2016年10月31日

117 第百十四話



どんな鬱陶しい気候でも涼し気な顔の鍋島であるが、今の彼は苦悶に満ちた表情であった。
「はぁはぁ…。」
山頂から金沢北高側の獣道を暫く降りると開けた場所に出た。
ポッカリと大きな穴が開いているようにも見える、その漆黒の空間に白いペンキの跡が見受けられる。それは闇の天空に浮かび上がる月明かりの仕業だった。
「え…。」
鍋島の目にあるものが飛び込んできた。一件の朽ちた小屋である。
ーな…なんだ…。ここもあの時のままじゃないか…。
月明かりは小屋の側にある一台の原動機付自転車とセダン型の自動車を薄っすらと照らし出していた。
「ぐっ…。」
またも強烈な痛みが彼の頭部を襲う。心臓が脈打つ度に拳銃で頭を撃ち抜かれたのではないかと思われるほどの痛みと熱が走る。
「クソが…。クソが…。」
呻き(うめき)声を発しながら、鍋島はその場に跪いた。

3年前

「おい!鍋島!」
鍋島に抱えられていた一色が崩れ落ちるようにその場に倒れた。そこには変わり果てた穴山と井上がある。
「村上。引くことは許されん。俺は一色を別のところで始末する。穴山と井上への犯行は一色のものだと工作しておいてくれ。後で落ち合おう。」
そう言って鍋島は凶器のナイフとハンマーを床に落とした。
「そのナイフとハンマーに一色の指紋を付けろ。」
「え?」
「いいから早くしろ。」
「…おい…。鍋島…もういいだろ…。」
「は?」
「お前…自分が何やってんのかわかってるのか?」
「どういう意味だ村上。」
「…自分の理想とする世界を実現するために、お前はどんだけの犠牲を払わせるんだ。」
「理想を実現するために犠牲はつきものだ。今更何を言ってるんだ。」
「お前…それで一色まで始末するのか…。穴山と井上だけでなく、一色まで始末するのか?」
「村上。同じことを繰り返して言うな。一回聞けばわかる。」
「…なぁ…もう止めろよ…。」
「何?」
村上は肩を落とした。
「もういいだろ…鍋島…。一色はお見通しなんだよ。」
「何がだよ。」
「赤松の親父を殺したこと。病院の横領事件絡みの殺し、それの捜査を撹乱させるための久美子への強姦。」
サングラスをかけたまま鍋島は村上の方を見つめる。
「こいつらが全部お前による犯行だってことをな。」
「けっ…。」
「一色はそうとは断言していない。でもこいつは分かっている。分かっているからこそ、最後の情けであいつはここに単騎で乗り込んできた。乗り込んで自主を促してきた。そうだろ?」
「…。」
「なぁ…もう…もうやめようぜ鍋島。もういいだろ。そもそも残留孤児の問題は一色に責任がある問題じゃないだろ。」
「大ありだよ。」
「え?」
「村上。お前今更何言ってんだ?お前は俺の味方だろ?俺の考えに賛同してるから、いままでお前は俺を庇ってくれたんだろ。それが何?いまこの段階で突然手のひら返すわけか?俺の行く手を遮るやつはすべて悪だ。俺のジャマをするやつは同胞の邪魔者だ。お前がやれないんだったら俺がやる。」
床に落ちているナイフとハンマーを手にして、鍋島はそれを眠る一色に握らせた。
「こうすりゃ一色は穴山と井上を殺した凶悪犯罪者だ。」
「鍋島…。」
「警察キャリアが成人男性二人を殺す凶悪犯罪を起こして姿を消す。こいつは前代未聞の事件になるな。」
「お・お前…。」
「県警の信用は失墜。そうなりゃああいつらは当面派手な動きはできなくなる。これで本多の周辺の捜査は打ち切りだ。そうすればお前に対する本多の信用は完璧なものになるだろう。」
「あ…。」
「俺はお前にやってほしんだよ。俺ら同胞の救済をさ。たった数名の人命と俺ら同胞の多くの人命。どっちが重いよ。」
鍋島は村上の肩を叩いた。
「頼りにしてるぜ。村上。」
「鍋島…。」
「あ?」
「お前…本気で言ってんのか。お前、本気で人の命の軽重を数の論理で説いているのか?」
「何言ってんだ村上。お前らが信奉する市場経済に則った考え方だ。ひとつの商品が持つ本来の価値がどうだと言う議論よりも、売れた商品が価値のあるものだっていう考え方と一緒だよ。」
村上はため息を深くついた。
「はぁ…。鍋島。それは違うぞ。」
「あん?」
「日本を反日共産国家のツヴァイスタンと一緒にするな。鍋島。」
「あ…?」
「我が国を人権無視のあの独裁国家と同じにするなと言っている。」
「何言ってんだおまえ。」
「人の命をそこら辺の商品とかサービスと一緒くたに論じるなと言ってるんだ。」
鍋島の口元が引きつった。
「お前の発想はあの国の思想そのものだ。」
「おいおい…何なんだよ村上…。」
鍋島は肩をすくめ、呆れ顔を見せた。
「お前、ツヴァイスタンから直で金を貰っているだろう。」
一瞬、鍋島の動きが止まった。
「は?なんだツヴァイスタンって?」
「惚けんな。お前がツヴァイスタンのシンパだってことは分かってんだ。」
「おいおい。やめてくれよ村上。わけの分からんこと言うんじゃない。」
「じゃあこれは何だ。」
村上は一枚の写真を鍋島に見せた。
「なんでお前がツヴァイスタンのエージェントである下間芳夫と会ってるんだ。」
写真にはとあるホテルのロビーで鍋島が下間と向かい合うように座り、紙袋のようなものを受け取る姿が収められていた。
「仁熊会から金を受け取っているならいざ知らず、お前はよりによって反日共産国のツヴァイスタンから金の援助を受けていた。」
「何が悪いんだ。お前だって仁熊会のパイプ駆使してんだろ。仁熊会とツヴァイスタンは裏でつながっているってことはお前も知っているだろ。」
「ああ知ってる。」
「じゃあ今更なんだ。」
「鍋島…。いいか。俺は自分の意志に関わらず、国家間の思惑で不遇の時代を過ごすことになってしまった残留孤児という存在に思いをした。そして彼ら彼女らを日本政府として救済できる方法がないかと考え、本多に働きかけてきた。」
「なんだよ。この場面で昔話か?」
「いいから聞け!」
村上は鍋島を一喝した。
「残留孤児と言えども日本人だ。日本人の落とし前は日本人でつける。これが俺の大前提だ。俺は国会議員になって日本政府として彼らにちゃんとした保障を提供したい。そのためには政府として残留孤児に対する保障活動は不十分であったことを一旦認めて、彼らに公式に謝罪し、改めて充実した保障政策を執るというプロセスが重要だ。ただ、俺が議員になるためにはまだ時間がかる、だから俺は議員になるまでの期間、自分でできることを先になるべくやろうということで、身の回りの残留孤児関係者に資金援助をしたり、教育の場を提供したり、仕事を斡旋したりした。もちろん俺と同じ思いを持つお前にも協力を惜しまなかった。だが、お前とは根本的に相容れない思想があったみたいだ。」
鍋島は黙って村上の言葉に耳を傾けた。
「確かに俺は仁熊会が裏でツヴァイスタンに協力的だと知っていた。」
「だからそれを知っているのになんで俺を責める。」
「言ったろ。日本人の落とし前は日本人でつけるって…。なんで内輪の問題を日本を敵視する国家の支援を受けて解決するんだ。」
鍋島は黙った。
「残留孤児問題の当事国同士が話し合って、何らかの経済援助策を打ち出すならまだしも、なんで第三国がそれに関わってくる?一応、この問題の当事国同士の話し合いは終了している。帰国した残留孤児の生活保障などの問題はあくまでも日本国内の問題。そこにお前はあろうことか第三国の金を引き込んで問題を複雑化させている。」
「なに…。」
「考えても見ろ。仁熊会がなんでツヴァイスタンなんかと関係を持っているか。」
「金だろ。」
「そうだ金だ。一見羽振りが良さそうに見えるが、実はあそこは資金繰りが厳しい。いくら県内最大の反社会勢力といえど金がなければ立ち行かない。警察の厳しい目をかいくぐって定期的にまとまったシノギを得るにはツヴァイスタンと結ぶのが手っ取り早かった。」
「良いじゃねぇか。合理的な判断だ。」
「バカ言え。それが間違いの元だったんだよ。」
「何がだよ。」
「仁熊会はツヴァイスタンっていうシャブに手を出したんだよ。」
「ツヴァイスタンというシャブ?」
「ああ。はじめはちょっとした手伝いみたいな仕事を請け負って小銭を稼いだ。ツヴァイスタンは定期的にその小口の仕事を仁熊会に与えた。営業活動をしなくても定期的に仕事を発注してくれる先ほどありがたいものはない。仁熊会はそれに甘えた。そこでツヴァイスタンとの関わりがとどまっていれば何の問題もなかった。だがあそこからの仕事は次第にお大口の仕事になってくる。気がつくと仁熊会はツヴァイスタンからの仕事に依存する自力営業をしない体質になっていた。こうなっちまったら仁熊会はツヴァイスタンのフロントだ。」
「そんなもん自分で招いた結果だろ。」
「そうだ。それを熊崎は悔やんでいた。」
「オセェヨ( ゚д゚)、ペッ。今更どの口が言うんだ。」
「一旦シャブに手を出してしまった人間の末路はお前も知ってるだろ。」
「死ぬまでしゃぶられる。」
「そう。熊崎はそれに気がついた。」
「だからおせぇって。」
「確かに遅い。だがあいつは大事なことに気がついた。」
「は?」
「ツヴァイスタンの本当の目的にな。」
「ツヴァイスタンの目的?」
「工作員を日本に送り込んで、近い将来この国を政情不安に陥れる。」
「…。」
「熊崎の奴言ってたよ。シノギを追求するあまり、自分が今いる国を動乱に巻き込むようなことになると、せっかく得たシノギも紙くずになっちまうってな。」
鍋島は口を噤んだ。
「一旦クスリ漬けになっちまった人間を社会復帰させるには、本人の意志だけじゃどうにもならない。つまり仁熊会自体には自浄作用を期待できないってことだ。そこで熊崎は俺に言った。」
「何をだ…。」
「仁熊会が自爆するとしても、それは自分で巻いた種だから覚悟はできている。しかし曲がりなりにも仁熊会はこの国の下で運営させていただいている。だからこの国に迷惑をかける訳にはいかないってな。」
「自分で自分の後始末さえ出来ない奴がなにをふざけたこと言ってんだ。」
「鍋島。病院横領事件のこと覚えてるだろ。」
「あん?」
「当時県警の捜査二課の課長だった一色は仁熊会にガサ入れして、そのツヴァイスタン関係の金脈を洗い、あいつらを排除しようとした。」
「何?」
「これで仁熊会は終わりだと熊崎は腹をくくった。だがお前が当時の関係者を殺したり、県警のお偉方が一色の捜査を妨害したりして、あの事件はお宮入りだ。」
「…。」
「仁熊会とツヴァイスタンの関係を断つ絶好のチャンス。それをお前はあろうことか妨害した。エージェントの司令を受けてな。」
鍋島は苦々しい顔をした。
「なぁ鍋島…いい加減やめようぜ…。お前もツヴァイスタンっていうシャブにどっぷりハマっている。俺も本多っていうシャブにハマっている。シャブから足を洗おう。これ以上クスリに頼ると俺ら本当に売国奴に成り下がってしまう。」

