2015年11月30日

70 第六十七話



「Вы есть то, что?」
「Вы что-нибудь делать в спешке」
「понимание」
「Это хорошо в Юрий」
「Да, сэр」
録音された音源を聞いていた片倉はヘッドホンを外した。
「で、下間は何って言っとるんや。神谷。」
「話し口調から、目上の人間と会話をしているようです。内容は『どうしました?』『何を急いでいるんですか?』『了解』『悠里でいいですか』『かしこまりました』って具合です。」
片倉は頭を掻いた。
「あいつらにとって優先順位がそこまで高くなかったことを、急遽実行することにした。その実行には下間悠里が充てられる。ってことか。」
「悠里といえばコミュです。と言うことはこのコミュで予定外の動きがあるということでしょうか。」
「わからん。」
片倉は六畳間の畳の上に寝転がった。
「通話そのものが傍受できれば変な詮索しなくていいんですけどね。」
「しゃあねぇ。俺らは何か特定の事件の捜査を行っとるわけじゃない。水際捜査に通信傍受なんかこの国は認めてくれんがや。」
「さっさとスパイ防止法みたいのを成立させてくれませんかね。窮屈で仕方ないですよ。」
「スパイ防止法ね…。」
片倉は天井からぶら下がる電灯を眺めた。
「あと一歩やったんや…。」
「え?」
「神谷。おめぇさんがいくつの時か知らんけど、昔な、その法律の成立に体張っとった人がおったんや。」
「えぇそういう動きが国会にあったのは知っています。」
「俺はその運動の中心メンバーを知っとる。」
「え?そうなんですか。」
「あぁ。その人は根っからの保守思想の持ち主やった。」
「興味あります。聞かせて下さい。」
片倉は良いだろうと言い口を開いた。
「1968年。学生運動華やかなりしこの時代、その人は東京第一大学の学生やった。各種メディアに触れとると、その時代の学生さんはみんなその手の運動にのめり込んどったって思うかもしれんけど、それはごく一部インテリ層による運動やった。よって大半の人間はその運動には冷ややかな対応をしとったんや。」
「じゃあなんで、よくヘルメット被ってゲバ棒持った人らが警官隊と衝突する姿をテレビはいつも流すんですか。」
「だから言ったやろ。あの時の強力な運動家は一部のインテリ層やって。そのインテリが何十年か経って社会の主要ポストについて、あの頃の俺らはって感じで昔を懐かしんどるだけや。武勇伝、武勇伝。」
「はぁ…。」
「まぁその運動を冷ややかな目で見とったのが、その人。仮にこの人をAさんとしようか。」
身を起こして片倉は煙草に火をつけた。
「Aさんは当時から左翼革命勢力による日本への間接侵略に危機感を持っとった。純粋な人間は振れ幅が大きい。Aさんはそいつらと対局の右翼思想に傾倒した。」
「極端ですね。」
「しかしその右翼勢力もある事件をきっかけに、社会的に否定された。ほらお前も見たことあるやろ。」
「あぁ立てこもる感じですか。」
「そうや。Aさんはその手段があまりに拙速で幼稚であると判断し、現実路線を歩むことにした。日本政府の中枢に入り込んで、左派勢力の抑えこみを図ろうとしたわけや。月日は経ち、Aさんは見事警備局の主要ポストに就いた。そんな矢先、東京地下鉄爆破テロ未遂事件で国際テロ組織ウ・ダバのメンバーが一斉検挙。世論はたちまちインテリジェンス機能の強化を望みだした。ここでAさんは念願のスパイ防止法を起案。世論を味方につけてその法案は順当に成立するかと思われた。しかしここで予期せぬ出来事が起こる。」
「なんですか?」
「政治家や政治家。」
「え?」
「野党の左派勢力がこの法案に賛成しないのは当たり前。ほやけど敵はむしろ与党にあった。」
「どういうことでしょうか。」
「票にならんがや。」
「あ…。」
「票にならんもんを敵作って無理やり通して変な反発を買いたくないっていうヘタレ根性や。法案を国会に提出すると日本国内における左派勢力の声が大きくなる。んで、それに便乗する形で近隣諸国の反日運動がお盛んになる。結果、友好関係の毀損。経済的にも悪い影響が出る。これが嫌やったんや。」
「そんな…。」
「まぁあの時代は近隣諸国の経済力の台頭が目立っとった時代やったしな。日本の景気回復はそれらの国に寄って立つところが大きかった。あんまり外交上で波風を立てたくなかったんや。」
「大人ですね。」
「さあな、大人かどうかは俺はわからん。まぁそんなこんなでAさんの企みは反対多数で否決。Aさんは失意のうちに中央から去ることになったってわけや。」
「何か、皮肉なもんですね。」
「そうやな。」
「そのAさんは今、どこで何をしてるんですか?」
煙草の火を消した片倉は凝った肩をほぐすために、首を回した。
「神谷。俺さっき言ったやろ。」
「え?何のことですか。」
「ほら純粋な人間は振れ幅が大きいって。」
「振れ幅?」
「その人はいま、レフトを守ってるよ。」

