2016年02月29日

83 第八十話



「Dos攻撃?」
「はい。」
松永は即座にパソコンを開いてその用語の意味を調べた。
「DoS攻撃は、コンピューティングにおいてサーバなどのコンピュータやネットワークリソースがサービスを提供できない状態にする意図的な行為をいう。サービス妨害攻撃と訳される。サーバなどのコンピュータ機器にある脆弱性を攻略するものと、サーバの処理能力やネットワーク帯域に対して過剰な負荷をかけるものがある。 複数のコンピュータを攻撃側に巻き込む類型としてDDoS攻撃がある。」※出典:ウィキペディア「Dos攻撃」https://ja.wikipedia.org/wiki/DoS攻撃
「その可能性があると冨樫は言っとります。」
「片倉。悪いが俺はその手のIT関係の話は得手じゃない。」
「理事官。俺もです。」
「その俺が素人なりに思うんだが、いま攻撃を受けているのは一般ユーザーが石電の情報を見るための公式サイトだろう。」
「ええ。」
「つまり原発の運用などの根幹的な部分には影響はない。」
「確かにそうです。しかし折しも、先日のノトイチ運転差し止め運動の署名を受けて、石電はそれはそれとして原発の運転を止めるようなことは微塵にも思ってないと言ったばっかりです。会見での社長の言い方が気に食わないとか、目先の利益を追い求める連中だと、面白く思っていない連中は沢山居ます。そこでこの攻撃です。自社のウェブサイトのセキュリティ管理もままならん会社が、原発なんて代物をちゃんと管理できるのかっちゅう声が必ず上がります。」
松永は目をこすった。
「マサさんが言うには、この手の攻撃はおそらく数時間で止むやろうっちゅうことでしたが、復旧には時間がかかります。つまりその間、攻撃側は石電のIT担当とかセキュリティ担当の注意をそらすことができるちゅうことです。」
「デコイか。」
「はい。」
松永は腕を組んだ。
ここで彼の携帯に連絡が入った。
「まて片倉、エスからだ。」
「理事官。私はあと数分でマサさんと合流します。合流後、またかけ直します。」
「あぁ頼む。」
彼は一旦片倉との通話を切った。彼の携帯を呼び出すのは石電に入り込んでいる潜入捜査官の辰巳であった。
「どうした。」
「非常事態が起こりました。」
「非常事態?」
「コンドウサトミに施設に入り込まれました。」
「なに…。」
松永は思わず絶句した。
「守衛交代時に入場許可申請書を精査した段階で判明。用件は納品。行き先は保修計画課、菅由人。ブツは書類。」
「菅…?書類…だと…?」
「現在、この書類の行方を追っています。」
「何かの動きがあるとは思っていたが、まさかコンドウ自らが入り込むとはな…。」
「はい。予想を飛び越えてきました。」
「原発の厳重な警備の目をこうもあっさりと掻い潜るとは…。」
「おそらく先日報告があった、所謂特殊能力によるものとしか現状は説明がつきません。」
「奴の目の件か。」
「はい。」
松永は立ち上がった。
「監視カメラは。」
「それが…。」
「なんだ。」
「破壊されています。」
「なん…だと…。」
携帯を持つ松永の手は震えた。
「施設各所のカメラは所々で物理的に破壊されています。因みに守衛室のものは守衛自らが線を抜き取ったようです。」
「守衛自ら…。」
「よってコンドウサトミの姿も、あいつがどこで何をどうしたか詳細不明。」
「なんてことだ…。」
「現在施設内では厳戒態勢を敷き、防護課は総出で警備している状態。」
松永は膝から崩れ落ちるように椅子に座った。
「渦中のコンドウは。」
「入場許可申請の動きを見る限り、すでに敷地には居ないものと思われますが、まだここにいる可能性は捨て切れません。そのための厳戒警備体勢です。」
松永は深い溜息をついた。
「菅はどうなんだ。」
「守衛からコンドウサトミの照会の電話があったそうですが、彼自身見に覚えのない納品物だと言って、受取拒否をしています。」
「それは確実なのか。」
「はい。実際、菅はコンドウが入場した時刻から一度も持ち場を離れていませんので、おそらく確かでしょう。」
松永は頭を抱えた。
「従前よりマークしている総務部の尾崎の動きは。」
「エージェントには何も変わったところはありません。現在、当社ウェブサイトのダウンを受けて本社とテレビ会議中です。」
「コンドウ入場後の尾崎の動きは。」
「尾崎に関しては私がぴったりマークしています。何ら不審な点は今のところありません。」
「どういうことだ…。」
「とにかく、コンドウが持ち込んだ書類と言われるものが気になります。」
「マルバク…。」
「えぇ…その可能性も捨て切れません。三好がその探索を行っています。」
「マルバク処理班は。」
「事が明るみになればホンボシらに付け入る隙を与えるだけ。」
「不要か。」
「われわれでなんとかします。」
こう言って辰巳は一方的に電話を切った。松永は頬に手を当てて考えた。
「工作エージェントの尾崎が何らかの形でオンサイトシステムに侵入し、マルウェアを感染させるようなことをしないよう、こちらは三好を通じてワクチンを予め投与。尾崎自身の動きは辰巳によってマークさせる中、鍋島が原発サイトに侵入…。尾崎と鍋島が接触した形跡はない…。菅とか言う人物も…。」
自室をウロウロとする松永の足が止まった。
「コミュは岩崎の登場でSNSで祭りの状態。一方で公式サイトがDos攻撃…。デコイの可能性…。となると…まさか…尾崎の存在自体がデコイ…。」
部屋の隅にあるロッカーを彼は思いっきり殴った。
「くそっ!!」
再び、松永の携帯が震えた。彼は即座にそれに出た。
「合流完了。理事官。どうでしたか。」
「鍋島が原発サイトに侵入。」
「え?」
「詳しい説明は後だ。奴は何かを敷地内に持ち込んだようだ。」
「理事官…それ…マルバクの可能性は…。」
「捨てきれない…。」
「マルバク処理班を出します。」
「待て。やめろ。」
「なんで。」
「露見する。」
「何言っとるんですか!?」
「エスが自分らで何とかすると言ってるんだ。」
「はぁ?そんなこと言って当のエスに何かがあったらどうするんですか!」
「落ち着け!片倉!」
片倉は松永の一喝に黙った。
「いいか、三好の存在も、あいつの水先案内人の存在も石電には伏せてあるんだ。石電からの正式な要請がされてもいないのに警察が物々しい装備で原発に乗り込んでみろ。それこそ原発反対派はおろか石電にも、世間一般にも不信感を持たれる。それはいままでのエスの苦労を水の泡にする愚行だ。」
「しかし…んなこと言ってもですよ。現に危険がすぐそこにある。」
「だから落ち着け。いいか、俺はこう思うんだ。このタイミングであいつらはド派手なことはしない。」
「どういうことですか。」
「仮にマルバクが設置されたとしても、おそらく原子炉建屋内やそれに準ずる重要施設を爆破するようなことはしないはずだ。」
「なぜそんなことが言えるんですか。」
「いまそれをやってみろ。それこそ奴らと俺らの戦争になる。一般の人間と公権力の戦争だ。戦争になればどうだ。あいつらは即座に鎮圧され全てが終わる。」
「当たり前です。」
「そうだろう。そんな無謀なことをあいつらがすると思うか。」
片倉は黙った。
「それに考えてみろ。いまコミュには世間の耳目が集まっている。なぜ奴らはこのタイミングでそんな宣伝を仕掛けた。」
「それは…。」
「そう、一気にコミュの勢力拡大を図るためだよ。それなのにここで原発の重要施設を爆破し、報道され、即座に警察にガサ入れられて、自滅するようなことをするか?」
「…いえ。」
「だろう。だから俺はそこまで最悪な状況にはならないと判断している。むしろ…」
「むしろ?」
「これすらもデコイとして、何か別のことを仕掛けてくるような気がする。」