「妨害妨害って…。だから同じことを2回も言うなって言ってるだろ…。」
激痛が走る頭を両手で抱えながら鍋島は足を引きずった。
ー駄目だ…。休息が必要だ…。
小屋の入り口が鍋島の目に入った。そこには親指ほどの隙間がある。
ーあそこで少しだけ休もう…。
そこに手をかけた彼は扉を開き、中に倒れ込んだ。
「はぁはぁはぁ…。」
ゆっくりと彼は仰向けになった。
少しは痛みは和らいだようだ。鍋島は深く息をした。
仰向けになってわかったことがある。老朽化が進んだ小屋の天井の一部は抜け落ち、そこから月が見えた。
放置された農機具、ロープのようなもの、一蹴りすれば折れてしまうかと思われるほど朽ちた木製の柱と梁。目が慣れてきたのか、小屋の中の様子が見えだした。
ーまさか…ここで俺が横になるとはな…。
身体を横に向けたとき、彼は異変に気がついた。
月明かりに照らされる自分の隣に紐のような長いものが落ちている。それはこの空間のどれよりも新しく純白色である。
やっとの思いで体を起こすと、その紐が何を意味しているか瞬時に解った。
「こ...これは…。」
人の形で囲われた白い紐は、2つあった。
「うぐっ…。」
再び激痛が彼の頭を襲った。
頭を両手で抑えると、汗をふんだんに含んだニットキャップからそれが垂れ落ちてくる。
「あ...ああ…。熱い…。」
今度は顔を手で抑えた。
「熱い…熱い!!热!热!顔が焼ける!」
鍋島は小屋の中でひとり絶叫とともにのたうち回った。
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2016年10月24日

116.2 第百十三話 後半



重い木製の引き戸を開き、壁に埋め込まれた照明スイッチを押すとそこは剣道場だった。
「相変わらず(゚ν゚)クセェな。」
剣道場から醸し出される独特の臭気に、佐竹は渋い表情を見せた。
「あれ?」
「なんです。」
「へぇ道場にエアコン入ってんだ。」
そう言って彼はそれの電源を入れた。
「あ、俺のときにはもう入っていましたよ。」
「あ、そうなの。」
佐竹は道場正面に礼をして中に入った。相馬と京子もそれに続いた。
「おい相馬。」
「あ?」
「俺らもいいんか。」
「おう。一応正面に礼して入ってくれ。」
「え?こうか?」
ぎこちない様子で相馬達の動きを真似た長谷部と麗も中に入った。
「ねぇ相馬君。なんでこの部屋に入るのにお辞儀なんかするの。」
麗が尋ねた。
「え?」
相馬は固まった。そこに何の意味があるかなんて今まで考えたこともなかった。
「下間さんだったね。この手の道場に入るのはじめて?」
佐竹が麗の質問に答えた。
「え…はい。」
「はっきりとした解説はできないんだけど、この場所を使用させていただきますっていう素朴な気持ちの表明だって俺は聞いたことがある。」
「え?誰も居ないのに?」
「そう。ほらよく八百万の神って言葉があるだろ。自然界の万物にはすべて神が宿っているって。この道場にもそういった神様がいて、いまからこの道場を使わせていただきます。なので使用している間は怪我や事故などが起こらないよう見守っていて下さいって会話をすることなんだと思う。」
麗はキョトンとした様子である。
「こういったすべてのものを大切にするっていう気持を大切にすることで、相手を敬う心を育成する。そんなところかな。」
麗とは反対に、改めて知る正面への礼の意味に相馬は納得した様子だった。
「いやぁ何にも変わってないな。ここ。」
「そうですか。」
「ああ。黒板に書かれてる内容以外は何にも変わっていない。まるでタイムスリップしたみたいだ。」
「あの…それで…。」
「ああごめん。本題に入ろうか。」
佐竹達五人は道場の中心に車座になって座った。
「相馬君、片倉さん。一色と稽古したんだってな。熨子山事件の前に。」
「はい…。」
「あいつ何か言ってたか。」
「あの…どうやったらこれ以上強くなれるかってことについてアドバイスしてもらいました。」
「へぇ。どんなの?」
剣道の形を大事にすること、かかり稽古の数を増やすこと、そして囲碁の本を渡されたことを相馬は佐竹に話した。
「囲碁?」
「はい。」
「…囲碁ね…。」
佐竹は腕を組んでしばらく考えた。
「どうしたんですか。」
「で、どうだったその本、役に立った?」
「正直僕、将棋くらいはやったことありますけど本渡されるまで囲碁なんか興味もなかったしやったこともなかったんです。なんでその本読んでもよく分からんかったんです。」
「あらら。」
「でも折角一色さんから渡されたんもんを、そこで投げ出すのもしゃくですから取り敢えず入門書片手にやってみました。すると囲碁のルール自体は単純だってわかりました。」
「どういうことかな。」
「碁のルールは自分の色の石で相手より広い領域を囲う。これだけです。僕が難しいって思っとったのは、盤面状態とかゲーム木の複雑さだったみたいです。」
「相馬君。ごめんだけど俺、碁やったことないんだ。俺にも分かるように説明してくれないか。」
相馬は困惑した表情を見せながら口を開いた。
「結論を言うと一色さんは囲碁を通して大局観を身に付けろって僕らに言ったんだと思います。」
「え?」
「どんな世界でもマニュアルみたいなものがあります。こうすればこう。ああすればああ。でもそんなマニュアルで全てがうまくいくんだったらこんなに楽ちんなことはありません。実際の現場では臨機応変の対応が必要です。ただし臨機応変って口で言ってて実際の行動はただのその場しのぎってパターンは結構あります。なんでそんなことが起こるのか。そう、そういう人はその場での形勢判断を的確に行う能力が不足しているからです。」
「その的確な形勢判断能力が大局観か。」
「はい。全体を俯瞰で見るんです。囲碁はその力を養うにはいいゲームです。俯瞰で見える盤面に必勝の形を見出して相手を引き込む。その戦略的思考を一色さんは囲碁を通じて僕らに伝えようとしたんだと思います。」
「そうか…。」
「一色さんはこうも言ってました。」