金沢駅構内の喫茶BONの片隅に岡田の姿があった。携帯の液晶画面を指でなぞり、無心で何かのゲームをする彼の傍らには求人誌があった。
「勤務中の久美子は大丈夫や。今のところお前があいつを監視せんでもいい状況になっとる。」
「え?」
「ほやけど休みの時の久美子の動きまでは追えん。そこはお前がしっかり見守ってやれ。」
「ほんなこと言われたら俺のすっ事なくなれんてなぁ。」
誰に言うわけでもなく彼は呟き、時計に目をやった。
7月16日水曜日。時刻は正午である。監視対象の山県久美子は今日は出勤している。彼女は父が運転する車でここに隣接するファッションビルに送られた。彼女がビルに入るところを確認して岡田はここにいた。既にそれから4時間が経過しようとしていた。コーヒーは3杯おかわりした。さすがに意を痛めつけている。コーヒー・煙草、コーヒー・煙草の繰り返しは確実に彼の心身を蝕み始めていた。
「すいません。」
岡田の呼びかけに森が応じた。彼はオーダーシートを手にして岡田の前に立った。
「ご注文?」
「ここってランチとか無いんですか?」
「ランチ?」
「ええ。」
「ごめんなさいね。ウチは飲み物とケーキぐらいしか用意できないの。」
なるほど。昼時にもかかわらずこの店に人気がないのはそういった理由からか。店内を見回した岡田は納得した。
「じゃあ何かサンドイッチみたいなもんはできませんか。」
「できないこと無いけど…。」
「じゃあお願いします。」
「お客さん。がっつり食べるなら駅の中にもいろいろお店はあるわ。お昼ごはんを適当に済ますのはからだに悪いわよ。」
「いいんですよ。ここで。」
「なんで?」
「ここが一番落ち着きそうや。」
「あらまあ。」
森はまんざらでもない表情を見せた。
「お客さん。見かけない顔だけど、どうしたの?朝からずっとここに居る。」
「あぁ、まぁちょっとね。」
店の電話が鳴ったため、森は奥に引っ込んだ。森の後ろ姿を目で追うと、カウンター席の側にマガジンラックがあることに気がついた。この店に来てから持参した文庫本を読むか携帯電話でゲームをするかの2つのことしかしていなかった彼は、そのマガジンラックに収められている雑誌に一風変わった何か面白い情報はないものかと物色することにした。
雑誌類は漫画雑誌と週刊誌、地域情報紙であった。岡田は漫画雑誌を定期的に読んでいない。読み切りの漫画がそこには掲載されていないことを知ると、彼はそれを片付けた。次に週刊誌。大物女性アイドルのスキャンダルらしき記事タイトルが目を惹く。しかし岡田はその手の芸能関係には疎いため、それ以上手が伸びない。止む無く関心もないのだが、地域情報紙を手にしてそれをパラパラと捲った。「美モテ夏女」と銘打った、レディスファッションの記事に目が行った。そこには聞いたこともない不自然な日本語が飛び交っていた。「ゆるふわパーマでモテ度アップ」とか「この夏マストバイのオールインワンとセットアップ特集」とかその手の業界に感心を示さない男にとって正に意味不明な言語である。理解不能と判断した岡田はそれをたたんでマガジンラックにしまおうとした。
「だめよ。」
森が電話越しに誰かを窘めていた。
「なんでって…。ダメなもんはダメなの。」
岡田は耳をそばだてた。
「あの娘はそうやって表にあんまり出したらダメなの。ようやく服の世界にちょっとだけ興味をもったんだから、そっとしておいてよ。久美子。」
「久美子?」
ふと何かに気がついたのか、岡田は再度地域情報紙を開いた。そこには県内のアパレルショップのオーナー達が今年の夏イチオシ商品を自分の店からピックアップしている記事があった。その中のひとつに森が写真付きで載っていた。
「え?」
森の写真の横には店の外観が掲載されている。それは久美子が勤務するショップと同じものだった。
「いい?私があなたにお願いしたいのは、その子がまたそこに来たらあなたが直接接客して、この世界は別に怖くないよって感じで、その子の警戒心を解いてあげてってこと。」
ー警戒心を解く?
「売りつける感じはダメよ。こんな世界もあるッて感じでいろいろ試させてあげて。極論したら売らなくてもいいわ。」
ーなんや、誰のこと言っとるんや。
「何?私、変かしら?ふふっ…ごめんね、ちょっと入れ込んでるの。久美子には関係ないわ。」
森は意味ありげな笑いをこぼした。
「確かにあの子はここらへんにはいない綺麗な子よ。だからって言って若葉マークの子にいきなりモデルってのは、あなたこそどうかしてるわ。はじめてこの世界の扉を開こうって子には、それなりに丁寧な対応しないと。これからのお客さんを逃しかねないわよ。」
ーモデル?
「いい?わかった?わかったらそんな感じで対応してね。え?…たぶん今日ぐらいにまた来るわよ。」
森は電話を切った。
「モデルってなんですか?」
「うわっ。」
岡田の存在を忘れていた森は思わず素の声を出してしまった。
「な、なによ…ひとの電話盗み聞きかしら。」
「ぁあ、別にそんなつもりはなかったんやですけど。」
咳払いをした森はサンドイッチの用意を始めた。
「…久しぶりに見たの。」
「何をですか。」
「誰が見ても綺麗だなぁって思うような女の子。」
「へぇ…そんな人っているんですかね。」
「あなたまだ見たことないのよ。パッと見は地味そのものなんだけど、原石っていうのかな。磨いたら宝石みたいに輝く可能性を秘めている子。」
「あぁそれで若葉マークってことですか。」
「まぁ。」
「いいですね。俺も見てみたいですわ。その純粋に綺麗な子ってのを。」
「見れるといいわね。」
「え?今日ぐらいに来るんでしょ。」
「え?」
岡田は雑誌の中の森が掲載されているページを開いて見せた。
「ここでしょ。マスターの店。」
「あら…わかっちゃったかしら。」
「はい。山県店長のことをちょっと伺ってもいいですか?」
森の手が止まった。
「ひょっとして、あなた警察の人?」
「いいえ。」
「じゃあ警備会社の人かしら。」
「そうです。」
「…トシさんから聞いてるわ。」
「え?」
「私もあなたに話があるの。」
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2015年11月23日

69 第六十六話



「はぁ!?」
「何ぃや…。」
「ちょ…お前、今なんて言った?」
キャンパス内の休憩所。自販機で飲料を買う相馬の横で長谷部が大きな声を出した。
「…だから、俺ら付き合うことになった。」
手にしていた紙製のカップを思わず落としそうになった長谷部の表情は呆然としたものだった。
「あ…そう…。」
「なにぃや、その気のない返事。」
「よ、良かったな…。」
「あぁ…。」
紙コップに口をつけて長谷部は近くのベンチに腰を掛けた。
「それにしてもいきなりやな。」
「まぁ、タイミングやわ。」
「何やったけ。お前ら高校からやったっけ?」
「…正直いつからあいつのことが気になっとったんか分からんげん。」
長谷部はフッと笑った。
「まぁ良かったいや。お前なら俺は文句言わんわ。」
「はぁ?文句?」
「お前も知っとるやろ。京ちゃんは人気もんや。見た目も性格も可愛い。」
相馬の脳裏に片倉京子の姿が浮かんだ。誰が見ても可愛らしい外見。そして服装も洒落ている。それなのに話しやすい。どう考えても倍率が高い女性だ。
「かくいう俺もファンのひとり。」
知っている。相馬は京子から聞いていた。長谷部に誘われた事があると。そしてキモいと一蹴した事も。
「お前でよかったわ。そこら辺の意識高い系とかオラついたチャラ男とかに持ってかれると、京ちゃんってそっち系なんけ?ってなって俺立ち直れんかったわいや。」
「ほうかね。」
「なんやかんやって言って、あの娘のどっかにはいつもお前の存在があった。」
長谷部のこのセリフに相馬は猛烈に気恥ずかしくなった。
「おめでとさん。」
「あ、あんやと。」
「まぁそれにしても、いつまでたっても『俺そんなんじゃねぇし』とか言って虚勢張って、はっきりせん感じやったお前が何で途端に手のひら返したように、告ったんかね。」

「こんなんでいいんかね。」
「…わからん。」
「なんか長谷部とか香織ちゃんの気持ちを利用しとるみたいで、やっぱり私あれやわ…。」
「…。」
「でもやるしかないもんね。」
「そうやな。」

昨晩のバス停でのやり取りを思い起こした相馬はゆっくりと口を開いた。
「…なんか、急にあいつのこと放したくないって衝動に駆られたんや。」
「何?その臭ぇセリフ。」
「あ?そう?。」
「キモ。相馬、お前ひょっとして自分に酔ったりとかしとる?」
「あ?ほんなことねぇわいや。」
「まさか歌の歌詞とかをそのまんま使って告ったりとかした?」
「ほんなことせんわいや。」
「ほ、ほやな。そんなキモい告り方して京ちゃんOK出したんやったら、俺今度からお前ら見る目変えんといかんくなるしな。」
むず痒そうにした長谷部は自分の首筋を人差し指でカリカリと掻いた。
「長谷部こそどうねん。」
「あ?」
「ほら、岩崎さんのこと。」
「あぁ、今朝メール来た。」
「おっマジで?何やって?」
「何しとるんかって。」
「ふんふん。で?」
「今日は講義がびっしり入っとるから、とっとと学校に行かんなんやって返した。」
「で?」
「それから何のレスもなし。」
「え?ほんでおしまい?」
相馬は頭を抱えた。
「何よ?」
「あのなぁオメェもう少し相手の立場に立てま。」
「は?」
「ちょっと考えれば分かるやろういや。あの娘は今までほとんどだれとも付き合うこと無く大学生活を過ごしてきた。数多の男らがあの娘に告っては散っていった。その娘がある日突然、俺の目の前に居るチャラい感じの男と大学内で二人っきりで話しとる。学内の注目の的になるやろういや。」
「で?」
「あーもう。こう考えることができんがか?レズ疑惑さえある男の匂いがせん女やぞ。っつうことは、あの人は異性との付き合い方を知らん。そんな人にハードルたけぇことを提案すんなって。」
飲料を飲み干した長谷部はなるほどと言った。
「相馬。お前、なんか急に変わったな。」
「え?」
「いままで京ちゃんにグダグダやった童貞君ねんに、俺たち付き合いましたって言った途端、まるで恋の伝道師みたいな感じやな。」
「何ねん。その言い方。感じ悪ぃ。」
「ああわりぃ。別に嫌味で言ったわけじゃないげんて。ただなぁ…。」
「ただ?」
「何かなぁ、正直なところ1ミリも可能性が見いだせんかった岩崎さんとの距離が、トントン拍子に縮まっとるのがちょっと怖くてな…。」
「どいや。あんだけお前本気やって言っとったいや。」
「ああ本気や。」
「ほんならなんで。」
「相馬さぁ…本気やからこそ、こっから本当に一歩踏み出していいんか迷うんやって。」
「って言うと?」
「今になってお前が京ちゃんにウジウジしとったのがよく分かる。相手のことを考えれば考えるほど、本当に俺でいいんかってな。」
「長谷部さ。」
「あん?」
「じゃあ、お前じゃなくてどんな奴なら岩崎さんにぴったりなんや。」
「え?」
「だからお前以外の男であの人に相応しい男っていうのはどんな奴なんや。」
長谷部は黙った。
「言えんやろ。言えんっていうのは想像できんかしたくないかのどっちかや。」
「おめぇ…。」
「多分後者のほうやろ。そりゃあ違うわいや。そんなんただ逃げとるだけじゃいや。」
「逃げる?てめぇ黙って聞いとりゃ好き勝手言いやがって。」
明らかに長谷部の言葉に怒気が含まれていた。
「昨日までの俺がそうやった。」
「は?」
「いつからなんかはよく分からんけど、俺は京子ちゃんに気があった。んで人づてにあの娘も俺のことを気にかけとるって知っとった。けど何の行動もできんかった。ほうや。自分が傷つきたくなかっただけねん。そりゃ傍から見たら俺の告白の成功率は高いんかもしれん。けど万が一ダメやったらって考えると何もできんかった。他人には京子ちゃんには特別な感情は持っとらん、ただの友達やって言っとったけど、んなもん嘘や。いっつもあの娘のこと考えとった。んでもしも俺がはっきりせん間に他の男と...って考えてはつかずはなれずの現状キープ。相手のことを考えるフリして自分のことしか考えとらん最低のやつやった。」
「お前…。」
「そんなこと自分は分かっとった。とっくの昔から俺はご都合主義の最悪な奴やと分かっとった。けどどうしても動けんかった。京子ちゃんよりも自分が大事やった。逃げ続けとった。」
突如として自分の心の中を曝け出した相馬の様子に、長谷部は黙るしか無かった。
「でも逃げ続ける先に何がある?ってこの間気がついた。」
「この間?なんやこの間って。」
「お前とか岩崎さんとかと一緒に蕎麦食って、金沢駅で降ろしてもらったやろ。」
「おう。」
「あの後、京子ちゃんと久しぶりに北高に顔出したんや。」
「北高?」
「ああ。そこで気付かされたんや。」
「え?ちょ意味わからん。」
「逃げるにしてもどこまで逃げたら逃げ切ったことになるか…。それをはっきりさせんと、その場しのぎのことを一生続けることになる。」
「あ、ああ。確かに。」
「俺は自分が傷つきたくないってことから逃げとった。ってことは自分が傷つかんようにするってことが答えや。」
「おい。お前、なんか哲学的やな。」
「そう考えると答えは簡単。今の俺において答えは2つしかない。ひとつは京子ちゃんに思いを告げて何らかの返事を貰う。もうひとつは自分っていう存在をこの世から消し去る。」
「相馬…。」
「でも俺には自分の存在をこの世から消し去る根性なんてない。ほんなら1ミリでも可能性がある方に賭けてみよう。ってな。」
相馬の表情が妙に清々しいことに長谷部は気がついた。
「可能性がある方に賭けるか…。」
「結局人間なんてもんは人のことを考えとるようでそうじゃない。まず自分があってそれから他人や。どんな綺麗事を並べてもそんなもんねんて。誰かのためになんてもんは後付や。」
「確かにな…。俺が岩崎さんのことを思って一歩踏み出さんがも、自分が最悪の状態に陥らんようにって思う気持ちがあっての言い訳ってやつか。」
長谷部は手にしていた空の紙コップを見つめた。
「はっ…。まさか俺がおまえに説教くらうとはな…。」
「長谷部、俺はお前と岩崎さんがうまい具合になって欲しい。」
「え?」
「お前は本気であの娘と一緒になりたいと思っとる。」
「なんでそんなことお前に分かるんや。」
「お前が女にそこまで思いつめるのは初めてみた。思いつめるあまり二の足を踏むっていうのもな。」
「ふっ。」
「頼む。お前しかおらんがや。お前があの娘を受け止めてやれ。」
「お、おお。っつか今日のお前、なんかいつもと違うな。」
「結構マジねんて。」
「なんでお前がマジ?」
「お前がマジやから俺もマジなんや。」
「…なんねん。今日のお前いちいちかっけえセリフ言うな。」
「ほうか?」
「そうやわ。」
「まぁなんかちょっと吹っ切れたんやって。」
「へぇ…。恋ってやっぱり人を変えるんかね。」
「なんじゃそりゃ。長谷部、オメェこそキモいぞ。」
「あぁわりぃ。」
「なあ。」
「あ?」
「多分、岩崎さんはお前の事気にしとるぞ。」
「…。」
「気にしとるからお前にあっちから連絡してきたんや。さっきオレが言ったことも汲んでレスしてやれよ。」
「…わかった。」
「自分って存在を端から消して生きとる奴をこっちに引っ張りだしてやってくれ。」
「はい?」
「いいから。」
そう言うと相馬は長谷部に今この場で岩崎に連絡を取るよう命令した。
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2015年11月16日

68 第六十五話



「おい。佐竹は?」
総務部に顔を出した橘は次長の松任に声を掛けた。
「あぁ部長。あいつ昨日から長期休暇なんですよ。」
「はぁ?休み?」
「ええ。なんでも調子が良くないとか。」
「そうなん?」
「はい。」
「ってか…ちょ、ほら…あれどうするんや。」
「あれ?」
「ほうやって、ほらウチのシステムの件。」
「それは出向組がなんとかする。」
総務部に入ってきた山県が橘の後ろから声をかけた。
「あ…部長…。」
振り返った橘は思わず一歩下がって山県に頭を下げた。
「なんねん。あんたも晴れて部長やろ。俺と同格や。そんなへぇこらしとると小池田さんの後任は務まらんぞ。」
「いえ、突然のことで私も分からないことばかりです。今後共山県部長のご指導と御鞭撻の程よろしくお願い致します。」
「やめれま。堅い。」
ここで立ち話も何だということで、山県は橘を経営企画部の自室へ誘った。
「とうとうお前もこの地位まで来たか。」
ソファに腰を掛けた山県に促されて橘は照れくさそうに彼と相対するように座った。
「佐竹はな、持病が悪くなってな。」
「あぁ…精神の病ですか。」
「ああ。部長やったな、佐竹の様子がおかしくなったっちゅうて救急車呼ぼうとしたのは。」
「ええ、まぁ。」
「あの時からっちゅうもん、何かとあいつの面倒をみとんのは橘部長、あんたや。佐竹の長期休暇の件は本当は真っ先にあんたに知らせんといかんがやけどな…。小池田さんの件とかあってバタバタしとったんや。すまん。」
「いえ。」
「俺は俺なりにあいつにはいろいろ気を遣って接しとったんやけど、残念ながら今回のシステム侵入の件ばっかりは、あいつの責任や。それが相当の負担になったんやろ。」
「しかし、システムそのものの穴は佐竹に直接的な責任はありません。確かに課長という役職にあって、彼は運用の責任の一端を担っていますが、システム運用自体は総務部全体の責任でもあります。そしてシステムそのものはあいつが作ったものじゃなくて、システム会社が作ったものです。」
山県は暫く橘を見つめゆっくりと口を開いた。
「まぁな。ほやから俺はあいつの長期の休みの申し出を承認した。」
「と言うと?」
「俺はその手のシステム的なことはよく分からん。俺にできるのは判断だけや。誰の言っとることが一番最もらしいかってな。俺は佐竹のことを信用しとる。その佐竹が言うには出向組の真田と武田ってのは、かなりの腕を持っとるらしい。佐竹がその2人に委ねれば求める結果が出るって言っとるんやから、それを俺は尊重した。」
「あ…そうですか。」
「佐竹は佐竹なりに考えたんやろう。自分が変にいろいろ立ち振る舞うよりも、現場の人間に事の真相を調べてもらうほうが、検証の客観性が保たれるとな。」
「はあ。」
「なかなか大人な判断や。俺はあいつの判断は間違っていないと思っとる。ほやけど組織の中で一定の身分にあるものはそれなりの責任を負わされとる。残念やけど今回の件で佐竹は何の咎もないって事にはなりにくい。何かしらの処分は降りるやろ。」
「部長。なんとかならんがですか。その出向組がいくらできる連中やって言っても、責任者の佐竹は休暇中。その中で色々調べるとなると、それは一種の欠席裁判みたいなもんになりはしませんか。」
「欠席裁判か。」
山県は腕を組んだ。
「本多専務亡き後、当行は職員ひとりひとりに失敗からの再起を促す人事施策を取り入れてきました。その先導役が山県部長。あなたです。そのあなたがひとりの職員の再起の芽を摘むようなことをなさるのですか。」
「橘部長。あいつは自分自身の判断でその環境を選んだんや。」
「しかしあいつは病気です。」
山県の眉間にしわが寄った。
「病気病気って言うけどあいつは別に自分のことを自分で判断できん状態じゃないげんぞ。俺は俺なりにあいつの真意を汲んだつもりや。」
「しかし…。」
「確かにお前が佐竹を思う気持ちはわかる。ほやけど二言目には病気っていってあいつを庇うのはちょっと方向がおかしいんじゃないか?」
「と言いますと。」
「部長の発言は一見佐竹の病状に気を遣っとるようにみえる。ほやけど逆の見方をすれば、あいつは病気やからって変な特別扱いをしとるようにも見える。それは逆差別とも言うんじゃないか?」
「逆差別…。」
「佐竹が自分で決断した身の処し方を尊重してやるっていうのも、あいつに対する気遣いって言えんかな?」
「…そうかもしれません。」
「あいつの判断を尊重して結果的に良い方向に行けばそれでいいがいや。」
「はい。」
「まぁいい方向に動いとれんけどな。」
「え?」
「さすが佐竹のお眼鏡にかなう奴らや。早速システム的におかしな所がわかり出しとる。」
橘の顔つきが変わった。
「と言うと…。」
「出向組はドットメディカルの人間や。自分らのシステムの不具合は自分らでなんとかケリを付けるって息巻いとる。なかなか今時珍しい熱い職人連中やわ。」
「部長。切り分けはできているんですか?」
「ん?なんや切り分けって?俺はその手の専門用語はよくわからん。」
山県の困惑した様子を見て橘は言葉を引っ込めた。
「いや…出過ぎました。すいません。」
山県は机の中にしまってあった葉巻を取り出した。
「どうや。お前もやるか?」
「あ…ええ。」
山県はニヤリと笑って葉巻の吸口をハサミで切り落とし、ガスライターでそれに火をつけた。
「ほら。この部屋は喫煙に関しては治外法権や。」
「ありがとうございます。」
手渡された葉巻を咥えて橘は煙を口の中に含んだ。
「おう。部長は嗜んだことあるんか。」
「ええ、ほんのちょっとだけ。でもついいつもの癖で肺に入れてしまいそうになります。」
「そうかそうか。」
山県もそれに火を付けて咥えた。橘に比べて手慣れた様子である。様にもなっている。吸い込んだ煙を吐き出すのではなく、口を開いて立ち上がらせ、香りそのものを楽しんでいる。
「ここまで昇れば世の中の見え方も変わるやろ。」
「いえ…。私はまだそんな余裕はありません。」
「そのうち見えてくる。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんや。」
手にする葉巻を見つめながら山県は続けた。
「小池田さんは気の毒や。」
「はい。」
「ほやからって言って、お前がそれに引け目を感じる必要はない。お前が部長に昇格したのも、日頃の働きぶりが正当に評価された結果や。これも何かの巡り合わせやろ。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんや。」
葉巻の煙をくゆらせて山県は遠くを見つめた。
「HAJAB。」
「え?」
橘が手にしていた葉巻の灰が床に落ちた。彼は慌ててそれを素手で掬おうとしたが山県はそのままにしておけと言って続けた。
「HAJABはドットメディカルシステムの端末を作っとる。」
「あ、はい…。」
「橘部長。あんたがHAJABを総務部に斡旋したことは俺は知っとる。」
「あ…ええ…。」
思わず橘は葉巻を灰皿の上に置いた。
「そのことをネタにあんたが疑わしいとか言っとる連中が行内に居るっていうのも俺の耳に入ってきとるわけや。」
口を噤んだ橘をよそに山県は立ち上がった。
「ほやけどな部長。そんなもんは関係のない話や。部長は部長でその時の最善を総務部に提案しただけ。採用を決定したのは当時の本部や。な。」
「あ、ええ。」
「人間の妬みっていうのは厄介なもんや。俺も部長みたいにありもせん噂を流されたことは沢山あった。ほやからあんたが今置かれとる立場も理解できる。」
ソファに掛ける橘の横に立ち、山県は彼の方を軽く叩いた。
「お互い頑張ろうな。」
「あ、ありがとうございます。」
「あんたは期せずしてこのタイミングでこのポジションを射止めた。しかし地方銀行といえどもこのポジションに登ってくる人間はそれなりの実績と評価があってのもの。棚ぼただけじゃない。自信をもってこれから職務に励んでくれ。」
「は、はいっ。」
山県からの不意をつく激励の言葉に橘の涙腺が緩んだ。
「部長。俺は部長という人生の先輩に会えて、いま本当に良かったと思っています。」
頬を伝うものを手で拭う橘とは敢えて目を合わせずに山県は窓の外を眺めた。
「部長…。その先輩から一言だけ言わせてもらえんか。」
「なんでしょう。」
「部長は釣りが好きやったな。」
「はい。」
「釣りはポイント、餌、仕掛けが大事やと聞く。」
「ええ。」
「部長はそれが絶妙に上手いとか。」
「いや…それほどでも。」
「釣り上げるもんを間違えんなや。」
「え?」
橘は外を眺める山県を見た。
そこにある彼の背中には凄みがあった。
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2015年11月09日

67 第六十四話



出勤早々ドットメディカルの自室で窓の外を見ながら携帯電話で会話をする今川がいた。
「ええ。なので小池田の件はボツです。ここでむやみにこちらが動いては、相手にいろいろ勘ぐられますので…。ええ、そうなんです。橘のやつが浮足立ってしまってこっちに報告を上げてこなかったってのが主因です。…いえ、ですが鍋島と橘が直接コンタクトをとるとどこで足がつくかわかりませんので、それだけは避けたいですね。はい、ごもっともです。申し訳ございませんでした。以後、こちらからも緊密に連携をとるよう心がけます。」
「もういいんじゃないか。」
「え?」
「鍋島にはそろそろ退場してもらおう。」
「え?本気ですか。」
「ああ、まずいネタが上がってきた。」
「どういうことでしょうか。」
「公安はお前の周辺を洗っている。俺はそれに便乗し、公安よりも先にお前の情報を手に入れる体である協力者に依頼を掛けていた。公安より角度の高い情報を手に入れて、こちらサイドで握りつぶすために。」
「ええ、存じ上げています。」
「協力者の情報は確度が高かった。お前個人の情報もさることながら、3年前の熨子山事件の周辺も調べあげてきた。」
「え…。」
今川は絶句した。
「協力者は当時の県警上層部の誰かが、鍋島の存在をもみ消したと推理している。」
「それはつまり…。」
「事件発生当初から一色の名前を出して公開捜査に踏み切ったり、捜査終盤で三好警備課長が突然更迭されたり、コンドウサトミという人物が鍋島惇であると断定され、本人死亡のまま書類送検、鍋島惇がこの世から消されたというのも、組織内部の邪な輩が計算して行った犯行の可能性があるとな。」
「その主犯格の人間はあなたであると。」
「そう捉えるのが妥当だな。」
「それはまずいですよ。朝倉さん。」
「ああ。まずい。だから鍋島を消せと言っている。」
今川は唾を飲み込んだ。
「鍋島をそろそろ葬ろうっていうのは、こちらから既に下間へ打診をしてあります。その気になれば悠里を差し向けることも可能です。」
「方法はお前に任せる。しかし今回の小池田のようなヘマは許されない。」
「承知しております。そちらは警察の根回しをお願い致します。」
「うむ。例の日を待って実行せよ。チャンスは一回しか無い。」
「はい。」
そう言って今川は通話を切ろうとした。
「まて。」
「はっ。」
「くれぐれも下間で終わるようにしろ。」
「…はい。」
「上流の痕跡は残すな。始末が悪ければこっちまで火の粉が飛んで来る。」
「…協力者が突き止めた真実を鍋島の死を持ってスケープゴートにするということですね。」
「そんなことは俺は言っていない。」
「要は協力者から美味しい情報だけ吸い上げて、その他の情報は根も葉もない創作だといってもみ消すってことですね。」
「言葉を慎め。情報の精査だ。」
「ふっ。あんたは極悪人だ。」
「何がだ。」
「これを気に鍋島も下間も切ろうとしている。」
「ふっ…。それはお前の創作だ。まさかお前はそんなことを企んでいるのか?」
「佐竹がコンドウサトミについて赤松と連絡を取り合っているって情報を橘を介して鍋島に伝えた時から、あいつの様子はちょっとおかしい。こっちもあいつの単独行動が目障りでしたからね。」
「おまえに嫌われたら、生きていくのがちょっと辛くなるな。」
「しかし、俺もあんたには気をつけないといけないかもしれない。」
「そのセリフそのままお前に返すよ。」
こう言って電話は切られた。
ため息をついた今川は再び携帯電話を手にした。
「Я」
「Вы есть то, что?」
「Убить Набэсима」
「Вы что-нибудь делать в спешке」
「"Инструкция с」
「понимание」
「Рано или блеск, это утилизация」
「Это хорошо в Юрий」
「Да, Не оставляйте следов」
「Да, сэр」

7月16日水曜日は朝から茹だるような暑さである。バスから降りてくる企業戦士たちは皆一様に額に汗を浮かべている。1日の始まりだ。そのような蒸せる出勤風景とは対象的な光景が金沢の中央公園にあった。ところどころにホームレスがベンチの上で横になっている。彼らの表情には何故か暑さを感じない涼し気なものだった。
ひとりのスーツ姿の男がコンビニ袋をぶら下げて公園に入ってきた。そして空いているベンチに腰を掛けてそこからサンドイッチを取り出し、それを食べだした。
ひとりのホームレスが男に近寄ってきた。すさまじい臭気が男の鼻を攻め立てる。彼は食事を中断した。
「くせぇ。」
ホームレスは男の言葉に何の反応を示さず、横に座った。
そして一冊の丸められたフリーペーパーのような雑誌を男の横に置いた。
「何だよ。」
「こいつにはいい情報が載っとるんや。買ってくれんけ。」
「けっそんなにうまい話が載っとるんやったら、あんたそれネタに商売すればいいんじゃねぇが。」
ホームレスは黙った。
「はじめっから何か恵んでくれって言ったほうが素直でいいと思うぞ。あ?」
男はポケットに手を突っ込んだ。そして煙草の箱を取り出した。
「ほい。」
「え?」
「やるよ。火は自分でいいがにしな。」
男は雑誌を手にとった。
ホームレス姿の男は煙草の箱に目を落とした。フタを開けると電子マネーのカードが幾重にも重なって収納されている。彼はそれを懐にしまって中央公園から姿を消した。
彼が居なくなったのを確認して、男は渡された丸められた雑誌を広げた。そこにはICレコーダーがセロハンテープで貼り付けられていた。
男はそれを剥ぎ取り、雑誌をパラパラとだけ眺めて立ち上がった。
「ご苦労やったな。」
そう呟いて男はそれを近くのゴミ箱に投げ捨て、ICレコーダーにイヤホンを繋げそれを耳に装着した。

「マルホン建設に外部監視の目を入れさせようと、山形有恒を介してドットメディカルの血を入れさせたのは一色の企て。当初はその思惑通りに事は進んでいたと思われたが、まさかあそこに既に今川が入り込んでいたとはな。」
「ノーマークでしたよ。あいつは。」
「仕方がない。公安マターだ。」
「部長は当時からツヴァイスタンと今川の関係性をご存知で?」
「知るわけないだろう。チヨダは本部長もすっ飛ばしだ。」
「やっぱりそんなもんなんですな。」
「ああ。そんなもんだ。」

「はっ…その口でよく言うわ。」

「外務省のキャリア官僚であるにもかかわらず、今川は何故かわけのわからん外国勢力と手を組みました。それが何故なのか。その大体がこれを見れば分かるようになっています。」
「本人以外の情報は。」
「そのあたりもひととおり網羅しています。」
「さすがだなトシさん。丁寧な仕事だ。」
「恐れ入ります。」
「片倉はどうやらトシさんを心配しすぎだ。」
「はい?」
「あいつ、あんたの歳を気遣っている。」
「大きなお世話ですわ。」
「このネタ、片倉には。」
「まだです。ワシに依頼をかけてきたのは部長が先ですから。」
「すまんな。」
「どうするんです。」
「ん?」
「片倉らの公安と連携するんですか。」
「そうなるだろう。このネタは俺の方で処理させてくれ。俺から公安へ提供する。悪いが片倉の方には適当なネタだけ掻い摘んだものをやってくれ。」
「わかりました。」

「お得意の情報の精査ですか…。俺らは邪魔者ってことですね。」

「トシさん。」
「トシさんは孝行息子をもったな。」

再生を止め、片倉はため息をついた。
「言っとることと行動が反比例。いい加減くせぇ芝居はやめれや。朝倉。」
そう言って片倉はイヤホンを耳から剥ぎとってICレコーダーを強く握りしめた。
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2015年11月02日

66 第六十三話



「まぁとどのつまり、ウチの偉い方が鍋島の存在を隠蔽したってことや。」
「そんな…馬鹿なことが…。」
十河はふっと息をついた。
「県警本部の本部長でさえその存在を隠したがる存在。つまりバケモノや。」
「なぜそこまでして。」
「何やろうな。鍋島が生きとるってことがバレて具合が悪いことがあるんやろう。」
「じゃあその本部長が鍋島となんらかの利害関係があるってことか。」
「普通ならそう推理する。」
「ったく…何なんだよ、あんたら警察は。」
「勘違いせんでくれ。警察自体はそこまで腐っとらん。その象徴が一色の存在や。」
「でもその一色は死んだ。あんたが言っているその警察の幹部が、鍋島の存在を隠蔽したとなると、あいつの死は無駄だったってことになるんじゃないのか。」
十河は遠くを見つめた。
「無駄になるかはこれからにかかっとる。」
「これから?」
「あぁ。多分そうや。あの人は確かに死んだ。ほやけどその意志は確実に受け継がれとる。」
佐竹は黙った。
「佐竹さん。赤松さん。あんたらだって一色の意志を何らかの形で引き継いどれんろ。ほやからこの時間にこの場所にふたりして居る。」
「十河さん。」
赤松が口を開いた。
「鍋島って男は極めて注意せんといかん男です。」
「それは分かっとります。」
こう言って十河は佐竹を見た。
「ほやけど佐竹さん。あんたさっき、鍋島を殺さんといかんとか言っとったな。あれはいかん。」
佐竹は口を噤んだ。
「いちおうワシは警察や。あんたがそんなことをしでかしたら、ワシはあんたを捕まえんといかん。それこそ鍋島の目論見通りってことになりはせんかね。」
赤松は頷いた。
「一色という男はそれを望んどるとはワシは思えんけどな。」
十河は煙草を咥えた。
「いくら鍋島がバケモンやって言うても、一色は警察。その警察のお偉方がバケモンを飼っとる。飼っとる?ははっ、飼われとるんかもしれんけどな。まぁそんな自分の組織が絡む状態で私刑なんてことは絶対にせん。しかるべき措置を講じるはずや。」
「なんでそんなことがあなたに言えるんですか。」
煙を吐き出した十河は遠い目で佐竹を見た。
「熨子山事件を考えてみぃ。一色は村上と鍋島の2人に直接接触を計っとる。あいつがもしも私刑を下そうって言うなら、その場で2人を射殺。以上や。けどそれはなされんかった。」
「それはあいつらの背後にある本多とかマルホン建設とか仁熊会とかも一斉に叩き潰すために、そこで一色ひとりが先走った事ができなかったってことじゃないですか。」
「違う。」
「何で?」
「じゃあ聞く。それならなんで一色は村上と鍋島に直接会う必要があったんや。粛々と強制捜査の日を待てば良かったんじゃないんか。」
「…確かに。」
「まぁ事の真相はワシには分からん。ほやけどワシはあの一色っちゅう男を知っとる。ぱっと見、血も涙もない男のように見えるけど、その実暑苦しいまでの正義感をもった男や。あいつのことや本当の最後の別れを告げに行ったんじゃねぇか。」
暑苦しいまでの正義感。それは佐竹が山県久美子に言った一色感である。佐竹は久美子に身を守ると宣言した。それを実現するために鍋島という人間を殺処分するというのか。それが久美子の交際相手だった一色がやりたかったことなのか。正義なのか。
「ワシが今のところあんたらに言えることはこれぐらいや。」
携帯灰皿を取り出して十河はそこに吸い殻を仕舞った。
「あんたら、鍋島をどうしたいんや。」
「え?」
「具体的に鍋島をどうしようとして、いまここに居るんや。」
「…仇をとりたい。」
「仇ね…。それがあいつを殺すってことか?」
周囲はしばし沈黙した。
「十河さん。」
赤松が口を開いた。
「ん?」
「さっきも言ったように鍋島は本当に危ない。」
「だからって言って殺処分っていうのはあまりにも飛躍しとる。」
「でも、それをせんといかんくらいあいつはヤバい。」
「何故?」
「鍋島は一般的な頭脳の明晰さもさることながら、俺ら常人には計り知れん能力を持っとるんですよ。」
「例えば?」
「十河さんは先先の先って言葉知ってますか。」
「武道の世界の言葉ですな。」
「ええ。鍋島はそれができる男です。こちらの心の動きをつぶさに捉えて気が付くと一本を取られている。これが鍋島っていう男の攻め方です。」
「ほう。」
「十河さん。あんたは俺らの高校時代の鬼ごっこのこと知っとるみたいや。」
「あぁ知っとる。」
「あんたが鍋島で鬼側やったとしたら具体的にどういう作戦をとります?」
十河は思案した。鍋島は驚異的な運動能力を持っている。しかし広大なフィールドで何処にあるかも分からない目標を全て捕まえる術を見出すのは、彼にとって容易ではなかった。
「鍋島は元々軍事関係のことに精通してました。」
この赤松のヒントに十河は反応した。
「その知識をグループの連中に教えて、組織的に各個撃破ですか?」
赤松は首を振る。
「普通ならそうするがでしょう。現にあいつは頭がいい。説明も上手い。ほやけどあいつはそんなことせんと自分の分身を作り出すんです。」
「は?」
「グループの人間を鍋島にする。」
「え?意味が分からんです。」
「さっき先先の先について話しましたよね。それは相手の心の動きをつぶさに捉えることに極意がある。然しあいつはその心そのものを支配して他人を意のままに操る術を持っとった。」
「え?」
「得体の知れない洗脳術ですよ。」
「洗脳?」
十河はそんな馬鹿なという表情で二人を見た。
「鍋島はそのグループ内の人間を一時的に自分と同じ思考にして、自分の分身を作り出した。回りくどい戦術論を仲間に説くことなく、素早く結果を出す。」
「はっ、オカルトにも程がある。」
「まぁ一般的な人ならそう断じるんでしょうが、俺らはそれを経験しとる。」
「まさか、具体的には?」
赤松はここで黙った。
「ほらほら。もっとマシな話をしてくださいま。この期に及んで警察を煙に巻くような事はやめましょう。こんなやり取りしとる間に事は悪い方へ進んどるかもしれん。」
「俺らには記憶がない。」
佐竹は呟いた。
「...は?」
「俺らはその時の鬼ごっこの記憶がまだらなんです。」
十河は赤松を見た。彼は佐竹の言葉に頷いている。
「まだら?」
「記憶が飛び飛びなんですよ。赤松も俺も。」
「え?」
「昔のことだからそうなってもおかしくない。それにしてもあるところでぷっつり記憶が無くなっている。」
「ぷっつり?」
「そう鍋島と同じ組の時、これからの打ち合わせをしようってところまでは結構覚えているのに、鬼ごっこしている最中の記憶が無いんです。気がついたらそれが終わっていた。」
「え?それは赤松さんもですか?」
赤松は頷く。
「俺も赤松もあるところで記憶が切れてるんです。」
「あるところ?」
「…あいつの目を見たところ。」
「目?」
瞬間的に十河の脳裏にサングラス姿の鍋島の顔が浮かんだ。
「まさか…。あいつが常にサングラスをかけとったのは…。」
「そう。他人に変な暗示をかけるのを防ぐため。」
「そんな…だらな…。」
「一色もそれだけは気をつけろって言ってました。」
「…え…一色?」
「はい。」
「十河さん。俺らには俺らなりの掟みたいなもんがあるんですよ。」
「掟?」
「北高剣道部の部内の揉め事は部長が全責任をもって処理しろ。」
「え?ほやけどその部長の一色は。」
「ええ。そうなんです。だからあいつの代わりを誰かがしないといけない。」
「それがあんたらやと?」
「はい。」
「そこがワシにはいまひとつ分からんのや。こういっちゃあなんやけど、たかが高校時代の部活の取り決めですわ。」
「十河さん。あなたは何で鍋島を追っかけてるんですか。仕事だから?」
「うっ。」
「そうじゃないですよね。あなたは一度は警察手帳を放り出した。仕事だからじゃない。じゃあなんだろう。」
「…。」
「多分、あなたなりの価値観が沸騰しているから。」
「価値観の沸騰…。」
「人間誰しもできれば自分の思うように事を運びたい。そう思った時点で自分っていう存在は世間一般の存在よりも上位にある。それを人は神という。鍋島は他者を自分色に染め上げる力を持つということで、その存在に近づいた。」
「神ね…。」
「これに一色は既に気がついていた。彼は鍋島の才能を持ってして神とは言わず天才と言った。しかし一色はその天才はあるもとと表裏一体だと言った。」
「それは?」
「狂人。」
「狂人?」
佐竹は頷く。
「今になってようやく俺は一色の思考が理解できた。一色という男に話を戻しましょう。奴は口は悪いが鍋島のように誰かを自分色に染め上げるなんてことはしない。何事にも最善は尽くすが最後は現場に委ねる。価値観を押し付けるようなことはしない。翻って鍋島はどうでしょう。他者を染め上げて自分自身が神に近づくっていうのは何かに似ていると思いませんか?」
「鍋島は…残留孤児。」
「そう彼の国の統治制度である共産主義です。あの国は指導部=神みたいなもんですから。」
「ということは、一色と鍋島の衝突は…。」
「イデオロギーの衝突。」
「ワシらは押し付けられること無く自由意志で一色の考えを尊重しとる。」
「そう、俺が犯しかねなかった法の精神を尊重する立場です。」
佐竹は十河に手を差し出した。
「十河さん。ありがとうございました。あなたのおかげで俺は一線を超えなかった。」
十河はニヤリと笑って佐竹と赤松との間に固い握手を交わした。
「なるほど。それで公安ってわけか。」
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