能登第一原子力発電所内は厳戒警備体制だった。ノトイチの警備員は増員され、隈なく敷地内に目を光らせている。何者かが敷地内に侵入した。その侵入者は敷地内の監視カメラを破壊し何かを持ち込んだのだ。侵入者は記録上は原発から出たとこになっている。しかし、その記録自体に信憑性が無いため、警備員達は侵入者が持ち込んだものと、侵入者自身がまだ何処かに潜伏していないかを探している。
「おいおいややっこしいことは勘弁や。」
「何でこんなことになるんや。」
警備員達は口々に煩わしさと不安を言った。
一般の警備員や施設防護課の中には、持ち込まれたものが爆発物の可能性があるとか、侵入者が殺人犯であることは伏せてある。このような情報を表に出してしまえば、警備の士気は浮足立つ。よってこれを知る人間は三好と辰巳だけに留めた。
もしものことがあると警備員にも原発自体にも重大な危険が振りかかる。ここの警備員の殆どが高齢者。その年令を鑑みればいざというときの対応力に不安がある。よって辰巳は警備のプロである三好だけを単騎施設内の巡回に回し、他の警備員達は要所要所で待機、周辺に目を光らせるという作戦を採った。
「何か変わった様子はないですか?」
巡回する三好は敷地に立つ警備員に問いかけた。
「いや…何も。」
「そうですか。」
「しっかし昨日配属になったばっかりなんに、あんたも早々にこき使われて大変やね。」
「まぁ…でも、仕事ですから。」
「まぁあんたみたいに若い人間もおらんと、警備の仕事もハリボテになってしまうさかいな。」
「え?どういうことですか。お父さん。」
「お父さん?ははは嬉しい呼び方してくれるねぇ。」
警備員はごきげんな様子で三好に力こぶを作ってみせた。
「おお。すごい。」
「ワシとかここの他の連中も昔は漁にも出とって力には自身はある。いまでもそこいらの若い連中とかよりもえらいもんや。けどほら、瞬発力っちゅうんかな。とっさの動きがやっぱり鈍うなっとるんや。頭の回転も遅うなっとる。ほやさかい、あんたみたいな若い人がおってくれると、こっちは心強いんやわ。」
三好は苦笑いを浮かべた。
「体力仕事はわしら。頭を使う仕事はあんたら若い連中ってことやな。」
「何言っとるんですか。年をとれば俺らみたいな世代よりも、お父さん世代には知恵っちゅうもんが備わっとるでしょう。」
「まぁ…知恵って言えるか分からんぞ。ただの経験則とか勘かもしれん。」
「そういうのも大事やと思いますけどね。」
ふと彼の前にフェンスが立ちはだかった。鍵がかけられている。フェンスの先には雑草が生い茂っていた。
「あの、此処から先って確認しましたか?」
「いや、鍵かかっとったし、そっから先には誰も行っとらんと思って見てないわ。」
「そうですか。」
そう言うことならばその対応で良いだろう。警備員の判断を尊重して踵を返した三好は次の瞬間足を止めた。
「何…?」
何かに気がついたのか彼は再び振り向いた。
ー雑草が何本か折れとる…。
薄暗くなってきていた辺りを三好は懐中電灯をつけて再度確認した。そして彼はフェンスの金網の所々を指でなぞった。
ー土…。
彼はフェンスを見上げた。正味3メートル程度の高さである。
ー乗り越えられん高さでもない…。
「ちょっと俺、この先確認してきます。」
「え?鍵かかっとるから邪魔ないんじゃないけ?」
「念のためですよ。」
そういうと彼はマスターキーを取り出して鍵を開け、屈みこんでそこに生えている雑草を手にとった。
ーやっぱりや。根本から折れとるやつが何本かある。しかもこいつはそんなに時間は経っとらん。
見上げると高台の天辺に向かう一本のコンクリート階段があった。
ーこの先は予備電源か。
三好は帽子をかぶり直し、警棒を握りしめて慎重に階段を登り始めた。
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2016年02月22日