「じゃあ僕はどういう形をつくればいいんでしょうか。」
「え?」
「僕は出鼻小手が得意です。」
「…それは自分自身で考えな。」
「そんな…。」
「それが練習だよ。みんなで考えて解を導き出したら良い。」
「すいません。一色さん。」
「その必勝の形に相手をおびき寄せたり、試合の主導権を握れば合理的ってことですよね。」
「ああ。」
「でもそれができん時はどうすればいいんですか?」
「…それは勘がモノを言う。」
「勘…ですか?」
「ああ。それは反射神経以外のなにものでもない。」
「じゃあその反射神経を鍛えるにはどうすれば?」
「それは簡単さ。かかり稽古をひたすらやるしかない。」
「かかり…。」
「いやだろう。」
「…はい。」
「おれも嫌だよ。辛いだけだしね。こんなシゴキなんかなんの役に立つんだって僕も昔思っていた。でもその形が突破されてしまって、いざって時にこいつが効くんだよ。」
「いざですか…。」
「まぁそうならないのが良いんだけどね。」

「ふっ…。」
昔を振り返る相馬の言葉に佐竹は笑みを浮かべた。
「どうしたんですか佐竹さん。」
「結果として県体ベスト4。立派な成績だよ。」
「あ・ありがとうございます。」
佐竹は防具棚の方を見つめた。
「一色…。お前は死んだかもしれないけど、お前の戦略的思考法と行動は未だ生きているみたいだな。」
「どうしたんですか佐竹さん。」
「俺らには鬼ごっこ。こいつらには囲碁。」
「え?」
「それに剣道部の鉄の掟。」
「きっちり落とし前つけさせてもらうぜ。一色。お前の代わりにな。」
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116.1 第百十三話 前半



ー見てられない…。お前…おまえは…クソだ…。
ー村上…。
心臓の鼓動と併せて激しい痛みが襲う頭を両手で抑えながら、鍋島は目を瞑った。

3年前

眠りに落ちた一色をおぶり、村上を残して山小屋を出た。そして周囲を覆う雑木林の中に入っていった。
ーくそ…意外と重ぇぞ…こいつ…。
暗闇の舗装も何もされていない獣道。ぬかるんだ地面に時折足を取られながらも鍋島は淡々と進んだ。暫くすると彼は熨子山の墓地公園に出た。
ーこいつもここに眠ることになる。
「う…。」
居並ぶ墓地をすり抜けるように進んでいた彼は、ふと足を止めた。
ーいま、何か声がしたような…。
振り返って自分の肩越しに見える一色の様子を窺うも、彼は深い眠りについたままのようである。
ー気のせいか…。
墓地公園の駐車場に止めてあった車のトランクに一色を詰め込んだ鍋島は、エンジンを掛けた。ダッシュボードに表示される時計を見て彼は車を発進させた。
ー山小屋から最短で麓に降りるには一旦山頂の展望台に出て、そこから一気に駆け下りる。あの時の経験を村上が身体で覚えていればそうするはずだ。
麓に向けて駆け抜けてた鍋島だったが、ここでブレーキを踏んだ。
ー念のため確認するか…。
車を反転させ進路を麓から山頂にとった彼はアクセルを踏み込んだ。
鍋島は展望台がある山頂の駐車場に到着した。腕時計に目を落とすと時刻は0時40分だった。エンジンを切った彼は車から降りて展望台の方に向かった。
「うん?」
ふと地面を見ると舗装されていない道にタイヤの跡がある。
ー待て…。まさかこの先に誰かいるのか…。
息を潜めた鍋島はゆっくりと進んだ。
「ま…待ってください…。」
男の声が聞こえる。
「お…落ち着いて…。お…俺らは何もしていませんから…。」
ー俺ら?
物陰から鍋島は声のする方を覗いた。
そこには腰を抜かしたような体勢で後ずさりする男の姿があった。よく見ると女性が彼にしがみついて身体を震わせている。鍋島は男の視線の先を見た。
ー村上。
白いシャツに血しぶきをつけた村上がハンマーを持って、彼らにゆっくりと近づいている。
「お…お願いです…。い…命だけは…。」
恐怖のあまり男も女も動けないようだ。男はとうとう後ずさりもできなくなってしまった。村上と彼らの距離は着実に縮まっている。村上は手にしているハンマーを振り上げた。
「由香っ!」
女の名前を呼んだ男は、彼女の頭を自分の腕の中に抱きしめた。自分の身を呈して彼女を守ろうというのである。しかしこの行動とは裏腹に男の身体は恐ろしく震える。
ハンマーを振り上げたまま、直ぐ側まで来た村上はそこで動きを止めた。
「ひいっ…。」
「く…。」
「ひいいいい…。」
「あ…が…。」
「ゆ…由香…。」
振り上げられたハンマーは村上の手を離れ地面に落下した。
「え…。」
「あ…く…か…。」
「え…。」
村上は膝から崩れ落ちた。そして息遣いが荒くなった。
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
「え…え…。」
「行け…。」
「は…。」
「はや…く…行け…。」
村上のこの言葉に立ち上がろうとするも、下半身に力が入らず男は立てない。それは一緒にいる女も同じだ。
「はやくここから去れっ!」
男と女は村上に背を向け、這ったまま力なく車の方に向かった。
「ちっ。」
物陰に隠れていた鍋島が突如として2人の前に立ちはだかった。
「悪く思うな。」
男の背後に回った鍋島は両腕で彼の首の骨をへし折った。そして間髪入れずに女の首も同じくへし折った。
「鍋島ぁー!」
その様子を見ていた村上が大声を上げた。
「うるせぇよ。このヘボが。」
変わり果てた2人をそのままにして鍋島は村上の方に向かった。
「なんだお前。もう効き目が切れたか?」
「お前…いま自分が何やったのかわかってんのか!」
「だからうるせぇって。黙れよ村上。」
鍋島は村上を指差した。
「お前こそ何なんだよ。血まみれだぞ。」
自分の姿を改めて見た村上は体が震えだした。
「て…てめぇ…俺に何をさせた…。」
「見ての通り、結構ヒデェ事やったんじゃねぇか。」
瞬間、地面に落ちたハンマーを手にして村上は鍋島に襲いかかった。しかしそれは見事にかわされた。
「なんだよお前。そうやってあいつらもやっちまえば俺の手煩わせなくてよかったじゃねぇか。」
「貴様…。貴様はなんでこうも人の命を虫けら同様に扱うんだ…。」
「はいはい。お説教はもういいよ。さっき山小屋の中で嫌ってほど聞いた。」
「山小屋?」
「あーそのあたりは記憶ぶっ飛んてんだ。」
鍋島は村上からハンマーを取り上げた。そして二体の遺体の方に向かった。
「こいつも一色の犯行にしておくか。」
「え?」
そう言って彼は二人の顔面めがけてハンマーを振り下ろした。
「あ…ああ…。」
顔面に振り下ろされるたびに鈍い音が闇夜の静寂にこだまする。この恐怖の光景を村上は力なく見つめるしか無かった。
やがて鍋島は立ち上がった。
「こいつらがこうなったのもお前の責任だ。」
「なに…。」
「お前がこいつらに遭遇さえしなければ、こいつらはこうはならなかった。すべてお前の不注意によるものだ。お前のヘマがこの結果を作り出した。」
「え…。」
そう言って鍋島はサングラスを外した。
「これはお前がやった。お前は山小屋で穴山と井上の顔面を粉砕し、そこから逃亡を図る際にこの二人と遭遇した。お前はこいつらを口封じのために殺して、こいつらの顔面も粉砕した。そう一色の犯行に仕立て上げるためにな。」
鍋島と目があった村上は何も言えない。ただ彼の瞳を見つめるだけである。
「とにかくお前は麓に降りて、その格好をなんとかしろ。後で合流だ。」
サングラスをかけ直した鍋島を見て村上は口を開いた。
「わかった。」
「いいだろう。」
「こいつらはこのままにしておく。」
「そうだな。」
「では後ほど。」
そう言って村上は闇夜に消えていった。
変わり果てた遺体の前にしゃがんだ鍋島はそれに向かって手を合わせた。
「あなたがた2人の死は決して無駄にしません。」
深々と頭を下げた鍋島はその場に背を向けた。
「誰が好んで人殺しなんかするよ…村上…。」
ふと麓の方に目をやると金沢の夜景が彼の目に飛び込んできた。
「俺は地獄にすら行けねぇよ…。」

「はぁはぁはぁ…。」
ークソが…。
鍋島は展望台の真下に止めてある車を眺めた。
ーこのタイミングでまた誰かいるのか…。
彼は物陰に身を隠した。そして周囲の様子を伺った。
ー誰もいない…車の中か…。
ー待て…車にエンジンがかかっていない…。窓も明いていないじゃねぇか…。
深夜と言えども7月中旬である。気温はさほどでもないかもしれないが、湿気が酷い。こんな中でエンジンを切って誰かが車の中にいると思えない。
鍋島は息を潜めて車の側に寄った。
人の気配がしない。
ーどういうことだ…。
こっそりと車の中を覗いたときのことである。鍋島の動きが止まった。
「あ…。」
再び彼は膝から崩れ落ちた。
「な…なに…。」
車の運転席と助手席にはそれぞれ間宮と桐本の遺影が置かれていた。
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2016年10月17日

115 第百十二話



ーチッ…2時間後に来いって言っておきながら、どれだけ待たせてんだよ。
北高のすぐ前にあるコンビニの書籍コーナーで興味もない雑誌を手にとっていた悠里が目を落とすと、彼の腕時計は23時を指そうとしていた。
ーしかし、深夜の時間帯にも関わらず北高ってところはこんなに出入りが激しいのか。
窓越しに見える金沢北高の職員室と思われる一角は煌々と電気が灯っている。
ー鍋島のやつ、職員が残る学校なんかで何をしようっていうんだ…。
金沢北高は学生に軍隊並みの厳しい規律を課している。それと同じように、ここで働く教職員についても学生同様の激務が課せられているのだろうか。下間悠里はドットスタッフ代表取締役仁川征爾として、北高のブラック企業ぶりに閉口した。
ーなるほど…第三者がいる極めて狭い空間に自分の身をおくことで、俺に手出しをさせないようにしたのか。
広げていた雑誌を閉じた悠里は拳を握りしめた。
ー小賢しい。
悠里は缶コーヒーを買い求めてコンビニを出た。そして灰皿が設置されている箇所でそれを口につけ、あたりを見回した。
ー鍋島。残念ながら俺はその手には乗らんぞ。
前方から駐車された車に乗り込んだ悠里はエンジンを掛けた。そしてルームミラーをさっとだけ見てバックギアをいれアクセルを踏み込んだ。

「23時か…。」
長谷部が運転する車の後部座席で携帯電話を見た相馬は呟いた。
「なぁ相馬。」
「あん?」
「普通に考えてこんなおっせぇ時間に学校なんかやっとらんけ?」
「さぁ知らん。俺だってこんな遅くの学校なんか行ったことねぇもん。」
「あぁそうなんけ。」
「あたりめぇやわいや。いくらシバキ主義の北高って言っても、そこまで頑固に残ることなんか無かったわ。」
「でも、もしも誰もおらんって感じやったらちょっと気味悪くねぇけ。」
「ほうやな…。」
「そこには本当にその古田って人おれんろうな。」
「おってもらわんと困る。」
熨子町の交差点を右に曲がると、その前方に金沢北高が見えた。
「おうおう。電気ついとるわ。」
「本当や。職員室やわあれ。」
「ちゅうか何ねんお前の学校。いっつもこんな遅くまで職員残っとらんけ。」
「だから知らんって。」
「生徒シバくけど、職員もシバけんな。」
「確かにお前の言うとおりかもしれんな…。」
突如長谷部は急ブレーキを踏んだ。そのため車内にいた三人は前につんのめった。
「あ!だら!」
「おい!長谷部!何ねん!」
「えーま!だら!」
北高の前にあるコンビニエンスストアからバックで出てきた車とあわや接触しそうになったようである。
「あんの野郎…。なんもこっち見とらんがいや。」
長谷部はクラクションを鳴らした。
「長谷部君落ち着いて。」
助手席の麗が彼をなだめる。
「どいね。これから警察関係者と合流するっていうげんに、事故ったりとかしたら面倒くさいことになるがいね。」
「あ…そうね…。」

「お。ヤバい。」
クラクションを鳴らされた悠里はギアをドライブに入れ元いた駐車位置に戻した。
「はいはい。ごめんなさいね。」
ルームミラーを再度見ると、学生風の男がそれに乗っているのが確認できた。
「こんな夜遅くにふらふらしやがって。良いご身分だね日本の学生は。」
一度止まった車は、そのまま金沢北高に吸い込まれていった。
「なんだ…こんな遅くに学生風情が高校なんかに…。」
振り返った先には明かりが灯る北高があった。
「資本主義の成りの果てがこれかよ。国家の根幹をなす教育がこんなブラック企業みたいだと、この国もやがて終わりだな。」
こう言って悠里は今度は何度も周囲を確認し、慎重に車を発進させた。
「まぁこれからその教育現場でひとりの男が死ぬ。この国の崩壊の幕開けにはもってこいの儀式になるかもな。くっくっく…。」

金沢北高の来客用のスペースに車を止めた長谷部はエンジンを切った。
「おい。駐車場いっぱいやぞ。」
「本当やな。」
車から降りた4人は周囲を見回した。職員室から漏れ出てくる明かりが辺りを照らす。
「今って受験とかの季節やったっけ?」
「いや。もうちょっと後やろ。高校生って夏休みにけっこうガッパなって勉強とかするんじゃなかったっけ?」
「そうやよな。」
「おい。相馬。どこで古田と待ち合わせるんや。」
「そういや北高のどこでとか言っとらんかったなぁ。」
「ここでぼーっとしとると俺らただの不審者やぞ。」
「ほうやな。」
生徒用の玄関口の広場のようなところにスタートダッシュを切る人物を象った(かたどった)一体の銅像があった。暗がりの中に薄っすらと見える躍動的な姿は対象的であり、どこか不自然で不気味でもある。
「こんだけ先生ら残っとるけど、なんかやっぱり夜の学校って気持ちいいもんじゃねぇな。」
「そうやな。」
相馬が長谷部に相槌をうった時のことである。職員通用口の扉が開かれた。
「おい。」
相馬たちは呼ばれる方を見た。
「こんな遅くにここに何の用だ。」
「あの…えっと…。」
「見た感じ学生みたいだけど、用もないのに勝手に入ってきて何なんだ。」
通用口から現れた人物は相馬達の前に立った。
「あ…れ…?」
「え…?」
相馬と京子は妙な声を出した。
「挨拶は人間関係の基本って、ここで教わらなかったか?」
「え…ちょ…。」
「はじめまして。佐竹です。」
「うそ…。佐竹って…あの佐竹康之さん。」
突然の北高剣道部の黄金期メンバーのひとりの登場に相馬と京子は唖然とした。
「驚かせてしまってごめんな。」
「なんで…。」
黄金期のメンバーで2人が会ったことがあるのは一色貴紀ただひとり。しかし北高剣道部の最強時代のメンバーの顔と名前は写真と言い伝えで頭に刻み込まれていた。
「相馬周くんと片倉京子さんだね。」
「え…?」
「君たちがここに来るのを待っていたよ。」
「は…?」
どうして自分たちの名前を佐竹は知っているのか。そしてなぜ初対面のこの男が古田しか知り得ない自分たちの行動を知っているのか。佐竹の発言の何もかもが相馬にとって理解できないものだった。
「その2人は?」
「あ…あの…友達です…。」
「名前は?」
「あの…こいつは長谷部、んでこの子は…えっと…いわ。」
「下間です。」
口ごもる相馬を遮るように麗ははっきりと応えた。
「そうか。長谷部くんと下間さんだね。」
「はい。」
「こんなクソ暑い外じゃなんだから、みんな中に入って。」
「え?でも勝手に学校の中に入って…。」
「良いんだよ。話は通してあるから。」
「どういうことです?」
「俺の同期がいまここの先生やってんだ。」
「え。本当ですか。」
「ああ。そいつに話しつけてあるから入れよ。」
「でも。」
「心配すんなって。今日は深夜残業になってしまうってそいつ言ってたよ。いやぁ生徒に対してシバキ主義な学校だと思ってたけど、職員も同じくらいシバキなんだな。この学校卒業してよく戻ってこようと思ったな、あいつ。」
「あの…それもそうなんですが…。」
「ああ大丈夫。古田さんはじきに合流するさ。」
「え?」
突然目の前に現れたこの佐竹という一色と同期の先輩が、古田のことを知っている。しかもただの知り合いじゃない。古田しか知り得ない直近の相馬達の行動を把握している。
「古田さんがここにくるまで、ひとまず俺が君たちを預かるよ。」
わけがわからない様子の相馬たちを校舎の中に引き入れた佐竹は、彼らの先頭を行く形で暗い廊下を進みだした。
「なぁ相馬君。片倉さん。」
「はい。」
「直接君達の口から聞きたかったんだ。」
「え…何をですか…。」
「君達2人は一色と一緒に稽古したことがあるんだよね。」
「え…そんなことまで…。佐竹さん知っとるんですか…。」
「ああ…。あいつどうだった?」
「どうって…。」
「その時のこと俺に教えてくれないかな。」

熨子山事件が発生するまで、熨子山山頂の展望台は数多くのカップルが訪れる絶好の夜景スポットであった。しかしあの事件以降、殺害されたカップルの霊が出るとかで、夜の時間帯にここを訪れる者はほとんどいなくなっていた。
この日のここの駐車場にはやはり1台の車もない状態だった。
男が茂みから現れた。闇夜に同化する彼は息を整えつつ先の展望台へと足を進めた。
駐車場から展望台に向かう道に差し掛かると突然周囲が開けた。眼下には金沢の夜景が広がっている。その夜景の明かりを纏った彼は黒ずくめの鍋島であった。
「うん?」
展望台の真下に1台の車が駐車されていた。
ーなんだこれは…。3年前のあの時と同じような情景じゃないか…。
刹那、激しい頭痛が鍋島を襲った。
ーやめろ…。止めてくれ…。
思わず彼はその場で膝をついた。
ーなんでこんな状況で、そんなヘマするんだ…。
鍋島のこめかみ辺りから猛烈な汗が流れ出す。
ー見てられない…。お前…おまえは…クソだ…。
サングラスを外してブルゾンの袖で汗を拭う。
ー村上…。
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2016年10月10日

114.2 第百十一話 後半



「ごくろうさん。」
「ったく人使い荒ぇな。トシ。」
熨子町のとある住宅の前で煙草を咥えていた古田の前に、同世代の男性が現れた。
「俺も爺さんねんぞ。もうちょっとほら、依頼する要件を吟味せいま。」
「いやいや。熨子山のプロである鈴木大先生以外に誰に頼めって言うんや。」
「けっ。」
「夜の山舐めんなってお前むかしワシに説教したいや。素人のワシが夜のあそこに入り込んだら間違いなく崖から転落、身動きとれんくなって凍死や。」
「だら。こんなクソ暑いがに凍死なんかせんわい。」
首に巻いたタオルで鈴木は顔を拭いた。
「首尾よくいったか?」
「首尾よくかどうかは分からんけど、気分は良いもんじゃねぇな。」
ペットボトルの飲料を古田から手渡された鈴木は勢い良く飲んだ。
「しっかしこんなんで本当に何かの効果あるんか?」
「さぁ…わからん。」
「卯辰山側から熨子山の山頂を通って、金沢北高に抜けるルートっちゅうけどな。本当にあいつこのルート通るんかいや。」
「分からん。ほやけど人目につかんように北高に行くっちゅうたらそのルートしかないがいや。」
「まぁ。」
腰をトントンと叩いた鈴木は暗闇に薄っすらと見える熨子山の姿を見つめた。
「しかし…鍋島がね…。」
「ああ。結局、熨子山事件は北高の剣道部連中のいざこざが原因。あすこの落とし前はあすこでつける。これに佐竹はこだわっとる。」
「それに鍋島も乗ってくるってか。」
「ほうや。」
「なんでそう言い切れる。」
「鍋島は常に佐竹の動向を監視しとった。仁熊会を使ってな。」
飲料を飲み干した鈴木はため息をついた。
「なんであいつがそこまでして佐竹の動向を気にかけるか。そこは正直ワシにもわからん。そもそも佐竹も鍋島に対してなんでそこまで執着するんかもわからんしな。」
「北高剣道部の因縁ちゅうもんは厄介なもんやな...。」
「ああ厄介や。おかげでいらん仕掛けが必要になってくる。」
「けどその因縁浅からぬ佐竹やからこそ鍋島を引っ張り出せるっちゅう面もあるんやな。」
「ほうや。さすが鈴木先生。理解力がぱねぇな。」
「ぱねぇって…トシ。お前どこでそんな妙な言葉覚えてんて。」
古田はポリポリと頭を掻いた。
「仁熊会はどうなんや。」
「あぁあいつらはもう鍋島と接点を持っとらん。」
「そうなん?」
「鍋島はどうやら今川らとうまくいっとらんようや。むしろ鍋島はあいつらからその生命すら狙われる状態。」
「粛清ってやつか。」
「おう。そんな状況の鍋島が今川らの協力者である仁熊会に協力を仰ぐなんか考えられん。鍋島はいまは単なる一匹狼や。」
「なるほど。相手がチームでかかってきたら厄介やけど、単騎なら囲い込みも可能ってか。」
「ほうや。一匹ずつ確保。」
「鍋島は常人では理解し難いほど頭脳明晰。んで何か知らんけどわけの分からん眼力も持っとる。」
「おう。いくらあいつには味方がおらんって言っても、あいつは普通の人間じゃない。ほやから普通に接したらむしろこっちが逆襲される。」
「ほんでこいつか?」
鈴木は何枚かの写真を古田に渡した。それを受け取った古田は何も言わずにポケットに仕舞った。
「すまん...。」
「俺は別になんてことはねぇ。けどな、あの山で命を落とした連中とかのことを考えるとな…。」
「...鈴木。」
「あん?」
「お前、ワシに言ったよな。」
「何を?」
「3年前、お前、熨子山事件の犯人をぜってぇパクってくれって。」
「…ああ。」
「ワシはその約束をまだ果たせとらん。」
「ふっ…。」
「今度こそは真犯人をパクる。」
二人の前の家の玄関扉が開かれた。現れたのは身重の女性だった。
「あぁすまんすまん。今戻る。洋子は早く休め。」
鈴木にこう言われた女性は軽く頭を下げて家の中に引っ込んだ。
「孫か。」
「まあな。」
「あれから3年…。時が経てばいろいろ変わるもんやな…。」
「現役の時は仕事仕事っていって家族から逃げ回っとった俺が今ではこの熨子町に嫁さんと移住。洋子は出産のために里帰りや。」
古田は煙草に火をつけた。
「3年前、間宮と桐本は熨子山の山頂で殺された。一方、あいつらと同世代のうちの娘は無事結婚し出産を控えとる。」
「…。」
「一般の市民にそういう事件に巻き込まれんように手を尽くすのが俺ら警察の仕事やったはず。ほやけど何の因果か一般市民よりもサツカンの身内のほうが順調な人生を過ごしとる。」
古田は煙を吹き出した。
「鈴木。自分を責めんな。お前が引き受けることじゃない。」
「…。」
「ワシらの不祥事はワシらで落とし前をつける。せめてそれくらいせんとワシらはあの世で間宮と桐本に弁明すらできんわい。」
「トシ…。」
「もちろん一色と村上にもな。」
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114.1 第百十一話 前半



「おっしゃー。」
エンターキーを軽妙に押し込んだ黒田は、天井を見つめてそのまま両腕をだらしなく垂らし、背もたれに身を委ねた。
片倉から提供されたネタを裏取りせずに、そのまま右から左へと流すだけの作業とはいえ大変な作業だ。なにせ情報量が尋常じゃない。まるで洪水のようだ。黒田は疲弊しきった脳をひとまず休ませるように目を閉じて深呼吸をした。
ーもう何も考えられない…。
彼は部屋の壁のシミを見つめた。
ー公安か…。
姿勢を正して黒田はブラウザを立ち上げた。
ーあいつらは何もかもが秘密のベールに包まれている。俺みたいなサツ回りの人間とも決して接点を持たない。それなのに片倉さんは自分から俺と接触を図っている。そう、熨子山事件以降からずっと…。
黒田は机に置かれたペットボトルのお茶に口をつけた。
ー片倉さんが俺のネットを利用した報道に共感してくれているのはありがたい。でもあの人は公安だ。思想に共感するからってだけの理由で、公安の人間がネタを俺に流してくれるだろうか…。ひょっとして俺は公安片倉肇にいいように利用されているだけじゃないのか…。
黒田は自分の顔を両手で何度か叩いた。
ーいかんいかん…。今、俺がやっていることはまさに俺が思っていた民主的な報道活動そのものじゃないか。たとえ俺が公安に利用されているとしても、俺も目的を達成している。あの人が言うようにWinWinの関係だ。
ーふっ…おかしいな…。何も考えられないって思ったはずなのに勝手に頭が動いてる。
パソコンを操作した彼は「ほんまごと」のアクセス解析ツールの管理画面を開いた。
瞬間、彼の動きが止まった。
「え…。」
ほんまごとのPVが今までの10倍の数字を表示していた。
「マジか…。」
なぜ突如としてこんなアクセスがあるのか。解析ツールを操作するとある傾向が読み取れた。
「ほんまごと」を閲覧する人間の殆どがご新規さん。そのご新規さんはSNSに貼られたリンクからやってきている。
「俺のブログが拡散されてる?」
黒田はすぐさまブラウザでSNSサイトを開いた。そしてそこで「ほんまごと」のキーワードで検索をかける。すると信じられない数のコメントが引っかかった。
「今まで固定の人間しか来なかったこのブログになんで突然?」
ーいくら更新の頻度が激しいって言ったって、それだけでここまでアクセスが伸びるなんて考えられない。となるとこれは、片倉さんの力以外に考えられない。でもなんでこんな公開捜査みたいな真似をあの秘匿性が高い部署がやるんだ?公安はその存在が明るみになった時点で意義がなくなる。
彼は何気なくアクセス解析ツールでどの地域からのアクセスがあるのかを調べた。
「あれ?」
画面には日本地図が表示され、アクセスが集中している地域には濃い青色。そうでない地域は薄いもしくは白色と言った具合に色付けされている。黒田の日本地図は石川県だけが濃い青色でほかは薄青色である。
「いつもと同じユーザー分布だ…。ってことは石川からのアクセスだけが急激に増えたってことになる。」
腕を組んだ黒田は首を傾げた。
ーなんで石川からのアクセスだけが集中してるんだ…。普通拡散って言ったら国境を超えたものになるはずなのに…。熨子山事件がいくら石川のローカルネタだって言っても、この流れは不自然だ。…まさか公安は意図的に拡散の範囲を絞り込むことができるのか?
黒田は再びペットボトルに口をつけた。
ーそもそも片倉さんにも俺にネタを提供するには何かの意図がある。その意図がこの結果を作り出している。つまりこの結果が片倉さんの期待していたこと。石川のネットユーザー中心に熨子山事件の情報とツヴァイスタンの情報を周知させる。鍋島の生存を知らしめる。この先にあの人は何を見てるんだ…。
黒田のヘッドセットから着信音が流れた。携帯の表示は片倉肇である。
ーまあ良い。乗りかかった船だ。とことん突き合わせてもらいますよ。
「はい。」
「記事書くスピード、上がってきたな黒田。」
「ええ、なんだか慣れてきました。」
「じゃあ続き行くぞ。」
「はい。」

「え?今川がパクられた?」
神谷が大声を上げた。
「ああそうだ。」
「誰が…。」
「お前の上司の土岐だそうだ。」
「え?土岐部長ですか?」
「なんでも情報調査本部による県警システムの調査の結果、今川による不正プログラムの疑いが濃厚になったらしい。結果、逮捕となった。」
「え…。」
「どうした?なんでそんな声を出す。」
「あの…理事官…。」
「何だ。」
「自分、執行部になりすましてついさっきまで今川とコンタクトを取っていました。」
電話の向こう側の松永は黙った。
「当然、ドットメディカルにはガサが入ってるんですよね。」
「ああ。」
「ということは自分と今川とのやり取りは土岐部長に抑えられるってわけですよね。」
神谷の首筋に妙な汗が流れた。
「確かに今川に接触して嘘の情報を流したのはマズいな。」
「…。」
「だがその証拠を土岐部長が抑えられるか。」
「え?」
「そもそも彼はそんなことに興味もないだろう。」
松永の発言の意味がわかりかねる神谷は言葉を発することができない。
「まぁやってしまったことはどうにもならない。お前はこれからimagawaを現地でどう仕上げるか絵を書いてくれ。」
「え?」
「まだimagawaは終わっていない。むしろこれからだ。頼んだぞ。」
「あ…ちょっと…。」
神谷の言葉を待つこと無く電話は切られた。
「今川が土岐部長の手でパクられたんですか。」
「ええ。」
「ほんじゃあ、こっちで仁熊会に回した手はどうすりゃいいんでしょうか。」
「うーん…。」
神谷は頭を抱えた。
「あれ?警部?」
「はい?」
「警部、何か汗びっしょりですよ。」
「冨樫さん…。」
「はい?」
「まずくないですか?」
「何が?」
「ほら俺らツヴァイスタンの執行部に成りすまして、今川を撹乱させたじゃないですか。」
「あぁそれが違法とかって奴心配しとるんですか。」
「はい。それに仁熊会のコントロールの件もあります。」
「理事官はなんて?」
「やってしまったことは仕方が無い。そんなことを悔いるよりもこれからの絵を書けと。」
冨樫はニヤリと笑った。
「なんです。」
神谷は怪訝な顔をした。
「理事官がそういうんやったらそうなんでしょう。警部はこれからの絵を描いて下さい。」
「でも…。」
「覚悟決めたんでしょ。いまさらウジウジ言っとっても何も事態は良くなりません。その手のヤバい捜査手法を相殺するくらいの絵描いて下さい。」
腕を組んで神谷は黙ってしまった。
「いいですか警部。ワシらの最終目標は朝倉です。」
「…。」
「今川は単なるフロント。ワシらはまずこのフロントの人間に大量の情報を浴びせて正常な判断ができんようにすることを目的とした。」
「はい。」
「今川は朝倉とか下間をつなげるツヴァイスタン側のHUBですわ。そのHUBが正常な動作ができんようになれば、周辺に居る連中の連携が取れんようになる。今回はHUBが故障してそれが取り除かれただけですよ。」
「ですが、HUBが無くなったことにいずれあいつらは気づくでしょう。」
「そうでしょうね。」
「まずくないですか。」
「まずいです。」
神谷はため息をついた。
「あの、冨樫さん。ちゃんと答えてくださいよ。はっきり言ってこれは土岐部長の暴走ですよ。部長が俺らの捜査を引っ掻き回したんです。」
タバコを咥えた冨樫は神谷の訴えにニヤニヤと笑って応えた。
「警部。」
「なんです。」
「土岐部長。警部にわざわざ電話かけてきとったでしょう。」
「え?えぇ…。」
「んでimagawaはお前が仕切れって。」
「はい。」
「警部も言っとったでしょ。ほんとき。なんで土岐部長がimagawaのこと知っとるんかって。」
「はい。」
「わかりませんか?」
「…あ。」
「ほうです。これもimagawaの一環。」
「ってことは…。今川逮捕は土岐部長なりの…。」
「あくまでもワシの予想ですけどね。」
腕を組んで神谷は目を瞑った。
「ちょっと確認します。」
そういって神谷は県警本部の警備課へ電話をかけた。
「あぁ神谷です。」
「あっ神谷警部。お疲れ様です。どうしたんですか。こんな遅くに。」
「あの…つかぬこと聞きますけど、本部で何か変わった動きは?」
「え?こっちでですか?」
「はい。」
「あれですか情報調査本部とかってやつの帳場とか。」
「それもそうですけど。本部全体で。」
「本部全体ですか?そうですね、今のところ別に何の動きもありませんよ。」
「じゃあ金筋(警察幹部)あたりで何かないですか。」
「キンスジ?ですか。ちょっと待って下さい。えーっと…これもあれですか、帳場とか関係なしにですか。」
「はい。」
「えーっと…そうですね。自分が見る限りいつものとおりです。あ…。金筋は軒並み不在っす。ってか帰ったんでしょ。時間が時間ですから。」
「あ…そうですか。」
「どうしたんです?」
「いえ。」
神谷は電話を切った。
「一課も二課も帳場も特に変わったところなしですよ冨樫さん。」
「でしょ。」
「土岐部長は県警内部でも秘密裏に動いている。」
「はい。」
「つまり土岐部長もimagawaの一員。」
「かも。」
「冨樫さん。」
「はい。」
「土岐部長に合流します。」
「で。」
「今度は俺、今川になりすまします。」
煙草の火を消した冨樫は不敵な笑みを浮かべた。
「おやおや。あれだけ違法なことしたってヤバいって感じになっとったんに、更に成りすましですか?」
「あ…。」
「いいんじゃないですか。警部。ワシもお供しますよ。」
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2016年10月03日

113 第百十話



藤堂豪の行方を追う金沢北署の捜査本部にはめぼしい情報が入っていなかった。
ー発生署配備に止めろって…本部長はいったい何考えとるんや…。普通広く網かけて、だんだん狭めていくやろいや。始めっから絞って何なれんていや…。
岡田は頭を抱えた。
「課長。」
若手捜査員が岡田の前に立った。彼はスマートフォンを手にしている。
「何かとんでもない事が起こっとるみたいです。」
「あ?」
小声で囁いた捜査員は岡田にスマートフォンを手渡した。
「え…?」
それを覗き込んだ岡田は息を呑んだ。
ー何やこれ…。
「俺も知らんことがさっきからバンバン上がっとるんです。」
ーほんまごと…。これってまさか…

39
「片倉さん。」
「何や。」
「さっきの黒田の件ですけど。」
「おう。」
「大丈夫なんですか。あいつ。」
「あ?」
「藤堂の情報を流してやってくれって片倉さんに言われてあいつの顔写真とか分かる範囲で教えましたけど。今のところどういう素性の人間かはウチらでも把握できとらんがです。」
「しゃあねぇよ。分からんもんは分からんがやし。」
「いや、おれが気になっとるのは、今の段階で警察が重要参考人の素性を調べきれていないってことがマスコミに突っつかれると困るってことなんです。」
「心配すんな。黒田はそんなみみっちい報道をするのが目的じゃねぇ。それにお前なんねんて、若林のあほんだらに啖呵きって飛び出してきてんろ。そんな古巣のことなんかほっとけ。もしも黒田がそのことお前が言っとったように報道すりゃあいつの立場が無くなって好都合じゃいや。」

ーってか何なんやこれ…。藤堂豪は鍋島惇?熨子山事件も一色のレイプ事件も背後にツヴァイスタン?ツヴァイスタンの工作活動?は?おいおいおいおい。
「こいつさっきからすごい勢いで記事を更新しとるんです。ってか本当に藤堂豪は鍋島惇という男なんですか?」
ー待て待て。こっちが聞きたいわ。…あ…。もしもこのブログがあの黒田が書いとるやつやったとしたら、片倉さんはこのブログを黙認しとるってことになる。ってことは…まさかこのブログ、片倉さんがわざとこの情報を上げとるってこと?
「課長?」
「あ・あぁ。」
「なんでこのブログ、俺らも知らんネタ上がっとるんですか。」
「…ふん…。創作やろ。」
「でもこれがもしも本当のことやったら、いま能登イチの爆発事件で行方を追っとる藤堂豪、俺らが追っとる金沢銀行守衛殺害事件の藤堂、これが熨子山事件で死んだと思われた鍋島惇ってことになります。」
「だから創作やって。ウラ取りようがねぇもんにアワアワしてどうすらんや。」
「ですがこれ、SNSで拡散されとるんですよ。」
「は?拡散?」
「ええ。」
「なに…このブログが方方で共有され始めとるってか。」
「はい。現に俺もさっき知り合いからこのリンク回ってきました。」
ー何やと…。っちゅうことは熨子山事件しかり、ツヴァイスタンしかり。こいつらが世間に明るみになりつつあるってか。
岡田はブログ記事を読み進めた。
「え?」
「どうしました?」
ーは?長尾?
「あの…課長。」
「あん?」
「そんなに興味あるんやったらリンク送りますんで、課長のアドレスか電話番号教えて下さいよ。」
「あ…。」
「俺もやわら捜査に戻りたいんで。」
「あ・すまん。」
若手の捜査員は岡田にリンクを送り、その場を後にした。岡田は自分の携帯で再びそのほんまごとの記事を開いた。
ーなんで長尾俊孝がこんなところに…。いや待て…反原発運動のS…。えす…。下間…。まさかこのSは下間芳夫か…。
更に岡田は記事を読み進めた。
「え?」
思わず岡田の口から声が漏れた。
ー今川が金沢銀行の橘に便宜を供与。その見返りに橘は消費者ローンにおいて外国籍を持つ連中にとって有利な融資審査をしとったやと?
「待て待て待て。」
岡田はA4の用紙をとりだしてそこに人物名を書き始めた。
ー長尾はOS-Iすなわち今川惟幾のことについて何らかの探りを入れていた。これは間違いない。OS-IはHAJAB端末のOS。いまのところこのOS-Iが搭載されている端末は金沢銀行のシステムぐらいや。ちゅうことはまさか長尾がこの今川の不正を掴んどったってことか?
白紙の中心に長尾俊孝の名前を書く。その右隣りに今川惟幾の名前を書き、その下に下間芳夫と記して括弧書きでSと書いた。そして今川のさらに右隣に江国健一の名前を書き記した。そして今川と江国から線を引っ張ってきて、そこに橘の名前を書いた。
ーいやまて、さっきの記事はどうすれんて。そもそも警察関係者のMって誰なんや。
心のなかでそう呟いた岡田はその用紙をぐしゃぐしゃと握りつぶした。
「おい。」
近くに座っていた本部捜査員が岡田の様子を見て声をかけた。
「おまえどうしたんや。」
「あ…いやなんも…。」
「携帯なんか見てなにメモとっとらんや。」
「あ・いえ…。」
「携帯なんかでネタ取るよりも自分の足やと俺は思うぞ。」
ーなに言っとれんて。それが詰まっとるから捜査も煮詰まっとるんやろいや。
その時である。捜査本部のドアが開かれた。
「あ…。」
「あ…。」
捜査本部に詰めていた全員が開かれたドアの方を見た。
「若林署長…。」
立ち止まった若林は岡田の方を鋭い目つきで見つめた。その刺さるような視線を前に思わず彼は目を背けてしまった。
「岡田課長。」
若林はツカツカと革靴の音を鳴らして岡田の前に立った。
「なんで君がここにいるんだ?」
「あの…それは…。」
自分の前に立つ、若林から石鹸の香りが漂ってきた。
「答えろ。」
「本部長の命令です。」
本部捜査員が二人に割って入った。
「何?」
「最上本部長のご意向です。」
「最上本部長?」
「はい。捜査本部の長が不在とあっては捜査は進みやしません。若林署長。あなたが不在がちであるのを見かねて最上本部長が岡田課長を主任捜査員からあなたの代わりに捜査本部長として任命しました。」
捜査本部に戻ってから、何かにつけて岡田にダメ出しをする捜査員であったが、ここで味方についてくれる彼を岡田は素直に頼もしいと感じた。
「ほう。」
「我々は岡田課長の指揮下にあります。」
「捜査の状況は?」
「捜査本部から外されたあなたに説明する必要性はないかと。」
「…ふん。」
「若林署長。」
「なんだ。」
「先程からあなたから石鹸の匂いが漂ってきますが。どこぞでひとっ風呂浴びてこられたんですか?」
岡田も感じていた違和感を直球で問い詰める本部捜査員の肝っ玉の座り具合に岡田は驚いた。
「何言ってるんだ気のせいだ。お前が嗅いでいるのは車の芳香剤の匂いだ。」
「ここに詰めとる捜査員はここ数日ろくに風呂も入れない状況が続いています。それなのにあなたは随分とこざっぱりされとるようです。」
「貴様、自分の立場をわきまえろ。」
「わきまえとります。」
「なに?」
本部捜査員は若林にだけ見えるように自分の警察手帳を見せた。
「これでどうでしょう。」
それを見た若林はしばらく黙った。そして無言のまま席を立った。
ーなんや…。この本部の人間は…。一体何もんなんや…。
二人を背にした岡田は静かに捜査本部をあとにした。
「おい。」
「え?」
「おいこれからどうすれんて。いけ好かんキャリアはお家に帰ったぞ。」
「あ…。」
「あくまでも今はお前さんがこの帳場任されとらんや。藤堂逮捕のための指示を早よ出してくれ。」
突然の若林の出現に取り乱していた岡田であったが、この言葉に我を取り戻した。
「俺がここに戻ってきてから藤堂に関するネタは上がっとらんがですよね。」
「はい。」
「じゃあこれ、あんたはどう思う?」
岡田は携帯を本部の人間に渡した。
「ほやから言ったがいや。現場は足で稼いでなんぼって。」
「いいから呼んでみて。」
渋々捜査員はそれに目を落とした。時折目を携帯から遠ざけて、老眼のピントをあわせるように眉間にしわを寄せる。どう見ても嫌々である。しかしその様子はものの数分で変化を見せた。彼は食い入るように携帯を見つめる。
「おい…。なんやいやこれ…。藤堂豪は熨子山事件で死んだと思われた鍋島惇やってか?」
「ええ。」
「3年前の鍋島の死は警察によるでっち上げやったてか?」
「にわかに信じがたいネタですわ。」
「確かに。けど…。」
「けど?」
「このツヴァイスタンの件にあるこのMって奴。」
「え?M?」
「おう。」
「え?このM知っとるがですか?」
「おう…。」
「誰なんですか。」
「元県警本部警備部警備課長やった三好のことや。」
「え!?あの三好さん?」
「ああ。この能登の不審船の話は直接本人から聞いたことある。」
ー何やって…。ちゅうことは三好さんは長尾のネタ持っとる可能性があるっちゅうことやがいや。ほしたらOS-Iのこととか、長尾の死の真相も三好さんがなんかの手がかり持っとるかもしれんがいや。でも、三好さんは熨子山事件の時に朝倉本部長に更迭されて、いま何しとるんか知らんしな…。
「金沢銀行の融資部長とドットメディカルの今川がコネコネやって!?関係機関に通報済み?」
捜査員はこう言って頭を抱えた。
「かーっ…今度は金沢銀行が二課に荒らされるんかいや…。んでまたわっけのわからん今川なんかっちゅう男が出て…。えーまややっこしい…。」
ーそうや…。俺はいまは金沢銀行殺人事件の帳場を任されとる。長尾の件は一旦保留や。まずは藤堂確保に全力を尽くす。って言っても最上本部長からは騒がず焦らず、内密にと言われとる。
「岡田課長。」
若手捜査員が岡田の前に現れた。
「どうした?」
「最上本部長から電話がつながっています。」
「わかった。」
「別室の電話に出て下さい。」
別室のソファーに腰を掛けた岡田は電話の受話器をとった。
「はい。こちら金沢銀行殺人事件捜査本部。」
「堅苦しい挨拶は抜きだ。岡田くん。」
「はっ。」
「そろそろ捜査本部の人員を別の場所に配置してくれ。」
「は?」
「いいか。君が間違いないと思える人間を5名程度ピックアップして今から言う場所に配置してくれ。」
「どこですか。」
「金沢北高だ。」
「へ?」
「金沢北高に5名。そうだな、年齢は40から50代の人間が良い。捜査本部から秘密裏に人員を派遣してくれ。」
「は…はい。」
「口が固くて君が信頼を置ける人材であることが条件だ。」
「それにしてもなぜ北高なんかに。」
「理由は聞かないでくれ。現地には別の指揮者ががいる。君が選抜する5名の精鋭は、捜査本部を出た瞬間から彼の指揮下に入ることになるから、そのあたりは了承してくれ。」
「リミットは。」
「今すぐ。10分後に5名を出発させたまえ。」
「は・はい。」
「若林くんにも悟られないようにな。」
「かしこまりました。」
「じゃあ頼んだよ。」
「あ・本部長。」
「なんだい。」
「あの…杞憂かもしれませんが…。」
「手短に。」
「SNSで熨子山事件関係の捜査情報がリークされています。」
「何のことだい?」
「これが我々警察でも知り得なかったネタが満載のブログがSNSを使って拡散されとるんです。」
「それはフィクションとかじゃなくって?」
「わかりません。全く事実そのものっていうのもあれば創作と思えるようなものもあります。」
「ふうん…。」
「どうしますか。」
「どうするかって言われても、一旦世間の耳目に晒されたたものはどうにもならんだろう。」
「まぁ」
「いいよ放っておきなさい。そのうち忘れ去られるさ。」
最上からの電話を切った岡田は、先程の本部捜査員とほか4名を選抜して秘密裏に彼らを北署から出発させた。
posted by 闇と鮒 at 00:00| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする