこはくつろぎの空間というより会議室だった。上座中央には最上が座り、その隣に土岐が座っている。
「よく来たね岡田くん。」
「本部長これは一体。」
「土岐くんは君に紹介するまでもないね。」
「え…ええ。」
「じゃあこちらから紹介しよう。まずは県警本部警備部公安課の神谷警部。」
最上の紹介にあわせて神谷は頭を下げた。
「え?公安?」
「次に同じく警備部公安課の冨樫警部補。」
「冨樫です。よろしくお願いします。」
「そして冨樫くんの前に座っているのは…。」
岡田は思わず目をこすった。
「み…三好…さん?」
三好は岡田を見て笑顔で会釈をした。
「なんで…。」
「岡田くん。まぁ掛けてくれ。」
最上に促されて岡田は席についた。
「岡田くん。君をこの席に呼んだのはほかでもない。先程も言ったように君には最後の仕上げをして欲しいんだ。」
「あの…本部長。」
「岡田くん。君は「ほんまごと」の記事が真実に迫るものがあると言った。」
「あ、はい。」
「その根拠は君が信頼する人間が紹介してくれた奴が、あの記事を書いているからと言った。」
「はい。」
最上は立ち上がった。
「その君が信頼する人間ってのは片倉くんだ。」
「え?」
「県警警備部公安課課長、片倉肇くんだよ。」
「公安課課長?」
「そうだ。民間企業の営業マンじゃない。彼はれっきとした警察官だよ。」
片倉は警察をやめ警察OBが経営する会社の営業になった。この情報しか持ち合わせていなかった岡田は最上の言葉がにわかには信じられない。
「岡田くん。ほんまごとを読んだだろう。あれは片倉くんによる公安警察の捜査内容そのものなんだ。病院横領事件、一色の交際相手の強姦事件、熨子山事件、鍋島の生い立ち、村上殺害の謎、ツヴァイスタンの工作活動実態、背乗り、金沢銀行の不正プログラムなどなど、あの全てが片倉くんによって黒田にリークされた。」
「ほ…本当ですか。」
「本当だ。」
岡田は唾を飲み込んだ。
「初見であの記事を完璧に読み解くのは困難だ。なにせ情報量が多すぎる。記事自体は衝撃的な内容が目白押しだが、熨子山事件をずーっと追っている人間ぐらいしか読み解けない内容になっている。だが長年デカをやっている勘のいい君はあれを読み解いたんだろう。」
「…警察の中にもツヴァイスタンの協力者がいる。」
「…さすがだね。」
「居るんですか。」
「正確に言うと居た。」
「居た?」
「ああようやくパクったよ。ついさっきね。」
「ひょっとして…その協力者は…。」
「朝倉忠敏。」
「…やっぱり。」
「朝倉はついさっき片倉課長の手で逮捕されたよ。」
「どこでですか。」
「公安調査庁の中で。」
「公調の中で?」
「うん。」
後ろ手に組みながら最上は部屋の中をゆっくりと歩き回る。
「本件捜査はチヨダ直轄マターでね。極秘裏に進められていた。本件捜査のコードネームはimagawa。」
「イマガワ…。」
「imagawaは朝倉を中心としたツヴァイスタン関係者を一斉検挙するのが目的の捜査だ。その詳細は話せば長くなるからここでは君に説明しないよ。それよりもだ。」
「はい。」
「実はこのimagawaはまだ終結していないんだよ。」
「本丸の朝倉がパクられたと言うがにですか?」
最上は頷く。
「ほんまごとの中に村井という人物の名前が出てきただろう。」
「村井?ですか?」
「ああ。<Sと少年>という行に出てきている。」
岡田は記憶を辿った。
「あ…ありました。Sの調査助手をしとるとか言った…。」
「そうだ。その村井をその目で見た男がここに居る。」
何かに気がついたのか。岡田は席上の一人の男を見た。
「そう。Mこと三好元警備課長だ。」
こう言って最上は再び席についた。
「ついては岡田くん。君にはこの村井の検挙をお願いしたい。」
「罪状は。」
「現行犯であればなんでもいい。」


「どうやそっちは。」
「スタンバイOK。」
岩崎がステージの中央に立った。そして参加者に対して一礼すると会場は割れんばかりの拍手で覆われた。
「香織っ!」
ステージとは対極にあるホールの入口が開かれ、ひとりの学生風の男が突然現れた。
「香織…こんなところで何やっとれんて…。」
男は力なくステージに向かう。彼が進む先の参加者の群衆は2つに割れ、岩崎への道を作り出した。彼はその道をゆっくりと進む。壇上の岩崎は戸惑いを隠せない。
「何なんや…。これ…。お前こんなキモい会の運営なんかやっとったんか。」
男のキモいというフレーズに会場内は凍りついた。
「最近連絡が取れんと思っとったら、こんなとこでお前は不特定多数の男連中に色目使ってチヤホヤされとったんか.。」
「おい何だあいつ。」
村井がスタッフに尋ねた。
「...わかりません。ヴァギーニャって彼氏とかいましたっけ?」
「いや聞いたことがない。」
「追い出しますか。」
「ああそうしろ。」
複数のスタッフが男を取りおさえるために駆け寄る。すると男は壇上めがけてダッシュした。
そして岩崎を背後から羽交い締めにした。
「おい!何やってんだ!」
男の手にはサバイバルナイフが握られている。彼はそのナイフを岩崎の背中に突きつけた。
「あ…。」
会場は凍りついた。岩崎は男によって人質に取られたと会場の全員が理解した瞬間だった。
「お前らふざけんな。香織は俺のモンや。香織はオメェらみたいなキモオタなんか眼中にねぇんだよ!」
「おい落ち着け。」
村井が男に声をかける。
「あん?」
「落ち着け。ひとまずその物騒なものを置け。」
「あんだテメェ。なんで俺に命令なんかすれんて。」
「命令じゃない。ナイフを床においたらどうですかって提案してるだけだ。」
「気に食わん。」
「じゃあどうしろと?」
「香織を殺す。」
「え?」
「香織は俺のモンや。オメェらにはぜってぇやらん。」
「ちょ…待て。」
村井が声を発する前に男が持つナイフの刃が岩崎の背中に入り込んだ。そしてそのまま岩崎は床に倒れた。
今まで見たこともない状況が目の前で起こった。会場の全員は状況をまったく飲み込めない。ただ沈黙が流れる。しかしそれはある参加者の悲鳴で解かれることとなった。コミュの運営スタッフは全員で男を取り押さえた。
「へ…へへへ…ざまぁ。」
ヘラヘラと笑いスタッフに連行される男とは対象的に岩崎はピクリとも動かない、ようやく運営スタッフが彼女に駆け寄り声をかけた。しかし反応はない。何度も何度も声をかけ体を擦るも反応はない。その様子を見ていた参加者たちがここで感じたのは岩崎の死だった。
「みなさん!落ち着いて!」
村井が声をあげた。
「皆さん落ち着いて下さい。いま救急車が来ます。僕らはそれに望みを託すしかありません。」
岩崎の側のスタッフは諦めずに彼女の名前を呼び続ける。
「男はこちらで取り押さえました。既に警察に通報しました。これも救急車同様もうすぐ来るでしょう。ですが…」
村井は言葉に詰まった。
「…なんで…なんでこんなことが起こってしまうんだ…。彼女は前から警察に相談していたはずだ…。」
村井の言葉に会場はざわつく。
「みなさん。岩崎は以前から警察に相談をしていました。ストーカーに付きまとわれていると。ですが警察はそれを取り合ってはくれませんでした。その結果がこれです。そしてこの結果を作り出した警察がこの事件の捜査をおこなうんです。なんなんでしょうか!?泥棒が泥棒を捕まえるってまさにこのことじゃありませんか?こんな職務怠慢が放置されていていいんでしょうか?良い訳ありません。絶対に撲滅するべきです。」
そうだそうだと村上に同調する声が上がった。
「岩崎はヴァギーニャです。我々の女神です。この女神に危害を加えさせることになった警察の不手際は不手際という簡単な言葉で片付けられていいんでしょうか?」
会場のものたちは首を振る。
「そうです。そんな言葉で許されるわけがないのです。第一考えても見て下さい。あの警察機構というのは権力そのものです。権力は絶対的に腐敗します。この事件はその腐敗もここまできていると言うことの証左でもあります。」
みな村井に同調している。
「我々は既得権者や権力者から数々の迫害を受けています。彼らが私たちにこういった仕打ちをするのは、裏を返せばそれだけ奴らにとって我々は都合が悪い存在だということを示しています。都合が悪いと思われるのは我々が一定の影響力をもっているからです。奴らは我々を脅威に思っているのです。それは翻って言えば我々は強いということです。我々は強い。強い我々は奴らを打倒するために今こそ行動を起こさなければなりません!」
会場から歓声が上がった。村井の演説が会場を一体化させた。
「ヴァギーニャの命に変えても革命を成し遂げる!我々は今こそ立ち上がるときだ!我こそはと思うものだけが私に続け!私の考えに同調しないものは、今すぐこの場から去れ!」
村井の言葉に殆どの参加者が賛同していたが、中にはやはりこの異様な空気についていくことができずに会場を後にするものもいた。しかし彼らはことごとく会場外で運営スタッフに止められ別室へと連れられていった。
「村井さん!」
参加者の一人が声を上げた。
「なんですか。」
「村井さんのおっしゃるその革命はどうやってなし得るんですか。」
「聞きたいですか。」
「ぜひ。おそらくここにいる皆も聞きたいと思っています。」
参加者は村井を見つめている。彼は深呼吸をしてゆっくりと口を開いた。
「暴力によってのみ革命は成し得る。」
「暴力?」
「ええ。」
「…村井さん。詳しく聞かせてくれませんか。」
「残念ながらここにいる皆にとはいきません。」
「じゃあ私にだけ聞かせてください。」
「君だけに?」
「はい。」
参加者たちからブーイングが起きた。村井はそれを制止する。
「どうして君だけに?」
「今川さんから言われています。」
「今川…。」
村井の表情が変わった。
「ぜひその任を私に。」
「あなたの名前は?」
「岡田です。」
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127.1 第百二十四話 前半



金沢駅近くの会館。この一階の大ホールに大勢の人間が集まっていた。コミュの定例会である。参加者は先日のものより数段多い。これも岩崎香織が電波に乗った効果なのだろうか。
「みなさん。こんばんわ!」
司会者が参加者に向かって大きな声で挨拶をするとそれに参加者は同じく挨拶で応えた。
「いやー今日は随分と参加者が多いですね。特に男性の方がいつもより多い気がします。」
彼がそう言うと参加者はお互いの顔を見合った。
「やっぱりなんだかんだと言ってテレビの影響力ってすごいんですね。試しに聞いてみましょうか。今日始めてここに来たっていう人手を上げてみて下さい。」
半数が手を上げた。
「なるほどー。じゃあ今手を上げた人たちにもうひとつ聞いてみましょうか。岩崎香織を見てみたいって人は手を上げてみて下さい。」
全員である。
「いやー岩崎人気はすごいですね。」
ステージの裾の方にいた村井は腕時計見目を落とした。そして側にいたスタッフに声をかける。
「インチョウは。」
「駄目です。携帯の電源が切られてます。困りましたね。」
「…何なんだよ。こんな大事な時に。」
「連絡が取れんがですから。仕方が無いっすよ。村井さんがインチョウの代わりにこの場を仕切るしかないっす。」
「俺がか?」
「ええ。そのための共同代表っしょ。」
「まあな…。」
こう言って村井はステージ袖の奥にひとり佇む女性の側に駆け寄った。
「岩崎。」
「あ…はい…。」
「おまえインチョウのこと知らいないのか。」
「はい。」
村井は舌打ちした。
ーそれにしてもあの今川さんが直々に俺に電話をしてきたってのが気になる…。


昨日
「え?明日のコミュでインチョウと岩崎の身に危険が?」
「そうだ。とある情報筋から入手した。だからあいつらの周辺には常に目を配れ。」
「はい。」
「ただお前らがいくら目を光らせたところで、相手がプロの場合はどうにもならない。もしものことがあれば村井、お前がコミュを引っ張るんだ。」
「俺がですか。」
「ああ。明日は決起の日だろ。」
「はい。手始めに夜の片町のスクランブル交差点にトラックを突っ込ませます。」
「週末金曜の夜に酒を飲んでごきげんな奴らを轢き殺すのはわけもない。コミュに来ているようなリア充憎しの連中にはもってこいの対象だな。」
「原発の爆発事件で世間がそっちに向いている中、ソフトターゲットを襲うことで市民の恐怖感を増幅させます。ソフトターゲットのテロを頻発させることで恐怖は警察や警察などの統治機構への疑念にかわっていきます。そうやって日本国人の分断を図ります。」
「もしも。もしものことだが、インチョウや岩崎に何かがあればそれを利用しろ。コミュは迫害を受けていると。そうすることでコミュの団結力も増すはずだ。」


ーまぁインチョウが来られないんだったら、とりあえずあの人の安全は確保できるってわけだ。ただもしもこの岩崎に何かがあったら…。今日これだけの人数が集まったのも岩崎をひと目見たいってだけのただのミーハーばっかり。アイドルの追っかけみたいなキモい連中ばっかりだ。もしも岩崎が今川さんが言うような危険に晒されるようなことがあったら、こいつら爆発しかねない。
「村井さん?」
「あん?」
「どうしたんですか顔色が悪いっすよ。」
「気にすんな。」
ーまてよ…。そのミーハー達の怒りを利用すればいいか。
「テレビをご覧になられた方はご存知かと思いますが、私達コミュでは数名のグループに分かれて話し合います。そこでグループメンバーの意見をすべて受け入れて、その後に自分の思いの丈を語る。ですからお目当ての人と同じグループになれるかどうかは保証できないんです。」
司会者がこう言うとご新規さん達の表情が途端に曇った。
「ですが今日はじめてコミュに来られた方にだけ特別な措置を講じようと思います。」
会場はざわついた。
「それはコミュの代表からご説明させていただきます。」
司会者がこう言うと、既存メンバーからインチョウの登場を期待する歓声が上がった。
「それでは代表よろしくお願いします!」
ステージの袖から村井が現れた。
いつもとは違う人物の登場に既存メンバーの周辺はざわついた。
「みなさんこんばんは。」
参加者は村井に応える。
「いまほど司会が言ったように、今日はたくさんの方に来ていただいて僕も本当にうれしいです。私、コミュを運営する村井といいます。よろしくお願いいたします。」
村井は深々と頭を下げた。
「本来なら共同代表のインチョウも一緒にご挨拶させていただくところですけど、残念がらインチョウはどうしてもはずせない急用ができまして本日コミュに参加できません。寛容な精神をお持ちの皆様ですので、その辺りはぜひともご理解いただけることと思います。」
他者の意見を受け入れることが前提のコミュにおいて、この村井の一言は参加者に響いたようだ。参加者たちは一様に頷いて村井に理解を示している。
「さて、今日は普段よりご新規さまが大勢お越しのようです。そのご新規の皆さんのお目当ては他でもない当方の運営担当の岩崎であると、先程判明しました。」
既存メンバーからかすかな笑い声が起こった。
「僕がこういうのも何なんですが、岩崎に目をつけた皆さん。お目が高い。彼女はこのコミュではバギーニャと言われています。バギーニャとは女神を指す言葉です。どうして女神と言われるか。見た目の美しさも去ることながら、彼女はありとあらゆる悩みや意見を本当に分け隔てなく聞き入れる力を持っているからです。」
古株の参加者たちは村井の言葉に頷く。
「本当に今日は多くの方がお越しになられています。なので今日は特別にはじめてのみなさん全員を岩崎のグループにセッティングしようと思います。岩崎のグループということはみなさんは皆平等に彼女との接点を持てるということです。」
この発言に新規メンバーから歓呼の声があがった。
「さあ私の挨拶はこれぐらいにして、皆さんお待ちかねの方に登場してもらいましょう。バギーニャ!」
ステージ袖から岩崎がゆったりとしたBGMにのせて静かに登場した。会場の参加者たちは彼女の美貌に思わずため息をついた。先程、岩崎と平等な接点を持てるということで湧き上がっていた新規メンバーたちもこの時は皆彼女の佇まいに静かに見入った。
「堂々としたもんですね。」
「慣れとるんや。」
「多分こうやって岩崎目当てで来た連中を釣って、上手に取り込んで勢力を拡大させてんでしょうね。」
「今日だけの特別措置とかもったいぶっとるけど、おそらくこれはいつものことや。」
「そうでしょうね。」
耳に装着したイヤホンから聞こえる声に、コミュの参加者に混じる岡田が応えた。
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2016年12月30日

126.2 第百二十三話 後半



「若林くん。朝倉部長に聴かせてあげろ。」
「はい。」
携帯電話を取り出した若林もまた、応接机の上にそれを置いた。

「工夫しろ若林。」
「あまり事を荒立てるなといっただろう。」
「ですが、あまりに突然のことでしたので。」
「その後の工夫が足りんと言ってるんだ。」
「はっ。もうわけございません。」
「しかしお前は籠絡だけは上手い。」
「ありがとうございます。」
「だが程々にしておけよ。あまり深入りすると足がつく。」
「何せ公安の奥方ですからね。」43

音声を聞いた片倉の表情が変わった。
「公安の…奥方…?」

「なんだ若林。」
「今もまだベッドでぐっすり寝ていますよ。そろそろ帰らないといけないんですが。」
「くくく…。」
「いやぁ40しざかりって本当なんですね。」
「そうか…。そんなにか。」
「ええ。ちょっとこっちが引くくらいでした。」
「はははは。この下衆男め。」
いつになく朝倉の表情が豊かである。
「部長。これは仕事です。」
「ああわかっている。からかってすまなかった。」
「こっちも必死なんですよ。何とかして奮い立たせないといけませんから。」
「ふふふ...今日のお前は愉快だな。自分の思い通りにアレを制御できるってのは俺にとって羨ましい限りだ。若さだな。」
「若さですか?」
「いや、特殊能力といったところか。」
「特殊能力?何のことですか?」
「…あ…いや…なんでもない。」
「お褒めの言葉として受け止めれば良いでしょうか。」
「ああ。最大級の褒め言葉だ。なんだこの下衆なやり取りは。ふふっ。」
「では旦那の方は部長のほうでよろしくお願いします。」
「ああ、慰めてやるよ。」83


「酷いですね。朝倉部長。あなたは片倉課長の家族問題を案じるがために、今日この場に彼を呼び寄せた。それがどうでしょうか。このやり取りを聞く限り、どうもあなたが若林くんを唆して(そそのかして)問題の火種をつくっているようにも思えます。」
「わ…若林…貴様…。」
朝倉の震えは怒りから失望によるものに変わっていた。
「朝倉部長。あなたは人間を駒としてしか見ていない。だからこんな非道な手法を私に強いた。」
「な…何を言っている…貴様…。片倉!ほ・ほら…貴様の奥方を手篭めにした男がここに居るぞ!こいつだ。こいつが貴様の悩みの元をつくってるんだ。」
「言ってねぇよ。」
「え…。」
「言ってねぇって。朝倉。」
「な…なに?貴様、何呼び捨てしてんだ…。」
「言ってねぇって言っとんじゃ!」
片倉は凄みに思わず朝倉は一歩引いた。
「その録音に俺の嫁なんて言葉は出てねぇぞ朝倉。ほれなんになんでオメェは公安の奥方って言葉だけで、俺の嫁を指すってわかったんや。」
「う…。」
「あのな…。いい加減気付けや。」
「な…に…。」
「はじめから俺らはお前をマークしとったんや。」
「え…。」
片倉を見ていた朝倉は直江を見た。彼は冷たい眼差しを浴びせる。振り返って若林を見ると彼も同様だ。
「き…きさまら…。」
「本件捜査のコードネームはimagawa。朝倉。お前はこのコードネームを俺らが狙うホンボシと勘違いしとったようやな。」
「な…。」
「直江はお前に救われたわけじゃねぇんだよ。潜入だよ潜入。」
「な…なんだと…。」
「若林署長は松永理事官の潜入。」
「くっ…!」
「俺は一色からの潜入だよ。」
「い…一色…だと…。」
部屋のドアが勢い良く開かれ男が現れた。
「ま…松永!」
「若林署長。お務めご苦労だった。」
「はっ。」
「岡田課長が最後の仕上げに選抜されたよ。」
「そうですか。彼ならきっとやり遂げてくれることでしょう。」
若林の労を労った松永は一転して朝倉に冷たい視線を浴びせる。
「朝倉忠敏。往生際が悪いぞ。」
「ま…待て…これは何かの間違いだ…。そうだ!長官は…。」
慌てふためくように朝倉は自席にある電話に手を伸ばした。
「無駄だ。朝倉。」
「え?」
松永の背後から一人の人物が姿を現した。
「げぇっ!」
それは波多野であった。
「あ…あ…あ…。」
驚きのあまり朝倉は言葉を失った。
「聞かせてもらったよ。朝倉くん。」
「あ…。」
「残念だよ。君が黒幕だったとはね。」
「先生…違います…違うんです!」
「違わない。」
「え…。」
「官邸にいるころから分かっていたよ。君のこと。」
「え!…ま・まさか…。」
「そうだよ。本件imagawaは私による絵だよ。」
「…と…言うことは。」
「そうだ。君を県警からこちらに抜擢したのも私の絵だ。公安調査庁長官もその辺りはすべて了承済みだ。」
朝倉は膝から崩れ落ちた。
「俺は…はじめからあんたに…。」
「本当は熨子山事件の時にすべてを解決するつもりだったんだがね。」
「熨子山事件の時に?」
「ああ。君の不審な動きをあの事件の時にあぶり出して、一気にツヴァイスタン側の目論見を潰そうと考えた。だが一色くんが鍋島によって殺害されたために、それが困難になった。だから方針転換して村上の件だけを解決する通常の捜査本部の動きにした。松永くんを派遣してね。」
「あ…あ…。」
「君を含めたツヴァイスタン側の目論見を潰すためには、警察組織の内部に浸透している君自身を欺かなきゃいけない。一色くんには悪いが、熨子山事件はあれで一旦終止符を打った。けれども君はそうとも知らずにその後も今川らと妙な動きをしている。ここで僕はimagawaの実行を決意したわけだ。」
「く…くそぉっ!」
朝倉は拳で地面を思いっきり叩いた。
「くそっくそっ!」
「片倉課長。」
松永が片倉の名前を呼んだ。
「はい。」
松永は手錠を片倉に渡した。
「お前がワッパをかけろ。」
「はい。」
手錠を手にした片倉は朝倉に向き合う。
「朝倉忠敏。」
「…なんだ。」
「あんたはかつてスパイ防止法成立に尽力した。」
「…ふふふ。なんだ今更。」
「その時のあんたの我が国の治安を思うまっすぐな行動は警察内部で賞賛された。」
「…。」
「しかし残念ながらその法案は政治の力で廃案にされ、その手の法案は未だ未整備や。」
「そうだ。政治の馬鹿どもが自分らの利権をいかに守るか、いかに作り出すかで綱引きをしている間に、敵国の浸透工作は進んでいる。あいつらは自分の利権や保身のことしか考えていない。そういう既得権益をぶち壊して、本当のあるべき社会を作り出すには暴力による革命しかないんだよ。」
「革命ね…。」
「そうだ革命だ。」
「…朝倉。ここは日本だぜ。」
「だから何だ。」
「天皇陛下がいらっしゃられる。」
「天皇?」
「あんたがシンパシーを受ける共産国家と日本は根本的に違う。あんたの思想は絶対にここ日本では受け入れられん。マッカーサーでもできんかった2600年の国体の破壊をお前ごとき元警察官僚ができるはずもねぇやろ。」
「片倉…。貴様…。」
「日本の治安を守るために必要な法案がくだらん政治家の思惑だけで潰される。確かにそれは残念なことや。けどな。それがこの国の現実なんやって…。平和ボケしたこの国の現実なんや。それを現実として受け止められればあんたは警察官僚としてまだ進むべき道はあったはずや。」
「…なんだ…それは。」
「まどろっこしいけど、防諜の重要さを国民に喚起させるための啓蒙活動。」
「はっ…ばかばかしい。そんなものどこのマスコミに話しても一蹴される。」
「朝倉。もうそんな時代じゃねぇんだよ。」
片倉は携帯電話を見せた。そこには「ほんまごと」が表示されていた。
「ここには熨子山事件の全てが書かれとる。ほんでその背景にツヴァイスタンの工作活動があると書いてある。」
「…なんだこれは…。」
「今はこの手のネットの情報がマスコミのフィルタを通したもんよりも受け入れられつつある。ネットの記事を読んどる連中は分かってんだよ。既存のマスコミの情報にはバイアスがかかっとるってな。重要やと思われたネタはSNSで一瞬で拡散される。」
「拡散…だと…。」
「ああ。この「ほんまごと」は絶賛拡散中。これを読んだ連中はツヴァイスタンがどういった手を使って、この国に浸透工作を行ってきとるんかを知り始めとる。知って我が国の防諜体勢の不備に疑義を唱え始めとる。」
「なんだと…。」
「残念やったな朝倉。あんたのスパイ防止法は時代を先取りしすぎた。いまのタイミングであんたが動いとったらあの法案も国会で通っとったかもしれん。」
「ばかな…。」
片倉は朝倉に手錠をかけた。
「朝倉忠敏。殺人教唆の疑いで逮捕する。」
「殺人教唆だと?」
「ああ。」
「ふっ…その罪状には疑義があるな。」
「なんで。」
「確かに俺は直江に古田の始末を言った。だが直江がそれを行った形跡は見えん。」
神妙な面持ちで片倉は朝倉を改めて見た。
「鍋島は死んだよ。」
「なに!?」
「悠里に頭を撃ち抜かれてな。」
朝倉は言葉を失った。
「あんたが今川に指示を出し、それが下間芳夫に下りる。んでそいつを下間悠里が実行する。これであんたの殺人教唆は成立や。」
「と…言うことは…。」
「悠里はいま北署で取調中。残念ながらきょうのコミュには出席はできんよ。」
がっくりと肩を落とした朝倉はそのまま床に倒れ込んだ。
「おいおいこれぐらいでくたばってんじゃねぇよ朝倉。」
そう言うと片倉は部屋の中にあるテレビの電源を入れた。
画面には記者会見の模様が写し出されている。質疑応答のようだ。
「すいません。もう一度お伺いします。いまの加賀専務のご説明ですと、そのドットメディカルの今川がツヴァイスタンの工作員で、それの行内協力者が橘融資部長ということでいいんですか。」
「な…に…。」
呻くような声で朝倉は反応した。
カメラは加賀の冷静な表情を抑える。
「はい。概ねその認識で結構かと思います。つまり業者を装って当行のシステムに物理的に入り込み、周到な細工を施して特定の層に便宜をはかっていたということです。」
「どうしてそのような対象だけに融資が実行されるようなプログラムを、ドットメディカルは施したんでしょうか。」
「それは今後の捜査の進展によって明らかにされることと思いますので、ここではコメントを差し控えさせていただきます。」
突然記者会見の様子が来られスタジオに戻された。
「えー今入ったニュースです。先程警察の発表でドットメディカル納入のI県警のシステムにおいても金沢銀行同様の不正なプログラムが施された疑いがあるということで、今日の午後に記者会見を行う予定のようです。繰り返します。本日明らかになった金沢銀行の顧客情報システムに、納入業者であるドットメディカルが特定の対象者にとって有利に融資が実行されるシステムを組んでいたことが、金沢銀行の内部調査によって明るみになりました。そしてつい先程、金沢銀行同様の問題が発覚したとの発表がありました。警察はこの件については本日午後記者会見を行う予定です。」
片倉はテレビを切った。
「とりあえず今は殺人教唆。ほやけどこれからあんたの関連する悪ぃことがわんさと出てくる。ほんでも現在の法体系の限界ちゅうもんにぶち当たる。そうすりゃ流石に国民も『ほんなんで本当に日本の防諜体制は大丈夫か?』ってなるやろ。そしたらすこしはスパイ防止法の芽も見えてくるよ。」
朝倉の顔から表情がなくなっていた。
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126.1 第百二十三話 前半



ドアをノックする音
「来たか。」
朝倉はドアに向かって部屋に入るよう言った。
長身の男がドアを開け、ゆっくりとした動作で部屋に入ってきた。
「え…。」
片倉の存在に気がついた男は思わず立ち止まった。
「なんでお前がここに…。」
「これは…どういうことなんや…。」
「部長。これはどういうことですか。」
男は不審な顔で朝倉を見るが彼は意に介さない。
「片倉。この男に見覚えがあるだろう。」
「…え…。」
「紹介しよう。直江首席調査官だ。」
朝倉は直江に片倉に挨拶をするよう促した。
「…直江真之です。いつぞやはお世話になりました。」
「直江…やっぱりあん時の…。」
「朝倉部長。これはいったいどういうことですか。」
直江の顔には朝倉に対する不信があからさまに出ていた。
「貴様の代わりだよ。」
「え?」
「モグラは退治しないとな。」
「モグラ?」
朝倉のこの発言に片倉は絶句した。
「え…。」
「調査対象であるコミュに調査員を派遣させるも、奴らは常にそれを察知していた。」
「なんやって…。」
「公調の動きがどうも奴らに筒抜けになっている。そう考えた俺は警察を装って内密に金沢銀行にコンドウサトミの捜査事項照会書のFAXを送った。」
「…。」
「俺は敢えて週末の業務時間終了後にFAXを送った。それが関係部署の人間の目に止まるのはおそらく週明け月曜の朝。その間、銀行は閉まっている。だがすぐさまその情報は今川らに周った。だから金沢銀行であんな事件が起こった。守衛と警備責任者である小松が消され、コンドウサトミの捜査事項照会書もコンドウサトミの顧客情報もすべて鍋島によって消されるというな。」
「…。」
「俺がFAXを送ってから半日も立たないうちに事件は起こった、この迅速さをどう説明するんだ。ん?直江。」
直江は何も言わずに朝倉を睨みつけている。
「熨子山事件で本多を摘発するなどして有能だった貴様が、組織内部の権力闘争に巻き込まれて閑職に追いやられているのが俺は見るに耐えなかった。だから長官に進言して貴様をここに引っ張った。そして俺の側で働いてもらった。それなのに貴様はあろうことか公調の調査対象そのものにネタをリークしていたわけだ。」
「…。」
「一体いつからだ?直江。いつから今川のイヌになった。」
淡々と話す朝倉、黙って彼の発言を聞いている直江。その両者のただならぬ緊張感に片倉は身動きすらとれない。
「貴様がどういう意図で奴らと接点を持っていたのかは知らん。しかし貴様の目論見は潰(つい)えたぞ。」
「どういうことですか。」
「今川も江国も下間もみな県警にパクられた。」
「…下間もですか。」
「あぁ。芳夫な。」
この瞬間、片倉の方直江がちらりと見たような気がした。直江は大きく深呼吸をして重い口を開いた。
「残念だったな。」
この直江の言が部屋にしばらくの沈黙をもたらした。
「…なに?」
「言いたいことはそれだけですか。朝倉部長。」
「何だ貴様…開き直りか。」
直江は胸元からおもむろに携帯電話を取り出した。
「あなたの都合のいいストーリーを聞くのはもうごめんですよ。」
そう言って彼は携帯を操作して、それを応接机の上に置いた。

「我が公調においてツヴァイスタン工作要因として従前より最重要監視対象であるこの今川が、下間芳夫という別の工作員を介して、あの事件後も尚、鍋島に資金を提供していることが明るみになるとあなたにとって非常に都合が悪い事態となりますね。」
「鍋島惇は死んだと判断したのは俺だ。この俺の判断が間違っていたということになる。」
「当時の事件の重要参考人です。例え不作為であろうと間接的にあなたは鍋島の逃走を幇助したことになる。それはあなたの責任問題にもなりかねない。」
「確かにな。」
「今川はコミュというサークル活動を仁川をして組織させ、そこで反体制意識の醸成を図っている。鍋島がその今川の子飼いの部下であったとなると、これまたあなたは不作為であるにせよ間接的に今川を利する判断をしたことになる。」74

「き…貴様…。」
朝倉の表情が変わった。
「まだあります。」

「ふっ...いいだろう。お前は優秀だ。誰かさんと違って物分かりが良い。」
「部長がおっしゃる誰かというのがいまひとつピンときませんが。」
「直江、俺の協力者になれ。」
「人事を握れ。」
「その後は。」
「古田を消せ。」

「直江ぇ!貴様!」
絶叫して朝倉は直江の胸ぐらをつかんだ。
「え…。いま何て…言った…。」
突然の展開に片倉は動揺している。
「貴様!何でっち上げてるんだ!俺はこんなこと言っていない!」
「部長。落ち着いてくださいよ。まだあります。」
机の上に置かれた携帯電話から音声が再生され続ける。

「察庁は何をやっている。」
「さあ。」
「松永は無能か。」
「そうかもしれません。」
「直江、少しはフォローしたらどうだ。」
「いえ。フォローのしようがありません。」
「お前も酷い男だな。」
「ですが、この一件で警察内で明るみになった事があります。」
この言葉に朝倉は15秒ほど沈黙し、ゆっくりと口を開いた。
「コンドウサトミこと鍋島惇の生存か。」
「はい。奴の生存が察庁内で明るみになったということで、熨子山事件に関わった人間の聴取が始まることでしょう。」
「それはお前の方でうまい具合に調整をつけておけ。」
「どのように?」
「知らぬ存ぜぬでいい。」
「と言いますと?」
「鍋島は七尾で村上よって殺害されたと判断するのが当時の状況から最も合理的な判断だった。それ以上でもそれ以下でもないと。」83

「一旦は熨子山事件の自分の判断ミスと間接的に今川らを利することを行った事を認めていたはずなのに、この時点ではそのもみ消しを図っている。」
「知らん!俺は知らんぞ!直江…貴様…そんな録音…どうにでもでっち上げられるだろうが!」
「録音?」
「ああ…。」
「おかしいですね。部長。私はこれを録音なんて一言も言ってませんよ。」
「ぐぐぐ…。」
朝倉は肩を震わせた。
「なんだ貴様は!俺をおちょくってるのか!」
朝倉は直江に殴りかかった。だがそれは片倉によって制止された。
「離せ!離せ片倉!」
「離しません。」
「離さんか!」
朝倉は片倉の腕を振りほどいた。
「はぁはぁはぁはぁ…。」
「朝倉部長。確かにわたしの録音だけだと証拠不十分かもしれません。ですがもうひとつあるとすればどうでしょう。」
「なに!?」
「おい!入れ!」
直江が声を上げると部屋のドアが開かれた。
「…わ…若林…。」
ガッシリとした体格にも関わらず、顔はほっそりとした制服姿の若林が現れた。
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125 第百二十二話



霞が関合同庁舎の前に立った片倉は、登庁する職員に紛れていた。皆、言葉も何もかわさずただ黙々と歩き続ける。立ち止まった彼はおもむろに携帯電話を取り出して電話をかけた。
呼び出し音
「片倉です。おはようございます。」
「おはよう。いまどこだ。」
「公庁の前です。」
「なに?予定は15時だぞ。」
「なにぶん不慣れな東京です。昨日の夜金沢出て車で休み休み来ました。」
「車?」
「はい。これがあと半年先ですと北陸新幹線で2時間半とちょっとでここに来ることができたんかもしれませんが。」
「北陸新幹線な…。」
「まぁ部長との予定の時間まで随分ありますから、それまでどっかのネットカフェで休憩でもとります。」
「待て。せっかく来たんだ。俺の部屋まで来い。」
「え?」
「こっちも遠路はるばるお前が来るから、何かおもてなしをしないとと思って、その準備をしようとしていたところだ。」
「そんな…気を遣わんでも…。」
「こんな時間にまさか貴様が来るとは思わなかったから、何の準備もできていないが、空調が効いた部屋にいるほうがお前も疲れがとれるだろう。」
「あ…いいんですか?こんな田舎のいちサツカンが部長の部屋で休憩をとるなんて。」
「いい。俺の部屋は治外法権だ。」
「ふっ…。」
「なんだ。」
「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。」
「話を通しておく。そのまま庁舎に入って受付に案内してもらえ。」
「はい。」
携帯を切った片倉は拳を握りしめた。
「治外法権ね…。」

片倉は部長室のドアをノックした。
「おう。ちょっと待ってくれ。」
部屋の中から朝倉の声が聞こえた。暫くしてドアが朝倉の手で開かれた。
「良く来たな。片倉。」
「すいません。こんな早い時間に。」
「まぁ入れ。」
「失礼致します。」
部屋に通された片倉は備え付けの応接ソファに腰を掛けた。
「金沢からどれくらいかかった。」
「ノンストップなら6時間もあれば着くんでしょうが、本当に休み休みで来たんで結局10時間ぐらいかかりましたよ。」
「そうか…。ご苦労さん。」
そう言うと朝倉は缶コーヒーを片倉に差し出した。
「すまんな。まだ庶務の人間が登庁してないんだ。なんでも急に子供が熱を出したとかでな。俺はお茶出しとかの気の利いたことはできん。だからこれで勘弁してくれ。」
「そんな…ありがとうございます。」
そう言って彼は缶コーヒーを開けて口をつけた。
「手際が良いじゃないか。片倉。」
「え?何のことですか。」
「今回の捜査のことだよ。」
「と言いますと?」
朝倉は呆れた顔で片倉を見た。
「何言ってんだ。県警の捜査から離れたと思ったら、その後釜の人間が一気にホシを検挙。」
「あ・あぁ…それですか。」
「見事だよ。今川は土岐部長によってパクられ、奴の上司に当たる七里も外注先のHAJABの江国も一気にパクった。」
「…それは俺の部署とは直接的な関係はありませんよ部長。」
「なに?」
「そもそも俺はチヨダの人間です。表向きは俺は土岐部長の直属の部下ですが、実際のところは察庁の松永理事官の指揮下にあります。チヨダマターは土岐部長には何の関係もありません。けど俺らが追っとった今川は情報調査本部の土岐部長の手でパクられた。俺はむしろ手柄を土岐部長にかっさらわれたわけですわ。」
朝倉は無言になった。
「第一うちのチームは鍋島も下間も誰もとっ捕まえとりません。それどころか鍋島に原発に入り込まれて爆発事故まで起こしとるんです。俺ん所は全然駄目です。犯罪を水際で食い止めるのが俺ら公安の仕事。ほやけど最近は水際どころか表に出てきとる。こうなると俺ら公安の存在意義がどんどんなくなっていきます。」
「片倉。自分を責めるな。」
「普通の仕事はなにかがあったらそれにどう対応するか。どう営業成績をあげるか。これが評価の対象です。ですが公安の仕事は違う。俺らは出版の校正マンみたいなもんです。世の中に出回る本は誤字脱字がなくて当たり前。当たり前の状況を作り出すことが校正の仕事です。もしも誤植があれば一大事。問題が発生することそのものが校正マンにとってはあってはいけない事です。つまり目に見える事が起こることがマイナス評価。他人の目に触れることがない仕事をしとるわけですから、評価なんかされにくいですわ。」
朝倉は片倉の語りに耳を傾ける。
「最近は何やっても鍋島や下間に裏をつかれるし、ほんで手柄は身内にかっさらわれる。」
「鍋島はどうなんだ?」
片倉は首を振る。
「未だ行方知らずか。」
「はい。」
「挙句、貴様の家庭は問題を抱えたまま…か。」
「そうです。もう俺は踏んだり蹴ったりなんですわ。」
朝倉はため息をついた。
「片倉。」
「はい。」
「貴様は自分の能力を過小評価している。俺は貴様を評価しなかったことは一度もない。」
「部長…。」
「ただ今の貴様は精神的に相当参っているようだ、電話でも言ったように今の貴様には休息が必要だ。先ずは休んで心を落ちつけろ。そして家庭に向き合うんだ。」
「はい。そのつもりです。」
「足元をしっかりと固めてからでいい。それまで俺は待つ。それから共に仕事をしよう。」
片倉の瞳に熱いものがこみ上げた。
「お・そうだった。」
そう言うと朝倉は時計を見た。
「片倉。ちょうどよかった。貴様に紹介したい人間がいる。」
「え?」
「あとしばらくでここに来る。どうだ会ってみないか。」
「あの…どういった人間で?」
「モグラだ。」


金沢銀行殺人事件捜査本部の本部長席に座った岡田はモバイルバッテリーを刺した自分の携帯電話を見ていた。
ーこの「ほんまごと」、情報の確度が高すぎる。これが黒田の記事ってやつか…。ほんでもネタ元が片倉さんやとすっと、あの人なんでこんだけのネタ持っとらんや…。あの人はサツカンから足洗ったはずねんけど…。
「岡田課長。」
若手捜査員が岡田の名前を呼んだ。
「何や。」
「最上本部長がお呼びです。別室までお願いします。」
「本部長が?」
岡田は携帯を持ったまま離席した。
部屋に入ると先日同様、テレビに最上の姿が写し出されていた。
「おはよう岡田くん。」
「おはようございます。」
「発生署配備を解除してくれ。」
「え?」
「藤堂豪こと鍋島惇は死んだ。」
「ええ!?」
思わず岡田は大声を上げた。
「こらこら…朝からそんな大きな声出すと、びっくりして僕の血圧が上がってしまうよ。」
「え…申し訳ございませんが私には本部長がおっしゃっていることが全く飲み込めません。」
「説明は割愛させてもらうよ。これは君に対する報告だ。」
「でも…。」
「とにかく金沢銀行殺人事件捜査本部が追う被疑者鍋島惇は死亡した。よってこの帳場は解散だ。」
「しかし…。」
「しかし何だね。」
「…その…仮に鍋島が死亡したとしても、金沢銀行顧客情報が何らかの形で置き換わった件はどうするんですか。」
「解決済み。」
「え?」
「OS-Iとかドットメディカルの今川とか、HAJABの江国の件だろう。」
ーえ…なんで本部長はそこまでのネタを把握しとるんや。俺はこの話、若林にしか話しとらんぞ。
「別働隊が関係者を全て検挙した。」
「え?別働隊?」
「うん。」
「え…どういうことですか。」
「別件でドットメディカルの今川を捜査していた。そこで芋づる式に金沢銀行のシステムの話も出てきてまとめてパクった。簡単に説明すればこういうことさ。」
「あ…そうなんですか…。」
「ところで岡田くん。」
「何でしょうか。」
「君が教えてくれたSNSで拡散されているブログ記事の件。僕も読ませてもらったよ。」
「あ。」
「君はあの記事を率直にどう思ったかね。」
しばし黙り込んだ岡田はゆっくりと口を開いた。
「…真実に迫るものがあると思います。」
「真実に迫る…。」
「はい。」
「どうしてそう言えるんだ。」
「おそらく私はこの記事を書いとる人間と直接会ったことがあります。」
「ほう。」
「その著者が信頼に足る人間かどうかは、正直私はわかりません。ですがその著者と思われる人物を紹介してくれた人間は信頼できる人間です。」
「…そうか。」
最上は目を伏せた。
「はい。」
「岡田くん。」
「なんでしょう。」
「君もやはりそのクチか。」
「え?」
最上の口元がやや緩んでいるように見える。
「頼めるかね。」
「あの…本部長…。」
「最後の仕上げを君に頼みたい。」
岡田はキョトンとした。
「ホテルゴールドリーフ。ここに今から来てくれ。」
「え?」
「そこに来れば全てが分かる。」
こう言って最上はまたも一方的に通信を遮断した。
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2016年12月29日

124 第百二十一話



「下間確保しました。」
「了解。」
「これからマサさんと下間の通信手段を抑えます。」
「わかった。くれぐれもホンボシに感づかれないように注意しろ。」
「了解。」
土岐は無線を切った。
「いい流れだね。」
「はい。」
県警本部長室の中には各種無線機が並べられ、数名の捜査員が詰めている。その中で本部長の最上と警部部長の土岐は向かい合うようにソファに掛けていた。
「七里君は?」
「安全なところに匿っています。」
「江国は?」
「情報調査本部の取調室です。今川逮捕と橘刑事告発の話を聞いてシステム改竄についてすぐにゲロしました。」
「ほう。」
「今川から県警システムの受注話を聞いたときから、鍋島の指紋情報を都合よく改竄できるよう細工を施していたようです。」
「そうか。」
「HAJAB成長の鍵を握っていた今川を抑えられ、金沢銀行システムの斡旋窓口だった橘がやられたとなると、流石に江国もどうにもならずに早々に敗北を認めたというところですか。」
「そういうところだろうな。」
「それにしても一色貴紀という男をとりまく人物のその…絆とでも言うんでしょうか…。どうしてここまで人を動かすんでしょうか。」
「七里君の件か?」
「はい。七里は熨子山事件当時、一色の車に搭載されていたGPS発信機を自分の車に載せるよう自ら一色に進言。朝倉に対する陽動作戦を決行しました。作戦は功を奏し朝倉は独断で熨子山事件の犯人は一色であると決め、帳場を設置。捜査の早期終結を図る方針を打ち出して自らの企みをもみ消そうとしました。ですが一色本人が鍋島によって殺害されていたため、捜査の方向性を少しずつ調整し、奴にとってイヌである三好元課長を難癖をつけて更迭。事件の主犯である村上も鍋島を使用して殺害。一色の策略は朝倉の前に破れ去りました。それから3年の時を経て、再びあの汚名を晴らさんと今回も七里自ら今川の監視役を買って出てくれました。」
「そうだね。おかげで今回はうまくいった。」
「七里にとっては今川が逮捕となり、金沢銀行や県警のシステムに不正を働いていたことが世間に公表されればドットメディカルという会社にとって不利益しかもたらしません。それなのに七里はこの役を自ら買って出てくれました。」
紙コップに入った温かいお茶を飲んで最上は口を開いた。
「土岐君。」
「はい。」
「君はいま一色の策略は朝倉の前に敗れ去ったと言ったね。」
「え…はい…。」
「その言葉、ちょっと違うよ。」
「え?」
最上は大きな体を起こして立ち上がった。そして窓側に移動して土岐に背を向けた。
「一色貴紀という人材を亡くしたのは警察にとって本当に痛手だった。でもね、それも今考えてみれば必要な犠牲だったのかもしれない。」
「え?あの…本部長…。」
「3年前の熨子山事件。そして今回のimagawa。これらは全て波多野元内閣官房長官による絵だ。」
「え…。」
「つまり一色貴紀をとりまく諸状況はあくまでもミクロの話。マクロでは波多野さんが全て絵を書いていたわけだ。」
「え…。」
土岐は絶句した。
「本部長。松永理事官からテレビ電話がつながっています。」
無線機の前に座っている捜査員が最上に報告をした。
「うん。回してくれ。土岐部長も同席してくれ。」
「え…はい…。」
部屋の壁に置かれた50型のテレビに映像が写し出された。そこには松永の姿があった。
「あ…。」
土岐は思わず声を発した。そこには松永とともに白髪頭の老人が臨席していた。
「は…波多野元長官…。」
最上はテレビに向かって敬礼を行った。同席してる土岐も最上に合わせて同じく敬礼をする。
「ご苦労様です。最上本部長。こちらにも報告は入っています。」
「面目次第もありません。」
「たしかに鍋島死亡は残念です。ですがツヴァイスタン関係の人間を一斉に検挙できているんです。ですから良しとしましょう。」
「ありがとうございます。」
「七里捜査員は。」
「安全な場所で休息をとっています。」
「そうですか。」
このやり取りに土岐は言葉を失った。
「え…。七里は潜入?」
「土岐部長。」
「は・はいっ!」
「ご苦労さまでした。十河捜査員と神谷捜査員との見事な連携。おかげで今川と下間はなんなく検挙できました。」
「はっ!過ぎたるお褒めの言葉です。」
「朝倉を騙すために日章旗を踏みにじるなんて、屈辱にもよく耐えてくれました。」
「いえ…。」
「息子さんの件はご心配なく。彼は何もやっていません。朝倉子飼いのサツカンが適当な罪名をでっち上げて息子さんを署まで引っ張ってきただけです。あなたの出世などには一切響きませんので、従来通り職務に励んで下さい。」
「と言うことは、朝倉は。」
「まだです。」
「え?」
「朝倉には然るべき人間が然るべき引導を渡します。」
「松永理事官。」
最上が口を開いた。
「今後の指示をお願いします。」
画面の松永は頷いた。
「県警警備部はコミュの村井をマークして下さい。本日19時コミュが開かれます。そこで村井を現行犯で検挙します。」
「現行犯ですか?」
「はい。罪状はなんでもいいです。とりあえず検挙してから村井への対応は考えます。」
「承知致しました。人選はこちらで行って良いですか。」
「はいお任せします。」
「かしこまりました。」
「最上本部長。土岐部長。」
今まで黙っていた羽多野が口を開き自分たちの名前を読んだため、2人に緊張が走った。
「盆には間に合わなかったが、明日あらためて一色の墓に線香を上げさせてもらう。」
「はっ。」
「その際には君も一緒に来てくれ。」
「勿論です。」
画面の波多野は穏やかな顔で頷くだけだった。


午前三時の金沢銀行の専務室は明かりがついていた。
「明日10時の記者会見の準備はひと通り完了しました。」
入室してきた常務の小堀が加賀に報告した。
「ご苦労さまでした。検察は?」
「橘の身柄とひと通りの資料を持っていきました。」
「外部に気づかれていませんね。」
「はい。この事実を知る人間は総務部の一部の人間と取締役会のみ。検察側の人間もマスコミに嗅ぎつけられないよう相当気を遣って隠密に動いていました。」
「そうですか。」
加賀は椅子に身を委ねた。
「しかし専務。」
「うん?」
「私は少し解せんがです。」
「なんですか。」
「あまりにも検察の動きが早すぎます。こっちからこうこうこんな事があったって電話で通報したら、ものの20分ほどで数名の職員が来たんですよ。ほんで聴取も短時間。立件に必要な書類に目星をつけるのも一瞬。あいつら随分前から橘の悪さをマークしとったんじゃないですか。」
「…そうかもしれませんね。」
「ちゅうとこの行内に検察のスパイがおったとも考えられます。」
「スパイね…。」
「はい。」
「居るんじゃないんですか。」
「え?」
「まぁそんな人間のひとりやふたり居ないと、常務が仰るように検察はこうも迅速な対応はできませんよ。しかもこんなに隠密理にね。」
「専務…。」
「常務。検察のスパイ探しはやめましょう。仮にスパイが行内に居たとしても、実際橘は悪事を働いていたんです。それに司直の手が伸びるのは当たり前のことと言えば当たり前のことです。」
「…はい。」
「あとは私が責任をとればいいだけの話です。」
「え?」
加賀は席を立った。
「長かった…。」
「あの…専務?」
「でもこれは入り口に過ぎない。これからが本当の闘いになる。」
「専務。どうしたんですか?」
加賀は小堀と目を合わせずに窓の外を眺めた。
「見届けさせてもらいますよ。政治家と官僚の本気を。」
「え?」
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123 第百二十話



「ご苦労さん。トシさん。今どこや。」
「病院や。」
「傷は。」
「幸い大した事ない。」
「…良かった。いきなりガサッっていってトシさんうめき声出すんやからな。」
「ふっ。ワシも長いサツカン人生で撃たれたのは初めてやわいや。こんでしばらく手は上がらん。」
「痛いんか。」
「あたりめぇや。だらほど痛いわ。」
「ほんだけ元気があるんやったら、すぐにでも復帰できそうやな。」
片倉は煙草を咥えた。
「トシさんを撃って、すぐさま鍋島の頭を撃ち抜く。悠里のやつここまでの腕を持っとったとはね。」
「あぁ得物はVSSらしい。」
「VSS?」
「あぁワシはその手の重火器についてはよく分からんが、SATの詳しい奴が言うにはロシア製のもんらしい。なんでも開発時に要求されたんは「400メートル以内から防弾チョッキを貫通する完全消音狙撃銃」。(出典https://ja.wikipedia.org/wiki/VSS_(狙撃銃))悠里が狙撃をしたんは丁度400メートル離れたマンションの屋上。そこから射程ギリギリの標的を見事狙撃するわけやから、あいつの腕は恐ろしいもんやと。」
「ほうか…。」
「こんだけの腕をもった連中がツヴァイスタンの秘密警察にうようよしとる。そう考えると背筋が寒くなるわ。」
片倉は煙草の火をつけた。
「まぁ便利な世の中になったもんや。」
「あん?」
「ワシはネットのこととかよく分からんけど、ワシの目の前で起こっとる状況を音声だけとは言え、こんだけお前に伝えることができるんやからな。」
「何言っとれんて。トシさんの携帯、通話中のまんま放置しただけや。携帯電話の技術の進歩のおかげ。」
「喋っとるワシの声だけじゃなくて、周りの音まで聞こえとってんろ。」
「ああ。SATが発砲したんはきれいに聞こえた。ほやからなんの音も聞こえんがにトシさんが倒れたような音が聞こえた時は、まさかSATがトシさんを間違って撃ってしまったんじゃねぇかって焦ったわいや。」
「それやったら大事やったな。」
「まあな。」
「ところで片倉。お前今どこなんや。」
片倉は窓の外を眺めた。
「駒寄(こまよせ)のパーキング。」
「駒寄?どこやそれ。」
「群馬。こっから霞が関までは約2時間てところか。」
車の時計表示は2時40分である。
「ほんまごとはどうなんや。」
「あぁひととおり喋るだけ喋った。いまごろ黒田のやつひぃひぃ言って記事にまとめとると思うよ。」
「どこまで喋った。」
「それは記事を見てくれればトシさんも分かる。」
「勘弁してくれま。ワシやって手負いなんやぞ。こんな状態でパソコンの画面なんか見れんわいや。」
「熨子山事件については俺が知りうること全部話した。当時の本多、マルホン建設、仁熊会、警察の癒着の流れ。ほんでその事件の背後に警備課長の更迭があったこと、村上警備担当が不審死を遂げとったこと、村上が鍋島に操られとった可能性があること、鍋島の背後にツヴァイスタンがあるちゅうこととかみんなや。」
「鍋島の妙な力は。」
「伏せた。これはカク秘や。」
「ほうか。」
「んで最近の事件についてもある程度喋った。」
「どんなこと喋った。」
「長尾が公安のエスやったってことは伏せた。その代わり長尾と三好さんの接点については喋った。」
「小松の件は。」
「それも伏せた。小松がツヴァイスタン側のエスやって世間にばらしたら、それこそ金沢銀行の信用問題を大きくしてしまう。ただでさえ金沢銀行はかちゃかちゃや。こんなにぞろぞろ不審を買う材料が出てしまうとあの銀行は破綻しかねん。」
「確かにな。ほんで小松は自殺としての処理のまんまか。」
「佐竹の部下の真田と武田っちゅうドットメディカルの出向社員が小松の自殺は疑わしいと言っとる。ほやからいずれ岡田んところの帳場と連携とってコロしの線で再捜査になるやろ。」
「そこら辺で小松とツヴァイスタンの関係性が浮上したらどうするんや。」
「潰す。」
「潰す?」
「ああ。加賀たっての希望や。」
「なんで。」
「小松は金沢銀行の役員連中にも人望があったしな。こいつが敵国スパイの協力者やってなると、行内に動揺が走る。金沢銀行は熨子山事件はじめ守衛殺しの事件で信用が落ちてきとる。ほんで橘の不正や。ここに小松の件が加わるとガタガタになる。ほやからせめて行内だけはしっかりと統率を取らせてくれってな。」
「他ならぬ強力なエスからの頼み事や。しゃあねぇな。」
「とりあえず今は金沢銀行内の調査と岡田んところの帳場の行方を見守るのが得策と判断した。」
「ほやけどどうやって潰す。」
「カク秘。」
「ふっ。」
片倉は座席を倒した。
「トシさんさ。」
「なんや。」
「どうやったけ…。」
片倉は両腕を伸ばして大きく伸びた。
「鍋島の最後。」
古田はしばし無言になった。
「…あっけねぇわ。」
「ほうか…。」
「正直ひとが撃たれる現場っちゅうもんを生で見たことなかったし、一瞬何が自分の前で起こっとるか理解できんかったわ。」
「俺もひでぇ現場見てきたけど全部事後の現場や。」
「片倉。人間ちゅうもんは瞬時に肉塊になるんやわ。」
「そうか…。」
「戦争体験談とかで目の前で仲間がばたばた倒れていくっていうのは聞くけど、多分今回のような状況が常態化するんやろうなと思うと気がおかしくなるわ。」
「そんなにか。」
「あぁ。ついさっきまで意思を持って言葉を発しとったもんが一瞬でただの肉の塊になる。形をかえた肉の塊にな。」
片倉は無言になった。
「あぁほうや。」
「なんや。」
「その鍋島について興味深いネタが上がっとる。」
「興味深いネタ?」
「おう。」
「なんねん。」
「なんでも鍋島の財布の中から一色の社員が見つかったらしいんやって。」
「一色の写真?山県久美子の写真じゃなくて?」
「おう。」
「なんじゃ…それ…。」
「普通、財布の中に自分が忌み嫌うもんを入れっか?」
「いや。」
「そこで佐竹は興味深い説を打ち立てた。」
「どんな。」
「鍋島バイセクシャル説。」
「バイ?」
思わず片倉は大きな声を出してしまった。
「あぁ…ここからは想像の域を超えんけどな。聞くか?」
しばらく片倉は黙った。
「…トシさん。俺…いいわ。」
「うん?」
「ホンボシの鍋島は死んだんや。五の線ついてはもうあいつら自身に任せようぜ…。」
「なんや興味ないんか片倉。」
「興味ないことなんかねぇ。でもな…いまは俺は正直そこまで考えが及ばん。」
「そうやな…。」
「俺は俺のやることをやり遂げる。その後にゆっくり聞かせてくれ。」
「…わかった。」
電話を切った片倉は車の天井を見つめた。
「生まれながらにして社会的マイノリティやった奴が性的マイノリティか…。」
こう呟いた彼はそっと目を閉じた。


深い夜の時間にも関わらず、石川大学の下間研究室の明かりは点いていた。
研究室のソファに横なった下間は目を開いて壁にかけてある時計を見た。時刻は3時を回っている。
ー今日のコミュまでにあと16時間。悠里は大丈夫だろうか。
大きく息を吐いて再び目を瞑るも眠ることが出来ない。下間は身を起こして窓側に移動した。ブラインドの隙間から外の様子を窺うと、自分の研究室と同じように明かりがついている他学部の研究室も見えた。
携帯のバイブレーションが作動した。
彼は咄嗟にそれを手にする。
「今川…。」
件名のないメールであった。
ーこの時間に連絡…。何か嫌な予感がする…。
下間の鼓動が激しくなった。それによって携帯を手にする指が僅かながら震える。
ー任務完了の報告は悠里から直接あることになっている…。悠里じゃなく今川からてこの時間に私に連絡となると…。
荒くなってきている息遣いを落ち着かせるように、下間はわざとらしく深呼吸をした。そして意を決して今川からのメールを開いた。
「悠里が…警察に…。」
メールには悠里が鍋島を追う過程で警察に取り囲まれた。その際悠里の車の中からVSSが発見されたため緊急逮捕となったと書かれていた。
「終わった…。」
下間は呆然とした。
暫くして再び今川からメールが届いた。下間は力なくそれを読んだ。
「キャプテンの力で悠里をどうにかできないか掛け合ってみる。お前は俺に悠里とのやり取りが分かるように簡単にまとめて今すぐ送れ。鍋島についてもキャプテンに再度指示を仰ぐ。」
「今川さん…。」
下間の目に力が宿った。パソコンの前に座った彼は直近の悠里とのやり取りを箇条書きに記した。

 ・鍋島の殺害指示を悠里へ伝達
 ・殺害期日を悠里へ伝達
 ・警察から尾行された悠里からそれを巻いた報告あり
 ・案外警察のマークが厳しい。そのためコミュの件を慎むよう悠里からの進言
 ・鍋島殺害は上からの命令があるため実行を確認

これを下間は直ぐに今川に返信した。
「悠里の忠実さを打ち出して、朝倉の同情を買うしかないか…。まったく…非科学的な組織だ…。」
下間は頭を抱えた。
「頼む…今川…なんとかしてくれ…。」
研究室のドアをノックする音が聞こえた。
ー誰だこんな時間に…。
「下間先生。細田です。」
「え?」
「気分転換にキャンパスの中を歩いてたら、先生の研究室に電気がついていたのでちょっと来てみました。」
パソコン周りを片付けた下間は研究室の鍵を空けた。そこには白髪姿の細田が立っていた。
「先生も今日は徹夜ですか?」
「最近、家には帰っていないんですよ。」
「それはそれは…なんですか学会発表か何か?」
そう言うと下間は細田に研究室の中に入るよう促した。
「この日のために。」
「え?」
突如細田の背後から神谷が現れ、彼は細田を隠すようにその前に立った。
「下間芳夫。」
「なんだお前は。」
「警察だ。」
神谷は警察手帳を開いて下間に見せる。
「下間芳夫。下間悠里による鍋島惇の殺人幇助の疑いで逮捕する。」
「なに!?」
下間は神谷によって瞬時に後ろ手に手錠をかけられた。
「ま…まて…。」
手錠をかけられる間、下間は細田と目があったが彼は何の反応も示さなかった。
「残念だったな。下間。細田はこっち側の人間だ。」
「な…。」
「鍋島は死んだ。鍋島を殺した悠里は我々の手で抑えた。」
「え…。」
そう言うと神谷はスマートフォンを取り出した。そしてその画面を下間に見せる。すると下間は膝から崩れ落ちた。
神谷が手にするスマーフォンの画面には、先程下間が書き出した箇条書きのテキストが表示されていた。
「今川も確保済みだ。」
数名の男が下間と男の間を割って、研究室に入った。
床に手をついた下間はそのまま力なく地面を見つめた。
「下間確保しました。」
無線に向かって神谷は口を開いていた。
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2016年12月28日

122 第百十九話



「こいつとお前を殺す。」
銃口を向けられた古田は微動だにしない。
「…心配するな一瞬だ。」
「ふっ…。」
「なんだ。」
「最後の最後でチャカか。あ?鍋島。」
「なんだてめぇ。」
「お前は散々人を殺めた。その手口は全て絞殺もしくは刺殺。チャカは使わん。そんなお前がここにきてチャカを手にした。」
「だから何なんだ。」
「相当切羽詰まっとれんな。」
「うるさい。」
古田は右拳を鍋島に向けて突き出した。
「あん?」
「鍋島。これに見覚えがあるやろ。」
そう言うと古田は握りしめていた右手を開いた。
それを見た鍋島の動きが一瞬止まった。
「村上が使っとったジッポーや。」
「それがどうした…。」
「お前が目指した残留孤児の経済的自立。それを支援しとった村上のな。」
「言うな。」
「お前が金金言うとる横で、村上は仕事を斡旋したり本当の意味でのあいつらの自立支援に取り組んどった。自分の金を持ち出してな。」
「…。」
「熨子山の塩島然り、相馬然り。村上の世話になった人間は数しれん。」
「相馬…だと…。」
「それがどうや。お前はそんな村上を殺した。それがもとで相馬は会社を厄介払いされた。そん時あいつは誓ったよ。たとえそれが誰であろうと、村上を殺した人間は絶対に許さんとな。」
「…。」
「お前は相馬に間接的に経済的援助をしとったつもりなんかもしれんが、どんな理由があれそれこそ偽善。エゴや。お前は今川や下間によって設計された人間や。ほやけどそんなお前でも、お前はお前の力で判断できたはずや。」
「何をだ…。」
「何が正しくて何が間違いか。人間として最も基本的な判断のことや。」


ー鍋島のやつ…ここで銃を取り出してこいつらを撃ち殺そうっていうのか…。しかしこんな住宅が密集している場所で発砲なんかすれば、直ぐに警察が駆けつける。そうすればさすがの奴もお縄だ。
心のなかでこう呟いた悠里だったが、ここで一旦動きを止めた。
ー警察?
「待て…。」
悠里は咄嗟に暗視スコープの倍率を上げ、北高の屋上あたりを舐めるように覗いた。
「あ…。」
そこには物陰に身を潜める人間が何人も居る。
「まずい…。」
こう呟いたときのことである、屋上に身を潜めていた人間の内ひとりがこちらの存在に気がついた。
「しまった。」
屋上の人物は何やらサインのようなものを別の人間に送っている。
「くそが…。」


「こちら狙撃支援班。」
「何だ。」
「先程のマンションの屋上に人影らしきものあり。」
「なにっ!」
関は立ち上がった。
「おい。さっきの捜査員と繋げろ。」
「はっ。」
指揮班の人間は手際よく無線を繋いだ。
「私だ。今どこだ。」
「マンションの手前30メートル。」
「屋上に居る。」
「え?」
「今、狙撃支援班が確認した。…できるか。」
「…やってみます。」
「頼むぞ…。」
グラウンドの様子を映し出すモニターを眺めながら関は祈るような声を出した。


「ふっ…何が正しくて何が誤りか…か。」
「ほうや。」
「それは勝った者が決めることだ。」
「お前は勝てん。」
「俺は勝つ。負けるのはお前だ。」
鍋島は引き金に指をかけた。
「村上…。やっぱりこいつは言っても分からん奴やったわ。」
こう呟いた古田は手にしていたジッポーライターに火を点けた。そしてそれを天空めがけて突き上げた。


「合図です。」
狙撃支援班からの無線を聞いた関は間髪入れずに返答した。
「よしやれ。」
ライフル音
「ぐあっ…。」
鍋島の右太ももを銃弾が貫通した。不意を打つ狙撃であったため、彼はその場に崩れ落ちた。すかさず古田は鍋島に駆け寄る。そして鍋島の右手を渾身の力で蹴り上げた。
鍋島が手にする拳銃は彼の手を離れ、宙を舞った。
「確保!」
こう叫んだ古田は咄嗟に鍋島の腕をきめ、彼を地面に伏せさせた。鍋島が動けば動くほどその締りはきつくなる。
「ぐっ…くっ…。」
屋上からロープが垂らされた。
「鍋島。お前のために警視庁からわざわざSATに出張ってもらったんや。ありがたく思え。」
「SATだと…。」
「ああ。」
「クソが…。」
「ここでワッパかけたいんやけどな。残念ながらワシはもうサツカンじゃあねぇ。ここは現役諸君にお任せするわ。」


「何だ…あっけないぞ鍋島…。」
暗視スコープを覗き込む悠里は呟いた。
ー鍋島…。これがお前が俺に見せたかったものなのか?…。
悠里は深呼吸をした。
ー俺に足を洗えとか言いながら、お前はこうも無様に警察のお縄にかかる。…こんなもんを見て何が分かるっていうんだ?
「くそ…どうする…。このままあいつが警察の手に渡ったら俺の任務はぱぁだ…。」
北高の屋上に潜んでいた人間たちが一斉にロープを伝って地上に降りはじめた。
ー残念だが俺だって自分の命が惜しい。そして家族の命もだ。俺がやらなければ父さんや麗も粛清される。もちろん母さんも…。
生ぬるい風が悠里の頬に吹き付ける。
悠里は再び大きく息を吐いた。そして風を計算して照準を合わせ直す。
ー生きてさえいれば何とかなる。俺は生きるためにお前を撃つ。
「待てや!!」

「え…。」
鍋島の腕を決める古田の姿をみていた佐竹は絶句した。
古田が鍋島に覆いかぶさるように倒れ込んだのである。
それと交互して地面に伏せられていた鍋島は右足を庇いながら立ち上がった。そして倒れ込んだ古田を見下ろすと、彼は息を切らして肩を抑えていた。
「ぐうっ…。はぁはぁはぁはぁ…。」
古田のベージュのカメラマンジャケットが赤く染まりだしていた。
地上に降り立ったSAT隊員たちは状況を目の当たりにして一瞬立ち止まった。
「これが…お前の答えかよ…。悠里…。」
「ゆ…悠里…?」
刹那、鍋島の頭が撃ち抜かれた。それにともなって彼の頭部の肉片と脳漿が辺りに飛び散った。
「え…。」
鍋島はそのまま地面に倒れた。
「な…鍋島…。」
「鍋島…。」

「おメぇぇぇ!!」
マンションの屋上でライフルを構えていた悠里に突進した捜査員は、彼を背後から羽交い締めにした。
「ぐっ…。」
「何やっとんじゃ!このボケがぁ!」
「はぁはぁはぁはぁ…な…なんだお前は…。」
「警察や!」
「け・警察…。」
捜査員は悠里を後ろ手にしてそれに手錠をかけた。
「はぁはぁはぁはぁ…班長…。屋上の男逮捕しました。」
「…ご苦労だった。」
「現場は…。」
「…古田負傷。鍋島は死んだ。」
捜査員は力なくその場に座り込んだ。
「…無念です。」
「やむを得ない。」

職員室に待機していた捜査員たちがグラウンドに集合した。それぞれが現場の状況の記録をとっている。
「大丈夫ですか。」
関が古田の様子を覗き込んだ。
「あ…あぁ…多分…。」
「出血がひどいです。もうすぐ救急車が来ます。それまでなんとか我慢してください。」
「すまん。」
「いえ。謝る必要はありません。鍋島を生きて捕らえられなかった私の責任です。」
止血措置を施される古田はうつ伏せに倒れる鍋島を見つめた。
「鍋島を撃ったんは。」
「下間悠里のようです。確保済みです。」
「…悠里か…。」
「麗には悠里のことは伏せてあります。」
「…あぁそのほうがいい。それにこの現場の状況もあいつらには見せんほうがいい。」
「はい。」
変わり果てた鍋島のもとに佐竹が力なく近寄る姿を古田は見ていた。
「鍋島…。」
彼の頭部に手を伸ばすとそれは捜査員に制止された。
「現場の保存にご協力下さい。」
手を引っ込めた佐竹は呆然として鍋島を見つめた。
悠里が発射した弾丸は鍋島の後頭部に命中した。倒れる彼の頭部は弾丸によって一部が破裂している。

「どうせ悲惨な終わりしかないなら、劇的な終わりを俺は望むよ。」

「これが…。」
佐竹はその場に座り込んだ。
「これが…お前が望んだ終わりかよ…。鍋島…。」
憎しみの念しか抱いていなかったはずなのに、佐竹の瞳から涙が溢れ出していた。
「なんで…なんでだよ…。なんでこんなことになったんだ!」
彼の悲鳴にも思える絶叫がその場を静まり返させた。
「なんで…お前は…ここまで…突っ走っちまったんだよ…。」
「佐竹さん。」
関は佐竹に近寄って声をかけた。
「ひょっとしたらこれ…関係あるかもしれません。」
白手袋をはめた関の手にはチャック付きのポリ袋があった。
「え…それ何ですか。」
「鍋島の財布の中から出てきました。」
それを手渡された佐竹は息を呑んだ。
「え?どういうこと…ですか…」
「見ての通りだと思います。」
「え…。」
「一色貴紀の写真ですよ。」
ポリ袋の中には証明写真サイズの一色貴紀の写真があった。写真の彼は若くそして珍しく笑顔であった。
「な…んで…?」
「…わかりません。ですがこの写真だけが鍋島の財布の中に入っていた。」
「これだけ?」
「ええ。」
関は自分の財布を取り出した。
「見てください。これが僕の財布です。中には数枚の紙幣と硬貨。そして何枚かのカード類しか入っていません。」
「え・ええ…。」
「だけどこれ。」
そう言うと関はメモ帳の切れ端のようなものを取り出した。
「なんですかそれは。」
「これはうちの子供が書いてくれた僕なんです。」
「関さんですか?」
関は苦笑いを見せた。
「はい。下手くそでしょう。特徴らしいものをちっとも掴んでいない。でもなんだか見ていると愛着が湧いてくる。ほら自分はこんな仕事しているでしょう。子供と会える時間も限られているんで、せめてこれを財布の中に入れて持ち運ぶことで間接的に一緒な時間を作るようにしているんです。」
「え…。」
鍋島は一色の存在を忌み嫌っていた。その忌み嫌う存在を常に財布に入れて持ち歩くとはどういうことだろうか。臥薪嘗胆の薪や胆の役割をこの写真に求めたのか。いやもしもそうならば、一色を葬った鍋島にとってこの写真は無用のものであるはずだ。
「佐竹さん。これは僕の邪推なんですが。」
「な・なんでしょう。」
「鍋島は一色に特別な感情を抱いていたなんてことはありませんか。」
突拍子もない関の問いかけに佐竹は動揺した。
「まさか…ははは…そんなわけない…。」
瞬間、佐竹の脳裏に先程の鍋島とのやり取りが浮かんだ。

「…じゃあ…なんで…。」
「なに?」
「じゃあなんで…一色や村上をお前は…。」
「…。」
「なんで一色の彼女を…。」
「それ…聞く?」
「え?」
「野暮だぜ…。佐竹。」

「まさか…。まさかな…。」
「何か思い当たる節でも?」
「いや…仮にそうだとしても…。久美子の件はどうなるんだ…。」
「佐竹さん?」
額に手を当てて独り言をつぶやく佐竹の顔を関は心配そう覗き込んだ。
「待て…。そう思い込むから辻褄が合わないんだ。」
「え?」
「そうだ…。発想を変えれば逆に見えなかったものも見えてくる。」
佐竹ははっとして顔を上げた。そして関の方を見る。
「関さん…。」
「はい。」
「ひょっとして…鍋島は…。」
「…多分、いま佐竹さんが考えていることと僕が考えていることは同じだと思います。邪推の域を出ませんが。」
「バイセクシャル。」
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2016年11月28日

121.2 第百十八話 後半



「えっ?何やいまの声…。」
職員室の応接ソファーに座っていた相馬が声を上げた。
「追い詰めとるんや。」
「え?」
相馬達の輪の中にひとりの中年男性が居た。ぱっと見は社会科の先生のようである。
「佐竹と古田。この2人が鍋島の頭ン中を引っ掻き回しとる。」
「頭ン中を引っ掻き回す?」
「ああ。鍋島は普通じゃねぇ。普通じゃねぇ奴を相手にすっときはこっちも普通じゃねぇ感じでいかんとな。」
「でも…。」
相馬はあたりを見回した。物々しい無線機材が並び、スタッフが何かの指示を出している。
「あん?これか?」
「ええ。これだけ警察の人らがおればどんな人間でも手も足もでんでしょ。」
「まぁな。」
「でもなんで刑事さんらがここで待機しとるんですか。」
「さっさと鍋島確保しろってか。」
「え…あの…。」
「そりゃいつでもできる。けど佐竹も古田もオトシマエつけんといかんって言っとるんや。ここまで来るにはあいつらの力もでかかったからな。それくらいはあいつらの好きなようにさせんとな。」
「そのオトシマエって何なんですか?」
「知らん。お前さんこそ知らんがかいや。」
「あ…ええ…。」
「まぁ話があるんやろ。話してどうこうなるもんじゃねぇけど、なんちゅうか話して自分の気持を本人にぶつけんことにはどうにも収まらん。そんなところやろ。」
そう言うとこの捜査員は装着しているイヤホンに指を当て眉間にしわを寄せた。
すっくと立ち上がった彼はそのまま窓の方に向かった。背伸びをして首を回しながら外の様子を窺う。あくびをして鼻の付け根を指で抑えながら踵を返した彼は、無線機が並ぶ方に向かって、三つ揃えのスーツを着た男に耳打ちした。
「関班長。ここから400メートル先に6階建てのマンションがあります。あそこは大丈夫ですか。」
「どこです。」
「ここです。」
机に広げられた地図のある箇所を指差すと関は腕を組んで考えた。
「指揮班。」
「はい。」
関の隣に座る男が応えた。
「狙撃支援班から周囲には気になる箇所はないとの報告だったが。」
「はい。ひととおり暗視スコープで周囲を監視。不審な動きは確認できていません。」
「ここはどうだ。」
スーツ姿の男はマンションを指差した。
「…確認します。」
指揮班の男は無線で狙撃支援班に連絡をとる。
「そこから2時の方向にある6階建てのマンションが見えるか。」
「…はい。」
「人影らしきものは。」
「ちょっと待ってください。…いえ…なにも見えません…。」
「何も確認できないようです。」
指揮班の報告に関はまたも腕を組んだ。
「ふうむ…。」
「班長。自分確認に行きます。」
「…気になりますか。」
「はい。勘ですが。」
「人員の関係上、応援はつけられませんよ。」
「承知の上。」
「県警本部の課長さんに何かがあったらどうするんですか。」
「班長の調整力でなんとかしてください。」
「ふっ…。」
関は呆れた。
「いいでしょう。あなたは帰宅する職員に成りすまして校舎から出て下さい。」
「それでは。」
課長と呼ばれる捜査員は職員室を後にした。
関と捜査員のやり取りを見ていた相馬は思わず彼に声をかけた。
「あの…。」
「自分で考えて自分ができることを全てやりきる。そういうことだよ。」
「どういうことですか。」
「君らは君らなりのできることをやり遂げた。僕らは僕らのできることをやりきる。佐竹も古田もそうだ。そしてさっきまで君らの話し相手になっていたあの男もね。」
「…。」
「いま君らが見ているこの光景は、きっとその後の人生にプラスになるものだと思うよ。」
気のせいか関の口元が緩んだ。
「僕もはじめてだよ。こんなに気持ちが高ぶるのは。」


「何だ。今の声は。」
かすかに聞こえた声に反応した悠里は暗視スコープを覗き込んだ。
ーくそ…鍋島のやつ、どこに行った…。
悠里は鍋島を見失っていた。
「あ…。」
グラウンドの中央に男が立っている。
「なんだあいつ…。学校のグラウンドで煙草なんか咥えて何やってんだ…。」
悠里はしばらくその男の姿を観察した。
「なに…サングラスをかけているのか…あいつ…。」
画面に映る人物は一方だけを見て誰かと話しているようだ。
暗視スコープの視点をグラウンドの中央に立つ男が見る方向に移動させる。
「え…。」
そこには頭を手で抑えて座り込む男の姿があった。
「あれは…な…鍋島…。」
咄嗟に悠里は暗視スコープの倍率を下げ、グラウンドを広くおさえた。
「な…もう一人居るのか…。」
鍋島と思われる人物が座り込む中、その側には棒のようなものをもったこれまたサングラスをかけた人物がいる。グラウンドの中央にいる人物も、この人物も互いに鍋島に向かって何かを話しているように見える。
「何者なんだ…あの2人は…。こんな真っ暗な夜になんでふたりともサングラスをかけてるんだ。」


「はぁはぁはぁはぁ…。」
鍋島はニットキャップを脱ぎ捨てた。そして滝のように流れる汗を服の袖で拭う。
「スキンヘッドか。なるほどかつらでも被れば、それなりに別人に成り済ませる。」
月明かりに照らされた鍋島の頭部には、手術か何かの縫合の跡が見えた。暗闇の中で目を凝らしてみると、その縫合の跡のようなものが、彼の耳の下辺りから顎にかけても見える。
「ツギハギだらけじゃないか鍋島。」
「うるせぇ…。」
「首から上をそんんだけいじってたらそりゃ昔の面影なんかなくなるだろうよ。」
「けっ。」
「なんでそこまでして俺らを破滅に追い込みたいんだ。」
「ムカつくんだよ。」
「…。」
「俺の身近には年老いたジジイとババアしか居なかった。このジジイとババアはろくに日本語も喋れない。コミュニケーションが取れない人間を抱えた俺は、この2人の生活を何とかしなければならなかった。高校生にも関わらずバイトをして自分の食うものも減らして、何とか生活した。毎日毎日働いた。お前らが学校から帰って家で惰眠を貪る間、俺は寝ずに働いた。空腹と睡眠不足でときにはぶっ倒れたときだってあった。金さえあれば俺はこんなことをやる必要はなかった。その内情を知らずにお前らはたまには遊ぼうぜとか言って、俺を誘う。んなもんできるかよ。それを断ると愛想が悪いやつとか、やっぱり日本に馴染めないとか陰口を叩く。これがムカつくって言わなくて何なんだ!」
「…。」
「ムカつくんだ。お前らが。この世に生を受けながら社会の底辺で生きていくことを余儀なくされた俺に対して、生きるか死ぬかの瀬戸際も経験したことがないお前らが、まるで世の中をわかったかのような正論を俺にあーだこーだと説く。しかも憐れみの目でな。ふざけるんじゃねぇ。」
「…。」
「いいか。金なんだよ。あの時俺が本当に欲しかったのは日本語の習得でも、勉強でいい成績を収めることでも、剣道で優勝することでもない。地獄のような俺の環境を改善させてくれる金。これなんだよ。」
雄弁に語る鍋島を佐竹と古田は黙って見つめる。
「俺が睡眠を削ってバイトをしても、その稼ぎはたかが知れている。これならいっそ高校を辞めてさっさと仕事をして、経済的な問題を解決してしまおうと思ったさ。でもな…。」
鍋島は北高の校舎を見つめた。
「クソでムカつくが…お前らが北高に居た…。」
「鍋島…。」
「クソなんだよお前らは。ムカつくんだよお前らは。でもな…一応お前らは俺に声をかけてくれた。一色は先輩連中に俺のことをバカにするなと食って掛かった。そんとき思ったよ。クソ野郎ばっかの高校だけど、ここを去れば俺はまたひとりになる。」
「…。」
「別にお前らに頼ろうとは思っていなかった。ただ心の何処かでお前らという存在に少しは救われていたのかもしれない。だから高校を辞めようとは思わなかった。」
思わず佐竹は手にしていた木刀を落としてしまった。
「…じゃあ…なんで…。」
「なに?」
「じゃあなんで…一色や村上をお前は…。」
「…。」
「なんで一色の彼女を…。」
鍋島は大きく息を吐いた。
「それ…聞く?」
「え?」
「野暮だぜ…。佐竹。」
そう言うと鍋島は佐竹に背を向けて古田の方に歩み始めた。
「な…鍋島…。」
「俺はツヴァイスタンからの金というシャブに手を出した。シャブに手を出した人間の末路は俺は知っている。」
「お…おい…。」
自分の方に向かってくる鍋島を見て、古田は煙草を地面に捨てた。
歩きながら鍋島は腰元に手を当てた。
「どうせ悲惨な終わりしかないなら、劇的な終わりを俺は望むよ。」
そう言って彼は一丁の拳銃を取り出して、それを古田めがけて構えた。
「こいつとお前を殺す。」
「な…。」
静寂に包まれていたグラウンドであったが、この時一陣の風が吹き始めた。
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121.1 第百十八話 前半



「さ…さたけ…。」
鍋島の後方2メートルで木刀を手にした佐竹はサングラスをかけている。
「頭が痛いか?鍋島。」
自身の頭部を手で抑える鍋島を佐竹は遠い目で見つめた。
「別に…。」
「まぁ…お前に破滅に追い込まれた人間に比べれば、その痛みはクソみたいなもんだから我慢しろ。」
「て…てめぇ…。」
「その頭、昔っから出来が良かったよな。」
「あ…ん?」
「出来が良すぎて、一色の教えることすんなり覚えて、日本語も上達して、俺らなんかより難しい本読むようになって、テストでもいつも俺らより良い点取ってた。」
「…お前らのような愚民とは構造が違うんだ。」
「確かに構造が違う。普通の人間なら自分の邪魔をする存在すべてを、この世から消し去るなんて発想はできたとしても実行に移すなんてことはできやしない。お前は頭の構造も行動力も身体能力もおれら凡人のものとは違う。」
「ほう。珍しいな佐竹。お前が俺を褒めるなんて。」
「褒める?」
「あぁ。」
「勘違いすんなこのクソ野郎。」
「あん。」
「俺はお前を褒めてんじゃねぇんだよ。」
「けっ意味わかんねぇ。」
「そんだけすげぇ能力を持っていながら、その使い道を明後日の方に使ってしまったお前自身はクソだって言ってんだ。」
「なにぃ…。」
佐竹はポケットから折りたたみ式の古い携帯電話を取り出した。
「これ一色の墓の側に落ちてたぞ。」
「落ちてたじゃねぇだろ。着信あって赤松と二人してびびってたくせに。」
「ああビビった。」
「そういや赤松はどうしたんだよ。佐竹。なんで赤松がここに居ないんだ。」
「ここにあいつ連れてくるわけにいかないだろ。」
「なんで。」
「あいつも既にお前の妙な力に操られてんだから。」
グラウンドの中央に佇む古田は煙草を吸い始めた。
「ほう…どこで気がついた。」
「美紀だよ。」
鍋島は舌打ちした。
「俺と赤松が夜の熨子山に行った次の日から赤松が俺の動きを美紀に聞いている。」参照71
「…。」
「これを見ろ。」
佐竹は現在使用している携帯電話を取り出した。そこには山内美紀からのメッセージがずらりと並んでいる。
「美紀はいま何をしているかって俺に何度も聞いてきた。俺は精神の病気を持っているから、美紀のそういった探りを入れるメッセージには慣れている。だけどこの頻度は尋常じゃない。俺は美紀に聞いた。なんでそんなに俺の行動を監視するようなことをやるんだって。そしたら赤松が聞いてくるって。」
「クソが…。」
「ピンときたよ。俺の行動を監視する役を赤松が担っているって。」
「…。」
「会社じゃ橘さん。プライベートは赤松。そりゃ俺の動きが逐一お前に伝わるわけだ。まぁどこでどうやってお前が赤松と接触したかわからないけどな。」
「…。」
「ここで俺が赤松を疑って、あいつに探りを入れだそうもんなら俺らは同士討ちを始めるようなもんだ。俺と赤松の関係がうまくいかなくなれば、美紀の立場も気まずいものになる。こうやって俺らの信頼関係をぐちゃぐちゃにしてやろうってのがお前の企みなんだろ?」
「ふふふ…。」
「なんだよ。何がおかしい。」
「( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・(  ゚∀゚)ハァーハッハッハッハ!!」
闇夜のグラウンドに鍋島の笑い声がこだました。
「相変わらず勘だけはいいな。佐竹。」
この言葉に佐竹は咄嗟に鍋島の胸ぐらを掴んだ。
「何だそのもの言いは。」
「熱くなんなよ。昔っからそうじゃねぇか。一色も言ってたぜ。あいつお得意の人物評ってやつだ。」
「一色が?」
「ああ。一色だけじゃない。村上も赤松も。」
「なに…。」
「あれこれ分析して科学的に何かを立証して適切な方法論を導き出す力にお前は劣る。それなのに何故かお前の勘による解はいつも最適解だ。」
「…。」
「厄介だよ。思考方法が読めない奴を相手にいろいろと策を張り巡らせるのは。結局、赤松とお前とを仲違いさせて消耗しきったところに絶望を与えてやろうと思ったんだが、その俺の策もお前の勘の前にあえなく崩壊したってわけか。」
鍋島は佐竹の手を振りほどいた。
「クソなんだよ。おめぇは。」
「なに…。」
「一色も、村上も、赤松も…どいつもこいつもクソだが、お前はそれ以上にクソだ。」
「なんだと…。」
「一色も村上はあからさまな正義感を振りかざす。それが目障りだった。一方、赤松にはそういった主張は特にない。いうなれば調整型の人間だ。だが調整役に回るってのは聞こえは良いが、誰からも悪く思われないように接するつまらん人間とも言える。」
「…。」
「そして佐竹。お前はそのどちらのクソなもんをちょうどいい塩梅で兼ね備えるクソの極みなんだよ。」
「なにぃ?」
「お前の人物評には続きがある。お前なりの絶対的な正義感を内に秘め決して表に出さない。しかし、もしその正義感に抵触するようなものを見つければお前は徹底的に処断する。そいつは普段から自分の主義主張をぶつける一色や村上よりもたちが悪い。なぜならお前がどこに価値の重きを置いているかわからないからだ。」
「何が言いたい。」
「いいか。お前はずるいんだ。一色とかよりもな。自分の立ち位置を普段から他人に見せないことで、自分のとった行為を正当化させる。後付の正義を振りかざしてな。」
「随分な言われようだな。」
「ああ。真実だ。」
「で。」
「で?」
「ああ。続きは。」
「けっ…。」
「何だよそれでおしまいか。」
「…それだよ、それ。そうやって他人にべらべら喋らせて、自分の保身を図れる場所を探してる。探してここなら大丈夫だって判断したら、正義の剣を振りかざす。その正義の剣を取り出すタイミングが絶妙だから、お前は打てば響くって評価を得られるんだ。」
「それがお前の俺の人物評か。」
「ああ。そうだ。そんなセコい生き方をしているお前が、大して頭も良くもないお前が、人よりちょっと直感が働くってだけで、平々凡々とした生活を送っている事が俺は許せん。」
「うるさい。このエゴの塊が。」
「な…に…。」
佐竹は手にしていた木刀を肩に担いで鍋島の周りをゆっくりと歩きだした。
「お前は単なる設計主義者だ。」
「あん?」
「自分の思い通りにすべて事を運ばせることにすべての意義を見出す。そのためには手段を選ばない。手段を選ばない結果、お前を取り巻く多くの人間が犠牲になった。さっき古田さんが読み上げた人間たちな。」
「お前に何が分かるよ。偽善を振りかざすお前に。」
「分からんよ。」
「何だと。」
「分からないし分かる必要もない。お前は結果的に多くの人間を殺めた。そこにどういった大義名分があろうと、この結果は決して受け入れられるもんじゃない。」
「けっ。」
「確かに俺はお前が言うようなクソ野郎かもしれない。でもな。このクソ野郎を信じて自分が死んだ後でも落とし前をつけさせようとした人間も居るんだよ。俺だけじゃない。自分と関わりを持った人間を信じて後を託した人間がな。」
「それが一色だとでも言いたいのか。」
「ああ。そうだ。」
「あっそ。」
「あいつはいつも最後の判断を俺たちに委ねた。自分はこうこうこう言う筋道でこう思っている。だからこういう方向で行こうと思う。だが実行するのは俺らだ。実行するかしないかは俺ら現場に任せるって具合に。」
「だからその回りくどいやり方が気に食わねぇんだよ。やれって言ったらやる。やるなって言ったらやらない。これで十分だ。」
「ほう。」
「なんだ。」
「じゃあ聞く。お前は一色がやれって言ったらやるのか?やるなって言ったらやらないのか?」
「…。」
「違うだろ。お前は設計主義者だ。お前はすべてを自分色に染めたい。そんなお前が他人の指図なんか受けるかよ。」
「…。」
「世の中いろんな人間が居る。百人百様の考え方を持っている。そんな中で自分の主義主張を他人に押し付けるなんてことをすれば、どこかに歪みが出てどこかでそれは爆発する。そんなことは一色は知っていた。知っていたからこそ判断は常に委ねた。俺らは高校時代、あいつの練習方法や作戦のレクを受けた。そしてあいつの音頭に乗った。確かに音頭を取ったのはあいつだが、それに乗ったのは俺らの自由意志によるところだ。お前もその中のひとりだろ。」
鍋島は無言である。
「俺もお前も赤松も村上も一色も、剣道を通して得るものとして自分の思い描くものは別々だったかもしれない。だけど目下の大会でいい成績を収めたいというのは共通認識としてあった。それを実現するには一色の案がベストではないとしてもベターだと判断した。だから力を合わせて練習に打ち込んだ。…鍋島…お前、回りくどいって言っただろ、いま。」
「ああ。」
「回りくどいもんなんだよ。世の中は。何かをしようと思えば何かが邪魔をする。その邪魔をいかに説得して、妥協を図るか。この連続なんだ。少なくともここ日本ではな。」
「俺はその手法が効率的でないと踏んだ。変化が必要な時、スピードが大切だ。その為には他人の言うことに耳を傾けている余裕はない。邪魔をするやつは力で排除しないといけない。」
「その最も効率的な方法が洗脳と暴力か。」
「そうだ。それでしか革命は成し得ない。」
佐竹はポリポリと頭を掻いた。
「やっぱり無理だな鍋島。」
「なに?」
「無理だよ鍋島。そんな設計主義のお前もお前のさらに上の設計主義者によって設計されている。」
「どういうことだ。」
「ツヴァイスタンや鍋島。」
グランドの中央に立って煙草をくゆらす古田が声を上げた。
「おめぇは自分なりのご立派な思想を持っとるんかもしれん。救済の手始めは金。どんなゴタクよりも金。経済的援助のない励ましはただの偽善。そうやよな。」
「なんだ…。」
「その金のありがたみをお前は下間芳夫というツヴァイスタンの工作員から教えてもらった。ツヴァイスタンこそ自分らのような恵まれん環境にあるもんを救ってくれる。口だけの援助はなんの足しにもならん。」
「そうだ。」
「その時点でお前は下間っちゅう設計主義者の下僕(しもべ)の下僕に成り下がっとるんや。お前はなんか勘違いしとる。お前は自分自身の考えを元に誰の力も借りずに、他人を自分色に染めてこの世の理想郷を作り出そうとしとるかのように振る舞っとる。しかしその実、その源流となるもんはすべて下間や今川、その背後にあるツヴァイスタンの設計思想からくるもんや。いまのお前の思想はツヴァイスタンなしには語れん。つまりお前は設計された人格やってことや。他人を設計しようと思っとるお前が、設計された人間。」

「なぁ鍋島…いい加減やめようぜ…。お前もツヴァイスタンっていうシャブにどっぷりハマっている。俺も本多っていうシャブにハマっている。シャブから足を洗おう。」114

鍋島は再び頭を手で抑えた。
「うっ…。」
「哀れやな鍋島。とどのつまりお前には自分の主義主張なんてもんは何一つないんや。他人の言ったことをそのまま忠実にこなすだけのただのマシーン。もはや人でもない。」
「自分の頭で考えて、自分の判断に責任を持つ。その重要性を一色は教えてくれていたにも関わらず、お前だけは最後までそれに気づかなった。気づかないどころか間違った方向に突き進んだ。」
「突き進んだ上で、最もやったらいかんことをしでかした。」
「法を破るって四角四面なもんじゃない。人としてやってはいけないことをやった。しかも立て続けに。」
「その行為がもたらすもの。」
「憎しみ。」
「憎悪。」
「やめろ…。」
「いまお前の心は人から向けられるその感情で支配されている。」
「や…やめろ。」
「ワシの頭ん中もそいつで一杯や。」
「くそぉぉぉぉぉぉぉ!!」
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2016年11月21日

120.2 第百十七話 後半



北高の校門を潜ると、そこには職員のものと思われる車が何台か並んでいた。その中の一台の車を見て鍋島は動きを止めた。
ー佐竹の車…。
車のエンジンは切られ、中には誰もいない。
深呼吸をした彼は周囲を見回した。顔を上げた先に見える職員室には1時半という時間にもかかわらず、煌々と電気が付いている。
ー職員にバレないように学校の中に侵入なんてできっこない。あいつ...どこにいる…。
鍋島は物陰に身を潜めた。
ー深夜の学校で人目につかず待機できる場所…。グラウンド側から回りこんだクラブハウス周辺か…。
彼は校舎の壁に沿って最も闇が深い場所を伝うようにグラウンドの方に移動した。
ーん?
鍋島の視線はグラウンドの中央を捉えた。
ー本?
サングラス越しに目を細めた彼はそこに落ちている一冊の本を見つめた。
ーいやまて...これもあいつなりの罠かもしれない。
視線を逸らした鍋島は足を進めた。
「おやおや。」
ーなんだ…。
「なんじゃいやあれ。」
男がひとり言を言いながらポケットに手を突っ込んでグラウンドの中央に向かっていく。鍋島は動きを止めて闇と同化し、男の背中を見つめた。
ー職員か?
「誰ぃや。こんなグラウンドのど真ん中に本なんか放ったらかして。」
ーひとり言が激しい奴だな。
男は本を手にとった。
「なになに...MKウルトラ異聞…。」
ーな…。
「なんじゃいMKウルトラって…。」
男は鍋島に背を向けたまま本をめくりだした。ブツブツと何かをつぶやきながら時折頭をポリポリと掻く。
「アメリカ中央情報局科学技術本部がタビストック人間関係研究所と極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム...なんか知らんけど胡散臭い話やな…。オカルト本かこいつは。」
ーやっぱり…あのウルトラだ…。
「なぁ教えてくれま。」
ーえ?
「教えてくれって言っとるやろいや。」
ーなんだこいつ…。まさか徘徊老人か…。
「おい。聞こえとるやろ。」
ー…だめだ。本当にこいつボケている。
「お前この本、ここにおる時がっぱになって呼んどったんやろ。」
ーな…。
男は振り返った。彼の姿を見た鍋島は思わず息を呑んだ。
「ふ…古田…。」
「出てこいま。鍋島。ワシはここにおるぞ。」
「ぐっ...くっ…。」
歯を噛み締めた鍋島の額から汗が流れだした。
ーここに古田…。そうか…俺がここに来るだろうことを佐竹から聞いて、熨子山にあんな細工をしたのか…。クソが…。
「おーい、出てこいま鍋島。ワシは逃げも隠れもせんぞ。こんな爺にビビって何隠れとれんて。」
ークソが…。ここでまた昔の記憶を呼び起こさせやがって…。
鍋島は頭を抱えだした。
ーしかもサングラスまでかけやがって...用意周到じゃねぇか…。
「あらあら...60過ぎのジジイとアラフォー男子。どう考えてもこっちのほうが不利なんに、オメェは隠れてこそこそしかできんがか?」
ー馬鹿野郎。その手にのるかボケジジイ。ぐっ…。
頭を手で抑えた鍋島は膝をついた。
ークソが…頭が割れそうだ…。
「赤松忠志。」
ーな…。
「穴山和也。井上昌夫。」
ーぐっ…。
「間宮孝和。桐本由香。」
ーがっ…かっ…。
「一色貴紀。」
ーぐかぁああああ…。」
「村上隆二。」
「ゔがああああああ!!」
暗闇の中、鍋島は咆哮した。
「そこか。」
「う…うるさい…。」
「うるさいやと?ふざけたことぬかすな鍋島。お前がその手でこの世から葬り去った人間はまだまだおるわ。」
「言うな。」
「言う。」
「やめろ!」
「やめんわい!」
鍋島の言葉に耳を貸す様子は全く無い。
「病院横領事件にまつわる関係者、長尾俊孝、小松欣也、金沢銀行の守衛、その他にも多数。お前が殺めた人間は数えきれんわ!」
「はぁ...はぁはぁ…。」
「そしてお前は生きながらにして殺すっちゅう、畜生にも劣る所業もやった。」
「な…に…。」
「生きとる限り何度も繰り返してその人間を殺す、ゴミ糞みたいなこともやりおったわ。」
「ふっ…なんとでも言え。」
「鍋島…。ワシはな...はじめてなんや…。人をここまで憎たらしく思うんは。」
「あん?はぁはぁ…。」
古田は鍋島の方に向かって歩き出した。
「ここまで人を憎み、怒りに震えるようになったんははじめてなんや。」
「はぁはぁ...ほう…。」
「人を殺すって気分はこういうもんかのう。鍋島。」
「はぁはぁはぁはぁ…。は・ははは…ははははは!!」
頭を抑えながら鍋島は立ち上がった。そしてゆっくりと古田の方に近づく。
「老いぼれが俺にタイマン張ろうっていうのか?え?」
「タイマンじゃねぇわい。」
「あん?」
「鍋島。」
直ぐ側で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。鍋島は咄嗟に振り返った。
「さ…さたけ…。」
「隙だらけだな。」
鍋島の後方2メートルの場所に木刀を手にした佐竹の姿があった。
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120.1 第百十七話 前半



「思いっきり泣いて少しは気が済んだか。」
落ち着きを取り戻しつつある麗にこう声をかけると、彼女はかすかに頷いた。
「お前さんの扱いはワシの管轄じゃない。然るべき人間があんたを待っとる。」
そういうと古田は時計に目を落とした。時刻は1時15分である。
「佐竹さん。やわらやと思います。」
「いよいよですか。」
「この子らは安全な場所に移動させたほうがいいかと。」
佐竹は頷いた。
「相馬くん。」
「はい。」
「君らは今から職員室の方へ移動してくれないか。」
「え?職員室ですか?」
「うん。」
「え...でも…。」
「さっき古田さんが言ったように、君たちはこの北高にいれば安全だ。だけど万全を期すために職員室で待機していて欲しい。」
「って言ってもいつまで…。」
「鍋島とのケリがつくまで。」
「ケリがつくまで…。」
「何日も職員室にいろって言うんじゃない。また朝になればここはいつものように学生が来て授業が始まる。それ迄にはなんとかする予定だよ。」
「え…待ってください佐竹さん。ってことはやわら鍋島さんがここに来るってことですか。」
「…そうだ。」
「え...なんで…。警察が血眼になって探しとるはずの男が、なんでここに。」
「余計な詮索はやめてくれ。時間がない。君らは直ちに職員室へ向かうんだ。」
「大丈夫ですよ相馬さん。職員室にいけばなんとなく事情は掴めると思います。」
「え?」
「さあ早く。」
相馬は京子と長谷部の顔を見た。彼らなりに状況を理解しているようで、みな相馬に向かって頷いた。長谷部は麗を抱きかかえた。
「麗。」
古田が声をかけた。
「…。」
「母ちゃんを大事にせいよ。」
麗は無言で古田の方を見つめた。
「またお前の書いた絵、見せてくれ。」
うっすらと笑みを浮かべた麗は古田に背を向け、彼女たちは剣道場を後にした。
「さて…。」
古田はサングラスをかけた。それを見た佐竹もおもむろにサングラスを取り出した。
「佐竹さん。ひとつ聞いていいですか。」
「はい。」
「鍋島逮捕に警察は最善を尽くします。」
「お願いします。」
「そのために警視庁からの応援も配備済みです。」
「ありがとうございます。」
「ですが万が一ってこともある。」
「…。」
「そん時は覚悟ができていますか。」
「…美紀のことですか。」
古田は頷いた。
「ワシはひとりもんや。ワシがどうなろうが周りに迷惑をかけることはない。」
佐竹は古田を見つめしばしの間沈黙した。
「…多分、大丈夫ですよ。」
「多分?多分ってそんなあやふやなもんここに来て駄目ですよ。」
「古田さん。一色の奴言ってたんでしょ。」
「うん?」
「俺が鍋島に引導を渡してはじめて一色の絵が出来上がる。俺が欠ければ鍋島はまた逃亡を図る。」
サングラスの横から古田は佐竹の表情を見つめる。
「ふっ…。気づいていましたか…。」
「一色は敢えてその遺書みたいな手紙を俺には残さなかった。つまりその辺りは同じ釜の飯を食った仲、肌で感じて察しろってことです。まぁこれに気づくまでに3年の時間がかかりましたけどね。」
「打てば響く。それが一色のあなたの人物評です。あいつは佐竹さんが自発的に鍋島と対峙するように待てとワシに言葉を残しておりました。」
「ふっ…。」
「可笑しいですか。」
「一見無謀と思われる作戦を立てつつも、常に相手の虚を突く策を用意する。しかも二重三重に。だけどあいつは決してそれを俺らに無理強いはしなかった。こういう作戦があるから乗らないかって具合だった。作戦の立案者である一色は全体の成果に責任を持つ。その代わり作戦に乗る個々人はそれに沿って死力を尽くして闘う。作戦にのった自分の決断に責任を持てって言うんです。」
「筋が通っていますね。」
「俺は一色の考えに乗ったんです。だからあとはベストを尽くすだけです。美紀に俺にもしものことがあったら赤松を頼れ的なことを言う方が野暮ですよ。それって一見覚悟ができているようでできていない人間の言葉でもあります。」
「なるほど。」
「例えどんなクソみたいな作戦でも軍隊みたいに上官の命令は絶対ってところだと、今言った自分にもしものことがあったら的なことは必要でしょう。ですが今回は違う。ひとりの人間の思いを受けて全て自分の意志で決定し行動しています。」
「佐竹さんは一色を信頼しているんですね。」
「一色だけじゃありません。古田さん。あなたもです。」
「ふっ…。」
「古田さんだけじゃない。相馬くんらも、警察の人らもみんなです。」
「佐竹さん…。」
「みんな一色を信じて自分で決断し行動している。同じものを信じる人間同士頼り合い、はじめて信頼が成立する。」
古田に熱いものがこみ上げた。
「俺ひとりじゃ何もできません。ですが俺の周りには一色を信じた多くの仲間がいる。だから俺は仲間に恥じないよう自分自身の判断を信じてベストを尽くします。」
「それが北高剣道部の…。」
「ええ。俺らの伝統であり文化です。」
「来ました。」
装着されたイヤホンから聞こえた声に反応した古田は佐竹の方を見た。
「赤外線センサーが人間の侵入をキャッチ。おそらくヤツです。」
「鍋島ですか。」
「はい。」
「行きましょうか。古田さん。」
「ええ。」
サングラスを掛けた佐竹は古田とともに剣道場を後にした。


北高から400メートルほど離れた6階建てのマンション。その屋上で地面に伏せ、暗視スコープを覗く悠里が居た。
「やっとかよ…。」
赤外線独特のモノクロの画面で北高の校門付近に人の影を認識した悠里は呟いた。
「どんだけ遅刻してんだよ。二時間どころじゃないだろ。」

「2時間後、北高に来い。」
「は?」
「お前にチャンスをやる。」
「なに…。」
「2時間の間に自分の身の処し方を考えておけ。」99

悠里が覗く暗視スコープの画面には北高の校舎の映像が映し出されていた。全体的に暗い画面の中にところどころに線のようなものが見える。
「ったく…鍋島。お前にまんまとハメられるところだったよ。学校なんてセキュアな場所で落ち合うなんて、わざわざ面倒を起こしに行くようなもんだ。どうせ俺を囮にして、お前は混乱に乗じて消えようって魂胆だったんだろ。そうはいくかよ。」
画面の中の人物はどこか脚を引きずっているようにも見える。
「まぁお前は手負いのようだから、確かにこれはチャンスだな。」

「北高での行動がその後のお前の人生を左右する。」
「何を偉そうに…。」
「俺にとってもな。」99

暗視スコープを覗いていた悠里は一旦それから目を外した。
「俺の行動が…俺の人生を左右する…。」

「止めておけ。」
「はいそうですかとは言えないってことは、お前も分かるだろう。」
「…分かるがどこかで止めないことには、一生自由というものは手に入らない。お前は仁川征爾のまま生きていくことになる。」99

「俺に何を期待してんだ...あいつ…。」
邪念を払うように悠里は自分の顔を何度か叩いて、再び暗視スコープを覗いた。
画面の中の鍋島は校門を潜った。
「鍋島…。なんでお前はこの北高を選んだ…。お前はここで何をするつもりなんだ…。」
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2016年11月15日

119.1 【お便り紹介】



今回は東京から聞いていますさんのお便りを紹介します
五の線60話/iPhone4/五の線2の過去エピソード視聴について/音声メディアについて/寒さ/このお話のオリジナルについて/
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2016年11月14日

119 第百十六話



「お待たせしました。」
剣道場の中にいた者たちは咄嗟にその声の方を見た。
「あぁ古田さん。」
佐竹が答えると、古田もまた道場の正面に一礼してその中に入ってきた。
「遅くなってすいません佐竹さん。ちょっと仕込みがありまして。」
「首尾よくいきましたか。」
「さぁ…どう転ぶかは運を天に任せるだけですわ。」
「あなたが古田さん…。」
相馬は思わず声を発した。古田は彼の前に立って口を開く。
「はい。私が古田です。相馬さんこの度はご連絡ありがとうございました。」
「あ…あの…。」
「さっきも電話で言ったように、あなた達4名の身の安全はこれで確保されとる。」
「え?」
「ここにあんたらを呼んだのは、ここが一番安全やからや。」
「え?どういうことですか?」
「まぁそのあたりは深く聞かんといてま。」
「あ…ええ…。」
「さて…。」
そう言うと古田は剣道場に胡座をかいて座った。
「相馬周さん。片倉京子さん。」
「はい。」
「はい。」
「お務めご苦労様でした。」
古田のこの言葉に2人は口をあんぐりと開けた。
「一色貴紀からの指示を忠実にこなしてくださって、私としてもお礼を申し上げます。」
そう言うと古田は二人に向かって深々と頭を下げた。
「ちょ…待って…。」
「急な要請とは言え、囲碁で培った戦略眼を活かし、2人の見事な連携プレーで長谷部さんと下間さんを結びつけ、僅かな期間で下間さんをあちら側から引っ張り出した。」
「え?」
「え?」
この発言に長谷部と麗は言葉を失った。
「言ったでしょう。一色からの手紙を受け取ったのはあなたらだけじゃないって。一色の目に狂いは無かったということでございます。本当にありがとうございました。」
古田は再び彼らに頭を下げた。
「あ、岩崎香織さんですね。」
「え?」
古田はカメラマンジャケットの胸元からティアドロップ型のサングラスを取り出してそれをかけた。
「お久しぶりです。」
「あ…。」
「いつぞやはあなたの作品を見させてもらいました。」
「ふ…藤木…。」
「はい。あの時の藤木です。」
「え?下間さん。古田さんと合ったことあらんけ?」
長谷部が麗に声をかけるが、彼女は何の言葉も発せない様子である。
「流石にワシらの情報も掴んどるんですね。片倉だけならいざ知らず、まさかワシの似顔絵までもあんたのスケッチブックにあるとは思わなんだ。」
「…。」
「ほやけどアレやね。実際に会ったことも見たこともない人間やと、つい分からんと接触してしまう脆さがある。」
サングラスを外して古田は深呼吸をした。
「下間麗。日本の警察を舐めんなや。」
「くっ…。」
麗は拳を強く握りしめて、肩を震わせる。
古田から発せられる今まで経験したことのないほどのとてつもない威圧感に、その場の相馬と京子、長谷部は押しつぶされそうになった。当然二人の間に入る余地もない。
「下間麗。」
「な…なによ…。」
「心配すんな。お前さんの母親はいま、都内の病院におる。」
「え…?」
相馬も京子も長谷部も古田の言葉に驚きを隠せない。
「お前さん、祖国にひとり残してきた母親のことを思って、親父と兄貴の悪巧みの片棒を担いできたんやろ。」
「え…え…。」
「もう止めや。お前はそんなことせんでいい。お前はおとなしく母親の側で看病してやれ。」
古田はカメラマンジャケットのポケットから1枚の写真を取り出した。
「今の下間志乃や。」
震える手で麗はそれを手にした。
そこにはツヴァイスタンのものとは比べ物にならないほど清潔感あふれる病室。ベッドに横たわる女性の姿が写し出されていた。
「お…お母さん…。」
写真に写し出された女性は紛れもなく母の志乃のようである。麗の瞳から涙が溢れ出した。
「ツヴァイスタンじゃあバセドウ病って診断やったらしいがな。」
「え…違うの…。」
「パーキンソン病。」
「パーキンソン病…。」
「ああ。入院するだけで病状が改善するような普通の病気じゃない。我が国では難病指定されとる厄介な病気や。残念ながら根本的な治療方法はまだ見つかっとらん。」
「え…。」
「ほやけど進行を遅らせることはできるらしい。ワシは医者じゃないから詳しいことは分からん。そこら辺は医者に直接聞いてくれ。」
「でも…。」
「聞け。お前さんは幸い今川らの悪巧みに直接的な関与はしとらん。」
「え?」
「お前さんはコミュちゅうサークル活動を運営しとった人間のひとりに過ぎん。日本では集会を開いたぐらいやとなんの罪にもならん。むしろ憲法で集会結社の自由が保障されとるぐらいや。」
「…。」
「ほやけどお前さんは岩崎香織という人物に成りすます、背乗り行為を行っとったんは明らかや。ほやから刑法第157条の公正証書原本不実記載等の罪の疑いがある。ちゅうてもこいつで立件されてもせいぜいで5年以下の懲役または50万円以下の罰金。」
麗に近づいて古田は彼女の肩を叩いた。
「やり直せる。自主しろ麗。」
「う…あ…あ…あぁぁぁ…。」
麗はひざまずいて堰を切ったように泣き出した。
「でも…でも…。」
「なんや…兄貴と親父が心配か?」
麗は頷く。
「…残念やけど、お前さんの兄貴と親父はどうにもならん。あの国で何をどうしようと勝手やけど、この国の法を破ったやつは相応の罰を受けんといかん。」
「でも…兄さんも…父さんも…そんな…お母さんが…日本に居るなんて知らなかった…。」
「…。」
「お母さんが…ここに居るなんて知ってたら…そんなこと…。」
「やらんかったかもしれんな。」
「古田さん!」
長谷部が声を上げた。
「なんなんすかそれ!?警察は麗の母ちゃんが日本に居るってわかっとって、それを今の今まで黙っとったんですか!?なんで麗と一回会った時にそれをこの子に教えてやらんかったんですか!?」
「長谷部君とか言ったね。」
古田の目つきが変わった。
「言ったやろ。日本の警察を舐めるなって。」
「え…。」
突如として刑事の目になった古田を前に長谷部は固まってしまった。
「仮にワシがそん時にこの子にその事実を教えたとして、状況はどうなる。」
「そ・それは…。」
「言えんがか。」
「あの…。」
「状況はどういうふうに転ぶかって聞いとるんや。」
「あの…。」
「麗から兄貴に悠里にまず報告が入る。そしてそれは親父の芳夫にいく。事実を知った芳夫は今川と接触をする。なんで志乃が日本に居るんだと。」
「い…いいじゃないですか…。」
「下間一族の今回の悪巧みはすべてツヴァイスタンに人質に取られとる母の身を案じてのもの。計画を実行する意味がなくなるやろ。」
「だからそれでいいでしょ。」
「あいつらがいままで何年もかけて仕込んできた企みが一瞬にしてぱぁ。そうなるとどうなる?」
「今川がひとり残念な感じになってすべてが丸く収まるじゃないですか。そもそも今川が全部悪いんでしょう。」
「だら。なんで麗の母親がこの日本に居ると思っとれんて。」
「え?」
「志乃を日本に連れてきたのは今川なんや。」
「えっ!?」
「いいか。コミュなんてサークル使って人間を洗脳して、反体制意識を植え付けて、何かしらの行動をさせる。そんなもん今川ひとりの策謀やと思うな。」
「え…って言うと…。」
「今川も駒のひとつや。」
古田のこの発言にその場はざわついた。
「今川が駒となれば、奴の上にも人間が居る。そうなるとどうなる。」
「そ…それは…。」
「今川が消される。志乃を日本に連れてきた今川が消されれば、その下で動いていた下間一族もその手の人間に口封じのために消される。」
ポケットを弄って煙草を取り出した古田であったが、ここが剣道場であったことを思い出してそれをしまった。そして罰が悪そうに頭をポリポリと掻いた。
「長谷部君。確かにお前さんの言うように大事な話を直ぐに当事者に打ち明けるのもいいんかもしれん。ほんで当事者同士の話し合いですべてを解決するべきことなんかもしれん。善悪二元論で考えればな。」
「…。」
「ほやけど世の中ほんなに単純なもんじゃない。ましてや複雑な人間関係と事件性が絡んどる。そうなるとどういうスタンスで望むのがよりましかっちゅう判断を優先したほうがいい。下手な正義感がむしろ多くの犠牲を生み出すことだってあるんやわ。」
今川が志乃を日本に運んだという情報を聞いた麗は放心状態だった。
「な…なんで…。なんで今川が…。」
「麗よ。今川はおまえら下間一家のことを案じとったんや。自分の身に何かのことがあれば、せめてお前らだけは何とか救ってやりたいってな。」
「…え…自分の身に何かがあれば…って…。」
「今川は数時間前、警察によって逮捕された。」
「た…逮捕…。」
「じきにお前さんの兄貴と親父も警察の手に落ちる。ほやからお前だけは母親の側におってやれ。」
その場に居合わせる者たちは、肩を震わせて再び泣き出す麗を見守るしか無かった。


自宅の書斎で本と向き合う朝倉の携帯電話が光った。彼は表示される発信者の情報を確認してそれに出た。
「どうした。こんな遅くに。」
「ドットメディカルにガサが入ったようです。」
「ほう。」
「CIOの今川はパクられたとの報告。」
「…そうか。」
「…でマルヒは。」
「完黙。」
「ふん。」
朝倉の机の上に置かれたノートには無数のアルファベットの文字が書かれている。そこのK.Iと書かれた文字には既に横線が引かれ抹消の跡がうかがえた。
「今回のガサですが、母屋(県警本部)の情報調査本部とやらの仕業のようです。」
「土岐か…。」
「はい。」
「所轄の動きは。」
「原発爆発事故のマルヒ藤堂の行方を未だ追っている状態。」
「母屋は。」
「情報調査本部はドットメディカルの七里とHAJABの江国のガラを抑えるべく、ほぼ空の状態。」
「七里と江国…。」
「それ以外に母屋には特に変わった動きはありません。」
朝倉はT.SとK.Eと書かれた文字に二重線を引いた。
老眼鏡を外した朝倉はため息をついた。
「本部長は。」
「昼行灯の名に恥じない素晴らしい采配ぶりです。」
「...貴様。言葉を慎め。」
「事実です。」
朝倉は不敵な笑みをこぼした。
「直江。」
「はい。」
「ところで古田の件は。」
T.Fと書かれた文字を上からペンで何度もなぞる。
「しばしお待ち下さい。」
「どこまで進んでいる。」
「カク秘でございますので。」
「いつできる。」
「一両日中には。」
「根拠は。」
「信頼のおけるエスが彼にたった今接触したようですので。」
「そうか。」
朝倉はT.Fの文字に三角形を描いた。
「私からの報告は以上です。」
「わかった。」
「部長。」
「うん?」
「明日の件よろしくお願いいたします。」
「あぁ…わかっているよ。俺が言い出したことだ。しっかりと予定に入っている。」
「では。」
「ああ頼んだぞ。」
電話を切った朝倉はペンを取って目の前のノートにS.Nのイニシャルを書き込んだ。
「ふふふ…。」
肩のコリをほぐす様に首を回し、一息ついた彼はノートを閉じてそれを引き出しにしまった。そしてその奥の方に手を伸ばして、そこから1台のスマートフォンを取り出した。
「お。」
画面には1通のメールが受信されている旨の通知が表示されていた。
朝倉はおもむろにそのメールを開いた。
「くくく…。」
イヤホンを手にした彼はそれを装着した。
「今度はどんな声で楽しませてくれるんだ?」
メールに添付されるMP3ファイルをタップし、しばらくすると彼は恍惚とした表情となった。
「あーいいぞ…。もっと…もっとだ…。もっと俺を愉しませろ…。」
彼の携帯からは若林と片倉の妻と思われる女性の逢瀬の音声が流れていたのであった。
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2016年11月07日

118 第百十五話



「相馬君。」
「はい。」
「君は熨子山事件に関心を示しているんだったね。」
「え?」
「一応、僕の耳に入っているよ。」
「そ、そんなことまで…。」
「済まないな。俺らの代のいざこざに君たちまで巻き込んでしまって。」
「…。」
「相馬くんだけじゃない。片倉さんも長谷部君も下間さんも。」
その場にいた四人は佐竹と目を合わせないように顔を伏せた。
「だけどもうすぐ決着をつけるから、心配しないで。」
「え?どういうことですか?」
「鍋島と決着をここでつける。」
「え!?」
佐竹は携帯電話を取り出した。
「つい数時間前からSNSで拡散された『ほんまごと』。こいつの存在を君は知っているよね?」
「え?」
「熨子山事件は終わっていない。真犯人は鍋島惇だ。」
「さ・佐竹さん…。」
「ここに書いてある熨子山事件のレポートは、確度の高い情報だよ。ただ鍋島の背後にツヴァイスタンが絡んでいたっていうのは俺も知らなかったけどな。」
咄嗟に麗は佐竹から目をそらした。
「まぁ俺にとってはあいつの背景がどうだとかは、はっきり言ってどうでもいい。熨子山事件は村上と一色、この俺の同期ふたりが死んでいる。そしてその戦友の死に鍋島が深く関与している。この事実だけで充分だ。あいつから直で事情を聞かないといけない。」
「事情…ですか。」
佐竹は頷く。
「ああ事情を聞く。」
「事情を聞いてどうするんですか。」
「決まってるだろ。一色がやろうとしていたことを俺が代わってやるんだ。」
「え?それは…。」
「とっ捕まえて法の裁きを下す。」
「とっ捕まえる?」
「ああ。」
「え?でも佐竹さんがですか?」
「うん。」
「そんなん無理ですよ。」
「なんで?」
「え?だって佐竹さん警察でも何でもないじゃないですか。それに鍋島さんは未だ行方知らずです。」
「そうだね。」
「警察が捜索しとるんです。そんなら警察に任せておけばいいじゃないっすか。」
「駄目だ。」
「なんで?」
「言ったろ。俺らには俺らの決まりがある。」
「え?」
「部内の揉め事は部内で処理。部長の責任でね。部長の一色がいなくなった今、誰かがその代わりをしないといけない。」
「え…でも…。」
「一度作られた決まりは守らないといけない。守らないとなし崩し的になんでもありの世の中になる。」
「あの…。」
「相馬くんも剣道部をまとめたことがあるだろ。一色が熨子山事件の犯人だって報道があって、部内で意見が別れた。一色はそんな人間じゃないってあいつのことを擁護する連中がいる傍ら、なんて厄介な先輩と関係を持ってしまったんだって頭を抱える連中。そいつらが自分たちの主義思想をぶつけ合うと部内に亀裂が生じる。それを君は一色なんて男は過去の人間。あのとき偶然ただ稽古をつけに来ただけ。確かに自分らにとっては立派な戦績を収めた憧れの先輩なのかもしれないけど、一色は一色。俺らは俺らって感じで一切関係ないって言って部内をまとめたんだろ。」
「…はい。」
「その時、相馬くんは一色擁護派から結構やられたのかもしれない。でも結果として君の判断が正しかったんだ。だから大会でベスト4までいった。そしてみんな受験に失敗すること無く高校を卒業することができた。」
「…。」
「相馬君。君は君なりに剣道部の掟を守ったんだよ。部内の揉め事は部長が責任を持って収めるってやつをね。」
相馬は京子の顔を見た。彼女は彼に頷くだけだった。
「方や俺らの世代はそれをまだ成し遂げていない。」
「でも…。」
「たかが剣道部内の取り決めにそこまで躍起になるなって言われるかもしれない。けどね…。」
佐竹は拳を握りしめた。
「代々受け継がれてきた伝統や習慣を俺らの代で勝手に放棄することはできないんだ。理屈じゃないんだよ。理屈じゃなんだ。」
佐竹はすっくと立ち上がった。
「人としての感情がどうにも収まらないんだ。」
道場の隅のカゴのようなものに収められていた竹刀を一本抜き取り、彼は人形の打込み台の前で構えた。
「たぶんあいつも同じだ。あいつも人として感情のまま挑戦している。」
「挑戦?」
「俺らの憲法に挑戦してるんだ。」
そう言って佐竹は打込み台の面めがけて飛び込んだ。


「わかった。相馬たちは佐竹と接触してるんだな。」
「はい。」
「そのまま古田を待て。」
「はいわかりました。それと先程、北署から応援の人員が到着しました。」
「そうか。それにしても最上本部長の采配は見事だな。」
「ええ。正に機を見るに敏。不在が多い若林を誰もが分かる形で捜査本部内で突如更迭。代わりに主任捜査員の岡田を捜査本部の本部長に据えました。岡田は忠実な捜査員です。若林のような妙な行動はとりません。」
「だが若林がこれをチクれば朝倉に先に手を打たれる。」
「松永理事官。何をおっしゃってるのですか?」
「ん?」
「まぁいいでしょう。」
「あ、うん。」
「最上本部長は藤堂捜索については発生署配備に留めています。」
「そうか。」
「警ら活動を徹底することで周辺住民に対する鍋島遭遇リスクを低減させる作戦をとっています。」
「なるほど。鍋島の方もPCがウヨウヨしているのを警戒して、古田の言うように人気のない熨子山方面から北高を目指すしか方法はなくなるか。」
「はい。」
「鍋島は。」
「まだです。」
「そうか。」
「理事官。」
「なんだ。」
「ひとつ気になる点が。」
「言え。」
「鍋島には刺客が派遣されています。」
「あぁそうだ。」
「北高にたどり着くまでにあいつが刺客にやられるなんて事は…。」
「ない。」
松永は即答した。
「どうして。」
「奴の特殊能力はお前も知ってるだろう。」
「はい。瞬時に他人を意のままに操ることができる能力を持っていると聞きます。」
「そうだ。となると殺す方法は自ずと限られてくる。」
「と言いますと。」
「鍋島と接近戦になって勝ち目はない。」
「確かに。奴の妙な力はサングラスを外したその目から発動されるとの報告ですからね。接近戦は危ない。」
「そうすればあいつを殺すには一定の距離を置いての攻撃しかないことになる。」
「はい。」
「鍋島の動きを刺客が把握していたとしても、奴が動き続ける限り刺客は手を出せないだろう。まさか奴が通りそうな場所にあらかじめマルバクを仕掛けるなんて芸当もできんだろうからな。」
「ならば念のためここの周辺にも目を光らせたほうがよいと思われます。鍋島の動きが止まることになるのはここ北高ですから。」
「鋭いな。関。」
「そのために我々をここに派遣したんでしょう。」
察庁の理事官室のソファーにかけていた松永は立ち上がった。
「そこに待機させているSAT狙撃支援班は直ちに全員屋上へ配置。不審な人間が鍋島を狙っていないか見張るんだ。」
「はっ。」
「併せて奴の襲来に備えて万全の体勢で臨め。指揮班はその場で指揮を執るんだ。」
「はっ。」
「あと北署からの応援部隊は教職員に成りすように指示を出せ。途端に人影が職員室から消えると怪しまれる。時々休憩を取る素振りをして窓の外の様子を窺うんだ。」
「了解。」
「あとはスリーエス(特殊部隊支援班)のお前が踏ん張れ。」
「私はあくまでも県警と察庁との調整です。」
「その調整が肝心なんだよ。」
「警視庁のSATの動きに恥じないよう全力を注ぎます。」
「そうだな。県警の縄張りにわざわざ警視庁のSATを出張らせているんだからな。ここでしくじるわけにはいかん。」
「3年前の汚名を挽回させてくださるチャンスを頂いたのです。命に変えてもこの任務、完遂します。」
「いい心がけだ。関。」
「私めもimagawaの末席で存分に暴れましょう。」
「その言葉…一色が聞いたら喜ぶだろうよ。」
松永は静かに電話を切った。眼下には東京霞が関の夜景が広がっている。
ふと腕時計に目を落とすと時刻は0時50分だった。
「こっちはあと4時間でケリをつけるぞ。片倉。」
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2016年10月31日

117 第百十四話



どんな鬱陶しい気候でも涼し気な顔の鍋島であるが、今の彼は苦悶に満ちた表情であった。
「はぁはぁ…。」
山頂から金沢北高側の獣道を暫く降りると開けた場所に出た。
ポッカリと大きな穴が開いているようにも見える、その漆黒の空間に白いペンキの跡が見受けられる。それは闇の天空に浮かび上がる月明かりの仕業だった。
「え…。」
鍋島の目にあるものが飛び込んできた。一件の朽ちた小屋である。
ーな…なんだ…。ここもあの時のままじゃないか…。
月明かりは小屋の側にある一台の原動機付自転車とセダン型の自動車を薄っすらと照らし出していた。
「ぐっ…。」
またも強烈な痛みが彼の頭部を襲う。心臓が脈打つ度に拳銃で頭を撃ち抜かれたのではないかと思われるほどの痛みと熱が走る。
「クソが…。クソが…。」
呻き(うめき)声を発しながら、鍋島はその場に跪いた。

3年前

「おい!鍋島!」
鍋島に抱えられていた一色が崩れ落ちるようにその場に倒れた。そこには変わり果てた穴山と井上がある。
「村上。引くことは許されん。俺は一色を別のところで始末する。穴山と井上への犯行は一色のものだと工作しておいてくれ。後で落ち合おう。」
そう言って鍋島は凶器のナイフとハンマーを床に落とした。
「そのナイフとハンマーに一色の指紋を付けろ。」
「え?」
「いいから早くしろ。」
「…おい…。鍋島…もういいだろ…。」
「は?」
「お前…自分が何やってんのかわかってるのか?」
「どういう意味だ村上。」
「…自分の理想とする世界を実現するために、お前はどんだけの犠牲を払わせるんだ。」
「理想を実現するために犠牲はつきものだ。今更何を言ってるんだ。」
「お前…それで一色まで始末するのか…。穴山と井上だけでなく、一色まで始末するのか?」
「村上。同じことを繰り返して言うな。一回聞けばわかる。」
「…なぁ…もう止めろよ…。」
「何?」
村上は肩を落とした。
「もういいだろ…鍋島…。一色はお見通しなんだよ。」
「何がだよ。」
「赤松の親父を殺したこと。病院の横領事件絡みの殺し、それの捜査を撹乱させるための久美子への強姦。」
サングラスをかけたまま鍋島は村上の方を見つめる。
「こいつらが全部お前による犯行だってことをな。」
「けっ…。」
「一色はそうとは断言していない。でもこいつは分かっている。分かっているからこそ、最後の情けであいつはここに単騎で乗り込んできた。乗り込んで自主を促してきた。そうだろ?」
「…。」
「なぁ…もう…もうやめようぜ鍋島。もういいだろ。そもそも残留孤児の問題は一色に責任がある問題じゃないだろ。」
「大ありだよ。」
「え?」
「村上。お前今更何言ってんだ?お前は俺の味方だろ?俺の考えに賛同してるから、いままでお前は俺を庇ってくれたんだろ。それが何?いまこの段階で突然手のひら返すわけか?俺の行く手を遮るやつはすべて悪だ。俺のジャマをするやつは同胞の邪魔者だ。お前がやれないんだったら俺がやる。」
床に落ちているナイフとハンマーを手にして、鍋島はそれを眠る一色に握らせた。
「こうすりゃ一色は穴山と井上を殺した凶悪犯罪者だ。」
「鍋島…。」
「警察キャリアが成人男性二人を殺す凶悪犯罪を起こして姿を消す。こいつは前代未聞の事件になるな。」
「お・お前…。」
「県警の信用は失墜。そうなりゃああいつらは当面派手な動きはできなくなる。これで本多の周辺の捜査は打ち切りだ。そうすればお前に対する本多の信用は完璧なものになるだろう。」
「あ…。」
「俺はお前にやってほしんだよ。俺ら同胞の救済をさ。たった数名の人命と俺ら同胞の多くの人命。どっちが重いよ。」
鍋島は村上の肩を叩いた。
「頼りにしてるぜ。村上。」
「鍋島…。」
「あ?」
「お前…本気で言ってんのか。お前、本気で人の命の軽重を数の論理で説いているのか?」
「何言ってんだ村上。お前らが信奉する市場経済に則った考え方だ。ひとつの商品が持つ本来の価値がどうだと言う議論よりも、売れた商品が価値のあるものだっていう考え方と一緒だよ。」
村上はため息を深くついた。
「はぁ…。鍋島。それは違うぞ。」
「あん?」
「日本を反日共産国家のツヴァイスタンと一緒にするな。鍋島。」
「あ…?」
「我が国を人権無視のあの独裁国家と同じにするなと言っている。」
「何言ってんだおまえ。」
「人の命をそこら辺の商品とかサービスと一緒くたに論じるなと言ってるんだ。」
鍋島の口元が引きつった。
「お前の発想はあの国の思想そのものだ。」
「おいおい…何なんだよ村上…。」
鍋島は肩をすくめ、呆れ顔を見せた。
「お前、ツヴァイスタンから直で金を貰っているだろう。」
一瞬、鍋島の動きが止まった。
「は?なんだツヴァイスタンって?」
「惚けんな。お前がツヴァイスタンのシンパだってことは分かってんだ。」
「おいおい。やめてくれよ村上。わけの分からんこと言うんじゃない。」
「じゃあこれは何だ。」
村上は一枚の写真を鍋島に見せた。
「なんでお前がツヴァイスタンのエージェントである下間芳夫と会ってるんだ。」
写真にはとあるホテルのロビーで鍋島が下間と向かい合うように座り、紙袋のようなものを受け取る姿が収められていた。
「仁熊会から金を受け取っているならいざ知らず、お前はよりによって反日共産国のツヴァイスタンから金の援助を受けていた。」
「何が悪いんだ。お前だって仁熊会のパイプ駆使してんだろ。仁熊会とツヴァイスタンは裏でつながっているってことはお前も知っているだろ。」
「ああ知ってる。」
「じゃあ今更なんだ。」
「鍋島…。いいか。俺は自分の意志に関わらず、国家間の思惑で不遇の時代を過ごすことになってしまった残留孤児という存在に思いをした。そして彼ら彼女らを日本政府として救済できる方法がないかと考え、本多に働きかけてきた。」
「なんだよ。この場面で昔話か?」
「いいから聞け!」
村上は鍋島を一喝した。
「残留孤児と言えども日本人だ。日本人の落とし前は日本人でつける。これが俺の大前提だ。俺は国会議員になって日本政府として彼らにちゃんとした保障を提供したい。そのためには政府として残留孤児に対する保障活動は不十分であったことを一旦認めて、彼らに公式に謝罪し、改めて充実した保障政策を執るというプロセスが重要だ。ただ、俺が議員になるためにはまだ時間がかる、だから俺は議員になるまでの期間、自分でできることを先になるべくやろうということで、身の回りの残留孤児関係者に資金援助をしたり、教育の場を提供したり、仕事を斡旋したりした。もちろん俺と同じ思いを持つお前にも協力を惜しまなかった。だが、お前とは根本的に相容れない思想があったみたいだ。」
鍋島は黙って村上の言葉に耳を傾けた。
「確かに俺は仁熊会が裏でツヴァイスタンに協力的だと知っていた。」
「だからそれを知っているのになんで俺を責める。」
「言ったろ。日本人の落とし前は日本人でつけるって…。なんで内輪の問題を日本を敵視する国家の支援を受けて解決するんだ。」
鍋島は黙った。
「残留孤児問題の当事国同士が話し合って、何らかの経済援助策を打ち出すならまだしも、なんで第三国がそれに関わってくる?一応、この問題の当事国同士の話し合いは終了している。帰国した残留孤児の生活保障などの問題はあくまでも日本国内の問題。そこにお前はあろうことか第三国の金を引き込んで問題を複雑化させている。」
「なに…。」
「考えても見ろ。仁熊会がなんでツヴァイスタンなんかと関係を持っているか。」
「金だろ。」
「そうだ金だ。一見羽振りが良さそうに見えるが、実はあそこは資金繰りが厳しい。いくら県内最大の反社会勢力といえど金がなければ立ち行かない。警察の厳しい目をかいくぐって定期的にまとまったシノギを得るにはツヴァイスタンと結ぶのが手っ取り早かった。」
「良いじゃねぇか。合理的な判断だ。」
「バカ言え。それが間違いの元だったんだよ。」
「何がだよ。」
「仁熊会はツヴァイスタンっていうシャブに手を出したんだよ。」
「ツヴァイスタンというシャブ?」
「ああ。はじめはちょっとした手伝いみたいな仕事を請け負って小銭を稼いだ。ツヴァイスタンは定期的にその小口の仕事を仁熊会に与えた。営業活動をしなくても定期的に仕事を発注してくれる先ほどありがたいものはない。仁熊会はそれに甘えた。そこでツヴァイスタンとの関わりがとどまっていれば何の問題もなかった。だがあそこからの仕事は次第にお大口の仕事になってくる。気がつくと仁熊会はツヴァイスタンからの仕事に依存する自力営業をしない体質になっていた。こうなっちまったら仁熊会はツヴァイスタンのフロントだ。」
「そんなもん自分で招いた結果だろ。」
「そうだ。それを熊崎は悔やんでいた。」
「オセェヨ( ゚д゚)、ペッ。今更どの口が言うんだ。」
「一旦シャブに手を出してしまった人間の末路はお前も知ってるだろ。」
「死ぬまでしゃぶられる。」
「そう。熊崎はそれに気がついた。」
「だからおせぇって。」
「確かに遅い。だがあいつは大事なことに気がついた。」
「は?」
「ツヴァイスタンの本当の目的にな。」
「ツヴァイスタンの目的?」
「工作員を日本に送り込んで、近い将来この国を政情不安に陥れる。」
「…。」
「熊崎の奴言ってたよ。シノギを追求するあまり、自分が今いる国を動乱に巻き込むようなことになると、せっかく得たシノギも紙くずになっちまうってな。」
鍋島は口を噤んだ。
「一旦クスリ漬けになっちまった人間を社会復帰させるには、本人の意志だけじゃどうにもならない。つまり仁熊会自体には自浄作用を期待できないってことだ。そこで熊崎は俺に言った。」
「何をだ…。」
「仁熊会が自爆するとしても、それは自分で巻いた種だから覚悟はできている。しかし曲がりなりにも仁熊会はこの国の下で運営させていただいている。だからこの国に迷惑をかける訳にはいかないってな。」
「自分で自分の後始末さえ出来ない奴がなにをふざけたこと言ってんだ。」
「鍋島。病院横領事件のこと覚えてるだろ。」
「あん?」
「当時県警の捜査二課の課長だった一色は仁熊会にガサ入れして、そのツヴァイスタン関係の金脈を洗い、あいつらを排除しようとした。」
「何?」
「これで仁熊会は終わりだと熊崎は腹をくくった。だがお前が当時の関係者を殺したり、県警のお偉方が一色の捜査を妨害したりして、あの事件はお宮入りだ。」
「…。」
「仁熊会とツヴァイスタンの関係を断つ絶好のチャンス。それをお前はあろうことか妨害した。エージェントの司令を受けてな。」
鍋島は苦々しい顔をした。
「なぁ鍋島…いい加減やめようぜ…。お前もツヴァイスタンっていうシャブにどっぷりハマっている。俺も本多っていうシャブにハマっている。シャブから足を洗おう。これ以上クスリに頼ると俺ら本当に売国奴に成り下がってしまう。」

「妨害妨害って…。だから同じことを2回も言うなって言ってるだろ…。」
激痛が走る頭を両手で抱えながら鍋島は足を引きずった。
ー駄目だ…。休息が必要だ…。
小屋の入り口が鍋島の目に入った。そこには親指ほどの隙間がある。
ーあそこで少しだけ休もう…。
そこに手をかけた彼は扉を開き、中に倒れ込んだ。
「はぁはぁはぁ…。」
ゆっくりと彼は仰向けになった。
少しは痛みは和らいだようだ。鍋島は深く息をした。
仰向けになってわかったことがある。老朽化が進んだ小屋の天井の一部は抜け落ち、そこから月が見えた。
放置された農機具、ロープのようなもの、一蹴りすれば折れてしまうかと思われるほど朽ちた木製の柱と梁。目が慣れてきたのか、小屋の中の様子が見えだした。
ーまさか…ここで俺が横になるとはな…。
身体を横に向けたとき、彼は異変に気がついた。
月明かりに照らされる自分の隣に紐のような長いものが落ちている。それはこの空間のどれよりも新しく純白色である。
やっとの思いで体を起こすと、その紐が何を意味しているか瞬時に解った。
「こ...これは…。」
人の形で囲われた白い紐は、2つあった。
「うぐっ…。」
再び激痛が彼の頭を襲った。
頭を両手で抑えると、汗をふんだんに含んだニットキャップからそれが垂れ落ちてくる。
「あ...ああ…。熱い…。」
今度は顔を手で抑えた。
「熱い…熱い!!热!热!顔が焼ける!」
鍋島は小屋の中でひとり絶叫とともにのたうち回った。
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2016年10月24日

116.2 第百十三話 後半



重い木製の引き戸を開き、壁に埋め込まれた照明スイッチを押すとそこは剣道場だった。
「相変わらず(゚ν゚)クセェな。」
剣道場から醸し出される独特の臭気に、佐竹は渋い表情を見せた。
「あれ?」
「なんです。」
「へぇ道場にエアコン入ってんだ。」
そう言って彼はそれの電源を入れた。
「あ、俺のときにはもう入っていましたよ。」
「あ、そうなの。」
佐竹は道場正面に礼をして中に入った。相馬と京子もそれに続いた。
「おい相馬。」
「あ?」
「俺らもいいんか。」
「おう。一応正面に礼して入ってくれ。」
「え?こうか?」
ぎこちない様子で相馬達の動きを真似た長谷部と麗も中に入った。
「ねぇ相馬君。なんでこの部屋に入るのにお辞儀なんかするの。」
麗が尋ねた。
「え?」
相馬は固まった。そこに何の意味があるかなんて今まで考えたこともなかった。
「下間さんだったね。この手の道場に入るのはじめて?」
佐竹が麗の質問に答えた。
「え…はい。」
「はっきりとした解説はできないんだけど、この場所を使用させていただきますっていう素朴な気持ちの表明だって俺は聞いたことがある。」
「え?誰も居ないのに?」
「そう。ほらよく八百万の神って言葉があるだろ。自然界の万物にはすべて神が宿っているって。この道場にもそういった神様がいて、いまからこの道場を使わせていただきます。なので使用している間は怪我や事故などが起こらないよう見守っていて下さいって会話をすることなんだと思う。」
麗はキョトンとした様子である。
「こういったすべてのものを大切にするっていう気持を大切にすることで、相手を敬う心を育成する。そんなところかな。」
麗とは反対に、改めて知る正面への礼の意味に相馬は納得した様子だった。
「いやぁ何にも変わってないな。ここ。」
「そうですか。」
「ああ。黒板に書かれてる内容以外は何にも変わっていない。まるでタイムスリップしたみたいだ。」
「あの…それで…。」
「ああごめん。本題に入ろうか。」
佐竹達五人は道場の中心に車座になって座った。
「相馬君、片倉さん。一色と稽古したんだってな。熨子山事件の前に。」
「はい…。」
「あいつ何か言ってたか。」
「あの…どうやったらこれ以上強くなれるかってことについてアドバイスしてもらいました。」
「へぇ。どんなの?」
剣道の形を大事にすること、かかり稽古の数を増やすこと、そして囲碁の本を渡されたことを相馬は佐竹に話した。
「囲碁?」
「はい。」
「…囲碁ね…。」
佐竹は腕を組んでしばらく考えた。
「どうしたんですか。」
「で、どうだったその本、役に立った?」
「正直僕、将棋くらいはやったことありますけど本渡されるまで囲碁なんか興味もなかったしやったこともなかったんです。なんでその本読んでもよく分からんかったんです。」
「あらら。」
「でも折角一色さんから渡されたんもんを、そこで投げ出すのもしゃくですから取り敢えず入門書片手にやってみました。すると囲碁のルール自体は単純だってわかりました。」
「どういうことかな。」
「碁のルールは自分の色の石で相手より広い領域を囲う。これだけです。僕が難しいって思っとったのは、盤面状態とかゲーム木の複雑さだったみたいです。」
「相馬君。ごめんだけど俺、碁やったことないんだ。俺にも分かるように説明してくれないか。」
相馬は困惑した表情を見せながら口を開いた。
「結論を言うと一色さんは囲碁を通して大局観を身に付けろって僕らに言ったんだと思います。」
「え?」
「どんな世界でもマニュアルみたいなものがあります。こうすればこう。ああすればああ。でもそんなマニュアルで全てがうまくいくんだったらこんなに楽ちんなことはありません。実際の現場では臨機応変の対応が必要です。ただし臨機応変って口で言ってて実際の行動はただのその場しのぎってパターンは結構あります。なんでそんなことが起こるのか。そう、そういう人はその場での形勢判断を的確に行う能力が不足しているからです。」
「その的確な形勢判断能力が大局観か。」
「はい。全体を俯瞰で見るんです。囲碁はその力を養うにはいいゲームです。俯瞰で見える盤面に必勝の形を見出して相手を引き込む。その戦略的思考を一色さんは囲碁を通じて僕らに伝えようとしたんだと思います。」
「そうか…。」
「一色さんはこうも言ってました。」


「じゃあ僕はどういう形をつくればいいんでしょうか。」
「え?」
「僕は出鼻小手が得意です。」
「…それは自分自身で考えな。」
「そんな…。」
「それが練習だよ。みんなで考えて解を導き出したら良い。」
「すいません。一色さん。」
「その必勝の形に相手をおびき寄せたり、試合の主導権を握れば合理的ってことですよね。」
「ああ。」
「でもそれができん時はどうすればいいんですか?」
「…それは勘がモノを言う。」
「勘…ですか?」
「ああ。それは反射神経以外のなにものでもない。」
「じゃあその反射神経を鍛えるにはどうすれば?」
「それは簡単さ。かかり稽古をひたすらやるしかない。」
「かかり…。」
「いやだろう。」
「…はい。」
「おれも嫌だよ。辛いだけだしね。こんなシゴキなんかなんの役に立つんだって僕も昔思っていた。でもその形が突破されてしまって、いざって時にこいつが効くんだよ。」
「いざですか…。」
「まぁそうならないのが良いんだけどね。」

「ふっ…。」
昔を振り返る相馬の言葉に佐竹は笑みを浮かべた。
「どうしたんですか佐竹さん。」
「結果として県体ベスト4。立派な成績だよ。」
「あ・ありがとうございます。」
佐竹は防具棚の方を見つめた。
「一色…。お前は死んだかもしれないけど、お前の戦略的思考法と行動は未だ生きているみたいだな。」
「どうしたんですか佐竹さん。」
「俺らには鬼ごっこ。こいつらには囲碁。」
「え?」
「それに剣道部の鉄の掟。」
「きっちり落とし前つけさせてもらうぜ。一色。お前の代わりにな。」
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116.1 第百十三話 前半



ー見てられない…。お前…おまえは…クソだ…。
ー村上…。
心臓の鼓動と併せて激しい痛みが襲う頭を両手で抑えながら、鍋島は目を瞑った。

3年前

眠りに落ちた一色をおぶり、村上を残して山小屋を出た。そして周囲を覆う雑木林の中に入っていった。
ーくそ…意外と重ぇぞ…こいつ…。
暗闇の舗装も何もされていない獣道。ぬかるんだ地面に時折足を取られながらも鍋島は淡々と進んだ。暫くすると彼は熨子山の墓地公園に出た。
ーこいつもここに眠ることになる。
「う…。」
居並ぶ墓地をすり抜けるように進んでいた彼は、ふと足を止めた。
ーいま、何か声がしたような…。
振り返って自分の肩越しに見える一色の様子を窺うも、彼は深い眠りについたままのようである。
ー気のせいか…。
墓地公園の駐車場に止めてあった車のトランクに一色を詰め込んだ鍋島は、エンジンを掛けた。ダッシュボードに表示される時計を見て彼は車を発進させた。
ー山小屋から最短で麓に降りるには一旦山頂の展望台に出て、そこから一気に駆け下りる。あの時の経験を村上が身体で覚えていればそうするはずだ。
麓に向けて駆け抜けてた鍋島だったが、ここでブレーキを踏んだ。
ー念のため確認するか…。
車を反転させ進路を麓から山頂にとった彼はアクセルを踏み込んだ。
鍋島は展望台がある山頂の駐車場に到着した。腕時計に目を落とすと時刻は0時40分だった。エンジンを切った彼は車から降りて展望台の方に向かった。
「うん?」
ふと地面を見ると舗装されていない道にタイヤの跡がある。
ー待て…。まさかこの先に誰かいるのか…。
息を潜めた鍋島はゆっくりと進んだ。
「ま…待ってください…。」
男の声が聞こえる。
「お…落ち着いて…。お…俺らは何もしていませんから…。」
ー俺ら?
物陰から鍋島は声のする方を覗いた。
そこには腰を抜かしたような体勢で後ずさりする男の姿があった。よく見ると女性が彼にしがみついて身体を震わせている。鍋島は男の視線の先を見た。
ー村上。
白いシャツに血しぶきをつけた村上がハンマーを持って、彼らにゆっくりと近づいている。
「お…お願いです…。い…命だけは…。」
恐怖のあまり男も女も動けないようだ。男はとうとう後ずさりもできなくなってしまった。村上と彼らの距離は着実に縮まっている。村上は手にしているハンマーを振り上げた。
「由香っ!」
女の名前を呼んだ男は、彼女の頭を自分の腕の中に抱きしめた。自分の身を呈して彼女を守ろうというのである。しかしこの行動とは裏腹に男の身体は恐ろしく震える。
ハンマーを振り上げたまま、直ぐ側まで来た村上はそこで動きを止めた。
「ひいっ…。」
「く…。」
「ひいいいい…。」
「あ…が…。」
「ゆ…由香…。」
振り上げられたハンマーは村上の手を離れ地面に落下した。
「え…。」
「あ…く…か…。」
「え…。」
村上は膝から崩れ落ちた。そして息遣いが荒くなった。
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
「え…え…。」
「行け…。」
「は…。」
「はや…く…行け…。」
村上のこの言葉に立ち上がろうとするも、下半身に力が入らず男は立てない。それは一緒にいる女も同じだ。
「はやくここから去れっ!」
男と女は村上に背を向け、這ったまま力なく車の方に向かった。
「ちっ。」
物陰に隠れていた鍋島が突如として2人の前に立ちはだかった。
「悪く思うな。」
男の背後に回った鍋島は両腕で彼の首の骨をへし折った。そして間髪入れずに女の首も同じくへし折った。
「鍋島ぁー!」
その様子を見ていた村上が大声を上げた。
「うるせぇよ。このヘボが。」
変わり果てた2人をそのままにして鍋島は村上の方に向かった。
「なんだお前。もう効き目が切れたか?」
「お前…いま自分が何やったのかわかってんのか!」
「だからうるせぇって。黙れよ村上。」
鍋島は村上を指差した。
「お前こそ何なんだよ。血まみれだぞ。」
自分の姿を改めて見た村上は体が震えだした。
「て…てめぇ…俺に何をさせた…。」
「見ての通り、結構ヒデェ事やったんじゃねぇか。」
瞬間、地面に落ちたハンマーを手にして村上は鍋島に襲いかかった。しかしそれは見事にかわされた。
「なんだよお前。そうやってあいつらもやっちまえば俺の手煩わせなくてよかったじゃねぇか。」
「貴様…。貴様はなんでこうも人の命を虫けら同様に扱うんだ…。」
「はいはい。お説教はもういいよ。さっき山小屋の中で嫌ってほど聞いた。」
「山小屋?」
「あーそのあたりは記憶ぶっ飛んてんだ。」
鍋島は村上からハンマーを取り上げた。そして二体の遺体の方に向かった。
「こいつも一色の犯行にしておくか。」
「え?」
そう言って彼は二人の顔面めがけてハンマーを振り下ろした。
「あ…ああ…。」
顔面に振り下ろされるたびに鈍い音が闇夜の静寂にこだまする。この恐怖の光景を村上は力なく見つめるしか無かった。
やがて鍋島は立ち上がった。
「こいつらがこうなったのもお前の責任だ。」
「なに…。」
「お前がこいつらに遭遇さえしなければ、こいつらはこうはならなかった。すべてお前の不注意によるものだ。お前のヘマがこの結果を作り出した。」
「え…。」
そう言って鍋島はサングラスを外した。
「これはお前がやった。お前は山小屋で穴山と井上の顔面を粉砕し、そこから逃亡を図る際にこの二人と遭遇した。お前はこいつらを口封じのために殺して、こいつらの顔面も粉砕した。そう一色の犯行に仕立て上げるためにな。」
鍋島と目があった村上は何も言えない。ただ彼の瞳を見つめるだけである。
「とにかくお前は麓に降りて、その格好をなんとかしろ。後で合流だ。」
サングラスをかけ直した鍋島を見て村上は口を開いた。
「わかった。」
「いいだろう。」
「こいつらはこのままにしておく。」
「そうだな。」
「では後ほど。」
そう言って村上は闇夜に消えていった。
変わり果てた遺体の前にしゃがんだ鍋島はそれに向かって手を合わせた。
「あなたがた2人の死は決して無駄にしません。」
深々と頭を下げた鍋島はその場に背を向けた。
「誰が好んで人殺しなんかするよ…村上…。」
ふと麓の方に目をやると金沢の夜景が彼の目に飛び込んできた。
「俺は地獄にすら行けねぇよ…。」

「はぁはぁはぁ…。」
ークソが…。
鍋島は展望台の真下に止めてある車を眺めた。
ーこのタイミングでまた誰かいるのか…。
彼は物陰に身を隠した。そして周囲の様子を伺った。
ー誰もいない…車の中か…。
ー待て…車にエンジンがかかっていない…。窓も明いていないじゃねぇか…。
深夜と言えども7月中旬である。気温はさほどでもないかもしれないが、湿気が酷い。こんな中でエンジンを切って誰かが車の中にいると思えない。
鍋島は息を潜めて車の側に寄った。
人の気配がしない。
ーどういうことだ…。
こっそりと車の中を覗いたときのことである。鍋島の動きが止まった。
「あ…。」
再び彼は膝から崩れ落ちた。
「な…なに…。」
車の運転席と助手席にはそれぞれ間宮と桐本の遺影が置かれていた。
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2016年10月17日

115 第百十二話



ーチッ…2時間後に来いって言っておきながら、どれだけ待たせてんだよ。
北高のすぐ前にあるコンビニの書籍コーナーで興味もない雑誌を手にとっていた悠里が目を落とすと、彼の腕時計は23時を指そうとしていた。
ーしかし、深夜の時間帯にも関わらず北高ってところはこんなに出入りが激しいのか。
窓越しに見える金沢北高の職員室と思われる一角は煌々と電気が灯っている。
ー鍋島のやつ、職員が残る学校なんかで何をしようっていうんだ…。
金沢北高は学生に軍隊並みの厳しい規律を課している。それと同じように、ここで働く教職員についても学生同様の激務が課せられているのだろうか。下間悠里はドットスタッフ代表取締役仁川征爾として、北高のブラック企業ぶりに閉口した。
ーなるほど…第三者がいる極めて狭い空間に自分の身をおくことで、俺に手出しをさせないようにしたのか。
広げていた雑誌を閉じた悠里は拳を握りしめた。
ー小賢しい。
悠里は缶コーヒーを買い求めてコンビニを出た。そして灰皿が設置されている箇所でそれを口につけ、あたりを見回した。
ー鍋島。残念ながら俺はその手には乗らんぞ。
前方から駐車された車に乗り込んだ悠里はエンジンを掛けた。そしてルームミラーをさっとだけ見てバックギアをいれアクセルを踏み込んだ。

「23時か…。」
長谷部が運転する車の後部座席で携帯電話を見た相馬は呟いた。
「なぁ相馬。」
「あん?」
「普通に考えてこんなおっせぇ時間に学校なんかやっとらんけ?」
「さぁ知らん。俺だってこんな遅くの学校なんか行ったことねぇもん。」
「あぁそうなんけ。」
「あたりめぇやわいや。いくらシバキ主義の北高って言っても、そこまで頑固に残ることなんか無かったわ。」
「でも、もしも誰もおらんって感じやったらちょっと気味悪くねぇけ。」
「ほうやな…。」
「そこには本当にその古田って人おれんろうな。」
「おってもらわんと困る。」
熨子町の交差点を右に曲がると、その前方に金沢北高が見えた。
「おうおう。電気ついとるわ。」
「本当や。職員室やわあれ。」
「ちゅうか何ねんお前の学校。いっつもこんな遅くまで職員残っとらんけ。」
「だから知らんって。」
「生徒シバくけど、職員もシバけんな。」
「確かにお前の言うとおりかもしれんな…。」
突如長谷部は急ブレーキを踏んだ。そのため車内にいた三人は前につんのめった。
「あ!だら!」
「おい!長谷部!何ねん!」
「えーま!だら!」
北高の前にあるコンビニエンスストアからバックで出てきた車とあわや接触しそうになったようである。
「あんの野郎…。なんもこっち見とらんがいや。」
長谷部はクラクションを鳴らした。
「長谷部君落ち着いて。」
助手席の麗が彼をなだめる。
「どいね。これから警察関係者と合流するっていうげんに、事故ったりとかしたら面倒くさいことになるがいね。」
「あ…そうね…。」

「お。ヤバい。」
クラクションを鳴らされた悠里はギアをドライブに入れ元いた駐車位置に戻した。
「はいはい。ごめんなさいね。」
ルームミラーを再度見ると、学生風の男がそれに乗っているのが確認できた。
「こんな夜遅くにふらふらしやがって。良いご身分だね日本の学生は。」
一度止まった車は、そのまま金沢北高に吸い込まれていった。
「なんだ…こんな遅くに学生風情が高校なんかに…。」
振り返った先には明かりが灯る北高があった。
「資本主義の成りの果てがこれかよ。国家の根幹をなす教育がこんなブラック企業みたいだと、この国もやがて終わりだな。」
こう言って悠里は今度は何度も周囲を確認し、慎重に車を発進させた。
「まぁこれからその教育現場でひとりの男が死ぬ。この国の崩壊の幕開けにはもってこいの儀式になるかもな。くっくっく…。」

金沢北高の来客用のスペースに車を止めた長谷部はエンジンを切った。
「おい。駐車場いっぱいやぞ。」
「本当やな。」
車から降りた4人は周囲を見回した。職員室から漏れ出てくる明かりが辺りを照らす。
「今って受験とかの季節やったっけ?」
「いや。もうちょっと後やろ。高校生って夏休みにけっこうガッパなって勉強とかするんじゃなかったっけ?」
「そうやよな。」
「おい。相馬。どこで古田と待ち合わせるんや。」
「そういや北高のどこでとか言っとらんかったなぁ。」
「ここでぼーっとしとると俺らただの不審者やぞ。」
「ほうやな。」
生徒用の玄関口の広場のようなところにスタートダッシュを切る人物を象った(かたどった)一体の銅像があった。暗がりの中に薄っすらと見える躍動的な姿は対象的であり、どこか不自然で不気味でもある。
「こんだけ先生ら残っとるけど、なんかやっぱり夜の学校って気持ちいいもんじゃねぇな。」
「そうやな。」
相馬が長谷部に相槌をうった時のことである。職員通用口の扉が開かれた。
「おい。」
相馬たちは呼ばれる方を見た。
「こんな遅くにここに何の用だ。」
「あの…えっと…。」
「見た感じ学生みたいだけど、用もないのに勝手に入ってきて何なんだ。」
通用口から現れた人物は相馬達の前に立った。
「あ…れ…?」
「え…?」
相馬と京子は妙な声を出した。
「挨拶は人間関係の基本って、ここで教わらなかったか?」
「え…ちょ…。」
「はじめまして。佐竹です。」
「うそ…。佐竹って…あの佐竹康之さん。」
突然の北高剣道部の黄金期メンバーのひとりの登場に相馬と京子は唖然とした。
「驚かせてしまってごめんな。」
「なんで…。」
黄金期のメンバーで2人が会ったことがあるのは一色貴紀ただひとり。しかし北高剣道部の最強時代のメンバーの顔と名前は写真と言い伝えで頭に刻み込まれていた。
「相馬周くんと片倉京子さんだね。」
「え…?」
「君たちがここに来るのを待っていたよ。」
「は…?」
どうして自分たちの名前を佐竹は知っているのか。そしてなぜ初対面のこの男が古田しか知り得ない自分たちの行動を知っているのか。佐竹の発言の何もかもが相馬にとって理解できないものだった。
「その2人は?」
「あ…あの…友達です…。」
「名前は?」
「あの…こいつは長谷部、んでこの子は…えっと…いわ。」
「下間です。」
口ごもる相馬を遮るように麗ははっきりと応えた。
「そうか。長谷部くんと下間さんだね。」
「はい。」
「こんなクソ暑い外じゃなんだから、みんな中に入って。」
「え?でも勝手に学校の中に入って…。」
「良いんだよ。話は通してあるから。」
「どういうことです?」
「俺の同期がいまここの先生やってんだ。」
「え。本当ですか。」
「ああ。そいつに話しつけてあるから入れよ。」
「でも。」
「心配すんなって。今日は深夜残業になってしまうってそいつ言ってたよ。いやぁ生徒に対してシバキ主義な学校だと思ってたけど、職員も同じくらいシバキなんだな。この学校卒業してよく戻ってこようと思ったな、あいつ。」
「あの…それもそうなんですが…。」
「ああ大丈夫。古田さんはじきに合流するさ。」
「え?」
突然目の前に現れたこの佐竹という一色と同期の先輩が、古田のことを知っている。しかもただの知り合いじゃない。古田しか知り得ない直近の相馬達の行動を把握している。
「古田さんがここにくるまで、ひとまず俺が君たちを預かるよ。」
わけがわからない様子の相馬たちを校舎の中に引き入れた佐竹は、彼らの先頭を行く形で暗い廊下を進みだした。
「なぁ相馬君。片倉さん。」
「はい。」
「直接君達の口から聞きたかったんだ。」
「え…何をですか…。」
「君達2人は一色と一緒に稽古したことがあるんだよね。」
「え…そんなことまで…。佐竹さん知っとるんですか…。」
「ああ…。あいつどうだった?」
「どうって…。」
「その時のこと俺に教えてくれないかな。」

熨子山事件が発生するまで、熨子山山頂の展望台は数多くのカップルが訪れる絶好の夜景スポットであった。しかしあの事件以降、殺害されたカップルの霊が出るとかで、夜の時間帯にここを訪れる者はほとんどいなくなっていた。
この日のここの駐車場にはやはり1台の車もない状態だった。
男が茂みから現れた。闇夜に同化する彼は息を整えつつ先の展望台へと足を進めた。
駐車場から展望台に向かう道に差し掛かると突然周囲が開けた。眼下には金沢の夜景が広がっている。その夜景の明かりを纏った彼は黒ずくめの鍋島であった。
「うん?」
展望台の真下に1台の車が駐車されていた。
ーなんだこれは…。3年前のあの時と同じような情景じゃないか…。
刹那、激しい頭痛が鍋島を襲った。
ーやめろ…。止めてくれ…。
思わず彼はその場で膝をついた。
ーなんでこんな状況で、そんなヘマするんだ…。
鍋島のこめかみ辺りから猛烈な汗が流れ出す。
ー見てられない…。お前…おまえは…クソだ…。
サングラスを外してブルゾンの袖で汗を拭う。
ー村上…。
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2016年10月10日

114.2 第百十一話 後半



「ごくろうさん。」
「ったく人使い荒ぇな。トシ。」
熨子町のとある住宅の前で煙草を咥えていた古田の前に、同世代の男性が現れた。
「俺も爺さんねんぞ。もうちょっとほら、依頼する要件を吟味せいま。」
「いやいや。熨子山のプロである鈴木大先生以外に誰に頼めって言うんや。」
「けっ。」
「夜の山舐めんなってお前むかしワシに説教したいや。素人のワシが夜のあそこに入り込んだら間違いなく崖から転落、身動きとれんくなって凍死や。」
「だら。こんなクソ暑いがに凍死なんかせんわい。」
首に巻いたタオルで鈴木は顔を拭いた。
「首尾よくいったか?」
「首尾よくかどうかは分からんけど、気分は良いもんじゃねぇな。」
ペットボトルの飲料を古田から手渡された鈴木は勢い良く飲んだ。
「しっかしこんなんで本当に何かの効果あるんか?」
「さぁ…わからん。」
「卯辰山側から熨子山の山頂を通って、金沢北高に抜けるルートっちゅうけどな。本当にあいつこのルート通るんかいや。」
「分からん。ほやけど人目につかんように北高に行くっちゅうたらそのルートしかないがいや。」
「まぁ。」
腰をトントンと叩いた鈴木は暗闇に薄っすらと見える熨子山の姿を見つめた。
「しかし…鍋島がね…。」
「ああ。結局、熨子山事件は北高の剣道部連中のいざこざが原因。あすこの落とし前はあすこでつける。これに佐竹はこだわっとる。」
「それに鍋島も乗ってくるってか。」
「ほうや。」
「なんでそう言い切れる。」
「鍋島は常に佐竹の動向を監視しとった。仁熊会を使ってな。」
飲料を飲み干した鈴木はため息をついた。
「なんであいつがそこまでして佐竹の動向を気にかけるか。そこは正直ワシにもわからん。そもそも佐竹も鍋島に対してなんでそこまで執着するんかもわからんしな。」
「北高剣道部の因縁ちゅうもんは厄介なもんやな...。」
「ああ厄介や。おかげでいらん仕掛けが必要になってくる。」
「けどその因縁浅からぬ佐竹やからこそ鍋島を引っ張り出せるっちゅう面もあるんやな。」
「ほうや。さすが鈴木先生。理解力がぱねぇな。」
「ぱねぇって…トシ。お前どこでそんな妙な言葉覚えてんて。」
古田はポリポリと頭を掻いた。
「仁熊会はどうなんや。」
「あぁあいつらはもう鍋島と接点を持っとらん。」
「そうなん?」
「鍋島はどうやら今川らとうまくいっとらんようや。むしろ鍋島はあいつらからその生命すら狙われる状態。」
「粛清ってやつか。」
「おう。そんな状況の鍋島が今川らの協力者である仁熊会に協力を仰ぐなんか考えられん。鍋島はいまは単なる一匹狼や。」
「なるほど。相手がチームでかかってきたら厄介やけど、単騎なら囲い込みも可能ってか。」
「ほうや。一匹ずつ確保。」
「鍋島は常人では理解し難いほど頭脳明晰。んで何か知らんけどわけの分からん眼力も持っとる。」
「おう。いくらあいつには味方がおらんって言っても、あいつは普通の人間じゃない。ほやから普通に接したらむしろこっちが逆襲される。」
「ほんでこいつか?」
鈴木は何枚かの写真を古田に渡した。それを受け取った古田は何も言わずにポケットに仕舞った。
「すまん...。」
「俺は別になんてことはねぇ。けどな、あの山で命を落とした連中とかのことを考えるとな…。」
「...鈴木。」
「あん?」
「お前、ワシに言ったよな。」
「何を?」
「3年前、お前、熨子山事件の犯人をぜってぇパクってくれって。」
「…ああ。」
「ワシはその約束をまだ果たせとらん。」
「ふっ…。」
「今度こそは真犯人をパクる。」
二人の前の家の玄関扉が開かれた。現れたのは身重の女性だった。
「あぁすまんすまん。今戻る。洋子は早く休め。」
鈴木にこう言われた女性は軽く頭を下げて家の中に引っ込んだ。
「孫か。」
「まあな。」
「あれから3年…。時が経てばいろいろ変わるもんやな…。」
「現役の時は仕事仕事っていって家族から逃げ回っとった俺が今ではこの熨子町に嫁さんと移住。洋子は出産のために里帰りや。」
古田は煙草に火をつけた。
「3年前、間宮と桐本は熨子山の山頂で殺された。一方、あいつらと同世代のうちの娘は無事結婚し出産を控えとる。」
「…。」
「一般の市民にそういう事件に巻き込まれんように手を尽くすのが俺ら警察の仕事やったはず。ほやけど何の因果か一般市民よりもサツカンの身内のほうが順調な人生を過ごしとる。」
古田は煙を吹き出した。
「鈴木。自分を責めんな。お前が引き受けることじゃない。」
「…。」
「ワシらの不祥事はワシらで落とし前をつける。せめてそれくらいせんとワシらはあの世で間宮と桐本に弁明すらできんわい。」
「トシ…。」
「もちろん一色と村上にもな。」
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114.1 第百十一話 前半



「おっしゃー。」
エンターキーを軽妙に押し込んだ黒田は、天井を見つめてそのまま両腕をだらしなく垂らし、背もたれに身を委ねた。
片倉から提供されたネタを裏取りせずに、そのまま右から左へと流すだけの作業とはいえ大変な作業だ。なにせ情報量が尋常じゃない。まるで洪水のようだ。黒田は疲弊しきった脳をひとまず休ませるように目を閉じて深呼吸をした。
ーもう何も考えられない…。
彼は部屋の壁のシミを見つめた。
ー公安か…。
姿勢を正して黒田はブラウザを立ち上げた。
ーあいつらは何もかもが秘密のベールに包まれている。俺みたいなサツ回りの人間とも決して接点を持たない。それなのに片倉さんは自分から俺と接触を図っている。そう、熨子山事件以降からずっと…。
黒田は机に置かれたペットボトルのお茶に口をつけた。
ー片倉さんが俺のネットを利用した報道に共感してくれているのはありがたい。でもあの人は公安だ。思想に共感するからってだけの理由で、公安の人間がネタを俺に流してくれるだろうか…。ひょっとして俺は公安片倉肇にいいように利用されているだけじゃないのか…。
黒田は自分の顔を両手で何度か叩いた。
ーいかんいかん…。今、俺がやっていることはまさに俺が思っていた民主的な報道活動そのものじゃないか。たとえ俺が公安に利用されているとしても、俺も目的を達成している。あの人が言うようにWinWinの関係だ。
ーふっ…おかしいな…。何も考えられないって思ったはずなのに勝手に頭が動いてる。
パソコンを操作した彼は「ほんまごと」のアクセス解析ツールの管理画面を開いた。
瞬間、彼の動きが止まった。
「え…。」
ほんまごとのPVが今までの10倍の数字を表示していた。
「マジか…。」
なぜ突如としてこんなアクセスがあるのか。解析ツールを操作するとある傾向が読み取れた。
「ほんまごと」を閲覧する人間の殆どがご新規さん。そのご新規さんはSNSに貼られたリンクからやってきている。
「俺のブログが拡散されてる?」
黒田はすぐさまブラウザでSNSサイトを開いた。そしてそこで「ほんまごと」のキーワードで検索をかける。すると信じられない数のコメントが引っかかった。
「今まで固定の人間しか来なかったこのブログになんで突然?」
ーいくら更新の頻度が激しいって言ったって、それだけでここまでアクセスが伸びるなんて考えられない。となるとこれは、片倉さんの力以外に考えられない。でもなんでこんな公開捜査みたいな真似をあの秘匿性が高い部署がやるんだ?公安はその存在が明るみになった時点で意義がなくなる。
彼は何気なくアクセス解析ツールでどの地域からのアクセスがあるのかを調べた。
「あれ?」
画面には日本地図が表示され、アクセスが集中している地域には濃い青色。そうでない地域は薄いもしくは白色と言った具合に色付けされている。黒田の日本地図は石川県だけが濃い青色でほかは薄青色である。
「いつもと同じユーザー分布だ…。ってことは石川からのアクセスだけが急激に増えたってことになる。」
腕を組んだ黒田は首を傾げた。
ーなんで石川からのアクセスだけが集中してるんだ…。普通拡散って言ったら国境を超えたものになるはずなのに…。熨子山事件がいくら石川のローカルネタだって言っても、この流れは不自然だ。…まさか公安は意図的に拡散の範囲を絞り込むことができるのか?
黒田は再びペットボトルに口をつけた。
ーそもそも片倉さんにも俺にネタを提供するには何かの意図がある。その意図がこの結果を作り出している。つまりこの結果が片倉さんの期待していたこと。石川のネットユーザー中心に熨子山事件の情報とツヴァイスタンの情報を周知させる。鍋島の生存を知らしめる。この先にあの人は何を見てるんだ…。
黒田のヘッドセットから着信音が流れた。携帯の表示は片倉肇である。
ーまあ良い。乗りかかった船だ。とことん突き合わせてもらいますよ。
「はい。」
「記事書くスピード、上がってきたな黒田。」
「ええ、なんだか慣れてきました。」
「じゃあ続き行くぞ。」
「はい。」

「え?今川がパクられた?」
神谷が大声を上げた。
「ああそうだ。」
「誰が…。」
「お前の上司の土岐だそうだ。」
「え?土岐部長ですか?」
「なんでも情報調査本部による県警システムの調査の結果、今川による不正プログラムの疑いが濃厚になったらしい。結果、逮捕となった。」
「え…。」
「どうした?なんでそんな声を出す。」
「あの…理事官…。」
「何だ。」
「自分、執行部になりすましてついさっきまで今川とコンタクトを取っていました。」
電話の向こう側の松永は黙った。
「当然、ドットメディカルにはガサが入ってるんですよね。」
「ああ。」
「ということは自分と今川とのやり取りは土岐部長に抑えられるってわけですよね。」
神谷の首筋に妙な汗が流れた。
「確かに今川に接触して嘘の情報を流したのはマズいな。」
「…。」
「だがその証拠を土岐部長が抑えられるか。」
「え?」
「そもそも彼はそんなことに興味もないだろう。」
松永の発言の意味がわかりかねる神谷は言葉を発することができない。
「まぁやってしまったことはどうにもならない。お前はこれからimagawaを現地でどう仕上げるか絵を書いてくれ。」
「え?」
「まだimagawaは終わっていない。むしろこれからだ。頼んだぞ。」
「あ…ちょっと…。」
神谷の言葉を待つこと無く電話は切られた。
「今川が土岐部長の手でパクられたんですか。」
「ええ。」
「ほんじゃあ、こっちで仁熊会に回した手はどうすりゃいいんでしょうか。」
「うーん…。」
神谷は頭を抱えた。
「あれ?警部?」
「はい?」
「警部、何か汗びっしょりですよ。」
「冨樫さん…。」
「はい?」
「まずくないですか?」
「何が?」
「ほら俺らツヴァイスタンの執行部に成りすまして、今川を撹乱させたじゃないですか。」
「あぁそれが違法とかって奴心配しとるんですか。」
「はい。それに仁熊会のコントロールの件もあります。」
「理事官はなんて?」
「やってしまったことは仕方が無い。そんなことを悔いるよりもこれからの絵を書けと。」
冨樫はニヤリと笑った。
「なんです。」
神谷は怪訝な顔をした。
「理事官がそういうんやったらそうなんでしょう。警部はこれからの絵を描いて下さい。」
「でも…。」
「覚悟決めたんでしょ。いまさらウジウジ言っとっても何も事態は良くなりません。その手のヤバい捜査手法を相殺するくらいの絵描いて下さい。」
腕を組んで神谷は黙ってしまった。
「いいですか警部。ワシらの最終目標は朝倉です。」
「…。」
「今川は単なるフロント。ワシらはまずこのフロントの人間に大量の情報を浴びせて正常な判断ができんようにすることを目的とした。」
「はい。」
「今川は朝倉とか下間をつなげるツヴァイスタン側のHUBですわ。そのHUBが正常な動作ができんようになれば、周辺に居る連中の連携が取れんようになる。今回はHUBが故障してそれが取り除かれただけですよ。」
「ですが、HUBが無くなったことにいずれあいつらは気づくでしょう。」
「そうでしょうね。」
「まずくないですか。」
「まずいです。」
神谷はため息をついた。
「あの、冨樫さん。ちゃんと答えてくださいよ。はっきり言ってこれは土岐部長の暴走ですよ。部長が俺らの捜査を引っ掻き回したんです。」
タバコを咥えた冨樫は神谷の訴えにニヤニヤと笑って応えた。
「警部。」
「なんです。」
「土岐部長。警部にわざわざ電話かけてきとったでしょう。」
「え?えぇ…。」
「んでimagawaはお前が仕切れって。」
「はい。」
「警部も言っとったでしょ。ほんとき。なんで土岐部長がimagawaのこと知っとるんかって。」
「はい。」
「わかりませんか?」
「…あ。」
「ほうです。これもimagawaの一環。」
「ってことは…。今川逮捕は土岐部長なりの…。」
「あくまでもワシの予想ですけどね。」
腕を組んで神谷は目を瞑った。
「ちょっと確認します。」
そういって神谷は県警本部の警備課へ電話をかけた。
「あぁ神谷です。」
「あっ神谷警部。お疲れ様です。どうしたんですか。こんな遅くに。」
「あの…つかぬこと聞きますけど、本部で何か変わった動きは?」
「え?こっちでですか?」
「はい。」
「あれですか情報調査本部とかってやつの帳場とか。」
「それもそうですけど。本部全体で。」
「本部全体ですか?そうですね、今のところ別に何の動きもありませんよ。」
「じゃあ金筋(警察幹部)あたりで何かないですか。」
「キンスジ?ですか。ちょっと待って下さい。えーっと…これもあれですか、帳場とか関係なしにですか。」
「はい。」
「えーっと…そうですね。自分が見る限りいつものとおりです。あ…。金筋は軒並み不在っす。ってか帰ったんでしょ。時間が時間ですから。」
「あ…そうですか。」
「どうしたんです?」
「いえ。」
神谷は電話を切った。
「一課も二課も帳場も特に変わったところなしですよ冨樫さん。」
「でしょ。」
「土岐部長は県警内部でも秘密裏に動いている。」
「はい。」
「つまり土岐部長もimagawaの一員。」
「かも。」
「冨樫さん。」
「はい。」
「土岐部長に合流します。」
「で。」
「今度は俺、今川になりすまします。」
煙草の火を消した冨樫は不敵な笑みを浮かべた。
「おやおや。あれだけ違法なことしたってヤバいって感じになっとったんに、更に成りすましですか?」
「あ…。」
「いいんじゃないですか。警部。ワシもお供しますよ。」
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2016年10月03日

113 第百十話



藤堂豪の行方を追う金沢北署の捜査本部にはめぼしい情報が入っていなかった。
ー発生署配備に止めろって…本部長はいったい何考えとるんや…。普通広く網かけて、だんだん狭めていくやろいや。始めっから絞って何なれんていや…。
岡田は頭を抱えた。
「課長。」
若手捜査員が岡田の前に立った。彼はスマートフォンを手にしている。
「何かとんでもない事が起こっとるみたいです。」
「あ?」
小声で囁いた捜査員は岡田にスマートフォンを手渡した。
「え…?」
それを覗き込んだ岡田は息を呑んだ。
ー何やこれ…。
「俺も知らんことがさっきからバンバン上がっとるんです。」
ーほんまごと…。これってまさか…

39
「片倉さん。」
「何や。」
「さっきの黒田の件ですけど。」
「おう。」
「大丈夫なんですか。あいつ。」
「あ?」
「藤堂の情報を流してやってくれって片倉さんに言われてあいつの顔写真とか分かる範囲で教えましたけど。今のところどういう素性の人間かはウチらでも把握できとらんがです。」
「しゃあねぇよ。分からんもんは分からんがやし。」
「いや、おれが気になっとるのは、今の段階で警察が重要参考人の素性を調べきれていないってことがマスコミに突っつかれると困るってことなんです。」
「心配すんな。黒田はそんなみみっちい報道をするのが目的じゃねぇ。それにお前なんねんて、若林のあほんだらに啖呵きって飛び出してきてんろ。そんな古巣のことなんかほっとけ。もしも黒田がそのことお前が言っとったように報道すりゃあいつの立場が無くなって好都合じゃいや。」

ーってか何なんやこれ…。藤堂豪は鍋島惇?熨子山事件も一色のレイプ事件も背後にツヴァイスタン?ツヴァイスタンの工作活動?は?おいおいおいおい。
「こいつさっきからすごい勢いで記事を更新しとるんです。ってか本当に藤堂豪は鍋島惇という男なんですか?」
ー待て待て。こっちが聞きたいわ。…あ…。もしもこのブログがあの黒田が書いとるやつやったとしたら、片倉さんはこのブログを黙認しとるってことになる。ってことは…まさかこのブログ、片倉さんがわざとこの情報を上げとるってこと?
「課長?」
「あ・あぁ。」
「なんでこのブログ、俺らも知らんネタ上がっとるんですか。」
「…ふん…。創作やろ。」
「でもこれがもしも本当のことやったら、いま能登イチの爆発事件で行方を追っとる藤堂豪、俺らが追っとる金沢銀行守衛殺害事件の藤堂、これが熨子山事件で死んだと思われた鍋島惇ってことになります。」
「だから創作やって。ウラ取りようがねぇもんにアワアワしてどうすらんや。」
「ですがこれ、SNSで拡散されとるんですよ。」
「は?拡散?」
「ええ。」
「なに…このブログが方方で共有され始めとるってか。」
「はい。現に俺もさっき知り合いからこのリンク回ってきました。」
ー何やと…。っちゅうことは熨子山事件しかり、ツヴァイスタンしかり。こいつらが世間に明るみになりつつあるってか。
岡田はブログ記事を読み進めた。
「え?」
「どうしました?」
ーは?長尾?
「あの…課長。」
「あん?」
「そんなに興味あるんやったらリンク送りますんで、課長のアドレスか電話番号教えて下さいよ。」
「あ…。」
「俺もやわら捜査に戻りたいんで。」
「あ・すまん。」
若手の捜査員は岡田にリンクを送り、その場を後にした。岡田は自分の携帯で再びそのほんまごとの記事を開いた。
ーなんで長尾俊孝がこんなところに…。いや待て…反原発運動のS…。えす…。下間…。まさかこのSは下間芳夫か…。
更に岡田は記事を読み進めた。
「え?」
思わず岡田の口から声が漏れた。
ー今川が金沢銀行の橘に便宜を供与。その見返りに橘は消費者ローンにおいて外国籍を持つ連中にとって有利な融資審査をしとったやと?
「待て待て待て。」
岡田はA4の用紙をとりだしてそこに人物名を書き始めた。
ー長尾はOS-Iすなわち今川惟幾のことについて何らかの探りを入れていた。これは間違いない。OS-IはHAJAB端末のOS。いまのところこのOS-Iが搭載されている端末は金沢銀行のシステムぐらいや。ちゅうことはまさか長尾がこの今川の不正を掴んどったってことか?
白紙の中心に長尾俊孝の名前を書く。その右隣りに今川惟幾の名前を書き、その下に下間芳夫と記して括弧書きでSと書いた。そして今川のさらに右隣に江国健一の名前を書き記した。そして今川と江国から線を引っ張ってきて、そこに橘の名前を書いた。
ーいやまて、さっきの記事はどうすれんて。そもそも警察関係者のMって誰なんや。
心のなかでそう呟いた岡田はその用紙をぐしゃぐしゃと握りつぶした。
「おい。」
近くに座っていた本部捜査員が岡田の様子を見て声をかけた。
「おまえどうしたんや。」
「あ…いやなんも…。」
「携帯なんか見てなにメモとっとらんや。」
「あ・いえ…。」
「携帯なんかでネタ取るよりも自分の足やと俺は思うぞ。」
ーなに言っとれんて。それが詰まっとるから捜査も煮詰まっとるんやろいや。
その時である。捜査本部のドアが開かれた。
「あ…。」
「あ…。」
捜査本部に詰めていた全員が開かれたドアの方を見た。
「若林署長…。」
立ち止まった若林は岡田の方を鋭い目つきで見つめた。その刺さるような視線を前に思わず彼は目を背けてしまった。
「岡田課長。」
若林はツカツカと革靴の音を鳴らして岡田の前に立った。
「なんで君がここにいるんだ?」
「あの…それは…。」
自分の前に立つ、若林から石鹸の香りが漂ってきた。
「答えろ。」
「本部長の命令です。」
本部捜査員が二人に割って入った。
「何?」
「最上本部長のご意向です。」
「最上本部長?」
「はい。捜査本部の長が不在とあっては捜査は進みやしません。若林署長。あなたが不在がちであるのを見かねて最上本部長が岡田課長を主任捜査員からあなたの代わりに捜査本部長として任命しました。」
捜査本部に戻ってから、何かにつけて岡田にダメ出しをする捜査員であったが、ここで味方についてくれる彼を岡田は素直に頼もしいと感じた。
「ほう。」
「我々は岡田課長の指揮下にあります。」
「捜査の状況は?」
「捜査本部から外されたあなたに説明する必要性はないかと。」
「…ふん。」
「若林署長。」
「なんだ。」
「先程からあなたから石鹸の匂いが漂ってきますが。どこぞでひとっ風呂浴びてこられたんですか?」
岡田も感じていた違和感を直球で問い詰める本部捜査員の肝っ玉の座り具合に岡田は驚いた。
「何言ってるんだ気のせいだ。お前が嗅いでいるのは車の芳香剤の匂いだ。」
「ここに詰めとる捜査員はここ数日ろくに風呂も入れない状況が続いています。それなのにあなたは随分とこざっぱりされとるようです。」
「貴様、自分の立場をわきまえろ。」
「わきまえとります。」
「なに?」
本部捜査員は若林にだけ見えるように自分の警察手帳を見せた。
「これでどうでしょう。」
それを見た若林はしばらく黙った。そして無言のまま席を立った。
ーなんや…。この本部の人間は…。一体何もんなんや…。
二人を背にした岡田は静かに捜査本部をあとにした。
「おい。」
「え?」
「おいこれからどうすれんて。いけ好かんキャリアはお家に帰ったぞ。」
「あ…。」
「あくまでも今はお前さんがこの帳場任されとらんや。藤堂逮捕のための指示を早よ出してくれ。」
突然の若林の出現に取り乱していた岡田であったが、この言葉に我を取り戻した。
「俺がここに戻ってきてから藤堂に関するネタは上がっとらんがですよね。」
「はい。」
「じゃあこれ、あんたはどう思う?」
岡田は携帯を本部の人間に渡した。
「ほやから言ったがいや。現場は足で稼いでなんぼって。」
「いいから呼んでみて。」
渋々捜査員はそれに目を落とした。時折目を携帯から遠ざけて、老眼のピントをあわせるように眉間にしわを寄せる。どう見ても嫌々である。しかしその様子はものの数分で変化を見せた。彼は食い入るように携帯を見つめる。
「おい…。なんやいやこれ…。藤堂豪は熨子山事件で死んだと思われた鍋島惇やってか?」
「ええ。」
「3年前の鍋島の死は警察によるでっち上げやったてか?」
「にわかに信じがたいネタですわ。」
「確かに。けど…。」
「けど?」
「このツヴァイスタンの件にあるこのMって奴。」
「え?M?」
「おう。」
「え?このM知っとるがですか?」
「おう…。」
「誰なんですか。」
「元県警本部警備部警備課長やった三好のことや。」
「え!?あの三好さん?」
「ああ。この能登の不審船の話は直接本人から聞いたことある。」
ー何やって…。ちゅうことは三好さんは長尾のネタ持っとる可能性があるっちゅうことやがいや。ほしたらOS-Iのこととか、長尾の死の真相も三好さんがなんかの手がかり持っとるかもしれんがいや。でも、三好さんは熨子山事件の時に朝倉本部長に更迭されて、いま何しとるんか知らんしな…。
「金沢銀行の融資部長とドットメディカルの今川がコネコネやって!?関係機関に通報済み?」
捜査員はこう言って頭を抱えた。
「かーっ…今度は金沢銀行が二課に荒らされるんかいや…。んでまたわっけのわからん今川なんかっちゅう男が出て…。えーまややっこしい…。」
ーそうや…。俺はいまは金沢銀行殺人事件の帳場を任されとる。長尾の件は一旦保留や。まずは藤堂確保に全力を尽くす。って言っても最上本部長からは騒がず焦らず、内密にと言われとる。
「岡田課長。」
若手捜査員が岡田の前に現れた。
「どうした?」
「最上本部長から電話がつながっています。」
「わかった。」
「別室の電話に出て下さい。」
別室のソファーに腰を掛けた岡田は電話の受話器をとった。
「はい。こちら金沢銀行殺人事件捜査本部。」
「堅苦しい挨拶は抜きだ。岡田くん。」
「はっ。」
「そろそろ捜査本部の人員を別の場所に配置してくれ。」
「は?」
「いいか。君が間違いないと思える人間を5名程度ピックアップして今から言う場所に配置してくれ。」
「どこですか。」
「金沢北高だ。」
「へ?」
「金沢北高に5名。そうだな、年齢は40から50代の人間が良い。捜査本部から秘密裏に人員を派遣してくれ。」
「は…はい。」
「口が固くて君が信頼を置ける人材であることが条件だ。」
「それにしてもなぜ北高なんかに。」
「理由は聞かないでくれ。現地には別の指揮者ががいる。君が選抜する5名の精鋭は、捜査本部を出た瞬間から彼の指揮下に入ることになるから、そのあたりは了承してくれ。」
「リミットは。」
「今すぐ。10分後に5名を出発させたまえ。」
「は・はい。」
「若林くんにも悟られないようにな。」
「かしこまりました。」
「じゃあ頼んだよ。」
「あ・本部長。」
「なんだい。」
「あの…杞憂かもしれませんが…。」
「手短に。」
「SNSで熨子山事件関係の捜査情報がリークされています。」
「何のことだい?」
「これが我々警察でも知り得なかったネタが満載のブログがSNSを使って拡散されとるんです。」
「それはフィクションとかじゃなくって?」
「わかりません。全く事実そのものっていうのもあれば創作と思えるようなものもあります。」
「ふうん…。」
「どうしますか。」
「どうするかって言われても、一旦世間の耳目に晒されたたものはどうにもならんだろう。」
「まぁ」
「いいよ放っておきなさい。そのうち忘れ去られるさ。」
最上からの電話を切った岡田は、先程の本部捜査員とほか4名を選抜して秘密裏に彼らを北署から出発させた。
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2016年09月26日

112 第百九話



自分以外誰もいないドットメディカルの廊下。暗がりの中、今川は足を引きずるように歩いていた。
ー執行部と朝倉…。どっちかをとれって言われればそれは前者以外にあり得ない…。だが…。
自室の扉を力なく開いて中に入った彼は、そこにあるソファに見を預けた。そして自販機で買ってきた缶コーヒーの蓋を開け、それに口をつけた。
甘いコーヒーが喉を伝って胃に送り届けられる。同時に糖分が染み渡り、それが血管を介して自分の脳に送り届けられるような感覚を彼は抱いた。
「はぁ…。」
思わず深い溜息が漏れた。
ー熊崎にはまだ連絡を取っていない…。朝倉にどう取り繕えばいいんだ…。
おもむろに立ち上がって、彼は再びパソコンの前に座りそれを覗き込んだ。執行部からの連絡はない。
ーなにをどう報告しても待機。自分で何のアクションも起こせないってことがこれほど不安なもんだとは…。
今川の首筋には尋常でない汗が流れていた。
ーはやく命令をくれ。
今川の席の固定電話が鳴った。
「え…。」
机の上に置かれた腕時計を見ると時刻は22時を回っている。
「誰だ…。」
今川の心臓が激しく脈打った。
ーまさか朝倉…。いや、なんであいつがいちいち俺のオフィスに電話をかけてくる…。ああ、そうか…。俺が本当に仕事をしているのかどうかを探るためか…。まて…もし朝倉だったら熊崎の件はどう報告する…。いいアイデアが浮かばんぞ…。ああ…駄目だ…頭が働かない…。だが…かと言って無視するわけにもいかない…。
今川はコーヒーを飲み干して、震える手で受話器を持ち上げた。
「はい…。ドットメディカルです…。」
「なんだまだ仕事場か。」
ー朝倉…。やはり…。
「え・えぇ…。」
ーどうする…俺…。
「なんだかバタバタしてまして。」
「雑多な仕事は部下に任せろ。貴様、ひとりで仕事を抱え込んでるんじゃないのか。」
「いえ…その…。」
「どうした。らしくないぞ。」
「あ…はは…。」
「貴様が愛想笑いとは…。相当来ているな…。」
「あ・えぇ…そうですか。」
「まぁそんな状況でも命令を忠実にこなす。それが貴様の能力の高さだ。」
ー来る…。
「掃除の発注、ご苦労だった。」
「え…?」
「業務多忙の折、そつなく掃除の手配。奴も貴様の能力の高さを買っていたぞ。」
ーえ?なんだ?俺が熊崎に依頼をかけただと?
「あ…ええ…。」
「これで明日は綺麗になる。」
ーまさか執行部が手を回してくれたのか…。そうに違いない。適当に合わせておこう。
「はい。」
「後はお前自身の掃除当番をこなすだけだな。」
「ええ。タイミングを見計らって。」
「では後日。あまり無理をするなよ。」
「了解。」
「おお怖い。貴様は怖い男だなぁ。」
朝倉からの電話が切られたと同時に、今川は脱力した。
ー助かった…。
しばらくの間、彼は机の上に突っ伏した。
ーやっぱり執行部だ。朝倉を売った俺の判断に狂いはなかった。
起き上がって彼は窓際に立った。ブラインドの隙間から見える眼下のドットメディカルの社員駐車場には今川の車しかない。
ー無理をするなだと…。誰が無理をさせていると思っているんだ…。
再び固定電話が鳴った。
「ちっ。」
ーまたかよ。用心深い奴だ。もうお前には用はないんだよ。
咳払いをして彼は電話に出た。
「はい今川です。」
「部長。すいません。」
「え…?」
「あの…電気がついてたんで…。」
「え…。」
「父の家の帰りに会社の前と通ったら、部長の部屋だけまだ電気が点いていたんで差し入れ買ってきました。」
「あ…。」
ーあぁさっきのあいつか。
「いま通用口の前なんですけど、会社に入れなくって。」
「あぁ済まない。気を遣わせてしまって。ちょっと待っててくれ。」
電話を切った今川は通用口に向かった。
ー親父さんの介護で疲れてるだろうに…。そこまで気を遣わなくてもいいんだが…。でも…助かるな…。
通用口の前に立った今川は鍵を開け扉を開いた。
「お疲れ様です。」
そこにはコンビニ袋を下げた先ほどの彼が立っていた。
「これ…良かったらどうぞ。」
「ありがとう…。」
今川はそれを受け取った。
「部長…。」
「なんだ?」
彼の顔がどこか元気の無いもののように見えた。
「ははは。お前こそ無理すんな。疲れた顔してるぞ。」
今川は彼の肩を軽く叩いた。
「親父さんの介護、やっぱり大変なんだろう。なんだったら勤務形態の相談にのるぞ。」
「あの…。」
差し入れを持ってきた男の両側から、突如スーツ姿の男達が何名も現れ、それらが彼の姿を消してしまった。
「え?」
スーツの群れを割って眼鏡を掛けたひとりの中年男性が現れた。
「警察だ。」
男は胸元から警察手帳を取り出してそれを今川に見せた。
「警視長 土岐総司?」
「今川惟幾だな。不正指令電磁的記録に関する罪の疑いで逮捕状が出ている。」
「なに!?」
男は腕時計に目を落とした。
「22時33分。逮捕。」
今川はたちどころに土岐の周囲の男達に取り押さえられ、手錠をかけられた。
「な!何をする!」
「話は署で聞こうか。ついでにおたくの会社の中検めさせてもらうぞ。」
「ま・待て!」
「おい。始めろ。」
土岐の号令で、彼の部下と思われる捜査員たちが次々に会社の中に入っていった。
「おい!何なんだ!」
両脇を抱えられて身動きがとれない状態の今川に土岐は自分の顔を近づけた。
「県警のシステムに悪さしただろう。」
「何のことだ。」
「とぼけるな。」
「待て何かの間違いだ。」
「その手の言い訳は署でゆっくり聞く。」
「ちょ…ちょっと待て。」
ため息をついた土岐は神妙な顔を今川に見せた。
「気付け。」
「え?」
「尻尾は切られたんだ。」
「しっ…ぽ…?」
「お前は捨てられたんだよ。」
「な…に…?」
「悪く思うなよ。」
土岐は不敵な笑みを浮かべた。それを見た瞬間、今川は何かを悟ったようである。
ーま…まさか…あ…朝倉が…。
1台のワンボックスタイプの車に今川が連行された。
ーなんだ…これは…何かの間違いじゃないのか…。執行部は…執行部は何をやっている…。そうだ、後で手を回してくれるに違いない…。執行部とのやり取りは都度完全に消去している。足がつくことはない…。え…俺…消した?いや…待て…まさかうっかり残ってるなんてこと…。駄目だ…記憶が曖昧になっている…マズい…。もしも残っているとしたら…。
彼の顔から血の気が引いた。
「あ…忘れ物…。」
彼は両脇を固める警官を振り切るように車外に出ようとした。しかしそれは虚しくも瞬時に静止された。
「何を忘れたってんだ。」
「あ…いや…。」
「これか。」
隣りに座る警官がコンビニ袋を今川に渡した。袋の中を除くとサンドイッチと無糖の缶コーヒーが入っていた。
「お前さん良い部下もったな。」
警官は外に向かって顎をしゃくった。
そこには呆然と立ってこちらのほうを見つめる部下がいた。
「勘違いすんじゃないぞ。」
「え?」
「あいつはお前さんを俺らに売ったわけじゃない。あいつは本当にお前さんのことを思って、こいつを買ってきたんだ。」
「どういうことだ。」
「ここにガサ入れるのは決まっていた。俺らは物陰に隠れてガサのタイミングを見計らっていた。そこにあいつがこいつを持ってひょっこり現れた。あいつは俺らに気づいて『何やってるんだ』と言ってきた。」
「…。」
「警察だ。斯く斯く然々でおたくの会社を調べると言ったら、何かを悟ったかのような顔をしてあいつはこう言った。」
今川が乗った車はゆっくりと走りだした。
「何を…。」
「会社の中にひとり、メシも食わずに仕事をしている上司がいる。せめてそいつに差し入れだけはさせてくれって。」
咄嗟に今川は振り返った。部下が心配そうな顔でこちらを眺めている。
ーなんてことだ…。俺なんかに...お前は…。
徐々に遠くなる彼の姿を見て、今川に熱いものがこみ上げた。

捜査員がドットメディカルの中に入っていくのを見届けた土岐は自身の車に乗り込んだ。
懐から携帯電話を取り出し、彼はそれを耳に当てた。
「今川パクりました。」
「容疑は。」
「不正指令電磁的記録に関する罪の疑い。」
「良くやった。」
「ひ・弘和は…。」
「あぁ直ぐにでも釈放させよう。」
「お願いします…。」
「心配するな。貴様の誠意は痛いほどこちらに伝わった。」
「は…はい。」
「ところで情報捜査本部はこれからどうなる。」
「一応、本丸をパクったのでこれからは奴の周辺を抑えに入ります。」
「HAJABの江国とドットメディカルの七里か。」
「…もうご存知でしたか。」
「ああ。」
「県警の情報改竄に関するこいつらの関係性を今川から引き出して、パクる手筈です。」
「わかった。」
「部長。お願いします。弘和を…。」
「もうしばらくしたら貴様の奥方から連絡が入るだろう。無事釈放されましたってな。」
「あ・ありがとうございます。」
土岐は誰もいない車内でひとり頭を下げた。
「幕引きだな。」
「え?」
「最も強固であるべきな警察のシステムに、外部の人間が侵入し情報を改竄したと世間に明るみになれば、世論は黙っていない。警察の信用にも関わる話だ。今回の件は内々で消化したほうが良い。」
「ごもっともです。」
「警察には非はない。これで幕を引け。」
「…はい。」
「それにしても貴様は運が良い。」
「は?」
「息子が傷害事件を起こして、自分の出世の道は絶たれたと絶望が襲い掛かってきたのに、それを秘密裏にもみ消すことに成功した。挙句、県警システム侵入の被疑者を逮捕。警察内の貴様の名声は一気に高まる。」
「これも部長のお力とご助言の賜物です。」
「何を言っている。貴様の誠意の賜物だ。」
「は…はい…。」
「土岐。貴様、本部長になりたくないか。」
「え?」
「貴様の誠意次第で俺はなんとかできる。」
土岐は黙った。
「このまま田舎の県警の管理職で終わるか。それとも一国一城の主となるか。」
「…考えるまでもありません。」
「いい心がけだ。土岐。強い警察は貴様のような人間によって作られる。」
「私には過ぎたおほめ言葉です。」
ここで土岐の携帯にキャッチが入った。
「部長。すいません。家内からです。」
「ふふっ…早期の幕引き頼んだぞ。」
「はっ。」

「え?今川をパクった?」
情報調査本部の外の廊下で携帯電話を手で覆いヒソヒソ声で話す十河の姿があった。
「ちょ…部長。話が違うじゃないですか…。部長はサツ内部のさんずい洗って、民間関係はウチに任せるって…。…え?事情が変わった?」
十河は喫煙所の方に向かった。
「ええ…。ええ…はい…。え…。はい。七里と江国のガラはすぐにでも抑えられます。え?とりあえずで抑えるんですか?でも…ほんなあやふやな感じでいいんですか。」
喫煙所に入った十河は急いで煙草を取り出してそれに火をつけた。
「はい。はい…。ほやけどほんなことすっと…。え?」
十河の動きが止まった。
「なるほど…そうですか…。どうりで…。(ほんなら部長が仰るようにこっちは動きますか…。)」
携帯電話を折りたたんだ十河は、勢い良く煙を吹き出した。
「下衆の極みやな。」
煙草の吸殻を灰皿に投げ入れ、彼は足早に調査本部に向かった。
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2016年09月19日

111 第百八話



バスの中から外を眺めていた彼は丸型のサングラスを外し、ポケットの中からフォックス型のものを取り出してそれをかけた。
ーさっきからパトカーがうろついている。数が尋常じゃない…。
「おい。これ見たか。」
「なんやって。」
「え?おまえ知らんが?」
「だから何やって。」
「ほら。」
彼の前に座る学生風の男子がもう一方の男子に自分のスマートフォンを手渡した。
「熨子山事件?」
「おう。」
「え?これ何やったけ?」
「え…おまえもう忘れたんけ。」
「え、何の事件け。」
「うっそやろ…ほら3年前にあった連続殺人事件。」
「あーなんかあったな。確かあれ警察のキャリアがすっげえ人殺したとか。」
「だら。違うって。そのキャリアは殺されとって真犯人はそいつの高校時代の友人の村上って奴やってんて。」
「へーほんで。」
一方の学生は気のない返事をした。
「何け興味ないが。」
「おう。だって終わったことやろ。」
「お前、他人事やな。」
「ほんな他人の話に喰いついとっても俺になんの得もないし。」
携帯を見せた方の学生はつまらない顔をしてそれを彼から取り上げた。
「なんねん冷っめてぇな。」
「…冷てぇってお前…。」
「なに。」
「お前さ。仮に俺がもしもお前と俺の共通の友人をなんかのはずみで殺してしまったりとかしたら、どう思う?」
「へ?」
「それって他人事になるんけ。」
「え…なんなんお前。」
「この熨子山事件って、そんな高校時代の人間関係が絡んどれんて。」
「はぁ?高校時代のそれがいい歳こいたおっさん連中の中で尾を引いとるってか?」
「ああ。高校の同期でこうもややっこしい関係引きずって、憎しみ合って人殺しってやっちまうもんなんかな。」
「なんねんてそれ。」
「このほんまごとってブログ、熨子山事件のこと3年前に事件が解決したって言われてからもずーっと追っかけ取材しとれん。」
「ふうん。」
「人間関係がすっげぇ複雑ではっきり言ってよく分からん事件ねんて。」
「あの…それってそのブログ書いとる人のまとめ方が悪いだけなんじゃないが。」
「確かにそういう部分ある。けどこのタイミングで一気に新しい情報が更新されとるんや。」
「どういうこと。」
「新しい情報がどんどん更新されて、点と点が繋がっていっとるんやって。」
「点が繋がる?」
「おう。」
「具体的には?」
「それは俺の口からだけじゃお前に伝えきれん。」
「なんで。」
「情報量が多すぎるから。」
「そこをお前のまとめ上手なところで簡単に説明してくれま。」
「どいや。お前興味なかったんじゃないが。」
「なんかお前の話聞いとったらちょっと興味湧いてきた。」
「わりいけど本当に無理やわ。話しだしたら3時間38秒は最低でもかかる。」
「なんやその意味不明な時間の刻み。」
「ははは。リンク送ってやっから、後で読んでみてくれ。」
「わかったよ。」
「すいません。」
後席に陣取っていた男が二人のやり取りに割り込んできた。とっさに振り返った2人の目に全身黒ずくめのサングラス姿の男が飛び込んだ。真夏にもかかわらずブルゾンを着込んでいる男の出で立ちに彼らは異様さを感じ取った。
「ちょっとそのブログってやつ見せてもらえませんか?」
「え?」
学生たちはお互いを見合った。
「あ、それ奪って逃げるとかしませんよ。なんなら携帯の使用料も払います。」
男はポケットから1万円札を取り出してそれを学生に見せた。
「え?一万も?」
「お釣り入りません。興味あるんですよその事件。」
「え…でも僕ら次の停留所で降りるし…。」
「心配ありません。直ぐ終わります。」
『次は橋場町橋場町です。ひがし茶屋街はこちらでお降り下さい。』
「直ぐって言っても、ほんとにものの二三分ですよ。」
「大丈夫です。」
男は1万円札を強引に学生のポケットにねじ込んで、彼から携帯電話を拝借した。何度かタップやスクロールをすると再び車内アナウンスが流れた。
『はい、橋場町橋場町です。お降りの際はお忘れ物のないようご注意下さい。ご乗車ありがとうございました。』
「はいありがとう。」
そう言って男は学生に携帯を返した。
「え…。」
「これだけ読めれば充分です。ほら着きましたよ。」
「あ…。」
「降りないんですか?」
「そんな…こんな大金もらえません。」
「じゃあ私がここで降ります。」
「え?」
立ち上がった男は前方の降車口に向かって行き、運賃箱に500円玉を放り込んでバスを降り、そのまま闇夜の中に消えていった。
「なに…今の…。」
「おい。どうするよこの金…。」
浅野川大橋を渡りきった男はふと振り返った。彼の視線の先には川沿いの公園があった。
ー相馬…。

ー3年前ー
「よくやったな。鍋島。」
「あん?」
「流石の手際の良さだ。」
「はっ…ちっとも嬉しくねぇな。」
「後はキャプテンがうまくやってくれる。」
「そりゃそうだ。でないとあいつもボロ出ちまうからな。」
「まあ...。」
「で、どうなんだ。今川さん。」
観光客で賑わうひがし茶屋街のとある喫茶店。ここで鍋島と今川は向い合って座っていた。
「ああ残留孤児のネットワークは調べ済みだ。彼らに対する経済的援助のシステム構築がお前の予てよりの希望。それを実現するにはあと1年程度が必要だ。」
「1年だと?」
「ああ。」
「おい話が違うぞ。」
コーヒーカップを置いた鍋島は今川に凄んだ。
「まぁ待て。この手のシステム構築にはそれなりに時間が掛かる。いま焦ってお前が思っていることを無理やり実行すると、必ずどこかで綻びが出る。」
「ふっ…いつもそうだ。」
「何がだ。」
「いつもそう言って先送りだよ。」
「いや着実に準備は進んでいる。」
「具体的に説明しろ。」
今川は一枚の名刺を取り出してそれを鍋島に見せた。
「橘圭司?」
「ああ。金沢銀行金沢駅前支店の次長だ。」
「金沢駅前支店…。」
「そうだ。佐竹の直属の上司だ。」
「こいつが何だ。」
「今回の熨子山事件の一件での卒のない対応が評価され抜擢人事の候補に上がっている。」
「ほう。」
「佐竹はあの事件以降、精神的に不安定な状態になった。そのフォローをこの橘が行っている。そのあたりの面倒見の良さも上層部の目に止まったんだろう。」
「けっ。」
「因みにこの橘は金沢銀行の総務部にHAJABを紹介した人物だ。この橘の仲介のおかげでドットメディカルは金沢銀行との契約のきっかけをもった。HAJABの社長は江国健一。こいつがあの国の人間だってことはお前も知っているだろう。」
「ああ。」
「つまり橘と言う人間はこちら側に同情的なんだ。」
「同情なんざいらないぜ。」
「ああ言葉が悪かった。正確に言うとシンパだ。」
「シンパ?」
「橘は学生時代、学生運動に傾倒した経歴を持つ。」
「なるほど。そうだな。今川さんらが何のツテもなく、ただの飛び込み営業で金沢銀行にパイプを作るわけなんかあり得ないと思っていた。」
「そうだ。」
「そういう左巻きの思想を根っこに持っている奴は、何かにつけて現体制を快く思わない思想を持ち合わせている。」
「その通りだ。我々はこの橘圭司とは与し易いと考えた。」
「で、今回その橘がまんまと金沢銀行の中枢に入り込む余地ができた。おたくの契約関係もこのまま行けばうまくいく。金沢銀行のシステムを構築して自分らに都合の良い環境を作り出し、金沢銀行内部でのヒューミント要員も確保する。その全体的なシステム構築まで1年程度の猶予が必要ってことか。」
「ああ。」
鍋島は黙った。
「だからもうちょっと待て。鍋島。お前が思う残留孤児の経済支援システムは着実に構築されようとしている。」
「今川さん。」
「何だ。」
「1年の猶予はよく分かった。けど、俺はその1年の時間も惜しい。少しでも同胞の力になりたいんだ。」
今川はため息をついた。
「頼む。取り急ぎ困っている奴を教えてくれ。」
「教えてどうする。」
「個人的に援助したい。」
コーヒーに口をつけた今川はサングラスをかけた鍋島の目を見た。
「事件から2週間。」
「ん?」
「本多善幸に検察のメスが入って、熨子山事件はいま本多の疑獄事件一色だ。」
「そうだ。」
「お前が言っている残留孤児の問題はメディアに取り上げられることは殆ど無い。」
「世間的にはどうでもいいことなんだよ。やっぱり。」
「いくら村上があいつらの支援をしていたって背景があっても、それは黙殺か…。」
「村上という名前は俺の前で出すな。」
「鍋島。」
「なんだよ。」
「確かに俺は村上を消せという指示をお前に出した。」
「だからちゃんと仕事したろ。」
「ああ。見事だ。しかしな。」
「なんだよ。」
「村上が居なくなって困っている残留孤児が実はいる。」
「あ?」
今川は一枚のペーパーを鍋島に見せた。
「相馬卓。県内の工場に勤務する男だ。」
「こいつがどうかしたか。」
「こいつの今の職場を斡旋したのは村上だった。」
「え?」
「この工場は本多の熱心な支援団体だった。しかしその本多は今回の事件で失脚。工場に本多を支援するメリットはななった。そして本多と工場を繋ぐ役割だった村上も連続殺人犯としてあの事件に登場。挙句お前によって消された。これによって相馬卓の周辺環境は激変する。村上という人殺しが斡旋した人物が職場にいる。このことは工場側にとって迷惑な話だ。人事からの相馬へのプレッシャーは厳しく、こいつは仕事に難癖つけられて首になった。」
「まて、村上とこいつは何の関係もないだろう。」
「そうだ関係ない。だが十把一絡げにみる世間があるのも事実。」
肩を震わせる鍋島は拳を強く握りしめた。
「お前が村上の支援のスタンスを快く思わないのは分かる。だが、実際あいつの支援で生計を立てていた連中もいるんだよ。」
「…この相馬とコンタクトはとれないのか。」
「駄目だ。いまお前がしゃしゃり出るといろいろと面倒なことになる。」
「じゃあどうするんだよ。」
「お前に村上を消せと命令した手前、俺にもこの事態の責任の一端がある。そこで提案だ。」
「あん?」
「この相馬という人物、いま橘と接触している。」
「なに?」
「さっきも言ったとおり、橘はこちらに取り込んでいる。奴の本気度合いを測るために、いまこの相馬に融資を出してみろとこちらから働きかけている。」
「なるほどね。」
「だがあいつの頑張りだけではどうにもならない場合も想定しなければならない。」
「どういうことだ。」
「金沢銀行の中の別の人間にも一応協力を仰いでおいた。」
「流石だな。誰だ。」
「総務部長の小松だ。」
「総務部長?」
「ああ。金沢銀行のシステム導入の決済権を持つ人物だ。」
「システム関係でもうそんなところまで取り込んでいたのか。今川さん。」
「まあな。」
今川は不敵な笑みを漏らした。
「だが、その総務部長って奴が融資に権限があるのか。」
「あるさ。小松は融資部長の小池田と懇意でな。」
「なるほど。」
「そこでだ。」
「なんだ。」
「おそらく橘はなんとかして相馬の融資を実行までこぎつけるだろう。」
「ああそうあって欲しい。」
「実行されるとそれは翌月から必ず返済というものがつきまとう。」
「当たり前だ。」
「しかし相馬は今のところ定期収入の道は絶たれている。放っておけば融資はしたが焦げ付いてしまったってことになれば、橘の立場も小松の立場もなくなる。」
「そうだな。」
「そうなるとやっぱり残留孤児なんかに融資するんじゃなかったとなるだろう。」
「ああ。」
「だからお前には金主になって欲しいんだ。」
「どういうことだ。」
「なんでも良いから仕事を振ってくれ。」
「仕事?」
「ああ。お前の仕事を橘経由で相馬に依頼する。その報酬としてお前からの金を俺が責任をもって橘経由で相馬に渡す。」
「仕事っていってもな…。」
「久美子はどうだ。」
「え?」
「お前あいつに未練あるんじゃないのか。」
鍋島はしばらく黙った。
「知ってるぞ。山県久美子はお前の子を一度身籠った。しかし一色によってそれは堕ろされた。」
「黙れ。」
「黙らない。」
「うるさい。」
「うるさくない。事実だ。」
鍋島は反論できなくなった。
「お前は見事その復讐をやってのけた。だが一色の死を知った山県久美子はいまはもぬけの殻状態。下手をすると自分で自分の存在をこの世から消し去ってしまうかもしれない。心配じゃないか?」
「…。」
「どうだとりあえず久美子の様子を監視する仕事を相馬に与えては。」
鍋島は考える素振りを見せた。
「相馬の金銭的な援助もでき、お前の心配事も少しは解消される。WinWinじゃないか。」
「…。」
「俺としても新規の協力者はありがたい。相馬には俺からも橘を介して仕事を依頼しようと思う。」
「…いいだろう。」
「さすが物分りが良いな。」
今川は鞄の中から一冊の銀行通帳を取り出した。
「コンドウサトミ名義の通帳だ。こいつを使え。」
「何?おい待て。コンドウサトミなんか使うと足がつくぞ。」
「大丈夫だ。コンドウサトミは架空の人物。七尾で死んだのは鍋島惇だ。まさか本当にコンドウサトミの名前で銀行口座があるなんて警察は思いやしないさ。」
キャッシュカードを添えて今川はその通帳を鍋島に渡した。
「さっき言ったろ。総務部に協力者がいるって。」
その言葉を聞いて鍋島はそれを胸にしまった。
「とりあえず俺が相馬にやってやれることはこれぐらいだ。1年後にはお前の言う残留孤児支援はシステム的にできるようになっているさ。」
「すまない。今川さん。」
「なに。これも我々の目標とするものを成し遂げるために必要なことさ。」

ー橘の不正は明るみになり、俺は相馬に裏切られ、今川もネットで追いつめられ始めたか…。
咄嗟に鍋島は物陰に身を隠した。
1台のパトカーが赤色灯を灯して走行するのをやり過ごして彼は再び歩き始めた。
ーさっきから警察の車がやけに目につくな…。街の中はこれ以上歩けない。となるとやっぱり…。
彼の視線の先には月明かりによって辛うじて姿が見える卯辰山とその後方に位置する熨子山の稜線があった。
「俺を呼んでるのか。佐竹よ。」
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2016年09月15日

110.1 【お便り紹介】



今回は明けと鯖さんからのメッセージを紹介します。
一週間お休みの件/スピンオフ/体調
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2016年09月12日

110 第百七話



「え?相馬周が?」
「はい。突然私の家に電話かかってきて、古田さんを紹介して欲しいと。」
「…そうですか。」
「これもアレですか?」
古田は懐に忍ばせてあった封筒の中から便箋をとりだして、それに目を落とした。
「…わかりません。ほやけど西田先生。おたくの教え子がワシの素性に気がついたのは確かや。」
「そうですね。」
「一般人が警察関係者に用事があるときは何かの困り事を抱えとるって相場は決まっとる。」
「ええ。」
「市民が困っとる状況をワシは放っておけんですわ。」
「じゃあ。」
「ワシから相馬に電話します。あいつの番号教えて下さい。」
相馬の携帯番号を聞いた古田はメモを取り電話を切った。
「なんです。古田さん。」
神谷が尋ねる。
「相馬周がワシと連絡を取りたいと。」
「相馬周?」
「はい。」
「…え?さっき理事官から麗と長谷部によって拉致された可能性があるって報告が入った、あの相馬ですか。」
古田は煙草に火をつけ、深呼吸をした。
ー周が西田経由で古田さんにコンタクト…。となると拉致の線は薄いな。半強制的に連れ去られるような状況下で他者との連絡をとることなんて普通許されるもんじゃない。だがどうして下間麗はこの段階で周を連れ去ったんだ…。しかも長谷部という男の力を借りて。まわりまわって麗のほうから警察の方にコンタクトをとる形になっているじゃないか…って…まさか…。
「神谷警部。」
「あ…はい。」
「あとは警部にお任せしてよろしいでしょうか。」
「え?」
「ちょっくらワシは外に出てきます。」
ーそうだ…。古田さんは警察官じゃない。ただのOBだ。しかも片倉課長のエス。古田さんに指示を出すような権限は僕にはない。
「これから先も当初の警部のシナリオどおり。こっちはこのまま徹底的に今川を追い詰めてやりゃ良いと思いますよ。こんだけネタがSNSで一定のところに拡散しとるんや。執行部・朝倉・世間・警察の目が一斉に今川に注がれる。どんな人間でもこうも監視の目がきつくなったらKOですわ。」
「ですがそうなったら最悪、今川が自ら命を絶ってしまうなんてことも考えられませんか。」
「それは大丈夫。」
「え?」
「警部。あんたはあんたの判断を信じてやりゃあいい。」
神谷は唾を飲み込んだ。
「あんたの下にはマサさんっちゅうベテランがおる。マサさんと相談してあんたが決断すればいい。」
古田は冨樫を見た。
「なぁマサさん。」
「古田さん。どえらいプレッシャーかけますね。」
「プレッシャーじゃないわいね。」
「じゃあなんですか。」
「信頼や。」
「…ふっ。」
古田は二人を背にした。
「古田さん。」
神谷の声に古田は足を止めた。
「気をつけて…。」
彼は右手を上げて神谷に応え、そのまま部屋を後にした。
「警部。」
「なんですか。」
「警部。今川の自殺を気にかけましたね。」
「ええ。」
「それはきっと別の人間が対応しとると思いますよ。」
「え?なんでそんなこと言えるんですか。」
「…勘です。」
「勘?」
「なんか臭うんですよ。」
「どういうことですか。」
「このimagawa。とんでもなく大きくて、深い作戦のような気がするんです。公安畑のワシらにも気づかれんように、相応の人間が動いとる。そう感じるんです。」
「それは僕もなんとなくそう思ってますけど。」
「しかもそいつは警察内部に入り込んだツヴァイスタンのエスに気づかれんように実行せんといかん。imagawaの連中が直接連絡をとりあうようなことをしとると。どっかからそれが漏れる可能性がある。」
「ええ。」
「そう言う時は日本人らしく呼吸で意志を確かめあうしかない。」
「呼吸ですか。」
「はい。阿吽の呼吸ってやつですよ。」
「阿吽って…。」
冨樫はキーボードのF5ボタンを押下した。ブラウザの読み込みバーが伸びてページが表示された。
「あ…。」
「なんですか。」
「至急報3が来とります。金沢銀行融資部の橘が不正を働いていたとのリーク情報です。」
「え?橘が不正?」
パソコンの画面を覗き込んだ神谷は記事を読み込み、顎に手を当ててしばらく考えた。
「金沢銀行の橘が外国人を親戚縁者に持つ連中を中心に、消費者ローンを不正に実行。その背景に…今川からの資金提供…。」
「警部…これ。よう読んだら金沢銀行は関係機関に通報済みやって書いてありますね。」
「確かに…ってことは、すでに当局は今川をマークしてガサ入れの準備をしているってことですか。」
「そうでしょう。」
「あ…。」
「どうしました。」
「まさか…。」
何かに気がついたのか口をあんぐりと開いている神谷を見て、冨樫はニヤリと笑った。
「さあ警部。今川をパンクさせてやりましょうか。」
神谷たちがアジトとする部屋を出た古田はエレベーターに乗り込んだ。そして携帯電話を取り出した。
「相馬周からワシに接触してきた。」
「…。」
「かねてからの予定通り事をすすめる。」
「…。」
「そうや。今日明日がヤマや。」
「…。」
「そっちは任せたぞ。片倉。」

「どうねんて相馬。」
ハンドルを握る長谷部は電話を切った相馬に声をかけた。
「わからん。とりあえず古田さんから俺んところに電話かけてもらうよう言った。」
「違うって。そんでその古田って刑事にお前、なに頼むんやって。」
「わからん。」
「はぁ?」
「わからん。けどこのおっさん、一色さんともなんかの接点あったんやから、下間さんのことも何かしら知っとるかもしれん。」
「だから、そんな回りくどい事やって何なれんて。その何?チヨダ?とかっていう部署の京子ちゃんの親父さんと直に連絡とってどうすりゃいいんか聞いたほうが手っ取り早いがいや。」
「長谷部君。それって多分違うと思う。」
麗が口を挟んだ。
「なんで。」
「長谷部君。そのままハンドル握ってルームミラー見て。」
「え…。」
「後ろに1台の車いるでしょ。」
「う・うん。」
「多分、あれ警察よ。」
「え?」
思わず長谷部はアクセルから足を浮かせた。
「駄目よ。そのまま走って。」
間髪入れずに指示を出す麗に長谷部はアクセルを踏み込んだ。
「う・うん…。」
「さっきから気になっていたの。同じ車じゃないけど、私らの後ろに必ず車が走ってる。」
「え…。」
「長谷部君。さっき私言ったじゃない。」
「何を。」
「京子ちゃんのお父さんが所属するチヨダっていうところは、ただの公安部署じゃないの。同じ警察の組織の中にいても、誰もその人らがどういった仕事をしているか知らないほど秘匿性が高い部署なの。」
「それがこれと何の関係があるって…。」
「いい?秘匿性が高いってことは、そこで何かの大きなアクションを起こしたらいけないってことなの。目立った動きをすれば、それはどこからか外に漏れる。そう、同じ警察内部に。」
「同じ組織内に情報が漏れるって言うけど…それっていわゆる情報の共有化ってやつじゃ。」
「違う。違うの。いい?相手はチヨダよ。普通の会社と一緒にしちゃいけないよ。あそこは本当に誰も何をやっているのか知らないの。知られたら最後、あの部署の存在意義はなくなるの。だから同じ組織内の人間すら欺くことだってする。」
「うーんどういうことなんか俺にはさっぱりよくわからん…。」
「とにかく今は京子ちゃんのお父さんとコンタクトを取ることは得策じゃない。相馬くんの考えに私は乗るわ。」
「ねぇ周。」
二人のやりとりを横目に携帯を見ていた京子が相馬に声をかけた。
「うん?どうしたん。」
「ほんまごとねんけど…至急報3上がっとる。」
「次はどんな内容け。」
「当の今川登場。」
「…え。」
相馬は自分の携帯でほんまごとにアクセスした。
「今川って奴、下間さんちだけじゃなくって、金沢銀行まで操ろうとしとってんね。」
「ちょ…。」
「それにしても何なんかねー。この金沢銀行って。守衛殺されたり、総務部長が遺体で見つかったりとか…挙げ句の果てには現役の部長がこの今川と…。」
京子は携帯を手にする相馬の様子がおかしい事に気がついた。
「周?」
「なんで…。」
「ねぇどうしたん周。」
「…この橘ってひと…。」
「え?」
「この橘って人…知っとる…。」
「え!?」
「俺の親父の友達…。」
ほんまごとが表示されている携帯電話の表示が切り替わった。見覚えのない番号からのものである。
ー来た。
唾を飲み込んだ彼は受話ボタンを押下した。
「はい…。」
「相馬周さんですね。」
「はい。」
「古田です。」
「は・はじめまして…。」
「はじめてじゃないですよ。」
「あ…。」
ーこの古田って人もあの時の俺、覚えとる…。
「で、私に話とはなんでしょうか。」
「あの…。」
「下間麗のことですか。」
いきなり核心を突く言葉を発した古田に、相馬はこの時すでに何もかもが相手方に見透かされていることを悟った。
「もう…それを…。」
「相馬さん。そのまま車を金沢北高へ向けて走って下さい。」
「え?北高?」
「いいから。」
「なんで?」
「いまあなたらが警察の前に出ると捜査がややっこしくなる。」
「でも。」
「あんた達4名の身の安全は確保されとる。その証拠にあんたの後ろに車がつけとるはずや。」
後部座席の相馬はそのまま振り返った。長谷部の車の後方30メートル先に1台の車がつけていた。
「心配はない。あんたらの動向は警察によってしっかりマークされとる。そいつら以外の人間があんたらに接触することは難しいがになっとる。」
「でも…なんで北高…。」
「理由はいま言えません。」
相馬は長谷部に北高に進路を取るよう指示した。
「とにかく北高に来てください。そうすればなんとかできるかもしれん。」
「かも?」
「はい。こっから先はシナリオにない部分。あんたもワシもその場の判断で凌ぐしかない。」
ーシナリオ…。
相馬の脳裏に3年前の北高で京子が一色に尋ねたやりとりがよぎった。

「その必勝の形に相手をおびき寄せたり、試合の主導権を握れば合理的ってことですよね。」87
「ああ。」
「でもそれができん時はどうすればいいんですか?」
「…それは勘がモノを言う。」
「勘…ですか?」
「ああ。それは反射神経以外のなにものでもない。」

「古田さん。ここからは想定の範囲外ってことですか。」
「うん?」
「必勝の形はこの先にはないってことですか。」
電話の先の古田はしばらく黙ってそれに答えた。
「そうです。ここまではある程度は想定内とも言えるでしょう。」
「ということは僕や京子ちゃんが下間さんと会って…。」
「一色からの手紙を受取った人間はあなただけじゃありません。」
古田は相馬の言葉を遮った。
「え?」
「ワシもあいつからその手紙をもらった人間のひとりです。」
「僕らだけじゃない…?。」
「とにかくこっから先を詮索しとるほど、いまは悠長な情勢じゃない。なんとしてもimagawaを終結させる。相馬さん。あんたがまずワシと連絡を取ろうとした判断は正解や。」
「どういうことですか。」
「ワシの勘がそう言っとる。」
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2016年08月29日

109 第百六話



次々とブログによって明らかにされた工作活動の実態に、麗は観念した様子だった。しかしその表情はどこかさっぱりとしたものだった。
「このブログに出てくるSは下間芳夫。私のお父さんよ。」
運転席に座る長谷部も、後部座席の相馬も京子も何の言葉もかけることが出来なかった。
「この中に出てくる仁川征爾は私の兄さん。下間悠里。仁川征爾は長谷部君も相馬君も見たことあるはず。」
「え?」
「コミュのインチョウのことよ。」
「ま…マジ?」
「ええ。ドットスタッフ社長。仁川征爾よ。」
「え…。」
長谷部の歯はカタカタと音を立てだした。
彼は車中でツヴァイスタン時代に兄の悠里が家政婦を殺害したエピソードを聞かされている。今読んだほんまごとの記事によると、この仁川と名乗る麗の兄は能登の漁村でも通報者を殺害した疑いがあるとのことだ。ツヴァイスタン時代の悠里の犯行は下間家の生活が家政婦によって侵害されていて、どうにもできない状況に追い込まれてのものだった。このやむを得ない事情を最大限に加味して、長谷部はなんとかそれを受け入れることができた。だが能登の件は単なる口封じだ。スパイ活動が露見する恐れがあったため、都合の悪い人物を殺めた。そしてそれを父の力を借りて見事に隠蔽した。手段を選ばない下間家の冷酷さと周到さに、長谷部は恐怖しか感じることができなかった。
恐怖を感じたのは長谷部だけではない、車中の相馬も京子も同じである。
目の前の下間麗と言う女性の兄は人殺しも厭わないツヴァイスタンのスパイだ。そしてこの麗と父の芳夫もまた兄と同じツヴァイスタンのスパイなのである。
「怖くなった?」
車内の異変に麗は気がついたようである。
沈黙の中、相馬が口を開いた。
「その悠里って兄貴がそんなとんでもないことに手を染めるのも、下間さんがスパイとして日本におるのも、その今川がやっぱり原因なんけ。そこんところをもう一回確認させてくれま。長谷部経由じゃなくて、下間さんの口で。」
ため息をついて麗はゆっくりと口を開いた。
「…そうよ。」
相馬はどこか腑に落ちない様子だった。
今までの長谷部の言い分とほんまごとの記事を総合してみると、ツヴァイスタンのスパイによる工作活動は徹底したものである。麗はツヴァイスタンで生まれ育った。ということ麗にはあの国の教育が徹底されているはず。それなのに何故、こうもいとも簡単に自分の素性をさらけ出してしまっているのか。
「兄さんはツヴァイスタンから密航船を使って、能登のとある漁村から日本に上陸した。その時の様子はこのブログに書いてあるとおりよ。父さんがいた家から通じるトンネルを使って、村の外にいた協力者に手引されて東京に行ったの。そこで行方不明になっている仁川征爾の戸籍を乗っ取って、東京で大学生を演じ、そのまま大手の商社に入社した。」
「それで。」
「ツヴァイスタン語とロシア語って似てるの。だから兄さんはロシア語も喋ることができる。それでロシア担当ってことで、時々あの国に出張して、秘密裏にツヴァイスタンの関係者と連絡を取り合った。」
「それって本国からの指示を受けるとかってやつ?」
「多分…。」
相馬の質問に答えた麗の様子ははっきりとしないものだった。
「多分ってどうなん?」
「私もよくわからない。」
「なんで?」
「私達の組織は上意下達が徹底されているの。私は兄さんの命令しか聞かない。兄さんは父さんの命令しか聞かない。父さんは今川の命令しか聞かないって感じ。身分が下のものは上に言われた通りのことをするだけ。上の考えを忖度(そんたく)するようなことはしない。なぜなら上の判断はすべて執行部の意向を踏まえた命令だから。」
更に相馬は混乱した。
上からの絶対的な命令である日本でのスパイ活動がありながら、なぜ麗はこの段階でそれを放棄したのか。そしてなぜこの段で今川に離反をしたのか。事情を知らない自分と京子が、必死で長谷部と麗をくっつけるよう画策したのが、結果として彼女をそういう気持ちにさせたのか。はたまたこれもまたツヴァイスタンなりの工作活動の一環なのか。
「下間さん。」
「なに?」
「こんな事、俺が今聞いて答えるの難しいかもしれんけど。下間さんは日本に来て何をする役目やったん。」
麗は黙った。
「今川からの開放ってことは、つまりツヴァイスタンからの開放ってことや。それは下間さんが日本に来たそもそもの役目を放棄することやと思う。まずはそれをはっきりさせんと、どうすることがいいんかの判断ができん。」
「私は…。」
口ごもる彼女を車内の三人は固唾を呑んで見守った。麗は重い口を開いた。
「コミュの活動に心酔する勢力を作る。それだけ。」
「え?それだけ?」
麗は頷く。
「私、ほら一般的に綺麗な部類の人間でしょ。」
「え?」
「人間って単純なの。可愛いのに地味とか、男っ気がないって意外性に惹かれるの。で、その意外性に変に期待値を乗っけて、この子なら自分にもチャンスがあるんじゃないかって妙な錯覚に陥るの。もしもそんな不純な動機がなくても、自分ならコミュに参加することで私みたいに魅力的な人物になれるんじゃないかって思い込む。私はつまり客寄せパンダってこと。私は外見を最大限に活用して参加者を募る。そして参加者に最大限の理解を示して、あの人達を洗脳する。」
自分の美貌を道具であるかのように受け止める彼女は、先日までの謙遜的な岩崎香織ではない。
「洗脳…。」
「コミュには精神的に弱くなった人たちが集まる。精神的に弱くなった人たちの殆どが何らかの挫折とか苦労を味わってる。その悩みを抱えた人に心の隙間をつく言葉を投げかければ、彼ら彼女らはころっといくの。そしてその人達に悩みのもとにある問題の根源はいまの日本政府の政治体制にあると説く。私たちはそれを少しでも是正したい。それを少しでも改善したい。でも私達の力は吹けば飛ぶようなどうしようもないもの。だからあなたの力を貸して欲しいってね。」
滔々と洗脳プログラムを説く麗の姿に、相馬は恐れを抱いた。
「こうやってあくまでも参加者が自発的に革新勢力となるよう啓蒙する。そして自分たちは日本を良くする選ばれし者たちだと思い込ませる。大きな成功の前には得てして大きな苦難がある。いまは苦難の時。そしていずれ時が来る。時が来たら参加者にいまが行動の時だと号令をかける。」
「行動?」
「左右両方を徹底的に煽る。煽って世論を分断する。」
「そ…そんなことを…。」
「でも、もうそれはしなくていいって兄さんに言われた。」
「え?」
「私はお払い箱になったの。」
「お払い箱?」
「うん。」
「な・なんで?」
「あなた達の企みにまんまと引っかかってしまったから。」
「え…。」
相馬に衝撃が走った。
「あ…あなたたち?」
相馬の手にあったスケッチブックを取り上げた麗は、あるページを開いて再度それを相馬に手渡した。
それを見た相馬と京子の背筋は凍りついた。
「え…。」
そこには京子の父、片倉肇の似顔絵があったのである。
「やっぱり。」
説明の付かない汗が二人の額から流れ落ちる。
「2人の反応見てはっきりした。まさか京子ちゃんの片倉って、この片倉だとは思わなかった。」
「な…なんで…。」
麗の言葉に京子が反応した。
「なんでって…私こそ聞きたいわよ。」
そう言って麗は煙草に火をつけた。
「片倉肇。I県警警備部公安課所属。警察庁警備局警備企画課通称チヨダの直轄部隊の長。まさかこの男のご令嬢とはね。」
「公安?」
「そうよ。私達のような外国からのスパイ活動を取り締まる人たち。」
「え?」
「あ…その反応。知らなかった?」
京子はゆっくりと頷いた。
「じゃあ何であなた達、変な企てなんかしたの。」
「え?どういうこと?」
「なに惚けてるの?長谷部君と私をくっつけて私と兄さんの間に亀裂を生じさせようとしたんでしょ?事実私はそのせいで兄さんからお払い箱になったのよ。」
京子の目つきが鋭くなった。
「それって…私達のせいなん?」
「え?」
「私達のせいで下間さん。あなた長谷部と付き合わんといかんくなったん?全部私達の謀略のせいなん?」
「え…。」
「下間さん電話で言っとったがいね。ありがとうって。自分だけを見てくれる人に私の思ってること話したって。」
麗は口をつぐんでしまった。
「アレ何なん?嘘なん?百歩譲って仮に私らがなんかの企てしとったとしても、結果としてあなたは長谷部を選んだ。結果としてそれが下間さんとお兄さんの間に亀裂をもたらした。全部あなたの判断が原因やがいね。」
麗は何も言えない。
「下間さん。ここはツヴァイスタンじゃないげんよ。私ら別に今川みたいに、下間さんを統制下に置くために陰謀を張り巡らしたわけじゃないげんよ。個人の意志が尊重されんあの国と同じにせんといてま。」
「おい!京子ちゃん!下間さんの国をディスんなま!」
長谷部が割って入った。
「何!長谷部!あんたハメられて付き合うことになったって言う女が目の前に居るっていうげんに、なんでそれを弁護すれんて!ほんなやから舐められれんて!」
「うるさい!謝れ!今すぐこの場で麗に謝れ!」
「なんで!」
「長谷部君…。」
「謝れま!お国の事情は関係ないやろ!」
「謝らんわいね!なんで私がこの子に謝らんといかんげん!」
「…京子ちゃん。落ち着けま…。」
鼻息を荒くする京子を相馬がなだめた。
「周。あんた許せらん?あんたの友達に嵌められたってこの子言っとれんよ。」
「違うって…。」
相馬は京子に改めて麗を見るように言った。
「あ…。」
彼女の瞳からボロボロと涙がこぼれていた。
手で涙を拭った麗は改まって京子を見た。
「ごめん。わたし変なこと言っちゃった…。」
京子は黙って彼女を見つめる。
「そうよね。京子ちゃんと相馬くんのせいにするのはお門違いよ。私は長谷部くんのことが好きになってしまった。だからいまここにこうやって彼と一緒にいる。好きになるのは私の勝手。それなのに変ないいがかりつけてしまって…。」
「…わたしこそごめん。言い過ぎた。」
京子は麗に向かって頭を下げた。
「こんなに自分の意見を素直にぶつけ合える世界ってあるんだね。」
「え?」
「日本に来てから私はずっと岩崎香織だった。下間麗の存在を知られるなんてことはあってはいけないことだった。でも今の私は紛れも無く下間麗。私の発言をまっすぐ受け止めてくれる皆がいる。こんなの初めてよ。」
この言葉を発する麗の表情にはどこか清々しさを感じさせるものがあった。
「京子ちゃん。私をお父さんのところに連れて行って。」
「え?」
「私はツヴァイスタンのスパイよ。どうせならあなたの手で捕まりたいわ。」
唇を噛み締めた長谷部の肩は震えている。
「長谷部君ごめん。やっぱり私、自首する。」
「だめや。」
相馬が口を挟んだ。
「だめや下間さん。それは今やらんでいい。」
「え?」
「俺と京子ちゃんは長谷部から今川の呪縛からどうやったら下間さんを開放させれるんかの知恵を授けてくれって言われとる。確かにいま自首すれば下間さんの身の安全は確保できるんかもしれん。でもそれと今川からの開放は別次元の話や。第一人質にとられとる下間さんのお母さんはどうなれんて。」
「それは…。」
「なんや相馬。なんか妙案でもあるんか。」
相馬は腕を組んだ。
「なあ。」
相馬は目を瞑った。眉間にシワを寄せ、彼は長谷部を無視し続けた。
「おい。」
パッと目を開いた相馬は麗から手渡されていたスケッチブックを眺めた。そしてぼそっと声を発した。
「この人…。」
「なに周。」
京子の父の横に書かれた、髪を短く刈り込んだタバコを咥える男の似顔絵を見つめて相馬は何かに気がついたようだ。
「見たことある…。」
「どこで?」
「北高。」
「は?」
「あの時や…あの時やって。」
「なにぃね。」
「熨子山事件の時。剣道部のトロフィー見とった…。」
「は?」
「下間さん。これ誰?」
似顔絵を見た麗は答える。
「古田登志夫。I県警OB。」
「え?このひとも警察?」
「うん。」
「って…相馬くん。なんで熨子山事件のこと。」
「あの事件は金沢北高の剣道部の仲間内で起こった事件で、事件当時俺は京子ちゃんと一緒に剣道部やったんや。んでそのOBの人とも一応接点あって記憶が残っとるんやわ。」
「まさか…二人とも熨子山事件に関係があったなんて…。」
「なに?」
「そこから何ページかは熨子山事件の関係者の似顔絵が書いてあるの。」
「え?」
相馬はページを捲った。週刊誌報道やほんまごとなどで見た北高剣道部のメンバーと思われる似顔絵があった。
「なんで下間さんは熨子山事件の関係者なんか書いとらん?」
「この全員が私達ツヴァイスタンのスパイにとって要注意の人物だから。」
「は?ちょ待って。警察は普通にわかるけど、佐竹さんとか赤松さんはなんも関係ないがいね。」
「関係ある。」
「え、どういうこと?」
麗はスケッチブックの中のひとりの人物を指差した。
「一色貴紀。」
「え…この人がなんなん…。」
「警察庁警備局警備企画課。京子ちゃんののお父さんがいま所属する部署のかつての実質的リーダーよ。」
「え?」
「この一色に私達は水際で食い止められてきたの。」
「水際で?」
麗は頷いた。
「一色は県警の刑事部部長。でもそれは世を忍ぶ仮の姿。本当は公安警察として協力者を募る一方、警察内部に潜む私達の息がかかった協力者をあぶり出して、工作活動を封じ込めた。」
「警察に警察が捜査をする?」
「監察方の目も欺く、警察の警察による警察のための潜入捜査官。」
「なにそれ…。」
何かに気がついたのか麗はハッとした。
「どうしたん?」
「え…待って。さっき相馬くん、熨子山事件の剣道部OBと接点あるって言ってたよね。」
「あ、うん。」
「…まさかそれって…。」
「あ…その一色さん。」
「ってことは…まさかその時から一色は私らのこと…。」
相馬の返事に麗はがっくりと肩を落とした。
この時、京子の携帯には「至急報3」と銘打たれたほんまごとの記事が表示されていた。
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2016年08月22日

108 第百五話



両目をこすり、首を回したところに机の上に置かれていた携帯電話が光った。
「片倉さんすいません。キャッチです。」
「手短に済ませれ。」
「はい。」
携帯を手にした黒田は表示を確認した。見覚えのない番号である。
「あー丁度いいわ。ちょっとだけ休憩させてもらうわ。終わったら電話くれ。」
そう言って片倉は電話を切った。
誰からのものか分からない電話であるが、疲労が溜まってきた黒田にとって、この電話のおかげで自分に休息がもたらされたのは間違いない。彼はとりあえずそれに出た。
「はい。」
「北陸新聞テレビの黒田さんですか。」
「…え。はい。」
「面白いネタがあるんです。」
「え?」
脱力していた黒田は思わず姿勢を正して座り直した。
「誰から僕の番号教えてもらったんですか。」
「言えません。」
「なんで。」
「言えないから言えないんです。」
黒田はため息をついた。何かの嫌がらせかもしれない。彼は適当にあしらって片倉との電話に戻ろうと考えた。
「で、なんです?要件は手短にお願いします。」
「わかりました。手短に済ませます。」
「どうぞ。」
「明日、金沢銀行が記者会見を開きます。その発表内容を事前にあなたにお知らせします。」
「え?」
「あの会社で3年前から顧客の信用情報データベースを不正に改竄していた人間が行内にいたことが内部調査によって明らかになりました。金沢銀行は先ほどその人物に処分を言い渡しました。」
「え…ちょ・ちょっと待って下さい。」
慌てて彼はペンを手にとった。
「事実関係だけお知らせします。本日、金沢銀行で顧客の信用情報が改竄されている事実が行内の調査で発覚しました。行為者は改竄された信用情報を利用して特定の人間に対して優先的に融資を実行できるよう便宜を図っていたのです。行為者はこれによって自分の融資実績を不正に積み増ししていました。さらに彼はある人物からも利益を供与されていた疑いがあります。結果として行為者は先程取締役会で懲戒解雇の処分を言い渡されました。この件について金沢銀行は明日の朝10時から記者会見する予定です。今回はいち早く黒田さんにこの情報をお伝えしました。」
黒田の疲れは吹っ飛んでいた。
「それではこれで失礼します。」
「あ!ちょっとまって!」
彼は鼻息を荒くして電話の先の人物に質問をする。
「あの質問です。よろしいですか。」
「手短に済まさなければいけないんじゃなかったですか。」
「その…。」
「私に答えられることならお答えします。どうぞ。」
電話の先の人物は柔軟に対応してくれた。
「犯行に及んだ動機は?」
「現在のところまだはっきりとはしていません。」
「そうですか…差し支えなければ、その犯行に及んだ人物の役職と名前を教えてくれませんか。」
「公表は控えてくれますか。」
「ええ。」
「金沢銀行融資部部長 橘圭司。」
「部長?」
「はい。」
「かなりのポジションじゃないですか。」
「ええ、彼はつい先日副部長から昇格して部長になったところでした。その際の身辺調査ということで彼の周辺を調査したところ、今回の犯行が判明したのです。」
「なるほど。融資実績が好調な橘が部長職に格上げされた。しかしその実績は不正によって作り出されたものだった。」
「そういうことです。」
「今あなたは、特定の人物に融資を実行できるように情報の改竄が行われたと言いました。その辺りをもう少し詳しくお教え下さい。」
「改竄の対象となったのは主に消費者ローンの債務者です。金沢銀行では消費者ローンの融資審査の際、借り入れ申込者の所得を証明する書類の提供を求めます。所得証明とか源泉徴収票とかですね。その証明書はその場でスキャンされPDFのデータとされます。原本は事務管理課で集中的に取りまとめられ、能登の文書管理センターへ。実務はデータで行われます。橘はそのデータを何らかの方法で融資に都合の良いものに置き換え、ある属性の消費者ローンの実行金額を伸ばしていきました。」
「或る属性?」
「三親等以内に外国人がいる層。」
「え?」
「彼が融資部の副部長になってから、その顧客層の取扱件数、実行金額が膨れ上がっています。」
「え…。なんでその層だけを…。」
「彼がどういう動機でそういったことをしたのかは依然としてわかりません。ですが結果が全てを物語っています。橘は外国人を親戚縁者に持つ連中を優遇しました。そしてその報酬として、特定の人物から金銭を受け取っていました。」
「あの…その特定の人物とは。」
「金沢銀行にそのシステムを提供しているドットメディカルのCIO。今川惟幾。」
「え?」
「金沢銀行はドットメディカルのシステムを採用しています。つまり橘はシステム納入業者と結託して債務者の信用情報を改竄していたんです。」
「え…?でも…僕はよくわかりません。」
なんでシステム納入業者がそんな自作自演をする必要があるのか。自社のシステムの脆弱性を知らしめてあの会社に何の得があるというのだ。黒田は彼の言葉に不信を抱いた。
「実はドットメディカルはマルホン建設買収資金の融資を金沢銀行に願い出ていました。この件が今回の信用情報改竄の遠因となっています。」
「買収ですか?」
「ええ。マルホン建設は3年前の不祥事から立ち直るためにドットメディカルと業務提携をしました。その後資本においても両社の提携関係が深められます。これを受けて、マルホン建設の業績はV字回復しました。たった3年であの会社の売上高は当時の倍になり、マルホン建設の市場価値はぐんと高まりました。そこでドットメディカルはマルホン建設の更なる成長を図るためにマルホン建設にIPOをするべきだと迫るようになります。このドットメディカルの交渉担当者が今川惟幾なのです。」
「今川がマルホン建設の買収交渉担当者…。」
「マルホン建設の社長である本多善昌は今川の提案をことごとく突っぱねました。やがてドットメディカルとマルホン建設との信頼関係に微妙な空気が漂いだしました。ここで今川は一計を案じます。それが未公開株であるマルホン建設の買収です。」
「利害関係者の調整が手間だから、いっそのこと子会社して自分の思い通りにマルホン建設の経営をコントロールしようということですか。」
「はい。現在のマルホン建設の資本割合は社長の本多善昌が40%。ドットメディカルが30%です。残りの25%が本多の親族。そして残りの5%が金沢銀行です。今川はこの本多の親族と金沢銀行に狙いを定めました。」
「どういうことですか。」
「提携解消の噂を流したんです。」
「提携解消?」
「はい。マルホン建設のV字回復はドットメディカルによるところが大きい。そのドットメディカルがマルホン建設から手を引くとなるとどうなります?またもあの会社の業績は転落するのではないかとネガティブな憶測が飛び交います。マルホン建設の株は未上場。そこでドットメディカルは本多の親族を切り崩しに掛かった。」
「切り崩し?」
「ええ。今川は市中に出回っていないこの株を額面金額の3倍で買い取ると本多の親族に持ちかけたんです。」
「3倍ですか。」
「はい。マルホン建設の株は額面100万円。これが2,000株発行されています。本多の親族はこの25%ですから100万✕500株=5億円。5億の3倍ですから15億。これに親族の気持ちは揺らいだ。なにせ彼らは3年前の事件で一度、世間から本多善幸の不祥事と慶喜の自殺で世間から白い目で見られていますからね。」
「確かに。」
「一方、ドットメディカルはその株の買い取り資金を金沢銀行に融資するよう求めてきた。ドットメディカルがマルホン建設から手を引けば、あの会社の業績は転落する可能性が出てくる。しかしドットメディカルがマルホン建設を買収し、実質的な経営権を持てば、IPOをしてキャピタルゲインも狙えると。金沢銀行は中長期的に見てドットメディカルに分があると見て、ドットメディカルに融資をする方向で検討した。しかし。」
「しかし?」
「ある事実が融資を妨げました。」
「或る事実?」
「仁熊会とドットメディカルの関係です。」
「仁熊会?」
黒田の手が一瞬止まった。
「仁熊会の熊崎仁とドットメディカルの今川惟幾が市内某所で時々密会している現場を、金沢銀行が雇った探偵によって抑えられたんです。」
「反社会的勢力と成長著しい新興企業ですか。」
「反社会的勢力と仲良しな企業に融資をすることは何よりもリスクです。それに何よりも今回の橘の不正で明るみになったことがあります。」
「なんでしょうか。」
「橘は今川から資金を提供されて、特定の層の消費者ローン実行残高を水増ししていました。そして彼はその目覚ましい実績でもって融資部の部長まで昇進した。融資部の部長になれば当然、そのドットメディカルのマルホン建設株買い取り資金の融資においても一定の裁量を持ちます。」
「あ…。」
「つまり今川は業者として金沢銀行のシステムに入り込み、さらに行内の橘を協力者とすることで、常にドットメディカルにとって有利な状況を作れる基盤を整備していたということになります。これはいまあなたが書いたツヴァイスタンのスパイ活動と通じるところがあります。」
「え…?」
「ツヴァイスタンのスパイ活動になぞらえると、橘は現地協力者。今川はツヴァイスタンのスパイ。仁熊会がツヴァイスタン本体もしくは出先機関と言った感じですか。」
この時間にすでに自分が書いた記事が一定の読者に届いていて、それなりに理解が示されていることが第一義的に驚きであった。しかしさらに、なぜこの内通者は自分がほんまごとの管理者だと知っているのか。これには黒田は驚きよりも背筋が寒くなるのを覚えた。
「守衛が殺され、翌日には金沢銀行の総務部長が自殺と見せかけて殺される。この混乱に乗じてドットメディカルは金沢銀行に融資の催促をする。金沢銀行が事件の対応に奔走する中、マルホン建設との提携解消を流し、そのタイミングで自分の協力者を主要ポジションにねじ込んでくる。恐ろしい陰謀ですよ。金沢銀行は今回の件については関係機関に通報済みです。捜査の進展を見守ってしかるべき対応をとるよう検討をしています。」
「あの…。」
「少しだけと言っていたのに、随分と長い時間喋ってしまいましたね。」
「あの…最後にひとつだけ良いですか。」
「なんでしょう。」
「どうして…私がほんまごとの管理者だと?」
電話の向こう側の人物はひと時の間を持ってそれに答えた。
「エスですから。」
こう言って電話は切られてしまった。
「エス?」
黒田の携帯が震えた。片倉からである。
「すいません。片倉さん。どうしても外せないネタが入ってしまったんで。」
「ネタ?」
「はい。」
「何の?」
「あ…言えません。」
「スクープってやつ?」
「ええ。でも…。」
「なんねんて。」
「ネタ元がよくわかんないんです。」
「は?」
「ネタが凄すぎて、ネタ元が誰なのか聞くの忘れてしまいました。」
「はぁ…だらや…。」
「どうしましょう。」
「…でもおめぇ、それスゴネタやって思ってんろ。」
「…はい。」
「ほんならほんなもん、ネタ元ちょろまかしてブチかませ。ウラなんか適当にしときゃいいがいや。」
「でもスポンサーなんですよ。スクープの対象が。」
「だら。誰がテレビでやれって言ったいや。いまから上司に掛け合って絵抑えてとかやっとったらアホみたいに時間かからいや。」
「え?」
「ほんまごとやほんまごと。」
「え、これも?」
「こうなったらもう一切合切流せ。こっちのネタはまだまだあるんや。さっさと書けま。」
「でも…。」
「やれ。今日は徹夜の覚悟で来い。」
「て…徹夜?」
「ああ。1時間後また電話する。」
電話を切られた黒田は大きく息を吐いた。
「もうどうにでもなれ…。」
頭をかき乱した黒田はパソコンに向かって激しくタイピングを始めた。
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2016年08月15日

107 第百四話



「ちょ…。このSってまさか…。」
長谷部は絶句した。
隣りに座る麗はため息を付き、重い口を開いた。
「凄いわね。完璧よ。」
「え?」
「私たちのこと調べあげている。」
「長谷部。その先もちゃんと読め。」
後部座席の相馬がこう言ったっため、長谷部と麗は記事を読み進めた。

<S 再び>
いまから15年前の新月の暗闇の中、夜釣りに出掛けていた中年男性が妙な光景を目撃したと警察に届け出てきた。
釣り道具を抱えた高校3年程の風貌の少年が暗闇の中ひとり肩を抑えて漁村の中を歩いていたというものだ。どうやら少年は怪我をしているようで足を引きずっているようにも見えた。中年男性は高校生に声をかけた。しかし彼は見向きもしない。大きな声で呼んでも何の返事もしない。せめて足を引きずる少年に手を貸そうと中年男性は彼に近づこうとした。その時少年は振り返った。そして中年男性にこう言った。
「それ以上近寄るな。」
その時は周辺に明かりらしいものがなかったため、少年がどういう表情でこちらを見ているかはっきりとは分からなかった。ただ得も言われぬ負の力が自分の身体を覆い尽くそうとしてるということだけは、彼は感じたようだ。圧倒的な負のエネルギーに耐えかねて彼は思わず後ずさりした。気が付くと少年は海沿いの一軒の民家の前に立っていた。家の玄関に明かりがつき扉が開かれた。どうやらそれが少年の家のようである。
その時である。中年男性は家の明かりに照らされた少年の衣服を見て、異様さを感じ取った。少年の衣服には大量の血痕らしきものが付着していたのである。それは彼がおさえる肩の辺りに特に付いていた。中年男性の足は震えだした。玄関扉を開いた少年はその家に入っていった。
この通報は所轄の警備課所属のMの耳に入った。月齢表を確認した彼は手勢を連れて現場に急行した。
所轄から現場までは10分だった。しかし現場に到着するも通報者の姿が見えない。不審に思ったMは通報者の行方を探すよう部下に指示を出す。暫くして「漁村のとある側溝に男が倒れている」との報告が入った。Mがそこに急行すると首を鋭利なもので切られた、通報者の変わり果てた姿があった。
この頃、何事かと漁村の所々から住民が外へと出てきていた。部下たちは規制線を張り、現場の保全を始めた。
ここで何かに気がついたのかMはひとり海岸へ急いだ。漆黒の闇である海岸で懐中電灯を照らす。光線は波打ち際を沿うように当てられ移動し、やがて止まった。一艘の木造ボートが闇夜に照らされていたのである。Mは即座に緊急配備を依頼する。
Mは所轄を出る際に月齢表を確認している。これが何を意味するのか。
警察は掴んでいたのである。ツヴァイスタンが新月の深夜という最も闇が深い時期を狙って、日本に侵入していることを。
通報から現場到着まで10分。中年男性が目撃した少年はまだその家にいる可能性がある。周辺の聞き込みに戻ろうとした矢先、彼の目に妙なものが映りこんだ。振り返って再度ボートに光を当てる。よく見るとガンネルに何かがぶら下がっている。Mはボートに近寄った。そこで彼は足を止めてしまった。光の先に人間の腕があったのである。駆け寄るとそこにはこれまた首を鋭利なもので掻き切られた男の遺体が転がっていたのである。
通報者が言っていた血痕をつけた少年というのは、この事を指していたようである。首を鋭利な刃物で掻っ切る殺人の手口の共通点が見えることから、この船員と通報者の殺人は同一犯によるものと推定される。一刻もはやく重要参考人である少年を探さねばならない。Mは再び通報者の殺害現場へ戻った。
住民たちが事件を聞きつけて起きてしまったのか、先程まで真っ暗だった村の家々に明かりが点いていた。外に出てくる人数も多くなり周辺はちょっとした騒ぎになっていた。辺りを見回したMは一軒の古ぼけた木造家屋に目を止めた。明かりが点いていない。深夜であるため眠りについていて外の様子がわからないのだろうか。Mは住民のひとりに明かりが点いていない家のことを尋ねた。すると住民からは意外な答えが返ってきた。「知らない」というのである。
住民が知らないというのも無理もない。この一軒家は賃貸物件でウィークリーマンションのように利用されているため。住人が固定していない。そのため住民はこの家の主を「知らない」と言ったのだ。
田舎なのに知らない人間関係が存在することに違和感をもったMは、真っ先にそこに聞きこみをかけた。チャイムを何度か押すと、中から男が出てきた。それが瀬嶺村で公安の監視対象におかれていたSだったのである。
<Sと少年>
Sはここからしばらく言った先にある能登第一原子力発電所がもたらす環境破壊について調査していると答えた。本日調査を終え、明日ここを引き払うと言う。Mは一人の少年がSの家に入っていったとの目撃情報をぶつける。Sはそれをあっさりと認めた。
「調査の助手をしてくれている村井くんです。私のゼミ生です。」
部屋の奥から山本と名乗る男性が現れた。そしてMは彼の身元などを聞き、肩や足のあたりに怪我をしていないかを確認した。通報にあったような怪我をした様子はない。念のためMは他には誰もいないのかと尋ねるとSは村井ひとりだと答えた。玄関にある靴を見ると2つの靴しか無い。Mは首を傾げてSの住まいを後にした。
結果としてMの聞きこみは徒労に終わった。少年の存在はおろか少年の目撃情報も一切手に入れることができなかった。そして木造ボートで遺体で発見された人物の身元も確認できなかった。
かつて公安にマークされていたSが木造ボート漂着の新月の深夜に現地にいる状況を考えて、Sはツヴァイスタンの工作活動の何らかの補助をしているに違いない。
そう考えたMは後日引き払われたSの住まいを捜索した。部屋の隅々を捜索するも何一つ生活の後のようなものがない。手がかりなしと諦めたMが観念するように部屋の畳に横になった時のことである。Mは何かに気がついた。気のせいか床が少し凹むのである。Mは何度か畳の上を拳で叩いた。そして隣の畳の上も拳で叩く。音が違う。一方は中身が詰まったような音。もう一方は中が空洞のような音である。気になったMは自分が横になる畳をめくり上げた。釘で打ち付けられているはずの床板がずれている。シロアリの仕業かと思ったその時、Mは固まった。その先に見えるはずの基礎や地面がない。真っ暗である。急いで板を除け、そこを懐中電灯で照らし、明らかになったものを見てMは愕然とした。地中深くまで掘られたトンネルがあったのである。
その後の捜査でこのトンネルは漁村の人気のない場所に通じていることがわかった。そしてトンネルの中には目撃者が見たとされる、少年が来ていたと思われる血痕のついた衣服が埋められていた。また、乱数表が記載されたカードサイズの手帳のようなものも発見され、ツヴァイスタンのアジトとして使われていたことが明るみになった。
X氏は言う。
「目撃者の情報は正確だった。木造ボートで日本に侵入した少年は船員となんらかの争いを起こして怪我を負った。少年はその日Sの家に匿われ、トンネルを通じて漁村の外に脱出。警察が聞き込みに来ることを予め想定していたSは、村井という無傷の助手を立ててそれを少年の変わり身とした。」

「村井?なんでこの人物だけ実名?」
パソコンを覗き込んでいた神谷が呟いた。
腕を組んで記事を読んでいる富樫が言う。
「警部。聞き覚えありませんか。」
「え?なんです?」
「ほら…この間のコミュの特集。」
「麗の人気が爆発的に上がったあれですか。」
「ええ。その前段に出とったあいつ。」
「前段?」
神谷は額に手を当てて記憶を辿った。
「あ…。」
「思い出しました?」
「あれ…ですか?」
「何です?」
「ほら、コミュの共同代表とかって…。」
「正解。」
神谷は納得した表情である。
「この時期からすでに村井は下間とつながりを持って、ツヴァイスタンの工作活動に一役買っとった。当時の公安捜査でそれは明らかになっとる。悠里と僅かしか年齢が違わん村井は、あいつが東京におる間、下間の協力者として地元で反原発の旗を振り、能登イチ周辺の住民の意見を二分させるよう活動しとったんです。三好はツヴァイスタンの工作活動を止めることができんかったっちゅうて、この日以降、奴らを目の敵にして捜査をしとった。地味で記憶が遠くなるほどの情報収集の積み重ね。その集大成がこの三好ファイルですわ。」
富樫はファイルを手にしてそれをパラパラとめくった。
「警部。おそらくここで村井の名前を挙げとるってことは、あれですよ。」
タバコを加えた古田が口を挟んだ。
「なんです。あれって。」
「村井の動向に注意しろってサインです。」
「村井...ですか…。」
「ほら、今川言っとったでしょう。悠里と麗を明日のコミュで始末しろって朝倉が言ってきとるって。」
「ええ。」
「あいつらがあそこからおらんくなると、誰があそこを仕切るんです?」
「それは…。」
「共同代表の村井ですわ。」
神谷は黙った。
「村井が下間より上の立場の人間から何かの指示を受けたらどうすると思います?」
「それは…。」
「あいつらは上の命令には絶対に逆らえない。逆らえばそれは死を意味する。」

<突如もたらされた少年の身元>
X氏は続ける。
「Mはあの事件を後悔していた。結果として目撃者と船員の生命が失われた。Mは事件後Sに何度も聴取をとるが決め手にかけた。結局は目撃者が見たとする少年を捕まえないと重要な情報を得られないと判断したMは、地道に情報を集めた。しかしそれは暗礁に乗り上げていた。だが、その流れが変わった出来事があった。彼の捜査は予期せぬところで進展を見せる。当時石川電力の役員であった長尾との出会いだ。」
彼は東京第一大学工学部を卒業し商務省に入省。産業情報政策局電力安全課配属。その後電力畑をめぐって石川電力に天下った。ある日この長尾がMに接触を図ってきた。要件は能登第一原子力発電所の稼働に反対するSについて興味深い情報があるとのことだった。Mは長尾からもたらされた情報に唖然とする。
事件後間もなくして東京第一大学にひとりの少年が入学してきたが、その少年の保証人にSの名前があったのである。しかもその少年の名前は仁川征爾。瀬嶺村の仁川征爾と同姓同名であるというのだ。長尾はこの情報をMに提供する見返りに、Sへの監視を強化し、能登イチ周辺の住民の分断活動をするSの動向を封じ込めて欲しいと依頼してきた。Mは警察官としては協力しかねるが、個人としては協力すると言って長尾と結んだ。
すぐさまMは東京に立ち、仁川を尾行。住居を突き止める。ゴミから仁川のDNA付着していそうなもの何点か押収し、それを分析に出した。そこである事実が判明する。DNAの型がSのものと酷似していたのである。
X氏はこう言う。
「結果的に仁川はSの子どもだった。Sには2人の子どもがいる。そのうちのひとりということだ。そしてもう一人の子どもも今、背乗りして日本に潜伏している。」

これがX氏が私にいま話してくれたツヴァイスタンの工作活動の一例だ。放たれたスパイはこのように我が国に潜入し、世論を分断させるべく活動している。彼らは左右両方に協力者を募り、それらを巧みに操縦し、自国の利益に繋がるよう活動をしている。この背景を踏まえた上で再び熨子山事件に戻って記事を書くこととする。

「ピンポイントでバレちゃってるわね…。」
麗の言葉に車内は沈黙した。
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2016年08月08日

106.2 第百三話 後半



先の記事でツヴァイスタンの工作員が登場した。彼は鍋島惇への資金提供を行い、日本国内での協力者(エージェント)として利用した。熨子山事件から横道に逸れるようだが、これを機に今一度ツヴァイスタンと言う国と工作員(スパイ)についての記事を書きたい。
<ツヴァイスタンとスパイ防止法>
ツヴァイスタン民主主義人民共和国は中央アジアの共産国だ。一党独裁の政治体制を敷く共産国ネットワーク(通称CN)の主要国でもあり、基本的に自由主義経済権との国交はない。
ツヴァイスタンは自由主義陣営を敵視し、ことあるごとに自国の政策の失敗を自由主義圏の陰謀によるものとし、自国民を煽っている。この敵視政策で最も問題なのが我が国日本が主導して共産国に陰謀を張り巡らしていると定義していることにある。
ツヴァイスタンの我が国に対する工作活動は8年前の東京地下鉄爆破テロ未遂事件が記憶に新しい。テロの実行部隊は国際テロ組織ウ・ダバ。東京に地下鉄で同時多発的に爆発を起こして首都を混乱に陥れることを企図したものだった。しかし当時の公安はこれを未然に防いだ。その後捜査が進むに連れて明らかになってきたことがあった。ウ・ダバはツヴァイスタンからの多額の資金援助を受け、あの国からと指令を受けてこの事件を計画していたのである。この事実を踏まえ、時の政府はインテリジェンス機能の強化のためのスパイ防止法案を国会に提出。外国からの工作活動を封じ込めるための手を打とうとした。しかしこれに左派である野党が猛烈に反対した。国民の人権侵害に繋がるおそれがあるというのである。
野党の反対は想定の範囲内だった。しかし思わぬところからも反対意見が噴出した。法案を提出した当の与党内部からスパイ防止法の信義は一旦見送ろうという意見が出てきたのですある。
X氏はこういう。
「野党は与党の反対のことをするためにその存在意義がある。一方与党は政権を維持することに存在意義がある。そう考えると土壇場で味方であるはずの与党内部から土壇場で反対意見が噴出するのも理解できる。」
現在もそうだが、当時は日本の近隣諸国、とりわけ共産国の経済的台頭が目立ってきた時期だった。当時の日本はそれらの国の経済成長に乗っかる外需依存型の経済政策をとっていた。スパイ防止法はツヴァイスタンのような共産国からのスパイを取り締まるためのもの。この成立はそれら共産圏の国々の反発を買う。反発を買えば友好関係は棄損され、経済にも悪影響が及ぼされる。経済に悪影響がでれば票を失う。票を失えば政権の維持は難しくなる。
野党は人権、与党は経済とか票。その手の議論が国会内を覆い尽くし、気が付くとスパイ防止法議論からツヴァイスタンという存在は掻き消えていた。
「スパイ防止法が成立して誰が困るか。スパイ防止法が廃案になって誰が喜ぶか。」
このX氏の問いかけはシンプルであり核心を突いている。一般的な常識を持っていればこの解は直ぐに導き出せる。そうスパイである。そしてそのスパイに指令を出す敵対勢力である。
「当時すでに政治家や政権中枢にツヴァイスタンのエージェントが多数入り込んでいた。だから土壇場で論点を逸らして与党内の切り崩しが行われた。気が付くとツヴァイスタンのツの字も出てこない議論がそこにあった。」
X氏はこう私に漏らした。
これが事実であるとすらなば、政権中枢にすでにスパイの手が入っていながら、当時の国会はそれを排除することを拒否した。そしてあろうことかスパイ活動自体にお墨付きを与えてしまったということになる。
日本は間もなく戦後70年を迎える。日本の軍部が近隣諸国に侵略戦争をしかけ多大な迷惑をかけた結果、世界の反感を買い結果として日本は敗戦。国土は焦土と化した。日本はアメリカに負け、アメリカが勝利を収めたという見方が一般的である。しかしそれは本当のことだろうか。戦後の世界地図を見てみよう。朝鮮半島では北朝鮮、支那大陸では中国共産党、東南アジア諸国にも次々と共産国が樹立した。ヨーロッパ諸国でも共産国が多数誕生している。世界地図の多くが赤色に染まった。結果を見れば自由主義を標榜するアメリカも敗者であるといえるのではないだろうか。
戦前日本の中枢にはコミンテルン(共産党の国際機関 別名第三インターナショナル)が入り込んでおり、この勢力が巧みに日本を泥沼の戦争に引きずり込んでいったとされる説がある。日本の脅威はあくまでもソ連であった。しかしいつの間にかその矛先は支那事変の拡大、南進、アメリカへと変わった。結果日本はソ連とは真逆の方向に戦線を拡大。ソ連は日米双方が消耗しきったところで、参戦。火事場泥棒的にまんまと数多くの国々を自国の影響下に置くことに成功した。この現象は毛沢東が言ったとされる砕氷船テーゼをそのまま具現化したようなものである。
スパイ防止法廃案の流れもこのようなコミンテルンの策謀に似たような現象が起こっているのではないかとX氏は危惧する。
X氏はヴァイスタンの工作活動は現在でも活発であり、8年前のものよりも現在のほうがはるかに影響力は強いと言う。
ツヴァイスタンによる我が国への浸透工作の状況を危惧した彼は、私にあの国が具体的にどういった形で工作活動を行うのかの一例を教えてくれた。
<福井県の失踪した人物>
20年前、近畿地方の山間で土石流災害が発生した。日本の伝統的農業を継承し、牧歌的風景が評価される景色を有していたその地域は、カメラ愛好家の中で人気の場所であった。土石流はこの素晴らしい景色のすべてを破壊した。そして当時の住人と、その景色を抑えるために訪れていたカメラ愛好家の命を奪った。
土石流災害の死者行方不明者は8名。この中にいまだ行方不明の人物がいる。それが仁川征爾という当時高校生だった人物だ。
福井県の人里離れた山奥に瀬嶺村という廃村になった村がある。ここに残留孤児である仁川征爾の父親は辿り着いた。当時の地主は残留孤児の悲惨な状況を憂いて仁川の引き受けを買って出た。地主は彼に住まいを提供し日本語を教えた。仁川の父は勤勉で頭もよくわずか2年で日本語を習得、地元の工場にも勤務し、そこで日本人の女性と出会って征爾が生まれた。
征爾は写真が趣味だった。それはカメラ愛好家の父の影響によるものである。征爾は牛乳配達や新聞配達のアルバイトをして、フィルム代などを捻出して暇さえあれば父のお下がりのカメラで写真を撮った。その腕前はなかなかのもので、地域の新聞社が主催する写真コンテストで入賞するほどであった。当時の嶺南新聞の記事を見つけたのでここに貼っておく。
征爾はコツコツ貯めた金を使って時々遠征をするようになる。遠征先で見る新しい景色と向き合うことで征爾は腕に磨きをかけていくのであった。
しかしそんな中、彼は遠征先で運悪く土石流災害に遭う。
災害が起こっていつまでたっても征爾の安否が明らかにならないことに両親は精神的に追い詰められた。心労がたたったのかそれから間もなく事故で父親と母親が死亡する。
残留孤児という社会的ハンデを克服し、なんとか日本社会で再起を図ろうとしたひとつの家族の血がここで絶えることとなってしまった。私はこの取材を通して当時の地主から依頼されたことがある。未だ征爾は行方不明。せめてこの安否だけははっきりさせて欲しい。もしも何らかの形で征爾が生き延びているならば、彼の父が使っていたカメラを使って、その姿を映してくれと。私は地主から仁川の遺品であるカメラを預かった。
災害から20年。人々の記憶からあの悲惨な情景は消えつつある。そんな中で私個人の力で征爾の安否をはっきりさせるのは難しい。私はダメ元でX氏に協力を仰いだ。意外にも彼は私の依頼をすんなりと引き受けてくれた。私は彼に仁川のカメラを託した。それから数日後、X氏は私にこう言った。
「仁川征爾は生きている。しかしその人間は土石流で行方不明になった仁川征爾ではない。」
X氏の言葉の意味がわからない私は戸惑った。彼は続けてこう言う。
「背乗り。ツヴァイスタンがよくやる手口だ。」
背乗りとは戸籍を乗っ取ることで、その人物になりすます行為を指す。X氏は仁川征爾を名乗る男の写真を携帯で撮って私に送ってきた。私は先ほどの嶺南新聞の仁川征爾の写真とそれを見比べた。結論は全くの別人である。
X氏は現在の仁川征爾の情報を私にもたらしてくれた。福井県出身。38歳。東京第一大学卒業後、大手商社に勤務。現在石川県の人材派遣会社の社長であるそうだ。
<仁川両親の死の謎>
さらにX氏は衝撃的な事実を明かす。
「仁川征爾の両親は事故死とされるがそれは嘘だ。事故に見せかけて殺された。」
征爾の両親は自宅近くのカーブが続く道でハンドル操作を誤って、車ごと崖から転落した。一見ありそうな事故であるが不可解な状況が記録されているという。当時の現場の状況を示す資料を見るとブレーキを踏んだ跡がないとのことなのだ。通い慣れた自宅近くの道での事故にも関わらず、危険回避動作が全くされていない。これは地主も同じことを話していた。そのため子供の安否がわからないことを苦にした仁川が、妻とともに心中を図ったのでないかと噂されていた。しかしX氏はこれを殺人であると断じる。
瀬嶺村は若狭湾の山間の集落。ここは原子力発電所の集積地で、原発銀座とも言われる。度重なる不幸が仁川家に押し寄せたそのころ、この辺りは原発の新規建設ラッシュであった。幾つもの半島からなるこの若狭湾地方は原発誘致によってヒト・モノ・カネが集まりだした。原発は我が国の科学技術の粋を集めたもので、産業スパイが入り込まないよう当時の公安は警戒をしていた。そこで公安はある人物の存在を確認する。この人物を仮にSとしよう。
原子力工学の専門家であるSがこの時期に若狭湾周辺にいることは何の不思議もないことだった。何故Sが公安にマークされていたか。そうツヴァイスタンへの渡航歴があったためだ。日本を敵視する国交のない国ツヴァイスタンを行き来する人間。これには必然的にスパイの疑いがかけられる。
「当時ある空き家から乱数表が発見されたり、不審な船を目撃したとか、妙な短波放送が飛んでいるといった報告が寄せられていた。」
X氏はこう言って持論を展開する。
当時、若狭湾周辺はSだけでなく他にもスパイは複数いた。それらは辺りのめぼしい住民に金を渡し、協力者(エージェント)として取り込んだ。なぜ彼らは協力者を募るのか。それはスパイ自身が動くといろいろと足がつきやすいためだ。あくまでも実行部隊は現地協力者。むしろスパイ自身は主にそれらを組織して監督・調整をするほうに活動の主軸を置く。仮に特定のコミュニティの内部情報を得たいとする。その場合、スパイ自身がそこに乗り込んで自ら情報を仕入れるような真似はしない。そのコミュニティにすでにつながりがある人間にスパイが接触。その人間と信頼関係を構築し協力者とする。そして協力者に情報を獲ってきてもらうと言った具合だ。
仁川は事故当日、自分の車を自動車修理工場に入れている。その時の修理記録はエンジンオイルの交換と各種点検だ。そんな整備済みの車が突如ブレーキの不具合などを起こす可能性は低い。当時の警察の記録はブレーキオイルが全くない状況だったとの記載があるが、前後関係を考えてそんなことがはたしてあり得るだろうか。仮にそれが事実だとすると、その修理工場が車の走行中徐々にオイルが抜ける細工を施したとしか考えられない。当時Sをはじめとするスパイが若狭湾周辺に潜伏して現地協力者を組織していた。仮にこの修理工場が協力者だったら…と考えると身の毛もよだつ。その修理工場は仁川の事故後暫くして店をたたみ、経営者家族はどこかに行方をくらました。仁川家の存在はこの事件を持って世間から消し去られたのである。

「待って…。この記事にあるSって…。」
相馬は唾を飲み込んだ。
「おい。相馬おめぇこんな時に何携帯なんか見とれんて。」
「まて...まてま…長谷部。お前もこれ読んでみぃま…。」
「あん?」
車を止めた長谷部は携帯を手にして相馬同様「ほんまごと」を麗と一緒に読み始めた。
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106.1 第百三話 前半



「片倉邸から出てきた周と京子は、相馬の家に入りました。」
「そうか。」
「片倉邸の警備はどうしますか。」
「カラの家の警備は必要ないだろう。」
「では撤収させます。」
警察庁の一室にいた松永は耳に装着していたイヤホンを一旦外し、小指で中をカリカリと掻いた。
「理事官。」
一緒に部屋に居た部下が彼の名前を呼んだ。
「どうした。」
「現場が動き始めたようです。」
「おう。」
松永は再度イヤホンを装着した。
「熨子山事件に関する記事がアップされはじめ、それがSNSによって石川県を中心に拡散が始まっています。」
「熨子山事件だと?」
「ええ。ほんまごとというブログです。」
「ほんまごと…。北陸新聞テレビの黒田か…。片倉の奴賭けに出たな。」
「これはどういうことなんですか。」
「詮索無用。俺は現場から報告を受けている。」
「ですがこれ…あの事件の核心をついたネタばっかりです。藤堂、いや鍋島の生存と潜伏情報まで開示しています。」
「いいんだ。市民への注意喚起だ。」
「しかし拡散がひとたび始まると、いずれそれは全国的に広がりかねません。」
「心配はない。そのあたりは厳選されたインルフエンサーに一次拡散を仕掛けることになっている。石川県中心に影響力をもつ連中にな。」
「そうですか…。」
「それにな。世の中の大多数は熨子山事件のことなんて興味ない。そんな事件あったっけ?ってもんだ。いくら拡散希望と銘打って極めて真実に近い情報が書かれたリンクを貼ったところで、そこを踏むなんて行動はしない。しかし地元の人間は違う。地方都市であれほどの事件なんてそうそう発生しない。あの時リアルタイムで熨子山事件の報道に接していた石川の連中はかなりの確率でそれを見るだろう。」
「二次・三次と情報が伝播したところで、その拡散の範囲は限定されるってことですか。」
「ああ。だがそんな情報でも何となくリンク先を踏んで、そこにあるほんまごとを読む連中は全国に一定の割合で現れる。そこで事の重大さを知ったそいつらがまた拡散。結果的にはお前が言ったように全国的にほんまごとは拡散するかもな。」
「なるほど。その一定の時間を経て拡散というところに理事官の意図するところがあるんですね。」
「ふっ…俺じゃない。現場の判断だ。」
部下は含み笑いをした。
「こちら相馬邸。」
無線が聞こえたため、松永も部屋にいる者も一瞬にして険しい顔になった。
「なんだ。」
「車が1台、家の前に横付けされました。」
「なに?」
「あ…。」
「どうした。」
「し…しもつま…。」
「下間?」
「えぇ…。」
「下間ってどの?」
「麗です。下間麗が助手席に乗っています。」
「何だと…。」
「直ぐ送ります。」
ものの5秒程度で部下の前にあるパソコンに現場の状況が動画で送られてきた。それを見た松永は唾を飲み込んだ。
「本当だ…。」
映像を補足するように現場から無線が入る。
「運転席には周の友人、長谷部。あ…家から周と京子が出てきました。」
映像の2人はそのまま長谷部の車の後部座席に乗り込んだ。
「理事官。」
「付けろ。」
「了解。」
ハザードランプを消した車は2人を載せその場から走り去っていった。
「しまった…。周の友人か…。ノーマークだ…。」
「どうします。理事官。」
「片倉には言うな。いまここで奴に動揺されては困る。」
「は…はい。」
「拉致とはまだ決まっていない。現場が付けている。奴らを信じよう。」
腕を組んだ松永は部屋の中を歩き出した。

無言で車に乗り込んだ相馬と京子は車内においても口を噤んだままであった。
2人の視線は下間麗の後ろ姿にある。今日の彼女は髪をおろし、地味目の服装の普段の彼女だ。
「相馬、京子ちゃん。」
沈黙を破ったのは長谷部だった。
「いま俺の隣りに座っとるのは岩崎さんじゃない。」
相馬と京子はお互いを見合って頷いた。そして相馬が白々しく長谷部に答えた。
「は?」
黙ってしまった長谷部はなかなか続きを話さない。
「え?…お前…何なん…。何意味わからんこと言っとれんて。まさかここ最近の暑さで頭やられた、いや、岩崎さんと良い感じになって頭おかしくなったんじゃねぇが。」
「ちょっと…周…言い過ぎよ。」
京子が窘めた。
「わりぃ相馬。頭おかしくなったんやったらほんでいいんや。」
「え?」
「でも違うんやわ。俺の隣りに座っとるのは岩崎さんじゃない。」
「おいおい…じゃあ何やって言うんやって。」
「シモツマレイ。」
「はぁ?」
やはり長谷部は知ってしまったようだ。しかしどういった経緯で彼はその事実を知ったというのか。とりあえず相馬はこの場は長谷部に合わせて様子を探ることにした。
「あの…そんな意味不明なことで俺ら呼び出したんけ。長谷部…お前だけなら良いけど、当の本人がそこにおれんぞ。付き合ったなんりなんに失礼やと思わんがか?」
「そりゃ失礼やわいや。俺が言うことがただの冗談なら。」
岩崎は黙ったままである。
「え…。岩崎さん…?」
彼女は返事をしない。
「俺の隣に座っとるのは岩崎香織じゃない。下間麗って子や。」
「し・も・つ・ま…?」
「ああ。石大の下間芳夫教授の娘さん。」
「ちょいちょいちょい…。」
「ついでに言うと下間さんは日本人じゃない。」
「え?」
一色の手紙には書かれていなかった情報が長谷部の口から出てきたことに驚いた相馬は、思わず京子を見た。京子のほうも驚きを隠せない様子である。
「ツヴァイスタン。」
「ツ…ツヴァイスタン?」
相馬に衝撃が走った。
「岩崎香織って架空の人間に成りすまして、ツヴァイスタンからこの日本に密入国したんや。」
「え…。ってか…ツヴァイスタン?」
「ああ。日本と国交のない共産党一党独裁の世界でも異色な国。本当のことやから下間さんは黙っとる…。」
麗は反論も何もせずにただ流れ行く景色を窓から見つめている。
「俺だって信じられん…けど、本人から聞いたんや。本人の言葉を信じられんがやったら、俺らの関係なんて成り立たん。」
「…。」
「相馬。京子ちゃん。別に俺を信じろなんて言わん。けど下間さんだけは信じてやってくれ。」
さっきまで2人は「ほんまごと」の記事を読み、熨子山事件にツヴァイスタンの工作員が深く関与していたという情報に接している。目の前にいるこの女性もまさかそのツヴァイスタンの工作員のひとりだとでも言うのか。2人は困惑した。
「ほんでお前…受け止めきれるかわからんって…。」
「あぁ。」
好きになってしまった女性が身分を偽るどころか、ツヴァイスタンの工作員の疑いがある。長谷部が気持ちの整理ができないのも至極理解できる。
「なんで下間さんが誰かになりすましてここにおるか。」
彼女がツヴァイスタンの工作員だとするとその動機はひとつしかない。なんらかの命令でここ日本に工作活動をするためにやって来た。一色の手紙には彼女は重たい十字架を背負っているとの言葉があったが、それはツヴァイスタンという背景を指したものだったのかもしれない。
「或る男によって下間家が支配されとるから。」
「或る男が支配?下間家を?」
「おう。」
「え…特定の誰かがその…し・しもつまさん家をいいように操っとるってか?」
「ほうや。」
ツヴァイスタンという国家的なものではなく、個人によって下間は支配されているというのか。
「人質が取られとるんや。」
「人質?」
「ほら相馬。あのツヴァイスタンって国の報道とか見たことあるやろ。」
「ああ。テレビとかで。」
「本人前にして言うのも何やけど、あの国は報道で見る限り未だに中世の世の中みたいなところや。執行部とかって言われとる党の上層部の判断に異を唱えれば即刻死刑。もちろん裁判も何もない。裁くための法律すらろくに整備されとらん。」
「そうらしいな。」
「逆を言えば、党に気に入られさえすればトントン拍子に出世。」
「おう。」
「下間さんはそんなあの国で党に気に入られようとした或る男によって利用された。」
「え…?」
「下間さんのお父さんはある日党の命令で日本へ渡ることになり、家から姿を消した。そこで或る男が下間家に接近。一家の大黒柱が不在の下間家に経済的人的援助をした。その後、病気がちの母親を最高水準の医療を提供する病院へ入院させ、医療介護の保証を買って出る。つまり父親不在時の面倒の一切をみることを引き受けた。しかし他人の面倒を無条件に見るほど、立派な人間はそうはいない。この男もそうやった。」
「どういうことや。」
「あの国の病院ってやつはすべて党の統制下に置かれとる。つまりそれは言い方を変えれば党に常時人質に取られとる状態。もしも党の命令に背くようなことがあれば、いつでも入院中の母親の医療行為を停止することができる。」
「え?」
「或る男が病院の斡旋をした。つまり或る男は下間さんの母親の生殺与奪権を事実上その時点で握ったことになる。」
「…。」
「もしも下間家の人間が或る男に楯突いたとする。或る男が俺に楯突くのは党に楯突くのと同じやって言って、有る事無い事党にチクったらどうなる?」
「それは…。」
「…そういうことや。」
この時携帯が震えたため、京子はそれを手にとった。
画面には至急報2の文字が表示されている。ほんまごとの更新が成されたようだ。彼女は長谷部と相馬のやり取りに耳を傾けながら、携帯に目を落とした。
「それ以降、下間家は或る男の支配下に置かれ、そいつの手柄を演出するために生きた。その一環として下間さんがここ日本に居るっていう現状がある。」
ツヴァイスタンと言う国は自国で養成したスパイを西側諸国に放ち、敵対国への工作活動を活発に行なっているということは報道で誰もが知るところである。
「ツヴァイスタンの工作員ってやつか…。」
この相馬の言葉を受けて長谷部はしばらく沈黙し、ゆっくりと頷いた。
「下間さんの働きは或る男の手柄。或る男は手柄を得てあそこの党の主要なポジションを得ることができるってサイクル。」
「んな…だらな…。」
長谷部はため息をついた。
「そこで本題や。」
「え…なに…?」
「その或る男って奴から、下間さんを助けてやりたい。」
「は?」
何を言ってるんだ。そもそも下間の母親はツヴァイスタンという未開の国にいる。日本と国交すらない国だ。その中で起こっている問題をどう解決せよというのだ。それに或る男が下間の母親を事実上人質にとっていると言え、背景にツヴァイスタンという国家がある。個人が国家に対抗するとでも言うのか。しかも国境を超えて。現実離れした長谷部の思いに相馬は半ばあきれた顔をした。
「幸いその或る男はいま、ここ日本に居る。」
「え?」
「しかも金沢に。」
「金沢?」
「おう。」
「え…どういうこと?」
長谷部は助手席の麗からスケッチブックを受け取り、それを相馬に手渡した。
そこにはあごひげを蓄えた中年男性が一筆書きのようなタッチで描かれている。
「今川惟幾。ドットメディカルCIO。」
「え?」
「こいつから下間さんを助けてやりたい。相馬、力を貸してくれ。」
「え…どうやって…。」
「わからん。わからんからお前に相談しとる。」
「ちょ…。」
相馬は戸惑った。
「ちょっと周…。」
戸惑いと混乱が彼の心理をかき乱す中、隣りに座る京子が相馬に声をかけた。
「なに…。」
「これ…。」
京子は相馬に携帯を渡そうとする。
「え…携帯?ちょ...京子ちゃん。それいま見んなんけ。」
「うん...。タイムリーなこと書かれとる。」
「タイムリー?」
「ほんまごと。」
「え…。」
携帯を渡された相馬はそれに目を落とした。
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2016年08月01日

105.2 第百二話 後半



21時になろうとするドットメディカルの一室にはまだ明かりが灯っていた。
パソコンと向き合う今川は時折送られてくるユニコードを変換し、それに返信をする作業をしていた。

Это тот факт, что Юрий знает о местонахождении Набэсима.
ユーリは鍋島の居場所を把握しているということだな。

возможно
おそらくは。

Является ли капитан знает подробности?
キャプテンはその詳細を把握しているのか

Нет
いいえ

汗を拭った今川は大きく息を吐いて天を仰いだ。
ー執行部はどうすると言うんだ…。このまま放っておけば悠里は期限までに何らかの方法で鍋島を片付ける。それが執行部にとっては面白く無いんじゃなかったのか?
今川はパソコンの画面を見た。
ーさっきから執行部は悠里の周辺状況を聞くだけで、鍋島排除の停止命令を発してこない。執行部からストップがかかればいつでも悠里にその命令を言い渡せるのに…いったい何を企んでる…。
再びメールが届いた。

План после даты Набэсима исключения?
鍋島排除の期日後の計画は?

Запустите пример массива
例のアレを実行します

"Пример"?
例の?

Ни в коем случае не делать этого тоже не знаете?
まさかこれもご存知でないのですか?

Не слушайте.
聞いていない

今川の額から再び大量の汗が吹き出していた。
ーなんで…。なんでこんな大事なことを…。
矢先、彼の懐にある携帯電話が震えた。画面に表示される文字を見て、それを取り出した今川の手は震えだした。
「キャプテン…。」
今川は無意識のうちにキーボードを叩いていた。

Существует телефонный звонок от капитана. Как I.
キャプテンから電話あり。どうすればいいですか。

Я из
出るんだ。

深呼吸をした今川は電話に出た。
「はい。」
「…どうした。声に元気が無いぞ。」
「あ…いえ…ちょっと仕事が…。」
「そうか。」
「ええ…。」
「鍋島の件はどうだ。」
「下間に任せてあります。」
「その後の手筈は。」
「え?」
朝倉はため息をついた。
「言っただろう蜥蜴になれと。」
「…。」
「先の先を読まないことには後手に回るぞ。」
「先の先…。」
「明日だろ。」
「…ええ。」
「あれが起こされてからだと尻尾は切りにくくなる。」
「しかし…悠里や麗が居ないことには、コミュの実働隊の統率が取れません。」
「確かにな。だがこういうのはどうだろう。」
「なんでしょう。」
「その明日のコミュに突如反乱分子が侵入。何らかの形でその場で悠里と麗がその輩に殺されるってことになれば。」
「え?」
「どうだ。」
今川の手は再び震えだした。
「目の前で運動のシンボル的な存在が無法者によって殺害される。それに怒り狂った一部の狂信的な者たちがかねてより悠里の指示で準備していた行動を実行に移す。」
「え…。」
「どうだ。いいシナリオだと思わないか。」
「し…しかし…。」
「お前の秘密を知る3人のうち2人は見事綺麗に掃除され、あとに残るのは下間芳夫のみ。」
「下間ひとりはお前の手でなんとかなるだろう。」
「そ…それは…。」
「コミュには村井とかという男が居る。こいつは悠里の狂信的な信者だ。悠里の意志を引き継いでコミュを統率できる力を持っている。明日のコミュの決起に関しては問題はなかろう。」
「…。」
「問題はその掃除屋に誰をあてがうか…。」
「…。」
「どうした今川。何黙っている。」
「…いえ。キャプテンのあまりもの深謀遠慮でしたので…。」
「それは額面通り褒め言葉として受け止めてもいいのか?」
「…はい。」
朝倉はクスクスと笑った。
「今川。熊崎を使え。」
「は?」
「悠里ほどの実力をもった人間を確実に葬れる人間は限られている。その手の人材をカタギに見出すのは難しい。ときにはシノギの力を借りるのも良いだろう。」
「仁熊会ですか…。」
「ああ。直ぐに手筈を整えろ。あいつらも準備ってものがあるだろうからな。」
「かしこまりました。」
「後は明日の決行を待つだけだ。」
「…キャプテン。」
「なんだ。」
「…片倉の件は。」
「順調だ。これも明日こっちに来るようになっている。」
「こっちに?東京にですか?」
「ああ。貴様から送られてきた画像が示すように、あいつの精神はギリギリの状態だったようだ。」
「と言うことは。」
「ああ籠絡した。明日、県警の公安部隊は隙だらけになる。」
「…。」
「面白いことになるぞ。」
こう言い残して電話は切られた。それと同時期に再びメールが届いた。

Отчеты белый.
報告しろ。

Инструкция по делу урегулирования Юрия и Рей в завтрашнем сообществе.
明日のコミュで悠里と麗を始末せよとの指令。

Что вы будете делать?
お前がやるのか

Нет. Летучая колонна.
いいえ別働隊に

Летучая колонна?
別働隊?

Да. Jin'yuukai.
はい。仁熊会です。

Было найдено. После того, как Оставьте его здесь.
わかった。後はこっちに任せろ。

Как мне меня.
私はどうすれば?

Мы продолжаем ждать.
引き続き待機。

постижение
了解。

メールのやり取りは終わった。
ー仁熊会への手配はどうすればいいんだ。朝倉から熊崎へ確認が入ったら、俺のサボタージュがバレる…。だが執行部は任せろと言ってる…。あぁ…俺はどうすればいいんだ…。
今川は頭を抱えた。
ー下間一族を消せだと…。あいつはどこまで非情なんだ…。この調子だといずれ俺も…。
ふと彼は窓に映り込む自分の姿に目が行った。
数日前の自分の顔と比較して頬はげっそりとし、目の下が腫れ上がっている。明らかにやつれた様子だ。
「なんだ…これが俺か…。」
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105.1 第百二話 前半



「え…い・岩崎さん?」
横に座っていた京子は相馬の第一声に驚きを隠せない様子だ。
「あ…おじゃましました。」
相馬は電話を切ろうとした。
「待って。」
「え?」
「…ありがとう。」
「え…。」
「相馬くんが言ったとおり、自分だけを見てくれる人に私の思ってること話した。」
「あ…おう…。」
京子が相馬の顔を覗き込む。彼は彼女に頷いてみせた。
「けど…。」
「けど?」
「彼…私の隣で戸惑ってる。」
「…え…ちょ…待って…。」
どういうことだ。自分の思いを告げたならば後はその返事を聞くだけだ。まさかこの展開は土壇場で長谷部が岩崎を受け入れることが出来ないとの判断を下したためのものとでも言うのか。相馬は言葉に詰まった。
「それだけ。ついでだから相馬くんに報告しとこうと思って。長谷部君に替わるわね。」
自分はよりによって岩崎の告白のタイミングで長谷部に電話をかけてしまったというのか。相馬は気まずくなった。しかしそれにしても何故、その最悪なタイミングでかけた電話に長谷部ではなく岩崎が出たのだろうか。
「おう…相馬…。」
「わりい長谷部。俺電話切るわ。」
「待てま。」
「え?」
「ありがとう。」
わけがわからない。岩崎も長谷部もなぜ自分に礼を言うのか。
「よく分からんけど、お前、俺のこと彼女に推してくれとってんな。」
「…あ…。」
「本当にありがとう。おかげで俺は彼女の気持ちとかいろいろ聞くことができた。」
「おう…。」
「俺は彼女にできるだけのことをやってあげたいと思う。」
良かった。岩崎からの告白は成功のようである。胸をなでおろした相馬は隣りに座る京子に再度頷いてみせた。
「けどな…。」
「あ?」
「本人前にしてここで言うのもなんやけど。正直、俺だけで受け止めきれるかわからん。」
「え?」
「わからんげん。…なぁ相馬…。」
「…なんや。」
「お前も力貸してくれんけ。」
「え?俺が?」
「ちょっと…相馬くんは関係ないじゃない。」
麗が横から口を挟んだ。
「いいから。黙って。」
「何で?だってそんなことしたら…。」
ちょっと待ってくれと言って携帯のマイクを指で抑えて彼は麗を見た。
「俺ひとりでそのイマガワって奴をどうこうできるなんて思えん。何をどうするのが下間さんにとってベストか、第三者の客観的なアドバイスがほしい。」
「でも…。」
「下間さん。俺は君をなんとかしたいんや。」
長谷部の真剣な眼差しに麗は黙った。
「相馬ってああ見えて大局観とかけっこう良いげんて。んでそん中で自分がどう立ち振る舞えばいいかの判断が優れとる。こういう奴は情勢を客観的に見る力に優れとる。俺はいま冷静に物事を考えられる状態にない。ほやからあいつの力を借りたい。」
「でもそれって、私がいま長谷部君に言ったこと…相馬くんにもって話じゃない?」
長谷部は頷く。
「だってイマガワって奴はその家政婦の息子に何の躊躇いもなく二発の銃弾を撃ち込むことができる恐ろしいやつねんろ。そんな奴相手に俺らみたいな素人がなんかできるとは思えん。」
「…どういうこと?」
「ちゃんとした人の力を借りんといかん話や。」
「ちゃんとした?」
「うん。」
「え?それってどういうこと?」
「警察の力を借りる。」
「え?」
麗の身体が硬直した。
「ほら京子ちゃんおるやろ。」
「う…うん…。」
「あの子の親父さん県警のそこそこのポジションやったはずや。」
「え?」
「相馬も京子ちゃんももともと剣道部で警察の人に知り合いが居るとかおらんとか言っとったくらいやから、なんかのツテがあるはずや。そこを頼るのもいいかもしれん。」
「警察…。」
麗の顔が青ざめた。
「どうしたん?」
「まさか…片倉って…。」
「え?何?下間さん京子ちゃんの親父さんのこと知っとらん?」
「あ…いえ…別に…。」
「とにかく可能性がある方に協力を仰ぐのが一番やと思う。」
長谷部は携帯を再び耳に当てた。
麗の方は半ば呆然とした様子である。
「そんな…。」
「あぁ相馬すまん。いまお前どこにおらん。」
「俺?俺はその…。」
「どこいや。」
「あの…京子ちゃん家…。」
「へ?」
長谷部は素っ頓狂な声を出してしまった。
「悪いか…。」
「い・いや…別に…。」
電話の向こう側の意外なシチュエーションに長谷部はドギマギした。しかし彼は何かを閃いたのか思わず手を叩いた。
「ってことはそこに京子ちゃん居れんな。」
「あ…ああ。」
「こいつは願ったり叶ったり。」
「あん?」
「お前ら2人、今からちょっとだけ身体貸してくれんけ。」
「今から?」
「おう。どうしても力貸して欲しいげんて。」
「どういう力ぃや。」
「知恵とコネ。」
「知恵とコネ?」
「確か京子ちゃんの家ってお前の家の近所って言っとったな。俺、彼女の家知らんし、お前んち今から行くから頼む。」
そう言って長谷部は一方的に電話を切り、サイドブレーキを降ろしてアクセルを踏み込んだ。
「警察…。」
再びこの単語を漏らした麗の表情は浮かないものである。
「下間さん。君はツヴァイスタンの人間。どういう経緯でその国交のない国の人が岩崎香織っていう別人を語ってここに居るのはわからん。けどそれは明らかにマズいことや。」
「…。」
「法律の云々は俺は良くは分からんけど、警察にこれがバレたら君は多分強制送還とかなんかになる。」
「長谷部君…あなた…私を警察に売ろうってわけ…。」
「違う。それ以前に君にはイマガワっていう恐ろしい重しがある。何の躊躇いもなく家政婦の息子に二発の銃弾を撃つことができるような奴や。ある意味ヤクザなんかよりもたちが悪い。まずはこの危険なものから君を遠ざけて、安全を確保せんといかん。」
「そんなこと言ったって…。」
「何言っとれんて!下間さんに何かがあったら元も子もないやろ!」
長谷部は麗を一喝した。
「下間さん。なんで俺に自分の生い立ちのこと喋ったん。」
「え?」
「正直疲れとれんろ。岩崎香織を演じるのが。」
「…。」
「正直、さっきの話は未だに信じられん。でも…反面嬉しい。」
「嬉しい?」
「だって仮面をとってくれたんやから。本当の君を知ることができたんやから…。」
麗は沈黙した。
海側環状線にある長谷部の車は速度を上げた。

電話を切られた相馬は複雑な表情だった。
「長谷部どうやって?」
「今から俺ら迎えに来るって。」
「え?」
「あいつ京子ちゃんち知らんから俺んちに来るって。」
「何しに?」
「なんか分からん。でもなんかいつもと様子が違う。」
「どう。」
「本気で俺らを頼っとる。」
「俺ら?俺らって私も?」
相馬は頷く。
「なんで私も?」
「…多分、岩崎さんのことじゃないが。」
「岩崎さん?」
「うん。」
「え…まさか…あいつ香織ちゃんが下間の娘って…。」
「分からんよ。でもなんかそんな気がする。」
京子は腕を組んだ。
「それで知恵とコネか…。」
「知恵っていうのもよく分からんけど、コネって…。」
「周のコネってアレじゃないが。」
「あん?」
「ほらテレビ。」
「あ・おう。」
「さしずめ私は文脈から言ってお父さんの方面かな。」
「警察か…。」
「周ってバイト先の人と連絡とれらん?」
「まぁ一応。携帯は知っとる。京子ちゃんは?」
「…一応お父さんやし。」
「…行くか。」
時計を見た京子は相馬の誘いに頷いて応えた。
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2016年07月25日

104.2 第百一話 後半



ーツヴァイスタンの下間宅ー
「はぁはぁはぁはぁ…。」
息を切らす下間悠里の目の前には、家政婦とその子供の無残な遺体が転がっていた。
「に…兄さん…。」
悠里の背中に麗は声をかけた。
「来るな…はぁはぁ…。」
「兄さん…。」
「うるさい!!」
持っていた鍬を悠里は力なく床に落とした。
麗は悠里がいる部屋の様子を見た。あたり一面に血しぶきが飛び散っている。悠里にも大量の返り血のようなものが付着していた。
「お…お母さん…。」
「黙れ!!」
麗の身体が震え出していた。
その時である。家の扉が開かれた。振り返るとそこに男がひとり立っていた。
「イ…イマガワ…さん?」
男は麗の方をちらりと見て、そのまま立ち尽くす悠里の側に立った。
「良くやった。」
未だ息を切らす悠里の肩を叩いて彼はこう言った。
「この家政婦は党の規律に違反して幹部に賄賂を渡していた。それを自らの手で処分したお前は素晴らしい。」
「はぁはぁはぁ…。」
「これでお前は党のエリートコースを歩める。」
「え…?」
「特別学校だよ。おめでとう。」
「どういうことですか…。」
今川は横たわる遺体を覗き込んだ。そして手袋をはめ家政婦の胸元を調べた。
「ほうほう…几帳面にメモしてあるな。」
彼の手には一冊の手帳のようなものがあった。
「こっちから渡した金はほぼ全額幹部のところに行ってるか…。ミカイル、ヴィチャスラフ、ヤロポロフね…。これは物証になるな。」
「あの…。」
「これで奴らは俺の統制下に置くことができる。」
「え?」
立ち上がった今川は再び悠里を見た。
「特別学校のこと、お前知ってるよな。」
「…あ…はい…。」
「党に忠誠を誓う秘密警察養成学校。ここに入ることはその後の人生を約束されたと同じ意味を持つ。」
遺体に背を向けた今川は悠里の頭を撫でた。
「おめでとう。」
人を殺してしまったというのに自分が褒められ、祝福さえされていることに悠里は戸惑いしか感じなかった。
「え…でも…。」
「うん?どうした?」
「ぼ…僕は…人を…。」
「いいんだよ。これで。俺はお前を試した。」
「え…?」
「正確に言うと試験だ。」
「試験…?」
「ああ。特別学校の卒業要件のひとつに規律違反分子を自分の手で処分するというのがある。」
「え?」
「お前はその特別学校に入学する前に、自分の力で規律違反分子を調べあげ、処分まで成し遂げた。入学前に卒業要件を満たすなんて人材はなかなかいない。首席入学だな。」
「お…おれ…が…。」
「ああ。卒業すればお前は晴れてオフラーナ(秘密警察)の一員だ。」
瞬間、一定の距離をおいて二人のやり取りを呆然と見ていた麗が間に割って入った。
「麗…。」
彼女は床に転がる鍬をその小さな身体でもってなんとか持ち上げた。
「どうしたんだ…麗…。」
「なんだ…こいつ…。」
今川が訝しげな顔をした瞬間、彼女が手にする鍬は目の前に横たわる家政婦の息子の頭蓋めがけて振り下ろされた。
「麗っ!」
鈍い音が部屋に響くと同時に、床に広がった血だまりに足を滑らせて麗は転倒してしまった。
「麗っ!何やってんだ!」
悠里は咄嗟に彼女を抱きかかえた。その時である。彼の目に床に転がる一丁の拳銃が映りこんだ。
「え…。」
「こいつ…兄さん狙ってた…。」
胸元から拳銃を取り出した今川は消音化されたそれで、家政婦の息子の腹と頭部めがけて発砲した。またたく間の出来事だった。
「なんて子だ…。」
銃をしまった今川は座り込んで麗の顔を覗き込んだ。
「悠里もそうだが、麗。お前も相当見込みありだな。」
頭を撫でられた麗はその後のことをあまり覚えていない。

「え…それって…。」
「…長谷部君が今思ってるとおりよ。」
「そ…そんな…。」
「私も兄さん同様人殺し。」
自分の体から一気に血の気が引いていくのを長谷部は感じた。
「兄さんはそれから間もなく特別学校に入学して飛び級で卒業してオフラーナに入った。わたしは女だからあそこには入れないの。その代わりなのかわからないけど、次にあてがわれた男のお手伝いさんが私にいろいろ教えてくれた。お小遣いもいっぱい貰ったの。」
長谷部は無言である。
「わかったでしょ。」
「…え?」
「イマガワがすべての元凶なの。イマガワがウチに介入さえしなければ私も兄さんもこんなことになってなかった。」
「…。」
「後で分かったんだけど、父さんを日本での任務に従事させたのもイマガワだったの。」
「え?」
「留守になる下間家に家政婦を送り込んだのもイマガワ。それを始末させたのもイマガワ。不正を働いていた幹部連中を脅してツヴァイスタン内での地位を確率できたのもイマガワ。イマガワさえ居なければ私らは普通にあの国で生活できた。」
「何ねんて…それ…。」
「私の家は気づいたらイマガワの統制下に置かれてたってわけよ。」
長谷部は呆然とした。
「どう?話し合いでなんとかなる?」
「え…。」
「ねぇ話し合いでなんとかなる?」
「そ…それは…。」
麗はため息をついた。
「お願い…。なんとかなるって言って…。」
「え?」
「長谷部君しか頼れないの…。」
「そ…そんな…。」
再び長谷部の携帯電話が震えた。彼は無意識のうちにそれを手にした。
「あ…。」
相馬からの着信であった。
「相馬…。」
「え?相馬くん?」
「だめや…俺…今、とてもあいつの電話なんか出られん…。」
ポケットにしまおうとした矢先、それは麗によって奪われた。
「ああっ!」
受話ボタンを押下した麗は相馬からの電話に出てしまったのであった。
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104.1 第百一話 前半



「私の名前は下間麗。」
「は?しもつま?」
麗は頷く。
「下間って…本当にあの原子力工学の下間の…?」
「そうよ。そして私は日本人じゃない。私の国籍はツヴァイスタンなの。」
「ツヴァイスタン?ツヴァイスタンってあの…ツヴァイスタン?」
「そう。ツヴァイスタン人。日本とは国交を持っていない中央アジアの貧しい国よ。私はあそこで下間芳夫の娘として生まれた。」
長谷部の携帯が止まった。
「私の父さんも母さんもれっきとした日本人なんだけど、ある時期からツヴァイスタンに行っちゃって。私はそこで生まれた感じ。」
「ごめん。全く意味が分からんげんけど。」
「ごめんね。」
長谷部は自分の目の前で起こっている出来事が何なのかさっぱりわからない様子である。
「長くなるけど聞いてもらえる?」
「…もちろん。」
はっきりしない表情で彼は彼女を見た。
「1970年代って長谷部君も知ってるように、ほら、学生運動とかって盛んだったじゃない。」
「ああ70年安保とか聞いたことある。」
「うん。私のお父さんとお母さんはその時学生運動の中心にいて、そこで知り合って結婚したの。」
「学生結婚?」
「うん。で、その運動の精神的主柱になるのが反日・共産主義思想でね。私の両親はそれにどっぷり浸かった。長谷部君も知ってる通り安保闘争は結局失敗した。でも私の両親はなんとか革命を成し遂げたいって、当時地上の楽園って言われたツヴァイスタンに渡ったわけ。あそこはほら共産国でしょ。そこで再起を図ったわけなの。そこで私も兄さんも生まれた。」
「え?よく分からんけどそんなことってできるんけ?」
「結果として今の私があるんだからできるんでしょ。細かいことは端折るわね。」
「ああ…。」
「地上の楽園で家族みんなで生活できる。これって最高なことだと思わない?」
「う・うん…。」
「偉大なる指導者のもとでの公平・公正な社会。私有財産なんて醜悪なものは無く、すべてが共同財産。国民一人ひとりが高潔な目標を持って社会を良くしていく。なんて理想的な世界かしら。」
ここ日本でもツヴァイスタンについての報道はある。そのどれもがすさまじい格差社会となっている彼の国を批判的に報じるもので、長谷部は麗のこの言葉に同意できない表情を見せた。
「嘘だと思ってるでしょ。」
「…俺が知るかぎりやと…。」
「そうよ嘘よ。」
あっさりと嘘を認めた麗に長谷部は拍子抜けした。
「あの国は楽園なんかじゃない。ここでの報道の通り壮絶な格差社会よ。いいえそれ以上のものよ。私利私欲が渦巻く醜い社会。共同財産の名の下ですべてが党のものになり、それを党の上層部が独占する。末端の人間は未だに藁屋根、土壁のひどい家で生活して、今日一日の食べのもの工面に奔走するって有様よ。もちろん学校なんてものにも行けない人が大多数。」
「じゃあ…ってことは岩崎さんも。」
「岩崎じゃない。麗よ。」
「あ…。」
「岩崎は止めて。」
「あ…う・うん…。」
「幸い私は父さんが党のまあまあなポジションにあったから、恵まれた生活を過ごしていたわ。食事にも普通にありつけるし、本もたくさん読むことができた。つまり党の要職に就かないことには人間らしい生活が全くできない国なのよあの国は。私はあの国では比較的恵まれた環境で育ったの。」
麗は再び煙草に火をつけた。
「あの国のような社会システムは党がすべて。国家の上に党があるって感じ。国家は党の所有物なの。党は指導者を頂点として、一握りの執行部によって意志を決定する。私ら党員はそれらの決定事項にただ従うだけ。党の言うことを忠実に聞いて実行さえしていれば、それなりの生活が保証されている。けどそれは逆のことも言えるの。」
「それは…。」
「党の決定に反論すれば生活が保証されないってこと。」
「…そういうことになるね。」
「私の母さんは私を産んでから病気がちになってね。私が3歳位のころには入退院を繰り返すような状態だった。父さんはいつも仕事の帰りが遅くって、そんな母さんの看病しながら私とか兄さんの面倒見るんだから、正直キツ買ったっと思う。あの時の父さん、いつも目の下にクマ作ってたわ。」
「そうなんや…。」
「そんな父さんがある日、日本にしばらく行くって言って突然家から姿を消したの。父親が居なくなって病床にある母さんを抱えた下間家は兄さんの双肩にかかった。」
「兄さんってその時幾つやったん?」
「私と9つ離れてて、その時12。」
「子供やがいね。」
「そうなの。父さんは党の命令で日本に行ってたから、給料は普通にウチに払い込まれてて経済的に困ることはなかった。でも子供だけで家の面倒を見るのは流石に難しかった。そんな時にある日本人が家を訪ねてきたの。」
「日本人?なに?下間さんとおんなじように日本からツヴァイスタンに渡った人っておるん?」
「何人か居たらしいの。けど、あの国で他の日本人とコンタクトとったことはない。っていうか取れないことになってる。」
「じゃあその日本人って。」
「さあ…。どうなんだろうね。」
「でも…ツヴァイスタンって日本と国交無いげんろ。」
「うん。」
「なんねんろうな。その日本人って。」
「その人がイマガワなの。」
「え?」
「病気がちの母さんを小さい子供だけで面倒を見なくちゃいけない大変な時に、救いの手を差し伸べてくれたのがそのイマガワ。イマガワは家事を手伝ってくれる家政婦さんみたいな人を用意してくれた。」
「え…それやったらイマガワって下間さんの恩人ってことになるんじゃないが?んなんになんでその人が抑圧するっていうが?」
「はじめは本当に救世主だった。」
「はじめは?」
麗は頷く。
「だって私は3歳。母さんは病気。兄さんは父さんの代わりに私の面倒と母さんの看病、家事、学校を全部一人でこなさないといけなかった。それを助けてくれる人を用立ててくれたんだから。しかもお金はイマガワが出すっていうんだよ。」
「そ・そうやよね。でもなんでそれが?」
「…イマガワがウチに来たのはその日だけ。それから家政婦がほぼ毎日うちに来て家の面倒見てくれた。おかげで何不自由ない生活を私らは送ることができた。でも1年ほどしてなんだか家の様子がおかしくなったの。」
「家の様子がおかしい?」
「具体的に言うと家政婦の様子がおかしくなったの。」
「え?どう?」
「家政婦は家に来て間もないころは本当によくやってくれてた。私らの遊び相手もしてくれたし、母さんの看病も献身的にしてくれた。でも半年ほどして彼女は家事をサボるようになった。」
「本当け…。」
「見かねた兄さんは家政婦に問いただしたの。お金貰ってるんだったらちゃんとそれに見合った仕事しろってね。」
「うん。」
「そうしたらこう言われたの。『私はお前からお金を貰ってるんじゃない。勘違いをするな。よそ者のくせに。』って。」
「よそ者…。そりゃあそうやけど金もらっとる以上仕事くらいはちゃんとやってもらわんと。」
長谷部に怒りがこみ上げてきた。
「普通そう思うわよね。それにその家政婦はよそ者のイマガワからお金貰ってるんだから。」
「そうやって。」
「でもそんなことはどうでもいいの。長谷部君。ツヴァイスタンを舐めちゃいけないよ。あそこはとにかく党の上位に座った人間が強いの。」
「どういうことけ。」
「家政婦はイマガワから受け取った金を、別の党の幹部に貢いでいた。」
「は?」
「彼女はイマガワとの契約が切れるとそれで金が切れる。でも党に取り入ることができたら、ゆくゆくは自分とかその子供とかが党の幹部になることができて、搾取される側から搾取する側になる可能性だってある。そうなれば生活は安泰でしょ。変なよそ者の面倒をみるよりも堅実なライフプランが練られる。そっちを採ったってこと。」
「まじけ…。」
「それだけなら私は何にも思わないわ。あの国じゃよくあることだもの。」
「じゃあなんで。」
「我慢の限界がきたの。」
「どういうこと?」
「家政婦が家のお金に手を付けだした。」
「え…。」
「兄さんはこれに猛抗議した。けど家政婦は意に介さない。むしろ開き直ってウチに居座った。そして好き放題にやり始めた。知り合いとかを勝手にウチに入れて酒を飲みだしたり、男を連れ込んだり、自分の子供を連れてきたりって。」
「うそやろ…。ってかそんなことになる前にイマガワに言ってその家政婦、家から追い出せばよかったがいね。」
「だってイマガワと連絡とる手段がなかったの。どこの誰かもわからない日本人でしょ。ツヴァイスタンの人達に聞いても誰もあの男の事知らない。」
「じゃあこっちから強制的にその家政婦追い出せば。」
「できないの。その時すでに家政婦は党の幹部に取り入ってたの。だから私らが政府の出先機関に何かを訴え出ても却下。むしろ家事の全てをやってるんだったら、労働の状況から見て家政婦のほうが正しいとかいう始末よ。」
「なんねんそれ…。」
「そこでとうとう兄さんがキレたの。」
「キレたって?」
「その家政婦を殺した。」
「え…。」
「家政婦だけじゃない。その子供も。」
「う…嘘やろ…。」
「本当よ。」
「え…下間さんのお兄さんは…。」
「ええ…人殺しよ。」
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2016年07月18日

103 第百話



相馬と京子はリビングのソファに掛け身体を寄せ合っていた。
「お母さん何も言ってこんね…。」
「いいげん。このままが良い。」
相馬は京子の頭を撫でた。
その時である、京子の携帯の画面が光った。
「あ、携帯光った。」
「え?」
京子はそれを手にしてすぐにそれをテーブルに戻した。
「何や?」
「どうでもいいやつ。」
「どうでもいいやつ?」
「うん。SNSの通知。」
「え?いいが?」
「だって付き合いだけで入れとるもん。しばらくアプリ起動しとらんかったら、友達がこんなこと書いとるからウォール覗けって言ってくるげん。大きなお世話やわ。」
「無視け。」
「無視じゃないよ。スルー。」
「同じことやと思うけど。」
相馬のこの言葉を受けて京子は渋々再び携帯を手にとった。
「意外とおもろいこと書いとるかもしれんよ。」
「どいね、SNS嫌いやって言ってアプリとか一切入れとらんくせに。」
「あ…ごめん。」
「どうせご飯の写真とか、どっかに行ったとか、意識高いコメントとか、シェアさせていただきますとかってリア充自慢ポストばっかやって。」
「リア充ね…。」
「あ、リア充じゃなくて拡散希望やった。」
「拡散希望ね。よく見るね。記事のタイトル部分だけ書いてURL貼り付けとるやつやろ。そんなんに限って大したネタじゃないんや。」
「…。」
相馬に寄りかかっていた京子はソファに座り直し、無言で携帯の画面をじっと見つめた。異変に気がついた相馬は彼女に声をかけた。
「どうしたん?」
「周…。ちょっと…これ…。」
「何?」
京子の携帯を覗き込むと見覚えのあるページが表示されていたため、相馬の動きが止まった。
「ほんまごと?」
京子がほんまごとのページを開いていることが第一義的に驚きであったが、次の瞬間それは別の驚きに置き換わっていた。
「何?周このサイト知っとらん?」
「…あ…ちょっと。」
至急報1と題された記事を読み、彼は戦慄した。
「藤堂豪は鍋島惇?」
「ちょっと周…このサイトって何なん?」
「黙って。」
相馬は記事を読み進めた。
「え…待ってくれま…村上さんは鍋島さんに殺されたって?…それ今までの情報と逆やがいや…。ってか警察に鍋島の協力者がおったって?え?残留孤児3世?…は?ツヴァイスタンからの資金提供…。藤堂豪こと鍋島惇はかつて一色の交際相手だった女性を…レイプ…。穴山と井上はそのスケープゴートで、そのレイプ事件の真の実行犯は鍋島…。その鍋島は現在、ここ石川県に潜伏中…注意しろ…。」
「周…。」
「…マジか…。」
「ねぇこのサイトって信用できらん。」
京子を見ずに相馬はそれに答えた。
「あ…昔、熨子山事件のこと知りたくてネット漁っとったら、このサイト引っかかって一応フォローしとったんやけど…。」
「ぱっと見た感じ、結構掘り下げていろんな記事書いとるみたいやね…。」
「ああ…。」
「ねぇ周…さっきの一色さんの手紙の件。」
「え?」
「ほら『いろんな人達が自分の力の限りを尽くして、いま香織ちゃんをコミュから遠ざけることを実行しているでしょう。』ってやつ。」
「それがどうかした?」
「このブログってのも…その一環とか…。」
「まさか…。」
「だってタイミング良すぎん?」
「まぁ…。」
「でも…これ本当のことやったとして、私ら何できるん?」
「え…。」
「何か分からんけど私らの知らんところで、すっごい大っきい何かが動いとる。私らはその中でひとつの役割を担わされとる。そんな気する。」
「京子ちゃん…。」
「多分、お父さんもこのことでいま何かしとる。ねぇ周。私らはいま何せんといかんげんろ。」
京子の表情が変わった。先程までの悲哀に満ちた表情とは打って変わって目に力が宿り、凛とした顔つきになっている。
「俺らの役割は岩崎さんをコミュから遠ざけること。それ以上でもそれ以下でもない。」
「岩崎さんっていまどんな感じねんろ。」
「長谷部に聞いてみるか。」
「うん。」

石川県庁から白山市方面に向かって伸びる海側環状線を走行する1台の車があった。
「聞かないの…?」
「え?」
「長谷部君、私迎えに来てから何もしゃべらない。」
「…。」
助手席に座る岩崎の方を見ずに長谷部はゆっくりと口を開いた。
「聞いて欲しい?」
「え?」
「…俺は何かやっきねーことがあったらさっさと寝て忘れるか、そこらへんブラブラして頭空っぽにしてなんとなくそいつを考えんようにしとる。結局のところその手のやつは時間しか解決してくれんがやわ。」
「…。」
「まぁ話聞いて少しでも気が紛れるなら聞いても良いけど。結局、そのなんか引っかかるもん解決するのは岩崎さん自身やよ。」
「…そんなのわかってる。」
岩崎は髪の毛を掻き上げた。
「時間が解決してくれそうもないの。」
「え?」
「むしろ時間が経てば経つほど、事態が悪くなるような気がする。」
「なんねんそれ。」
岩崎はため息をついた。
「あのね…。」
「なに?」
「わたし勘当されちゃった。」
「え?」
「ひとりで生きて行けってさ…。」
「なに…どういうことねん…。」
「わたしが長谷部君と合っているの、どこかで気づいたらしいの。」
「え?まさか岩崎さんの親が?」
「ううん…兄さん。」
「兄さん?岩崎さんって兄弟おったんや。」
岩崎は頷いた。
「え…でも俺と岩崎さんが会っとること気づいて、なんで…勘当…。」
「長谷部君。私みたいにいろんな女の子誑かしてたでしょ。」
「え…。」
長谷部は思わずブレーキを踏んだ。車はそのまま徐行しハザードランプを点けて路肩に停車した。
「なんだかね…兄さんが長谷部くんのこと調べたの。」
「…俺のことを調べた?」
「うん。」
「…どう調べた?」
「大学入学当初は県庁の職員になって、石川の未来をこの手で作るって意気込んでたけど、それはいつの間にか拝金主義へと転向。ネットワークビジネスに手を出すがそれは失敗。ころころと主義主張を変え、関心事は女性に移り、言葉巧みにいろんな女の人に手を出した。」
長谷部は何も言えない。
「大学に入ってから長谷部君と肉体関係をもった人は33名。悪魔のような男だって。」
「悪魔…。」
「そんな悪魔に誑かされてお前はその34人目にノミネートしようとしている。汚らわしいって。」
長谷部は岩崎の顔を直視できない。彼は思わず窓の外を眺めた。
「やっぱりそうなんだ。私から顔を背けるって事は思い当たるフシがあるのね。」
煙草を取り出した岩崎はそれを咥えて火を付けた。
「俺のせいで…」
岩崎は煙を吹き出した。
「そうよ。長谷部くんのせいで私、勘当されちゃった。」
長谷部は自分の口のあたりを手で覆った。妙な汗が彼の首筋に湧き出てくる。
「変よね。そんな悪魔みたいな男とちょっと一緒にいただけで、まるで私が長谷部君と付き合ってるみたいに決めつけて。」
「え?」
「だってそうでしょ。一緒に駅前のショッピングセンターに行っただけ。」
「あ…。」
「別に男と女の関係をもったわけじゃない。」
「う…うん…。」
「ねぇ長谷部君。」
「なに?」
「兄さんが言った通り、私もその33人と同じなの?」
「え?」
「私もあなた暇つぶしの道具のひとつなの?」
「それはない。」
長谷部は即答した。
「じゃあ何なの。」
「特別な存在や。」
「それはどういうこと?」
「いつも笑顔でおってほしい存在。」
「わかりにくい。」
「岩崎さんの壁になっとるようなことがあったらなんとかしたい。ただそれだけ。」
「そうすることでどうなるの。」
「岩崎さんが楽しければ俺も楽しい。」
「それは33人の女にも言ったんでしょ。」
長谷部は黙った。
「他の女もその手口で落としてきたんでしょ。」
深い溜息をついた長谷部はゆっくりと頷いた。
「じゃあなんで私と他の女は違うって言えるの。」
「…だって…。」
「だって何?」
「だって好きになってしまったからしょうがないがいね。」
「え?」
「さっき岩崎さん言った俺の過去のエピソード、完璧や。正解。確かに俺は変節漢かもしれん。んで手当たり次第女の子と関係をもった。そうただヤるだけのために。」
「最低…。やっぱり悪魔だわ。」
「でも岩崎さんは違う。」
「何がよ。」
「変に思わんで欲しいんやけど、そういうヤリたいとかって気がおきんげんて。」
「は?」
「女としての魅力がないとかじゃないげんよ。元に岩崎さんは誰が見ても綺麗や。俺もそれに惹かれた口や。けど、なんか違うんやって。」
過去の実績がありながらこういうセリフをいけしゃあしゃあと言える長谷部が奇妙に見えて仕方がない。
「どう違うっていうの。」
「この間も言ったかもしれんけど、無理しとるっていうか、何か仮面を被っとるっていうか…。」
仮面という言葉に岩崎は口をつぐんでしまった。
「俺の思い込みかもしれんけど何かに抑圧されとるように見えるんやって。だってこの間の岩崎さん、全然別人やったし。確かに服とかで別人に見えたけど、それ以上になんかすっきりしとった。重たいもん抱えとらん感じがしとった。んで俺、そんな岩崎さん見てなんか嬉しくなった。純粋に魅力的に見えた。」
「…。」
「何が岩崎さんが抑圧されとるって思わせるんかは分からんけど、なんかその重しを取っ払いたい。そう思っとるんや。気が付くといっつもそう考えとるんや。」
「…。」
「多分、それが本当に好きになるってことなんやと思う。」
「長谷部君...。」
「でも、俺は歓迎されん人間みたいや。岩崎さんにも岩崎さんのお兄さんにも。」
「…。」
「しゃあないな。そりゃ誰だって俺の過去の実績見たら信用なんかできんわ。」
「…。」
「気がついたら俺が抑圧する側の人間やったってことや...ははは…。」
「長谷部君。」
「ははは...笑えるわ…。ダラやな…俺…。」
目を合わせずにただ、運転席側の窓から外を見つめて話す長谷部から鼻を啜る音が聞こえた。
刹那、長谷部の肩が引き寄せられ強引に振り向かさせられた。
「え?」
岩崎の唇が長谷部の口を覆った。
「あ…。」
「責任とってよね。」
唇を離した岩崎は長谷部を見てこう言った。
「私、もう戻れないの。だから長谷部君責任とって。全部受け入れて。」
「え…。」
「そんなあなたを私も好きになってしまったみたいだから。」
もはや長谷部の頭のなかは真っ白である。彼は岩崎の言葉に何の反応も示すことができなかった。
「あなたは私を抑圧なんかしていない。」
「え?」
「抑圧しているのは…。むしろあいつよ。」
「え?あいつ?」
岩崎は頷いた。
「え?誰よ。」
「知りたい?」
「当たり前やろ。」
「知ってどうするの。」
「何とかやってみる。」
「何とかって?」
「話せば分かるはずや。」
「話せば…。」
「人間話せば分かる。」
「何言ってんの長谷部君。なにあまちゃんなこと言ってんの。」
「え?」
「話が通じない人だっているのよ。話してどうこうなるんだったら、そもそも私だって兄さんに勘当なんかされないわ。」
「何言っとれんて、それは話し合いが足りんからやって。それに岩崎さんに勘当って言ったのはお兄さんやろ。親はそうでもないげんろ。」
岩崎はため息をついた。
「長谷部君。私を抑圧するものから救ってくれるって言ったよね。」
「おう。」
「じゃあお願い。」
岩崎は鞄の中からスケッチブックを取り出して、その中のひとりの人物のイラストを長谷部に見せた。
「この人が私を抑圧するの。」
「え?誰?これ。」
「イマガワって男よ。」
「このあごひげ蓄えたイケメンがイマガワ。」
「ドットメディカルのお偉いさんよ。」
「ドットメディカル?え?なんでドットメディカルのお偉いさんが岩崎さんを?」
「私だけじゃない。兄さんも父さんもこの人によって抑圧されている。」
「え?お兄さんとお父さんが?」
「この人の呪縛から私達を解き放って。」
「え…ちょっと待って…。家族ぐるみでなんでこいつに?」
「人質に取られているの。」
「は?人質?」
「うん。私のお母さんが。」
わけがわからない。長谷部は頭を抱えた。
「意味分かんないよね。」
「うん。さっぱり分からんわ。」
岩崎は深呼吸をし、意を決したような顔つきで長谷部と向き合った。
「長谷部君、ごめん。わたし…岩崎香織じゃないの。」
「へ?」
「長谷部くんの言ったとおりよ。私、岩崎香織って別の人間の仮面をかぶっていた。」
さらに長谷部は混乱した。
「私の名前は下間麗。下間芳夫は私のお父さんよ。」
「は?」
沈黙が覆う車内で長谷部の携帯が震える音だけがこだましていた。
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2016年07月14日

102.1 【お便り紹介】



今回はいぬおとこ三郎さんからのお便りを紹介します。
エピソードのアーカイブについて/SeesaaとWEBサイト/短編物語

闇と鮒では皆さまのお便りを募集しています。
お気軽にウェブサイトからご投稿下さい。
よろしくお願いします。
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2016年07月11日

102 第九十九話



「なんだ…何やってんだ…。」
車を運転しながらスマートフォンに表示される鍋島の位置情報をみた悠里は呟いた。鍋島のGPS情報は金沢市内のとある住宅の極めて狭い範囲を移動していることを表示していた。
「こんな狭い範囲うろついていたら、直ぐに顔が割れて警察にパクられるぞ。」
彼は赤色で点滅するそれを拡大表示させた。よく見るとその表示は隣り合う家と家との間を通り抜けるような動きをしている。
「おかしい…。」
一旦車を路肩に停車させそれを手にとった時のことである。
路肩の植木の中から一匹の猫が現れこちらを見た。
「猫…。」
ぷいっと視線をそらして、猫は再び物陰に隠れてしまった。
「まさか…。」
そう呟いた瞬間、手にしていたスマートフォンに着信の表示が現れた。見覚えのない者からの電話である。
「誰だ…。」
通話の表示をタップして、悠里はゆっくりとそれを耳に当てた。
「はい。」
「仁川さんの携帯でよろしかったでしょうか。」
「どちらさまですか。」
「鍋島です。」
「え…。」
「仁川さんでよろしかったですか。」
「…。」
「返事は。」
「…なんだ。」
「くくく...お前さんがねぇ。」
「…何のことだ。」
「惚けんな。親父に言われて俺のこと消そうとしてるんだろ。」
「…。」
「え?悠里。」
「気安く下の名前で呼ぶな。」
「けっ。」
「…鍋島…お前携帯をどこに捨てた。」
「あ?」
「機密情報が詰まった大切な携帯をどこに捨てた。」
「捨ててねぇよ。なんでそんなこと言うんだ。」
「…。」
「わかってるよ。悠里。」
「…何をだ。」
「あそこにGPSの発信機が埋め込まれてて、俺の居所が逐次お前のところ行ってるの。」
「ぐ…。」
「言っとくが捨ててねぇ。ちょっと預けただけだ。だから心配すんな。警察に拾われてお前らの悪事がすべて白日の下に晒されるなんて恐れはない。」
「猫か。」
「よく知ってるな。」
「くそっ!!」
悠里はダッシュボードを叩いた。
「そんなんじゃあ俺をやるなんて無理だ。」
「…。」
「おかしいな〜。ツヴァイスタンで英才教育を受けたはずなのに、そんな幼稚な仕掛けしかできないなんて。あそこの秘密警察ってのもその程度か。」
「うるさい。」
「さあどうするよ悠里。」
「…。」
「目標を見失ったお前はどうやってこの難局を切り抜ける?」
「…。」
「まさかお手上げってことで親父に泣きつくんじゃないだろうな。」
「…。」
「何も言えない…か。相当お困りのようだな。ふっ…。」
「何の用だ鍋島。」
「あ?」
「何の用があって俺に電話をかけてきた。」
「何だと思う。」
「…わからん。」
「なんでこのタイミングでお前に電話をかけたか。」
「はっ!」
咄嗟に悠里は周囲を見回した。
「おっと。」
「え?」
「…気がついたか。」
「…まさか。」
「お前は俺を見失った。しかし俺はお前を捕捉している。」
「な…。」
「絶体絶命だな。くくく…。」
悠里は絶句した。
「仁川征爾が本当に存在するとするなら、こんなヘマはしないだろう。」
「…。」
「東一を卒業し大手商社に入社。その後ドットメディカルの今川に引きぬかれて現在ドットスタッフの代表取締役。なんでこうも優秀な男がそんなヘマをする?」
「貴様…。」
「この誰もが羨むような経歴を持った38歳の仁川征爾という秀才はこの世にいない。お前はあくまでもツヴァイスタンで反乱分子を粛清するしか能の無い下間悠里だ。」
「…。」
「お前らのような共産思想の連中は上の連中の言った通りのことをするしか脳の無いただの組織の一部だ。自分で考えて行動するという発想に疎い。だから現場での臨機応変の対応に弱い。よっていまのこの状態がある。」
「鍋島…貴様何様のつもりだ。」
「ファクトだよ。まぁ落ち着け。」
「くっ…。」
「お前さんは組織の歯車のひとつとしては優秀だった。なぜなら執行部とかっていう連中の意のままに動くことができたからな。それであの国では奴らに気に入られ相応の地位を手に入れた。」
「何が言いたい。」
「指示待ちじゃダメなんだよ。ここじゃあ。自由主義経済圏じゃだれもお前のような人間を助けてくれはしない。個々人が自分の頭で考えて自分の責任で全てを決する。例え日本が世界で最も成功した社会主義国って揶揄される国であったととしてもだ。」
「俺が指示待ち人間だと?」
「ああそうだろう。なにせお前はここでは下間悠里じゃなくて仁川征爾なんだからな。その仮面をかぶっている限りはお前は下間芳夫や今川のおもちゃだ。自由意志も何も持たないただの駒だ。」
悠里は反論できなかった。
「もう辞めな。」
「え?」
「もう辞めろって言ってんだ。そんな駒を演じても何も得るものは無い。」
「お前...なに言ってんだ。」
「別に不思議な事はない。俺がそのいい例だ。」
「何…。」
「お前を見ていると、以前の俺を思い出す。」
鍋島の様子がおかしい。
「生活に困窮すると人間は極端な思想に飛びつく。俺もそうだった。」
戸惑いながらも悠里は彼の言葉に耳を傾けることとした。
「下間は経済的に追い詰められた高校時代の俺に、ツヴァイスタンという貧富の差がない地上の楽園があることを教えてくれた。あいつはそれが本当のことであることを証明するかのように、俺に金を融通した。ツヴァイスタンでは能力がある人間は例えどんな出自の人間であろうと差別することはなく、平等に支えるとな。一色だとかがほざいた友情とか絆とかの精神論じゃない。下間の教えは金という物質的な援助もある説得力があるものだった。俺は下間の望む人間になった。下間の望みは俺の望みだとさえ思った。そう信じて軍事関係の知識を頭に詰め込んで、高校卒業と同時に自衛隊に入隊。一定の諜報活動を済ませて一年で地下に潜った。そこで下間の補助をした。しかしだ。俺はそこで知ってしまった。」
「知ってしまった?」
「ああ。」

ー自衛隊除隊から1年後のある日ー
都内某所の寂れたアパート。その一室の畳の上で鍋島は横になっていた。
「気の毒だが…。」
部屋を訪問した男に背を向けていた鍋島は、ゆっくりと身を起こし彼と向かい合った。
男と彼の間に小さな骨壷が2つ置かれていた。
「遺書は無かった。」
「そうか…。」
「近所の人間が言うには、お前が石川を去ってからというもの家に引きこもりがちになっていたそうだ。」
そう言って男は鍋島に向かって手をついた。
「すまん。」
「やめてくれよ。下間さん。」
「お前に代わって爺さんと婆さんの面倒を見るといった手前で、この始末だ。」
「仕方ねぇって。自殺だろ。」
下間は頷いた。
「金はあってもコミュニケーションがとれないんだったら、そうなっても仕方が無いさ。」
「本当にすまなかった。」
「いいって…。」
鍋島は骨壷を受け取った。
「首吊ったんだってな。」
「ああ…。」
「何か変わったところはなかったか?」
「変わったところ?」
「ああ。」
「…いや…特には。」
「そうか。」
骨壷をバッグにしまった鍋島はそれを担いで立ち上がった。
「どうした?」
「うん?」
「どこに行く?」
「ちょっと爺さんと婆さんの思い出を辿りに。」
「家は引き払ってしまったぞ。」
「あぁいいんだよ。あのあたりをぶらぶらしてちょっとぼんやりしてみたいんだ。」
「そうか…。俺も行こう。」
「やめてくれ。ひとりにしてくれ。俺だって感傷にひたることだってあるって。」
「そうか…。」
電車に乗り鍋島は金沢へ向かった。越後湯沢で乗り継いで金沢についた時にはその日の夜だった。
北高からそう離れていない住宅地の一角にみすぼらしい平屋建住宅が何棟か建っている。その中に入居者募集の看板が掲げられている建物を彼はしばらく見つめた。
「じゃあ。」
そう言って彼は空の家に背を向けた。
徒歩で5分のところに誰もいない公園があった。付近の家から漏れ出てくる灯りがそこを辛うじて照らしていた。鍋島はそこのシーソーに腰をかけた。
「うん?」
彼の前を音も立てずにヒタヒタと歩いているサビ柄の1匹の猫がいた。
「チー…。」
バッグの中から猫のエサが入った袋を取り出してそれを振ると、ガサガサという音に反応してこちらにやって来た。
猫は警戒することなくこちらに向かってくる。彼が手にする袋を見つめてミャーミャーと鳴くだけだ。
足元に体を擦り付ける猫の姿を見て、鍋島はそれを抱きかかえた。しかし猫は嫌がるようにジタバタする。
「俺よりもメシかよ。」
そう言って彼は着けられていた首輪を外し、猫を腕から放した。地面に立った猫は相変わらず鍋島に向かって鳴く。呆れた顔で餌を地面に盛ると、猫はそれを貪り始めた。
「チー…。嫌なもん見ちまったな…。」
鍋島の言葉に猫は何の関心も示さない。
「ひでぇ事するぜ…。」
首輪を握る鍋島の手は震えていた。

「嫌なもの?」
「ああ…分かるか?」
「いや…。」
「妙な連中がウチのあたりをウロウロしてるのは昔から俺は知っていた。」
「え…。」
「爺さんも婆さんも薄々気づいていた。自衛隊に入隊するって決まった頃からなんとなくな。下間さんとは別のところで俺らの動向を監視している変な奴がいるってな。」
「何だって…。」
「それが誰だかは正確には分からない。おそらくツヴァイスタン絡みの人間なんだろう。下間さんはあくまでもそいつらの駒の一部。あの人は俺らの経済的援助っていう役割だけを果たす。一方でその妙な奴らは俺らの行動を監視するって具合さ。」
「…。」
「俺らはただでさえ純粋な日本人と違って周囲の目を気にしないといけない存在だ。それなのに輪をかけるように得体のしれない人間の目が光っているんだ。気持ち悪いっちゃあありゃしねぇ。経済的にも精神的にも肉体的にも自立していれば、さっさとそんなもんから決別して自由に生活できるところに引っ越せる。しかし残念ながらその時にはそのどれもが俺の家には無かった。だから俺らは現状を受け入れた。」
「経済的援助と引き換えに自由を捨てる。」
「そうだ。俺らは常に監視の対象だ。自由勝手な行動は出来ない、常に何かの統制下にある。統制下にあるということは生殺与奪権をそいつらに握られているってことでもある。俺らはそれをいつの頃からか意識していた。その中で俺らは取り決めをした。」
「取り決め…。」
「ああ。連中の生殺与奪権が発動されれば俺らは即死。身内も親しい人間もいない中、その死は闇に葬り去られる。せめて残された人間に手がかりになるものを残して、何かしらの意志を託す。」
「意志を託す…。」
「チーはウチで飼っていた猫だ。普段は首輪なんかしていない。こいつがそれを着けた時、生殺与奪権が発動したことになる。」
「…。」
「つまり用なしになった俺の爺さんや婆さんは自殺に見せかけて、奴らに殺された。」
自販機で飲料を購入した鍋島はその栓を開けた。
「今度は用なしになった俺がお前に殺されそうになっている。」
悠里は周囲を見回した。相変わらず鍋島の姿を見つけることができない。
「…ふっ。どの口が言う。お前は俺を補足している。だが俺はお前の姿を捉えられない。逆だろ。」
「まぁそうだ。」
鍋島は飲料を飲み干した。
「止めておけ。」
「はいそうですかとは言えないってことは、お前も分かるだろう。」
「…分かるがどこかで止めないことには、一生自由というものは手に入らない。お前は仁川征爾のまま生きていくことになる。」
「仕方が無い。そうしないと俺の生命そのものが危うくなる。」
「そうか…。」
「そうだ。」
「わかった。」
「何がだ。」
「2時間後、北高に来い。」
「は?」
「お前にチャンスをやる。」
「なに…。」
「2時間の間に自分の身の処し方を考えておけ。北高での行動がその後のお前の人生を左右する。」
「何を偉そうに…。」
「俺にとってもな。」
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2016年07月04日

101.2 第九十八話 後半



「はい…ええ…そうですか…分かりました…。」
電話を終えた古田は首を回して凝った肩をほぐした。
「どちらからですか。」
「いや、ちょっと…。」
「まさか課長からですか。」
「いや。」
「いいじゃないですか警部。」
パソコンを睨んでいた冨樫が神谷の詮索を止めた。
「ねぇ古田さん。」
古田はニヤリと笑って冨樫に応えた。
「あ…冨樫さん。」
「マサでいいですよ。」
「あぁマサさん。ちょっと検索して欲しいんやけど。」
「なんでしょうか。」
「平仮名で『ほんまごと』っちゅうサイトねんけど。」
「『ほんまごと』?ですか?」
「おう。」
素早く彼はそのサイトを画面に表示させた。
「え…なんですかこれ…。」
「うん?」
「これ…熨子山事件のこと書いてあるブログじゃないですか。」
「おう。マサさんはこれ知らんかったんけ。」
「ええ…ちょっと待って下さいよ…。これ…そこいらの週刊誌とかよりもよっぽど確度が高いネタ転がっとるじゃないですか。」
「どこらへんが?」
「ほら…山県久美子のレイプ事件の件とか、警察内部の権力闘争とか、ツヴァイスタンの影とか…。」
冨樫の側に寄った神谷もその画面を見つめた。
「ほんとうだ…。」
「これプロでしょ。」
「多分。」
「こんだけ深い内容ってことは、ネタ元は当時の関係者ですね。」
「そうやろうな。」
「ちゃんと取材して記事にしとる。」
「多少の間違いはあるけどな。」
古田は冨樫にサイトをリロードするように言った。
「あ。」
「どうした?」
「新しい記事が…って…これ…。」
煙草の煙を吹き出した古田は遠い目をしている。
「これ…完全にリークじゃないですか…。」
「何て書いてあるけ?」
古田のこの問いかけに、神谷は「至急報1」とタイトルに書かれた記事を読みだした。

ここでは熨子山事件に関する情報を私なりに取材し、裏を取り、記事にしてそれをアップしている。その情報の真贋は読者に委ねている。言うなれば仕入れた材料を自分なりに料理し、それを世に出して評価を仰ぐというもので、料理人のそれに似ているかもしれない。しかし、今回はその料理を放棄させていただく。ネタ元からの情報をそのままここにアップする。仕入れ材料をそのまま提供することにする。
何故か。ネタの鮮度が重要だからだ。ぼやぼやしていると、この新鮮な材料は一瞬にして腐ってしまう。よって私の方で料理をせずに、採れたままのものを提供してみようと思う。読者に皆さんでその真贋を見極めて欲しい。

ー藤堂豪は鍋島惇だー
結論から書こう。信頼できるネタ元(以後、X氏とする)によると過日発生した金沢銀行殺人事件の重要参考人である藤堂豪は熨子山事件にも登場した鍋島惇である。

「え…。」
「とんでもない暴露記事ですな…。」
「警部。続けて。」

このブログを御覧になっている方は「何言ってんだ?」と思われるだろう。そう鍋島惇は熨子山事件で村上隆二によって七尾で殺害された。これは県警からの公式発表でも明らかである。実はこれが大きな間違いの第一歩だった。
ー村上殺害時の県警による嘘ー
逮捕時に怪我をした村上隆二は入院することとなった。そしてその入院先で何者かによって殺害された。
病院内の警備は万全だった。しかし何故か犯人はその監視の目をかいくぐって村上の殺害を成し遂げた。
当時の警察発表では犯人の目撃情報は無かったことになっている。病院内に設置されたカメラも旧式で映像の解析は困難。村上殺害は迷宮入りとなった。
しかし今回、X氏からもたらされた情報はそのすべてをひっくり返すものだった。
実は監視カメラの映像は極めて鮮明なものだったというのである。そしてそこには当時死んだと思われていた鍋島惇本人の姿が写り込んでいたのである。
つまり鍋島惇は七尾で殺されていなかったのである。殺されていないどころか、この時村上を殺すために病院へやってきていたということになる。
そのような証拠がありながら警察はなぜ嘘をついたのか。
ー警備担当者の死ー
実は当時、村上の警備担当者が事件後、日本海岸で水死体で発見されている。警察発表は自殺。自分の警備の不手際によって被疑者を死に至らしめてしまったことを苦に自殺をしたというものだ。自殺であるため世間にはこの事実は伝わっていない。ここでX氏は衝撃的な事実を告白した。「警備担当者は自殺ではない。他殺だ。他殺を自殺として警察は処理した。」
警察が意図的に他殺を自殺とすることはありえるのかという議論はここではしない。ただX氏が言うことをそのまま記すと、事件当時の事情を最も分かっているはずの重要人物が、何者かの手で葬られたことになる。
ー協力者の存在ー
カメラ映像の嘘と担当者の死の隠蔽。この2つに共通して言えることはただ一つ。鍋島惇の生存を知られたくない人間が、警察内部にいたということだ。言い換えれば鍋島の協力者である。この協力者とは一体誰か。それはこの後に書くこととする。

「鍋島が残留孤児ってことだけじゃなくて、ツヴァイスタンとの関係までも書いとるんか…。」
神谷の朗読の声に耳を傾けていた古田は、いつの間にか冨樫のパソコンの前に立って画面を覗き込んでいた。
「ええ…。残留孤児の件は過去に別で記事で詳しく書いてあります。リンクも貼ってあります。」
冨樫は鍋島の経歴のことを記載してある記事を別のタブで開いてみせた。
「なるほど。ここには熨子山事件の情報の蓄積があるんやな。」
「そうみたいですね。かなりの情報量です。」
「見る人がここを見れば、その全容が掴めるっちゅうわけか。」
「ただ、すべてが時系列で綺麗に纏まっていないんで、理解するには時間がかかると思います。」
「確かにぱっと見では理解できんかもしれませんね。」
「今回の記事では山県久美子のレイプ事件についても取り上げられていますね。」
「これだけの情報を一度にリークできる人間って…。」
こう言った神谷は古田を見つめた。
「X氏は片倉課長ですね。」
古田は頷いた。
神谷は再びパソコンを覗き込み、今回の記事の最後の行を読んだ。
「X氏は鍋島は3年の年月を経てこの地に帰ってきていることは確かであり、地元住民は鍋島に十分注意する必要があると警告する。彼は「事件後整形手術を繰り返し、鍋島はいまの藤堂豪の顔を手に入れた。事件当時の鍋島惇の面影は残っていない」とも言う。
これから私はX氏からもたらされる第二、第三の情報を連続してこのブログにアップする。現在進行中の事件の情報であるため、市民の注意喚起を踏まえて読者諸君には拡散を希望する。」
大きく深呼吸した神谷は冨樫に尋ねた。
「冨樫さん。こいつSNS駆使して拡散できますか。」
「…。ええ、当然です。」
「古田さん。」
「はい。」
「拡散は、とりあえずこの石川県を中心としたものに止めようと思います。」
「なぜ?」
「こいつは鍋島に対する市民への注意喚起と奴の情報提供を求めるものです。直接的に関係のないところに拡散しても、混乱を招くだけですから。」
「いいでしょう。」
古田は納得した表情で頷いた。
「…ですがそれだけですか?」
「…いえ。」
「と言いますと。」
「イヌに感づかれるとマズいですから。」
「イヌ…。それはすなわち朝倉ですか。」
神谷は頷いた。
「さすがですな。警部。もう状況を呑み込んでいらっしゃる。」
「身内の人間を自分の都合で抹殺するなんて、警察の風上にも置けませんから。」
「気持ちいい言葉です。やりましょう。」
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101.1 第九十八話 前半



「片倉さん。スタンバイOKです。」
部屋の鍵をかけた黒田はこう言ってパソコンの前に座った。
「よし。まずはお前に俺の身分を明かす。」
「え?」
「俺は公安や。商社マンじゃない。」
「え…公安…。」
タイピングする黒田の手が止まった。片倉の背景に何か大きなものが動いている。彼がそう感じたのは当たっていたようだ。
「悪かったな今まで嘘ついとって。」
「嘘...っていうか…。」
突然の告白を受けた黒田が衝撃を受けなかったといえば、それもまた嘘となる。しかしこの時の彼は衝撃よりもむしろ覚悟を感じた。片倉は自分の本当の身分を黒田に明かすことで、これから自分がしゃべるであろうことに信憑性を持たせようとしているのだ。
「本当のことですか?片倉さん。」
「すまんかった。」
言い訳めいたことは言わない。それが更に信憑性を高め、時間の貴重さを訴えかける。ここであまり詮索はしないほうが良い。黒田は謝る必要はないと返事をしそのままタイピングを続けた。
「まず藤堂について話す。」
「はい。」
「藤堂豪は鍋島惇だ。」
「え…。」
「鍋島惇は死んどらん。藤堂の顔写真はお前、岡田から見せてもらったな。」
「はい。」
「顔は別人やけどアレは同一人物。鍋島の整形の成れの果てがあの顔やと思ってくれ。」
「整形手術…ですか…。」
「そうや。あっちこっちで細かく整形して今の顔形になっとる。一見別人やけどあの写真の男は紛れも無く鍋島や。」
黒田はもたらされる衝撃的な事実に、自分の知り得た情報を紐つけて分析を試みようとするが、片倉はそれを遮るように滔々と話し続けた。
「熨子山事件の背景に一色貴紀の交際相手の山県久美子が井上と穴山によってレイプされた事件があったのは、お前にやった資料からお前は知っとるはずや。」
「ええ。ですがその実行犯は井上でも穴山でもなかったんですよね。」
「ああ。その実行犯はどうやら藤堂。そこまではお前は知っとるはずや。」
「はい。」
「その藤堂が鍋島やったってわけや。」
「…そういうことになりますね…。」
「そもそも何で鍋島が生きとるんか。」
「ええそれです。」
「結論から言うぞ。」
黒田は唾を飲み込んだ。
「県警に鍋島の協力者がおった。」
「え…?」
「それが誰かはいまの段階では言えん。しかしこれは確実な情報や。」
「言えないって…片倉さんは誰だかわかってるんですか。」
「ああ。」
「あの…協力者…ですか?」
「ああ。その協力者が鍋島の存在をかき消すように当時の捜査を終結した。」
「終結?」
黒田はこの単語に引っかかるものがあった。
「七尾で殺害された人物は鍋島ではなく全くの別人やった。ほやけどそいつが鍋島やとでっち上げた。そうすることで、鍋島はこの世から存在を抹消された。」
「片倉さん。待ってください。その協力者は今はどこで何をしている人ですか。」
「それは追ってお前に話す。いまは俺の喋っとることをとにかくメモしろ。」
「あ…はい。」
「熨子山事件の被疑者村上隆二は逮捕時に怪我をして病院に入院しとった。」
「ええ。」
「病院っちゅう閉鎖された空間で警備体制も万全。安全なはずの病院にもかかわらず、村上は何者かによって殺された。」
「それについては村上殺害後に当時の警備担当だった警察官が忽然と姿を消して、その後日本海で水死体で発見されていますね。」
「ああ。警察発表は自殺。ほやから世間的には報じられとらん。だが黒田。そん時のそいつの遺体に不自然な点があったんや。」
「と、言いますと?」
「長尾の時とおんなじや。一見自殺による水死体。けど首がぱっくりやられとった。」
「え…。」
「コロシよコロシ。」
「まさか…。」
「まぁ今になればこいつを警察がなんで隠したんか分かる。」
「なんででしょうか?」
「記録が残っとるんや。」
「記録?」
「当時の病院の監視カメラに鍋島惇と思われる男の姿が映っとったんや。」
「え?警察発表じゃカメラの映像は粗くて解析不能って話でしたけど…まさか…。」
「ああ。そのまさかや。鮮明な映像があったんや。」
「え…。」
「その鮮明な映像はある男を捕らえとった。それが当時死んだと思われとった鍋島。鍋島の存在も当時の経緯も知っとる警備担当者が後日、口封じのために殺された。」
「う・そでしょ…。」
「嘘やと思いたいけどな。つまり内部の人間がどうにかして鍋島という存在が未だあることを隠蔽したかった。そのためにこのような工作活動を行った。こう考えるのが一番説明がつく。」
「そんな…信じられない…。」
「まぁ自分という存在をこの世から消し去られた鍋島はそのまま逃亡を図った。そして3年の月日を経て、再びここ石川県に舞い戻ってきた。」
何もかもが黒田にとって初めて知り得た情報である。とにかく一言も書き漏らしてはならない。彼は必死に片倉の言葉に耳を傾けた。
「なんで鍋島がここに戻ってきたかは、正直その本当のところは分からん。ほやけどお前がかつて「ほんまごと」に書いたネタが多少なりとも関係しとるはずや。」
「なんでしょうか。」
「お前、熨子山事件の背景にツヴァイスタンが見え隠れするとか言っとったな。」
「ツヴァイスタン?」
「おう。それや。」
「え?」
「黒田。おまえ鍋島の出自は知っとるな。」
「ええ…。残留孤児3世ですよね。」
「おう。」
「幼少期に両親が離婚、全国各地を転々とし、高校時にここ石川県に来た。しかしそこで母親が蒸発。年老いた祖父母を抱えての苦学だったと聞いています。」
「お前、その時の金主は突き止めたんか?」
「いえ。それがどうやっても顔が見えなかったんです。」
「ほうか…実はその金主がツヴァイスタンなんやって。」
「え?」
「正確に言うとツヴァイスタンの工作員。つまりスパイ。こいつが鍋島の金主やった。」
「え…?…ということは…まさか鍋島はツヴァイスタンの工作員ってことですか?」
「さあ、そこはよくわからん。ただツヴァイスタンのシンパやったんは確かや。」
「まさかツヴァイスタンが…熨子山事件に直接的な関係があったとは…。」
「残留孤児で語学にハンデがありながらも、あいつの頭の良さは折り紙つきやった。あの一色さえも舌を巻くほどやった。そんなあいつが高校卒業後、進学もせずに自衛隊に入隊した。」
「あの…それはその経済的な部分をなんとか自分で工面するためだったんでは?」
「違う。それならあいつはそのままおとなしく自衛隊で仕事をするはず。ほやけどあいつは1年余りでとっとと除隊した。」
「そこには隊内でのいじめがあったと自分は聞いています。」
「確かに俺も当時はその情報を掴んどってそう思っとった。残留孤児の恵まれん状況から考えると納得できる話やったからな。」
「違うんですか?」
「ああ違う。さっきお前に鍋島の金主の話したよな。」
「ええ。ツヴァイスタンって」
「その情報は当時には無かったんや。そこ踏まえてみぃや。」
「あ…。」
「そうや。あいつは防衛情報を盗み出すために自衛隊に入隊した。んで頃合いを見てとっとと除隊した。」
黒田は唖然とした。
「片倉さん…そのツヴァイスタンの工作員って一体何者なんですか。」
「それは後で。」
この電話の先の男、一体どれだけの情報を持っているのか。果たして今の自分に彼が言う情報を処理しきれるだろうか。黒田は不安を抱えながらも、とにかく必死にキーボードを打った。
「黒田。鍋島という男はツヴァイスタンの息がかかった男。そう考えると何か見えてこんか。」
「片倉さん…俺はいまあなたが言ってるネタをメモするので一杯一杯なんです。変な推理をさせないで下さい。」
「推理じゃねぇって。」
「え…。」
一旦手を止めた黒田は考えた。
「熨子山事件も山県久美子レイプ事件も背後にツヴァイスタンがいる。」
「そう。」
「鍋島の単なる思いつきとかで引き起こされた事件じゃない。」
「ああ。」
「まさかすべてがツヴァイスタンによる陰謀だった?」
「その陰謀論は一面的には正しい。」
「一面的?」
「おう。」
「え?ちょっと待って下さい。ツヴァイスタンと熨子山事件の関係について、俺は「ほんまごと」で一回記事にしてます。ツヴァイスタンは仁熊会と接点を持っていました。この仁熊会がマルホン建設はじめ本多善行、金沢銀行、I県警と蜜月の関係を持っていることから、当時の県警本部長朝倉は一色を使ってそれらの勢力の殲滅を計り、ツヴァイスタンの影響を排除することを画策した。」
「ああ。そう書いてあったな。俺も読ませてもらっとる。」
「この話と今の片倉さんの話を合わせると、あの事件は朝倉本部長や一色貴紀をはじめとする警察の良心派VSツヴァイスタンだったってことになりませんか?」
「おう。」
「しかし一色貴紀が鍋島によって殺害され、鍋島自身も県警に入り込んでいた鍋島の協力者によって逃された。つまりツヴァイスタンの勝利を決めた事件だった。」
「そうなるな。」
「でもそれが一面的って云うんですか?」
「ああ。一面的。」
「じゃあ別の側面を教えて下さい。」
「…わかった。その前にお前、今のところを記事にしてブログにアップしろ。」
「あ…でも…。」
「長くなるんや。途中に休憩挟まんとお前も俺ももたん。とにかくこの藤堂豪と名乗る鍋島惇がいま、金沢銀行で守衛を殺してこの石川県をうろついとるって書いてくれ。」
「鍋島が今もここをうろついている?」
「ああ。」
「そんなこと書いても良いんですか。」
「いい。市民への注意喚起や。」
不特定多数に向けて凶悪犯がこの界隈をうろついていると発すると、混乱を生み出す可能性がある。
「びびんな。捜査の大勢に影響はない。俺がケツを拭く。心配すんな。」
「あ…はい…。」
体勢に影響がないということは、警察側はこのネタを黒田発で世間に流通されるのをむしろ期待しているのかもしれない。
「あの…山県久美子のレイプ事件のことは書いても良いんですか?」
「いい。実名を出さないかぎりは。」
「久美子自身の安全は。」
「大丈夫や。」
「分かりました。一色の交際相手とだけします。」
「おう。」
黒田は片倉に言われる通り、手当たり次第打ち込んだ短文を編集してひとつの記事を作る作業を始めた。
「黒田。編集しながらでいいから聞いてくれ。」
「ええ。」
「お前正直、スパイって信じるか?」
「うーん…。本当のところはピンと来ないんですよ。」
「そうやな。普通の人はそんなもん映画の中の話やって思うわな。」
「でもそんなこと言ってしまったら、いま編集してるこの記事自体がぱあです。なんで実感はありませんけど信じるしかありません。」
「その読者層ってやつもやっぱりそう思うかな。」
「俺自体がピンときてないんですから。」
「そうか。じゃあそこんところを次に記事にしてもらうか。」
パソコンに表示されている時計を見ると時刻は20時を指していた。
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2016年06月27日

100 第九十七話



金沢北署の正面入口を駆け足で通過して階段を登った先に「金沢銀行殺人事件捜査本部」が設置されている大会議室があった。彼はその扉を勢い良く開いた。
「あっ!!課長!!」
本部に詰めている所轄捜査員たちが一斉に岡田の方を見た。
「どうなってんだ。」
「…どうもこうも。こっちが聞きたいくらいですよ。課長っていきなり姿消すんですから。」
「あ?お前ら署長から何も聞いとらんがか。」
「え?署長ですか?」
「おう。」
岡田は部屋の様子を見回した。捜査本部長である若林が座るはずの席は空席である。
「おい。署長は。」
「え…。」
「署長はどこやって言っとるんや。」
「あの…。」
捜査員は口ごもった。
岡田は若林の席のそばの、県警本部の捜査一課の捜査員の前に立った。彼は苦虫を噛み潰したような表情である。
「若林署長はいずこに。」
本部の人間は頭をふる。
「はぁ!?」
「だら。声でけぇって…。何か分からんけどお前がおらんくなってから、ここよう空けとるんや。」
「え?それって…。」
「指揮官不在が頻発。現場は混乱しとる。」
確かに周囲には捜査員の殆どが集結し、机の上に資料を並べて何かを討議している。普通ならその殆どが出払って事件現場で聞きこみに奔走しているはずなのにである。
「ほんなんあんたら本部の方でうまいこと指揮すればいいじゃないですか。ってかあんたらはそのためにおるんでしょ。」
「何言っとれんて。人間の配置は変わっとらんげんぞ。あくまでもお前が主任捜査員のまんまや。ほんねんに本部の方でちゃちゃいれれんわいや。金沢銀行殺人事件の捜査本部長は若林署長。わしらはあのお方の指示を受けて動く。そんなこと勝手にやったら越権行為やがいや。」
「…そうなんですか?」
「はぁ?そうなんですかって…お前…。お前こそ何ねんて。急に捜査本部から消えて何しとったんや。こっちは本部との調整でたいへんやってんぞ。」
岡田は本部捜査員にむしろ叱られた。
「あの…いや…。」
「こっそりお前ん家に電話しても奥さんは知らぬ存ぜぬ。お前の家もどうなっとれんて。」
「んなら直接俺の携帯に電話くれればいいがじゃないですか。」
「駄目やって言われとるもん。しゃあねぇがいや。」
「え?」
「署長にお前と直接連絡取ることは相成らんってお達しや。」
岡田は意味がわからなかった。
「若林署長は察庁お気に入りのキャリアや。わしらノンキャリがあの人すっ飛ばして現場引っ掻き回せるはずねぇやろいや。ったく…。察庁お気に入りかなんか知らんけど現場引っ掻き回すことだけは勘弁してくれま。」
「いや…その…。」
「姿くらましとってんから、よっぽど旨いネタ仕込んできたんやろうな。」
本部捜査員は岡田の背中をその分厚い掌で叩いた。

夜の帳が下りた県警本部の通信指令室にひとりの男が現れた。
「あ!最上本部長!。」
総合司令台の係官が驚いた様子で立ち上がり、彼に敬礼した。
「いいよ。座っていなさい。」
そう言って最上は隣の空席に腰を掛けた。物腰柔らかな言葉を発する彼の姿は大柄で恰幅がよく、まるで帝国陸軍の大山巌を彷彿させる堂々たるものであった。
「どうされたんですか。」
「いやね。ちょっとね。」
これだけ言って彼は前方にある巨大なカーロケーターシステムの画面を眺めた。
110番通報を示す青のランプが点灯した。
「はい110番。I県警です。事件ですか事故ですか。」
受理台が110番に出たのを見た最上は、隣りにいる総合司令官にその受理情報を表示させるよう命じた。
受理台で応答している通話の内容やタブレット端末に速記される情報が最上の前の画面にも表示された。
「事件っていうか…。」
「何でしょうか。」
「藤堂と会いました。」
「え?藤堂?」
最上の顔つきが変わった。
「本部長。まさか藤堂って…。」
「司令官。無線指令を止めてくれ。」
「え?」
「いいから。」
I県警では受理台で受け取った110番通報は、その後方に位置する無線司令官が共有し、通報者とのやり取りをしている間に現場へ指示を出す。最上はこの一連の行動を止めるよう、総合司令官に指示を出したのである。
「いつですか。」
「日曜の夕方です。」
「どこで?」
「南町。」
受理台は通報者のGPSデータを利用し、彼がいまどこにいるかを瞬時に把握した。通報者の位置情報が総合指令台に送られてきた。
受理台は更に尋ねる。
「具体的にどこで藤堂とあったんですか。」
「金沢銀行の職員駐車場です。」
GPSの地図を拡大すると発信者はいまその場所にいるようである。
「どのように接触をしてきたんですか。」
「全身黒ずくめの胡散臭いあんちゃんが自分の車の側におって、声をかけてきました。」
「どのように。」
「久美子は元気か。今度は一色は居ない。」
受理台のやり取りを聞いていた最上と総合司令官、そして無線司令官が息を呑んだ
「本部長…。一色って…。」
最上は黙って受理台のやりとりに耳を傾けている。
「え?あなたは藤堂と面識があるんですか。」
「ありません。久美子は私の娘です。」
「久美子さんと藤堂はどういった関係なんですか。」
「藤堂はかつて久美子をレイプした男です。その男が父である俺の前に現れて脅しました。」
「…何て。」
「変な動きをするんじゃない。俺がお前の前に現れたことは誰にも言うな。警察にも。もしも警察に通報したのが分かったら再び久美子を犯す。」
この通報に通信指令室は凍りついた。
「本部長。無線指令を直ちに出さなくては!通報者と久美子の安全が!」
「待て。」
「何で!」
「待てというのが分からんのか。」
最上は彼の方を見ない。
「くそっ!」
司令官は机を思いっきり叩いた。
「娘さんはどちらですか。」
「自宅です。」
「住所は。」
「金沢市額賀町3-29。」
「本部長。」
「待てといってるだろう。」
行動を促す司令官を再度最上は制止した。
「現在、所轄署員を現場に急行させています。あなたはその場に居て下さい。娘さんがいるところにも署員がいま向かっています。」
「ありがとうございます。お願いします。藤堂をなんとかして下さい。」
「捜査のご協力ありがとうございました。」
110番のやり取りは終わった。
「司令官。」
「はい。」
「この通報について口外無用だよ。」
「え?」
「この件については俺が預かるよ。君たちは暫くの間胸のうちに留めていてくれ。」
そう言うと最上は立ち上がった。
「無線司令官。北署に繋いでくれ。」

「はぁ藤堂を見た?」
「はい。」
「え?ほんねんに何でおまえ手ぶらねんて。」
「ちょっと事情があったんです。」
「事情?何言っとっんじゃ。捜査本部ほっぽり出してそこら辺で油売って、ホシ見たっちゅうげんに連絡もなしで手ぶらでご帰還か?」
本部の人間は岡田に凄んだ。
「すいません。」
素直に謝る岡田を前に、本部の人間は頭を抱えるしかなかった。
「おい。所轄は何やっとらんや!」
この怒鳴り声に捜査本部の中は静まり返った。
「…捜査本部長の署長さんも、その下の捜査一課長さんもてんでバラバラに好き放題に動いて現場ほったらかしかい。」
「まさか署長が不在とは。」
またも本部の人間は頭を抱えた。
その時である。若手捜査員が岡田のもとにやってきた。
「課長。本部からです。」
「あ?」
「課長と直接話しをしたいとのことです。別室にテレビ電話がつながっています。」
「ほらほら、所轄のグダグダっぷりに業を煮やして刑事部すっ飛ばして本部長直々のお叱りや。」
「まじですか…。」
岡田はすごすごと若手に連れられて別室へと向かった。
別室のモニターには本部長席に座る最上の姿が映し出されていた。岡田はその前に直立不動であった。
「まあ座りなさい。」
「いえ。このままで結構です。」
「そうか。じゃあそのままでいい。」
「はい。」
「岡田課長だったね。」
「はい。」
「さっき通報が入ったよ。」
「え?何のですか。」
「藤堂と会ったって。」
「え?通報者は?」
「山県有恒。山県久美子の父親だ。」
「…。」
「警察に言うなって藤堂に言われて、いままで黙ってたそうだ。その間、君が山県久美子の警護をしてたんだろ。」
「え…。」
「ご苦労さん。」
「本部長はご存知で…。」
「どうだい?捜査本部の様子は?」
「あの…。」
「若林くんはまだ油を売ってるのかい?」
「え?」
「やれやれ。名を挙げる折角の機会をお膳立てしてあげたのに、この非常事態の時に離席が目立つってのは困るね。」
「…ええ。」
「岡田くん。君が捜査本部長として指揮を執ってくれ。」
「は?」
「一般市民からホシの情報が通報されたんだ、可及的に速やかに検挙しなきゃいけない。その時に管理者不在だと現場指揮なんか執れんだろう。」
「あの…。」
「しかし安易なキンパイはやめておくんだ。」
「え?と言いますと?」
「どこにイヌがいるか分からないからね。」
「え?」
「発生署配備に留めて、とりあえず藤堂の行方を追ってくれたまえ。」
「あ…はい。」
「くれぐれも内密にな。」
「内密…ですか?」
「タイミングを見てこっちで君に指示を出すから、君は所轄の手綱をちゃんと引っ張っておくんだ。」
岡田は最上のいうことがさっぱり理解できなかった。通報があったというのに現場は目立った動きをするなというのである。
「いいかい。失敗できないからね。」
こう言って最上は通信を遮断した。
「…なんねんて…これ…。」
状況が全く飲み込めない岡田はその場でしばらく立ち尽くすしかなかった。

携帯電話が鳴る音
北陸新聞テレビの報道フロアでパソコンを眺めていた黒田の携帯に着信が入った。
「あーどうもお疲れ様です。こんな時間にどうしました?…え?今ですか?…いまはまだ会社に居ます。ええ。はい…。あ、ちょっと待って下さい。いま場所変えますんで。」
そう言って黒田は通話口を手で抑えて、真っ暗な会社内の喫茶店に移動した。
「で、なんですか?片倉さん。」
「お前、インターネットによる民主的な報道っちゅうもんをまだ信じとるか?」
「え?」
「いいから答えてくれ。」
「当り前です。」
「…そうか。じゃあとくダネが手に入ったら電波に乗せんと、今まで同様「ほんまごと」に掲載するか。」
「黒田さん。お先でーす。」
黒田のに向かって手を降って三波が退社して行ったのを見届けた黒田は深呼吸をした。
「当り前でしょ。」
「…そうか。」
「どうしたんですか。ネタですか。」
「ああ。」
「藤堂からみのことですか。それとも熨子山事件に関係することですか。」
「…全部や。」
「え?」
「お前、今から俺が言うネタをベースに直ちに記事にしてブログにアップできるか。」
「え?」
「できるなら俺が知っとること全部お前に教える。」
突然の申し出に黒田は戸惑った。
「それってネタ元の情報をそのまま垂れ流せってことですか?」
「ああ。」
ありえない。いくら信頼できる人間からのネタといっても精査無しでそのまま記事にするわけにはいかない。
「俺は黒田潔と話をしとるんや。北陸新聞テレビの黒田と話しとるわけじゃない。」
「う…。」
「いまお前の頭には会社員、黒田潔として保身がよぎった。あまりにでしゃばった行動に出ると、何かの拍子で会社から目をつけられるかもしれん。そうしたら干されるどころか、会社にすらおれんくなるって。」
心のなかを見透かされた黒田は何も言えない。
「けっ…結局オマエはインターネット上の自由な報道ってカッコいいこと言っときながら、ただネット論壇で名前挙げて有名になりたいってだけのスケベな奴やったってだけか。会社っていう後立がないと何にもできん口だけの男やったんや。」
いつになく毒を吐く片倉に黒田は流石に頭にきた。
「悪いか!」
「悪くない。」
「え…。」
「公共の利益だけを考えて行動できる高潔な人間なんざ、金と時間の余裕が腐るほどあるってやつくらいや。」
「あ…ええ…。」
「金と時間に余裕がある人間ってのはいわゆる成功者って奴や。なんで成功なんてもんを勝ち得るのか。そう賭けに勝ったからや。」
「賭け?」
「ああ。ここ一番の大勝負でリスクとった結果、成功を手に入れた。」
「リスク…。」
「リスクをとるから得るものが大きい。ただそれだけのこと。リスクもとらんとうまい目に会おうって言う魂胆は俺は関心せんな。」
「片倉さんはここで俺にリスクをとれと。」
「ああ。」
黒田は唾を飲み込んだ。
「俺も現にいま、お前にこう持ちかけとる時点で相当のリスクをとっとる。お前が言うようにインターネットの世界が民主的な言論空間やっていうんなら、ナマのネタをそのままそこに上げて、市場原理でネタの価値を決めてもらおうじゃねぇか。」
「情報の価値を市場が決める…。」
「まぁ投資は自己責任で。」
「考えさせてください。」
「ダメや。」
「なんで。」
「時間が無い。お前の対応の速さがすべてを左右する。お前ができんがやったら俺はこの賭けからさっさと降りる。」
「え…。」
「どうなんや。」
「…直ちに記事にするってどれくらいのスピード感ですか。」
「俺がここでお前に言った側から記事になるくらいの感じ。」
「え…そんな無茶な...。」
「校正なんか必要ない。お前の思うままに書け。それならできるやろ。」
「…なんでそんなに…。」
「やがてわかる。」
黒田はこの片倉の発言の裏になにかとてつもなく大きなものが動いていることを察知した。
「どうや。」
「…やりましょう。」
「よし。」
「直ぐにスタンバります。折り返し連絡します。」
「ああ。頼むぞ。」
電話を切った黒田は自席に戻ってノートパソコンを抱えた。そしてヘッドセットを装着し、報道部の別室に姿を消した。
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2016年06月20日

99 第九十六話



「一色さんがお父さんの上司やったってわかったんは、熨子山事件が起こってからの話。あの事件が起こってあの人が一色さんに関わるなって言っとったんは当たっとったんやってわかった。」
「…そうやったんや。」
「周、あの事件起こった時、一色さんは特に関係ないって無視したやろ。」
「おう。」
「んで冷たいとか皆に言われたがいね。」
「うん。京子ちゃんにも言われた。」
「うん…。あの時はごめん…。今になって何なんやけど。この前西田先生が言っとったみたいに、周のあの時の判断は正しかったと思うの。」
「じゃあなんで、京子ちゃんおれの事責めたん。」
「何か…正直、一色さんってそんなに悪いことをする人には思えんかってん。ただそんだけねん。」
「え?」
「稽古つけてもらって、周と一緒にあの人の話聞いたがいね。あの時のあの人の話し方とか雰囲気とか思い出しても、そんなことするような人にはどうしても思えんかってん。」
「でも、京子ちゃんはお父さんの忠告は正しかったって思ってんろ。」
「うん。でもお父さんが言っとった関わるなってことは、何かそういう意味で関わるなって言っとったんじゃないかって思ってん。」
「は?」
「ほら、もともとお父さんはどうしても関わるって言うんなら、全部引き受けろっていった訳やがいね。」
「あ、おう。」
「絶対に私に危険が及ぶっていうんなら、何が何でも一色さんと私を引き離すはず。けどあの人はそこまでせんかった。」
「…そうやね。」
「結局あの事件って一色さんはなんにも悪くなかってんろ。」
「確かに。」
「事件が起こって一色さんと関わるなって言っとった張本人のお父さんは結果的に一色さんのすべてを引き受けた。事件の解決をすることで落とし所をつけた。」
「そうとも言えるね。」
「お父さんは熨子山事件の捜査をする時に一色さんにどんな感情を持っとって、何考えとったんやろう。それはあの事件以降、いっつも私の心の何処かにあった。そんな中、ひょんな事で北高で西田先生から一色さんの手紙を貰った。」
京子は一色の手紙を取り出した。そしてそれに目を落としながら長文であるその中の一節を読み出した。

”自分が死んでしばらくは平穏な時間が過ぎると思います。しかし2・3年ほどでおそらく何かが起こるでしょう。何かが起こる時に君たちは岩崎香織という美しい女性と接点を何かの形で持つはずです。彼女はコミュというサークルのようなものを運営する側に立って、一般の人たちを組織しています。
先に君たち2人だけに教えておきます。彼女は岩崎香織ではありません。岩崎香織とは世を忍ぶ仮の名前。本名は下間麗という女性です。彼女の父親は下間芳夫。そう、君たちがおそらく一緒に入学を果たしているであろう大学の教員です。
彼女が何故、そのような偽名を使って生きているのか。その辺りの説明はここでは割愛します。ただ、これだけは言えます。彼女にはそうしないといけない事情がある。彼女自身の意志に関わらず岩崎香織として生きていかなければならない事情があるんです。
そこでお願いがあります。君たちに彼女をコミュから遠ざけて欲しいのです。
細かい理由はここでは書ききれません。ですが、それを成すことで彼女は背負わされている重い十字架から解放されます。時間をかけて岩崎香織としてでは無く、下間麗としての人生を歩み直すことができます。
君たちだけではなく、いろんな人達が自分の力の限りを尽くして、いまそれを実行しているでしょう。”

「警察やめたって言って…お父さん、ひょっとしてこのことで今頑張っとるんじゃないかなって…。」
「…まだ一色さんのすべてを引き受けとるってか…。」
「うん…。これ引き受けることで私もお父さんが考えとることが分かるような気がしてん。」
「京子ちゃん…。」
「別に私、お母さんよりもお父さんの方が好きとかじゃないげんよ。お父さんに肩入れしとるわけじゃないげんよ。ただ、よく考えたら私、物心ついた時からお父さんのこと何にも知らんかった。ほやからせめてあの人のことをある程度知ってから、2人が別れるなり何なりすればいいと思うだけねん…。」
京子の瞳に再び涙が浮かび始めていた。
「本当は…別れてほしくなんか…ない…。」
「京子ちゃん…。」
「私だってひとりでこんな訳の分からんこと遺言みたいに押し付けられて嫌やわいね…。ほんで岩崎さんを騙して何とかするってのも嫌や。でも、なんか…周とならできるような気がしてん。」
相馬は再び彼女を抱きしめた。彼女は彼の胸の中で子供のように泣きじゃくった。

アイドリングをして停車している車の助手席で、煙草に火を付けてそれを勢い良く吹き出した。
携帯電話目を落とすと時刻は19時50分を指している。画面には不在着信の通知があったが、彼はそれを削除することで無視をし、前方に見える明かりが灯された一軒の家をしばらく見つめた。
ランニング姿の男が前方から走ってきた。男はそのままこちらの方に向かって走ってくる。彼はそれには関心を示さずにそのまま家の様子を伺っている。
「何やってるんですか。」
気が付くとランニングの男が運転席側に立っていた。
「ちょっと様子を見たくってな。」
「こっちはスタンバイOKです。」
「そうか。」
「相馬の家にも何名か張り付かせています。」
「…理事官に礼を言わんとな。」
「じゃあ。」
男はそのまま走り去った。
「さてと…。あいつにもひと働きしてもらうかな…。」
そう言ってゆっくりとアクセルを踏み込み、彼もまたその場から走り去っていった。

ベッドの上に力なく座り、何もない壁をただ呆然と見つめる岩崎の姿があった。

「だから明日のコミュをもってお前は脱会しろ。この件は俺が黙っておく。」
「え?脱会?」
「ああ。」
「脱会してどうすればいいの私?」
「知らない。勝手に生きろ。」
「え?兄さんも父さんもこれで縁が切れちゃうの?」
「その俺の呼び方はもうやめてくれ。」84
「私ひとりで…どうやって生きていけっていうの…。」

ベッドの傍らには1枚の写真が落ちている。そこには車いすに座る母の下間志乃を囲むように芳夫、悠里そして幼いころの彼女が写っていた。

「お前が母さんのことを心配する気持ちは分かる。俺もそうだ。だが今回の任務が完了したら俺らがまたあの国に帰って昔のような生活ができる保証はない。」
「なんで?だってお父さんそう言ってたじゃない。そう言ってお父さん私達をツヴァイスタンから日本に連れてきたんでしょ。」
「俺だって独自のネットワークがある。そこから日々情報を入れている。だが実際のところ母さんの容体はおろか、その生存も確認できていない。」84

ー10年前ー
夜陰に乗じて一艘のボートが日本海岸に着岸した。
下間芳夫が砂浜に降りると、その後に麗が足元がおぼつかない様子で続いた。
まだ幼い麗は何も言わずに芳夫の後を歩く。
彼は岩陰に沿うように砂浜を歩き、夜釣りをしている男と接触した。
「来い。」
芳夫と麗は釣り道具を片付けた男に連れられて、彼のSUVに乗り込んだ。男はエンジンを掛けて車を発信させた。
「麗。ここがお前の故郷の日本だ。」
「Я не знаю, хорошо темно」
「やめなさい。ここではその言葉は使うんじゃない。」
「…暗くてよく分からない。」
「もう数時間すれば夜も明ける。」
「兄さんは?」
「悠里は東京だ。麗、お前はこれから悠里と生活をするんだ。」
「お父さんは?」
「お父さんは石川で仕事をしている。時期が来たら悠里と一緒にここに来い。」
「時期って?」
「お前は岩崎香織って小学6年生だ。」
「え?小学6年生って、私14なんだけど。」
「いいからお前はここではその年令なんだ。お前はこの春から悠里と生活して、石川大学の大学生になるんだ。大学生になればお父さんとも時々会える。」
「え?6年も先の話?」
「いや、10年後だ。」
「え?意味分かんない。日本は6・3・3・4制でしょ。私が大学生になる時は6年後でしょ。」
「お前は学校には行かない。悠里から直接勉強を教えてもらうんだ。お前が及第点を取れるようになったら、石川大学へ入学できるようにする。」
「どういうこと?そんなのんびりしてたらお母さんの身体悪くなっちゃうよ。」
「お前には専門的な分野の勉強をマスターしてもらわないといけないから、それぐらいの余裕が必要なんだよ。」
「なに…それ…。」
「いいから。お母さんは心配ない。偉い人がちゃんと面倒見てくれてる。それにその偉い人が定期的にお父さんにお母さんの容体を知らせてくれている。麗。お前はお母さんの心配よりも、自分がやらなきゃいけないことをちゃんとやることだけを考えなさい。」
麗は黙った。
「お前がやらなきゃいけないことはわかってるな?」
彼女は頷いた。
「よし。いい子だ。」
「私がその石川大学に行けば、お母さんの身体はよくなるの?」
麗の質問に芳夫は言葉をつまらせた。
「…そうだ。」
「分かったわ。頑張る。」
「いい子だ。麗。」
車はそのまま金沢方面に向かい、北陸自動車道に乗った。途中、有磯海のパーキングエリアで2人を待っていた車に乗り換え、上信越自動車道を経由してそのまま東京に入った。
「着いたぞ。」
芳夫がこう言うと後部座席で眠っていた麗が目を覚ました。
窓から見える居並ぶビルによって削り取られた空が極端に狭いことに、麗は驚いた。
「窮屈だろう。」
「…うん。」
「これが東京ってところだ。人間が住むところじゃない。」
「そうね。」
向こう側からスーツを着た若い男がこちらに向かってやってきた。
「ほら、お前の兄さんの悠里だよ。」
「え?あんな人だったっけ?」
「ははは。お前、兄さんを忘れてしまったのか?」
「だって、兄さんと会うの5年ぶりだもん。」
「あーそうか。そうだったね。麗がまだこんなに小さい時だったか。」
そういって芳夫は当時の麗の背丈を手で表現した。
「あの時はお前は9歳。悠里は18歳だったか。」
「お父さんの頭もそんなに禿げてなかったよ。」
「うるさい。そんなことはいい。」
ドアが開けられて悠里が車に乗り込んだ。
「久しぶりだね。麗。元気だった?」
「うん…。」
「大変だったね。真っ暗な海渡って来たんだ。いい子にしてたかい?」
「悠里。麗は肝っ玉が座っている。あの暗闇の中でこの子は空に広がる満天の星空だけを眺めていた。」
「へぇ。すごいね。普通の人は闇が怖くって泣き叫ぶんだけど。」
「この子はいいもの持っている。」
「本当ですね。」
麗は悠里から顔をそむけている。
「何だよ。麗。」
「悠里。恥ずかしんだよ。」
「人見知り?」
「多分な。」
悠里は口元を緩めた。
「麗。お母さんは?」
「え?」
「お母さんは元気かい?」
「…あ…。」
「どうなんだい?」
麗はコクリと頷いた。
「そうか…良かった。」
「でもベッドで寝たまんまだけど。」
「あ…やっぱりそうなんだ。」
「良くはなっていないの。」
「そうか…。」
「近々、あっちの方に出張で行くらしいな。」
芳夫が悠里に声をかけた。
「ええ。1ヶ月後、ロシアの方へ出張がありますからのときに足を伸ばしてツヴァイスタンまで行ってきます。」
「そうか。」
「その時、俺も母さんの様子見てくる。その間は麗。お前、ひとりでここでちゃんと生活するんだぞ。」
悠里は麗の小さな頭を撫でた。

過去の情景に思いを馳せていた彼女であったが。携帯電話の音によってそれは消えた。
力なくそれを手にした彼女は、発信元の表示を見て身体をこわばらせた。

「大学に入ってから現在に至るまでの長谷部の被害者は33名。こいつは酷いな…。悪魔としか言えない…。」84

「長谷部…。」

「好きになった女の人が元気を失くしとる。そんなの目の前にして放っておけっかいや。」70

「あれ…いろんな人に言ってたんだ…。」
着信が途切れた。彼女はベッドに顔を埋めた。

「麗。これだけは言っておく。お前が今まで生きてきた人生は他人のための人生を歩むだけの受動的な人生だ。いまお前は自分のための人生を歩む重要な岐路にある。岩崎香織ではなく下間麗としてな。」84

麗の動きが止まった。
「下間麗として?」
顔を上げた麗は窓に映りこんだ自分の姿を見つめた。

「いま俺は兄としてできることの精一杯をやっている。頼むから俺の言うとおりにしろ。」84
「明日のコミュには来てくれ。俺の方でうまくやる。お前はそれに合わせてうまく立ち振る舞え。」84

「兄さん…。何ひとりで背負っちゃってんのよ…。」
そう呟いた彼女の手は携帯電話を握っていた。
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2016年06月15日

98.1 【お便り紹介】



今回もハチノホヤさんからのお便りを紹介します。
4月と6月に頂いたお便りをまとめて紹介します。

闇と鮒では皆さまのお便りを募集しています。
お気軽にウェブサイトからご投稿下さい。
よろしくお願いします。
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2016年06月13日

98 第九十五話



正確に言えばものの3分程度の間だ。しかし女の涙というものを経験したことがない彼にとっては、京子の顔が自分の胸の内にあるという時間は途方も無く長いものに感じられた。
「お父さんに近づけると思った...。」
相馬の胸に顔を埋めたまま、彼女は消え入るような声を発した。
「え?」
「お父さんが何を考えとるんか、少しでも分かればいいと思って引き受けてん...。」
「え?何のことけ?」
「一色さんの手紙の件。」
ごめんと言って彼女は相馬の手を解き、テーブルに置かれていたティッシュを何枚か引き抜いて、それで自分の目の辺りを拭った。
ため息を付き、天井を見つめて気持ちを落ち着かせたのか、彼女は再び相馬と向い合って座った。
「…どういうことけ。」
「ウチ、お父さんもお母さんもダメねん。」
「え…。」
「お母さん、正直お父さんに愛想つかしとれん。」
なるほどそういうことかと京子の母がこの時間に家にいないことが妙に腑に落ちた。反面、なんとも気まずい気持ちが彼の心を覆う。
「だって嘘ついとるげんもん…。」
「嘘?」
「うん。」
「京子ちゃんのお父さんが?」
京子は頷いた。
「あの人、警察辞めとらんげんわ。」
「え...なんでそんなこと言えらん…。」
「ほんなもん分かるわいね。いくら商社勤めって言ったって、こんなに家空けて全国各地で営業なんかせんわいね。」
「でも行商みたいに全国行脚する商売だってあるがいね。」
「あの人は警察のOBがおる会社に行ってんよ。警察関係者が何人も居る会社がそんな営業会社って考えにくくない?」
「まぁ…。」
京子の言うことはもっともだ。京子の父は営業とは無縁の公務員、とりわけ警察官である。大学3年の娘を抱えるような年齢にも関わらず、今までのキャリアを捨て、ある日突然行商に近い営業会社に転職するだろうか。確かに普通に考えれば不自然だ。
「私、1回あの人の会社に行ってみてん。」
「うそやろ…。」
「あの人のスーツのポケットに名刺入っとったし、その住所調べて実際に行ってみてん。ほしたらただのマンションやってん。」
「マジで。」
「うん。んでネットで間取り調べたら、どの部屋も1LDKか2DKの狭い部屋ばっかり。あんなところに何人も従業員おる会社なんか考えにくいわ。」
「…そうやね。」
相馬は彼女の行動力に唖然とした。
「ほやし多分あの人、まだ警察やと思えん。私らを欺いてまでもせんといかん仕事があったんやと思えん。」
「まぁ…俺は警察の仕事とかってさっぱり分からんから、何とも言えんけど…。」
「仕事が仕事やから分かれん。多少の嘘つくんは。ただ…ね…。こんなに長い間、騙されとったって分かって正直がっくりきてん。」
「じゃあいままではどうやったん?お父さんは。」
「今までは家空ける日が多い時は、仕事の関係でどうしても帰れんとか、一応私らに報告入れてくれとってん。」
「ふうん。一応嘘はついとらんかったってわけか。」
「警察辞めてから普通の生活が送れるとかあの人喜んどってんに、それはつかの間のこと。今の会社に勤めだしてから出張出張。」
「そうなんけ。」
「ほんで出張も勤務先の会社の存在も全部嘘やろ。そんなこと分かってしまって、あの人のことどうやって信じればいいっていうがん?」
まるで自分が責められているように受け止められた相馬は、ただ黙るしかなかった。
「『お父さんだって辛いげんよ。好きで嘘ついとるわけじゃないげんよ。』とかってお母さんは頻りにあの人のこと私に弁護するけど、ほんなん形だけやわ。」
「え?なんで?」
「新車買ったこと口実にして友達と一緒にドライブとかって言って、本当のところ男の人と会っとるもん。」
「え…。」
「今日だって私に出かけるとか何も言っとらんし、ほんで携帯に電話しても繋がらんし。」
「それ…って…本当なんけ。」
「本当やわいね。私見たことあるもん。変なメガネがウチに時々来とるの。」
相馬は絶句した。
「いい歳こいて若めの男に熱上げとるとこなんか、見とれんよ。」
「京子ちゃん…。」
なるほど。先ほど京子が母の帰りがわからないといったのは、わかりたくないという願望が篭ってのものだったのか。
「ほんであー住みにくいわ、この家…みんな嘘つきやわって思っとった時に、この間の北高やってん。」
「あ…おう。」
このまま片倉家の家庭の事情を吐露されても、自分には受け止めきれるだろうか。そう不安を感じつつも京子の言に耳を傾けていた相馬は、ここでの話題の転換に内心ホッとした。
「一色さんからの手紙って西田先生から貰ったとき、正直わたしすっごい面倒くさかってん。」
「え?だってあの時京子ちゃんのほうが乗り気やったがいね。」
京子は頭をふる。
「ううん。はじめは何なんこの展開って思った。」
「じゃあなんで?」
「なんかふと思い出してん。そう言えばあの人、時々一色さんのこと家でこぼしとったなぁって思って。」
「え?どういうこと。」
「あの人がまだ警察辞める前ねんけど…。」
そう言って京子は当時を振り返り始めた。

ー熨子山事件発生の半年前ー
「ただいま。」
高校から帰宅した京子は玄関で靴を脱ぎ、そのまま階段を登って自分の部屋に向かった。
「京子。」
ジャージ姿の片倉が呼んだため、彼女は途中で足を止めて振り返った。
「なに?」
「お前な、一応帰ったら家族に顔見せれま。」
「あーおったんや。」
「おったんやじゃない。帰ってきたら悪いんか。靴もちゃんと揃えなさい。」
「はいはい。」
「はいは一回でいい。」
「はい。ごめんなさい。」
京子は片倉にペコリと頭を下げた。
「よし。ちょっといいか。」
片倉はリビングの戸を開けて京子を中に通そうとした。
「え?何ぃね。」
「お前に聞きたいことがあるんや。」
「えーシャワー入りたい。」
「ちょっとのことや。いいがいやんなもん。」
「稽古で汗臭いよ。べっとべとやよ。」
「あ…じゃあその後でいいから。」
シャワーから上がり、濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら京子はリビングにやってきた。母はキッチンに立ち夕飯の支度をしている。
「んで何けお父さん?」
新聞紙を広げていた片倉はそれを畳んだ。
「あぁ京子、一色って奴知っとるか。」
「一色?」
「おう。京子のとこの部活の先輩や。結構むかしの人間やけど。」
「あー知っとるわいね。」
「おう、どう知っとる。」
「ウチら剣道部の歴史の中で唯一県体で団体戦で準優勝の成績収めたときの部長や。」
「あ、ほうか。」
「どうしたん。」
冷蔵庫からアイス棒を取り出してそれを咥えながら京子は片倉を見つめた。
「京子はその一色と面識あるんか。」
「うん。」
「え?いつ?」
「え?ほんのつい最近。」
「つい最近って?」
「先週。」
「先週?どういうきっかけで。」
「…なんか久しぶりに稽古したくなったからって言って、防具持ってウチの学校まできて稽古つけに来てくれてん。」
「稽古?」
「うん。」
「で。」
「でって…。随分ご無沙汰やって言って、正直体が動くか分からんけどって言っときながら、実際稽古したら私らこてんぱんにやられてん。」
「ほんで。」
「良い動きしとるからその調子で頑張ってって言われた。」
「で。」
「え…ほんでこれやったほうがもっと伸びるよってメニューくれた。」
「なんやそのメニューって。」
「かかり稽古と囲碁の本。」
「は?何?かかりはわかるけど、囲碁?」
「うん…。」
「なんでや。」
「なんでって…なんかお父さんに取り調べされとるみたい…。」
「あ…すまん…。」
ビールグラスをテーブルに置いた片倉はため息をついた。
「何?どうしたん?」
「いや…なんでもない…。」
「なんでもないわけないがいね。第一なんでお父さん、一色さんの事知っとらん?」
「え?いや…別に…。ちょっとな。」
「なんでそんなにガッパになってあの人のこと聞くん?まさか…あの人のこと捜査しとるとか…。」
「いや、そんなんじゃない。」
「じゃあどんなん?」
片倉はジャージのポケットからハンカチを取り出して、それをテーブルの上においた。
「あ、それ私がお父さんに上げたハンカチやがいね。」
「おう。これアカフジってブランドやろ。」
「うん。」
「イタリアのブランドで鞄とか財布とかの小物中心に結構人気ある。お前の財布もここのやつや。」
「へぇ勉強したんや。」
「勉強じゃないって、その一色が俺に教えてくれたんや。」
「え?何?一色さんってお父さんの知り合いとか?」
「まぁ…そんなところや。最近ときどき顔合わせるようになったんや。」
「えーうそー!?」
「んで、このハンカチは娘から貰ったから正直そんなブランドのこととか分からんわっていったら、その娘さんってまさか京子とかって名前の子かって聞いてきた。」
「え?」
「この間、久しぶりに母校で剣道の稽古をやった時に垂れに片倉って書かれた女の子がおって、その子もアカフジの財布持って自販機で飲み物買っとったのを覚えとってってな。」
「うそ…一色さん。私のこと覚えてくれとったんや。ってか…すっごい偶然…。」
この時京子の頬に赤みが刺したのを片倉は見逃さなかった。
「何やお前。」
彼は怪訝な顔で京子を見た。
「ねぇねぇお父さん。一色さんって何しとる人なん?」
「あ?」
「あの人確か東一行っとれん。頭すっごいいいげん。」
「知らんわいや。」
「剣道も強いし頭もいいってチートすぎんけ。」
「は?チート?なんやそれ。知らん。興味ない。」
「何でぇね。私ら北高剣道部の中やったらレジェンドやよ。レジェンド。」
「けっ何がレジェンドや。」
「お父さんとあの人が偶然接点があるってのも何かのご縁やと思うよ。ご縁は大切にしといて損はせんよ。」
「だら。」
「え?」
「あいつはお前が思っとるほど良い奴じゃない。」
「何ぃね。なにヤキモチ焼いとらん。」
「なんで娘にヤキモチなんか焼くぃや。」
「じゃあ何なん。ほんなら何で一色さんのこと私に探ろうとしたん?最近知り合ったピッカピカの男が何でか分からんけど自分の娘と接点あって、妙にその娘のことを覚えとって、ひょっとしてその男が娘をたぶらかそうとしとるんじゃないかってヤバいって思ったんじゃないが?」
キッチンに立っている母はこの京子の物語にクスリと笑った。
「違う。」
「何なん急にぶすっとして。せっかくのご縁やがいね。」
「京子。」
片倉は改まって京子を見た。
「いいか。父親としてお前に忠告しておく。あの男とは関わるな。」
「なんで?」
「理由はここでは言えん。とにかくあの男とは距離を置け。」
忠告の意味を持つ片倉の鋭い眼差しに京子は口を噤んだ。
「ただ、どうしてもあいつと関わるというなら、すべてを引き受ける覚悟で行け。一色だけじゃない。世の中にはそういう人種の人間っておるんや。それだけを京子、お前に言いたかったんや。」
料理ができたようだ。料理をテーブルに並べるその時の母の口元には、何故か薄っすらと笑みが浮かんでいたように思える。
「京子。そういやお前、相馬さん家の周くんとはどうなんや。」
「え?」
「一色もいいかもしれんけど、お前身近にもっと良い奴居るんじゃないんか?」
「はぁ?周?」
「おう。同じ剣道部の部長同士。なんかうまい話でもないがか?」
「ちょ…ちょっと!! 変なこと言わんといてま!」
片倉の忠告にどこかぎこちない空気が漂った食卓であったが、このやり取りがこの場を和ませた。
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2016年06月06日

97 第九十四話



「まだ帰ってこんがか。」
山県邸に張り付いたままの岡田は前方を確認し、車内でコンビニのおにぎりをかじった。
「うん?」
彼の車の前に一台のワンボックスカーが止まった。そのため岡田の視界は塞がれた。
「まずい。」
岡田はエンジンを掛け、場所を移動しようとした。
その時である。ガッシリとした体つきのスーツ姿の男が二人、ワンボックスカーから降りて岡田の側に駆け寄ってきた。
「何や…。」
ひとりが岡田の車の後ろに立ち、彼の車は瞬く間にワンボックスカーと人間によって前後を抑えられ、身動きがとれない状況になったのである。
「プロやな…。」
もう一人の男が運転席の窓を軽くノックした。よく見ると彼の左耳にイヤホンが装着されている。
岡田はゆっくりと窓を開けた。
「なんの用や。」
「交代です。」
「あん?」
「すぐに所轄に戻ってください。」
「はぁ?お前らなんねん。どこのモンや。」
「警視庁です。」
「警視庁?」
岡田は男の発言にタダ事ではない雰囲気を感じた。
「山県久美子の警護は我々でやります。つべこべ言わずにあなたはさっさと北署に戻って、捜査一課課長の職責を果たして下さい。」
「なにぃや。俺の身分は今宙ぶらりんなんや。」
「大丈夫です。」
「何が。」
「いいからさっさと戻れ。」
凄みのある声で岡田は一喝された。
「断る。俺はいまは警察官じゃない。」
ちっと舌打ちした男はしぶしぶポケットからあるものを取り出して岡田に見せた。
「あ…。」
「あんたの警察手帳だ。これでいいだろう。」
「え?なんで…?」
「戻ればわかる。」
そう言って男は腕時計に目を落とした。
「10分だ。10分で所轄に戻るんだ。話している暇はない。」
余計なことは話さない。極めて冷静に淡々とした様子だ。これに岡田は何かを感じ取ったようだ。
岡田が警察手帳を受け取ると、車の後方に立っていた男がどいた。それを見て岡田は一気にアクセルを踏み込んでバックし、その場から走り去った。
「聞いたとおり天邪鬼なところがあるな。」
「こじらせなくてよかったですね。」
「ああ。」
男はイヤホンマイクに口を近づけた。
「岡田。所轄に合流。10分で到着。」
「了解。」
「俺ら警視庁まで動かしてんだ。相当でかい山だぜこれは。」

自宅の冷蔵庫を開けるも食事にあてがうような食材はない。しぶしぶ相馬は家を出て近くのコンビニに向かった。
ーなんねん…。急に結婚記念旅行って…。いい歳こいて何盛り上がっとれんて…。
彼の脳裏に卓と尚美が手を繋いでキャイキャイしている様子が浮かんだ。
ーォ・・ォェッ・・・勘弁してくれま。
彼は乱雑に頭を掻いた。
ーヤメヤメ。ほっとけほっとけ…。ほんなことよりもメシや、メシ。
ポケットに手を突っ込んで相馬は地面を見ながら歩いた。
ー岩崎さん、ちゃんと長谷部とうまいことやってくれとるかなぁ。…やっぱりあの娘だけに投げるんじゃなくて、長谷部にもこっちからどうやどうやってせっついたほうがいいんかなぁ。でも何でおれがそんなにガッパになっとるんやって怪しまれると最悪やし…。
「あ…カレーの匂い。」
なんとも言えない魅力的な香りが相馬を誘った。彼はその発生源を鼻で探り、知らず知らずのうちに香りの出元の方へと進んでいた。
「あ…。」
彼の目の前に現れたのは明かりが灯る片倉邸であった。
「京子ちゃん家か…。あれ?」
相馬は気がついた。いつもこの時間に止まっている母親の新車がない。彼女はまだ帰っていないのか。踵を返して彼はコンビニがある方向とは逆の方へ進んだ。
暫くして小さな駐車場に出た。京子の父がここに車を止めていることを知っていた相馬は、それを確認しに来たようである。

「だっていつもおらんもん。しょうがないがいね。」
「まあ…。」13

彼女の言うとおり父親の車はこの時も無かった。
ふーっと息をついた相馬は再び片倉邸の前に向かった。
ー京子ちゃんのお母さんがこの時間に家留守にしとるって珍しいな…。
カレーの匂いに誘われて歩み、気が付くと彼は片倉邸の玄関の前に立っていた。
ーどっちもおらんがやったらちょっと顔出してみっか。
玄関のチャイムを鳴らすと足音が聞こえ、鍵が開けられた。
「おかえりー…って…あれ?」
「おう。」
「周?」
「おう。ちょっとコンビニ行く途中にいい匂いしたから顔出してみた。」
「あ…そう。」
「カレー?」
「うん。」
「お母さんは?」
「え?」
「家の前に車ないからどうしたんかなって思って。」
「あ…今日は遅くなるらしいげん。」
「あ…そう。」
「周って晩飯食べたん?」
「ううん。まだ。これから食べる。」
「家で?」
「あぁウチもなんか親ふたりとも急に旅行行くって言っておらんげん。んで晩飯どうすっかなってコンビニに行く途中カレーのいい匂いして、元を辿ったら京子ちゃん家やったってわけ。」
「あ、そうなん。じゃあウチで食べていきなよ。」
「え?いいが。」
「うん。だって私もひとりやもん。せっかくやしどうぞ。」
「あ…じゃあお言葉に甘えて。」
「って、始めっからご飯にありつこうって魂胆やってんろ。」
「…はい。そうです。」
「素直でよろしい。」
LDKに通された相馬はダイニングテーブルのところに座り、部屋を見回した。
「あんまり変わっとらんね。」
「え?」
「ほら昔、ここで坊主めくりしたことあったいね。」
「ああ、すっごい昔の話やね。小学校の時じゃない?」
「うん。2年か3年の時や。なんでか分からんけど坊さん引いたら、ぼーんさんぼーんさんって言ってケタケタ笑っとった。」
「あーなんかそうやったね。」
「今思えば何が面白かったんか分からんけど、とにかくあの時、友達も一緒になって爆笑しとった。」
「そうやね。」
「あの時と部屋の様子があんまり変わっとらんように思う。」
「そうかな~。結構模様替えとかしとるよ。」
「え?そうなん?」
「うん。周ぇ〜そんなにウチに来とらんがいね。」
「あ…うん。」
「適当なこと言わんといて。」
「あ…ごめん…。」
思い起こせばこの空間での京子との思い出は、さっき彼が言った幼少期のものだけだ。相馬も京子も無邪気にはしゃいでいた頃である。
相馬は夕飯の用意をする京子の後ろ姿を見つめた。彼の前にある京子の姿はその頃の彼女ではない。紛れも無く大人の女性の姿であった。キッチンに立ち手際よく食事を盛りつけ、洗い物を済ませる彼女の姿は、肩から腰、そして足先にかけて女性らしい見事なSの曲線を描いている。
「なに見とらん?」
「あ?え?」
「まぁいいわ。はいどうぞ。」
相馬の前にカレーが盛りつけられた皿が給仕された。
「いただきます。」
合掌を解いた相馬はそれを口に入れた。
「あちっ。」
この第一声に京子は肩をカクンと落とした。
「えーそれ?」
「だってあっちぃもん。」
「当り前やがいね。それじゃなくて。」
「あ…ウッメ。」
呆れ顔だった京子に笑みが浮かんだ。
「ウッメ。これ。たっだウッメ。」
「本当?」
「うん。京子ちゃんって料理うまいげんね。すっげこれ。ウッメ…。」
「何か…プリンの時とおんなじやね。」
「え?」
「ほら何か、もうちょっとうまく言えんが?」
「何ぃね。うまいもんは美味い。ほんでいいがいね。」
そう言ってカレーをむさぼり食う相馬の姿を、京子は微笑ましく見つめた。
「うん?どうしたん?」
「うん?え?あぁ…なんでもない。」
「あ、そう。」
「…なんか嬉しくって。」
「へ?」
スプーンを手にする京子の頬に赤みがさしていた。
「だって…今日はひとりでご飯やと思っとってんに、周が来てくれたから…。」
相馬の食事のスピードがとたんに落ちた。
「…そう。」
「うん…。」
「そういや、お母さんって何時に帰ってくらん?」
「わからんげん。」
京子はスプーンを置いてしまった。
「わからん?」
「うん…。」
相馬は動揺した。なぜならば目の前の京子の瞳にあふれんばかりの涙が湛えられていたからだ。
ことの重大さを察した彼は咄嗟に食事を止め、京子の側に寄った。
「いいよ。無理せんで。」
彼は彼女を引き寄せてそのまま抱きしめた。
彼女の涙が自分の胸を濡らすのを感じながら、相馬はただ黙っていた。
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2016年05月30日

96 第九十三話



「おそらく今川が想定する執行部の上層部は、そのユニコードっていうシロモンを簡単に扱うことができる人間ねんろ。OTP(ワンタイムパッド)なんかでチマチマ変換作業するほど余裕が無い。今川はその相手に至急連絡をとって、確認をしたかったんや。」
古田は部屋の畳にどっかと腰を下ろし煙草を咥えた。
「まぁその理由を詮索するほど、今はこちらも余裕が無いんですわ。」
「と言うと?」
「やわら反撃の狼煙が上がる。」
「え?」
「警部。こっからは予定もクソもありませんよ。時間との闘いや。」
そう言うと古田は時計を見た。
「んで決断する場面が圧倒的に多くなる。さっきみたいな考え方は捨てたほうがいいですよ。」
古田は先程の冨樫と神谷のやり取りをすでに知っていたようだ。
「ねぇ冨樫さん。」
冨樫はにやりと笑ってそれに応えた。それを受けて神谷は覚悟を決めたような表情で古田を見た。
「さあて。伸るか反るかの大博打の始まりや。」
「古田さん。何やるんですか。」
冨樫が古田に尋ねた。
「冨樫さん。あんたIT関係のことよう分かっとるやろ。」
「ええ、まぁ。」
「あんたなら直ぐに分かるかもしれん。」
「なんでしょう。」
「相手方の情報処理能力をダウンさせる。」
「ダウン?」
「ああ。ほら昨日石電のWebサーバがダウンしたやろ。」
「ええ。Dos攻撃と思われます。」
「それとおんなじことをアナログであいつらにぶつける。」
「…ほう。」
「んで、そこであいつらを撹乱、離散させ一匹ずつ確保。」
「なるほど。」
「これは佐竹の案や。」
「佐竹…佐竹康之ですか。」
「ああ。ワシら古い人間には思いつかんいまどきの発想や。」
「それですか。課長が佐竹を使うって言っとったんは。」
古田はさてと言って煙草の火を消して神谷と向かい合った。
「今川にレスしてやりますか。」
「どのように?」
「今川の処理能力をダウンさせるような感じで。」
「警部。今川は朝倉に疑心暗鬼になっとる。回答次第で2人の間に決定的な亀裂を生じさせることができます。」
神谷はしばらく考え、古田と冨樫にシナリオを描いてみせた。

「部長。情戦は僕で最後です。」
「あ…あぁご苦労さん。」
情報戦略事業部の部長室にスタッフが顔を出した。
「部長は何時ごろまでいらっしゃるんですか。」
「あぁ俺はちょっとやらないといけないことがあってな。なんだ。今日はやけに情戦は上がりが早いじゃないか。」
「早い…ですか?」
このスタッフの言葉に今川は壁にかけられている時計を見た。時刻は19時50分を指していた。
「あぁ…すまん。なんだか最近時間の感覚がおかしくなってしまって。」
「大丈夫ですか部長。」
「…駄目かもな。」
「え?」
「ははは。冗談さ冗談。俺に気を遣うな。」
「それではお言葉に甘えて。」
「おう。気をつけてな。また明日頼むな。」
「はい。ではお先に失礼します。」
スタッフが踵を返した瞬間、今川は彼を呼び止めた。
「あ…待って。」
「え?」
「お前、確か家族に介護が必要なひとがいるんだったな。」
「部長…覚えてくれてたんですか。」
「あぁ、なんか…ふと…な…。」
「父が認知症なんです。」
「あぁ…それは…。」
今川は気の毒そうな顔を見せた。
「幸いウチの父は早い段階で認知症だって分かったんで、世間一般に言われる徘徊とかっていう重度の状態にはなっていません。今は薬と食事療法で進行をなんとか食い止めています。」
「そうか…。家庭が大変なのにこんなに遅くまで仕事やってて大丈夫なのか。」
「妻と俺が交代交代で毎日、父の家に顔を出していますからその辺りは大丈夫です。」
「え?毎日?」
「ええ。認知症の進行を遅らせる一番の特効薬はコミュニケーションなんです。人と何でもいいから話をする。話をすることは脳を使いますから。」
「コミュニケーションか…。」
「後は散歩ですか。」
「散歩?」
「ええ。足腰を使って肉体を鍛えるっていう意味もありますが、そもそも適度な運動は脳の活性化を促します。また散歩をすると周囲からいろんな情報が入ってきます。例えばこれからの時期はひまわりとかですよね。そういった植物を見て季節を感じたり、通りを歩く人を見て活気を感じていろいろな思いを巡らせる。目に入るものがみんな情報なんです。こういった情報処理をすることで脳の活性化を図るんです。」
「なるほど…散歩が情報処理だっていうのは新鮮だ。」
「わざわざ気にかけてくださいましてありがとうございました。」
「あ、あぁすまない。早く帰らないといけないのに呼び止めてしまって。」
「いえ。部長もあまり無理をせず。」
そう言ってスタッフは部屋を後にした。
溜息をついた今川は椅子に深く身を委ねた。
「若いのに親の面倒を見るか…。感心するが気の毒ではあるな…。俺がもしも親の立場だったらどう思うだろうか。自分の存在が子供の足枷になっているとなると、なんとも言えない辛い気持ちになるだろう…。」
立ち上がった今川は腕を組んで窓際に立った。
「家族か…。結局そこに行き着くのか…。」
こう呟いた時のことである。今川のパソコンに一通のメールが届いた。
彼はすぐさまそこに寄って件名も何も記載されていないそれを開封した。

0412044b0441044b043b043a0430041d04300431044d04410438043c0430043d04350441043b044b04480430043b.

数字とアルファベットの羅列である本文にバックスラッシュとuの文字を4桁ごとに付け加え、彼はそれを変換ツールに貼り付けた。

Высылка Набэсима не слышал.
Серьезное нарушение дисциплины.
「鍋島除名は聞いていない。重大な規律違反だ。」

声を出した瞬間、今川の首筋に汗が流れだした。
ーやっぱりだ…。朝倉の奴、上に報告もせずに勝手に自分の裁量で俺らを動かしている。俺はまんまとあいつの暴走の片棒を担がされた。
息遣いが荒くなった今川は頭を抱えた。
ーどうする…。弁明しなければ…。
汗が止まらない。熱くもないのに止めどなくそれが首を伝う。
ーなんで朝倉は単独でそんな無謀なことをしたんだ…。あ、いや…そんなことは今はどうでもいい。なんとかこの場を凌がないと俺には先がない。
すぐさまもう一通メールが届いた。彼は先ほどと同じように英数字の羅列を変換しそれを読んだ。

Позже захоронение.
Вы были важный доклад. Поэтому вы греха не имеет значения.
追って処分する。
お前は重要な報告をした。よってお前の罪は不問に付す。

荒かった息づかいは、この最後の一文で若干の落ち着きを見せた。
「助かった…。」
ー待て…俺はいい。だが下間らはどうなる。現に悠里はいま鍋島を消すために動いている。止めたほうが良いのか?
再び今川はキーボードを打ち出した。

Юрий ли вы остановить?
「悠里は止めますか。」

この端的なツヴァイスタン語を英数字のユニコードに変換し英数字のみの状態に加工してそれを送った。

「志乃はどうなんですか。」
「とりあえずオペは成功したらしいが、その後の情報はまだこちらにも入ってきていない。」
「…そうですか。」
「闘病生活を送っている妻を遠い異国の地に置き去りにし、子どもたちと共にここ日本で工作活動を行う君の心情は察している。俺としては最善を尽くさせてもらうよ。」
「ありがとうございます。」
「しかしだ。」
「はい。」
「今しばらくはその感情はどこかにしまっておけ。」54

ー思えば下間らの行動の源泉も家族か…。つくづく厄介な関係性だな…。
返信が来た。

Приведенные ниже инструкции.
Вы белые ожидания.
「追って指示する。お前は待機しろ。」

今川はこれに了解とだけ返信をし、そのまま机に突っ伏してしまった。
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2016年05月23日

95 第九十二話



県警本部の通用口を経由した古田はエレベータを降りた。
カタカナのロの字になっている階の角をひとつ曲がると、そこには警備部長室があった。在室のランプが灯っている。古田は扉をノックした。
「失礼いたします。」
大きな机の向こう側に土岐が何やら険しい表情で着席していた。土岐に向かって左側の壁には日章旗が掲げられている。反対側の壁に掛けられた時計の時刻は19時を指し示していた。
「俺は忙しい。手短に済ませろ。」
「片倉さんからお聞きかと存じますが、彼は捜査をワシに一任しました。」
「聞いている。しかしチヨダマターの直接的な管理者は俺じゃない。察庁の理事官だ。お前も警察のOBならそれくらい分かっているだろう。」
土岐は呆れ顔を見せた。
「ええ。そうです。んでワシはいまはただの民間人です。」
「いち協力者にしか過ぎない身分の人間に、何であいつは捜査を一任したんだ。」
「わかりません。ですがワシとしましても一任された以上なんとかせんといけません。」
土岐はため息をついた。
「ったく。察庁は何やってんだ。現場のゴタゴタをなんで俺が調整しないといけないんだ。」
「すいません。ワシは察庁の連絡窓口は聞かされていないもんで。」
「その辺りを調整してから俺を通せと言うんだ。順序が違う。」
「部長の仰ることは至極もっともです。先程言ったようにワシはただの民間人。いくら片倉さんから一任されたと言っても、ワシが現場捜査員の指揮を執る訳にはいきません。ワシができるのは今と変わらず捜査の協力だけ。」
「そうだ。」
「よってここはひとつワシの代わりに現場の指揮を執ってくれる人間を部長の方から任命してもらえませんか。」
「暫定責任者か。」
「ええ。」
土岐は立ち上がった。そして後ろ手に組み部屋の中を歩き出した。
「秘匿性の高い公安課の人事を他の課からの異動を持って当てることはできんだろう。」
「はい。」
「神谷だ。」
「神谷?」
「ああ。」
「その神谷という方は現場とはうまくやれるんですか。」
「わからん。それはお前が調整しろ。」
土岐はぶっきらぼうに言った。
「わかりました。」
「それでいいな。」
「はい。」
土岐は時計を見た。
「俺から公安課にその指示を出す。あとはそっちでうまくやれ。」
土岐はそわそわした様子である。
「どうされたんですか部長。いまはもう19時です。やわらお帰りの時間ですよ。なにをそんなに慌ててらっしゃるんですか。」
「俺はいま別件で立て込んでいるんだ。暇じゃないんだよ。」
「あ…はい。申し訳ございませんでした。」
「あんまりOBがうろちょろするんじゃないぞ。」
「ええ、気をつけます。」
そう言って古田は部屋を後にしようとした。
「あれ?」
「なんだ。」
「この日の丸…。」
土岐の顔色が変わった。
「真ん中がちょっと皺が寄っとるような…。」
「おい。お前はさっさと持ち場にもどれ。邪魔だ。」
「あ…はい。」
そそくさと部屋を出た古田は灯りの消えた県警の闇の中に吸い込まれていった。

「Теперь, чтобы быть исключен из Набэсима по инструкции от капитана. Юрий переехал в изгнание.

「え?何ですか?」
「キャプテンからの指示で鍋島を除名する事になりました。除名に悠里が動いています。」
「キャプテン?除名?」
パソコンと向い合っていた冨樫は神谷の横に座った。
「冨樫さんが今川の携帯に送った乱数表と照らしあわせて解読すると、こう読めます。」
「あぁ…こりゃあアレですね。課長の読みは当たっとったってことですか。」
「今川らと鍋島が仲間割れを起こしている。その可能性大です。」
「悠里は鍋島を消すために姿を消した。そのリミットは明日の19時。」
「すぐ課長に報告します。」
神谷は片倉の携帯に電話をかけた。
「今川の上位の存在がキャプテン。そうなるとキャプテンは朝倉と読むしかないか…。」
「冨樫さん。ダメです。課長の携帯が繋がりません。」
「…警部。どうします?」
「え?」
「これからどうします。」
「それは課長に指示を仰いで…。」
「駄目です。課長言ったでしょう。後は現場に任せるって。」
「でも、そんなこと急に言われても対応しきれません。」
「あんたはワシよりも階級が上や。ワシはあんたの命令に沿って動きます。」
困惑した表情を見せた神谷の携帯電話が震えた。彼は片倉から折り返しの電話であると思い、とっさにそれに出た。
「あ神谷です。課長。裏取れました。」
「は?何言ってるんだ神谷課長補佐。」
「え…。」
「片倉じゃない。土岐だ。」
「あ…。」
「公安のくせにどこからのものか分からない電話に安々と出るとは何事だ。」
「申し訳ございません。」
電話越しに土岐はため息をついた。
「大丈夫かお前...。」
「あ…はい…。」
「片倉不在のimagawaはお前が仕切るんだ。」
「え?」
「え?じゃない。」
「でも聞いてません。」
「馬鹿。察しろ。」
神谷は口を噤んだ。
「俺は情報調査本部長としての仕事で手一杯だ。これはチヨダ直轄マター。現状の捜査員以外に協力を募るのは避けなければならない。そんな中でお前以外に誰が捜査の陣頭指揮を執れるっていうんだ。」
「急に言われても…。」
「何言ってるんだ。いいか。これは片倉からの依頼なんだ。あいつの知恵袋も今そこに向かっている。そいつのアドバイスを聞いて冨樫と協力して現場を仕切れ。」
「あ、あの…。」
「言っただろ。察しろ。お前らが仕掛けた罠だ。お前らが責任持って獲物を釣り上げろ。」
そう言って土岐は電話を切った。
「どうしました。警部。課長何か指示出しましたか。」
「なんか…僕が…仕切れって。」
「ほら言ったでしょう。」
「違うんです。課長じゃなかったんです。」
「え?」
「土岐部長だったんです。」
「土岐部長?」
「ええ。」
「土岐部長が何で…。」
「わかりません。ただ…気になる事を言ってたんです。」
「何です?」
「課長不在のimagawaはお前が仕切れって。」
「え?」
「おかしいと思いませんか。俺らの捜査はチヨダ直轄マターです。土岐部長はこの中に組み込まれていません。捜査のコードネームはチーム内でしか共有されていないはずです。」
冨樫は顎に手を当てて考えた。
「なんだか引っかかるんですよ。」
「あの…他には?」
「僕に現場を仕切れって。で、片倉課長の知恵袋がこっちに向かっているからその人間と協力しろって。」
「片倉課長の知恵袋って…それ、古田さん以外にないでしょう。」
「ええ。部長は察しろって2回も言ってました。」
パソコンの前に再び陣取った冨樫は神谷のこの言葉を聞いてニヤリと笑った。
「…警部…察してあげましょうよ。」
「え?」
「片倉課長も土岐部長もいろいろあるんです。ここは大人の対応で引き受けましょう。」
そう言って冨樫は再びパソコンの前に座った。
「でも、冨樫さんは変だと思わないんですか?」
「変?」
「だって何か不自然ですよ。そもそもチヨダの人事は理事官から指示があって然るべきじゃないですか。なんか順番が違うような。」
「聞いてません。急に言われても。順序が違う。」
「…。」
「'`,、('∀`) '`,、 警部。あんたは立派なキャリアや。」
「はい?」
「この手のセリフは役人の常套句。突発的なことが起こった時に身に降りかかる災厄を最小限に食い止めるためのバリアみたいな呪文や。役人って生き物は失点をいかに少なくするか。これが最大の実績になる。そのためにはこれを使いこなせんといかん。あんたは若いがにこれを使いこなしとる。」
「何ですか嫌味ですか。」
「まあまあ。」
冨樫は神谷をなだめた。
「公安の仕事ってもんもそれに似たところがあります。犯罪を水際で防ぐんですから。犯罪が起こってしまったらそれで評価ゼロです。そういう意味では警部の姿勢は的を射とる。」
神谷は眉間にしわを寄せた。
「でもね。それはあくまでも総論。各論で見ればどう頑張っても予定通りに進まんことってばっかりです。そもそもこのimagawaはその連続です。長尾の死、小松の死、ノトイチの件、片倉課長の現場離脱、今川と鍋島の仲間割れ。都度ワシらは無い知恵絞って対応してきた。さっき言った犯罪を水際で防ぐっちゅうのは結果論です。世間の人間はそこしか見ん。けど実際の現場は常にもがいて苦しんで、その場しのぎをする。その連続なんですわ。」
冨樫は煙草に火をつけた。
「つまりワシが言いたいのは、いま我々はまだ、そのその場しのぎの最中なんやってこと。その場しのぎに必要なのは瞬発力と適応力。言い訳じゃありません。」
「…。」
「目の前でひとが倒れとるげんに、何でこの人は倒れとるんやとか考えとる暇があるんやったら、さっさと救急車よんでその人に応急措置を施せ。素直に現状を受け入れましょう。」
冨樫の柔らかくも棘のある叱咤に神谷は閉口した。
「あ。」
パソコンを操作していた冨樫の動きが止まった。
「警部。来ました。」
冨樫が大きな声で神谷を読んだ。
「え?」
「きたきたきたきた。」
彼は鼻息は荒くなった。
「今川からまたです。」
「えぇ!?また!?」
肩を落としていた神谷は飛び上がって冨樫の側に駆け寄った。
画面を覗くとそこには数字とアルファベットの羅列があった。

0423043c0435043d044f043d0435043f043e043d0438043c0430044e0442043404430445 043a0430043f043804420430043d0430.
04120430043c043d0435043d04430436043d043e04310443043404350442
044304320438043404350442044c…….

「なんですこれ?」
「三好からもらったツヴァイスタン工作部の乱数表とは違う形式ですね。」
「おかしいな...三好さんの情報だとツヴァイスタンはワンタイムパッドを使うはずなんですけど。」
そう言って神谷は手元のタバコの箱程度しかないサイズのメモ帳をパラパラとめくった。そこには幾つもの乱数表が記載されていた。
ワンタイムパッドとは乱数鍵を一回だけ使用する暗号の運用方法のことを指す。使用した乱数鍵は捨てられ、二度と同じ乱数鍵は使用されない。日めくりのようであることからめくり暗号とも言われる。
「待って下さい警部。ちょっと...これ…。」
「どうしました。」
「数字の4が規則的に入っとって、アルファベットはfまでしか表示されとらん。」
冨樫は別のパソコンを操作し、ブラウザを立ち上げて何かを検索した。
「やっぱりや。これや。」
「え?なんです。」
「ユニコードですよ。」
「ユニコード?」
「文字コードの業界規格ですわ。」
冨樫は画面に表示されるアルファベットと数字の羅列の数を数えながら4桁ずつ区切るようにバックスラッシュを入力した。そして全てのバックスラッシュの後にuの文字を付け加えた。

\u0423\u043c\u0435\u043d\u044f\u043d\u0435\u043f\u043e\u043d\u0438\u043c\u0430\u044e\u0442 \u0434\u0443\u0445\u043a\u0430\u043f\u0438\u0442\u0430\u043d\u0430…...

「何やってるんですか。」
「暗号っちゅうもんは一般の人間が一朝一夕でマスターできるほど簡単なもんじゃありません。ほやけど今川はITの専門家です。その専門分野を利用すれば簡単な暗号っちゅうか言語を操ることができます。」
冨樫はそれをあるサイトのテキストボックスにコピー・アンド・ペーストし、エンターキーを叩いた。
「ビンゴ。」
「あ…。」
神谷と冨樫の目の前にキリル文字に変換されたテキストがあった。
「ツヴァイスタン語自体が難解な言葉やからこそできる安易な暗号通信とも言えるか。」
神谷は冨樫の手際の良さに唖然とした。
「さ、警部出番ですよ。」

У меня не понимают дух капитана.
Вам не нужно будет увидеть, но спросить грубый с уведомлением.
На самом деле капитан Уилл выступает в качестве воли исполнительной власти.
Пожалуйста, скажите мне.

「何て言っとるがですか。」
「私にはキャプテンの真意がわかりません。
 分かる必要はないのでしょうが、失礼を承知でお聞きします。
 本当にキャプテンは執行部の意志の通りに行動しているのでしょうか。
 教えて下さい。」
冨樫は息を呑んだ。
「こいつはあれですね…。」
「今川と朝倉も一枚岩じゃない。」
そう言った矢先、玄関扉の鍵を開く音が聞こえたため2人はとっさに身構えた。この部屋の鍵を持つ人間は二人以外に片倉ただひとり。しかし片倉はしばらく戻る予定はない。
「んじゃあこっちは成りすませばいいんじゃまいか。」
「…その声は。」
両手を上げて部屋の中に入ってきたのは古田であった。
「いよいよ切羽詰まって、ワンタイムパッドを使う余裕すらなくなったか。」
「古田さん。」
「さぁてと警部。ちょっくら本気だすまいけ。」
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2016年05月16日

94 第九十一話



「貴様には黙っていたが、実はな…俺は嫁さんを寝取られてるんだ…。」
「え…。」
「所轄の公安課の課長だった頃だ…俺も貴様のように家を開けっ放しだった。あの頃の俺はまだ若かった。確か40前半の事だったと思う。ひとつのヤマが解決し、久しぶりに家に帰ったんだよ。そうしたら玄関で異変に気がついた。」
「まさか…。」
「ああ。見覚えのない男のものと思われる靴がそこにあった。それを見た瞬間俺は何が家の中で起こっているか悟った。」
「やめて下さい。聞きたくありません。」
この片倉の発言は拒絶ではなく要請であった。しかし朝倉は言葉を続けた。
「ひとが命を懸けて日々危険な仕事をしているというのに、あいつは男にうつつを抜かしている。子供がいるのにだ。俺にはふつふつと怒りがこみ上げていた。殺意さえ芽生えていた。」
「殺意…。」
「だが…。」
「だが。」
「聞こえてくるんだよ、情事の声が。俺が一歩足を進めるたびにそれが近くなる。そこで俺は気がついた。」
「…。」
「俺がこの結果を作り出している。」
「部長が…。」
「一気に無力感が俺を包み込む。気が付くと俺は家から程遠い居酒屋で酒を浴びていた。」
片倉は深い溜息をついた。
「その時は家に帰る事無く俺は居酒屋で一晩明かした。この段階においても俺の帰りを心配する嫁の声はない。あたりまえだ。家にいないのが普通だったからな。このままじゃ家庭は崩壊する。そう思ってそれから俺は嫁さんと話し合いの場を頻繁に設けた。それが功を奏したか、幸いなんとか今もあいつに逃げられずにいる。」
「話し合いですか…。」
「ああ。貴様の様子を見る限り、事は逼迫しているように俺には映る。早いほうがいいだろう。」
またも片倉は息をついた。
「参りました。部長…。」
「うん?」
「あなたの体験。今の俺とダブって見えます。」
「…そうか。」
「正直、俺はあいつがどうとかはどうでもいいんですが、娘が気になるんです。娘にだけはつらい思いをさせたくない。だからどこかでちゃんとあいつとは話し合いの場を持たんとイカンと思っとった。でもその時間が作れん。タイミングも合わん。」
深呼吸をした片倉は意を決して言った。
「お願いします。部長。」
「…わかった。」
「捜査については心残りがありますが、やむを得ません。何卒お取り計らいのほどよろしくお願いいたします。」
「こっちこそ理解をしてくれて嬉しく思う。直ぐに手を打とう。ただ…。」
「ただ?」
「そのためには貴様にこちらに来てもらう必要がある。」
「え?」
「明日こっちに来い。」
「え?東京にですか?」
「ああ。明日1日だけだ。丁度俺は長官と会うことになっている。そこに貴様も同席しろ。」
「え?どういうことでしょうか。」
「警察から公安調査庁へ出向という形で話を通す。その場で長官から警察へ根回ししてもらう。貴様はこっちの人間になった時点でゆっくりと夫婦で話し合いをするといい。」
「公安調査庁の長官直々にですか…。」
「なんだ不服か。」
「いえ、恐縮至極です。」
「トシさんにはまだ伏せておけ。」
「ええ。」
「明日の15時。待っているぞ。」
「よろしくお願いいたします。それでは失礼いたします。」
そう言って電話を切った片倉にセバストポリの店主である野本は、そっとコーヒーを差し出した。
「勝負や…。」
こう言う片倉の肩を野本は軽く叩いてそれに応えた。
「あんたならやれるさ。きっと。」
電話を切った朝倉は遠くを見つめた。
「俺が嫁を寝取られる?」
朝倉の方は小刻みに動いている。
「…そんな訳がないだろう。三流作家が思いつきそうなストーリーだ。こんなもんを信じるとは片倉…。ククク…末期だな…。」

「ええ。なんとか巻きました。」
金沢駅近くの寂れた商店街でヒソヒソ声で話す悠里の姿があった。
「とにかく、僕らはあいつらにマークされています。なので軽々な事はやめておいたほうが良いと思います。」
「とは言え鍋島の件は中断するわけにはいかない。これは命令だ。」
「わかっています。これはこれで僕が秘密裏にやります。ですが例の件は様子を見たほうが良いかと。」
「…だめだ。これも上からの命令だ。現場の判断で中止する訳にはいかない。」
「…どうしてもですか。」
「一応、今川さんには図ってみる。だが望みは薄だと思っておけ。」
「そこをなんとか、お父さんの力でお願いします。もしも全てが露見しているとなると今度動いた瞬間に全てが終わります。」
「最善は尽くしてみる。悠里。お前はくれぐれも鍋島には気をつけるんだ。」
「はい。」
携帯を仕舞った悠里はため息をついた。
辺りを見回すと帰宅時間ということもあり、ところどころにスーツ姿の男がいた。ブリーフケース片手にハンカチで汗を拭いながら未だ営業に奔走する者、居酒屋に吸い込まれていく者、クールビズ姿でスマートフォンをいじりながら歩く者。様々である。
ー巻いたと言ってもどいつが公安の人間かわからない。とにかく人気のないところを選んで移動しよう。
彼は通りを一本曲がり、ひっそりとした住宅地を進んだ。
ーなんだ…こっちの思惑通りに事は運んでいたと思ったが、あいつらいつから動いてるんだ…。まさか俺らは泳がされているのか?…もしそうだとしたら…。
早足で進む悠里は携帯電話を取り出し、そこに目を落とした。
ー鍋島…どこに向かっている…。
地図上に赤い点が表示され、それがゆっくりと移動している。
ーさっきまで大通りを一定の速度で移動していたから、何かの乗り物に乗っていたのは分かる。しかし急に動きが遅くなった。徒歩に切り替えたか。あいつが今いる場所までここから約15キロか。
3分ほど進んだところに駐車場があった。悠里はそこに駐車されていたある車のドアノブに手をかけた。
鍵はかかっていない。それに乗り込んだ悠里はグローブボックスを開いてそこに格納されていた鍵を取り出し、エンジンを掛けた。そしてダッシュボードにある携帯ホルダーにスマートフォンを設置した。
ーまぁどこでもいいさ。鍋島、お前の行動は手に取るように分かる。
悠里は動きを止めた。
ーまて…鍋島の居所も警察に把握されているなんてことはあるまいな…。
彼は一旦車から降り、トランクの方へ回ってそれを開いた。
ーそうだとするとこいつを使うしかないか…。
トランクの中には細長い黒い革製のアタッシュケースのようなものが収められていた。

「なんや。暇乞いしたばっかりなんに僅か2日で復帰か?」
金沢銀行から退行する山県を外で捕まえて、佐竹は彼とともに歩んだ。
「いえ、復帰はしません。」
「じゃあ何でここに居るんや。久美子はどうしたんや。」
「久美子さんは今のところ無事です。」
「あたりまえや。そうじゃなかったらお前がなんでここにおるって言うんや。」
ポケットから車の鍵を取り出した山県は自分の車の前で立ち止まった。
「鍋島をおびき寄せたいと思っています。」
「はぁ?」
「部長。言ってましたよね。」
「なにを。」
「警察にアイツの事話したら久美子さんが危ないって。」
「それがどうした。」
「いまこの場で藤堂が直接自分と接触してきたって警察に通報してもらえませんか。」
「は?」
「お願いします。」
「佐竹…おまえ…自分が何言っとるんか分かっとるんか?」
「ええ。」
「お前な、言っとることが支離滅裂やがいや。お前は久美子を守る。そのためだけに暇乞いしたんやろ。ほんねんにその逆のことを俺にしろってか?だら。」
山県は佐竹が何を言っているのかさっぱり理解できない。彼はため息をついて車のロックを解除した。
「帰れ。」
「え?」
「帰れって言っとるんや。何やお前、久美子守るちゅうのはただの方便やがいや。お前はただ鍋島と鬼ごっこしとるだけやがいや。」
佐竹はうつむき加減で軽く息をついた。
「…ええ。そうです鬼ごっこです。」
「お前なぁ。」
「鬼は俺らしいですから。子を捕まえないといけません。」
山県は頭を抱えた。
「おい。」
「部長。俺は別に錯乱してません。いまここで警察に通報して下さい。」
「だら。んなことお前に言われて、ホイホイ言うこときくわけないやろ。帰れ。」
「鍋島はやると言ったら必ずやる奴です。部長が警察に通報すれば奴は再び久美子さんを狙います。なによりも優先して。」
駄目だ佐竹の言うことは矛盾を極めている。どうしてわざわざ自分の娘を危険に晒すことができるというのか。山県は呆れ顔で佐竹を見た。
「あいつをおびき寄せた上で、反転攻勢をかけます。」
「え?」
「攻撃は最大の防御。守りから攻めに転じます。」
佐竹の瞳に確信に満ちた何かがあることに山県は気がついた。
「いままで俺らはあいつに翻弄されていた。あいつがどう出るか全く読めない中で、その場しのぎの対応をするしかなかった。あいつが先の先を行くというなら、こちらは後手後手だったとも言える。ですがそれはここで終わりです。」
「秘策でもあるのか。」
「いえ。そんな立派なものはありませんし、小細工も弄しません。正面から行きます。ボール球は投げません。直球で行きます。」
「どうするっちゅうんや。」
「鍋島は賢い。いろいろな情報を総合的に処理できる能力を持っている。そして凡人の先の先ををいく読みの持ち主。ですが人間の処理能力には限界ってもんがあります。鍋島の処理を超える膨大な情報を一度にあいつに投入することで、あいつの行動と思考をダウンさせます。」
「ダウン?」
「ええ。システムをダウンさせるように、圧倒的な量の情報を一気にあいつにぶつけます。」
「...なんかどこかで聞いたような。」
「ええ。今朝から報道でやっている石電のWebサーバが落ちた件です。あれはDDos攻撃という手法が用いられた可能性が高いと言われています。そこにヒントを得ました。」
山県はその手のIT関係の話は不得手だ。彼はピンと来ない顔をしている。
「総力戦です。ありとあらゆるものを投入します。」
「総力戦…。」
「ある人と話し合って、その時が来たとの結論に先ほど達したんです。」
「俺がここで警察に藤堂の事を通報することで何が起きる。」
「言ったでしょう、総力戦が始まる。部長の通報を奇貨として各方面が一斉に動く。」
「結果どうなる。」
「結果、あいつは久美子さんを狙うのではなくある場所に現れる。」
「ある場所とは?」
「それはいまこの場では言えません。」
山県は口をへの字にした。
「お前は?」
「俺はその場所で鍋島を迎え撃つ。」
「何?」
「部長。鍋島の根本的な攻撃対象は俺ら高校時代の剣道部です。部内のことは部内でけじめをつけます。」
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2016年05月09日

93 第九十話



ドットメディカルの自室で携帯電話を操作する今川惟幾の姿があった。彼はデスクトップパソコンのメーラーの迷惑メールの中の一件を開いた。タイトルも本文も文字化けを起こしたどうにもならないメールである。今川はそのどうにもならない文章を携帯電話を覗きながら、ときおり何かをメモ帳に書き記しながら読み込んだ。
「ゴ ク ヒ…。」
咳払いをした今川は姿勢を正した。
「悠 里 ノ 動 キ 報 告 ナ シ 。 至 急 報 告 サ レ タ シ 。」
「え…。」
彼の額から滝のような汗が流れだした。
ー何だ…。執行部は鍋島排除の件をキャプテンから聞かされていないのか?
ハンカチで汗を拭うも、今度は首筋にそれが湧き上がってくるため彼はその行為を止め、ペンを手にとった。
「Теперь, чтобы быть исключен из Набэсима по инструкции от капитана. Юрий переехал в изгнание.
(キャプテンからの指示で鍋島を除名する事になりました。除名に悠里が動いています。)」
こうメモ帳にペンを走らせた今川は、再び携帯電話を覗き込んだ。そしてその文章を画面に表示されている乱数表を元に変換し、それをキーボードで打ち込んだ。ディスプレイに表示される一件文字化けした文章と携帯電話の表示を何度も照らしあわせて、彼は送信のボタンを押下した。そしてすぐさま携帯に表示されていたデータを消去した。
「ふーっ…。」
ー一体どういうことだ。
今川は天を仰いだ。
ーまさか俺は執行部の意に反することの片棒を担いだことになってるのか?

「執行部は混乱を待ち望んでいる。」
「…。」
「予定通り事を運べ。」88

ー朝倉が暴走しているのか?
今川はそのまま目を瞑った。

ー3年前ー
熨子山連続殺人事件が発生し、金沢北署前には報道陣が群れをなしている。ある局は北署をバックに中継を送り、またある局は出入りの警察関係者に取材を申し込んでいる。騒然としたその中で仕立ての良いトレンチコートを纏い、あごひげを蓄えた今川がひとり颯爽と署の中に入っていった。
彼は入って直ぐの生活安全課の署員に呼び止められた。
「すいません。いまは関係者以外、署内に入ったらいかんことになっとりまして。」
「あぁ私、別所さんに呼ばれてきたんですけど。」
「別所?」
「ええ。警務部の。」
「警務部のですか?」
署員は背後の上席者に何かの確認をとると改まった態度になって今川を応接室に案内した。
出された茶に口をつけて待つこと5分。部屋の扉が開かれて痩身の男が今川の前に現れた。
「GPSは貴様のところの社長の家を示していたぞ。どういうことなんだ。」
「大変申し訳ございません。朝倉本部長。」
朝倉はソファに掛けた。
「七里は一色の協力者なのか。」
「いえ、そのような情報は掴んでおりません。おそらく一色が旧知の中である七里の車に勝手にGPSの発信機を埋め込んだんでしょう。」
朝倉は舌打ちした。
「しかし一色の件はご心配には及びません。」
「ほう。」
「鍋島が奴を葬りました。」
「なに?」
「先程、私のもとに報告が入りました。」
「…そうか。となるとこれからの捜査の方向性も修正可能だな。」
「はい。」
「わかった、どこかの頃合いを見て幕引きを図る。」
「その際に鍋島の存在を消し去って下さい。」
「鍋島…か…。」
「何事も引き際が肝心といいます。」
「貴様に言われるまでもない。鍋島はうまく使えと執行部から指示が来ている。」
「あ…執行部から…。」
「ああ。」
今川は鞄の中からUSBメモリを取り出し、それを朝倉の前に差し出した。
「それは?」
「鍋島に関する県警の情報を、適当なタイミングで置き換えるプログラムが既にここに入っています。このタイミングで県警のシステムにこいつを流しこむことも出来なくはないのですが、できれば誰の目にも怪しまれない年度末の更新をもってこいつを流し込もうと思っています。」
「なるほど。」
「ついては県警のシステムの件、遺漏なきようお願い申し上げます。」
「わかっている。警務部の別所と総務課長の中川はこちらの陣営に取り込み済みだ。よほどの横槍がなければ県警のシステムはドットメディカルのものに置き換わる。」
「ありがとうございます。」
「…とうとう治安を抑えたな。」
「はい。しかしまだ一部ですが。」
「一部でいいんだ。今川。一部だから相手にわかりにくいし動きも取りやすい。知らないうちに徐々に蝕み、綻びを見せたところを集中的に攻撃して本体を撹乱する。これが弱者の戦法さ。」
「御意。」
朝倉は応接室にあるテレビをつけた。夕方のワイドショーが流れていた。
「見ろ今川。ここでは前代未聞の警察キャリアによる連続殺人事件が起こっているというのに、どこそこのランチは美味いとか安いとか、そのことで世間の人間は一喜一憂している。」
「ええ。」
「クリスチャンでもないのにクリスマスがどうだとか、どうでもいいことに関心を示している。」
「はい。」
「今川。貴様は外務省時代、世界を見てきた。」
「ええ。格差激しい世界をこの目で見てきました。富めるものはますます富み。貧しきものはますます貧する。」
「グローバル経済とかいう欧米の思想が格差を助長し、経済的な不安定さをもたらしている。格差は政情不安を引き起こし、混沌とした中で局地的なテロ行為も頻発。常に生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている奴ら途上国の人間と、この平和ぼけした国の民は、これからの世界で競争をしていかねばならない。」
「戦後教育によって植え付けられた平和や人権という幻想に囚われた我が国の国民は牙を抜かれた狼になっています。それでは弱肉強食の世界では行きてはいけません。今は確かに我が国は先進国です。ですが10年、20年先は恐らく競争力は著しく低下し、国際的に見て搾取される側の陣営に成り下がることでしょう。」
「そうだ。だからこの愚鈍な国民の目を覚ます必要がある。それが我々の目指す革命だ。」
「そうです。」
「我々がわが祖国に栄光をもたらそう。」

ースパイ防止法の成立に心血を注ぎ込んでいたと思われる右側の人間が、揺り戻しで左翼。なるほど右翼も左翼も自分の思い通りに世の中の仕組みを創りあげたいってところは同じか…。
立ち上がった今川は部屋の中を歩き出した。
ーしかし我々の行動は全て執行部が決める。もしも朝倉が執行部の意に反して、単独で何かしらの行動をとっているとしたら、あいつの命令を受けている俺の立場はどうなる…。
足を止めた今川は先程のメールの文章を見つめた。
ー俺の命を受けて動く下間一族の立場も危うい…。しかし俺は朝倉の指示系統の下にある…。
「…やむを得ん。」
今川は再び席に座り、深く息をついてメモ帳に文字を書き始めた。

「お疲れ様です。朝倉部長。」
誰もいないセバストポリにひとり佇む片倉は弱々しい声で電話に出た。
「相当参っているようだな。」
「ふっ…面目次第もありません。」
「コンドウサトミらしいな。」
「…ええ。」
「すまん。俺があの事件の時、七尾のガイシャを鍋島と判断したばかりに今日の混乱が起きている。」
「部長。あなたの判断は何一つ間違っていない。」
「うん?」
「鍋島は確実に死んでいるんです。」
「…どういうことだ。」
「七尾のガイシャの指紋と鍋島の指紋は完全に一致しとります。なんで、あなたの判断は間違っていない。」
片倉は店のブラインドの隙間を指で広げて外を見つめた。
「鍋島の生存根拠の件はあくまでもドットメディカルによる陰謀です。」
「今川か…。」
「ええ。結果としてここで奴は尻尾を出しました。」
「やるのか。」
「いや俺はこの件についてはタッチしていません。」
「なるほど…情報調査本部ってやつか…。」
「捜査に関することですので部長といえども、これ以上の報告は差し控えさせていただきます。」
「片倉、貴様のターゲットはひとつ絞ることができた。あとは下間一派と鍋島だ。」
「ええ。」
「言うなれば負担が少し軽くなったようにも思える。しかし今の貴様の声を聴く限り、疲労しか伝わってこない。」
ブラインドを閉じ、彼はソファに腰を掛けため息をついた。
「部長…。」
「どうした。」
「俺は一度、鍋島に狙われています。」
「ああ。」
「奴は何かしらの手段でこちらの動きを手に取るように分かるようになっとる。」
「…。」
「あの時は偶然俺はなんともなかった。けど次はどうなるか分からん。」
「…怖いのか。片倉。」
「…はい。なにせいとも簡単に原発に忍び込んでマルバクを仕掛ける奴ですからね。」
「貴様らしくもない。」
「部長…。俺だって人の子です。命は惜しいですよ。」
「家庭だろ。」
鼻の付け根を摘んでいた片倉の手が止まった。
「家庭への未練が命の重量を重くする。」
「未練?」
「ああ。貴様。先日俺に言っただろう。」

「嫁さんだけは大事にしろよ。最後は本当に嫁さんに頼るしか無いからな。」
「…カミさんですか…。」
「どうした?」
「あ、いえ…。まぁなかなか難しい局面なんですよ。ウチは。」
「察しの良い部長ならお分かりでしょう。俺は兎に角、このヤマを解決して早いことカミさん孝行せんと、俺もトシさんみたいになってしまいます。なので、部長からのお誘いは申し訳ないですがお断りさせていただきます。」43

「失うものがない人間は前しか見ない。振り返っても何も無いからだ。貴様は振り返って後ろを見ている。だから前が曇って見えるんだ。」
「後ろ…ですか…。」
「何故、振り返るか。そう夫婦の仲の修復可能性を捨てきれないからだ。」
片倉は黙った。
「夫婦仲の亀裂の原因の大半はお互いの理解不足によるもの。公安警察という身分のため、貴様は職業を偽り、常に人前で仮面を被っている。それは家族においてもだ。仮面を被って妻と接しているのだから、真のコミュニケーションは取りにくい。それに出張と称し殆ど家を開けている。物理的にもその中身的にもコミュニケーションが取れない。貴様の夫婦仲の亀裂はなるべくしてなっている。」
「…痛いところ付きますね。」
「俺も貴様と同じような事を経験した。しかしどうにかこうにか今も嫁さんをを繋ぎ止めている。」
「部長は…どうやってしのいだんですか。」
「話し合いだ。」
「話し合い…。」
「ただ解ってくれと言っても相手は解りやしない。俺はそこで嫁さんに期限を切った。」
「期限?」
「ああ。いついつまで我慢してくれ。そうすれば現状は変わる。良い方に変わると。絶対に変わる。絶対に変えるためにあらゆる手段を俺は動員する。それで変わらなければそこでけじめをつけると。」
「コミットメントですか。」
「そうだ。そのコミットメントを得るために話し合いが必要だ。それが出来なければ貴様も古田のようになる。」
「トシさんのように…。」
「確実にだ。」
片倉はため息をついた。
「コミットメントを得るためには時間が必要だ。だから暇を乞え片倉。」
「え?」
「俺の方から松永に働きかけてやる。貴様の働きは松永でもしばらくなら肩代わりできるだろう。」
「しかし…。いまですか。」
「ああ。こういうことはタイミングが大事だ。」
「ですが…。」
片倉は浮かない声を発した。
「貴様には黙っていたが、実はな…俺は嫁さんを寝取られてるんだ…。」
「え…。」
唐突な告白に片倉は動揺した。
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2016年05月02日

92 第八十九話



「村上…。ようやく鍋島と相見えることができそうや。」
相馬卓と尚美の2人を無事、市内のホテルに匿うことができた古田は車を運転しながら呟いた。
ーいままで自分の協力者やと思っとった人間がこちら側の協力者やった。おそらく鍋島は怒髪天を突く思いや。これで奴の感情の矛先は久美子から相馬卓に移るはず。相馬に何らかの制裁を与えるなら手っ取り早いのは、あいつの自宅に殴りこみをかけること。
ハンドルを切って古田は交差点を左折した。
ーしかし先の先を行くのがあいつの攻め方。まんまとこっちの偽カメラにハマったが、賢いあいつのことや、体制の立て直しを図るはずや。とすればこちらの目論見を察知して別の方向に動く可能性も捨てきれん。もしもあいつがワシらのおびき寄せ作戦を察知したとしたら、下間らと連携してあっちのほうで何かの動きを見せるかもしれん。
「だめや…考えれば考えるほど鍋島の行動が読めんくなる…。」
そういいながらも古田の車は相馬の自宅に向かっていた。
携帯が鳴った。イヤホン付属のリモコンを押下し彼はそれに出た。
「はい古田。」
「おうトシさん。」
「どうした。」
「今さっきドットスタッフに潜り込ませとるエスから情報が入った。」
「なんや。」
「周と京子の件、うまく行きそうや。」
「なに?」
「仁川は、いや悠里は妹の麗にコミュを脱会するよう促した。」
「それは本当のことか。」
「ああ。エスがあいつのオフィスに仕込んだやつにしっかり録音されとった。明日のコミュで麗を脱会させるよう、悠里自身が誘導するらしい。」
「で肝心の麗の反応は。」
「…それは分からん。ほやけどとりあえず麗についてはことは順調に運んどる。悠里のほうから麗を組織から遠ざけるように動いた。」
近くのコンビニに車を滑りこませて古田は息をついた。
「やったな…。片倉。」
「…あぁ。」
「一色の仕込みがここで効いたか。」
一瞬、電話の向こう側の片倉は沈黙した。
「けっ…剣道の稽古と手紙ひとつで他人の娘を協力者に引き込んで、まんまと目的達成目前や。京子にもしものことがあったらどうすれんてぃや。ったく、手段を選ばん冷酷無比な奴やわ。生きとったらあいつぶん殴ってやる。ぼこぼこにしてやんよ。」
「お前はいつでも京子を止めることができた。」
「…。」
「けどそれはせんかった。」
「…トシさん。そういうことはまた別の機会にゆっくり話そうや。」
「…あぁそうやな。」
「ただ、京子が自分の自身の頭で考えて一つの結果を出す目前までこぎつけたっていうことは評価できる。」
「おう、素直に娘を褒めてやれ。」
「…ほうやな。」
「でも、それは全てが首尾よく行ってからの話や。当の悠里はどうなんや。」
「動いた。」
「動いた…。」
「出張に行くって言ってドットスタッフから姿を消した。」
「それは…再び下間らが何らかの動きを見せるっちゅうことか。」
「まぁトシさん。この下りを聞いてくれま。親父と電話する悠里の言葉や。」

「ああお父さん。」
「期日は。」
「分かりました。」
「やっぱり疲れてるだけみたいです。」
「明日のコミュにもあいつは来ますのでご心配なく。」
「どうしました?」
「麗だけじゃなくてお父さんも変ですよ。」
「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」84

「なんや期日って。」
「わからん。次に計画しとる企みの実行日かもしれん。」
「明日のコミュにあいつは来るっていうのは?」
「麗のことやと思う。会話の流れから。」
「ふうむ…一定の間があっての『歴戦の猛者ですからね』っちゅうのが引っかかる。なんか…不安が混じったような声にも聞こえた…。」
ぶつぶつと独り言を言って古田は頭を掻き始めた。
気を落ち着かせるようにタバコを咥え、ジッポーを取り出した時のことである。彼はそれを手にしたまま動きを止めた。
「村上…?」
「は?」
ジッポーの蓋を開けては閉める。その動作を何度かして古田は何かを考えた。そして煙草に火をつけて一息つき、彼は口を開いた。
「…ひょっとして。」
「なんねんトシさん。」
「悠里は親父に何かの期日を確認した。そして悠里はそれを了承。奴はそれを即座に行動に移すため会社を後にした。」
「おう。」
「すなわち悠里は親父に何かを命令され、それを期日までに完了させるために消えた。」
「あ・あぁ…なんかさっきからトシさん、おんなじこと言っとるような気がするんやけど…。」
「片倉。コミュの定例会ってやつは明日の何時からや。」
「19時。」
「んなら今からその時間までに悠里は下間の命令を遂行するってことや。」
「まあ。そうとも取れる。」
「…となるとあれや。やっぱり最後の悠里のフレーズが気になる。」

「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」

「おい…待てまトシさん…。俺、いまピンときてんけど。」
「なんじゃい。」
「まさか仲間割れしとるんじゃないやろうな。あいつら。」
「仲間割れ?」
「それなら悠里がなんか不安めいた声そのセリフ吐くのも分からんでもない。」
「おい片倉。おめぇはその歴戦の猛者って奴が鍋島やって言っとるんか…って…あり得る…。」
「…まさか…粛清。」
片倉は冨樫に仁川の情報を表示させるように命じた。
「…ほうや。トシさん。あいつのツヴァイスタン時代のあれ…。」
「悠里のツヴァイスタン時代?」
「悠里は幼少期から秘密警察に出入りしとったのは内調(内閣情報調査室)からの情報で確認されとる…。」
「あ…。」
「確かに鍋島はコンドウサトミとして下間らと連携しとるように見える。ほやけど俺と神谷をバイクでぴったり付けて襲撃する素振り見せたり、直接俺はの電話に電話かけてきたり、相馬卓と直接会ってみたり、佐竹らを熨子山の墓地公園に引っ張りだしたり、下間らと一線を画する動きも見せとる。」
「ひょっとするとそれは警察側の撹乱を狙う計算されたものやったんかもしれん。けどただの鍋島のスタンドプレーやった可能性もある。ほしたら話は変わってくるな。」
「組織との協調を無視する動きが目立ってきた鍋島を下間らが粛清する方向で動いた。そう考えることも出来んこと無いな。」
「その期日が明日の19時まで。」
「十分に考えられるぞ、トシさん。」
片倉は時計に目を落とした。時刻は17時半を回ろうとしている。コミュの定例会開催まで残された時間は24時間とちょっとだ。
「片倉。ワシはいま相馬の家に向かっとる。あそこで鍋島を迎え撃つ算段やが、ひょっとすっとそこに悠里がひょっこり登場なんてことも想定せんといかんかな。」
「駄目や。そいつは一番厄介や。住宅地やぞ。そんなところでトシさんがいっぺんに2人と遭遇っちゅうとなにが起こるか分からん。いまは鍋島との直接的な接触は待て。」
「じゃあどうすれんて。」
「鍋島の動きはこっちでまだ把握できとらんけど、悠里は今んところ理事官直轄のチームが付けとる。仮に悠里が鍋島と接触を試みようとしとるんなら、トシさんが相馬ん家で鍋島を待ち伏せする必要はない。悠里は鍋島の動きを把握しとるはずや。」
古田と連絡を取り合う中、片倉の携帯にキャッチが入った。
「トシさん。ちょっとまってくれ。とにかくあんたは相馬ん家で待ち伏せちゅうことだけはやめてくれ。」
「おい。」
「いいから。頼むぞ。」
そう言って片倉は通話を切り替えた。
「はい片倉です。」
「巻かれた。」
「え?」
「悠里に巻かれた。」
片倉は頭を抱えた。
「…ってことは。」
「奴はこちらの動きに気がついた。」
片倉は額に手を当てて部屋をうろうろし出した。
「すまん。」
「待ってください理事官…。いま考えとりますから…。」
「こっちの動きを悠里が知ったとなると、今後のやつらの動きはまた読めなくなる。」
「待ってください…。」
「こうなったら隠密作戦はやめて、捜査員を大量投入するしかないか。」
「待てって言っとるやろ!!」
この大声ため、その場は空気すら沈黙したかのような静寂が包み込んだ。
「一枚岩じゃない。」
「…なに?」
「あいつらは一枚岩じゃないんです。」
「どういうことだ。」
「悠里には期日が切られとる。」
「は?」
「あいつはその期日までに鍋島をどうにかせんといかん。…そうや。悠里じゃない。鍋島や。鍋島を捕捉せんといかん。」
「だから捜査員の大量投入…」
「だめです。第一いまからそんなことやっても準備に時間が掛かる。物理的になにもできん。」
「…しかし。」
「実はこんなことをやってましたって言ったところで、無能のレッテルを朝倉に貼られるだけです。それにそれをやったら、いままで極秘に積み上げてきた捜査も協力者の労も水の泡ですよ。」
松永は何も言えない。
「理事官。あいつらは一枚岩じゃありません。鍋島を粛清するために秘密警察が動いとる。」
「…悠里が?」
「根拠はありません。勘です。」
「勘…か…。」
「ここまで来たら現場の勘で進めるしかありません。」
「どうするんだ。」
「鍋島を引っ張り出します。悠里は鍋島と接触します。悠里に巻かれたとなると鍋島をおびき寄せるしかありません。」
「その先が相馬の家なんだろう。」
「いえ。」
この片倉の否定に松永もその場に居た神谷も冨樫も息を呑んだ。
「佐竹を使います。」
「佐竹?」
「そして冨樫と神谷も。」
「えっ?」
片倉は2人を見つめて頷いた。
「んで俺はそっちに行きます。」
「何?」
「あとは現場に任せます。」
松永は黙った。
「片倉。お前、一色が伝染ったか。」
「俺はあの人にはなれませんよ。」
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2016年04月25日

91 第八十八話



「見たぞ。なんだあの顔は。」
「そうでしょう。随分参っているようです。」
「そうみたいだな。」
「潮時じゃないですか。」
「…そうだな。こちらから動いてみるとするか。」
新幹線のホームに立って電話をする朝倉の姿があった。
「随分と騒がしい場所におられるんですね。」
「ああ。長官のお出迎えだ。」
「長官といえば例の件は。」
「順調だ。明日、あのお方が直接会ってくださることになった。」
「では明日、正式にこちらの陣営に加わるということで。」
「そう思っておいていい。」
「奴らも一色の親友である直江がこちら側の人間だってことは知る良しもないでしょうね。」
「大変だったんだぞ。今川。なにせ三年がかりだったんだ。」
「三年でここまでの浸透工作ができるのは、キャプテン以外にありませんよ。公安調査庁に行ってから間もなく次期長官と目される人間をオルグし、順当にその人物を長官にしたんですから。」
「これも波多野先生のお力添えによるところが大きい。俺ひとりの力では何も成し得なかった。」
「キャプテン。謙遜しなくてもいいですよ。」
朝倉は不敵な笑みを浮かべた。
「そんなことより今川。お前、調査されつくされてるぞ。」
「え?」
「俺の協力者がお前のことを調べあげてきた。」
「何者ですか。」
「残念ながら協力者の情報は誰にも言えない事になっているからな。」
「…。」
「俺が何を言いたいのか分かるか。」
「…。」
「先日の能登イチの件といい、県警の情報関係の不備といい、貴様の班は失態続きだ。」
「面目次第もありません。」
「能登イチは捜査本部が設置される。指紋情報の件については情報調査本部が設置される。ついでに鍋島が未だ始末されていないときたもんだ。」
「な、鍋島は…明日までに悠里が…。」
「一介の協力者が貴様のことを詳細に調べることができるくらい、貴様自身の情報管理が杜撰だってことだ。自分の情報管理も満足にできない人間に県警の情報の管理をさせるというのは、荷が重すぎたか。」
「以後…最新の注意を払います。」
「以後?以後とは何だ。」
「あ…これからということです…。」
「これから?」
「はい…。」
「では今までの失態にどうけじめをつけると言うんだ。」
「それは…。」
「ふっ…案外、貴様はお人好しのようだな。」
「え…。」
「蜥蜴になれ。」
「蜥蜴…。」
「蜥蜴の見本はいま喋っている電話の先の人間だ。」
「尻尾を切る…。」
「情報漏洩を防ぐ最上の方法だと思わないか。」
「…粛清ですか。」
「違う。総括だ。」
「総括…。」
「執行部は混乱を待ち望んでいる。」
「…。」
「予定通り事を運べ。」
電話を切った朝倉は舌打ちした。そして時計に目を落とす。
「あと五分か。」
そう言うと彼は再び電話をかけた。
「やれ。」

情報調査本部を十河に一任した土岐は警備部長室にいた。
「はい。そうです。…ええ。はい。それではそのように。」
携帯電話を切った土岐は腕を組んで天井を仰ぎ見た。
内線電話が鳴ったため、彼はそれに出た。
「なんだ。」
「あの…部長に奥様からお電話です。」
「はぁ?」
「なんでも急ぎで連絡をとりたいとのことでして。」
土岐は頭抱えた。
ー仕事中は電話を掛けてくるなってあれだけ言ったのに…。
「ちょっとこちらも対応できないぐらい取り乱してらっしゃったので。」
「取り乱す?」
「ええ。」
「はぁ…わかった。繋いでくれ。」
電話がつながれる数秒の間、土岐は深呼吸をした。
「おい。仕事中は電話を掛けてくるなって言っただろ。」
「あなた…大変よ…。」
電話口の妻は土岐の発言を無視して、それにかぶせるようにか細い声を出した。
「…おい…なんだよ。」
「弘和が…。」
「弘和?弘和がどうした。」
「弘和が警察に捕まったの…。」
「なに?」
思わず土岐は立ち上がった。弘和とは土岐の息子の名前である。
「おい…どういうことだ。」
「なんでも人を怪我させたとか…。」
「怪我?まさか…傷害か?」
「ええ。」
土岐は頭を抱えた。
「相手は。」
「全治2週間ですって。」
「何があったんだ。」
「喧嘩らしいの。」
「喧嘩…。」
「いつもより帰りが遅いって思ってたら突然警察から電話がかかってきたの。そうしたら息子さんを逮捕拘束していますって。」
「逮捕されたのはいつの話だ。」
「今日の昼らしいの。」
「昼って具体的に何時だ。」
「確か11時半とか言ってたような。」
土岐は指折り数えた。傷害で逮捕拘束されると警察で取り調べが行われ、48時間以内に検察へ送致される。
「ねぇどうすればいいの。あなた。」
「…いまは何もできない。」
「何もできないって何なのよ!!あなた警察官でしょ!!息子のことぐらい何とかできないの!?」
「何言ってるんだ…何もできるわけ無いだろう…。逮捕拘束中は身内すら連絡とることはできない。」
「あなたのせいよ。」
「なに?」
「あなた、仕事仕事って言って家留守にしっぱなしで、弘和のこと何にも見てなかったからよ。」
「…。」
「いざって時に何にもできないんだったら、あなたただのおっさんじゃないの。なによ、いつもメシ、風呂、寝るって…馬鹿みたい…。未だに昭和の親父気取ってんじゃないわよ。家じゃ偉そうな顔して、職場じゃなにひとつ家族のためのことも出来やしない。役立たず。」
そう言うと土岐の妻は一方的に電話を切った。
「役立たず…。か…。」
再び内線が鳴った。
「なんだ。」
「公安調査庁から部長にお電話です。」
「公安調査庁?」
「どうします。」
「…繋げ。」
そう言って土岐は電話をスピーカモードにした。
「はいっ。お電話代わりました。」
「大変だな。土岐部長。」
「その声は…。朝倉部長。既にご存知でしたか…。」
「あぁ息子さんは都内のM署で身柄を抑えられている。」
「M署ですか…。」
「所轄にはお前の奥方からしょっちゅう電話がかかってきて、対応に苦慮しているそうだ。」
「いろいろと面倒をお掛けしています。」
「お前も警察官なんだ。奥方に逮捕後の流れをちゃんと教えてやれ。現場がひぃひぃ言ってる。」
「返す言葉もありません。」
「取り調べはすんなり終わって、時期に検察へ送られる。これが現状だ。」
「…。」
「県警は能登イチの事件でてんやわんや。その中であろうことか県警本部の部長職の息子が傷害事件。これは泣きっ面に蜂ってとこか。」
土岐は何も言えない。
「俺が本部長なら、事が明るみになる前にさっさと貴様を処分する。」
土岐の首筋に冷たい汗が流れた。
「しかしそれはあくまでも俺が県警の本部長だったらという仮定に基づくもの。」
「…と…いいますと。」
「外から警察を見ると対応の方法が他にもあることに気がつく。」
「え…?」
「俺にはパイプがある。」
「そ、それは存じあげております…。」
「パイプは使ってなんぼと思わないか。土岐。」
「あ…はい…。」
「貴様の息子を救う方法が俺にはある。」
「ほ…本当ですか…。」
「ああ。」
「…どうか…部長…お助け下さい…。」
「もちろんだ。日頃、公安畑で連携している中じゃないか。」
「あ…あ…ありがとうございます!!」
「しかし、タダというわけにはいかんな。」
「え…?」
「一旦、検察に送致された人間を何事もなかったかのように釈放するのは至難の業ということは、貴様がよく知っているだろう。」
「…金ですか…。」
「いや。金は必要ない。」
「じゃあなんですか…。」
「誠意だ。」
「誠意?」
「貴様の誠意で息子は何事も無く釈放される。」
「…私に何をお求めで…。」
「誠意を見せられるか。」
「…私に出来る事ならなんでも。」
「そうか…ならば俺がお前の誠意を信じるに足るものを今この場で見せろ。」
「誠意の証明…。」
「そうだ。覚悟を見せろ。」
土岐は考えた。電話口の朝倉に誠意を見せろと言われて何をどうすればそれが伝わるのか分からない。
「どうすればそれが俺に伝わるか。」
「部長。私は本気です。ですが正直、部長に何をどうすればいいか分かりません。」
「…よろしい。正直で良い回答だ。では貴様の携帯のテレビ電話機能を起動しろ。」
「はっ、はい。」
土岐は朝倉に言われたとおり携帯電話を手にした。しばらくしてそこに不明な電話番号から着信が入った。彼はすぐさまそれに出た。
「貴様の携帯の画面はブラックアウトしているだろう。」
「あ…はい。」
「貴様にはこちらの様子は分からんが、こちらは貴様の様子がわかる。そのまま携帯をもって自分を映しながら壁側に移動しろ。」
「はい。」
土岐はぎこちない動きで移動した。
「そこに掲げてある日の丸を床に置け。」
「え?」
壁には日章旗が貼り付けられている。
「こ…これですか?」
「そうだ。それしかないだろう。」
土岐は旗を床に置いて広げた。
「それを踏みつけろ。」
「え…。」
「その中心を貴様の足で踏みつけろ。」
「そ…それは…。」
「それは?覚悟は?」
「部長…どうして…。」
「あぁそうか。やっぱり貴様は嘘をついていたのか。」
「ぶ、部長…。」
「じゃあこれで貴様の家はおしまいだな。」
「あ!待って!」
「待てない。」
「やります!やります!」
「じゅう、きゅう、はち…。」
朝倉の一方的なカウントダウンが始まった。土岐は身体を震わせながら靴を脱ごうとした。
「駄目だ。そのまま行け。貴様は日の丸に忠誠を誓うんじゃない。俺に誓うんだ。」
「そ…そんな…無慈悲な…。」
「なな、ろく、ご。」
土岐はかたかたと震える足を何とか上げて旗の上に乗った。
「中心だぞ。」
念を押すように言われたこの言葉を受けて、土岐は歯を食いしばった。
「よん…さん…に…。」
土岐は旗の中心に立った。
「…貴様の覚悟の程しかと見届けた。証拠としてスクリーンショットも抑えさせてもらった。」
土岐はそのままそこに力なく崩れ落ちた。
「おいおいそんなことで力尽きるな。これからが貴様の誠意の見せ所だ。」
「…。」
「情報調査本部のターゲットをドットメディカルに絞れ。」
「え?」
「ドットメディカルによる不正なシステムプログラムが原因だ。そういうことで処理しろ。」
「…と…言いますと…。」
「ドットメディカルにガサを入れろ。そうすれば息子は無事釈放され、おまけに貴様は出世する。」
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2016年04月18日

90 第八十七話



バスから降りた相馬周は携帯の時計を見た。時刻は16時半である。5限目の講義が急遽休講となったため、この時間での帰宅となったのである。
「やっぱやめよう。」
こう言って彼は携帯電話をしまった。
ー昨日の今日で、長谷部と岩崎さんにあれからどうや?ってメールとか送るんは、やっぱなんかわざとらしいわ。2人くっつけるんにこっちのほうががっぱになって、何か変に勘ぐられたら不味いしな…。
ポケットに手を突っ込んで地面に目を落としながら、彼はトボトボと歩いた。
ーこんなんで良いんかな…。
ふと相馬の脳裏に一色の姿が浮かんだ。防具姿の一色はこちらに竹刀の切っ先を向け、中段に構えている。面を装着しているため、彼の表情の詳細は窺い知れない。相馬がふと気を抜いた瞬間、一色の竹刀の剣先は巨大な面となって彼に襲いかかった。僅か数センチしか無い剣先がとてつもなく大きな壁のように。
「メーン!!」
相馬はなすすべなく面を一本取られた。
「どうした。何ぼーっとしている。」
「あ…すいません…。」
「なんで謝るんだ。」
「あ…。」
「自分に非がないのに反射的に謝る言葉を発するのは良くないよ。」
「…はい。」
「いま君は気を抜いた。そこを俺に突かれた。真剣勝負に気を抜いてしまったって事を反省して、改善すればいいだけだ。」
「ちょっと休むか。」
「はい。」
一色の言葉に相馬は休憩の号令をかけた。
「やめーっ。」
部員たちは皆、動きを止めてお互いが構え、蹲踞、納刀の一連の動作をし、所定の場所へ走って正座し面を脱いだ。
相馬はその中で最も早く面を脱いで一目散に一色の元へ駆け寄った。
面を外した一色の顔には玉のように吹き出した汗があった。彼はそれを面タオルで拭って大きく深呼吸した。
「ありがとうございました。」
両手を着いて相馬は一色に礼をした。
それに数秒遅れて女子剣道部の部長である片倉京子が相馬の横に正座して同じく頭を下げた。
2人に応じるように一色も手をついて礼をした。
「県体で準優勝した一色さんの率直な感想を聞かせてください。」
「何の?」
「俺らの実力です。」
一色は腕を組んだ。
「僕には君らを評価することはできない。」
「え?」
「なぜかというと、僕には今の高校生の剣道の勢力図とか実力とかのデータがないから。」
「あ…。」
「じゃあ実際に稽古してみて一色さんが思ったことでいいです。」
京子が口を挟んだ。
「うーん。」
一色は腕を組んだまま考えこんだ。この間ものの数秒であったが、相馬と京子にとって成績発表をされるようで数分の事のように感じられた。
「いいんじゃない?」
「え?」
2人は拍子抜けした。
「良いと思うよ。気合も入ってるし、足も動いてるし、剣さばきもいい。」
「本当ですか?」
「ああ。個々人が良い動きしてると思うよ。」
「ありがとうございます。」
「でも。」
「え?でも?」
「敢えて言うとすれば、形が弱いかな。」
「え?形ですか?」
「うん。」
剣道には一般的に知られる竹刀稽古と併せて体得を求められる剣道形というものがある。これは稽古の際には竹刀ではなく木刀を使用し、礼法、目付、構え、姿勢、呼吸、太刀筋、間合、気位、足さばき、残心等の習得を目指すものである。竹刀稽古がスポーツ的であるのに対して、剣道形は武道としての側面が強い。https://ja.wikipedia.org/wiki/日本剣道形
「でもそれって実戦に役に立つんでしょうか。」
「確かに昇段試験とかで付け焼き刃な演舞をする程度だと何の役にも立たない。」
「じゃあ。」
「ひとくちに形って言ってもいろんな捉え方がある。その諸々をここで議論するのは不毛だ。ここでは僕は攻め方、守り方の形として考えてみよう。それをもっと成熟させれば更に良くなると思う。」
「すいません。ちょっと一色さんの言っとることが難しくて分かりません。」
「ああすまない。簡単に言うよ。ひとそれぞれその攻め方、守り方がある。」
「はい。」
「先の先ってのもあるし後の先ってのもある。」
「はい。」
「ただそれだけだと漠然としてる。仮に先の先が得意だったとしたらそれを細かく分解して考えるんだ。」
「と言うと?」
「例えば、自分は面が得意だとしよう。その面が得意っていうことも細かく分解するんだ。一足一刀の間合いで中心線をとり合う中、ジリジリと間合いを詰めて、この間合なら誰よりも早く打突できるって具合に得意だって。で、そこで相手の気の緩みを掴んで飛び込むっていうのが自分の必勝法だって。」
「なるほど。」
「となるとそういう人の場合は、今言った自分の必勝パターンに近い状況を多く作り出せば勝つ確率は高くなる。」
「はい。」
「要は必勝の形を作っておいたほうが、攻め方が合理的になるって感じ。」
「じゃあ僕はどういう形をつくればいいんでしょうか。」
「え?」
「僕は出鼻小手が得意です。」
「…それは自分自身で考えな。」
「そんな…。」
「それが練習だよ。みんなで考えて解を導き出したら良い。」
「すいません。一色さん。」
京子が質問した。
「その必勝の形に相手をおびき寄せたり、試合の主導権を握れば合理的ってことですよね。」
「ああ。」
「でもそれができん時はどうすればいいんですか?」
相馬はなるほどと京子の言に頷いた。
「…それは勘がモノを言う。」
「勘…ですか?」
「ああ。それは反射神経以外のなにものでもない。」
「じゃあその反射神経を鍛えるにはどうすれば?」
「それは簡単さ。かかり稽古をひたすらやるしかない。」
「かかり…。」
京子のげんなりとした表情を見て、一色は口元を緩めた。
「いやだろう。」
「…はい。」
「おれも嫌だよ。辛いだけだしね。こんなシゴキなんかなんの役に立つんだって僕も昔思っていた。でもその形が突破されてしまって、いざって時にこいつが効くんだよ。」
「いざですか…。」
「まぁそうならないのが良いんだけどね。」
熨子山事件の半年前に一色と稽古をした時のことを思い出していた相馬の目の前に玄関扉が立ちはだかった。いつの間にか自宅にたどり着いていたようである。
「あれ?」
扉に手をやると鍵がかかっていた。
ーえ?今日どっか行くって母さん言っとったっけ?
相馬はしぶしぶポケットから鍵を取り出して扉を開け、中に入った。
リビングのドアを開くと、窓という窓の遮光カーテンが閉められている。暗い部屋の電気をつけるとテーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。

お父さんとお母さんは結婚記念旅行に行きます。しばらく家を頼みます。( ^ω^ )

「はぁ!?」
思わず大きな声を上げた相馬は、呆然とその場に立ち尽くした。
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2016年04月11日

89 第八十六話



「鍋島現認!?」
冨樫と神谷が詰める部屋。その六畳間で横になっていた片倉は飛び起きた。2人はこの片倉の言葉を受けて表情を強張らせた。片倉は通話内容を2人と共有するためにそれをスピーカモードに切り替えた。
「おう。ついさっき岡田から連絡が入った。藤堂らしき男が山県の家にふらりと現れたらしい。」
「で。」
「家の近くで携帯で山県んちに電話して、中に誰がおるか探ってそのまま姿を消した。」
「どんな格好しとるんや。」
「全身黒尽くめ。頭にはニット帽。んで丸サングラス。」
「丸サングラス…。」
「サングラスで顔の様子がよく判別できんかったけど、口元が金沢銀行にあった藤堂の写真と似とったらしい。」
「丸サングラスは鍋島のシンボル的なアイテムや。」
パソコンを操作した冨樫はディスプレイに熨子山事件当時使用された鍋島の顔写真を表示させた。その写真も丸のサングラスをかけている。
「ああ。」
「奴はいまどこにおる。」
「わからん。」
「は!?」
「ほやけどあいつはあれに気がついたってことや。」
「久美子の店のカメラか。」
「おう。あそこに設置されたカメラは過去の映像を垂れ流しするだけのもんやってことに。」
「ちゅうことはあれか。相馬卓がこっちのエスやってことも。」
「おうさっきバレたと思われる。」
「よし。土岐部長に言ってキンパイをかける。」
「まて。」
「あ?」
「県警は動かすな。」
「なんでや。」
「今は昨日の原発事件で人員が割かれとる。」
「でもあの事件のホシは鍋島や。狙う相手はおんなじや。」
「ほうや。ほやけどそれに集中してしまうとあっちが手薄になる。」
「あっち…。下間らか…。」
「おう。もしもこの鍋島の登場が警察の捜査の撹乱を狙うあいつらの企てやったらどうする?」
「それは不味い。」
「ただでさえコンドウサトミとか藤堂豪とか鍋島惇っちゅう人間がごっちゃになっとるんや。そこで鍋島のキンパイなんかかけてみぃや。現場は混乱する。」
神谷は警察無線の音量を上げた。
「本部こちら羽咋北署。コンドウサトミに関する情報は今のところなし。」
「えー金沢銀行周辺の聞き込みで藤堂に関する情報なし。」
無線の中にコンドウと藤堂の名前が入り乱れている。
「ほやから目下の鍋島はこっちサイドでなんとかした方がいいと思うんや。むしろ。」
「…相馬卓が危ないか。」
「おう。」
「鍋島には得体の知れん特殊能力があっしな…。」
「あんなもん使われたら、相馬につけとる警備の人間なんか赤子の手をひねるようなもんや。」
「わかった。トシさん。あんたは何かうまいことやってあいつらをこっちに匿ってやってくれ。」
「わかった。」
「相馬を匿う場所はこっちで何とかする。」
電話を切った片倉はそれを手にとって再度電話をかけた。
「片倉です。」
「どうした。」
「鍋島が尻尾を出しました。」
「…来たか。」
「imagawaはこのまま捜査継続。現場の混乱を防ぐためにもキンパイはしません。」
「わかった。良い判断だ。」
「われわれimagawaプロパーでなんとかやります。」
「頼む。」
「ついては理事官にお願いが。」
「なんだ。」
「相馬周をお願いします。」
「名うてのSPを既に派遣している。片倉。」
「はっ。」
「心配するな。京子にも付けてある。」
「あ…。」
「お前の娘にもしものことがあったら、俺は確実にお前に殺される。」
「あ…その…。」
「家族の心配はするな。お前は捜査に専念しろ。」
「ありがたいお言葉です。」
「いいか片倉。これは雪辱戦でもある。ミスは許されない。例の件は明日、執行する手はずとなった。」
「いよいよですか。」
「ああ。」

玄関のドアが開かれたのを察知し相馬尚美は部屋を出た。玄関には靴を脱ぐ卓の姿があった。
「どうしたのこんな時間に。」
「あぁ…。」
「体調でもわるいの?」
尚美は心配そうな顔をして卓の額に手をやった。
「熱は無いみたいだけど。」
「尚美。」
玄関に腰を掛けたまま卓は言った。
「しばらくこの家、留守にしよう。」
「え?」
「のっぴきならん事態が発生したんや。」
「なに?それ。」
「村上さんの関係のことや。」
「村上さん?…村上さんってあの村上さんのこと?」
「ああ。お前も覚えとるやろ。あの人が眠っとる墓に行った時のこと。」
「ええ。」
「あれは2年前の盆の時期やった。」

2年前 7月15日
熨子山墓地公園で相馬家の盆の墓参りを済ませた卓と尚美は、道具一式を抱えて無縁墓地の前に立った。そして2人はそこにしゃがんで静かに手を合わせた。
「相馬卓さんと尚美さんですね。」
突然自分の名前を呼ばれた2人は振り返った。そこには髪を短く刈り込んだ強面の男が立っていた。
「ここには村上隆二さんが眠っとる。そのこと誰に聞いたんですか。」
「あんた誰や。いきなり何なんや。」
「あぁ申し遅れました。わたくし藤木といいます。ワシも村上さんには生前世話になった口でしてね。」
「え…?」
「あぁでもワシは残留孤児じゃありません。個人的に繋がりがあって、ここには参らせてもらっとるんです。」
「なんで俺らの名前と俺の出自を?」
「…ねぇあなた。この人ちょっと気持ち悪いわ。」
尚美は卓に耳打ちした。
「生前、村上さんからあなたのことは聞かされとりました。」
「村上さんから?」
「ええ。あの人が支援する残留孤児らの中で、定職につき結婚もし、家を建て、子供を大学まで出しとる成功事例のひとつとしてね。」
「…んで、あんたは村上さんとどういう関係が?」
「ワシはちょっとあることがきっかけでね、切っても切れん関係になったんですわ。その詳しいことはここでは言えません。」
「はぁ。」
「ところで相馬さん。ワシの質問に答えてくれませんか。」
「え?なんでしたっけ。」
「ここに村上さんが眠っとるって言うこと誰に聞いたんですか。」
「え…橘さんです。」
「橘さん?」
「ええ。知り合いの橘って人からです。」
「え?そのひとと村上さんって何か特別な関係でも?」
「いえ。その人はただの私の友人です。」
「ただの友人がどうして村上さんの事知っとるがですか。」
「橘さんがある人から教えてもらったらしいんです。」
「或る人?」
「ええ。」
「誰ですか。」
「コンドウさんです。」
「はい?」
「コンドウサトミさんです。」
「コンドウサトミ?」
「ええ。」
「あ…あぁそうですか。その方が…。」
藤木は黙って無縁仏の墓をしばらく見つめた。
「相馬さん。ワシは村上さんが本当にあんな事したってなかなか思えんがですよ。」
「それは私もです。」
「きっとなんかの間違いや。」
「私もそう思います。」
「百歩譲って仮に本当に村上さんがあの事件の犯人やったとしても、ワシは村上さんを病院で殺した人間が許せん。」
「同じく。」
「ワシは村上さんの仇をとりたいと思っとるがですよ。」
「仇を取る?」
「ええ。村上さんが人を殺したかどうかはどうでもいい。ワシはあのひとを殺した人間をこの手で捕まえる。」
「でも…。」
「ワシは村上さんを殺した人間を知っとる。」
「え?」
「相馬さん。あんたワシに力貸してくれんけ。」
卓は尚美を見た。彼女は困惑した様子である。
「ちょ藤木さん。いまあんたが言っとることってあんたがやることじゃなくて警察がやることじゃないが?」
「ほうや。ほやけど警察ばっかり当てにできっかいや。現に警察に保護されとった村上さんが殺されたんや。ひょっとすっとあん中にもややこしい奴が居るかもしれん。」
「でもどうやって…。」
「それはあんたがこの話にのってくれるんやったら話す。」
尚美は頷いている。
「…わかった。」

「いまその藤木さんが外に居る。」
「え?」
「あれから2年経って、村上さんの件に急展開があったんや。」
「やっと…。」
「でもまだ全然喜べん状況なんや。ある人間が俺を狙っとる。ひょっとするとお前まで巻き添えを食うかもしれん。ほやから家空けて一緒に藤木さんに匿ってもらうんや。」
「でも…そんな…急に。それに周はどうするん。」
「周は心配ない。周はこの家で大丈夫や。」
「相馬さん。早く。」
玄関の扉を開いた藤木は卓を急かした。
「でも…周は…。」
「奥さん。息子さんには指一本触れさせんように手をうってある。いまは奥さんと卓さんが心配なんや。さあ早く。」
尚美と卓は藤木に言われるがまま、必要最低限のものを鞄に放り込んで慌てて自宅を飛び出した。
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2016年04月04日

88 第八十五話



金沢駅近くのビジネスホテルにチェックインした鍋島はシャワーを浴びていた。
備え付けのボディソープを手で泡立て、彼は全身にそれを塗りたぐった。そしてそのまま両手を頭に持って行き、髪の毛ひとつない頭にもそれを塗って手早く流水で流した。
ものの5分程度で全身を浄めおわった彼はバスタオルで全身を拭きあげ、鏡に写る自分の姿を見た。
「相変わらず汚ねぇ身体だな。」
何で負ったものかは分からないが、彼の上半身のそこかしこに大小無数の傷跡があった。鍋島はその中でも腕にある傷跡に目を落とし、それをゆっくりと指でなぞった。
「久美子…。感じるよ、お前を…。」
そう言うと彼は恍惚とした表情になった。
彼は覗きこむように鏡に映る自分の顔を見た。
「あのころの俺とは似ても似つかぬ顔だ。そして髪の毛もない。いまの俺を見てあいつは俺を思い出すかな。」
鍋島は耳から顎にかけてを指でなぞる。
「俺には顔の感覚さえないんだよ。俺でさえこの鏡に映る人間が誰だか分からない時がある。」
タブレット端末を手にした彼はそこに映る久美子の姿を見つめた。
「でも…あいつのカラダは覚えてるか。」
そう言って鍋島は不敵な笑みを浮かべた。
「頼むよ…俺の傷を癒やしてくれ。久美子。」
映像の久美子は店員と何かの会話をしてた。時折腕時計に目を落とし、なにやら時間を気にしているようだ。
タブレットが示す時刻は14時である。
「なんだ。何やってんだ。」
画面の中の久美子は両手を合わせて別の店員に何かを頼んでいる。一旦画面から消え、再びそこに映る彼女の手にはバッグが握りしめられていた。
「外にでも出るのか。こいつは好都合だ。」
ビルの閉店時刻には関係者を送迎する車でこのあたりは混雑する。それに久美子の通勤には父の送迎が付いている。この2つの状況が重なるとさすがの鍋島も大胆な行動には出にくい。しかしこのタイミングで久美子が外出となると、彼女との接触は俄然容易となる。鍋島は即座に黒尽くめの服をまとって部屋を出た。
外は茹だるような暑さであった。通りを行き交う人間は皆、半袖姿。その中で全身黒でニットキャップの鍋島の姿はその場から浮きそうなものだが、何故か彼の存在に目を留めるものはいなかった。それもファッションビルの側という個性的な服装をした人種の坩堝ということが要因なのだろうか。鍋島はビル側の物陰に身をおいて、腕時計に目を落とし誰かを待つ素振りを見せながら、職員通用口から久美子が現れるのを待った。
しかし待てど暮らせど彼女の姿が見えない。
ーなんだ?何故出てこない。
ポケットからスマートフォンを取り出して、先ほど部屋で見ていた久美子の店を俯瞰で抑える映像に目を落とす。そこには彼女の姿はない。
ーふっ、俺としたことが先走っちまったか。鞄抱えてるからって外に出るとは限らないよな。遅めの昼ってところか。
スーツ姿の男がふたりビルの通用口から出てきた。
「あー今日はもうやめ。」
「え?」
「やめやめ。今日はもうやめ。」
「先輩。こんなこともありますよ。」
「だら。こっちはこの日のために提案書作って来てんぞ。それなんにいざ商談っていうげんに今日一日休みやってなんねんて。」
「仕方ないじゃないですか。先方が体壊したらどうにもなりませんよ。」
「んなこと言ってもなぁ、一報くれても良くないけ?」
「まぁ…。」
「そりゃ人それぞれ突発的に何かあるわいや。けど社会人として予定キャンセルする時はそれで連絡くらいくれんと。」
「先輩いいじゃないですか。また会えるんやし。」
「あ?」
「ほら、山県店長って美人でしょ。俺タイプなんスよ。」
「まぁね…。確かにね。」
「またアポとって行きましょうよ。ね。」
ー今日は休み…だと…?
「くそー美人って得やなぁ。」
「お詫びにお茶でもどうですかとか…。んなことあり得ないっすよね。」
ーじゃああの映像はなんなんだ…。
鍋島は再びスマートフォンに目を落とした。
ーまさか…。
「あり得んやろ。」
「そうっすよね。」
「でもあんな綺麗な嫁さんが家におったらなぁ。」
「俺やったら会社休んで看病しますよ。」
「じゃあ俺も。」

「あん?何言っとれんて。仕事やわいや。あ?北署から連絡あった?…何やって…。おう。ほうやろ。それ以上何も言わんやろ。そうやってあいつら俺が仕事サボって家に帰ったりしとらんか探っとれんて。おう。まぁ確かに…そんな電話なんか今まで一回もなかったけどな。まぁ何かと締め付けがきつくなっとれんて。警官の不祥事とかあるがいや。」
車の中で電話をする岡田の姿があった。
「まさかお前、俺が仕事行くふりして実はいつの間にか警察辞めてましたみたいなこと疑っとるんか?んなことねぇから心配すんなって。」
電話を切った岡田はため息をついた。
「実質辞めたも同然ねんけどな…。」
運転席を倒して彼は天井を見つめた。

今回の件においてはかつてない秘匿性が要求されとる。ほやからお前との直接的な接触も基本的にできんがや。んでもちろん捜査の全体像も協力者全員に明らかにすることができん。限られた人間による隠密捜査や。とてつもないでけぇヤマなんや。頼むぞ。

「でかいヤマね…。若林に啖呵きって出てきた俺にとっては、このヤマ凌いでも手柄にはならんしな…。」
身体を横に倒して彼は窓の外を眺めた。
「実際のところ、この先、俺どうやって食っていけばいいげんろ。やっぱ警備員ぐらいしか仕事ってないんかな…。」
その時である。岡田は動きを止めた。
「なんやあいつ。」
彼の目にはある人物の後ろ姿が捕捉されていた。

久美子の身の安全は、今回の戦いにおいて最重要課題なんや。

「え?」
とっさに岡田は写真を取り出した。金沢銀行で入手した経営企画部長藤堂豪の顔写真である。痩せこけた頬と切れ長の目が印象的な男だ。だがいま目の前に見える男にそれらの特徴を見出すのは困難である。何故なら彼はサングラスをかけているためだ。続いて岡田は写真の藤堂の口元を見た。どちらかというとちょっと前に突き出るような形で、唇はすこし厚みがある。彼はその特徴を目の前にいる男のものと照合するため、オペラグラスを手にしてそれを覗き込んだ。そしてそこで岡田は息を呑んだ。
ーまさか…。
再び手元の写真に目を落とし、前方の男の口元と照らし合わせる。
ー似とる…。形が似とる…。
岡田は戦慄した。
ーまさか…あれが藤堂…。
男の動きに不審な点はない。思わず目が行くのはその季節感を度外視した黒尽くめの出で立ちと、ニットキャップ姿である。それさえ目を瞑ってしまえば彼は単なるいち通行人。そう周囲の人間は思うだろう。男は携帯電話を手にし、通話口を手で覆った。すると山県邸の中から三回の呼び出し音が聞こえた。おそらく目の前にいるこの男が久美子本人が家にいるかどうかを確認するために電話をかけたのだろう。その後男は何かを話して直ぐに電話を切り、その場から姿を消した。その様子を確認して、岡田は携帯電話を手にした。
「おう。どうした岡田。」
「とりあえず誰に報告していいか分からんので古田さんに電話しました。」
「マスターから聞いたんか。」
「ええ。」
「で、なんや。」
「藤堂と思われる奴が山県の家の前に。」
「…とうとう出てきたか。」
「ただ本人かどうかは分かりません。」
「…どんな格好しとる。」
「黒のブルゾン、黒のパンツ。頭にはニット帽。丸型のサングラス。」
「丸型のサングラス…。」
「はい。」
「偉い目立つ格好やな。」
「ええ。」
「奴は。」
「家の中に人がおらんかだけ確認して、そのまま立ち去りました。」
「他には。」
「何も。」
「よし。」
「え?」
「岡田。ご苦労さんやった。このままお前は久美子に付いとってくれ。」
「え?それだけでいいんですか。」
「ああ。」
「古田さんは。」
「ワシは藤堂をおびき寄せる。」
「え?おびき寄せる?ちょ、ちょっと待って下さいよ古田さん。あいつの目標は山県久美子でしょう。」
「いいや。これであいつの目標は変わった。」

山県邸を後にした鍋島は近くの停留所で偶然停まったバスに乗り込んだ。そして彼は進行方向を見て右手の中央部の座席に座った。
ー店の様子を中継するカメラに久美子の姿が映っていた。これは久美子が今日出勤していることを示す。しかしあいつは今日は休み。家に電話をすると女が電話口に出た。
「はい。もしもし。…もしもし?…もしもし?」
ーあの声は紛れも無く久美子。となると…店に設置されたカメラは…。
「偽物。」
ーまさか…相馬の奴…

「ありがとうございます。」
「止めろ。」
「いえ。これぐらいせんと示しがつきません。」
「俺は橘に仕事を依頼しただけだ。お前に礼なんか言われる事はしていない。」
「私はコンドウさんの事一生忘れません。」
「所以别闹了  だからやめろ。」
「这对我是永远的回报  このご恩は必ず返します。」

鍋島は拳を強く握りしめた。
「裏切り者には死の制裁が必要だな。」
その言葉とは裏腹に彼の頬に一筋の伝うものがあったことを誰も知る由もなかった。
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2016年03月28日

87 第八十四話



能登イチでの爆発事故がコンドウサトミの生存を県警内部に知らしめた。
3年前の熨子山連続殺人事件で死んだはずの人間が生きている。しかもその人間は原子力発電所にいとも簡単に侵入し、爆発物を設置。まんまと逃げおおせたのである。
チヨダ直轄案件を追う片倉ら一部の公安関係者は昨日の段階でおおよその概要を把握していたが、県警の一般捜査員は本日7月17日にこの概要を知ることとなった。県警はまず爆発事件の捜査に動き出した。同時にコンドウサトミの身元を再度洗うこととし、情報管理調査本部を設置した。
情報管理調査本部長に任命された警備部部長の土岐は提出された資料に黙って目を通していた。
熨子山連続殺人事件を捜査したのは刑事部。この刑事部の捜査に何らかの不手際があった可能性がある。身内の事を身内で調査することは真実の隠蔽にもなりかねない。よってこれを検証するには第三者の目をもってするのが適当だと判断した県警本部長による人事であった。土岐の下に警務部情報管理課、警務部監察課、そして様々な部署の一部のスタッフが置かれた。
「部長から見て右側が、ワシが個人的に保存しとった鍋島惇の指紋。んで左側はデータベースの七尾のガイシャの指紋。」
密室で土岐と向い合って座る十河はこう言った。
「確かにパッと見た感じだと、朝倉本部長の言っていることも分かる。しかしあんたが言ってる通り右人差し指をみればその違いが分かる。」
「でしょう。鑑識から上がってきた情報っちゅうことでめくら判押すみたいな感じやとスルーするようなもんかもしれませんけど、よくよく見れば違いが分かる。」
「うん。」
「ワシはこのふたつの指紋が同じって判断するのはちょっと無理があるって感じで朝倉本部長に意見しました。ですがそれは却下されました。」
「なぜだ…。」
「分かりません。どうやらワシには科学的視点が足りんようです。」
「何かの意図があるな。」
「朝倉はどうしても七尾のガイシャを鍋島惇としたかった。そうなることで鍋島惇の死亡が確定する。死亡した人間について警察は捜査をすることはない。鍋島の死亡は熨子山事件集結を意味する。」
「何が何でもあのタイミングで熨子山事件の幕引きを図りたかった。」
「それか朝倉自身が鍋島と何らかのかたちで通じ、奴の延命を図るために捜査資料のでっち上げを行った。」
「そのどちらかだな。」
土岐はそう言うと腕を組んでしばらく沈黙した。
「で、部長。もうひとつお耳にいれんといかんことが。」
「なんだ。」
「その鍋島の指紋なんですが。部長のお手元にあるその資料のやつ、実は事件当時のもんなんです。」
「は?何言ってるんだ。当たり前のことだろう。」
十河は一枚の資料を取り出してそれを土岐に差し出した。
「これは7月17日時点での鍋島惇の指紋です。」
「は?」
「これを先ほどの鍋島惇の指紋資料と突合してみてください。」
土岐は資料に目を落とした。しばらくして彼は動きを止めた。
「なんだ...これは…。」
「そうでしょう。3年前の鍋島の指紋と現時点での奴の指紋が違う。」
「...基本的には同じものだが…十河、お前が3年前に朝倉に指摘した右人差し指の指紋が変わっている…。」
「ほしたらその現時点での鍋島の指紋と、七尾のガイシャの指紋を合わせてみてください。」
老眼鏡をかけ、土岐はそれを照合し始めた。
「…ぴったりだ。」
「そうなんです。こいつには私もびっくりでして。」
「なんでこんなことが…。」
「システムそのものの欠陥を疑うしかありません。」
「システム?」
「ええ。システムの方で鍋島の情報を自動的に書き換えた。」
「そんな馬鹿な。」
「ですが部長。システムの情報が勝手に切り替わるって話、どこかで聞いたことありませんか?」
「…あ。」
「そうですよ金沢銀行の守衛殺しの件です。あそこのシステムはドットメディカルが開発したもんです。」
「県警のシステムもドットメディカルのものだ…。」
「なんか臭いませんか。」
「臭うな。」
この時、彼の背後から恐ろしいまでの闘気が立ち上っているように十河の目に映った。
「システムそのものの導入に関する経緯も精査もする必要があるな。」
「ええ。」
「システム納入の関係者は。」
「すでに調べてあります。」
「言え。」
「当時の警務部部長の別所。同じく警務部総務課長の中川。ドットメディカルCIO今川。同じくドットメディカルCEO七里。システムを実質的にプログラミングする会社であるHAJABの社長、江國です。」
「待て十河。大事な名前が抜けていないか?」
「はい?」
「県警本部長の朝倉だよ。」
「それは言わずもがなと思いまして。」
土岐はふっと息をついた。
「しかし十河。お前、なんで3年前の鍋島の指紋情報を持っていた。情報の外部持ち出しはコンプラ違反だ。」
「知っとります。」
「知っててやったのか。」
十河は頷いた。
「必要は法に勝るとも言います。」
この言葉に土岐は肩をすくめた。
「十河。お前は当時の事件の関係者でもある。お前が先頭に立ってこの調査本部をひっぱれ。先ずはその民間企業を調査をしろ。」
「はい。ですが身内のことはどうしますか。」
「俺に考えがある。お前は民間を徹底的に洗え。」
「御意。」
「ここにもひとりか…。」
そう呟き十河が部屋から出て行くのを見届けた土岐の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

「昨日はごくろうさまだったね。」
「別に。」
「いやぁびっくりしたよ。改めて。」
「何よ。」
「兄貴の俺が言うのも何なんだけど、昨日のお前は綺麗だった。」
「何よ、気持ち悪い。」
「いや、これは本当なんだ。お前なりに考えられたオルグだよ。」
「え?何のこと?」
「何言ってんだ。ご新規さんの注目を集めるには見た目で釣るのが一番だって結論だろ。」
「…。」
「おかげで一気にコミュのアカウントの開設数が伸びたよ。掲示板にも奇跡の女の子降臨とかってスレッドまで立って、まだ伸びてる。」
「…。」
「明日のコミュにはお前見たさで多くの人間が来る。楽しみだよ。」
「…。」
「何だ?何で黙ってる。」
「…別に…何でもない。」
「違う。」
「え?」
「その沈黙は違う。違う意図があって君は沈黙した。」
「違わないわ。」
「長谷部とかって男だろ。」
「違うわ。」
「麗。嘘をつくな。お前が昨日、金沢駅の側のファッションビルにそいつと一緒に居たことは僕の耳に入っているんだ。」
「…。」
「長谷部俊一。石川大学3回生。ぱっと見た感じは南米ラテン系の健康的なハンサムボーイ。だろ。」
「休みの間の私の行動まで監視してるの?」
「心配だからね。」
「...気持ち悪い。」
ドットスタッフの自室にある応接用のソファに身を委ねていた悠里は、ため息をつきながらゆっくりと自身の髪の毛を掻き分けた。
「今更感がパネェよ。麗。」
悠里の声色が変わった。
「言ったろ。俺らは今普通に生活しているわけじゃない。革命のためのオルグをやってんだ。そこにはその手の色恋沙汰は障害以外の何物でもない。直ちに捨てろ。」
「分からないの。私だって。」
「何のことだ?」
「兄さん今、色恋沙汰って言ったよね。でも私、正直そういうのよくわからないから、あの人とどう接していいかわからないの。」
「麗…。」
「ただこれだけは言えるの。あの人がいると何だかわかんないけど気持ちが落ち着くの。何だかわかんないけど楽しいの。だから取り敢えずあの人のことを知ろうと思って会ってた。」
悠里はため息を付いた。
ー駄目だ。麗のやつ長谷部に惚れている…。
「でも私の休みは終わったの。だからもういいの。」
「そう言って割り切れないのが色恋沙汰ってもんなんだよ。麗。」
「え?」
「お前、長谷部のことを知ろうと思って会ってたとかって言ったよな。」
「…。」
「何か分かったか?」
「…いえ…何も…。」
「そうだろう。そんなもんなんだよ。」
「どういうことよ。」
「恋は盲目って言うだろ。この言葉の通り、一旦恋に落ちた人間は相手を疑うという機能が著しく低下するもんだ。」
「…。」
「俺は俺なりに長谷部のことをリサーチした。よってお前よりは長谷部俊一について知っている。いいだろう。教えてやろう。」
「え…。ちょ...ちょっと…。」
「石川大学入学当初は県職となり、石川の未来をこの手で作り上げることを目標とする。しかしそれは数ヶ月も経たずに変節。拝金主義へと転向。ネットワークビジネスを始めるも間もなく失敗。大量の不良在庫を親が買い上げるかたちで精算。ビジネスが向いていないと考えたのか長谷部の関心事は女性に移る。女にモテるためファッションにこだわったり、ボランティアサークルに所属しサークル内の女性に片っ端から手を付けたり、いい車に乗って助手席に女を代わる代わる乗せて行為に及んだり、意識高い自分を演出し私小説を書いて、その一部のファンに手をつけたり…。」
「え…。そこまで…。」
「大学に入ってから現在に至るまでの長谷部の被害者は33名。こいつは酷いな…。悪魔としか言えない…。」
「うそ…。」
「こんな汚らわしい男に惹かれるとは…麗…お前、総括が必要だな。」
「え…うそ...うそでしょ兄さん…。」
「悪魔に魂を売るような人間は俺は組織の一員としてして認めるわけにいかない。」
「兄さん…。」
「しかし昨日のお前のオルグの功績もある。だから明日のコミュをもってお前は脱会しろ。この件は俺が黙っておく。」
「え?脱会?」
「ああ。」
「脱会してどうすればいいの私?」
「知らない。勝手に生きろ。」
「え?兄さんも父さんもこれで縁が切れちゃうの?」
「その俺の呼び方はもうやめてくれ。」
「え?ちょっと待ってよ!?何で?何でなの?お母さんの病気治して、またあそこで一緒に生活するんでしょ?」
「麗っ!!」
悠里は一喝した。
「おまえはもう少し賢い女だと思っていた。」
「え?」
「今しかないんだよ。縁を切るのは。」
「…。」
「お前言ってたろ。岩崎香織になりすますのは疲れるって。」
「でも…。」
「お前が母さんのことを心配する気持ちは分かる。俺もそうだ。だが今回の任務が完了したら俺らがまたあの国に帰って昔のような生活ができる保証はない。」
「なんで?だってお父さんそう言ってたじゃない。そう言ってお父さん私達をツヴァイスタンから日本に連れてきたんでしょ。」
「俺だって独自のネットワークがある。そこから日々情報を入れている。だが実際のところ母さんの容体はおろか、その生存も確認できていない。」
「え…。でもお父さんだってそれを信じて今、ここで戦ってるんでしょ。兄さんもでしょ。」
「麗。これだけは言っておく。お前が今まで生きてきた人生は他人のための人生を歩むだけの受動的な人生だ。いまお前は自分のための人生を歩む重要な岐路にある。岩崎香織ではなく下間麗としてな。いま俺は兄としてできることの精一杯をやっている。頼むから俺の言うとおりにしろ。」
「ちょっと…。」
「すまんキャッチだ。明日のコミュには来てくれ。俺の方でうまくやる。お前はそれに合わせてうまく立ち振る舞え。」
こう言って悠里は一方的に電話を切った。
「ああお父さん。」
「頼む。」
「期日は。」
「明日までだ。」
「分かりました。」
「麗はどうだ。」
「やっぱり疲れてるだけみたいです。」
「そうか。」
「明日のコミュにもあいつは来ますのでご心配なく。」
「…うん。」
「どうしました?」
「あ…いや…。」
「麗だけじゃなくてお父さんも変ですよ。」
「あぁ...悠里...くれぐれも気をつけてな。」
「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」
下間芳夫との電話を手短に終わらせた悠里は秘書に出張に行くとだけ告げて、オフィスを後にした。
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2016年03月21日

86 第八十三話



「自社のウェブサイトがダウンする中の爆発事故。原子力発電所を運転する電力会社の経営責任が問われることとなりそうです。」
アナウンサーがこう言ったところで朝倉はテレビの電源を切った。
「醜態。」
「ええ。」
「察庁は何をやっている。」
「さあ。」
「松永は無能か。」
「そうかもしれません。」
「直江、少しはフォローしたらどうだ。」
「いえ。フォローのしようがありません。」
「お前も酷い男だな。」
朝倉は口元を緩めた。それに反して直江は表情ひとつ変えない。
「ですが、この一件で警察内で明るみになった事があります。」
この言葉に朝倉は15秒ほど沈黙し、ゆっくりと口を開いた。
「コンドウサトミこと鍋島惇の生存か。」
「はい。奴の生存が察庁内で明るみになったということで、熨子山事件に関わった人間の聴取が始まることでしょう。」
「それはお前の方でうまい具合に調整をつけておけ。」
「どのように?」
「知らぬ存ぜぬでいい。」
「と言いますと?」
「鍋島は七尾で村上よって殺害されたと判断するのが当時の状況から最も合理的な判断だった。それ以上でもそれ以下でもないと。」
「ですが、その物証が現時点において有力性を持ちえません。」
「それはどういうことだ。」
「現時点において七尾で殺害された人物の指紋が、当時のものとは全く違うものになっています。」
「なに?」
朝倉の声色が変わった。
「ご存じではありませんでしたか。」
「…初耳だな。」
「そうでしたか。」
「しかしそれはどういうことだ。県警のシステムに不具合でも起きているのか。」
「現状、それが最も有力な線です。何者かが意図的にその情報を改ざんしたとも思えませんので。」
「なるほど…。となると…警察の情報管理の杜撰さまで問題として出てくるのか…。」
「ええ。」
「因みにあそこのシステムはどこのメーカーのものだ。」
「ドットメディカルです。」
「ドットメディカル…。」
「ということはドットメディカルが鍋島の情報を何らかの形で変えた…。ということも考えられるということか?」
「優先順位は低いですが、可能性はあります。」
「ならばそこにもガサを入れねばならんな。」
「それは県警本部において準備中だそうです。」
「そうか。そういう対応だけは素早いんだな。」
「なにせ身内のことですから。」
「ふっ…。」
朝倉は立ち上がった。
「しかし直江、お前はどうも感情というものを表に出さない。」
「感情なんてものは、この仕事において足手まとい以外のなにものでもありません。」
「ふっ…その冷徹さが俺は気に入っているのだが、いまひとつお前の本心が計れないのがちょっとな。」
「そうですか。」
「そうだ。」
「特捜から転落した私を引き上げてくれたのはあなたです。」
「ほう。」
「その私を公安調査庁の人事を握る部署にとあなたはおっしゃった。あなたを信頼しない理由がありません。」
朝倉はニヤリと笑った。
「ただひとつ。私にも部長の本心が計れないところがあります。」
「なんだ。」
「私はまだ部長のお言葉しか頂いておりません。」
「…そうだな。」
「ここはひとつ長官の言質も頂きたいところです。」
「はっはっはっ!!」
朝倉は大声で笑い出した。
「貴様は思ったよりもしたたかなやつだな…いいだろう。」
「いつですか。」
「明日にでも長官との面会をセッティングする。」
ここで朝倉の携帯電話が震えた。
「ではご連絡お待ちしております。」
そう言うと直江は部長室から退出した。
「なんだ若林。」
「今もまだベッドでぐっすり寝ていますよ。そろそろ帰らないといけないんですが。」
「くくく…。」
「いやぁ40しざかりって本当なんですね。」
「そうか…。そんなにか。」
「ええ。ちょっとこっちが引くくらいでした。」
「はははは。この下衆男め。」
いつになく朝倉の表情が豊かである。
「部長。これは仕事です。」
「ああわかっている。からかってすまなかった。」
「こっちも必死なんですよ。何とかして奮い立たせないといけませんから。」
「ふふふ...今日のお前は愉快だな。自分の思い通りにアレを制御できるってのは俺にとって羨ましい限りだ。若さだな。」
「若さですか?」
「いや、特殊能力といったところか。」
「特殊能力?何のことですか?」
「…あ…いや…なんでもない。」
「お褒めの言葉として受け止めれば良いでしょうか。」
「ああ。最大級の褒め言葉だ。なんだこの下衆なやり取りは。ふふっ。」
「では旦那の方は部長のほうでよろしくお願いします。」
「ああ、慰めてやるよ。」
電話を切った朝倉は高らかに笑い出した。
「( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・(  ゚∀゚)ハァーハッハッハッハ!!」

仕事の上で急な異動というものは混乱をもたらす。それは橘においても同じであった。
部長職に突くことで日常の雑多な仕事から開放されるとおもいきや、彼の場合はそうはいかない。前任者である部長の小池田が急遽戦線から離脱することになり、独力で融資部長としての仕事を習得せねばならなかったためだ。もちろんかつての融資部長である常務の小堀からの指導もあったが、細かなことまでは彼の指示でどうこうなるものではない。正に暗中模索。橘は早く部長としての地位を確立させようと必死だった。
それも先日の山県の激励があってのものだった。

「あんたは期せずしてこのタイミングでこのポジションを射止めた。しかし地方銀行といえどもこのポジションに登ってくる人間はそれなりの実績と評価があってのもの。棚ぼただけじゃない。自信をもってこれから職務に励んでくれ。」65

ー俺の力が試されとる…。
橘は副部長として部長を補佐していた当時の自分の姿を思い浮かべて、想像力を働かせながら懸命に書類と向き合った。
しかし橘の負担はこれだけではなかった。自身の後任として副部長職に引き上げられた人間の育成も課せられていたのである。こちらは今まで自分がやっていた業務をそのままある程度の時間を掛けて後任に引き継げば丸く収まるのだが、彼の場合事情が違った。そう、金沢銀行における消費者ローンの不良債権問題である。

ーあの言葉は…。

「さすが佐竹のお眼鏡にかなう奴らや。早速システム的におかしな所がわかり出しとる。」65

ーHAJAB端末納入時に既に特定の債務者の源泉や所得証明のスキャンデータがランダムに書き換わるプログラムが入れられとったとこまでは分からんはずや。あいつらは所詮ドットメディカルの人間。たかがSE風情でそんな大元のプログラミングまで探れん。仮にそれができたとしてもその仕組を理解できるほどシステムに精通した人間はおらん。それを取り纏めることができるのは佐竹ぐらいや。その佐竹は幸い休暇中。あいつがおらんがやったら大したことはないやろう。次長の松任はそこまでの知識はないはずや。
「橘部長。あんたがHAJABを総務部に斡旋したことは俺は知っとる。」
「そのことをネタにあんたが疑わしいとか言っとる連中が行内に居るっていうのも俺の耳に入ってきとるわけや。」65
ーでも、山県部長は俺をフォローした。
「ほやけどな部長。そんなもんは関係のない話や。部長は部長でその時の最善を総務部に提案しただけ。採用を決定したのは当時の本部や。な。」65
ーけど…あの最後に言ったあのセリフは一体なんやったんや…。

「釣り上げるもんを間違えんなや。」

「部長。…部長?」
自分の名前を呼ぶ副部長の姿がそこにはあった。
「あ?ああ…。どうした。」
「あの…支店から源泉の写しそのものを添付した紙の稟議が上がってきたんですけど、これどう処理すればいいですか。」
「あ?何や?消費者ローンか?」
「はい。データで送れって言ったんですけど、原本に勝るもんは無いやろとか言って受理しろって云うんですよ。」
ー原本やとそれ書き換えれんから困るんやろいや。
「何言っとれんて規則は規則や。イメージデータ送るように言って突っ返せま。原本は事務管へ送れって言え。」
「でもですよ原本なんですからこれでいいんじゃないですか。」
「だら。そんな例外認めたら今度からそれOKになってしまうがいや。そんなことしとると紙媒体が増えてかなわんわ。」
「あぁ…確かに。」
「そもそも文書管理なんて意味わからん仕事に手ぇ割かれるのが嫌やからシステム入れ替えたがいや。文書は能登の山奥で倉庫。俺らはデータで仕事。駄目なもんは駄目や。」
「いいがいや橘部長。」
「え?」
振り返ると常務の小堀が立っていた。
「いいがいや。支店もノルマで躍起になっとらんや。そこは柔軟に対応してやれや。」
「え?しかし…。」
小堀は融資稟議を手にとってしげしげと眺めた。
「あーこれはあれや。」
「なんですか。」
「ほらこの担当者、今年入ったばっかりの新人や。」
そう言うと小堀は担当者印の箇所を指差して橘に見せた。
「なんかパッとせん男やったけど頑張っとらいや。」
「それがどうだと言うんですか。」
「新人やから大目に見てやれや。」
「駄目ですよ。支店の教育が行き届いていないからこんな凡ミスやるんでしょう。」
「まぁそう言わんと。支店は支店で新人の頑張りを本部にアピールしてやりたいんやって。何ならそいつここでスキャンして保存しといてやったらどうや。」
「でも規則です。」
「まぁそう固いこと言わんと。」
小堀は副部長から源泉の写しを取り上げて融資部の女性行員にそれをスキャンしてPDFにするよう命じた。
「ああっ。」
「規則規則言わんと、営業店の支援をするのも融資部の仕事やろ。PDFじゃなくて写しそのものをうっかり送ってきたってだけやろいや。そこら辺はちょっと気ぃ効かせてやれま。原本はそのまま事務管に渡せばそれで済むやろ。」
「…ですが、そういう例外を作ってしまうと今後同じ事例が出てくるとそれに融資部で対応せんといかんくなって、コストが増えます。」
「原本ね…。」
「え?聞いてますか常務。」
「あ?おう。いや…なに、そう言えばここ数年突合しとらんな。」
「え?」
「ほら、ドットメディカルのシステム入れてから原本は事務管理課で集中的に取りまとめて珠洲の山奥の倉庫に保管しとるやろ。」
「え…ええ。」
「融資部に上がってくるのはデータだけや。原本は人目につかん人里離れた倉庫にひっそりと眠っとる。あそこに仕舞われたら誰もそれをよう見ようとは言わん。」
「ええ…。」
「たまにはデータと原本の突合っちゅうもんもせんといかんかな。」
「え?」
「なるほど新人はいいヒントをくれた。ワシはちょっと山県部長と相談してくるわ。」
「ええ?」
「なぁ橘部長。規則ちゅうもんは時々メンテナンスしてやんといかんがや。壁が綻んできたら塗り直す。規則を作るのはワシら役員や。こいつを怠ったらワシらの存在意義は無くなってしまう。部長、あんたもそれに近いポジションに居るんやぞ。」
そう言って小堀は融資部を後にした。
彼の背中を見送った橘はそのまま自席に崩れ落ちるように座った。
「終わった…。」
「部長、どうします?この原本。事務管にそのまま渡してもいいですか?」
橘はこの問い掛けに応える気力を持ち合わせていない。彼はただ頷くだけであった。
矢先、彼の胸元が震えた。咄嗟に席を立った彼は気分がすぐれないと言って席を外した。
トイレの個室に入り、そこに座って深く息をついた彼は携帯電話を取り出した。先ほどのメールは相馬卓からのものであった。
「なんねんて...この切羽詰まった時にメールなんか送ってくんなや。」
こうぼやきながらも彼はそれを開封した。
本文には「片倉帰宅するも妻不在。妻は若い男と外出。片倉呆然とベランダで喫煙す。」とあった。
2枚の写真が添付されており。一枚はその様子を引きで撮ったもの。もう一つはひと目見て憔悴している様子が伝わる片倉の表情を寄りで抑えた画であった。
橘は何の反応も示さず、それを即座に転送した。
「はーっ…」
彼がため息を付いたと同時に再び携帯電話が震えた。今度は通常着信のようである。
「はい。」
「なんだなんだ。」
「...ご覧のとおりです。」
「こいつは決定的だな。」
「…そうですね。」
「どうした。声に元気が無いぞ橘。」
「あ...ええ…まぁ、ちょっと…。」
「なんだ、融資部長としての重責に押しつぶされそうになってんのか。」
「はは...慣れないもんで…。」
「どうだ順調にいってるか。」
「…。」
「おい。聞こえてるのか。」
「あ…はい。」
「どうなんだ。」
「大丈夫です。順調です。」
「そうか。」
「はい。」
「今日の報告は収穫だ。この礼は弾む。」
「…ありがとうございます。」
「そのうちお前も常務だよ。」
「…。」
「今までどおり上手くやってくれ。」
こう言って電話は切られた。直後、橘は床に跪き便器を覗き込んだ。そして逆流してきた胃液をそこに放出した。
「おえっ…! げぇっ…!」
橘の激しくえずく声をよそに、トイレでハンカチを加えて手を洗う厳しい表情の山県有恒の姿がそこにはあった。
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2016年03月14日

85 第八十二話



「花火はどうだった。鍋島。」
「あ?」
「お前が思ったような花火が見れたか。」
「…ああ。多分な。」
「はっ…多分…。こっちは思ったようなもんじゃなかったんだ。」
「そいつは残念だったな。」
電話の向こう側が沈黙した。
「ふっ…。」
「ここでもヘマしたか。」
「なに言ってんだ俺はあんたの指示通りにやった。結果これだ。今回の仕事で俺に非はない。」
「…代役を立てる。」
この言葉を受けて鍋島はため息をついた。
「…じゃあこれでおさらばだな。」
「…しかし…つくづく残念だ。」
「何言ってんだ。そっちから手切れだろ。言えた義理か。」
「不思議だな…。お前がこれからどう動くかなんて、俺は知りたくもないし知る必要もない。だが…。」
「なんだよ。」
「事ここに及んで、何故か躊躇う自分がいる。」
「はっ…なに言ってんだ。」
ハンドルを握る鍋島は失笑した。
「そんなセンチなこと言っても、あんたひとりの意志でどうこうなる話じゃないだろ。」
「…まあな。」
「まぁ…あんたにはさんざん世話になった。下間さん。あんただけには最後に礼を言わないとな。」
「礼?」
「ああ。人間苦境に立った時、結局は金なんだ。その金を融通してくれたのはどういう理由があれあんただ。」
「…。」
「友情とか、絆とか、連帯とか、繋がりとか人は口々にこう言う。その関係性は何者にも代えがたい尊いものだ、金に変えられるものじゃないとな。しかしどうだろう。人間は生まれながらにそんなに善良な生き物だろうか。」
「どうかな…。」
「いや違う。人間なんて生き物はそんな高尚なもんじゃない。当時俺はとにかく金が欲しかった。母親が故郷に帰ってからというもの、俺は爺さんと婆さんもろともここ日本に取り残された。爺さんも婆さんもカネがない。俺はまだ未成年のの坊やだ。そんな中で必要なのは一にも二にも金だ。何とかして食っていかないといけない。この状況下でで友情なんて何の役にも立たない。過去の絆なんてもんはこの日本において単なる障害でしか無い。連帯しようにももたざるもの同士が連帯して、生活が改善するはずもない。そこで生まれる繋がりなんてもんはクソだ。金が必要だったんだ。それが唯一の俺らに対する救済の方法だった。」
「…。」
「俺はとにかく金が欲しかった。それを用立ててくれたのは高校時代のあいつらじゃない。あんただ。」
「そうか…。」
「ああそうだ。金は世の中の大体の問題を解決してくれる。俺が北高で勉強をして剣道で高校総体で優勝出来たのも別にあいつらの存在があったからじゃない。あんたからの金の融通で、金に困ることが一応無くなったからそっちに力を向けることができた。」
「…今度はお前がいつになく雄弁だな。」
「生まれ育った環境が違えど自分らと同じ日本人。だからできるだけ支える。なんて甘美な言葉をあいつらは投げかけるが、それは俺には全く響かなかった。むしろそんな言葉を何の抵抗もなく言える人間の背景には、自分は金は出したくありませんというのが透けて見える。金は出さないが口は出す。まったく迷惑千万だったよ。俺はここにあいつらとの決定的な壁を感じた。」
「だが…一色はいじめに合うお前を身を挺してかばったと聞く。」
「ふっ…それも要はあいつが金を俺に払いたくなかっただけのこと。」
「…そんなもんだろうか。」
「そんなもんさ。口だけだよ。俺は別にいじめなんかなんとも思っていない。そんなもんだと思っていた。どこに行ってもそうだったからな。」
「そうか。」
「もしもあいつが本当に俺のことを思っているとしたら、金銭の提供という物理的救済の方法もとってしかるべきだと思わないか。」
「まあ…。」
「俺は一応あんたには世話になったと思ってる。だからあんたの指示は一通り聞いてきた。革命ってもんに疑問しか持っていないにも関わらず、あんたの言うとおり軍事関係の知識を習得し、然るべく時に少しでも力になろうとしてきた。」
「…そうだったな。」
「あのクソみたいな高校を卒業をして何年か経った時、どこでどう歯車が狂ったか村上が仁熊会と接点を持ち、俺に接してきた。俺は金こそが全て、残留孤児の経済的支援だけが問題の解決に繋がるとあいつに説いた。しかしあいつは、この期に及んで友情とか絆っていう俺が最も忌み嫌うもんを持って、経済的自立を支援する枠組みを作りたいとか馬鹿なことを言ってきやがった。あくまでも自分の力で立ち上がる。その手伝いをする枠組みを政治家になって作り上げたいとかな。」
「それは俺も人づてに聞いたことがある。」
「だからそうじゃねぇんだよ。現実を見てみろよ。スタートからハンデ背負ってる奴らになに期待してんだってんだ。マイナスをゼロするだけでも、とてつもないエネルギーが必要だってのに、それをさらにプラスにしろ?冗談じゃない。それに世の中不景気ときたもんだ。ハンデのないやつでさえ、サラリーマンやっていつ首が来られるか分からないってビクビクしている中で、経済的に底辺でもがき苦しんでいる人間がどうやって人生逆転できんだってんだ。」
今まで淡々としか話さなかった鍋島の言葉に感情がふんだんに盛り込まれていた。
「そりゃ失うものは何もないから何でもできるとかっていう考えはある。だがそこでしくじったらどうなるんだ?首つるしかねぇだろ。」
「確かにお前の言う通りだ。」
「現状を正しく認識することもできず、絆とか友情っていう無味乾燥な言葉を口にだす奴が俺は許せなかった。事実俺だってラッキーなだけだった。この妙な力のお陰で、あんたっていう人間から投資を引き出すことができたんだからな。これぐらいとんでもない能力でもない限りこの世界で普通に生きていくなんてありえない。だから俺は村上には現実を見て目を覚まして欲しかった。」
「投資か…。」
「村上はあまちゃんな事を言うが、一応俺にとっては残留孤児の待遇改善の一縷の望み。あいつには本当の救済を行ってくれる存在になってもらうように一応意図を汲んで行動した。本多の下でトントン拍子に出世して世の中を変える存在に一刻も早くなって欲しいという願いを込めてな。しかし赤松の親父の件があってあいつは変わった。」
「村上はお前に自首を促してきた。」
「ああ。だから俺はあいつを回収不能先と見て買収の方向で動いた。」
「それが特殊能力を使った、あいつの洗脳ってことか。」
内灘海岸に車を止めた鍋島はニット帽を脱ぎ、頭に浮かぶ汗を拭った。
「はぁ…つい感情的になってしまったな。」
「お前らしからぬ言葉だった。」
「あんたぐらいなんだよ。俺の本音をぶつけられたのは。」
「ぶつけられた…。か…。」
「まぁ代役を立てられるってことは、俺もそろそろ詰みってことか。」
下間は何も言わない。
「今までありがとよ下間さん。」
「鍋島…。」
「じゃあな。」
そう言って鍋島は電話を切った。
「さてと…。」
ニット帽をかぶり直した鍋島はタブレット端末を起動した。
ー佐竹と赤松は熨子山の墓地で警察と接触。警察は俺の動向を伺っている。
タブレットには店で勤務する久美子の姿が映しだされていた。
ーさて…あいつらはどう来るか…。こちらから動くのも良いが、できればあっちから動くほうが面白い。あいつらがどう考え、どういう手を打ってくるかを試すか。
彼は映しだされる久美子の姿を見ながら、自身の爪を噛み始めた。
ーここはひとつ久美子に慰めてもらって、あいつらの動きを見るか。
そう言うと鍋島はタブレットの電源を切り、車から降りた。そして彼は下間との連絡に使用していた携帯電話を眼前の日本海めがけて投げた。
「まぁ…俺は俺で楽しませてもらうさ。」
彼は辺りを見回した。一組の家族の姿が彼の目に映った。父親と思われる男が少年と一緒に海岸線をはしゃぎながら走る。それを浜にすわり微笑ましく眺める妻と思召しき女性。サングラスをかけているはずなのに、その姿は彼にとって眩く映った。
「あばよ。」
こう言って海を背にして車に乗り込んだ時である。声が聞こえた。
「ねえねえ!!」
「あ?」
窓の外を見ると先ほどの少年がこちらに向かって走って来ていた。
砂に足を取られながらも必死に走ってきた彼の手には投げ捨てたはずの携帯電話があった。
「これ、駄目やよ。」
「あ?」
「勝手に海に捨てたら駄目やよ。」
そう言って少年は塩水と砂でまみれた携帯電話を鍋島に差し出した。
「ほら見てま。」
少年は砂浜を指差した。そこには打ち上げられたゴミが散乱している光景があった。
「ゴミいっぱいになるの嫌やろ。ほやからちゃんと持って帰って。」
「あ…ああ…。」
「じゃあ、はい。」
少年は鍋島に携帯を受け取るよう催促した。
鍋島は止む無くそれを受け取った。
「ゴミ。無くそうね。」
「…そうだな…。」
「じゃあね。おじさん。」
「ああ…。」
少年は踵を返して遠くで心配そうな目で見つめる親の下へ走りだした。
「あ…おい!!」
「え?」
少年は振り返った。
「お前、これお父さんとお母さんに言われて来たのか?」
「ううん。違うよ。」
「じゃあなんで見ず知らずの俺にこんなこと注意したんだ。」
「だって嫌やもん。」
「嫌?」
「おじさんが悪い事するの見るの嫌やったもん。」
鍋島は呆然とした。
「ほんなら僕行ってもいいけ?」
「あ!!ちょっと待て!!」
車の後部座席を弄った鍋島は紙袋を取り出し、その場にかがみこんで少年と目線を合わせた。
「これお前にやるよ。」
「え?」
「いいか。中は開くなよ。黙ってそのままお父さんとお母さんに渡すんだ。」
「でも…知らん人からもの貰ったら駄目って言われとるげん。」
この少年の言葉に鍋島は口元を緩めた。
「これはものじゃない。投資っていうもんだ。だから大丈夫。」
「本当?」
「ああ。本当だ。それにあそこにお父さんもお母さんもいるだろ。俺は知らない人じゃない。」
「でも…。」
「いいから。」
少年は頷いた。
鍋島は少年の小さな頭を乱暴に撫でて車に乗り込んだ。
「どうやった惇。」
「ちゃんと携帯持って帰ったよ。」
「本当か…。お前、人に注意するのも良いんやけど、一応相手みてから行けよー。」
「だって駄目なもんは駄目ってちゃんと言わんといかんってお父さん言っとったがいね。」
「まぁ…。でも大丈夫やったか?サングラスして帽子被って何か怖い感じの人やったけど。」
「別になんともないよ。」
「あれ?惇。何もっとらん?」
「うん…。これ、あのおじさんがお父さんとお母さんに渡してくれって。」
「え…?」
紙袋を受け取った父親は不審そうにそれを眺めた。
「これ…何なん?」
「なんか、トウシとかって言っとったよ。」
「へ?トウシ?」
紙袋を開いた父親は思わずその場で尻餅をついた。
「どうしたん?」
母親が父の元に駆け寄った。
「こ…これ…。」
「え?」
袋の中を覗き込んだ母親もまた、その場に座り込んだ。
「ちょ…惇…これ何ねんて…。」
「え?知らんよ」
「これ…お金やがいや…。」
札束が5つ入った紙袋を抱え震えながら顔を上げた父親は、鍋島の姿を探した。しかし彼の車はこの場から既に消えていた。
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2016年03月07日

84 第八十一話



注意深くも俊敏に階段を昇りきった三好の目の前には倉庫があった。最近建設されたものらしくガルバリウム鋼板の外壁は真新しく、懐中電灯で照らすと銀色のそれは輝きを帯びていた。
ーこの中に予備電源がある。
彼は倉庫の入り口に手をかけた。鍵がかかっている。シャッターの方に周るもそれも施錠されている。
ー倉庫の裏はどうや。
三好は倉庫の外壁に背を合わせながら、その裏手に回ろうとした。その時である。マチ付きの封筒が倉庫に立てかけられるように放置されていることに気がついた。
ーえ?携帯?
懐中電灯が照らす先には、黒光りする折りたたみ型の携帯電話があった。その携帯は封筒にガムテープのようなもので巻きつけられている。瞬間、彼の背筋に冷たいものが流れた。
ーそう言えば…携帯電話を起爆装置にするマルバクがあるとか聞いたことがある…。
三好は唾を飲み込んだ。
ーまさか…C4か。
三好とその封筒の距離は5メートルも離れていない。仮にいまこの時点でそれが爆発すると彼は無傷ではいられないのは明らかだ。
ーコンドウどうのって次元の話じゃない。こいつをなんとかせんと…。
気が付くと彼は携帯電話を手にしていた。
ー辰巳さんに報告や。
彼は携帯の画面を見た。
ーいや待て。確か携帯の着信を起爆装置にしてマルバクを遠隔操作する方法があるとか聞いたことがある。となると俺のここで携帯で指示を仰ぐのははやめたほうが良い…。
三好は自分の携帯電話の電源を切り、それをしまった。
ーもし…あれが着信起爆を利用しているとしたら…。
三好の心臓は激しく脈打つ。
ーどうする…。
ー時間がない…。

鍋島から設置完了のメールを受け取った下間芳夫は時計を見た。時刻は19時11分である。雑踏の中にいる彼はおもむろに電話をかけた。
「Это установка завершена.(設置完了だ)」
「Это место, где пошел?奴はどこに)」
「Кажется, чтобы увидеть фейерверк на расстоянии.(遠くで花火を見るようだ)」
「Это довольно неторопливо(随分と悠長ですね)」
「Нет, я не очень.(いや、そうでもない。)」
「И сказать? (と言うと?)」
「Сатаке и Фурута говорят, что вы находитесь в контакте друг с другом.(佐竹と古田が接触している事を伝えた)」
「Как была реакция?(反応は?)」
「Введите держать спокойствие. Но реальное место, находится в уме не будет ли успокоить.(平静を保って入るが、実際のところ心中穏やかじゃないだろう)」
「Он будет работать, и если да.(ならば、奴は動くでしょうね)」
「Ну я.(ああ)」

「おーい。大丈夫かぁ。」
三好は振り向いた。先ほどやり取りをした警備員が階段を登ってきたようだ。
ーまずい…どうする…。
「何か気になってなぁ…ってお前…。」
額から滝のような汗を流し、身動きがとれない様子の三好が警備員の目に飛び込んだ。
「おい!!しっかりせいま!!」
警備員は三好に駆け寄った。
「なんや…凄い汗やがいや…。」
ーこの人を巻き込むわけにはいかん…。

「Ли видя фейерверк, доказательств того, что опасаются здесь.(花火を眺めるなんて嘘は、こちらの動きも警戒している証拠ですか。)」
「Bероятно(おそらく)」
「В, и в соответствии с графиком.(では予定通りに)」
「Это стало возможным устранить сожаления человек.(惜しい男を失くすことになるがな)」
下間は時計に目を落とした時刻は19時15分である。
「Тем не менее, Ли Что?(それにしても麗はどうした?)」
「Ах ... что-то, как это ни странно.(あぁ…なんか様子が変ですね。)」
「Но, конечно,(まさかだが)」
「Я также немного волновался.(僕もちょっと心配です)」
「Вот только парень ушел смущенно, план приходит с ума. Каким-то образом белый контроль. (ここであいつが浮足立ってしまったら、計画が狂ってくる。なんとか制御しろ)」
「Вероятно, не только занять еще устал. Не волнуйтесь.(おそらくまだ疲れがとれていないだけでしょう。心配はありませんよ)」
「Хотя я может, если …(それならば良いのだが…)」
「Dad'm порядке. Давай, пожалуйста.(大丈夫ですよお父さん。さあお願いします。)」

応援を要請すると言って無線機を手に取ろうとした警備員であったが、三好はそれを制止した。
「なんや。」
「大丈夫や。」
「何言っとるんや大丈夫なわけないやろう。」
「…大丈夫やって言っとるやろ。」
そう言って三好は息がかかるくらいの至近距離にある警備員の姿を改めて見た。全体的にダボッとしたシルエットの半袖制服姿であるが、警備員の肩から腕にかけての筋肉が異様に発達しているのが見て分かった。
「なんねん。何見とらんや。」
「お父さん。肩には自信ありますか…。」
「肩?」
「ええ。」
「お…おう…。こう見えても若いころはアメフトやっとったからな。」
「アメフト?」
「おいや。」
ーそうや。
三好は何かを閃いたようであった。彼は予備電源棟に立てかけられていたC4が入っていると思われる封筒を手にとって警備員に背を向けた。封筒を軽く押さえつけると中に粘土質のものが入っているのか、その形状が変わった。彼はそれを大胆に何度も押さえつけ、その形を楕円球状に変えた。
「おい…あんたどうしたんや。」
無言のまま背を向ける三好の様子に警備員は声をかけた。
「…お父さん。こいつ思いっきり遠くに投げれますか。」
「あ?」
「投げろ。」
「何やお前。」
突然の命令口調に気分を害したのか、警備員は彼に突っかかろうとした。しかし三好はそれを無視し、腰をかがめて封筒を自分の股の間から彼にスナップした。
それをキャッチした警備員は一瞬たじろいだ。
「いいから投げれま!!」
三好の気迫が彼を動かした。
警備員はすうっと息を吸い込んだ。
楕円球型になった封筒をパンっと軽く叩き、数歩後退しそれを右肩に担ぐように彼は振りかぶった。助走をつけた彼はあらんばかりの力を振り絞って手を振りぬき、それを己が手から解き放った。

時計の時刻が19時20分を示すと、下間は悠里との電話を切り呟いた。
「Есть начать вы.(はじめようか)」
こう言って彼はある電話番号に電話をかけた。

放物線を描いて敷地外の暗闇に吸い込まれたのと同時に爆発が起こった。
「え…。」
あっけにとられた警備員はその場に立ち尽くした。
「セーフ…。」
「は…?」
「うまいこと行った…。」
何が起こったのか未だ飲み込めていない警備員は、そのまま力なくそこに座り込んだ。
三好の無線機に辰巳から連絡が入った。
「大友さん!!大丈夫か!!」
「こちら大友。ブツの処理成功しました。」
「何の音や!?」
「起爆解除不可とみなし、物理的に破壊処理しました。」
「破壊処理…けが人は?」
「ありません。」
「施設への損傷は?」
「ありません。」
「よくやった。」
無線を切った三好は座り込んだ警備員に手を差し出した。
「なにが起こったんや…。」
「ご覧のとおり。」
「あ…あんた…こうなるの分かっとったんか…。」
警備員の身を起こして三好は笑みを浮かべた。
「ここで食い止めたのは、あなたのおかげですよ。」
「は?」
「ナイスプレーでした。」
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2016年02月29日

83 第八十話



「Dos攻撃?」
「はい。」
松永は即座にパソコンを開いてその用語の意味を調べた。
「DoS攻撃は、コンピューティングにおいてサーバなどのコンピュータやネットワークリソースがサービスを提供できない状態にする意図的な行為をいう。サービス妨害攻撃と訳される。サーバなどのコンピュータ機器にある脆弱性を攻略するものと、サーバの処理能力やネットワーク帯域に対して過剰な負荷をかけるものがある。 複数のコンピュータを攻撃側に巻き込む類型としてDDoS攻撃がある。」※出典:ウィキペディア「Dos攻撃」https://ja.wikipedia.org/wiki/DoS攻撃
「その可能性があると冨樫は言っとります。」
「片倉。悪いが俺はその手のIT関係の話は得手じゃない。」
「理事官。俺もです。」
「その俺が素人なりに思うんだが、いま攻撃を受けているのは一般ユーザーが石電の情報を見るための公式サイトだろう。」
「ええ。」
「つまり原発の運用などの根幹的な部分には影響はない。」
「確かにそうです。しかし折しも、先日のノトイチ運転差し止め運動の署名を受けて、石電はそれはそれとして原発の運転を止めるようなことは微塵にも思ってないと言ったばっかりです。会見での社長の言い方が気に食わないとか、目先の利益を追い求める連中だと、面白く思っていない連中は沢山居ます。そこでこの攻撃です。自社のウェブサイトのセキュリティ管理もままならん会社が、原発なんて代物をちゃんと管理できるのかっちゅう声が必ず上がります。」
松永は目をこすった。
「マサさんが言うには、この手の攻撃はおそらく数時間で止むやろうっちゅうことでしたが、復旧には時間がかかります。つまりその間、攻撃側は石電のIT担当とかセキュリティ担当の注意をそらすことができるちゅうことです。」
「デコイか。」
「はい。」
松永は腕を組んだ。
ここで彼の携帯に連絡が入った。
「まて片倉、エスからだ。」
「理事官。私はあと数分でマサさんと合流します。合流後、またかけ直します。」
「あぁ頼む。」
彼は一旦片倉との通話を切った。彼の携帯を呼び出すのは石電に入り込んでいる潜入捜査官の辰巳であった。
「どうした。」
「非常事態が起こりました。」
「非常事態?」
「コンドウサトミに施設に入り込まれました。」
「なに…。」
松永は思わず絶句した。
「守衛交代時に入場許可申請書を精査した段階で判明。用件は納品。行き先は保修計画課、菅由人。ブツは書類。」
「菅…?書類…だと…?」
「現在、この書類の行方を追っています。」
「何かの動きがあるとは思っていたが、まさかコンドウ自らが入り込むとはな…。」
「はい。予想を飛び越えてきました。」
「原発の厳重な警備の目をこうもあっさりと掻い潜るとは…。」
「おそらく先日報告があった、所謂特殊能力によるものとしか現状は説明がつきません。」
「奴の目の件か。」
「はい。」
松永は立ち上がった。
「監視カメラは。」
「それが…。」
「なんだ。」
「破壊されています。」
「なん…だと…。」
携帯を持つ松永の手は震えた。
「施設各所のカメラは所々で物理的に破壊されています。因みに守衛室のものは守衛自らが線を抜き取ったようです。」
「守衛自ら…。」
「よってコンドウサトミの姿も、あいつがどこで何をどうしたか詳細不明。」
「なんてことだ…。」
「現在施設内では厳戒態勢を敷き、防護課は総出で警備している状態。」
松永は膝から崩れ落ちるように椅子に座った。
「渦中のコンドウは。」
「入場許可申請の動きを見る限り、すでに敷地には居ないものと思われますが、まだここにいる可能性は捨て切れません。そのための厳戒警備体勢です。」
松永は深い溜息をついた。
「菅はどうなんだ。」
「守衛からコンドウサトミの照会の電話があったそうですが、彼自身見に覚えのない納品物だと言って、受取拒否をしています。」
「それは確実なのか。」
「はい。実際、菅はコンドウが入場した時刻から一度も持ち場を離れていませんので、おそらく確かでしょう。」
松永は頭を抱えた。
「従前よりマークしている総務部の尾崎の動きは。」
「エージェントには何も変わったところはありません。現在、当社ウェブサイトのダウンを受けて本社とテレビ会議中です。」
「コンドウ入場後の尾崎の動きは。」
「尾崎に関しては私がぴったりマークしています。何ら不審な点は今のところありません。」
「どういうことだ…。」
「とにかく、コンドウが持ち込んだ書類と言われるものが気になります。」
「マルバク…。」
「えぇ…その可能性も捨て切れません。三好がその探索を行っています。」
「マルバク処理班は。」
「事が明るみになればホンボシらに付け入る隙を与えるだけ。」
「不要か。」
「われわれでなんとかします。」
こう言って辰巳は一方的に電話を切った。松永は頬に手を当てて考えた。
「工作エージェントの尾崎が何らかの形でオンサイトシステムに侵入し、マルウェアを感染させるようなことをしないよう、こちらは三好を通じてワクチンを予め投与。尾崎自身の動きは辰巳によってマークさせる中、鍋島が原発サイトに侵入…。尾崎と鍋島が接触した形跡はない…。菅とか言う人物も…。」
自室をウロウロとする松永の足が止まった。
「コミュは岩崎の登場でSNSで祭りの状態。一方で公式サイトがDos攻撃…。デコイの可能性…。となると…まさか…尾崎の存在自体がデコイ…。」
部屋の隅にあるロッカーを彼は思いっきり殴った。
「くそっ!!」
再び、松永の携帯が震えた。彼は即座にそれに出た。
「合流完了。理事官。どうでしたか。」
「鍋島が原発サイトに侵入。」
「え?」
「詳しい説明は後だ。奴は何かを敷地内に持ち込んだようだ。」
「理事官…それ…マルバクの可能性は…。」
「捨てきれない…。」
「マルバク処理班を出します。」
「待て。やめろ。」
「なんで。」
「露見する。」
「何言っとるんですか!?」
「エスが自分らで何とかすると言ってるんだ。」
「はぁ?そんなこと言って当のエスに何かがあったらどうするんですか!」
「落ち着け!片倉!」
片倉は松永の一喝に黙った。
「いいか、三好の存在も、あいつの水先案内人の存在も石電には伏せてあるんだ。石電からの正式な要請がされてもいないのに警察が物々しい装備で原発に乗り込んでみろ。それこそ原発反対派はおろか石電にも、世間一般にも不信感を持たれる。それはいままでのエスの苦労を水の泡にする愚行だ。」
「しかし…んなこと言ってもですよ。現に危険がすぐそこにある。」
「だから落ち着け。いいか、俺はこう思うんだ。このタイミングであいつらはド派手なことはしない。」
「どういうことですか。」
「仮にマルバクが設置されたとしても、おそらく原子炉建屋内やそれに準ずる重要施設を爆破するようなことはしないはずだ。」
「なぜそんなことが言えるんですか。」
「いまそれをやってみろ。それこそ奴らと俺らの戦争になる。一般の人間と公権力の戦争だ。戦争になればどうだ。あいつらは即座に鎮圧され全てが終わる。」
「当たり前です。」
「そうだろう。そんな無謀なことをあいつらがすると思うか。」
片倉は黙った。
「それに考えてみろ。いまコミュには世間の耳目が集まっている。なぜ奴らはこのタイミングでそんな宣伝を仕掛けた。」
「それは…。」
「そう、一気にコミュの勢力拡大を図るためだよ。それなのにここで原発の重要施設を爆破し、報道され、即座に警察にガサ入れられて、自滅するようなことをするか?」
「…いえ。」
「だろう。だから俺はそこまで最悪な状況にはならないと判断している。むしろ…」
「むしろ?」
「これすらもデコイとして、何か別のことを仕掛けてくるような気がする。」

能登第一原子力発電所内は厳戒警備体制だった。ノトイチの警備員は増員され、隈なく敷地内に目を光らせている。何者かが敷地内に侵入した。その侵入者は敷地内の監視カメラを破壊し何かを持ち込んだのだ。侵入者は記録上は原発から出たとこになっている。しかし、その記録自体に信憑性が無いため、警備員達は侵入者が持ち込んだものと、侵入者自身がまだ何処かに潜伏していないかを探している。
「おいおいややっこしいことは勘弁や。」
「何でこんなことになるんや。」
警備員達は口々に煩わしさと不安を言った。
一般の警備員や施設防護課の中には、持ち込まれたものが爆発物の可能性があるとか、侵入者が殺人犯であることは伏せてある。このような情報を表に出してしまえば、警備の士気は浮足立つ。よってこれを知る人間は三好と辰巳だけに留めた。
もしものことがあると警備員にも原発自体にも重大な危険が振りかかる。ここの警備員の殆どが高齢者。その年令を鑑みればいざというときの対応力に不安がある。よって辰巳は警備のプロである三好だけを単騎施設内の巡回に回し、他の警備員達は要所要所で待機、周辺に目を光らせるという作戦を採った。
「何か変わった様子はないですか?」
巡回する三好は敷地に立つ警備員に問いかけた。
「いや…何も。」
「そうですか。」
「しっかし昨日配属になったばっかりなんに、あんたも早々にこき使われて大変やね。」
「まぁ…でも、仕事ですから。」
「まぁあんたみたいに若い人間もおらんと、警備の仕事もハリボテになってしまうさかいな。」
「え?どういうことですか。お父さん。」
「お父さん?ははは嬉しい呼び方してくれるねぇ。」
警備員はごきげんな様子で三好に力こぶを作ってみせた。
「おお。すごい。」
「ワシとかここの他の連中も昔は漁にも出とって力には自身はある。いまでもそこいらの若い連中とかよりもえらいもんや。けどほら、瞬発力っちゅうんかな。とっさの動きがやっぱり鈍うなっとるんや。頭の回転も遅うなっとる。ほやさかい、あんたみたいな若い人がおってくれると、こっちは心強いんやわ。」
三好は苦笑いを浮かべた。
「体力仕事はわしら。頭を使う仕事はあんたら若い連中ってことやな。」
「何言っとるんですか。年をとれば俺らみたいな世代よりも、お父さん世代には知恵っちゅうもんが備わっとるでしょう。」
「まぁ…知恵って言えるか分からんぞ。ただの経験則とか勘かもしれん。」
「そういうのも大事やと思いますけどね。」
ふと彼の前にフェンスが立ちはだかった。鍵がかけられている。フェンスの先には雑草が生い茂っていた。
「あの、此処から先って確認しましたか?」
「いや、鍵かかっとったし、そっから先には誰も行っとらんと思って見てないわ。」
「そうですか。」
そう言うことならばその対応で良いだろう。警備員の判断を尊重して踵を返した三好は次の瞬間足を止めた。
「何…?」
何かに気がついたのか彼は再び振り向いた。
ー雑草が何本か折れとる…。
薄暗くなってきていた辺りを三好は懐中電灯をつけて再度確認した。そして彼はフェンスの金網の所々を指でなぞった。
ー土…。
彼はフェンスを見上げた。正味3メートル程度の高さである。
ー乗り越えられん高さでもない…。
「ちょっと俺、この先確認してきます。」
「え?鍵かかっとるから邪魔ないんじゃないけ?」
「念のためですよ。」
そういうと彼はマスターキーを取り出して鍵を開け、屈みこんでそこに生えている雑草を手にとった。
ーやっぱりや。根本から折れとるやつが何本かある。しかもこいつはそんなに時間は経っとらん。
見上げると高台の天辺に向かう一本のコンクリート階段があった。
ーこの先は予備電源か。
三好は帽子をかぶり直し、警棒を握りしめて慎重に階段を登り始めた。
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2016年02月22日

82 第七十九話



中継が終わり撤収の作業を手伝っている相馬は背後に人の気配を感じた。
「岩崎さん…。」
「…相馬くん。ちょっと話があるの。」
「え?でも俺バイト中やし…。」
2人のやり取りに気がついた安井は「いいよ10分だけなら」と言って気を利かせた。
2人は会館の外に出た。
「そう言えば相馬くん、テレビの報道カメラマンのアシスタントしてるんだったね。」
「あぁ。」
「まさかこんなところでばったり会うなんて思ってなかった。」
「あ…そう?」
「…今日はありがとう。」
「え?」
「何か…私、途中で頭が真っ白になってしまって…。」
「あぁよくある話やわ。テレビの生中継のインタビューなんか普通の人経験せんもん。そこで話すことがそのまま電波に乗って不特定多数の視聴者に伝わるんやから、緊張せんほうがおかしいわいね。岩崎さん、無難にこなした方やと思うよ。」
「そうかな…。」
「そうやって気にせんで。」
「相馬くん…私に助け舟出してくれたでしょ。」
「え?何のこと?」
「ほら、真っ白になってた時、相馬くん私の方見て頷いてくれた。」
「あ…そんなこと俺したっけかな…。」
「あの時、周りの空気がすごく重たく感じた。何、ここで詰まってんだ。さっさと求める言葉をよこせって。記者の人は笑顔だけど目は笑ってないし、急に押しつぶされそうになった。」
「言ったがいね。結果的に岩崎さんはそれを無難にこなした。結果オーライや。」
「あの時、私、瞬間的に思ったの。」
「何を?」
「この人達は私じゃない方を見てる。」
「え?どういうこと?」
「岩崎香織っていう人間の言葉がほしいんじゃなくって、発言の中身だけが目当てだって。」
相馬はこれに答えなかった。
「そうよ。マスコミの人たちは自分たちが求める言葉だけがほしい。シナリオに沿ったものしかいらない。だから発言者が誰であるかなんてどうでもいい。最終的に形にさえなってればそれでいいのよ。」
「…そんなもんやって、テレビって。放送時間も制限されとるし、今日のこれだって生やろ。ぶっつけ本番やからヘマしたくないんやって。ほやからほら、岩崎さん三波さんとがっつり打ち合わせしとったいね。」
「打ち合わせしてて、あそこであの対応?緊張するかもしれないってことが分かってるんなら、もうちょっと何かしようがあるんじゃない?」
相馬は答えに窮した。
「相馬くんだけだった。私の目をちゃんと見ててくれたの。」
「…んなこと無いと思うけど…。」
岩崎は会館外に設置されていたベンチに腰を掛けた。そしてため息をついた。
「大丈夫なん?参加者の人ら。」
「うん。今日は事前の打ち合わせ通り、宣伝のためだけに来てもらったの。だから大丈夫。」
相馬はこの岩崎の発言に疑問を抱いた。彼女の言うとおり、あの場の参加者全員が仕込みによるものだったとしたら、なぜその中のひとりである老婆が、岩崎を動揺させるような発言をしたのか。
「え?あれ全員仕込み?」
「うん、そうよ。…あ、ごめん。ひとりを除いてね。」
「あ…そう。」
相馬は岩崎の横には座らず、ポケットに手を突っ込んで地面に転がる石ころを蹴飛ばした。
「今日も岩崎さん、いい感じやね。」
「え?」
「昨日に引き続いて、垢ぬけて洗練された感じや。」
岩崎は自分の服装を確認した。
「…ありがとう。」
「三波さんも何かでれでれしとったよ。」
「やめてほしいな…。目が笑わない笑顔を見せる人って私嫌い。」
相馬は失笑した。
「ところであれから長谷部の方はどうなん?」
「え?」
「昨日の今日で何なんやけど、あれから長谷部とコンタクトとったん?」
軽く頷く岩崎を見て相馬は口元を緩めた。
「さっきまで会ってた...。」
「おー。何か新しい発見あったけ?」
「…ううん…別に…。」
岩崎の頬に赤みがさしたのを相馬は見逃さなかった。
「あれ?それ何かかっこいいじ。」
相馬は岩崎の華奢な腕に巻かれたものを指差した。
「あ…これ…?」
「うん。なんか今日の岩崎さんは全体的にさっぱりした感じねんけど、破れたそのジーパンとかそのブレスレットとかが、引き立っとる。」
「あ、ありがとう。」
「まぁ…うまいこと行くといいね。」
岩崎は照れくさそうに目を伏せた。
「あぁ、そうそう。話しもとに戻すけど、さっきマスコミは岩崎香織個人の言葉を期待してないっていったがいね。」
「うん。」
「正直、マスコミなんかそんなもんやからほっとけばいいよ。それに視聴者の人らも岩崎香織って個人の言葉を期待しとるか分からんし。」
「…うん。」
「顔が見えん多数のことを気にするよりも、岩崎香織っていう一個人の言葉がほしい人間だけに、その言葉を伝えてあげればいいと思う。」
「え?」
携帯電を見た相馬は安井が気を利かせた時刻が迫っていることを確認した。
「あの、これ俺の勘ねんけど。」
「え?」
「あの…一応、鮮度が良い経験者としてねんけど…あくまでも憶測ねんけど…。」
「何?そのはっきりしない感じ。」
「その…もっともっと長谷部とコンタクトとったほうが良いと思う。」
「え?」
「なんか…そんな気がする…。あ、あぁ…じゃあバイトに戻るわ。」
そう言い残して相馬は安井達が待つ方へ戻って行った。
岩崎は遠くに消えゆく相馬の背中を見つめた。
「あれ…。」
一筋の涙が頬をついたい、風がそこに清涼をもたらしたかと思えば、次の瞬間、溢れだしたそれによって彼女の瞳は熱を帯びていた。こらえようと歯を食いしばるもそれは止めどなく流れ出てくる。
「…そうしたいよ…私も…。」
彼女はブレスレットにそっと手を当てて肩を震わせた。

「インチョウ。すごいですよ。アクセス数半端ないです。コミュのアカウント数もリアルに伸びています。それに伴ってコメントも半端ないです。このままじゃパンクしますよ。」
「それは良かった。君もテレビに出てよかったじゃないか。これで君も一躍有名人だ。」
「いえ、俺なんか影に隠れていますよ。岩崎が画面に映し出されてからのアクセスが凄いんです。」
「何言ってんだ。君の発言が呼び水になっての岩崎だろ。あの中継は君と彼女の連携で功を奏しているんだ。素直に自分の卒のないインタビューを誉めたまえ。」
「光栄です。」
「君はそのまま共同代表として事務局メンバーを統率して、ご新規さんの囲い込みをしておいて。」
「はい、わかりました。」
「僕はちょっと別件があるから、これで。」
そう言って仁川は電話を切った。
「バギーニャの効果は予想以上らしいよ。」
振り向いた彼の目の前にある長机にはノートパソコンが並べられ、その1台1台に男が張り付いていた。この部屋には仁川を含めて6名の人間がいる。
「じゃあ僕らも始めようか。」
その場にいる皆が一斉にパソコンを操作し始めた。静寂の部屋にキーボードを打つ音だけがこだました。

「このタイミングでコミュの大々的な宣伝。SNSで岩崎の画像がばんばん拡散。」
「ローカルネタにもかかわらず、一躍全国区ですね。トップヒットキーワードに岩崎とかコミュってのが上がってきています。コミュのサイトも繋がりにくい状態です。」
「SNSってのがまさかこんなに強力なツールとはね。」
「拡散が拡散を呼んで、さっそく掲示板にも岩崎スレみたいなもんが立っとります。」
「マジかいや…。」
SNSの発言を追いながら、彼は器用にハンドルを操り車を運転する。
「しっかしあの婆さん。鋭いコメントやったな。」
「あれですか。麗の出自を匂わすやつですね。」
「あぁあの時、明らかに麗は動揺しとった。」
「...あの婆さんも課長のエスですか。」
片倉は返事をしなかった。
「マサさん。表で大きなことが起こっとる時は、その裏で別の事が起こっとるとかって言うがいや。」
「そうですね。気味が悪いです。」
こう言って冨樫はマウスの手を止めた。
「え?」
冨樫はSNS上のある人物の発言に息を呑んだ。
「どうした。」
「ちょっと待ってください。」
彼はあるサイトにアクセスした。
「あ…。」
「何ねんマサさん。どうした。」
「503 Service Unavailable…。」
「あ?」
「アクセスが集中してサーバーが落ちてます…。」
「何?どこの?」
「まさか…。」
「おいマサさん。どういうことや。」
「石電のウェブサーバーが落ちとるんです。」
「なに?」
「コミュじゃなくて石電のが…。」
「石電やと…。」
「課長。不味い感じがします。すぐチヨダと連絡とって下さい。」
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2016年02月15日

81 第七十八話



黒田は他の記者とは一線を画するように、ひとりカメラマン控室で夕方のニュースを見ていた。
トップニュースは芥川賞の話題。それに政治・経済のトピックが続いた。20分ほどキー局による全国ニュースが放送され、地方ニュースの枠に入った。目立った話題はない。どこそこでこんな取り組みがありましたとか、誰々が県庁を表敬訪問しましたといったことぐらいだ。
CMが入り、先程まで糞真面目な顔をしてニュース原稿を読んでいたアナウンサーが、急に不自然なぐらいに作り笑顔となって口を開いた。
「さて、続いては今注目を集める新しいコミュニケーションのかたちと題して特集をお届けします。荒木さんはSNSって利用していますか?」
「はい。友達と連絡をとりあうために使っています。」
「えーSNSはソーシャル・ネットワーキング・サービスと言って、インターネット上の交流を通じて社会的ネットワークを構築するというものです。いま、このSNSがネットの枠から飛び出して、リアル則ち現実の世界でも人々の交流を促進する取り組みがここ石川県から起こっています。」
男のアナウンサーがそう言うと動画が流れた。
街角でスマートフォンを触る様子を何カットか入れ、今や携帯電話市場におけるスマートフォンが占める割合は飛び抜けてきている。そこで街角インタビューが入る。どういったことにスマートフォンを利用していますかと。老いも若きも男も女も皆、口々に具体的有名どころのSNSサービスを挙げる。ここでSNSの仕組みを図を示して再度説明。
「まるでスマホ持つのはSNSをやるためだって煽ってるみたいな触れ込みだよ。」
黒田は呆れた顔をした。
ここで再度街頭インタビュー。何名かの人物が「コミュ」と口ずさむ。その中のひとりに「コミュ」について更に聞くとその人物がざっくりとした説明をする。気になった取材班はコミュを運営している人物に取材を行ったということでインタビュー映像となる。画面に映し出されたのは小洒落た青年だった。
ー仁川じゃない…。
彼の横に表示されるテロップは「コミュ」 運営共同代表者村井 司とあった。
「名刺にソーシャル・ネットワーキング・サークルとありましたけど、SNSってソーシャル・ネットワーキング・サービスの略称ですよね。」
「はい。そうです。」
「サービスじゃなくてサークルって言うには何か理由があるんですか?」
「はい。僕らがやっているのはSNSというツールを利用して繋がりを持った人たちを、リアル世界で再度結びつけるお手伝いです。」
「再度結びつける?」
「ええ。実際に会って繋がりをリアルに感じてもらうんです。」
映像が切り替わって、コミュという団体がどういったことを具体的に行っているかの説明映像となる。
SNSは主義主張が似通ったいわば友達が集うネット上の空間。そこではお互いがどんな人間かという妙な探りあいはない。各々が自分の好きなように意見を発表し、それを友達が共有し認め合う。しかしそれはあくまでもネット上での文章のやり取りであるため、あまり深い意見の交換にはならない。深い共有を得るにはやはり実際の人間同士が会って、直接話しをするのが一番だ。そこでコミュはその斡旋を週一のミーティングの場を設けることで行っている。
「既にオフ会というものがこの世にはありますが、それとは何が違うんですか?」
「われわれのコミュは基本的にオフ会と変わりません。参加者の目的も様々です。リアル世界で親睦を深めたいって人もいれば、ハンドルネーム某さんって本当はどんな人かって確認するためだけに来る人もいます。ひょっとするとここで良い出会いがあるかもしれないと何かの期待を抱いてくる人もいるでしょう。僕たちはコミュ参加の動機は全く問いません。」
今までのオフ会と何ら変わりがないコミュという団体が最近注目を集めている一番の要因は何なのか。取材班はそれを調べるべく本日コミュに立ち会うとして映像はここで終わり、再び二人のアナウンサーが画面に映る。
「えーそれではコミュが開催される現場と中継がつながっていますので呼んでみたいと思います。現地には今回の取材を担当した三波記者がいます。三波さーん。」
「はい。」
「三波さん。先ほどの映像でコミュは今までのオフ会と変わりがないとのことでしたが、どうして最近注目されるようになったんでしょうか。」
黒田が嫌うコネ社員の三波は若干緊張した様子で、事前の打ち合わせ通りに中継先で原稿を読み上げる。」
「はい。コミュはSNS派生のオフ会です。それが何故最近注目されるようになったのか。」
ーおいおい。映像もアナウンサーもお前も同じフレーズ繰り返し言うんじゃねぇよ。
黒田はうなだれた。
「そのヒントはこの方に聞いてみましょう。岩崎さんよろしくお願いします。」
岩崎がフレームインすると、黒田は彼女の美貌と小洒落た装いに一瞬見とれてしまった。画面の彼女の胸元あたりに「コミュ広報担当 岩崎香織」とある。
「ネット上のコミュをネットコミュとすると、オフ会のようなコミュはリアルコミュと言えます。このリアルコミュでの発言にはルールが有るんです。」
「それは何ですか?」
「じゃあそれを知ってもらうためにこちらへどうぞ。」
記者の三波は岩崎に連れられて、会議室のような部屋に通された。そこには今回のリアルコミュに参加する面々が5名ほど居た。そこに岩崎は座り語りだした。自分は学食の蕎麦が美味いと思っていた。しかし、この間初めてその味が世間一般では不味いと言われるものであることを知った。自分の味覚がおかしいのか、それとも多数派の意見がおかしいのかを聞きたいというものだった。
それに対してある人物が発言した。岩崎の味覚がおかしいのではない。かと言って多数派の味覚がおかしいわけでもない。味覚には個人差がある。自分が美味いと思えただけで、その蕎麦には価値があったことになる。またひとつの食事を素直に美味いと思える岩崎の感覚は尊重されてしかるべきだと。
それに続いて3名の人物も同様なことを言う。そして最後にその中の老婆が発言した。
「味覚は地域とかに左右されると思います。うどんダシにも関東風とか関西風ってもんもあるぐらいですさかい。学食の味を美味いって言うあんたみたいな人も居れば、そうじゃないっていう人間もおるちゅうことは、あんたが育った地域と、その他大勢の育った地域が離れたところやったってこともあるんかもしれませんよ。。」
その場の人間は皆一様に老婆の意見に頷いた。
銘々が順番に自分の身の回りのことを皆に話す。それに対して参加者たちは反応した。
ーあれ?
カメラを回す安井の側に立って、取材の様子を見ていた相馬は岩崎の異変に気がついた。コミュではハキハキと仕切るはずの彼女が、先ほどの老婆の意見を受けて僅かながら複雑な面持ちを見せていた。
「スタジオの荒木さん。何がルールかわかりましたか。」
三波がスタジオに問いかける。スタジオはピンと来ない様子で現場に返す。
「そうですか。分かりませんか。それでは聞いてみましょう。」
三波は岩崎の横にしゃがんでマイクを向けた。
「岩崎さん。正解は?」
「は、はい。えっと…。」
動揺する岩崎を三波はすかさずフォローする。
「はい。緊張されなくていいですよー。正解は?」
「あ…。」
2秒ほど沈黙が流れた。その2秒の間に岩崎はあたりを見回す。テレビ局の人間ははやくしろといった感じで岩崎を見る。目の前にある三波の顔は笑顔であるが目が笑っていない。カメラを抱える安井の顔はライトによって逆光である。
ふとその時安井の側にたつ相馬と目があった。相馬は彼女にただ頷いてみせた。
「参加者全員に気持よく発言してもらうということです。」
「と言うと?」
「参加者全員の意見を肯定的に聞くことで、発言者が自分の主張を思う存分にできるわけです。」
この言葉を受けて三波は大げさに反応した。
「なるほどー。今、岩崎さんは学食のお蕎麦の話をしましたね。で、それに対して皆さんが肯定的な意見を言いました。」
「はい。一般のオフ会は親睦を深めるということが主な目的です。もちろんコミュでもそれは大事な目的ですが、それよりも実際の人と面と向かって自分の主張を憚ること無く言って、リアル世界での発言力を養うとことが一番の目的だと言えます。」
「発言力を養うですか。」
「はい。コミュでは発言者の意見は絶対に否定してはいけない決まりがあります。そのルールが参加者の積極的な発言を担保しているんです。」
「えー私達日本人はどうしても引っ込み思案なところがあります。そのため欧米諸国の人間と比べて議論が下手くそだと言われます。ここコミュでは、発言は全て肯定されるというルールのため、参加者が忌憚のない意見を出すことができるというのです。」
スタジオのアナウンサーがここで現場に質問する。
「三波さん。実際参加された方はどういった反応でしょうか。」
三波は参加者のひとりにマイクを向けて質問する。
「はい。日頃、なかなか自分の主張を大ぴらにできませんので大変すっきりします。」
「正直、他人の意見を全て肯定するのは結構エネルギーが必要ですけど、自分の意見も全部受けいられるんで結果的にはすっきりしますね。」
「えーこのように、参加者の皆さんは一様にすっきりするという反応です。」
「あ、三波さん。そこのおばあさんにもお願いできますか。」
三波は老婆にマイクを向けた。
「ほうやねぇいい気分転換になります。こうやって若い人らと話すのはボケ防止にも良いんじゃないですかね。」
「えーネットから形を変えてリアル世界に飛び出したコミュ。SNS疲れという言葉もありますが、ここではむしろ精神的負担を和らげるコミュニティが形成されています。これからの成長に注目です。」
こう言って中継は終わった。
ー結局、仁川は出てこなかったか。
黒田はテレビを切った。
ーやっぱり仁川征爾の名前を公に出すってのは憚られるってわけか。
ソファに転がった黒田は天井を見つめた。
「で、結局何言いたかったんだよ。三波のやつ。中身すっからかんじゃん。あれじゃ単なる自己啓発セミナーの宣伝だよ。」

「本当にテレビの通りなら、何の害もない連中なんやけどね。」
シャワー上がりの片倉は自宅ソファに身を委ねてスポーツ飲料を飲んだ。
「ふーっ…肝心要の仁川はなし。コミュには岩崎香織っていうたいそう可愛い女の子がおりますよって…。」
彼はスマートフォンのSNSアプリを立ち上げた。
「コミュに参加したらこの可愛い子が自分の話を全て肯定してくれる。」
そう言いながら彼はSNSの検索窓に岩崎とテキストを入力した。
「そんな奴らが一気に押し寄せるか…。」
検索の実行ボタンを押下したその画面には無数のコメントが表示された。
携帯が震える音。
「おう。」
「すごい勢いです。」
「そうやな。」
「トラフィックが多すぎて処理できません。」
「ああ…。」
「嫌な予感しかしません。」
「マサさん俺もや。」
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2016年02月08日

80 第七十七話



金沢駅近くの会館前に相馬と安井が乗る報道車が到着した。安井は中継の連中と軽く打ち合わせすると言って相馬と若手の記者を置いて、一足先に到着していた中継車の方へ向かった。
「じゃあバイト君行こうか。」
「はい。」
報道車を降りた2人は会館のロビーにあるソファに座り、コミュの関係者の登場を待った。
「バイト君はSNSとかやってないの?」
「え?」
「その反応、まさかやってないとか言うんじゃないだろうね。」
「え…やってません。」
「駄目だよそんなんじゃ。アンテナ低いなぁ。」
「駄目…ですか。」
「そうだよ。いくらバイトって言ってもさぁ曲がりなりにも君、この業界で仕事してんだからさ、世の中の流行りってもんを抑えておかないと。」
「あぁすいません。」
「ったく、こんなんじゃ会話が続かないよ。」
「え?どういうことですか。」
「いい?SNSってのは日ごろ知っている人とか、昔の友人とか、はたまた雲の上の人みたいな有名人と時空を超えて繋がれる凄いツールなの。」
「はぁ。」
「つまり人同士の繋がりを電子化するってわけ。電子化することで何が起きる?」
「え…わかりません。」
「ほらぁこれだから流行に疎い人は、頭の回転も悪いんだよ。」
マスコミという業界の人間は個性的なため、この若手記者のような人の気持ちを考えない発言をする人間は結構いる。これをいちいち目くじらを立てているとこの手の業界で仕事は勤まらない。相馬はこの記者の言い草にむっとしたが、自分のスルー能力を試されているものとして、適当に合わせることにした。
「あのさぁ電子化するってことは、その交流にかかるコストが限りなくゼロになるってことなの。」
「へぇコストがゼロですか。つまりタダですね。」
「そう。」
「でもそれってメールとか掲示板とかでも同じ話じゃないんですか?」
「あーこれだから未経験の人は困るんだ。」
「え?」
「ほら、例えば俺がいまここにいますとかSNSを使ってその情報を上げたとするだろ。」
「はい。」
「そうしたらSNSでつながっている人間は瞬時に俺の様子を把握することができる。」
「はい。」
「で、そのことに対するコメントをそのスレッドみたいなもんに書き込んで情報を共有する事ができるってわけ。」
「はい。」
「つまり、友達がいつどこで何をしたのかをリアルタイムに共有できるんだ。しかもタダで。」
「はい。」
「はいじゃないが。」
「え?で?」
「え?」
「すいません。それから先が今ひとつ俺には見えんがです。」
「だからぁバイト君さ。友達ってもん考えてみなよ。」
「友達ですか?」
「そうだよ。友達ってどんな属性の人間?」
「属性?考えたこともありません。」
「まぁその大体が自分と主義主張が似通った人間ってこと。」
「あぁなるほど。言われてみれば。」
「主義主張が似通った人間が繋がるってことは、自分の発言などが掲示板みたいに炎上しにくいでしょ。」
「確かに。」
「ということは掲示板とかなんかよりも生産的だと思わない?」
「はぁ…。」
記者は気のない返事をする相馬の様子に苛立ちを覚えたのか、貧乏ゆすりを始めた。
「バイト君ってさ、友達居るの?」
「え?」
「だって説明してもピンときていないみたいだし。」
大きなお世話だ。別にこっちは説明を求めていない。勝手にそっちが解説をしただけだ。それにSNSというものがこの男が言うように非常に有益なものだったとしても、それを手短に説明できない説明力の乏しさに気づくべきだろう。相馬はそう心のなかで呟いた。
「コミュはね。そのネット上のコミュニケーションをリアル世界まで発展させた、SNSの次の段階のモデルケースなんだ。」
この男が言うように、人との繋がりが電子化されることによってコミュニケーションのコストがゼロになったことに意義を見出すとなれば、次の発展段階でなぜコストが発生するコミュニケーションに移行すると言うのか。そもそも主義主張が一緒な人間が集まってネット上で交流することは単なる馴れ合いとなるのではないか。そして慣れ合いにコストをかけるということは生産的であるといえるのか。などと相馬の頭には疑問しか浮かんでこなかった。
ロビーの奥から色白の美しい女性が現れたことに相馬は気がついた。
「バイト君はハタチそこそこでしょ。これからの世代なんだから、もうちょっと世間の流れに敏感になったほうが良いと思うよ。」
相馬の存在に気がついたのか岩崎は彼と距離を保ったまま立ち止まった。
「おい聞いてんのかよ。」
「あ…うん。」
「うん?あのねぇ。」
目の前に透き通るほどの肌をした美しい女性がいることに記者はようやく気がついた。
「ヤバ…かわいい…。」
ー岩崎さん…。
「なぁ、なんかあの可愛い子こっち見てるんじゃないか?」
「え…ええ。」
「あれぇ俺、なんかちょっと今日、中継ってことでキメすぎたかな。」
仕立ての良い紺のジャケットに白パンを合わせた記者は緩めていたネクタイを改めて締めた。
岩崎は辺りを見回した。相馬と記者以外にこの場には誰もいない。携帯を取り出した彼女はちらっとそちらに目を落として、こちらの方へ近づいてきた。
「やべぇ。どうしよう。」
にやけた記者はそわそわし出した。
「あの…。」
「はい?」
「ひょっとして北陸新聞テレビの方ですか?」
「え?なんで分かったのかな?」
「あ、やっぱりそうだったんですか。コミュの岩崎です。」
「へ?」
「今日の取材の対応をさせて頂きます。」
「あ、ああ!! 申し訳ございません申し遅れました。私北陸新聞テレビ報道部のものです。」
とっさに立ち上がって記者は彼女に名刺を差し出した。
「今日はよろしくお願いします。」
「あ…こちらこそ。」
「あなたが広報担当の岩崎さんですか。」
「はい。」
楽しげに岩崎に話しかける記者と対称的に岩崎は言葉少なだった。記者の話をよそに時折その横に立つ相馬の姿を彼女は横目で見た。
「あぁすいません。こいつカメラのアシスタントやってるバイトなんです。」
面倒くさそうに記者は相馬を岩崎に紹介した。
「どうも。」
「あ…どうも。」
「おいバイト君。」
「はい。」
「はいじゃないよ。こっちは広報さんと打ち合わせがあるの。君はさっさと安井さんと一緒にスタンバってよ。」
「あ、はい。」
相馬はそそくさとその場を後にした。
「すいませんね岩崎さん。あいつぼんやりしてて。」
「…いえ…。」

「ただいまー。」
玄関扉を開くと家の中は静まり返っていた。
「久しぶりに速攻で帰ってきたっていうげんに、あいつも京子も留守か…。」
リビングの冷房をつけ、彼は着替えのために寝室がある2階へと足を進めた。階段を昇りきりいつものように寝室のドアを開こうとしたとき、彼の足が止まった。次の瞬間彼の手は京子の部屋のドアノブをそっと回していた。
「ごめんくださいっと…。」
小声でこう言って彼は恐る恐る部屋の中に入った。片倉が京子の部屋に入るのは彼女が中学生の頃以来のことである。彼女とコミュニケーションをとるのは専ら家族の共有スペースであるリビングかキッチンだった。お年ごろの女性のプライバシーの塊である部屋に男が足を踏み入れることをタブー視していたためだ。
遮光カーテンによって部屋の中は暗かった。片倉が壁の照明スイッチを押すと娘の部屋の中が明らかになった。意外と綺麗に整理されている。京子は昔から本や漫画が好きで、片倉はよくおねだりされた。それらは今、部屋にある本棚にちゃんと仕舞われている。片倉が一方的にこれも面白いぞといって買い与えた歴史モノの漫画も読んだかどうかは分からないが、本棚にあった。
京子の机の上に一冊の手帳が置いてあった。
「ちょっと見せてもらうな。」
それを手にした片倉は読むわけでもなくただパラパラと捲り、暫くして手を止めた。
そしてふっと息をつき、それを閉じて元通りにした。
「ごめんな。お前まで巻き込んでしまって…。でも…良かったな。」
こうつぶやいて部屋を出た彼は、廊下を挟んで向かい側にある寝室で着替えをすることにした。
クローゼットの中の衣装の殆どは妻のものである。片倉の服は数少なく、決まったものしか無い。彼は部屋着であるジャージを衣装ケースから取り出した。
「あれ?」
クローゼットに掛けられているはずの妻のワンピースが無くなっていることに片倉は気がついた。
「おいおい…勘弁してくれや…。」
片倉はクローゼットを漁り始めた。
彼が探しているのは妻がここぞという時に着用する勝負服的な性格のワンピース。ビビッドな色使いの海外のブランド物である。
「マジかいや…友達と旅行にいくだけで、ここまでするけ…。」
ため息を付き肩を落とした彼はジャージに着替えること無く部屋の窓を開け、ベランダに出た。そして夕暮れ時の空を見上げ、その場で煙草を吸い始めた。
「17時半か…。」
相馬尚美によって写真で収められたその瞬間の片倉の姿は、それをメールで受け取った相馬卓にとっても疲労と憔悴がにじみ出ているように感じられるものであった。
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2016年02月01日

79 第七十六話



「つまり一色は朝倉の工作活動を阻止するために、マルホン建設とドットメディカルを結びつけた。ドットメディカルに入り込んだ今川に主要な立ち振舞をさせることで、影の存在であろうとする奴を表舞台に引っ張りだし、よからぬことをせんように監視の目が行き届く体制を構築させた。これがもうひとつの一色の意図するところやったんです。」
「なるほど。それが警察に潜入した潜入捜査官ってことですか。」
「はい。しかし、残念ながらあの事件で一色は落命。熨子山事件から三年で事態は確実に彼奴等にとって有利な展開となっとる。」
「石川の企業、官庁、病院の情報を抑えてそれを人質にとっている状態ですね。」
「はい。」
「しかしですよ。古田さん。そこまであなたが状況を把握しているんだったら、なぜ警察は動かないんですか。」
「と言うと?」
「自分はあんまり警察の捜査のこととかよくわかりませんが、古田さんが言うその推理をもって、朝倉や今川をさっさと逮捕すればすべてが丸く収まるんじゃないですか。」
腕を組んだ古田は納得するように頷いた。
「確かにあなたの言うとおり、ひとつひとつを着実に潰していくってのは正攻法なんかもしれん。」
「えぇ...ってか普通どんな仕事もそんなもんじゃないですか。」
「いや。従来通りの警察ならそうやるはずや。」
「従来通り?」
「はい。」
「え?じゃあ古田さんがいまやろうとしていることは従来通りではないと?」
「ええ。」
「どういう点で?」
「佐竹さん。ワシらの仕事は一般の経済活動と違うのはご存知ですね。」
「まぁ警察って特殊な仕事ですから。」
「そう。特殊です。一般の経済活動っていうのはゼロから1を生み出すことが仕事です。翻ってワシらはその逆。ゼロから1を生み出すような仕事じゃない。むしろ1を作つくらせんようにすることが仕事。んでもしもその1を作り出してしまったら、そいつをゼロにする。こういうのは医者が病気と向き合うのと似とると思いませんか。」
「医者ですか。」
「はい。病気には二通りの対応方法があります。ひとつはあなたが言ったような、表面に現れた状況に対して物事を処理していく対症療法。んでもう一つはその病気の原因そのものを制御する原因療法や。」
「対症療法と原因療法。」
「先に断っとくと、ワシは別にあなたが言う対症療法を否定する立場じゃあない。風邪で39度の熱が出て意識が朦朧としてどうにもならんっちゅうげんに、解熱剤もなんも投与せんと自然治癒力っちゅうもんを活用して原因療法に専念しろなんて言わん。熱が出たら解熱剤。咳が止まらんがやったら咳止め、下痢が止まらんがやったらそれに対応した薬を投与してやらんと、患者の体力が持たんくってそのままコロンって逝ってしまうかもしれん。ほんなやったら表に出た症状を抑え、そん中で患者の自然治癒力を引き出し、風邪を治す。」
「じゃあ俺が言った正攻法で良いじゃないですか。目下のところ朝倉と今川を逮捕し、その影響下にあるものの弱体化を図るって感じで。」
「ですからそれは従来通りの発想なんですよ佐竹さん。」
「はい?」
「いままでその方法で公安警察はその手の工作活動の芽を摘んできた。しかしそれで奴らの工作活動は弱体化するどころか、むしろ年々その手口が巧妙化し、尚且つ浸透具合が酷くなっとるでしょう。そんな現状を踏まえてまだ対症療法が妥当だと思われますか。」
佐竹は口ごもった。
「対症療法をするだけで自然治癒力に頼るあまり、原因治療を怠った。結果、病状は深刻の度合いを高めとる。そんな状況でさらに問題の先送りをすることが妥当だとでも?」
「いえ…。」
「これはね…縦割りお役所の負の側面でもあるんですよ。相手方の工作活動は年々巧妙化し、その対応には人出と金がかかる。だから予算を多くつけてくれってね。」
「え…。」
「要は対症療法にかこつけて、予算の増額の名目に利用してきたってこと。」
「そんな…。」
「そりゃあ原因不明の難病で原因治療が施せんちゅうがなら、対症療法だけでの対応は通るかもしれん。ほやけど件のimagawaはそうじゃない。」
「…原因治療が施せる、解決可能な事件だと。」
古田は頷く。
「だから佐竹さん…。ワシは泳がせとるんですよ。」
「泳がす…。」
「そう。」
「泳がせるということは、その先には...。」
「関連する人間の一斉検挙。」
「一斉検挙?」
「そう。一色が熨子山事件の時にマルホン建設、本多、仁熊会に一斉にメスを入れたように、今回も包囲して一斉に叩く。」
「そんなことできるんですか。」
「できる。」
「なぜ?」
「そうしろとワシはある男から指示を受けとるんや。」
「或る男?」
「はい。その男の名は一色貴紀。」
「一色?」
鞄の中から古田は白の長3封筒を取り出した。
「なんですそれ。」
「これは一色の遺書なんです。」
「え…。」
「この遺書に、いまワシがやっとる捜査の指示が書かれとった。ワシはこの指示の通り動いとるだけ。」
「え…ちょっと待って下さい。その遺書っていつ書かれたもんなんですか。」
「熨子山事件の半年前。」
「は?」
「佐竹さん。あなた北高の西田先生覚えとりますか。」
「西田…。ってあの西田先生ですか。」
「そう、あの西田先生です。これは一色が自分にもしものことがあったらワシにって言って西田先生に渡したもんなんですわ。」
封筒をペラペラと振って古田はそれを鞄にしまった。
「熨子山事件発生時、ワシは一色の高校時代のことが気になって北高に聞き込みに行きました。そこで対応してくれたのが西田先生。んでそんときにこれ渡されたんですよ。事件が一息ついたら開くようにってね。」
「そんな馬鹿な…。」
「こいつはね、これがこうなったらこうしろとかって言う事細かな指示じゃない。もっとおおまかなもんや。この手紙がワシによって開かれると言う状況が、何を意味しとるかと言うところから始まって、熨子山事件に関する一色の見立て。その後こう言った具合に事態は展開するだろうという予想。それに基いてざっくりとこう動くのが効果的じゃないかっちゅう一色なりの戦略が書かれとるんですよ。」
「戦略…。」
「ワシはあいつのその戦略に則って動いとる。自分の判断でね。」
暫く古田の顔を見つめていた佐竹は口元を緩めた。
「どうしました?」
「あいつらしい。」
「ん?」
「あいつらしいですよ。そのやり方。」
「どの辺りが?」
「全体を俯瞰してこういう方向性で攻めるのが良いと思う。この戦略を執るのは自由意志だ。そして行動も個々人に委ねる。その辺りがですよ。」
「…。」
「何もかも自分色に染め上げるような設計主義な鍋島に反して、一色はいつもそうだった。その手紙でもあいつの主義が生きている。」
「あなたが十河に言ったイデオロギーの衝突ってやつですか。」
「はい。」
「人間は不完全なものであると認めるところから出発し、一定の方向性だけを提示し、あとは自然に任せるっちゅうやり方ですな。」
古田のこの言葉に佐竹は呆れた表情を見せ、ため息をついた。
「あれこれと指示してくれたほうが楽なんですよ本当のところ。自分で考える必要がありませんから。こっちは指示通りに動いただけ、責任は指示を出した人間にある。って事になればこっちはこっちでいくらでも逃げようがある。けどあいつはそれをここに来ても許してくれない。」
「しかしあなたはその一色の意志を受け継いだ。だから赤松さんと一緒に考えた結果、昨日、あの時間に鍋島の存在を確認するために熨子山の墓地ヘ行った。」
「はい…。」
「どうしてそこまでしてあなた達は一色のために動くことができるんですか。」
「古田さん。一色のためじゃないですよ。ただ単純にやらなきゃいけないっていう衝動が俺を動かしているだけです。なんとかのためなんて理由みたいなものは、その大体が後付ですよ。人間そんなに合理的な生きもんじゃありません。行動の大半の源泉は感情です。だって不完全な生き物ですから。」
古田はふっと息をついた。
「佐竹さん。あなたは昨日、墓地で熨子山事件発生当時にかかってきた電話番号に電話をかけた。」
「はい。」
「その電話が何故かその場に放置されとった。」
「はい。」
「これが意味するのは、佐竹さんわかりますね。」
「はい。」
「なんですか。」
「俺や赤松にはわからないように、あいつは常に俺らの行動を監視している。」
「そうです。つまりあなた達は既に鍋島の手の内にあるっちゅうことです。あなた達が鍋島の手にあるということは、今こうやってあなたと面と向かって話しているワシの存在もこの段階であいつには筒抜けやってことです。」
佐竹は口を噤んだ。
「ここでワシの方から佐竹さんに接触を図ったのはそれを逆手に取るためのこと。」
「え?」
「熨子山事件当時にさんざん現場を引っ掻き回したデカが出張ってきたとなると、あいつ厄介でしょう。」
「…まぁ。」
「あいつはいずれワシの前に現れる。現れてワシを消そうとするはずや。」
「え?」
「ワシはそこを狙っとる。」
「え?ちょっと待って下さいよ古田さん。」
「警察は鍋島惇の生存そのものは把握しとるけど、奴がどこでどう潜伏しとるかまでは残念ながら掴めとらん。つまり警察はあいつの掌の上で泳がされとる状態。いまワシらが何としてもやらないかんがは、あいつの現認や。この目で見ればその後のあいつの行動が読める。」
「その人柱に古田さんがなるっていうんですか。」
「そうです。そのためのあなたとの接触ですよ。」
「危険です。」
「あなたが単独であいつと接触するのも同じくらい危険です。」
「しかし。」
「少なくともあなたよりか逮捕術の腕に自身がありますよ。」
それはそうだ。犯人逮捕を職業的にやっていた人間と、高校時代の剣道経験しかない人間とでは天と地の腕の差があるのは当たり前。何も言えなくなった佐竹をよそに古田は立ち上がった。
「さてワシがあなたに言えることはこんだけや。」
「俺はこれから何をすれば…。」
「それはあなたが自分で考えて判断して下さい。」
「…そうでしたね。」
「あと数日がヤマ。」
「え?」
「ワシの勘がそう言っとる。」
「勘…ですか。」
「ええ。根拠のない勘ですがね。」
こう言った古田は佐竹に背を向けた。
「佐竹さん。どんな些細な事でもいい。気になることがあったらワシに連絡して下さい。ワシもあなたに報告する。」
「こちらこそ是非。」
右手を軽く上げて古田は店を後にした。
「スッポンのトシ。」
古田と入れ替わりで店内に入ってきた野本がボソリと言った。
「スッポン?」
「あの人のかつての異名だよ。一度噛み付いた事件は必ず解決させる。あの人が通る道の後には未解決なんてもんはない。」
「ということは…。」
「そうだよ。この件も必ず解決してくれるさ。」
「…。」
「だからあんたはあんたの判断を信じて動きな。」
「自分の判断を信じるか…。」
佐竹が車に乗って走り去るのを見届けた野本は店内に戻りまたも呟いた。
「あんなに捜査情報を協力者にべらべら喋ってしまう捜査員ってのも初めて見たよ。」
机の引き出しを開き野本は肩をすくめた。
「一色さん。あんたどこまで他人を信用してんだ。」
鋭い目でこちらを見つめる一色の写真に野本は微笑んだ。
「ふっ。」
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2016年01月25日

78 第七十五話



「どうしたん?さっきから時計ばっかり気にしとるけど。」
「え?…う、ううん。」
岩崎は手にしていた携帯電話を長谷部の指摘を受けて即座にしまった。
金沢駅隣接のファッションビル最上階にあるコーヒーチェーン店で、長谷部と岩崎は向い合って座っていた。
時刻は17時半。平日ということもあって店内は空いていた。
「どうしたの…。」
緑色のストローを咥えて先ほどから自分の様子をチラチラ見てくる長谷部に彼女は困惑した。
「…やっぱり元がいい人ってシンプルな格好しても栄えるんやね。」
山県久美子の店で新たにコーディネートされた岩崎の服装は変わっていた。
岩崎が持参した洗いざらしの比較的色が濃いグレーのTシャツに何をどう合わせるかということで、久美子が出した解が長谷部に前にあった。
ボトムスはダメージジーンズ。裾をロールアップし、素足にスニーカー。以上である。
「多分、長谷部君が買ってくれたこれが効いてるんじゃないのかな。」
岩崎は右腕に巻かれたシルバーのブレスレットを彼に見せた。
「んなら良かった。」
「これ…本当に良かったの?」
「あぁ、別に。似合っとったから。」
「でも結構な値段だったよ。」
「いいんやって。気にせんといて。人の好意は素直に受け止めるもんやよ。」
「…ありがとう。」
「こっちこそ大丈夫やったん?」
「え?ううん。なんてことないよ。」
長谷部はティアドロップ型のサングラスをずらし、その間から岩崎を見た。
「そう?」
岩崎はくすりと笑った。
「何ぃね。」
「…何か、長谷部君って顔の作り濃いじゃない。」
「ははっ。」
「それで、あの店でストールまで追加で自分で買ってそれ首に巻いて、そのサングラスだから、まるでイタリア人みたい。」
長谷部は白のシャツに細身のジーンズ。腕まくりされたシャツからは小麦色の腕が露出し逞しさを感じさせる。足元は素足に濃紺のデッキシューズ。淡いグリーンのストールを首に軽く巻き、首元にアクセントをつけ、顔にはサングラスである。髪はオールバックのように後ろへ持って行き、メリハリの聞いた顔の造形を強調している。
「変け?」
「ううん。素敵よ。」
「え?マジ?」
「うん。」
傍から見ればこの二人は一見外国人カップルのように見える。長谷部に対して岩崎は色が白く、どこかロシア系の雰囲気が漂う。異国情緒溢れる二人が一方は金沢弁を話し、一方は流暢な日本語を話しているところから、周囲の人間は必然的にそちらに目が行った。
「さっきから人の目が気になるの。」
「あぁ、俺も。どうせ濃い顔もん同士、外人やと思われとれんろ。」
「ガイジン?」
「ああ外国人。」
「外国人ね…。」
岩崎の表情が暗くなった。
「気にせんでいいよ。人間、自分にないもん持っとるもんには妬みとか持つもんや。俺らは見た目の面で他人よりちょっと得しとるってことで折り合いつけたほうが良いよ。」
「見た目か…。」
「え?どうしたん?」
「あ…あ、ああ、なんでもないよ。」
岩崎の鞄の中からバイブレーションの音が聞こえた。携帯を手にした彼女の動きが止まった。
「どうしたんけ。」
「…ごめん。長谷部君。私、ちょっと予定入ってたの忘れてた。」
「え?何の?」
「うん…ちょっと…。」
岩崎はいそいそとテーブルの上を片付けだした。
「ほっか、残念やわ。」
「ごめん。」
「また岩崎さんとこうやってデートできっかな。」
「デート?」
「うん。これって立派なデートやと思うよ。(まだ返事貰っとらんけど…。)」
しばしの間を置いて岩崎は頷いた。
「え!?本当に!?」
「多分…。」
思わず軽くガッツポーズをした長谷部は顔に満面の笑みをたたえた。

「あれ?」
北陸新聞テレビ1階の喫茶店で打ち合わせをしていた黒田は、カメラを抱えて玄関から出て行く安井を見て立ち上がった。
「すいません。ちょっと失礼します。」
そう相手方に断ると黒田は安井の側へ駆け寄った。
「ヤスさん。どうしたんですかこんな時間から取材ですか。」
「おう黒田。あれだよあれ。」
「あれ?」
安井が顎をしゃくった先を見るとそこには中継車が待機していた。
「え?何があったんですか?」
「けっ…何にもねぇよ。ボンボンのわがままだよ。」
「ボンボン?」
中継車の運転席側に立って運転者と何かの打ち合わせをしている若い男の姿があった。

「残念。黒田さん。それっすよ。」
「…え?何?どういう事?」
「明日の特集ってそれっすよ。」
「え?」
「あーすいません。お先にいただきました。」
「SNSから派生したリアルSNSでしょ。」
「あ、おう…。」
「結構面白いところですよ。詳しくは明日のニュース見てください。」 59

「あの野郎…。」
黒田は怒りがふつふつと湧いている様子だ。
「何だかな、せっかくだからデスクが中継挟んだらどうだって言ってきたらしいんだって。」
「デスクが?」
「ああ。まださ、あいつがネタの構成上どうしても中継挟みたいって言って動くならいいさ。けどな、この中継もデスクのお膳立てってのがどうも気に入らねぇ。」
「毎度の利権・談合・共産主義ですか。」
「まあな。」
「ヤスさん。何の取材だか知ってるんですか。」
「何かよくわかんねぇけどあれだろ。コミュとかってSNSをリアル世界に落とし込んだようなやつ。」
「はい。」
「俺、正直興味ねぇんだよな。」
安井は気だるそうに首を回した。
ー待てよ。これを逆手に取って仁川のネタ引っ張れないか。
「ヤスさん。実は俺もこのネタ追ってたんですよ。」
「え?」
「コミュの運営責任者はドットスタッフの社長である仁川征爾です。今日の中継の時にこいついるんでしょ。」
「あ?仁川?そんな話俺は聞いてねぇぞ。」
「え?」
「何でも紅一点の女がインタビューに応じるって。」
「紅一点?」
「ああ、確か岩崎とかって言う広報担当の女だよ。」
「俺の同級生っすよ。」
三脚を担いだ相馬が安井の側に立っていた。
「あれ?相馬?」
「今日、俺、安井さんのカメアシっすから。」
黒田の脳裏に相馬との昨日のやり取りが再生された。

「黒田さん。俺、別の角度からコミュに入り込みます。」
「別の角度?」
「俺もなんかあそことはちょっと付き合わんといかんことありまして。」
「付き合わないといけない?」
「なんとかせんといかんがですよ。」
「え?何のこと?」
「あそこからひっぱり出さんといかんもんがあるんです。」 53

「相馬。この取材で言ってたあれ、ひっぱり出したことになるのか?」
「いえ、まだです。」
足元を見つめた黒田は相馬の方を叩いた。
「一筋縄にはいかないぞ、相馬。」
「分かってます。」
「離婚には結婚の何倍ものエネルギーが必要なように、一旦踏み入れた組織から抜け出すには凄まじい熱量が必要だ。」
「熱量ですか…。」
「ああ。」
「でも結局のところ、本人がどうしたいか、その意志の力頼みってところもありますよ。」
「その意志を裏付けるもののひとつに周りの力ってもんがある。」
「意志の裏付け…。」
「意識的なもんじゃない。周りがいつも見守ってくれているっていう根拠の無い安心感を与えることだ。」
「黒田さん。難しいこと言わないで下さいよ。」
「難しくとも何ともない。俺は関り合いを持ち続けろって言ってるだけだ。」
「関わりあいですか。」
「得体のしれないコミュなんてもんに身を託した連中だ。心の何処かで自分の存在を証明できる、人との関り合いを欲しているに違いない。」
「そうかもしれませんね。」
「ああ。かつてはその関り合いの力が、仁川の親父の存在を証明し、生き抜く力を授けた。」
「え?」
「あ…いや、何でもない。」
「おーい。行くぞー。」
中継車の側に立つ安井が相馬を呼んだ。
彼は三脚を担ぎ直して急ぎ足で車に向かって行った。
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2016年01月18日

77 第七十四話



東京霞が関。合同庁舎内の一室が朝倉の調査第一部長室に割り当てられていた。
「よくもまぁここまで調べあげたもんだ。」
そう言うと朝倉はノートパソコンを閉じ、それを鞄の中にしまった。
ドアをノックする音。
「入れ。」
「失礼します。」
「まぁそこに掛けてくれ。直江主席調査官。」
「はい。」
「当庁の情報を外部に漏洩しているモグラは突き止めたのか。」
「…金沢銀行の件ですか。」
「そうだ。」
「いえ。まだです。」
「手がかりもないのか。」
「はい。」
朝倉はため息をついた。
「直江…。公調はやる気があるのか。」
「は?」
「ここの捜査にはどこか手ぬるさが垣間見える。」
「申し訳ございません。我々が不甲斐ないばかりに。」
直江は朝倉に頭を下げた。
「警察はもう少し泥臭く執念深く捜査する。こんな事だから公調不要論なんかが国会で取り上げられるんじゃないのか。」
「元特捜の人間として部長のおっしゃることも分かります。しかし私は今、ここの人間。返す言葉もありません。」
ため息を付いた朝倉は立ち上がった。
「金沢銀行に侵入した人間は藤堂豪。この藤堂がコンドウサトミの顧客情報を抹消した疑いがある。つまり藤堂はコンドウサトミの情報が警察によって調べられると都合が悪かった。」
「ええ。」
「コンドウサトミとは3年前に石川県で発生した熨子山事件の重要参考人、鍋島惇の偽名だ。」
「はい。」
「この鍋島の口座情報を洗うことで新たな事実が明るにみなる可能性があった。だから藤堂はその情報そのものを消し去った。」
「事実関係の確認ですか。部長。」
この直江の質問に朝倉は答えない。彼はそのまま話を続けた。
「藤堂は守衛を殺害してまで行内に侵入せねばならんほど情勢は逼迫していた。」
「週末の業務時間終了後に発信されたFAXが関係部署の人間の目に止まるのは週明け月曜の朝。その間、銀行は閉まっている。だからなんとしても金曜の夜中に手を打たねばならなかった。そういうことでしょう。」
「俺がなぜコンドウサトミを選択したか。」
「それはコンドウサトミが現在も生きている可能性があるということをお知りになったからでしょう。」
窓の外を眺めた朝倉の後ろ姿は逆光によってはっきりと見えない。
「そうだ。コンドウサトミは鍋島惇でもある。その鍋島が今も生きているとなると、3年前の熨子山事件は未解決事件ということになる。」
「鍋島惇の金主は今川惟幾です。」
朝倉は振り向き、そして頷いた。
「我が公調においてツヴァイスタン工作要因として従前より最重要監視対象であるこの今川が、下間芳夫という別の工作員を介して、あの事件後も尚、鍋島に資金を提供していることが明るみになるとあなたにとって非常に都合が悪い事態となりますね。」
「鍋島惇は死んだと判断したのは俺だ。この俺の判断が間違っていたということになる。」
「当時の事件の重要参考人です。例え不作為であろうと間接的にあなたは鍋島の逃走を幇助したことになる。それはあなたの責任問題にもなりかねない。」
「確かにな。」
「今川はコミュというサークル活動を仁川をして組織させ、そこで反体制意識の醸成を図っている。鍋島がその今川の子飼いの部下であったとなると、これまたあなたは不作為であるにせよ間接的に今川を利する判断をしたことになる。」
「ふっ…。」
何も言えないという一種の諦めのような表情をした朝倉は苦笑いを浮かべた。
「しかし実は現状、それ以上にまずいことが発生している。調査官それが何か分かるか?」
「は?...いえ。」
「今言ったその事実を知っているのは直江主席調査官。お前だけだ。」
「はい。」
「つまり俺が言いたいことは分かるな。」
直江は口を横真一文字につぐんだ。
「長官にはお前を人事課長にしたらどうかと言っておいたよ。」
「…。」
「俺もこの歳だ。もう前線で闘う年齢じゃない。お前ら若手がこれからの公安を引っ張っていってくれ。」
「どういう意味でしょうか。」
「俺の意図するところを知り、俺以外に情報を外に漏らす可能性があるのはお前だけだ。」
「…。」
「調査対象であるコミュに調査員を潜入させようとするも常に何らかのかたちで奴らはそれを察知。先回りし手を打っていた。今回の捜査事項照会書にしてもそうだ。」
「直江、貴様がモグラなんだろう。」
直江は朝倉に何も言わなかった。
「モグラがモグラを探しても何もみつかるわけがない。だから俺はあえてお前をモグラ退治に指名した。」
「…。」
「どうした弁明してみろ。」
「…いいえ。弁明はしません。」
「ならば認めるということだな。」
「ここでのコメントは差し控えさせていただきます。」
「ふっ...いいだろう。お前は優秀だ。誰かさんと違って物分かりが良い。」
「部長がおっしゃる誰かというのがいまひとつピンときませんが。」
「直江、俺の協力者になれ。」
直江は何の返事もしない。ただ朝倉を見つめるだけである。
「人事を握れ。」
「その後は。」
「古田を消せ。」
直江は朝倉を前に含み笑いをするだけであった。

左の人差し指をフック状に曲げると能登半島と似た形になる。
この第二関節あたりの日本海側に能登第一原子力発電所はある。金沢方面からこの施設に行くには、のと里山海道を利用するのが最短ルートである。のと里山海道は内灘町から穴水町までの区間、能登半島を縦断する自動車専用道路。これを利用すれば1時間半程度で能登イチに到着する。
この柳田インターチェンジで降りた鍋島はそのまま日本海側の県道に合流。制限速度を守って海沿いの道を、彼は幌付きの軽トラックで北上していた。
県道沿いにはのどかな田園風景が続く。その中に黒光りする瓦屋根、漆喰に横羽目板張りが印象的な家屋が目につき、ここは能登であると実感する。コンクリート造りの背の低い小屋のようなバスの停留所が時折目につくのも能登特有の景色かもしれない。
右前方に見える遠くの丘の上から2基の排気塔が顔を出していた。
しばらく車を走らせると、何台もの乗用車が駐車しているのが目に入った。のと里山海道を降りてからというもの、片手で数える程の車としかすれ違っていなかった。それが急にここで多くの車を見ることになり、どこか不自然な感覚を彼は覚えた。
「あれね。」
『能登第一原子力発電所 入口』と書かれた看板が見えると、彼はそれが指し示す矢印通りに車を右折させた。
高速道路の料金所のようなゲートがある。ここでセキュリティチェックを受けるのであろう。鍋島はそこにある立て看板の指示通り、アイドリングを止めて車から降り、入場受付の前に立った。
「初めて?」
顔に皺が深く刻み込まれている警備員姿の老夫がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「はい。」
「何の用事け。」
「納品です。」
「どちらに納品ですか。」
「事務本部棟に。」
「誰宛ですか。」
「菅さんです。」
「どちらの?」
「保修計画課の。」
守衛はちょっと待てと言って、その場で内線電話をかけた。
「もしもし。あーお疲れ様です。菅課長に納品の方がお見えです。…え?知らん?...ちょっと待って下さい。」
受話器を手で抑えた守衛は困ったような顔で鍋島を見た。
「すいませんが、菅はそのような納品は知らないと申しておりますが。どこかと勘違いされとるんじゃないですかね。」
「いいえ。これ見て下さいよ。」
そういうと鍋島は送り状を守衛に見せた。
受取人には石川電力保修部保修計画課 菅由人さまとある。
「あれ?」
視線を下にずらすとそこに書いてあるはずの差出人欄が空欄であることに守衛は気がついた。
「おい。あんた。ふざけてもらっちゃ困りますよ。」
「あ?」
鍋島の顔を見た瞬間、守衛の威嚇めいた声色が変わった。
「あ…いえ、なんでもありません。」
「おい。どうしたんや。」
鍋島とやり取りしていた者と別の人間が間に入った。
「なんでもありませんよ。」
「そうなの?」
「はい。」
「あの…書類か何か書かないといけなんじゃなかったでしたっけ?」
鍋島の発言に促されて守衛は一枚の書類を彼に差し出した。入場許可申請書である。
「ここにおたくの会社名とおたくさんの名前書いて下さい。」
「はい。」
鍋島はそこに近藤急送、近藤里見と記入した。
「ああ、近藤急送さんね。いつもご苦労さまです。」
「そちらこそいつもご苦労さまです。」
どちらも初見であるはずの2人がこの時既に顔見知りとなっていた。
守衛から通行証を発行された鍋島は、何も無かったようにそのまま車を事務本部棟まで進めた。
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2016年01月11日

76 第七十三話



「朝倉は鍋島の使用者やったんですよ。」
「雇い主ってことですか?」
「このあたりはちょっと複雑でしてね。単純な雇用関係じゃないんですわ。」
そう言うと古田は相関図の朝倉忠敏の名前から放射状に伸びている線を指でなぞった。
「え?今川?」
「はい。」
「今川って、まさかあの今川ですか。」
「ええそうです。佐竹さん。あなたが久しぶりにワシに連絡してきて、いの一番に素性を聞きたいって言った男の名前ですよ。」
「今川が朝倉・鍋島のふたりとどういう関係が。」
「同志。」
「同志?」
「鍋島はどうかはわからん。ほやけどこの今川と朝倉は同じ目標を持っとるのは捜査済み。」
「目標って…。」
「今川の経歴は佐竹さん。あなたに会って話した通りや。」
「ピッカピカのエリートコースでしょ。」
「ええ。ほやけど何でか分からんけどこんな裏日本の糞田舎の医療関係の会社の役員として、現在活躍中。変でしょ。」
「ええ。」
「しかも今現在はマルホン建設の買収をしようと工作。」
「はい。」
「この今川がいま、なんでマルホン建設の買収を企んどるか。そこを探ってみると朝倉との共通の目標が浮かび上がってくる。」
「それはなんですか。」
「マルホン建設はドットメディカルの提携をもって復活した。それは三年前、金沢銀行の山県支店長と一緒に善昌と交渉した佐竹さんならご存知でしょう。」
「ええ。」
「あの提携話の裏に一色の企てがあったこともあなたは知っとるはずや。」
「はい。マルホン建設に外部の血を入れることで役員体制の刷新を図り、本多慶喜の影響力を排除。そしてドットメディカルの先進的なノウハウとマルホン建設の建設ノウハウの融合を図り、V字回復を狙う。その放漫経営からの脱出を善昌に任せることで、彼の面目躍如も兼ねる。これですよね。」
「そうです。それが一色の企てのひとつやった。」
「え?ひとつ?」
古田は頷く。
「え?どういうことですか。」
「佐竹さん。ドットメディカルって会社は医療関係のノウハウを蓄積しとる。それは医療機器や医療設備関係に留まらず、医療のシステムにも及ぶ。」
「はい。その医療システムの責任者がCIOの今川です。」
「そう。ドットメディカルはマルホン建設と提携する前はプロパー営業による業績拡大を図っとった。確かにその業績の伸びは目覚ましいところがあったんやけど、その成長の度合いは想像の範囲内。ところがマルホン建設と提携するようになってからは、想像以上の業績拡大が起こった。腐ってもマルホン建設や。あの会社の信用力は絶大。高齢者施設建設をはじめ、医療施設の改修、それに伴うシステムの入れ替えなど恐ろしい勢いで仕事を受注して、マルホン建設はかつての公共事業頼りの体質から一気に抜けだした。」
「はいそうです。」
「その恐ろしいまでの急成長の中、今川の企てが進行しとった。」
「今川の企て?」
「ええ。」
「なんですかそれは。」
「佐竹さん。あなた金沢銀行のシステムもドットメディカル謹製のもんやって言っとったね。」
「ええ。」
「それが今回、何らかの不具合を起こしとる。」
「はい。山県部長の社員情報を勝手に書き換えたり、コンドウサトミという顧客情報を忽然と消し去った。」
「あなたはそれがドットメディカルによる金沢銀行に対する間接的な脅迫行為じゃないかって、私に言いましたよね。」
「ええ、ですが違うんでしょ。」
「確かにワシはあのときあなたにそう答えた。」
「え?まさか…。」
「あれはあの場での事、実際のところあなたの読みは正しい。」
「え?」
「それですよ。」
佐竹は眉間にしわを寄せた。
「ヒト・モノ・カネが経済活動の源泉です。しかしそれだけで経済が動いとったのは過去の話。いまはここにもう一つ、情報っちゅう要素が加わっとる。んでその情報をここ石川県でかなりの割合で抑えとるのがドットメディカル。」
「まさか…。」
佐竹は何かに気がついたようだ。彼の首筋には汗の粒がにじみ出ていた。
「そう。あの会社はその気になればそれらの情報を止めることができる。あんたの会社だけじゃない。ココらへんの地域経済も、県警の情報も自分たちの良いようにできる。」
「まさかひょっとして…十河さんが言っていた、県警の指紋情報が書き換わっていたって話もドットメディカルのシステムが絡んでいるんですか。」
「はい。」
佐竹は思わずため息をついた。
「なんで朝倉も今川もそんな事を…。」
「佐竹さん。これがスパイっちゅうもんなんですわ。」

「左の人が右に転向するのはよく聞く話ですど、右から左ですか。」
車を運転する神谷は前を見ながらボソリとつぶやいた。
「まぁレアケースやな。」
「それにしても富樫さんってなんであんなにIT関係の知識があるんですか。ひょっとしてもともとそっち方面の専門職だったとか。」
「マサさんは勉強したんや。更の状態からな。」
「勉強?」
「ああ。ホンボシを落とすために。」
「いや、勉強って感じでどうこうなるほどの知識量じゃないですよ。それに実践でもばっちりじゃないですか。」
「神谷。人間やる気でなんとかなるもんや。」
「いやいや...やる気って…。」
「神谷。人間やるかやらんか、その意志の強さが行動の一番の源泉なんや。」
「まぁ…。」
片倉はそう言うと車の助手席の裏につけられていた小さな何かの端末を引き抜いた。
「えっ?何ですそれ。」
「GPS」
「え…それって勝手にとって良いんですか…。警察車両の装備品でしょ。」
「ああ。付け替えるんや。」
「え?」
鞄の中から小さな端末を取り出した片倉はそれを引きぬいたものと置き換えて設置した。
「三年前の熨子山事件の時、このGPSの存在がホンボシの存在を明らかにした。」
「え?」
引きぬいたGPSの発信装置を握りしめた。
「あれは俺の異動の内示が降りた頃の話や…。」

県警本部の喫煙所に入った片倉はそこで古田と偶然出会った。
「おうトシさん。」
「これはこれは、警備部の片倉先輩じゃありませんか。」
「けっやめれま。」
「何やら朝倉部長の引き立てのようやがいや。」
「あーあ、少しは楽な部署に行きてぇって思っとってんに、これで人生さらにハードモードやわいや。」
「なんじゃそれ。」
「人生を生き抜く難易度が上がったってこと。
「どういうことぃや。」
「トシさんはいいわいや。やわら警察やめて自由の身やろ。けど俺はガテン系の巣窟警備部。プロレスラーみたいなガタイの連中を束ねるなんちゅうんは、ちょっと荷が重めぇな。」
「はっ、何言っとれんて。おめぇ公安やろいや。」
タバコを咥えた片倉の動きが止まった。
「警備課じゃなくて公安課やろ。公安行って、三好の周辺を洗えんろ。」
「…なんでそれを。」
「松永から聞いとる。」
「え?」
「どうやらワシもなかなか足を洗えんらしいわ。」
古田の言葉が片倉に全てを悟らせたようだ。片倉の表情が凛としたものに変わった。
「まさか…トシさんもか。」
古田は頷いた。
「Imagawa。」
「なんやそれは。」
「本件捜査のコードネーム。今後はこれでお前とのやり取りは統一する。」
「…わかった。」
「早速やけどお前に注意してほしいことがある。」
「なんや。」
「お前、熨子山事件の時、通信指令で部長の車のGPS情報を真っ先に調べようとしたやろ。」
「おう。」
「あれを逆手に取れ。」
「え?」
「お前、あの時気が付かんかったか?」
「何のことや。」
「なんで一色は自分の車にテストとしてGPSを搭載しとったか。」
「なにィや、テストやってんろ。このシステムがうまいこと利用されて事件の早期解決とか捜査効率が上がれば上にそれが提案できるって。」
「ほうや。表向きはな。」
「は?表向き?」
「ワシはあの時、一色が自分の車だけにGPSを搭載させとったんは、別の理由があったんじゃねぇかって思っとる。」
「なんねん。」
「自分の居所をわざと誰かに教えとった。」
「は?」
「わざと誤ったGPSデータを送信することで、データの受信側を撹乱させる陽動作戦を行なった。」
そう言うと古田は数枚の書類を取り出して、片倉の前に差し出した。そこには数字がびっしりと印字されている。
「緯度経度や。」
「は?」
「お前があの時、通信指令に開示を拒まれたGPS情報や。」
「なんであんたがこれを…。」
「imagawaに絡んだもんしゃあねぇわ。」
古田はそう言うとさらに一枚の書類を片倉に見せた。
「緯度経度を地図に落とし込んだ。」
「…待ってくれ...トシさん。」
「お前がそういう反応をするがも分かる。」
「これを見ると、事件当時、一色は熨斗子山の山頂なんか言っとらんがいや。」
「おう。」
「ドットメディカル本社とマルホン建設を移動…。」
「あいつが死んだと思われる時刻には七里の家。」
「七里はドットメディカルの社長。」
「こっから分かるんは、一色は生前、GPSを七里の車に搭載し偽のデータを送っとったってことや。」
「なんでそんなことする必要あるんや。」
「だから言ったいや。陽動作戦やって。」
「待てやトシさん。誰を撹乱させれんて。一色の車両情報を見れるのは警察内部のごく一部の人間...って…。」
「その通り。一定の権限をもった人物。もしくはシステムを管理運用する会社の内部の人間。」
「まさか…。」
「当時、間違いなく朝倉は焦っとった。」
「朝倉…。」
「ああ。」
「なるほどimagawaはあいつの討伐令でもあるんか。」
「まぁそうとも言える。」
「マルホン建設とドットメディカルを結びつける工作活動を一色がしとることは朝倉は把握しとったけど、村上や鍋島と直接会うなんて奴は考えてもおらんかった。ほやから焦るがあまり察庁の意向を無視して実名報道。被疑者一色貴紀の誕生。」
「七里は当時の一色のエス。ドットメディカルとマルホン建設を結びつけて、あの会社の体制を立て直しを一色が図ったのはあくまでも一つの側面。」
「今のトシさんの話し聞いとりゃそれぐらい察しがつくわ。」
「さすが公安課の課長さんですな。」
「…ということは…一色は...。」
「ここ県警に忍び込んだ、潜入捜査官。」
「警察の警察による警察のための潜入捜査官…。」
「モグラのモグラや。一色がどの時点からモグラになったか、察しのいいお前はわかるな。」
片倉は息をついた。
「トシさん。あんたにあいつがあのセリフを言った時からやな。」
「ああ。」
「やるかやらんか、それが問題や。」

「さっきお前にAさんの話したな。」
「…はい。」
「そのAさんはズバリ、今話したAさんや。」
「そうでしょうね。」
「Aさんがツヴァイスタンの工作員である今川と協力し、様々な企業の情報を抑えた。」
「いまはその情報が人質に捕られているって状態ですか。」
「そう。」
「まずいですね。」
「ああ、まずい。」
「その気になればその情報を止めることもできるし、消し去ることもできる。」
「そうや。」
「奴らも後はやるかやらないかそれだけが問題だって状態なわけですね。核のボタンを持っているように。」
「その通りや。テロリストが核を持ってしまったみたいなもんや。流石に飲み込みが早いな。」
「課長の話のとおりだとすると、後は意志の問題ですね。」
抜き取ったGPSを片倉は見つめた。
「意志ね…。」
「そうでしょう。」
「そうや。俺らはその奴らの意志のちからをゲリラ戦で削る。」
「はい。」
「ふっ…どっちがテロリストかよく分からんよ。」
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2016年01月04日

75 第七十二話



「佐竹さん。熨子山事件は解決に至っとらん。」
「…。」
「どこかのタイミングであなたにはあの事件の真相を話さんといかんと思っとった。」
「…。」
「その時が来たんやわ。」
テーブルに置かれた村上のジッポーライターを手にして古田は間をとった。
「結論から言いますよ。」
佐竹は固唾を飲んだ。
「村上隆二は鍋島によって殺された。」
「…。」
そう言うと古田は1枚の写真を佐竹に差し出した。
黒のコートを纏った男がエレベータの中に入ってきたところを抑えた監視カメラの画像であった。
「鍋島...。」
「流石、高校時代に同じ釜の飯を食った仲ですな。一目見てこいつが誰だか分かったか…。」
「十河さんの話では病院の監視カメラは画質が悪くて、犯人の判別ができない状態だったって聞きましたけど。」
「あれは嘘や。」
「え…。」
「あれは鍋島の存在が割れると都合が悪い県警上層部がでっち上げた情報や。」
「でっち上げ…。」
「ああ。わしら現場の人間は作られた情報の上で踊らされとっただけや。ちなみに当時、村上が入院する外科病棟で見張りについとった男は、あれから2週間後日本海に打ち上げられた。警察はそれを自殺として処理した。」
「え?」
「この事実が何を物語っとるか勘のいいあなたはわかりますね。」
額に手を当てて佐竹は目を瞑った。
「そう。あの事件で村上が行ったと思われる犯行の全てがコンドウサトミこと鍋島惇によるものやった。そしてその鍋島の犯行を県警上層部のある人物がすべてもみ消した。県警内部の人間を消してまでもね。つまり一色もまたその県警上層部人間に間接的に葬られたってことです。」
「なぜ…。」
古田は頭を振った。
「残念ながらすべての動機はまだ解明できていません。ですが様々な人間の証言や証拠を積み重ねて推理すると、それが一番説得力がある。」
こう言って古田は一冊のノートを鞄の中から取り出して、それを佐竹に見せた。
「熨子山事件の人物相関図です。」
目の前に出されたものは鉛筆書きのものだった。消しゴムで何度も消しては描いた跡がある。ノートの見開き中心部には左から鍋島惇、村上隆二、佐竹康之、赤松剛志、一色貴紀の名前が縦に書かれ、それぞれの名前の横に赤鉛筆で線が引かれていた。
「ワシはあんたら五人の関係性をそこの赤線から五の線と呼んどる。」
「五の線?」
古田は頷く。相関図はその五の線から放射状に様々な人物名が結び付けられ、その関係性はぱっと見でさっぱりわからないほど入り組んだ複雑なものだった。佐竹が知る名前もあれば、聞いたこともない名前もある。
「そもそもあの三年前の事件の発端は、一色の交際相手やった山県久美子が穴山と井上っちゅう輩に犯されたことから始まっとる。」
「はい。その穴山と井上は村上の指示で久美子を。」
「ほうや。三年前、村上があんたに言ったことをそのまま額面通りに受け取ればね。」
「と言うと?」
「事件後の取り調べであんたはワシに当時の村上とのやり取りを話してくれましたよね。」
「あ、ええ…。あの時のことは正直あまりはっきりと覚えていないんですが…。」
「村上はあんたに一色の仇をとってやったと言った。」

「でもさ、佐竹。俺は仇を打ってやったんだよ。」
「仇?誰の。」
「一色の。」
「お前なに言ってんださっきから。」
「お前こそ何も分かってないな。一色は首を突っ込んだらダメなところに突っ込んだ。だからその警告を俺がした。それでも突っ込みやがる。手に負えないからお灸を据えるために婚約者って奴にちょっといたずらさせた。一時はおとなしくなったが、それでもあいつは突っ込んでくる。だから俺は久美子にいたずらした奴らをやっつけた。」
「え?」
「それでも話し合いで済ませることはできないって言われたら、お前ならどうするよ。」
「ちょ、ちょっと待て…。お前何言ってんだ。本当に頭がおかしくなったんじゃないのか…。」
「なぁお前ならどうする?」
「おい…村上…。」
「どうするかって言ってんだよ‼︎…答えろ…答えろよ…。なぁ佐竹。答えてくれよ‼︎」

「あの時ワシはどうにもよく分からんかったんや。村上のあの発言は普通に考えれば、精神に異常を来した人間の支離滅裂な言葉や。」
「はい。」
「ほやけどあんたが十河に言った言葉で気がついた。」
「何を。」
「村上もまた、鍋島が持つ妙な力で操られとったんじゃないかって。」
佐竹はテーブルに置かれていた水に口をつけた。そして一息ついて口を開いた。
「古田さんもそう見ましたか。」
「やはり佐竹さん。あなたもそう思っとりましたか。」
佐竹は頷いた。
「佐竹さん。あんたも御存知の通り、村上という男は純粋で正義感あふれる男です。口悪いところはあるが五の線の中でもっとも平和的で理想を追い求める傾向があった。それは残留孤児の社会復帰を支援する活動を私財を投じて行っていた過去を見れば明らかです。」
古田と村上は直接的な接点はない。それなのに古田は村上の性格をしっかりと把握している。佐竹は古田の捜査能力の尋常のなさを感じ取った。
「ええ。」
「そう言う真っ直ぐな性格の人間はあの手のマインドコントロールにかかってしまうと、なかなか抜け出すことができん。ワシはその手の専門家に聞いたことがあります。」
「あの時の村上の言動は、あいつの潜在的な良心と洗脳された思考のせめぎあいだったってことですか。」
「はい。」
古田は話を戻しますと言っておもむろに煙草の火をつけた。
「佐竹さん。この手のレイプ事件っちゅうのはいろいろ辛いもんがあるんですよ。」
「え…?」
「県内の産婦人科を手当たり次第当たったんですわ。」
「ま…まさか…。」
煙を吐き出した古田は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「ぶち当たりましたよ。当時、久美子がかかっていた産婦人科に。」
古田はカルテの写しを佐竹に差し出した。
佐竹はそれを恐る恐る手にした。
「妊娠です。」
そう言うと古田はもう一枚の書類を佐竹に見せた。
「これは出産前DNA鑑定書です。これによると久美子が身籠った子供のDNAの型は一色のものでないことが分かっています。」
「…ということは。」
「穴山か井上、そのどちらかが父親と類推できるでしょう。」
「…ええ。」
「違うんですよ。」
「え?」
「違うから厄介なんやわ。」
古田は相関図の中の穴山と井上のところを指差した。そこから指を移動して彼は山県久美子の名前を指す。そしてそこから派生する線のひとつをなぞり、ある人物の名前にたどり着いた時点で再度指止めた。
「え?」
「え?でしょう。」
「な、鍋島?」
「はい。」
「は?」
「一色が教えてくれましたよ。」
「え?」
「あいつの遺体の爪に鍋島のものと思われるDNAが残っていました。それをこの鑑定書のものと照合すると結果がそうやったんです。」
「そ…そんな…。」
「佐竹さん。あなたが言った鍋島の特殊能力は他人を瞬時に洗脳する事ができるってことでしたよね。その説とDNA鑑定の事実が導き出す結論はなんでしょう。」
「…そのレイプの実行犯は実は鍋島で、奴はその場に居合わせた村上と穴山と井上に嘘の情報を摺りこんだ。」
「正解。」
肩の力を落とした佐竹の様子を見た古田はカルテをしまった。
「穴山でもなく井上でもない、どこの誰だか分からん男の遺伝子を持った子供を久美子が身籠った。普通ならこの時点で交際相手である一色は久美子に問いただすでしょう。交際相手を疑ってかかるんですから辛いことですよ。しかし彼はそれをせんかった。久美子の当時の主治医がそう証言しています。あいつはただ一言『堕ろしてください』とだけ言ったようです。おそらく一色は鍋島の特殊能力のことにこの時既に気がついとったんでしょう。んで首謀者と思われる村上もまた、鍋島に良いように操られていると判断したんでしょう。今になればあの時の一色の言葉の真意がわかる。」
「なんですか、その言葉って。」
「一色はかつてワシにこう言いました。久美子のレイプ事件の事は必ずケリを付ける。しかし現状の日本の法体系では強姦罪が成立しても大した量刑が課せられん。」
「じゃあどうするんですか。」
「方法はある。やるかやらないかそれが問題だ。」
「え?」
「佐竹さん。言ったとおり久美子のレイプ事件だけを追っかけて鍋島を仮にしょっぴいても大した罰は与えられん。」
「はい。」
「それに当の久美子の記憶からは鍋島の特殊能力のおかげで、奴の存在自体が消えとる可能性がある。レイプは親告罪や。そもそもの犯罪が成立せん可能性が大や。となると別の手段がある。」
「え?どういうことですか。」
「別件逮捕。」
「え?」
「別件でしょっぴいて法の下で最高刑を奴に下す。」
「まさかそれが赤松の親父の件…。」
「それだけじゃない。鍋島はかつて別の事件で県警にマークされとった。その事件で奴はコロシの疑いがあった。それらの余罪を再度捜査し、鍋島を追い詰める予定やった。」
ここで古田は再び煙草に火をつけた。
「しかしさすがの一色もひとりだけの力で鍋島の周辺を洗い、尚且つマルホン建設、仁熊会、本多周辺までを調べ尽くすことはできん。ほやからあいつはごく限られた人間の協力を得てこれら捜査を秘密裏に行っとった。当時はワシも、あいつの直属の部下である捜査一課の課長も一色の動きは知らなんだぐらいや。」
「古田さんまで知らなかったんですか。」
「はい。」
「そんなことが…。」
「佐竹さん。一色がなんでワシらにもわからん動きをしとったか分かりますか。」
「いえ。」
「それは県警上層部におるモグラを欺くためですよ。」
「モグラ?」
「ええ。スパイのことです。」
「まさかそのモグラは…。」
「あなたも十河の話でご存知でしょう。」
「当時の県警本部長。」
「そう。朝倉忠敏。」
「どうして県警本部長が。」
古田は勢いよく煙を吐き出した。
「朝倉が鍋島の使用者やったからです。」
「え…。」
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2016年01月01日

128 最終話 前半



コミュの会場となった会館前には複数台のパトカーが赤色灯を灯して駐車していた。会館には規制線が敷かれ関係者以外の立ち入りは厳禁となっている。週末金沢駅の近くということもあって、このあたりで仕事帰りに一杯といった者たちが野次馬となって詰め寄せていた。規制線の中にある公園ベンチには、背中を赤い血のようなもので染め、遠くを見つめる下間麗が座っていた。


「ついては岡田くん。君にはこの村井の検挙をお願いしたい。」
「罪状は。」
「現行犯であればなんでもいい。」
つばを飲み込んで岡田は頷いた。
「よし。じゃあ君の協力者を紹介しよう。」
「え?協力者?」
奥の扉が開かれてひとりの女性が現れた。
「岩崎香織くんだ。」
岩崎は岡田に向かって軽く頭を下げた。
「岩崎…?」
ーあれ…この女、どこかで見たような…。
「近頃じゃネット界隈でちょっとした有名人だよ。」
「あ…。ひょっとしてコミュとかっていうサークルの。」
「正解。それを知っているなら話は早い。そのコミュってのが今日の19時にある。そこにはさっきの村井も共同代表という形でいる。」
「村井がですか?」
「ああ。」
「君には岩崎くとにコミュで一芝居うって欲しい。」
「芝居…ですか。」
「ああ。芝居のシナリオはこちらでもう用意してある。君はその芝居に一役噛んだ上で、流れに任せて村井を現逮してくれ。君らが演じる芝居が村井の尻尾を出させることになるはずだ。」
「大任ですね。」


「お疲れさん。」
彼女の横に座った岡田がミネラルウォーターの入ったペットボトルを差し出した。それを受取った麗は何も言わない。
「迫真の演技やったな。」
「…。」
「それにしても村井の奴、お前が刺されて倒れとるっていうげんに、お前んところに駆け寄ってくることもなく、淡々と参加者を煽っとった。」
「…。」
「薄情なもんやな。」
「…そんなもんですよ。」
「ん?」
「私はいつもそういう役回りだった。みんなロクに新規の参加者の獲得もせずに、能書きばっかり垂れてる。私は自分が唯一人より優れている外見を活用して新規の参加者を獲得してるのに…。私自身は全く評価されなかったわ。」
「ほうか…。」
「何かの度に私をヴァギーニャとか言って持ち上げるくせに、楽屋裏では私に対する妬みばかり。挙句の果てに私が色仕掛けしてまで参加者を獲得しているなんてデマまで流して…。」
「酷ぇな。それ。」
麗はペットボトルに口をつけた。
「…でも、兄さんはいつも私のことを心配してくれた。」
「兄貴ね…。」
「コミュの皆をまとめるために、時には周りと同調するようにあの人は私のことを責め立てた。でもその後直ぐにフォローの電話をしてくれた。お前には辛い思いをさせているがもう少しの辛抱だって。」
「妹思いの兄ってやつか。」
「でもその兄さんも、お父さんもあなた達に捕まってしまった。」
「麗。お前の話は本部長からひと通り聞いたわ。」
「そう…。」
「はっきり言うけど俺はお前に同情はせん。」
岡田は麗を断じた。
「さっきも放っといたらヤバいことになっとった。コミュの連中を原発まで動員してあそこで騒ぎを起こす傍ら、俺を片町のスクランブル交差点にトラックごと突っ込ませて、テロをする予定やったんやからな。」
麗は黙って岡田を見た。
「そんなもんを企てとったお前の兄貴と親父は法によって裁かれる。これはこの国では至極当たり前のことや。俺らはその当たり前のことを実行するために居るんやからな。」
「兄さんとお父さんはこれからどうなるの。」
「わからん。こっからは俺ら警察の管轄じゃない。」
「そう…。」
岡田は一枚の紙の切れ端を取り出してそれを麗に渡した。
「なに?…これ。」
「本部長が言っとった約束のあれや。お前が捜査に協力してくれれば母ちゃんの面倒をお前が見れるようにさせるって。」
「何よこれ…住所が名古屋じゃない…。お母さんは都内の病院にいるって言ってたわよ。」
「ほうや。お前の母ちゃんは都内の病院や。こいつは入管の住所。」
「入管?」
「入管にも話し通してあるってよ。麗。まずはお前はここで難民申請をしてこい。申請してこの国の方に則って、晴れてこの国で誰にもはばかることなく下間麗として暮らせ。」
「え…。」
「んで母ちゃんの看病をしてやれ。」
麗はメモに目を落とした。
「俺らは下間麗なんて人間のことは何も知らん。」
「岡田さん…。」
「ほんじゃあ、お前のことを待っとるやつが居るから、俺はここでお別れや。」
「…。」
「晴れて日本で暮らせるようになったら、いつでも俺を訪ねて来い。」
メモには携帯電話の番号が書いてあった。
「そこに突っ立っとる主演男優と一緒にな。」
そう言って岡田は彼女に背を向けた。
規制線の外に出た岡田はそこに立っている男の肩を叩いた。肩を叩かれた男は駆け足で麗の方に向かって来た。
「長谷部君…。」
麗の側まで駆け寄った長谷部はなにも言わずに彼女を抱きしめた。麗の瞳から涙が溢れ出した。
「麗…。ごめん…力強すぎた…。」
抱きしめながら麗の背中を擦る長谷部の様子を、相馬と京子の2人は遠巻きに見つめていた。


冨樫は何も言わずに机の上に古ぼけたカメラを置いた。
「下間。これは何や。」
「何って…カメラだ…。」
「見覚えは?」
下間は首を振る。それを見た冨樫は落胆した表情になった。
「何だ。」
「…これはな。仁川征爾の持ちもんなんや。」
「仁川…。」
「お前の息子がお前に言われるがままに背乗りした、仁川征爾のな。」
「…そうか。」
「お前やな。征爾の両親を事故に見せかけて殺したんは。」
下間は頷く。
「なんでほんなことしたんや。」
「愚問だ。俺らには仕事の選択権はない。上の言うことはすべてだ。上が指示を出したからやった。以上だ。」
「上とは。」
「執行部。」
「朝倉は。」
下間は苦笑いを浮かべた。
「関係ない。当時はまだあいつは公安だったはずだ。俺らとあいつはむしろ対立関係にあった。」
「じゃあその執行部とは。」
「本国だ。」
「ツヴァイスタン本国。」
「そうだ。」
下間はため息をついた。
「でなんだ。そのカメラ。」
「あいつの両親を世話したおっさんがまだご存命でな。このカメラ持ってずっと征爾の帰りを待っとる。んでな、そのおっさんがこう言うんや。もしも征爾が生きとったらこいつで写真撮って自分のところにそれ送ってくれ。もしも征爾が死んどったらこのカメラを墓にでも供えてくれって。」
「そうか…気の毒なことをした。」
下間は天を仰いだ。
そして口をつぐむ。
「…冨樫とか言ったな。」
「…おう。」
「それは随分と古いカメラみたいだが、ちゃんと動くのか。」
「あ?ああ…。動作確認はできとる。」
「じゃあそのおっさんに仁川の写真撮って送ってやれ。」
「え…?。」
「仁川征爾は生きている。奴はツヴァイスタンに拉致された。」
取り調べの様子を記録している捜査員の手が止まった。
「なに?」
「言っただろう。仁川はツヴァイスタンにいる。」
「お…お前…そいつは…本当のことか…?」
「ああ。お前ら警察は掴んでたんだろう。」
冨樫は口をつぐんだ。
「ツヴァイスタン工作員による拉致は掴んでいたが何もできなかった。なぜならそれがセンセイ方の意向だったから。」
「…。」
「拉致問題があると言って、日本はツヴァイスタンに拉致された国民を奪還する術はないからな。」
「現状はな。」
こう言った冨樫の顔を見た下間はニヤリと笑った。
「本気なのか。政府は。」
「ワシはただの末端公務員。政府中枢の思惑はわからん。」
「今回の手際の良い警察の動きを見る限り、俺には伝わってくるよ。」
「そうか。」
「ふっ…。これで少しはまともな国になるかもな。」
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2015年12月28日

74 第七十一話



金沢駅に隣接するファッションビルの前に立った長谷部は、その建物を下から仰ぎ見た。
「え?ここ?」
「うん…。」
自分たちと同世代もしくは少し若めの洒落っ気のある男女が辺りを歩いている。
彼は岩崎の形(なり)を見つめた。
白シャツにサマーカーディガンのマゼンタ色が映える。長谷部が知る岩崎はいつも代わり映えのない服を着て、世間の流行のようなものから自ら距離をおいている存在。それが今日はこの場に相応しい垢抜けた出で立ちである。意外な一面というよりも全くの別人。彼は戸惑っていた。
「あの…どうしたん?」
「え?」
「俺…岩崎さんのことやから、てっきりここじゃなくて駅自体に用事があるんかと思った。」
「なんで?」
「…えーっと、俺、岩崎さんってこんなイマドキの場所とか洋服とか全く興味ない人なんやと思っとってんて。」
「え?じゃあ私が駅に何の用事があるって言うの?」
「え?…ほら…例えばいま、金沢駅工事しとらいね。」
「うん。」
「俺、あんまりその手のこととかよく分からんけど、岩崎さんやったら、来年4月の北陸新幹線開通に伴うその経済効果的な奴を、実際の現場見て考えてみるとか…。」
「え?」
「あ、じゃあ…地方交通網の研究とか…。」
「何?フィールドワーク的な?」
長谷部は頷いた。
「あはは。」
感情を表に出さない岩崎が初めて長谷部の前で笑った。
「そう見えるんだ。」
「あ、あ…ごめん。変な意味で言ったわけじゃないげん。」
「いいの。」
「ごめん。俺の偏見やった。」
「偏見じゃないよ。私も昨日まではこんな格好するなんて考えられなかったの。」
「え?」

「いらっしゃいませ。」
こう言って売上を管理する台帳のようなものに目を落としていた山県久美子は、入ってきた客に対応するべく顔を上げた。
「あ…。」
そこにはどこかおどおどとした様子の岩崎と長谷部があった。
「うわ〜嬉し〜い。」
アルバイト店員が岩崎の側に寄って行った。
「ウチの服着て来てくれたんですね。やっぱりすっごい素敵ですよ〜。」
「あ、ありがとうございます…。」
顔を赤らめた岩崎は落ち着きがない様子であった。

「いい?私があなたにお願いしたいのは、その子がまたそこに来たらあなたが直接接客して、この世界は別に怖くないよって感じで、その子の警戒心を解いてあげてってこと。」

台帳をしまった久美子はさり気なくバイトと二人の間に入り込んだ。
「いらっしゃいませ。店長の山県です。」
久美子は岩崎に頭を下げた。
「あ…。」
「昨日はありがとうございました。オーナーから聞いています。」
「あ…ええ…。」
「今日は京子ちゃんに変わって、私が提案させていただきますね。」
ニッコリと笑った久美子の笑顔に、岩崎も笑顔で返した。
「え?京ちゃん?」
「あれ?この方も京子ちゃんのお友達?」
「あ、はい。」
「なんだ、みんな仲いいんですね。」
「え?岩崎さん、昨日、京ちゃんとここに来とったん?」
岩崎は頷いた。
「ちょっとお洒落の勉強をしてみたいんだよね。そうオーナーから聞いてますよ。」
「そうやったんや…。」
「昨日ね、京子ちゃんにこの店に連れてこられて、今の私の服装コーディネートしてもらったの。これは私じゃなくって京子ちゃんの作品。」
「何言ってるんですか。確かにコーデは京子ちゃんによるものやけど、映えとるのは岩崎さんやからですよ。」
「そんなことないです。」
「そんなことある。」
久美子は長谷部を見た。
「ね。」
「あ…はい。」
「ほらね。」
ニコリと笑った久美子は2人にソファに掛けて待っててと言い、店内の洋服を物色し始めた。
「私、正直洋服なんて興味なかったの。」
「え?」
「長谷部君が言ったとおりよ。どちらかって言うと私、フィールドワークの方が性に合ってる。それか何処かに腰を落ち着けて行き交う人をスケッチするとか。」
「あ…この間見せてくれたあれ。」
「うん。」
「じゃあなんで。」
「なんだろう。ほら、こういったら何なんだけど、長谷部君たち私の下手くそな絵、評価してくれたじゃない?」
「下手くそなんかじゃないよ。真面目に上手いよ。ってかイラストって面白いもんやなって思った。」
「ありがとう。私もそれと一緒よ。」
「一緒?」
「洋服に気を使うなんて何かチャラチャラしてる感じで全然興味なかった。むしろ軽蔑さえしていた。なのに、ひょんなきっかけで京子ちゃんにコーディネートしてもらって見方変わったの。」
「へぇ。」
「食わず嫌いだったってことか。」
「…うん。」
「決め付けって良くないね。今日はお店の人を別の目で見ることができる。」
長谷部は岩崎を見た。彼女の視線は店内を物色する久美子の姿を追っていた。
今日の久美子はカーキのスキニーパンツにグレーのTシャツ。至ってシンプルな出で立ちだが、足元は黒のハイカットスニーカーで外しを入れている。時折その長い髪の毛を手で掻き分けるさまが大人の女性の魅力を醸し出す。
「素敵だなぁ。」
岩崎は呟いた。
「…俺は、今日の岩崎さんも素敵やと思うよ…。」
「そんなことないよ。」
「いや、見かけだけじゃないよ。」
「え?」
「新しい何かに巡りあって、それにときめく人って見てて気持ち良い。」
何点かの洋服を抱えた久美子は岩崎に試着を勧めた。

「社長、そろそろ出ないと。」
アサフスで今日の通夜に使用する花の準備に追われていた山内美紀は、店の奥で携帯電話を見ていた赤松剛に声をかけた。
「あ、ああ…。そうやな。」
「どうしたんですか。社長。今朝から何かちょっと変ですよ。」
「あ?変?」
「ええ。」
「…そうかな。」
「何か、暇さえあれば携帯見てます。」
「あぁすまん。」
赤松はそれをポケットにしまった。
「美紀。」
「はい。」
「佐竹はどうや。」
「え?」
「何か変わったことないか。」
「えぇ…あ、この前ちょっと精神的に不安定になってましたけど、ちゃんと会社にも行ってるみたいなんで大丈夫なんじゃないですか。」
「今日も会社か?」
「そうですけど。何か?」
「…いや、なんでもないよ。」

臨時休業の張り紙がされたセバストポリの駐車場に1台の軽自動車が入ってきた。駐車場には1台の車もない。エンジンを切り車から降りたスーツ姿の男は、何も躊躇うこと無く鞄を抱えて店の裏側の通用口の前に立った。
瞬間扉は開かれた。
「ようこそ。中で待ってるよ。」
店主の野本は真っ暗な厨房を経由して誰も居ない店の中に男を招き入れた。
奥の席に男が座っていた。彼はスーツ姿の男に向かって手を上げた。
「やぁ佐竹さん。」
「古田さん。」
佐竹は古田の前に座った。
「銀行員が持っとる大きめの鞄にスーツ。どう見てもこのセバストポリに集金かなんかで来た体ですな。」
「いちおうそれらしく振る舞ってるんです。」
古田はニヤリと笑った。
「まぁ今日はくだらん世間話は無しで行きましょうか。」
「はい。」
「昨日、十河と接触したとか。」
「はい。」
「あらかた聞いたらしいですね。」
「ええ。」
煙草をくわえた古田はそれに火をつけ深く吸い込み、そして吐き出した。彼が吐き出す煙草の煙の一部がダウンの照明の中に揺蕩う。
「それは…。」
「あぁ、これね。」
そう言うと古田は手にしていたジッポーを佐竹の前に差し出した。
「村上の形見ですよ。」
「…やっぱり。」
「こっちも聞きましたよ。」
「あぁアレのことですか。」
「はい。」
佐竹も煙草を吸い出した。
「目ねぇ。」
「...えぇ。」
「佐竹さん。ひとつ確認してもいいですか。」
「なんですか。」
「あんた、本気でケジメをつける覚悟ありますか。」
「…もちろんです。俺だけじゃない。今ここにいない赤松もです。」
「もしものことがあるかもしれませんよ。」
「もしものこと?」
「あんたら2人だけじゃない。あんたらに関係する身内の連中にも危害が及ぶ可能性がある。」
「…。」
「それも承知であんた突っ込めるか?」
鋭い目つきで古田は佐竹を見る。ものの3分ほどその場に沈黙が流れた。
「今ならまだ引き返せる。」
佐竹は煙草の火を消し、村上のジッポーライターを手にした。
「ベストを尽くしてくれるんですよね。」
「ん?」
「警察はベストを尽くしてくれるんですよね。」
「警察ね…。残念ながら警察自体は当てにならん。」
佐竹はため息を吐いた。そして手にしていたジッポーライターを見つめた。
「じゃあ古田さん、あなたは?」
「ワシ?」
「古田さん。あなたはどうなんですか。」
古田は苦笑いを浮かべた。
「ワシひとりの力なんかははちっぽけなもんですよ。」
手にしていたライターをそっと置いた佐竹はゆっくりと口を開いた。
「充分ですよ。それで。」
「何故?」
「俺はあなたを信用している。」
「ふっ。」
「勝ち目のない戦を仕掛けるほど、古田さん。あなたは馬鹿じゃない。この店に俺を呼んだってことはどういうことか何となく察しがついています。ここまで来て俺を試さないでください。俺はあなたに賭けたんだ。」
煙草の火を消し、古田は両手を握って佐竹に改まって向き合った。
「佐竹さん。熨子山事件は解決に至っとらん。」
「…。」
「どこかのタイミングであなたにはあの事件の真相を話さんといかんと思っとった。」
「…。」
「その時が来たんやわ。」
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2015年12月21日

73 第七十話



「…講義びっしり入ってるんじゃなかったの?」
「あ?…まぁね。」
笠舞のショッピングストアで岩崎を拾ってからというもの、長谷部は彼女を直視できないでいた。無理もない。隣りに座る彼女の姿は彼の知る岩崎ではなかったからだ。そう、昨日の晩に京子にコーディネートされた装いであったからだ。もっさりとした髪の毛も綺麗に頭頂部でまとめられている。長谷部の車は、宛もなく金沢市内を走っていた。
「…どうしたん。」
「何?」
「なんかいつもと全然違うから…。」
「変かな。」
「いや…そういう意味じゃなくって、なんちゅうか別人みたいやよ。いい意味で。」
「…ありがとう。」
「なんかモデルみたいやわ。」
「やめてよ。そんなすごい人と一緒にしないで。」
「いや、お世辞抜きですっげぇ綺麗やわ。」
岩崎も長谷部と決して目を合わせなかった。
「…ごめん。」
「何?」
「なんか俺、そっけないレスしてしまって。」
「…。」
車内は沈黙した。沈黙を破ったのは岩崎だった。
「…こっちこそごめんなさい。」
「え?」
「昨日なんて何回もメールくれたのに、ほったらかしで。」
「あ…そ、そうやったね。」
再び車内は沈黙した。
「あの。」
「あの。」
「あ、どうぞお先に。」
「え…そちらからどうぞ。」
なんとも絵に描いたような間の悪さである。2人は自然と笑みを浮かべた。
「どうしたん?昨日学校来とらんかったんじゃないけ。」
「え?」
「岩崎さんが学校サボるって珍しいから、ひょっとしてなんか身体壊したんかと思った。」
「…ううん。身体壊しそうだったから予防で休んだの。」
「へぇ…。なんかしっかりしとるね。」
「そうかな。」
「そうやって。普通は熱出して身体どうにもならんから休むってもんやけど、未然に休むって…なんか岩崎さんらしいわ。」
「体調管理よ。」
「お、おおう。」
「長谷部君に疲れているところ見抜かれちゃったしね。」
「…そうやったね。」
「今日はちょっと気分がいいの。だから長谷部君に連絡した。」
「そしたら今度は俺がつっけんどんなレスか。」
岩崎はクスリと笑った。
「ねえ。」
「ん?」
「長谷部君はなんで私が疲れてるって分かったの。」
「え?」
「私、長谷部君とこの前のコミュで初めて話しただけなのに。なんでそんなことまで分かったの。」
唐突ながら本質を突く質問に長谷部は答えに窮した。

「多分、岩崎さんはお前の事気にしとるぞ。」
「…。」
「気にしとるからお前にあっちから連絡してきたんや。」

「学校に居る時の岩崎さんと、何か違っとったから。」
「え?どういうこと?」
「ほら、岩崎さんって学校じゃ基本的に誰ともつるんでないがいね。それなんにあのコミュの中じゃハキハキしてその場仕切ってさ。正直、岩崎さんの別の一面見て、俺あっけにとられた。」
「ふうん。」
「でもさ、何か違うんげんて。」
「何が?」
「何か、無理しとるように見えた。」
「え…。」
「岩崎さんは気がついとらんかもしれんけど、時々顔に出とったよ。」
「顔に?」
「その場におる参加者のみんなは、自分の身の上話を聞いて欲しくて仕方が無い。ほやから他人がどんな状態にあるか見えんがんかもしれん。ほやけど、ほら、俺、見学しとったがいね。離れて岩崎さんの様子を観察しとると、ふとした瞬間に疲れた感じが出とった。」
「…そうなの…。」
「で、ひょっとして無理しとるんかと思って、岩崎さんを出待ちして声掛けたんやわ。」
長谷部がこう言って車内は再び沈黙した。
「はははは。」
突然長谷部は笑い出した。
「嘘や嘘。」
「え?」
「ごめん。岩崎さん。俺嘘言っとった。」
「え?どういうこと?嘘?」
「あー嘘って言ったらなんか違うか。」
「はい?」
「岩崎さんに言っとらんかったんやわ俺。」
「…何を。」
「俺、相馬送ってからあそこに張り付いとってん。」
「え?」
「遠くの物陰に隠れてコミュの運営側の人らが集まって、なんかえっらい怖い顔してミーティングしとるの。」
岩崎の表情が変わった。
「え?見たの?」
「ああ。何話しとったんかはよく分からんけど、インチョウがさ、岩崎さん指差してなんか言っとった。んで、岩崎さんがっくり来とったん見てん。」
「…そう…見ちゃったのね…。」
岩崎の声に元気がないのを感じ取った長谷部は、助手席の彼女をちらりと見た。彼女は窓の外を眺めていたので、その表情は窺い知れない。
「岩崎さんがコミュの運営の中で何とちったんかは分からんけど…。俺…そんときこのままやといかんって思った。」
「どういうこと…。」
「好きになった女の人が元気を失くしとる。そんなの目の前にして放っておけっかいや。」
瞬間、岩崎の脳裏に相馬の声が再生された。

「他人を好きになることに理由なんかない。好きになってしまったらその相手を所有したい。所有したものは大事にしたい。大事にするには相手のいろいろな問題を解決したい。若しくは手助けしたい。そのために相手を知りたい。その相手が何故か惹かれた浮かない顔をしとる。現状を把握してその問題を少しでも解決させたいって気持ちが、長谷部の観察眼を研ぎ澄ませた。そんなところじゃないんかな。」

「好き…か…。」
「…ああ。」
「…どんな感じなんだろうね。」
「え?」
「私、そういうのよく分からないの。」
「あ…あぁ…。」
「だって私、長谷部君のこと何にも知らないもん。」
長谷部は黙った。
「多分、長谷部君も私の事、何にも知らない。」
この流れ、やんわりと断られるパターンではないか。長谷部の心臓が激しく脈打った。
「だから、ちょっと出かけようよ。」
「…え?」
「私、今から言ってみたい所あるの。」
「あ…え…?」
「ひとりで行くのちょっと勇気いるから、長谷部君も付いてきてくれるかな。」
窓の外を見ていた岩崎は初めてその顔を長谷部に向けた。笑顔の彼女の頬には一筋の何かが流れた跡が見受けられた。
「ちょ…あ…うん。」
長谷部はハンドルを切って一路金沢駅方面に舵を切った。

市立図書館のソファに腰を下ろす相馬卓の姿があった。携帯電話を操作した彼は軽く息を吐いて、傍らに置いてあった情報技術系の専門書を開いた。

「再在我面前不要给村上的名字 (俺の前で二度と村上の名前を出すな)。」

「なんであんな事言うげんてぃや…。」
卓の腕が震えたため、彼は時計に目を落とした。
橘からのメッセージだった。
「メールありがとうございます。仕事が急に忙しくなってしまって、暫くあなたと連絡が取れないことになりました。機会を見て連絡します。」
卓はそれに了解とだけ返信した。
携帯電話を手にして、彼は橘に送ったメールを眺めた。
玄関前に立つ鞄も何も持たないネクタイ姿の男の写真。
扉が開かれて、その中に入る瞬間の写真。
女が部屋のカーテンを閉める写真。
その家を立ち去る際に振り向く姿の男の写真。
これらが連続して添付されている。テキストは本日11時52分から1時間の様子とだけあった。
その画面を隣からさり気なく覗き込む男の姿があった。
「いっその事、あの家の様子を監視できるようにあそこにもカメラ常設すればいいんじゃないですか。」
「…。」
「あ、でもそうなると俺に定期的に金を払う理由がなくなりますか。」
「まぁ…。」
「じゃあなんであの人は村上さんを…。」
ランウェア姿にキャップを被った男は卓と目を合わせること無く立ち上がった。
「本当のところはワシにも分からんですわ。」
卓は肩を落とした。
「橘さんも偉くなったら急にそっけない態度ですよ。」
「その人は多分、いま身動きが取れんがでしょう。」
「え?」
「人は必ず報いを受けますよ。」
アキレス腱を伸ばす彼のランニングシューズにはT.Fの二文字が刺繍されていた。
「いや、受けさせる。」
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2015年12月14日

72 第六十九話



人里離れた山間の公園に車を止め、タブレット端末を抱えて画面を見つめる男がいた。
「何が楽しくてこんな仕事してるのかな?」
こう言って男はおもむろにベルトを外しだした。そして陰部に自らの手をあてがって自慰行為を始めた。
端末の画面には山県久美子が勤務する店を俯瞰でおさえる映像が流れていた。彼は画面をピンチアウトして久美子を拡大した。俯瞰で捉えるそれは久美子の胸元を的確に抑えた。その時である、彼は手を止めた。
「チッ。」
何が彼をそうさせたのか、男は行為を中断して身を整えた。
「興ざめだよ。」
助手席に置いてあった携帯電話が震えた。
「なんだよ。空気読めねぇ奴ばっかだな。」
男はやれやれといった具合でそれを手にした。
「何だよ。」
「仕事がある。」
「今度はあんたかよ。」
「駄目か。」
「駄目じゃねぇけど。」
「じゃあ頼まれてくれ。」
「内容によるな。たて続けにしくじるわけにもいかんだろう。」
電話の向こう側の声は無言になった。
「早く言えよ。俺はいま、虫の居所が悪りぃんだよ。」
「…能登イチにあるものを届けて欲しい。」
「…能登イチ?」
「ああ。」
「何を届けるんだ。」
「それはお前に言う必要はないだろう。」
「…分かったよ。で、どうやって誰に届ける。」
「駅のコインロッカーにブツが置いてある。そいつをあの施設の予備電源の側に設置しろ。」
「設置…。はっ、何言ってんだよ。そりゃ届けるって言わないだろう。」
男は鼻で笑った。
「方法は鍋島、お前に任せる。」
「情報が足りない。」
「長尾が持っていた能登イチの敷地図もそこにある。」
「バカ言え。セキュリテイがあんなに厳しいところに俺が潜入できるかよ。リスクが大きすぎる。」
「何言ってるんだ。お前の能力を持ってすれば簡単なことじゃないか。」
鍋島は黙った。
「あんた。本気か。」
「ああ本気だ。お前、今川さんにいっちょ前に説教たれたらしいな。」
「なんだ知っていたのか。」
「悪いが俺らは本気だよ。お前が言ってるようなお遊びじゃないんだ。」
「はっ…しかし俺頼みってところが、あんたらの計画の杜撰さを表していると思うぜ。」
「何?」
「あんたらの計画は俺あってのもんだ。もう少しリスクヘッジしたほうが良いと思うぜ。」
「鍋島。」
「あん?」
「もう少し謙虚になれ。」
「何だよ。いまさら。」
「お前の態度如何で代わりの人間に依頼することになる。」
「代役だと?」
「それが意味するところは分かっているだろうな。」
鍋島はまたも黙った。
「お前に言われるまでもない。こっちはこっちでリスクはヘッジしている。お前こそ自分の立場をわきまえろ。」
「…ふっ。お得意の内ゲバかよ。」
「何言ってんだ。お前がやっていることも同じようなもんだろう。」
タブレット端末に目を落とした鍋島は、久美子の姿を眺めた。
「なぁお前は憎いんだろう。」
「何がだよ。」
「出生の違いだけで天と地の程のハンデを背負わされて生きてきた自分。その一方で、たいした苦労もすること無く普通に周りと同じ生活を営むだけで、それなりに生きて行けている平々凡々とした連中。そいつらが憎いんだろう。同じ日本国民でありながらこの差は一体何だ?」
「今更それをぶり返すか…。」
「そんな存在があるだけでも憎いのに、あろうことかお前に仲間であると振る舞う奴が居る。初めはお前をいじめていたくせにだ。いっちょ前に説教たれたり、お前の生き方の軌道修正を図ろうとする奴が居る。そういう存在が憎くて憎くて仕方がないんだろう?」
「…。」
「お前の能力は素晴らしい。お前は賢い。お前の判断はいつも正しい。それなのにそれに異を唱える、能力が劣る存在がある。よく分かるよ。お前の気持ちが。無能な奴は有能な人間に付き従っていれば良いんだ。それがでしゃばって多数決なんて衆愚を持ち出す。民主主義とかくだらんことを言うが、それは自分の判断や決定に責任を負えないものが持ち出す、合理という名の詭弁さ。なんでそんなものにお前がおもねらないといけないんだ?お前のほうが優性なのにだよ。…そう、お前は生まれながらのマイノリティだからだよ。結局は生まれた環境が決定的に違うからなんだよ。」
「なんだ珍しく雄弁だな。」
「お前は愚かな連中の生活を無茶苦茶にしたかった。しかしただそれを単に実行してはつまらない。だからお前はまず赤松の親を殺した。そしてその家庭を壊しにかかった。しかしそこに一色という邪魔者がまたも割り込んできた。くだらん正義感を振りかざしてな。」
「そうだな。」
「どうしようもない愚か者だよ奴は。高校時代に個人戦で最も優秀な成績を収めることができたお前と比べて、あいつは何の成果も残していない。部内の連帯とかを重視するあまり、団体戦では地方大会で2位止まりだ。個人戦なんかは地方大会でベスト4がいいところだ。そんな男が何の学習もせずに、いい年になっても張り切って正義正義。うざくてうざくて仕方が無い。だからお前はそのタイミングで奴に地獄を味あわせてやろうと判断した。」
「もう良いだろう。下間さんよ。ここでそんなことおさらいして何の意味があるんだ。今の俺はそんな昔話に付き合うほど心のゆとりはないぜ。」
「お前は当時の一色のフィアンセを犯し、孕ませた。」
「何言ってんだ、あんた。」
「ファクトだよ。ファクト。俺はお前の全てを知っている。そして理解者でもある。」
「けっ。」
「何度も言う。お前は賢い。お前は村上を利用した。村上の指示を受けて、一色の捜査を撹乱させるために行動に及んだように見せかけた。久美子の強姦は自分の意志によるものであったにもかかわらずだ。さらにその場に穴山と井上という第三者を居合わせて洗脳させ、あたかも彼奴等が自分らでやったもんだと思い込ませた。つまりお前の背景にはお前を利用する誰かが居るかのように演じた。」
鍋島はため息をついた。
「最終的にはお前は憎き一色を自らの手で殺し、村上もその手で葬った。」
「あぁそうだ。」
「かつては同じ剣道部で共通の目的を有していながらも、その内部でゲバルト。これを内ゲバと言わないでなんて言うんだ?鍋島?おい。」
「お仕置きだよお仕置き。」
「はっ、言い換えただけだろ。結局のところお前も人のことは言えないってことだ。」
鍋島は苦笑いをした。
「佐竹と赤松が接触しているらしいな。」
「ああ。」
「どうするんだ。」
「そりゃあもう。」
「好きにすればいいがな、あまり派手なことはするなよ。」
「あんたの忠告だ。一応聞いとくよ。」
「素直だな。いいことだ。」
「しっかし、下間さん。あんた喋り過ぎだよ。無口なあんたがどうしたってんだ。」
下間は黙った。
「事を目前にして気持ちでも高ぶっちまったか。」
「鍋島。お前とは昨日今日知り合った仲じゃない。お前という人間の存在を確認する意味で話させてもらった。」
「なんだよ。」
「能登イチの件、しくじるなよ。」
「…あぁ分かったよ。」
「よろしい。素直が一番だ。」
電話を切った鍋島は再び画面に表示される久美子を見つめた。彼女の首元に光るネックレスが彼の感情を高ぶらせていた。
「一色…。」

「ちょっと出てくる。」
総務部のスタッフにこう言うと、仁川はオフィスを後にした。
ビルのエレベータに乗り込むと彼は携帯電話を取り出して、内輪だけのやり取りができる、自前のSNSアプリを立ち上げそこに目を落とした。
〜以下スレッド内容〜
「ムカつくわ。」
「何がよ。」
「昨日の能登イチのニュース見た?」
「あぁあれね。いつもの感じじゃん。」
「市民の声は声として受け止めるが、現状は運転を止める意志は微塵にもないってよ。なんで石電ってあんなに上から目線なん?」
「俺らの電気を作るために、能登イチ周辺の住民を危険にさらすなんてな。」
「火力で賄えるなら火力でいいやん。なんで原発にこだわるの?」
「あいつら目先の自分らのカネのことばっかだよ。結局自分らだけが潤えばそれで良いんだよ。」
「まさにブルジョアジーだ。」
仁川は笑みを浮かべた。
エレベータの扉が開かれ、彼はビルから外に出た。
「今日のコミュって何か聞いとる?」
「いや。でも幹部だけの秘密会でしょ。」
「え?俺、一般のやつもあるって聞いたんやけど。」
「え?そうなの?」
交差点で立ち止まった仁川は携帯を操作した。
「そうだよ。二本立て。」
信号が青になって彼は歩き出した。彼の書き込みに反応してレスが返ってきた。
「あ、インチョウだ。」
「インチョウ。今日の一般のコミュって告知も何もしてませんけど、どうするんですか。」
「一般は君たち以外の人間に仕切らせる。君たちは秘密会だけでいいよ。」
「え?誰に?」
「心配はいらない。」
こう書き込んだ仁川は腕時計に目を落とした。時刻は15時だった。
「もうすぐ48時間だよ。バギーニャ。」
posted by 闇と鮒 at 00:00| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

71 第六十八話



「山県久美子を雇うように古田さんに働きかけられた?」
「そうよ。熨子山事件の後、あの人ここに来て私に写真一枚見せて、この女雇ってくれないかって。」
「え?マスターは久美子と既に面識があったんですか?」
森は首を振った。
カウンター席に移動した岡田は出されたサンドイッチを頬張った。
「トシさんから久美子の事聞かされたときは、そんなひどい事って本当にあるのって感じで、半信半疑だったわ。」
「あ、ええ…。」
「けど、あの娘に実際会ってみるとそれが本当の事だったんだってすぐに分かったの。あの子の顔から表情が無くなっていたもの。」
「…そうでしょうね。」
「悪魔みたいな連中に弄ばれるだけでもとんでもない心の傷を負ってるっていうのに、その悪魔たちを懲らしめようと動いていた久美子の彼が、あいつらに返り討ちにされたんだから。」
森は細身のタバコを吸い始めた。
「私ね。こう見えても子供いるの。」
「あ…え?」
「女の子よ。今は東京の大学行ってそっちで就職してるけどね。」
「じゃあ…。」
「そうよ。当の本人が本当のところどういう感情を持っているか理解はできないけど、あの子の親の気持ちは痛いほど解る。この子をこのままにしておけば、本当に流れに任せて久美子は廃人になってしまう。ひょっとしたら自ら命を断つなんてことも考えられるわ。久美子がそうなってしまうと彼女の親はもちろん、死んでしまった彼も浮かばれない。それだけはなんとかできないかしらって。」
森はコーヒーに口をつけた。
「でも今まで会ったこともない赤の他人の面倒を私が見るなんて、ちょっと難しいじゃない?」
「そうですね。寧ろそれだけ心の状態が重症な人には然るべき病院の方がいいような気がします。」
「そうね。それが常識よ。でもね。」
「はい?」
「トシさんは久美子のことを全部調べた上で、雇ってくれって言ってきてたの。」
「と言うと?」
鍵が掛かった引き出しを開き、森は中から封筒を取り出した。
「御覧なさい。」
岡田は封筒を手に取った。中にはびっしりと書類が入っている。彼はそれらに目を通し始め