82 第七十九話



中継が終わり撤収の作業を手伝っている相馬は背後に人の気配を感じた。
「岩崎さん…。」
「…相馬くん。ちょっと話があるの。」
「え?でも俺バイト中やし…。」
2人のやり取りに気がついた安井は「いいよ10分だけなら」と言って気を利かせた。
2人は会館の外に出た。
「そう言えば相馬くん、テレビの報道カメラマンのアシスタントしてるんだったね。」
「あぁ。」
「まさかこんなところでばったり会うなんて思ってなかった。」
「あ…そう?」
「…今日はありがとう。」
「え?」
「何か…私、途中で頭が真っ白になってしまって…。」
「あぁよくある話やわ。テレビの生中継のインタビューなんか普通の人経験せんもん。そこで話すことがそのまま電波に乗って不特定多数の視聴者に伝わるんやから、緊張せんほうがおかしいわいね。岩崎さん、無難にこなした方やと思うよ。」
「そうかな…。」
「そうやって気にせんで。」
「相馬くん…私に助け舟出してくれたでしょ。」
「え?何のこと?」
「ほら、真っ白になってた時、相馬くん私の方見て頷いてくれた。」
「あ…そんなこと俺したっけかな…。」
「あの時、周りの空気がすごく重たく感じた。何、ここで詰まってんだ。さっさと求める言葉をよこせって。記者の人は笑顔だけど目は笑ってないし、急に押しつぶされそうになった。」
「言ったがいね。結果的に岩崎さんはそれを無難にこなした。結果オーライや。」
「あの時、私、瞬間的に思ったの。」
「何を?」
「この人達は私じゃない方を見てる。」
「え?どういうこと?」
「岩崎香織っていう人間の言葉がほしいんじゃなくって、発言の中身だけが目当てだって。」
相馬はこれに答えなかった。
「そうよ。マスコミの人たちは自分たちが求める言葉だけがほしい。シナリオに沿ったものしかいらない。だから発言者が誰であるかなんてどうでもいい。最終的に形にさえなってればそれでいいのよ。」
「…そんなもんやって、テレビって。放送時間も制限されとるし、今日のこれだって生やろ。ぶっつけ本番やからヘマしたくないんやって。ほやからほら、岩崎さん三波さんとがっつり打ち合わせしとったいね。」
「打ち合わせしてて、あそこであの対応?緊張するかもしれないってことが分かってるんなら、もうちょっと何かしようがあるんじゃない?」
相馬は答えに窮した。
「相馬くんだけだった。私の目をちゃんと見ててくれたの。」
「…んなこと無いと思うけど…。」
岩崎は会館外に設置されていたベンチに腰を掛けた。そしてため息をついた。
「大丈夫なん?参加者の人ら。」
「うん。今日は事前の打ち合わせ通り、宣伝のためだけに来てもらったの。だから大丈夫。」
相馬はこの岩崎の発言に疑問を抱いた。彼女の言うとおり、あの場の参加者全員が仕込みによるものだったとしたら、なぜその中のひとりである老婆が、岩崎を動揺させるような発言をしたのか。
「え?あれ全員仕込み?」
「うん、そうよ。…あ、ごめん。ひとりを除いてね。」
「あ…そう。」
相馬は岩崎の横には座らず、ポケットに手を突っ込んで地面に転がる石ころを蹴飛ばした。
「今日も岩崎さん、いい感じやね。」
「え?」
「昨日に引き続いて、垢ぬけて洗練された感じや。」
岩崎は自分の服装を確認した。
「…ありがとう。」
「三波さんも何かでれでれしとったよ。」
「やめてほしいな…。目が笑わない笑顔を見せる人って私嫌い。」
相馬は失笑した。
「ところであれから長谷部の方はどうなん?」
「え?」
「昨日の今日で何なんやけど、あれから長谷部とコンタクトとったん?」
軽く頷く岩崎を見て相馬は口元を緩めた。
「さっきまで会ってた...。」
「おー。何か新しい発見あったけ?」
「…ううん…別に…。」
岩崎の頬に赤みがさしたのを相馬は見逃さなかった。
「あれ?それ何かかっこいいじ。」
相馬は岩崎の華奢な腕に巻かれたものを指差した。
「あ…これ…?」
「うん。なんか今日の岩崎さんは全体的にさっぱりした感じねんけど、破れたそのジーパンとかそのブレスレットとかが、引き立っとる。」
「あ、ありがとう。」
「まぁ…うまいこと行くといいね。」
岩崎は照れくさそうに目を伏せた。
「あぁ、そうそう。話しもとに戻すけど、さっきマスコミは岩崎香織個人の言葉を期待してないっていったがいね。」
「うん。」
「正直、マスコミなんかそんなもんやからほっとけばいいよ。それに視聴者の人らも岩崎香織って個人の言葉を期待しとるか分からんし。」
「…うん。」
「顔が見えん多数のことを気にするよりも、岩崎香織っていう一個人の言葉がほしい人間だけに、その言葉を伝えてあげればいいと思う。」
「え?」
携帯電を見た相馬は安井が気を利かせた時刻が迫っていることを確認した。
「あの、これ俺の勘ねんけど。」
「え?」
「あの…一応、鮮度が良い経験者としてねんけど…あくまでも憶測ねんけど…。」
「何?そのはっきりしない感じ。」
「その…もっともっと長谷部とコンタクトとったほうが良いと思う。」
「え?」
「なんか…そんな気がする…。あ、あぁ…じゃあバイトに戻るわ。」
そう言い残して相馬は安井達が待つ方へ戻って行った。
岩崎は遠くに消えゆく相馬の背中を見つめた。
「あれ…。」
一筋の涙が頬をついたい、風がそこに清涼をもたらしたかと思えば、次の瞬間、溢れだしたそれによって彼女の瞳は熱を帯びていた。こらえようと歯を食いしばるもそれは止めどなく流れ出てくる。
「…そうしたいよ…私も…。」
彼女はブレスレットにそっと手を当てて肩を震わせた。

「インチョウ。すごいですよ。アクセス数半端ないです。コミュのアカウント数もリアルに伸びています。それに伴ってコメントも半端ないです。このままじゃパンクしますよ。」
「それは良かった。君もテレビに出てよかったじゃないか。これで君も一躍有名人だ。」
「いえ、俺なんか影に隠れていますよ。岩崎が画面に映し出されてからのアクセスが凄いんです。」
「何言ってんだ。君の発言が呼び水になっての岩崎だろ。あの中継は君と彼女の連携で功を奏しているんだ。素直に自分の卒のないインタビューを誉めたまえ。」
「光栄です。」
「君はそのまま共同代表として事務局メンバーを統率して、ご新規さんの囲い込みをしておいて。」
「はい、わかりました。」
「僕はちょっと別件があるから、これで。」
そう言って仁川は電話を切った。
「バギーニャの効果は予想以上らしいよ。」
振り向いた彼の目の前にある長机にはノートパソコンが並べられ、その1台1台に男が張り付いていた。この部屋には仁川を含めて6名の人間がいる。
「じゃあ僕らも始めようか。」
その場にいる皆が一斉にパソコンを操作し始めた。静寂の部屋にキーボードを打つ音だけがこだました。

「このタイミングでコミュの大々的な宣伝。SNSで岩崎の画像がばんばん拡散。」
「ローカルネタにもかかわらず、一躍全国区ですね。トップヒットキーワードに岩崎とかコミュってのが上がってきています。コミュのサイトも繋がりにくい状態です。」
「SNSってのがまさかこんなに強力なツールとはね。」
「拡散が拡散を呼んで、さっそく掲示板にも岩崎スレみたいなもんが立っとります。」
「マジかいや…。」
SNSの発言を追いながら、彼は器用にハンドルを操り車を運転する。
「しっかしあの婆さん。鋭いコメントやったな。」
「あれですか。麗の出自を匂わすやつですね。」
「あぁあの時、明らかに麗は動揺しとった。」
「...あの婆さんも課長のエスですか。」
片倉は返事をしなかった。
「マサさん。表で大きなことが起こっとる時は、その裏で別の事が起こっとるとかって言うがいや。」
「そうですね。気味が悪いです。」
こう言って冨樫はマウスの手を止めた。
「え?」
冨樫はSNS上のある人物の発言に息を呑んだ。
「どうした。」
「ちょっと待ってください。」
彼はあるサイトにアクセスした。
「あ…。」
「何ねんマサさん。どうした。」
「503 Service Unavailable…。」
「あ?」
「アクセスが集中してサーバーが落ちてます…。」
「何?どこの?」
「まさか…。」
「おいマサさん。どういうことや。」
「石電のウェブサーバーが落ちとるんです。」
「なに?」
「コミュじゃなくて石電のが…。」
「石電やと…。」
「課長。不味い感じがします。すぐチヨダと連絡とって下さい。」
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2016年02月15日

81 第七十八話



黒田は他の記者とは一線を画するように、ひとりカメラマン控室で夕方のニュースを見ていた。
トップニュースは芥川賞の話題。それに政治・経済のトピックが続いた。20分ほどキー局による全国ニュースが放送され、地方ニュースの枠に入った。目立った話題はない。どこそこでこんな取り組みがありましたとか、誰々が県庁を表敬訪問しましたといったことぐらいだ。
CMが入り、先程まで糞真面目な顔をしてニュース原稿を読んでいたアナウンサーが、急に不自然なぐらいに作り笑顔となって口を開いた。
「さて、続いては今注目を集める新しいコミュニケーションのかたちと題して特集をお届けします。荒木さんはSNSって利用していますか?」
「はい。友達と連絡をとりあうために使っています。」
「えーSNSはソーシャル・ネットワーキング・サービスと言って、インターネット上の交流を通じて社会的ネットワークを構築するというものです。いま、このSNSがネットの枠から飛び出して、リアル則ち現実の世界でも人々の交流を促進する取り組みがここ石川県から起こっています。」
男のアナウンサーがそう言うと動画が流れた。
街角でスマートフォンを触る様子を何カットか入れ、今や携帯電話市場におけるスマートフォンが占める割合は飛び抜けてきている。そこで街角インタビューが入る。どういったことにスマートフォンを利用していますかと。老いも若きも男も女も皆、口々に具体的有名どころのSNSサービスを挙げる。ここでSNSの仕組みを図を示して再度説明。
「まるでスマホ持つのはSNSをやるためだって煽ってるみたいな触れ込みだよ。」
黒田は呆れた顔をした。
ここで再度街頭インタビュー。何名かの人物が「コミュ」と口ずさむ。その中のひとりに「コミュ」について更に聞くとその人物がざっくりとした説明をする。気になった取材班はコミュを運営している人物に取材を行ったということでインタビュー映像となる。画面に映し出されたのは小洒落た青年だった。
ー仁川じゃない…。
彼の横に表示されるテロップは「コミュ」 運営共同代表者村井 司とあった。
「名刺にソーシャル・ネットワーキング・サークルとありましたけど、SNSってソーシャル・ネットワーキング・サービスの略称ですよね。」
「はい。そうです。」
「サービスじゃなくてサークルって言うには何か理由があるんですか?」
「はい。僕らがやっているのはSNSというツールを利用して繋がりを持った人たちを、リアル世界で再度結びつけるお手伝いです。」
「再度結びつける?」
「ええ。実際に会って繋がりをリアルに感じてもらうんです。」
映像が切り替わって、コミュという団体がどういったことを具体的に行っているかの説明映像となる。
SNSは主義主張が似通ったいわば友達が集うネット上の空間。そこではお互いがどんな人間かという妙な探りあいはない。各々が自分の好きなように意見を発表し、それを友達が共有し認め合う。しかしそれはあくまでもネット上での文章のやり取りであるため、あまり深い意見の交換にはならない。深い共有を得るにはやはり実際の人間同士が会って、直接話しをするのが一番だ。そこでコミュはその斡旋を週一のミーティングの場を設けることで行っている。
「既にオフ会というものがこの世にはありますが、それとは何が違うんですか?」
「われわれのコミュは基本的にオフ会と変わりません。参加者の目的も様々です。リアル世界で親睦を深めたいって人もいれば、ハンドルネーム某さんって本当はどんな人かって確認するためだけに来る人もいます。ひょっとするとここで良い出会いがあるかもしれないと何かの期待を抱いてくる人もいるでしょう。僕たちはコミュ参加の動機は全く問いません。」
今までのオフ会と何ら変わりがないコミュという団体が最近注目を集めている一番の要因は何なのか。取材班はそれを調べるべく本日コミュに立ち会うとして映像はここで終わり、再び二人のアナウンサーが画面に映る。
「えーそれではコミュが開催される現場と中継がつながっていますので呼んでみたいと思います。現地には今回の取材を担当した三波記者がいます。三波さーん。」
「はい。」
「三波さん。先ほどの映像でコミュは今までのオフ会と変わりがないとのことでしたが、どうして最近注目されるようになったんでしょうか。」
黒田が嫌うコネ社員の三波は若干緊張した様子で、事前の打ち合わせ通りに中継先で原稿を読み上げる。」
「はい。コミュはSNS派生のオフ会です。それが何故最近注目されるようになったのか。」
ーおいおい。映像もアナウンサーもお前も同じフレーズ繰り返し言うんじゃねぇよ。
黒田はうなだれた。
「そのヒントはこの方に聞いてみましょう。岩崎さんよろしくお願いします。」
岩崎がフレームインすると、黒田は彼女の美貌と小洒落た装いに一瞬見とれてしまった。画面の彼女の胸元あたりに「コミュ広報担当 岩崎香織」とある。
「ネット上のコミュをネットコミュとすると、オフ会のようなコミュはリアルコミュと言えます。このリアルコミュでの発言にはルールが有るんです。」
「それは何ですか?」
「じゃあそれを知ってもらうためにこちらへどうぞ。」
記者の三波は岩崎に連れられて、会議室のような部屋に通された。そこには今回のリアルコミュに参加する面々が5名ほど居た。そこに岩崎は座り語りだした。自分は学食の蕎麦が美味いと思っていた。しかし、この間初めてその味が世間一般では不味いと言われるものであることを知った。自分の味覚がおかしいのか、それとも多数派の意見がおかしいのかを聞きたいというものだった。
それに対してある人物が発言した。岩崎の味覚がおかしいのではない。かと言って多数派の味覚がおかしいわけでもない。味覚には個人差がある。自分が美味いと思えただけで、その蕎麦には価値があったことになる。またひとつの食事を素直に美味いと思える岩崎の感覚は尊重されてしかるべきだと。
それに続いて3名の人物も同様なことを言う。そして最後にその中の老婆が発言した。
「味覚は地域とかに左右されると思います。うどんダシにも関東風とか関西風ってもんもあるぐらいですさかい。学食の味を美味いって言うあんたみたいな人も居れば、そうじゃないっていう人間もおるちゅうことは、あんたが育った地域と、その他大勢の育った地域が離れたところやったってこともあるんかもしれませんよ。。」
その場の人間は皆一様に老婆の意見に頷いた。
銘々が順番に自分の身の回りのことを皆に話す。それに対して参加者たちは反応した。
ーあれ?
カメラを回す安井の側に立って、取材の様子を見ていた相馬は岩崎の異変に気がついた。コミュではハキハキと仕切るはずの彼女が、先ほどの老婆の意見を受けて僅かながら複雑な面持ちを見せていた。
「スタジオの荒木さん。何がルールかわかりましたか。」
三波がスタジオに問いかける。スタジオはピンと来ない様子で現場に返す。
「そうですか。分かりませんか。それでは聞いてみましょう。」
三波は岩崎の横にしゃがんでマイクを向けた。
「岩崎さん。正解は?」
「は、はい。えっと…。」
動揺する岩崎を三波はすかさずフォローする。
「はい。緊張されなくていいですよー。正解は?」
「あ…。」
2秒ほど沈黙が流れた。その2秒の間に岩崎はあたりを見回す。テレビ局の人間ははやくしろといった感じで岩崎を見る。目の前にある三波の顔は笑顔であるが目が笑っていない。カメラを抱える安井の顔はライトによって逆光である。
ふとその時安井の側にたつ相馬と目があった。相馬は彼女にただ頷いてみせた。
「参加者全員に気持よく発言してもらうということです。」
「と言うと?」
「参加者全員の意見を肯定的に聞くことで、発言者が自分の主張を思う存分にできるわけです。」
この言葉を受けて三波は大げさに反応した。
「なるほどー。今、岩崎さんは学食のお蕎麦の話をしましたね。で、それに対して皆さんが肯定的な意見を言いました。」
「はい。一般のオフ会は親睦を深めるということが主な目的です。もちろんコミュでもそれは大事な目的ですが、それよりも実際の人と面と向かって自分の主張を憚ること無く言って、リアル世界での発言力を養うとことが一番の目的だと言えます。」
「発言力を養うですか。」
「はい。コミュでは発言者の意見は絶対に否定してはいけない決まりがあります。そのルールが参加者の積極的な発言を担保しているんです。」
「えー私達日本人はどうしても引っ込み思案なところがあります。そのため欧米諸国の人間と比べて議論が下手くそだと言われます。ここコミュでは、発言は全て肯定されるというルールのため、参加者が忌憚のない意見を出すことができるというのです。」
スタジオのアナウンサーがここで現場に質問する。
「三波さん。実際参加された方はどういった反応でしょうか。」
三波は参加者のひとりにマイクを向けて質問する。
「はい。日頃、なかなか自分の主張を大ぴらにできませんので大変すっきりします。」
「正直、他人の意見を全て肯定するのは結構エネルギーが必要ですけど、自分の意見も全部受けいられるんで結果的にはすっきりしますね。」
「えーこのように、参加者の皆さんは一様にすっきりするという反応です。」
「あ、三波さん。そこのおばあさんにもお願いできますか。」
三波は老婆にマイクを向けた。
「ほうやねぇいい気分転換になります。こうやって若い人らと話すのはボケ防止にも良いんじゃないですかね。」
「えーネットから形を変えてリアル世界に飛び出したコミュ。SNS疲れという言葉もありますが、ここではむしろ精神的負担を和らげるコミュニティが形成されています。これからの成長に注目です。」
こう言って中継は終わった。
ー結局、仁川は出てこなかったか。
黒田はテレビを切った。
ーやっぱり仁川征爾の名前を公に出すってのは憚られるってわけか。
ソファに転がった黒田は天井を見つめた。
「で、結局何言いたかったんだよ。三波のやつ。中身すっからかんじゃん。あれじゃ単なる自己啓発セミナーの宣伝だよ。」

「本当にテレビの通りなら、何の害もない連中なんやけどね。」
シャワー上がりの片倉は自宅ソファに身を委ねてスポーツ飲料を飲んだ。
「ふーっ…肝心要の仁川はなし。コミュには岩崎香織っていうたいそう可愛い女の子がおりますよって…。」
彼はスマートフォンのSNSアプリを立ち上げた。
「コミュに参加したらこの可愛い子が自分の話を全て肯定してくれる。」
そう言いながら彼はSNSの検索窓に岩崎とテキストを入力した。
「そんな奴らが一気に押し寄せるか…。」
検索の実行ボタンを押下したその画面には無数のコメントが表示された。
携帯が震える音。
「おう。」
「すごい勢いです。」
「そうやな。」
「トラフィックが多すぎて処理できません。」
「ああ…。」
「嫌な予感しかしません。」
「マサさん俺もや。」
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2016年02月08日

80 第七十七話



金沢駅近くの会館前に相馬と安井が乗る報道車が到着した。安井は中継の連中と軽く打ち合わせすると言って相馬と若手の記者を置いて、一足先に到着していた中継車の方へ向かった。
「じゃあバイト君行こうか。」
「はい。」
報道車を降りた2人は会館のロビーにあるソファに座り、コミュの関係者の登場を待った。
「バイト君はSNSとかやってないの?」
「え?」
「その反応、まさかやってないとか言うんじゃないだろうね。」
「え…やってません。」
「駄目だよそんなんじゃ。アンテナ低いなぁ。」
「駄目…ですか。」
「そうだよ。いくらバイトって言ってもさぁ曲がりなりにも君、この業界で仕事してんだからさ、世の中の流行りってもんを抑えておかないと。」
「あぁすいません。」
「ったく、こんなんじゃ会話が続かないよ。」
「え?どういうことですか。」
「いい?SNSってのは日ごろ知っている人とか、昔の友人とか、はたまた雲の上の人みたいな有名人と時空を超えて繋がれる凄いツールなの。」
「はぁ。」
「つまり人同士の繋がりを電子化するってわけ。電子化することで何が起きる?」
「え…わかりません。」
「ほらぁこれだから流行に疎い人は、頭の回転も悪いんだよ。」
マスコミという業界の人間は個性的なため、この若手記者のような人の気持ちを考えない発言をする人間は結構いる。これをいちいち目くじらを立てているとこの手の業界で仕事は勤まらない。相馬はこの記者の言い草にむっとしたが、自分のスルー能力を試されているものとして、適当に合わせることにした。
「あのさぁ電子化するってことは、その交流にかかるコストが限りなくゼロになるってことなの。」
「へぇコストがゼロですか。つまりタダですね。」
「そう。」
「でもそれってメールとか掲示板とかでも同じ話じゃないんですか?」
「あーこれだから未経験の人は困るんだ。」
「え?」
「ほら、例えば俺がいまここにいますとかSNSを使ってその情報を上げたとするだろ。」
「はい。」
「そうしたらSNSでつながっている人間は瞬時に俺の様子を把握することができる。」
「はい。」
「で、そのことに対するコメントをそのスレッドみたいなもんに書き込んで情報を共有する事ができるってわけ。」
「はい。」
「つまり、友達がいつどこで何をしたのかをリアルタイムに共有できるんだ。しかもタダで。」
「はい。」
「はいじゃないが。」
「え?で?」
「え?」
「すいません。それから先が今ひとつ俺には見えんがです。」
「だからぁバイト君さ。友達ってもん考えてみなよ。」
「友達ですか?」
「そうだよ。友達ってどんな属性の人間?」
「属性?考えたこともありません。」
「まぁその大体が自分と主義主張が似通った人間ってこと。」
「あぁなるほど。言われてみれば。」
「主義主張が似通った人間が繋がるってことは、自分の発言などが掲示板みたいに炎上しにくいでしょ。」
「確かに。」
「ということは掲示板とかなんかよりも生産的だと思わない?」
「はぁ…。」
記者は気のない返事をする相馬の様子に苛立ちを覚えたのか、貧乏ゆすりを始めた。
「バイト君ってさ、友達居るの?」
「え?」
「だって説明してもピンときていないみたいだし。」
大きなお世話だ。別にこっちは説明を求めていない。勝手にそっちが解説をしただけだ。それにSNSというものがこの男が言うように非常に有益なものだったとしても、それを手短に説明できない説明力の乏しさに気づくべきだろう。相馬はそう心のなかで呟いた。
「コミュはね。そのネット上のコミュニケーションをリアル世界まで発展させた、SNSの次の段階のモデルケースなんだ。」
この男が言うように、人との繋がりが電子化されることによってコミュニケーションのコストがゼロになったことに意義を見出すとなれば、次の発展段階でなぜコストが発生するコミュニケーションに移行すると言うのか。そもそも主義主張が一緒な人間が集まってネット上で交流することは単なる馴れ合いとなるのではないか。そして慣れ合いにコストをかけるということは生産的であるといえるのか。などと相馬の頭には疑問しか浮かんでこなかった。
ロビーの奥から色白の美しい女性が現れたことに相馬は気がついた。
「バイト君はハタチそこそこでしょ。これからの世代なんだから、もうちょっと世間の流れに敏感になったほうが良いと思うよ。」
相馬の存在に気がついたのか岩崎は彼と距離を保ったまま立ち止まった。
「おい聞いてんのかよ。」
「あ…うん。」
「うん?あのねぇ。」
目の前に透き通るほどの肌をした美しい女性がいることに記者はようやく気がついた。
「ヤバ…かわいい…。」
ー岩崎さん…。
「なぁ、なんかあの可愛い子こっち見てるんじゃないか?」
「え…ええ。」
「あれぇ俺、なんかちょっと今日、中継ってことでキメすぎたかな。」
仕立ての良い紺のジャケットに白パンを合わせた記者は緩めていたネクタイを改めて締めた。
岩崎は辺りを見回した。相馬と記者以外にこの場には誰もいない。携帯を取り出した彼女はちらっとそちらに目を落として、こちらの方へ近づいてきた。
「やべぇ。どうしよう。」
にやけた記者はそわそわし出した。
「あの…。」
「はい?」
「ひょっとして北陸新聞テレビの方ですか?」
「え?なんで分かったのかな?」
「あ、やっぱりそうだったんですか。コミュの岩崎です。」
「へ?」
「今日の取材の対応をさせて頂きます。」
「あ、ああ!! 申し訳ございません申し遅れました。私北陸新聞テレビ報道部のものです。」
とっさに立ち上がって記者は彼女に名刺を差し出した。
「今日はよろしくお願いします。」
「あ…こちらこそ。」
「あなたが広報担当の岩崎さんですか。」
「はい。」
楽しげに岩崎に話しかける記者と対称的に岩崎は言葉少なだった。記者の話をよそに時折その横に立つ相馬の姿を彼女は横目で見た。
「あぁすいません。こいつカメラのアシスタントやってるバイトなんです。」
面倒くさそうに記者は相馬を岩崎に紹介した。
「どうも。」
「あ…どうも。」
「おいバイト君。」
「はい。」
「はいじゃないよ。こっちは広報さんと打ち合わせがあるの。君はさっさと安井さんと一緒にスタンバってよ。」
「あ、はい。」
相馬はそそくさとその場を後にした。
「すいませんね岩崎さん。あいつぼんやりしてて。」
「…いえ…。」

「ただいまー。」
玄関扉を開くと家の中は静まり返っていた。
「久しぶりに速攻で帰ってきたっていうげんに、あいつも京子も留守か…。」
リビングの冷房をつけ、彼は着替えのために寝室がある2階へと足を進めた。階段を昇りきりいつものように寝室のドアを開こうとしたとき、彼の足が止まった。次の瞬間彼の手は京子の部屋のドアノブをそっと回していた。
「ごめんくださいっと…。」
小声でこう言って彼は恐る恐る部屋の中に入った。片倉が京子の部屋に入るのは彼女が中学生の頃以来のことである。彼女とコミュニケーションをとるのは専ら家族の共有スペースであるリビングかキッチンだった。お年ごろの女性のプライバシーの塊である部屋に男が足を踏み入れることをタブー視していたためだ。
遮光カーテンによって部屋の中は暗かった。片倉が壁の照明スイッチを押すと娘の部屋の中が明らかになった。意外と綺麗に整理されている。京子は昔から本や漫画が好きで、片倉はよくおねだりされた。それらは今、部屋にある本棚にちゃんと仕舞われている。片倉が一方的にこれも面白いぞといって買い与えた歴史モノの漫画も読んだかどうかは分からないが、本棚にあった。
京子の机の上に一冊の手帳が置いてあった。
「ちょっと見せてもらうな。」
それを手にした片倉は読むわけでもなくただパラパラと捲り、暫くして手を止めた。
そしてふっと息をつき、それを閉じて元通りにした。
「ごめんな。お前まで巻き込んでしまって…。でも…良かったな。」
こうつぶやいて部屋を出た彼は、廊下を挟んで向かい側にある寝室で着替えをすることにした。
クローゼットの中の衣装の殆どは妻のものである。片倉の服は数少なく、決まったものしか無い。彼は部屋着であるジャージを衣装ケースから取り出した。
「あれ?」
クローゼットに掛けられているはずの妻のワンピースが無くなっていることに片倉は気がついた。
「おいおい…勘弁してくれや…。」
片倉はクローゼットを漁り始めた。
彼が探しているのは妻がここぞという時に着用する勝負服的な性格のワンピース。ビビッドな色使いの海外のブランド物である。
「マジかいや…友達と旅行にいくだけで、ここまでするけ…。」
ため息を付き肩を落とした彼はジャージに着替えること無く部屋の窓を開け、ベランダに出た。そして夕暮れ時の空を見上げ、その場で煙草を吸い始めた。
「17時半か…。」
相馬尚美によって写真で収められたその瞬間の片倉の姿は、それをメールで受け取った相馬卓にとっても疲労と憔悴がにじみ出ているように感じられるものであった。
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2016年02月01日

79 第七十六話



「つまり一色は朝倉の工作活動を阻止するために、マルホン建設とドットメディカルを結びつけた。ドットメディカルに入り込んだ今川に主要な立ち振舞をさせることで、影の存在であろうとする奴を表舞台に引っ張りだし、よからぬことをせんように監視の目が行き届く体制を構築させた。これがもうひとつの一色の意図するところやったんです。」
「なるほど。それが警察に潜入した潜入捜査官ってことですか。」
「はい。しかし、残念ながらあの事件で一色は落命。熨子山事件から三年で事態は確実に彼奴等にとって有利な展開となっとる。」
「石川の企業、官庁、病院の情報を抑えてそれを人質にとっている状態ですね。」
「はい。」
「しかしですよ。古田さん。そこまであなたが状況を把握しているんだったら、なぜ警察は動かないんですか。」
「と言うと?」
「自分はあんまり警察の捜査のこととかよくわかりませんが、古田さんが言うその推理をもって、朝倉や今川をさっさと逮捕すればすべてが丸く収まるんじゃないですか。」
腕を組んだ古田は納得するように頷いた。
「確かにあなたの言うとおり、ひとつひとつを着実に潰していくってのは正攻法なんかもしれん。」
「えぇ...ってか普通どんな仕事もそんなもんじゃないですか。」
「いや。従来通りの警察ならそうやるはずや。」
「従来通り?」
「はい。」
「え?じゃあ古田さんがいまやろうとしていることは従来通りではないと?」
「ええ。」
「どういう点で?」
「佐竹さん。ワシらの仕事は一般の経済活動と違うのはご存知ですね。」
「まぁ警察って特殊な仕事ですから。」
「そう。特殊です。一般の経済活動っていうのはゼロから1を生み出すことが仕事です。翻ってワシらはその逆。ゼロから1を生み出すような仕事じゃない。むしろ1を作つくらせんようにすることが仕事。んでもしもその1を作り出してしまったら、そいつをゼロにする。こういうのは医者が病気と向き合うのと似とると思いませんか。」
「医者ですか。」
「はい。病気には二通りの対応方法があります。ひとつはあなたが言ったような、表面に現れた状況に対して物事を処理していく対症療法。んでもう一つはその病気の原因そのものを制御する原因療法や。」
「対症療法と原因療法。」
「先に断っとくと、ワシは別にあなたが言う対症療法を否定する立場じゃあない。風邪で39度の熱が出て意識が朦朧としてどうにもならんっちゅうげんに、解熱剤もなんも投与せんと自然治癒力っちゅうもんを活用して原因療法に専念しろなんて言わん。熱が出たら解熱剤。咳が止まらんがやったら咳止め、下痢が止まらんがやったらそれに対応した薬を投与してやらんと、患者の体力が持たんくってそのままコロンって逝ってしまうかもしれん。ほんなやったら表に出た症状を抑え、そん中で患者の自然治癒力を引き出し、風邪を治す。」
「じゃあ俺が言った正攻法で良いじゃないですか。目下のところ朝倉と今川を逮捕し、その影響下にあるものの弱体化を図るって感じで。」
「ですからそれは従来通りの発想なんですよ佐竹さん。」
「はい?」
「いままでその方法で公安警察はその手の工作活動の芽を摘んできた。しかしそれで奴らの工作活動は弱体化するどころか、むしろ年々その手口が巧妙化し、尚且つ浸透具合が酷くなっとるでしょう。そんな現状を踏まえてまだ対症療法が妥当だと思われますか。」
佐竹は口ごもった。
「対症療法をするだけで自然治癒力に頼るあまり、原因治療を怠った。結果、病状は深刻の度合いを高めとる。そんな状況でさらに問題の先送りをすることが妥当だとでも?」
「いえ…。」
「これはね…縦割りお役所の負の側面でもあるんですよ。相手方の工作活動は年々巧妙化し、その対応には人出と金がかかる。だから予算を多くつけてくれってね。」
「え…。」
「要は対症療法にかこつけて、予算の増額の名目に利用してきたってこと。」
「そんな…。」
「そりゃあ原因不明の難病で原因治療が施せんちゅうがなら、対症療法だけでの対応は通るかもしれん。ほやけど件のimagawaはそうじゃない。」
「…原因治療が施せる、解決可能な事件だと。」
古田は頷く。
「だから佐竹さん…。ワシは泳がせとるんですよ。」
「泳がす…。」
「そう。」
「泳がせるということは、その先には...。」
「関連する人間の一斉検挙。」
「一斉検挙?」
「そう。一色が熨子山事件の時にマルホン建設、本多、仁熊会に一斉にメスを入れたように、今回も包囲して一斉に叩く。」
「そんなことできるんですか。」
「できる。」
「なぜ?」
「そうしろとワシはある男から指示を受けとるんや。」
「或る男?」
「はい。その男の名は一色貴紀。」
「一色?」
鞄の中から古田は白の長3封筒を取り出した。
「なんですそれ。」
「これは一色の遺書なんです。」
「え…。」
「この遺書に、いまワシがやっとる捜査の指示が書かれとった。ワシはこの指示の通り動いとるだけ。」
「え…ちょっと待って下さい。その遺書っていつ書かれたもんなんですか。」
「熨子山事件の半年前。」
「は?」
「佐竹さん。あなた北高の西田先生覚えとりますか。」
「西田…。ってあの西田先生ですか。」
「そう、あの西田先生です。これは一色が自分にもしものことがあったらワシにって言って西田先生に渡したもんなんですわ。」
封筒をペラペラと振って古田はそれを鞄にしまった。
「熨子山事件発生時、ワシは一色の高校時代のことが気になって北高に聞き込みに行きました。そこで対応してくれたのが西田先生。んでそんときにこれ渡されたんですよ。事件が一息ついたら開くようにってね。」
「そんな馬鹿な…。」
「こいつはね、これがこうなったらこうしろとかって言う事細かな指示じゃない。もっとおおまかなもんや。この手紙がワシによって開かれると言う状況が、何を意味しとるかと言うところから始まって、熨子山事件に関する一色の見立て。その後こう言った具合に事態は展開するだろうという予想。それに基いてざっくりとこう動くのが効果的じゃないかっちゅう一色なりの戦略が書かれとるんですよ。」
「戦略…。」
「ワシはあいつのその戦略に則って動いとる。自分の判断でね。」
暫く古田の顔を見つめていた佐竹は口元を緩めた。
「どうしました?」
「あいつらしい。」
「ん?」
「あいつらしいですよ。そのやり方。」
「どの辺りが?」
「全体を俯瞰してこういう方向性で攻めるのが良いと思う。この戦略を執るのは自由意志だ。そして行動も個々人に委ねる。その辺りがですよ。」
「…。」
「何もかも自分色に染め上げるような設計主義な鍋島に反して、一色はいつもそうだった。その手紙でもあいつの主義が生きている。」
「あなたが十河に言ったイデオロギーの衝突ってやつですか。」
「はい。」
「人間は不完全なものであると認めるところから出発し、一定の方向性だけを提示し、あとは自然に任せるっちゅうやり方ですな。」
古田のこの言葉に佐竹は呆れた表情を見せ、ため息をついた。
「あれこれと指示してくれたほうが楽なんですよ本当のところ。自分で考える必要がありませんから。こっちは指示通りに動いただけ、責任は指示を出した人間にある。って事になればこっちはこっちでいくらでも逃げようがある。けどあいつはそれをここに来ても許してくれない。」
「しかしあなたはその一色の意志を受け継いだ。だから赤松さんと一緒に考えた結果、昨日、あの時間に鍋島の存在を確認するために熨子山の墓地ヘ行った。」
「はい…。」
「どうしてそこまでしてあなた達は一色のために動くことができるんですか。」
「古田さん。一色のためじゃないですよ。ただ単純にやらなきゃいけないっていう衝動が俺を動かしているだけです。なんとかのためなんて理由みたいなものは、その大体が後付ですよ。人間そんなに合理的な生きもんじゃありません。行動の大半の源泉は感情です。だって不完全な生き物ですから。」
古田はふっと息をついた。
「佐竹さん。あなたは昨日、墓地で熨子山事件発生当時にかかってきた電話番号に電話をかけた。」
「はい。」
「その電話が何故かその場に放置されとった。」
「はい。」
「これが意味するのは、佐竹さんわかりますね。」
「はい。」
「なんですか。」
「俺や赤松にはわからないように、あいつは常に俺らの行動を監視している。」
「そうです。つまりあなた達は既に鍋島の手の内にあるっちゅうことです。あなた達が鍋島の手にあるということは、今こうやってあなたと面と向かって話しているワシの存在もこの段階であいつには筒抜けやってことです。」
佐竹は口を噤んだ。
「ここでワシの方から佐竹さんに接触を図ったのはそれを逆手に取るためのこと。」
「え?」
「熨子山事件当時にさんざん現場を引っ掻き回したデカが出張ってきたとなると、あいつ厄介でしょう。」
「…まぁ。」
「あいつはいずれワシの前に現れる。現れてワシを消そうとするはずや。」
「え?」
「ワシはそこを狙っとる。」
「え?ちょっと待って下さいよ古田さん。」
「警察は鍋島惇の生存そのものは把握しとるけど、奴がどこでどう潜伏しとるかまでは残念ながら掴めとらん。つまり警察はあいつの掌の上で泳がされとる状態。いまワシらが何としてもやらないかんがは、あいつの現認や。この目で見ればその後のあいつの行動が読める。」
「その人柱に古田さんがなるっていうんですか。」
「そうです。そのためのあなたとの接触ですよ。」
「危険です。」
「あなたが単独であいつと接触するのも同じくらい危険です。」
「しかし。」
「少なくともあなたよりか逮捕術の腕に自身がありますよ。」
それはそうだ。犯人逮捕を職業的にやっていた人間と、高校時代の剣道経験しかない人間とでは天と地の腕の差があるのは当たり前。何も言えなくなった佐竹をよそに古田は立ち上がった。
「さてワシがあなたに言えることはこんだけや。」
「俺はこれから何をすれば…。」
「それはあなたが自分で考えて判断して下さい。」
「…そうでしたね。」
「あと数日がヤマ。」
「え?」
「ワシの勘がそう言っとる。」
「勘…ですか。」
「ええ。根拠のない勘ですがね。」
こう言った古田は佐竹に背を向けた。
「佐竹さん。どんな些細な事でもいい。気になることがあったらワシに連絡して下さい。ワシもあなたに報告する。」
「こちらこそ是非。」
右手を軽く上げて古田は店を後にした。
「スッポンのトシ。」
古田と入れ替わりで店内に入ってきた野本がボソリと言った。
「スッポン?」
「あの人のかつての異名だよ。一度噛み付いた事件は必ず解決させる。あの人が通る道の後には未解決なんてもんはない。」
「ということは…。」
「そうだよ。この件も必ず解決してくれるさ。」
「…。」
「だからあんたはあんたの判断を信じて動きな。」
「自分の判断を信じるか…。」
佐竹が車に乗って走り去るのを見届けた野本は店内に戻りまたも呟いた。
「あんなに捜査情報を協力者にべらべら喋ってしまう捜査員ってのも初めて見たよ。」
机の引き出しを開き野本は肩をすくめた。
「一色さん。あんたどこまで他人を信用してんだ。」
鋭い目でこちらを見つめる一色の写真に野本は微笑んだ。
「ふっ。」
posted by 闇と鮒 at 00:00| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする