2016年11月28日

121.2 第百十八話 後半



「えっ?何やいまの声…。」
職員室の応接ソファーに座っていた相馬が声を上げた。
「追い詰めとるんや。」
「え?」
相馬達の輪の中にひとりの中年男性が居た。ぱっと見は社会科の先生のようである。
「佐竹と古田。この2人が鍋島の頭ン中を引っ掻き回しとる。」
「頭ン中を引っ掻き回す?」
「ああ。鍋島は普通じゃねぇ。普通じゃねぇ奴を相手にすっときはこっちも普通じゃねぇ感じでいかんとな。」
「でも…。」
相馬はあたりを見回した。物々しい無線機材が並び、スタッフが何かの指示を出している。
「あん?これか?」
「ええ。これだけ警察の人らがおればどんな人間でも手も足もでんでしょ。」
「まぁな。」
「でもなんで刑事さんらがここで待機しとるんですか。」
「さっさと鍋島確保しろってか。」
「え…あの…。」
「そりゃいつでもできる。けど佐竹も古田もオトシマエつけんといかんって言っとるんや。ここまで来るにはあいつらの力もでかかったからな。それくらいはあいつらの好きなようにさせんとな。」
「そのオトシマエって何なんですか?」
「知らん。お前さんこそ知らんがかいや。」
「あ…ええ…。」
「まぁ話があるんやろ。話してどうこうなるもんじゃねぇけど、なんちゅうか話して自分の気持を本人にぶつけんことにはどうにも収まらん。そんなところやろ。」
そう言うとこの捜査員は装着しているイヤホンに指を当て眉間にしわを寄せた。
すっくと立ち上がった彼はそのまま窓の方に向かった。背伸びをして首を回しながら外の様子を窺う。あくびをして鼻の付け根を指で抑えながら踵を返した彼は、無線機が並ぶ方に向かって、三つ揃えのスーツを着た男に耳打ちした。
「関班長。ここから400メートル先に6階建てのマンションがあります。あそこは大丈夫ですか。」
「どこです。」
「ここです。」
机に広げられた地図のある箇所を指差すと関は腕を組んで考えた。
「指揮班。」
「はい。」
関の隣に座る男が応えた。
「狙撃支援班から周囲には気になる箇所はないとの報告だったが。」
「はい。ひととおり暗視スコープで周囲を監視。不審な動きは確認できていません。」
「ここはどうだ。」
スーツ姿の男はマンションを指差した。
「…確認します。」
指揮班の男は無線で狙撃支援班に連絡をとる。
「そこから2時の方向にある6階建てのマンションが見えるか。」
「…はい。」
「人影らしきものは。」
「ちょっと待ってください。…いえ…なにも見えません…。」
「何も確認できないようです。」
指揮班の報告に関はまたも腕を組んだ。
「ふうむ…。」
「班長。自分確認に行きます。」
「…気になりますか。」
「はい。勘ですが。」
「人員の関係上、応援はつけられませんよ。」
「承知の上。」
「県警本部の課長さんに何かがあったらどうするんですか。」
「班長の調整力でなんとかしてください。」
「ふっ…。」
関は呆れた。
「いいでしょう。あなたは帰宅する職員に成りすまして校舎から出て下さい。」
「それでは。」
課長と呼ばれる捜査員は職員室を後にした。
関と捜査員のやり取りを見ていた相馬は思わず彼に声をかけた。
「あの…。」
「自分で考えて自分ができることを全てやりきる。そういうことだよ。」
「どういうことですか。」
「君らは君らなりのできることをやり遂げた。僕らは僕らのできることをやりきる。佐竹も古田もそうだ。そしてさっきまで君らの話し相手になっていたあの男もね。」
「…。」
「いま君らが見ているこの光景は、きっとその後の人生にプラスになるものだと思うよ。」
気のせいか関の口元が緩んだ。
「僕もはじめてだよ。こんなに気持ちが高ぶるのは。」


「何だ。今の声は。」
かすかに聞こえた声に反応した悠里は暗視スコープを覗き込んだ。
ーくそ…鍋島のやつ、どこに行った…。
悠里は鍋島を見失っていた。
「あ…。」
グラウンドの中央に男が立っている。
「なんだあいつ…。学校のグラウンドで煙草なんか咥えて何やってんだ…。」
悠里はしばらくその男の姿を観察した。
「なに…サングラスをかけているのか…あいつ…。」
画面に映る人物は一方だけを見て誰かと話しているようだ。
暗視スコープの視点をグラウンドの中央に立つ男が見る方向に移動させる。
「え…。」
そこには頭を手で抑えて座り込む男の姿があった。
「あれは…な…鍋島…。」
咄嗟に悠里は暗視スコープの倍率を下げ、グラウンドを広くおさえた。
「な…もう一人居るのか…。」
鍋島と思われる人物が座り込む中、その側には棒のようなものをもったこれまたサングラスをかけた人物がいる。グラウンドの中央にいる人物も、この人物も互いに鍋島に向かって何かを話しているように見える。
「何者なんだ…あの2人は…。こんな真っ暗な夜になんでふたりともサングラスをかけてるんだ。」


「はぁはぁはぁはぁ…。」
鍋島はニットキャップを脱ぎ捨てた。そして滝のように流れる汗を服の袖で拭う。
「スキンヘッドか。なるほどかつらでも被れば、それなりに別人に成り済ませる。」
月明かりに照らされた鍋島の頭部には、手術か何かの縫合の跡が見えた。暗闇の中で目を凝らしてみると、その縫合の跡のようなものが、彼の耳の下辺りから顎にかけても見える。
「ツギハギだらけじゃないか鍋島。」
「うるせぇ…。」
「首から上をそんんだけいじってたらそりゃ昔の面影なんかなくなるだろうよ。」
「けっ。」
「なんでそこまでして俺らを破滅に追い込みたいんだ。」
「ムカつくんだよ。」
「…。」
「俺の身近には年老いたジジイとババアしか居なかった。このジジイとババアはろくに日本語も喋れない。コミュニケーションが取れない人間を抱えた俺は、この2人の生活を何とかしなければならなかった。高校生にも関わらずバイトをして自分の食うものも減らして、何とか生活した。毎日毎日働いた。お前らが学校から帰って家で惰眠を貪る間、俺は寝ずに働いた。空腹と睡眠不足でときにはぶっ倒れたときだってあった。金さえあれば俺はこんなことをやる必要はなかった。その内情を知らずにお前らはたまには遊ぼうぜとか言って、俺を誘う。んなもんできるかよ。それを断ると愛想が悪いやつとか、やっぱり日本に馴染めないとか陰口を叩く。これがムカつくって言わなくて何なんだ!」
「…。」
「ムカつくんだ。お前らが。この世に生を受けながら社会の底辺で生きていくことを余儀なくされた俺に対して、生きるか死ぬかの瀬戸際も経験したことがないお前らが、まるで世の中をわかったかのような正論を俺にあーだこーだと説く。しかも憐れみの目でな。ふざけるんじゃねぇ。」
「…。」
「いいか。金なんだよ。あの時俺が本当に欲しかったのは日本語の習得でも、勉強でいい成績を収めることでも、剣道で優勝することでもない。地獄のような俺の環境を改善させてくれる金。これなんだよ。」
雄弁に語る鍋島を佐竹と古田は黙って見つめる。
「俺が睡眠を削ってバイトをしても、その稼ぎはたかが知れている。これならいっそ高校を辞めてさっさと仕事をして、経済的な問題を解決してしまおうと思ったさ。でもな…。」
鍋島は北高の校舎を見つめた。
「クソでムカつくが…お前らが北高に居た…。」
「鍋島…。」
「クソなんだよお前らは。ムカつくんだよお前らは。でもな…一応お前らは俺に声をかけてくれた。一色は先輩連中に俺のことをバカにするなと食って掛かった。そんとき思ったよ。クソ野郎ばっかの高校だけど、ここを去れば俺はまたひとりになる。」
「…。」
「別にお前らに頼ろうとは思っていなかった。ただ心の何処かでお前らという存在に少しは救われていたのかもしれない。だから高校を辞めようとは思わなかった。」
思わず佐竹は手にしていた木刀を落としてしまった。
「…じゃあ…なんで…。」
「なに?」
「じゃあなんで…一色や村上をお前は…。」
「…。」
「なんで一色の彼女を…。」
鍋島は大きく息を吐いた。
「それ…聞く?」
「え?」
「野暮だぜ…。佐竹。」
そう言うと鍋島は佐竹に背を向けて古田の方に歩み始めた。
「な…鍋島…。」
「俺はツヴァイスタンからの金というシャブに手を出した。シャブに手を出した人間の末路は俺は知っている。」
「お…おい…。」
自分の方に向かってくる鍋島を見て、古田は煙草を地面に捨てた。
歩きながら鍋島は腰元に手を当てた。
「どうせ悲惨な終わりしかないなら、劇的な終わりを俺は望むよ。」
そう言って彼は一丁の拳銃を取り出して、それを古田めがけて構えた。
「こいつとお前を殺す。」
「な…。」
静寂に包まれていたグラウンドであったが、この時一陣の風が吹き始めた。
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121.1 第百十八話 前半



「さ…さたけ…。」
鍋島の後方2メートルで木刀を手にした佐竹はサングラスをかけている。
「頭が痛いか?鍋島。」
自身の頭部を手で抑える鍋島を佐竹は遠い目で見つめた。
「別に…。」
「まぁ…お前に破滅に追い込まれた人間に比べれば、その痛みはクソみたいなもんだから我慢しろ。」
「て…てめぇ…。」
「その頭、昔っから出来が良かったよな。」
「あ…ん?」
「出来が良すぎて、一色の教えることすんなり覚えて、日本語も上達して、俺らなんかより難しい本読むようになって、テストでもいつも俺らより良い点取ってた。」
「…お前らのような愚民とは構造が違うんだ。」
「確かに構造が違う。普通の人間なら自分の邪魔をする存在すべてを、この世から消し去るなんて発想はできたとしても実行に移すなんてことはできやしない。お前は頭の構造も行動力も身体能力もおれら凡人のものとは違う。」
「ほう。珍しいな佐竹。お前が俺を褒めるなんて。」
「褒める?」
「あぁ。」
「勘違いすんなこのクソ野郎。」
「あん。」
「俺はお前を褒めてんじゃねぇんだよ。」
「けっ意味わかんねぇ。」
「そんだけすげぇ能力を持っていながら、その使い道を明後日の方に使ってしまったお前自身はクソだって言ってんだ。」
「なにぃ…。」
佐竹はポケットから折りたたみ式の古い携帯電話を取り出した。
「これ一色の墓の側に落ちてたぞ。」
「落ちてたじゃねぇだろ。着信あって赤松と二人してびびってたくせに。」
「ああビビった。」
「そういや赤松はどうしたんだよ。佐竹。なんで赤松がここに居ないんだ。」
「ここにあいつ連れてくるわけにいかないだろ。」
「なんで。」
「あいつも既にお前の妙な力に操られてんだから。」
グラウンドの中央に佇む古田は煙草を吸い始めた。
「ほう…どこで気がついた。」
「美紀だよ。」
鍋島は舌打ちした。
「俺と赤松が夜の熨子山に行った次の日から赤松が俺の動きを美紀に聞いている。」参照71
「…。」
「これを見ろ。」
佐竹は現在使用している携帯電話を取り出した。そこには山内美紀からのメッセージがずらりと並んでいる。
「美紀はいま何をしているかって俺に何度も聞いてきた。俺は精神の病気を持っているから、美紀のそういった探りを入れるメッセージには慣れている。だけどこの頻度は尋常じゃない。俺は美紀に聞いた。なんでそんなに俺の行動を監視するようなことをやるんだって。そしたら赤松が聞いてくるって。」
「クソが…。」
「ピンときたよ。俺の行動を監視する役を赤松が担っているって。」
「…。」
「会社じゃ橘さん。プライベートは赤松。そりゃ俺の動きが逐一お前に伝わるわけだ。まぁどこでどうやってお前が赤松と接触したかわからないけどな。」
「…。」
「ここで俺が赤松を疑って、あいつに探りを入れだそうもんなら俺らは同士討ちを始めるようなもんだ。俺と赤松の関係がうまくいかなくなれば、美紀の立場も気まずいものになる。こうやって俺らの信頼関係をぐちゃぐちゃにしてやろうってのがお前の企みなんだろ?」
「ふふふ…。」
「なんだよ。何がおかしい。」
「( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・(  ゚∀゚)ハァーハッハッハッハ!!」
闇夜のグラウンドに鍋島の笑い声がこだました。
「相変わらず勘だけはいいな。佐竹。」
この言葉に佐竹は咄嗟に鍋島の胸ぐらを掴んだ。
「何だそのもの言いは。」
「熱くなんなよ。昔っからそうじゃねぇか。一色も言ってたぜ。あいつお得意の人物評ってやつだ。」
「一色が?」
「ああ。一色だけじゃない。村上も赤松も。」
「なに…。」
「あれこれ分析して科学的に何かを立証して適切な方法論を導き出す力にお前は劣る。それなのに何故かお前の勘による解はいつも最適解だ。」
「…。」
「厄介だよ。思考方法が読めない奴を相手にいろいろと策を張り巡らせるのは。結局、赤松とお前とを仲違いさせて消耗しきったところに絶望を与えてやろうと思ったんだが、その俺の策もお前の勘の前にあえなく崩壊したってわけか。」
鍋島は佐竹の手を振りほどいた。
「クソなんだよ。おめぇは。」
「なに…。」
「一色も、村上も、赤松も…どいつもこいつもクソだが、お前はそれ以上にクソだ。」
「なんだと…。」
「一色も村上はあからさまな正義感を振りかざす。それが目障りだった。一方、赤松にはそういった主張は特にない。いうなれば調整型の人間だ。だが調整役に回るってのは聞こえは良いが、誰からも悪く思われないように接するつまらん人間とも言える。」
「…。」
「そして佐竹。お前はそのどちらのクソなもんをちょうどいい塩梅で兼ね備えるクソの極みなんだよ。」
「なにぃ?」
「お前の人物評には続きがある。お前なりの絶対的な正義感を内に秘め決して表に出さない。しかし、もしその正義感に抵触するようなものを見つければお前は徹底的に処断する。そいつは普段から自分の主義主張をぶつける一色や村上よりもたちが悪い。なぜならお前がどこに価値の重きを置いているかわからないからだ。」
「何が言いたい。」
「いいか。お前はずるいんだ。一色とかよりもな。自分の立ち位置を普段から他人に見せないことで、自分のとった行為を正当化させる。後付の正義を振りかざしてな。」
「随分な言われようだな。」
「ああ。真実だ。」
「で。」
「で?」
「ああ。続きは。」
「けっ…。」
「何だよそれでおしまいか。」
「…それだよ、それ。そうやって他人にべらべら喋らせて、自分の保身を図れる場所を探してる。探してここなら大丈夫だって判断したら、正義の剣を振りかざす。その正義の剣を取り出すタイミングが絶妙だから、お前は打てば響くって評価を得られるんだ。」
「それがお前の俺の人物評か。」
「ああ。そうだ。そんなセコい生き方をしているお前が、大して頭も良くもないお前が、人よりちょっと直感が働くってだけで、平々凡々とした生活を送っている事が俺は許せん。」
「うるさい。このエゴの塊が。」
「な…に…。」
佐竹は手にしていた木刀を肩に担いで鍋島の周りをゆっくりと歩きだした。
「お前は単なる設計主義者だ。」
「あん?」
「自分の思い通りにすべて事を運ばせることにすべての意義を見出す。そのためには手段を選ばない。手段を選ばない結果、お前を取り巻く多くの人間が犠牲になった。さっき古田さんが読み上げた人間たちな。」
「お前に何が分かるよ。偽善を振りかざすお前に。」
「分からんよ。」
「何だと。」
「分からないし分かる必要もない。お前は結果的に多くの人間を殺めた。そこにどういった大義名分があろうと、この結果は決して受け入れられるもんじゃない。」
「けっ。」
「確かに俺はお前が言うようなクソ野郎かもしれない。でもな。このクソ野郎を信じて自分が死んだ後でも落とし前をつけさせようとした人間も居るんだよ。俺だけじゃない。自分と関わりを持った人間を信じて後を託した人間がな。」
「それが一色だとでも言いたいのか。」
「ああ。そうだ。」
「あっそ。」
「あいつはいつも最後の判断を俺たちに委ねた。自分はこうこうこう言う筋道でこう思っている。だからこういう方向で行こうと思う。だが実行するのは俺らだ。実行するかしないかは俺ら現場に任せるって具合に。」
「だからその回りくどいやり方が気に食わねぇんだよ。やれって言ったらやる。やるなって言ったらやらない。これで十分だ。」
「ほう。」
「なんだ。」
「じゃあ聞く。お前は一色がやれって言ったらやるのか?やるなって言ったらやらないのか?」
「…。」
「違うだろ。お前は設計主義者だ。お前はすべてを自分色に染めたい。そんなお前が他人の指図なんか受けるかよ。」
「…。」
「世の中いろんな人間が居る。百人百様の考え方を持っている。そんな中で自分の主義主張を他人に押し付けるなんてことをすれば、どこかに歪みが出てどこかでそれは爆発する。そんなことは一色は知っていた。知っていたからこそ判断は常に委ねた。俺らは高校時代、あいつの練習方法や作戦のレクを受けた。そしてあいつの音頭に乗った。確かに音頭を取ったのはあいつだが、それに乗ったのは俺らの自由意志によるところだ。お前もその中のひとりだろ。」
鍋島は無言である。
「俺もお前も赤松も村上も一色も、剣道を通して得るものとして自分の思い描くものは別々だったかもしれない。だけど目下の大会でいい成績を収めたいというのは共通認識としてあった。それを実現するには一色の案がベストではないとしてもベターだと判断した。だから力を合わせて練習に打ち込んだ。…鍋島…お前、回りくどいって言っただろ、いま。」
「ああ。」
「回りくどいもんなんだよ。世の中は。何かをしようと思えば何かが邪魔をする。その邪魔をいかに説得して、妥協を図るか。この連続なんだ。少なくともここ日本ではな。」
「俺はその手法が効率的でないと踏んだ。変化が必要な時、スピードが大切だ。その為には他人の言うことに耳を傾けている余裕はない。邪魔をするやつは力で排除しないといけない。」
「その最も効率的な方法が洗脳と暴力か。」
「そうだ。それでしか革命は成し得ない。」
佐竹はポリポリと頭を掻いた。
「やっぱり無理だな鍋島。」
「なに?」
「無理だよ鍋島。そんな設計主義のお前もお前のさらに上の設計主義者によって設計されている。」
「どういうことだ。」
「ツヴァイスタンや鍋島。」
グランドの中央に立って煙草をくゆらす古田が声を上げた。
「おめぇは自分なりのご立派な思想を持っとるんかもしれん。救済の手始めは金。どんなゴタクよりも金。経済的援助のない励ましはただの偽善。そうやよな。」
「なんだ…。」
「その金のありがたみをお前は下間芳夫というツヴァイスタンの工作員から教えてもらった。ツヴァイスタンこそ自分らのような恵まれん環境にあるもんを救ってくれる。口だけの援助はなんの足しにもならん。」
「そうだ。」
「その時点でお前は下間っちゅう設計主義者の下僕(しもべ)の下僕に成り下がっとるんや。お前はなんか勘違いしとる。お前は自分自身の考えを元に誰の力も借りずに、他人を自分色に染めてこの世の理想郷を作り出そうとしとるかのように振る舞っとる。しかしその実、その源流となるもんはすべて下間や今川、その背後にあるツヴァイスタンの設計思想からくるもんや。いまのお前の思想はツヴァイスタンなしには語れん。つまりお前は設計された人格やってことや。他人を設計しようと思っとるお前が、設計された人間。」

「なぁ鍋島…いい加減やめようぜ…。お前もツヴァイスタンっていうシャブにどっぷりハマっている。俺も本多っていうシャブにハマっている。シャブから足を洗おう。」114

鍋島は再び頭を手で抑えた。
「うっ…。」
「哀れやな鍋島。とどのつまりお前には自分の主義主張なんてもんは何一つないんや。他人の言ったことをそのまま忠実にこなすだけのただのマシーン。もはや人でもない。」
「自分の頭で考えて、自分の判断に責任を持つ。その重要性を一色は教えてくれていたにも関わらず、お前だけは最後までそれに気づかなった。気づかないどころか間違った方向に突き進んだ。」
「突き進んだ上で、最もやったらいかんことをしでかした。」
「法を破るって四角四面なもんじゃない。人としてやってはいけないことをやった。しかも立て続けに。」
「その行為がもたらすもの。」
「憎しみ。」
「憎悪。」
「やめろ…。」
「いまお前の心は人から向けられるその感情で支配されている。」
「や…やめろ。」
「ワシの頭ん中もそいつで一杯や。」
「くそぉぉぉぉぉぉぉ!!」
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2016年11月21日

120.2 第百十七話 後半



北高の校門を潜ると、そこには職員のものと思われる車が何台か並んでいた。その中の一台の車を見て鍋島は動きを止めた。
ー佐竹の車…。
車のエンジンは切られ、中には誰もいない。
深呼吸をした彼は周囲を見回した。顔を上げた先に見える職員室には1時半という時間にもかかわらず、煌々と電気が付いている。
ー職員にバレないように学校の中に侵入なんてできっこない。あいつ...どこにいる…。
鍋島は物陰に身を潜めた。
ー深夜の学校で人目につかず待機できる場所…。グラウンド側から回りこんだクラブハウス周辺か…。
彼は校舎の壁に沿って最も闇が深い場所を伝うようにグラウンドの方に移動した。
ーん?
鍋島の視線はグラウンドの中央を捉えた。
ー本?
サングラス越しに目を細めた彼はそこに落ちている一冊の本を見つめた。
ーいやまて...これもあいつなりの罠かもしれない。
視線を逸らした鍋島は足を進めた。
「おやおや。」
ーなんだ…。
「なんじゃいやあれ。」
男がひとり言を言いながらポケットに手を突っ込んでグラウンドの中央に向かっていく。鍋島は動きを止めて闇と同化し、男の背中を見つめた。
ー職員か?
「誰ぃや。こんなグラウンドのど真ん中に本なんか放ったらかして。」
ーひとり言が激しい奴だな。
男は本を手にとった。
「なになに...MKウルトラ異聞…。」
ーな…。
「なんじゃいMKウルトラって…。」
男は鍋島に背を向けたまま本をめくりだした。ブツブツと何かをつぶやきながら時折頭をポリポリと掻く。
「アメリカ中央情報局科学技術本部がタビストック人間関係研究所と極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム...なんか知らんけど胡散臭い話やな…。オカルト本かこいつは。」
ーやっぱり…あのウルトラだ…。
「なぁ教えてくれま。」
ーえ?
「教えてくれって言っとるやろいや。」
ーなんだこいつ…。まさか徘徊老人か…。
「おい。聞こえとるやろ。」
ー…だめだ。本当にこいつボケている。
「お前この本、ここにおる時がっぱになって呼んどったんやろ。」
ーな…。
男は振り返った。彼の姿を見た鍋島は思わず息を呑んだ。
「ふ…古田…。」
「出てこいま。鍋島。ワシはここにおるぞ。」
「ぐっ...くっ…。」
歯を噛み締めた鍋島の額から汗が流れだした。
ーここに古田…。そうか…俺がここに来るだろうことを佐竹から聞いて、熨子山にあんな細工をしたのか…。クソが…。
「おーい、出てこいま鍋島。ワシは逃げも隠れもせんぞ。こんな爺にビビって何隠れとれんて。」
ークソが…。ここでまた昔の記憶を呼び起こさせやがって…。
鍋島は頭を抱えだした。
ーしかもサングラスまでかけやがって...用意周到じゃねぇか…。
「あらあら...60過ぎのジジイとアラフォー男子。どう考えてもこっちのほうが不利なんに、オメェは隠れてこそこそしかできんがか?」
ー馬鹿野郎。その手にのるかボケジジイ。ぐっ…。
頭を手で抑えた鍋島は膝をついた。
ークソが…頭が割れそうだ…。
「赤松忠志。」
ーな…。
「穴山和也。井上昌夫。」
ーぐっ…。
「間宮孝和。桐本由香。」
ーがっ…かっ…。
「一色貴紀。」
ーぐかぁああああ…。」
「村上隆二。」
「ゔがああああああ!!」
暗闇の中、鍋島は咆哮した。
「そこか。」
「う…うるさい…。」
「うるさいやと?ふざけたことぬかすな鍋島。お前がその手でこの世から葬り去った人間はまだまだおるわ。」
「言うな。」
「言う。」
「やめろ!」
「やめんわい!」
鍋島の言葉に耳を貸す様子は全く無い。
「病院横領事件にまつわる関係者、長尾俊孝、小松欣也、金沢銀行の守衛、その他にも多数。お前が殺めた人間は数えきれんわ!」
「はぁ...はぁはぁ…。」
「そしてお前は生きながらにして殺すっちゅう、畜生にも劣る所業もやった。」
「な…に…。」
「生きとる限り何度も繰り返してその人間を殺す、ゴミ糞みたいなこともやりおったわ。」
「ふっ…なんとでも言え。」
「鍋島…。ワシはな...はじめてなんや…。人をここまで憎たらしく思うんは。」
「あん?はぁはぁ…。」
古田は鍋島の方に向かって歩き出した。
「ここまで人を憎み、怒りに震えるようになったんははじめてなんや。」
「はぁはぁ...ほう…。」
「人を殺すって気分はこういうもんかのう。鍋島。」
「はぁはぁはぁはぁ…。は・ははは…ははははは!!」
頭を抑えながら鍋島は立ち上がった。そしてゆっくりと古田の方に近づく。
「老いぼれが俺にタイマン張ろうっていうのか?え?」
「タイマンじゃねぇわい。」
「あん?」
「鍋島。」
直ぐ側で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。鍋島は咄嗟に振り返った。
「さ…さたけ…。」
「隙だらけだな。」
鍋島の後方2メートルの場所に木刀を手にした佐竹の姿があった。
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120.1 第百十七話 前半



「思いっきり泣いて少しは気が済んだか。」
落ち着きを取り戻しつつある麗にこう声をかけると、彼女はかすかに頷いた。
「お前さんの扱いはワシの管轄じゃない。然るべき人間があんたを待っとる。」
そういうと古田は時計に目を落とした。時刻は1時15分である。
「佐竹さん。やわらやと思います。」
「いよいよですか。」
「この子らは安全な場所に移動させたほうがいいかと。」
佐竹は頷いた。
「相馬くん。」
「はい。」
「君らは今から職員室の方へ移動してくれないか。」
「え?職員室ですか?」
「うん。」
「え...でも…。」
「さっき古田さんが言ったように、君たちはこの北高にいれば安全だ。だけど万全を期すために職員室で待機していて欲しい。」
「って言ってもいつまで…。」
「鍋島とのケリがつくまで。」
「ケリがつくまで…。」
「何日も職員室にいろって言うんじゃない。また朝になればここはいつものように学生が来て授業が始まる。それ迄にはなんとかする予定だよ。」
「え…待ってください佐竹さん。ってことはやわら鍋島さんがここに来るってことですか。」
「…そうだ。」
「え...なんで…。警察が血眼になって探しとるはずの男が、なんでここに。」
「余計な詮索はやめてくれ。時間がない。君らは直ちに職員室へ向かうんだ。」
「大丈夫ですよ相馬さん。職員室にいけばなんとなく事情は掴めると思います。」
「え?」
「さあ早く。」
相馬は京子と長谷部の顔を見た。彼らなりに状況を理解しているようで、みな相馬に向かって頷いた。長谷部は麗を抱きかかえた。
「麗。」
古田が声をかけた。
「…。」
「母ちゃんを大事にせいよ。」
麗は無言で古田の方を見つめた。
「またお前の書いた絵、見せてくれ。」
うっすらと笑みを浮かべた麗は古田に背を向け、彼女たちは剣道場を後にした。
「さて…。」
古田はサングラスをかけた。それを見た佐竹もおもむろにサングラスを取り出した。
「佐竹さん。ひとつ聞いていいですか。」
「はい。」
「鍋島逮捕に警察は最善を尽くします。」
「お願いします。」
「そのために警視庁からの応援も配備済みです。」
「ありがとうございます。」
「ですが万が一ってこともある。」
「…。」
「そん時は覚悟ができていますか。」
「…美紀のことですか。」
古田は頷いた。
「ワシはひとりもんや。ワシがどうなろうが周りに迷惑をかけることはない。」
佐竹は古田を見つめしばしの間沈黙した。
「…多分、大丈夫ですよ。」
「多分?多分ってそんなあやふやなもんここに来て駄目ですよ。」
「古田さん。一色の奴言ってたんでしょ。」
「うん?」
「俺が鍋島に引導を渡してはじめて一色の絵が出来上がる。俺が欠ければ鍋島はまた逃亡を図る。」
サングラスの横から古田は佐竹の表情を見つめる。
「ふっ…。気づいていましたか…。」
「一色は敢えてその遺書みたいな手紙を俺には残さなかった。つまりその辺りは同じ釜の飯を食った仲、肌で感じて察しろってことです。まぁこれに気づくまでに3年の時間がかかりましたけどね。」
「打てば響く。それが一色のあなたの人物評です。あいつは佐竹さんが自発的に鍋島と対峙するように待てとワシに言葉を残しておりました。」
「ふっ…。」
「可笑しいですか。」
「一見無謀と思われる作戦を立てつつも、常に相手の虚を突く策を用意する。しかも二重三重に。だけどあいつは決してそれを俺らに無理強いはしなかった。こういう作戦があるから乗らないかって具合だった。作戦の立案者である一色は全体の成果に責任を持つ。その代わり作戦に乗る個々人はそれに沿って死力を尽くして闘う。作戦にのった自分の決断に責任を持てって言うんです。」
「筋が通っていますね。」
「俺は一色の考えに乗ったんです。だからあとはベストを尽くすだけです。美紀に俺にもしものことがあったら赤松を頼れ的なことを言う方が野暮ですよ。それって一見覚悟ができているようでできていない人間の言葉でもあります。」
「なるほど。」
「例えどんなクソみたいな作戦でも軍隊みたいに上官の命令は絶対ってところだと、今言った自分にもしものことがあったら的なことは必要でしょう。ですが今回は違う。ひとりの人間の思いを受けて全て自分の意志で決定し行動しています。」
「佐竹さんは一色を信頼しているんですね。」
「一色だけじゃありません。古田さん。あなたもです。」
「ふっ…。」
「古田さんだけじゃない。相馬くんらも、警察の人らもみんなです。」
「佐竹さん…。」
「みんな一色を信じて自分で決断し行動している。同じものを信じる人間同士頼り合い、はじめて信頼が成立する。」
古田に熱いものがこみ上げた。
「俺ひとりじゃ何もできません。ですが俺の周りには一色を信じた多くの仲間がいる。だから俺は仲間に恥じないよう自分自身の判断を信じてベストを尽くします。」
「それが北高剣道部の…。」
「ええ。俺らの伝統であり文化です。」
「来ました。」
装着されたイヤホンから聞こえた声に反応した古田は佐竹の方を見た。
「赤外線センサーが人間の侵入をキャッチ。おそらくヤツです。」
「鍋島ですか。」
「はい。」
「行きましょうか。古田さん。」
「ええ。」
サングラスを掛けた佐竹は古田とともに剣道場を後にした。


北高から400メートルほど離れた6階建てのマンション。その屋上で地面に伏せ、暗視スコープを覗く悠里が居た。
「やっとかよ…。」
赤外線独特のモノクロの画面で北高の校門付近に人の影を認識した悠里は呟いた。
「どんだけ遅刻してんだよ。二時間どころじゃないだろ。」

「2時間後、北高に来い。」
「は?」
「お前にチャンスをやる。」
「なに…。」
「2時間の間に自分の身の処し方を考えておけ。」99

悠里が覗く暗視スコープの画面には北高の校舎の映像が映し出されていた。全体的に暗い画面の中にところどころに線のようなものが見える。
「ったく…鍋島。お前にまんまとハメられるところだったよ。学校なんてセキュアな場所で落ち合うなんて、わざわざ面倒を起こしに行くようなもんだ。どうせ俺を囮にして、お前は混乱に乗じて消えようって魂胆だったんだろ。そうはいくかよ。」
画面の中の人物はどこか脚を引きずっているようにも見える。
「まぁお前は手負いのようだから、確かにこれはチャンスだな。」

「北高での行動がその後のお前の人生を左右する。」
「何を偉そうに…。」
「俺にとってもな。」99

暗視スコープを覗いていた悠里は一旦それから目を外した。
「俺の行動が…俺の人生を左右する…。」

「止めておけ。」
「はいそうですかとは言えないってことは、お前も分かるだろう。」
「…分かるがどこかで止めないことには、一生自由というものは手に入らない。お前は仁川征爾のまま生きていくことになる。」99

「俺に何を期待してんだ...あいつ…。」
邪念を払うように悠里は自分の顔を何度か叩いて、再び暗視スコープを覗いた。
画面の中の鍋島は校門を潜った。
「鍋島…。なんでお前はこの北高を選んだ…。お前はここで何をするつもりなんだ…。」
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2016年11月15日

119.1 【お便り紹介】



今回は東京から聞いていますさんのお便りを紹介します
五の線60話/iPhone4/五の線2の過去エピソード視聴について/音声メディアについて/寒さ/このお話のオリジナルについて/
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2016年11月14日

119 第百十六話



「お待たせしました。」
剣道場の中にいた者たちは咄嗟にその声の方を見た。
「あぁ古田さん。」
佐竹が答えると、古田もまた道場の正面に一礼してその中に入ってきた。
「遅くなってすいません佐竹さん。ちょっと仕込みがありまして。」
「首尾よくいきましたか。」
「さぁ…どう転ぶかは運を天に任せるだけですわ。」
「あなたが古田さん…。」
相馬は思わず声を発した。古田は彼の前に立って口を開く。
「はい。私が古田です。相馬さんこの度はご連絡ありがとうございました。」
「あ…あの…。」
「さっきも電話で言ったように、あなた達4名の身の安全はこれで確保されとる。」
「え?」
「ここにあんたらを呼んだのは、ここが一番安全やからや。」
「え?どういうことですか?」
「まぁそのあたりは深く聞かんといてま。」
「あ…ええ…。」
「さて…。」
そう言うと古田は剣道場に胡座をかいて座った。
「相馬周さん。片倉京子さん。」
「はい。」
「はい。」
「お務めご苦労様でした。」
古田のこの言葉に2人は口をあんぐりと開けた。
「一色貴紀からの指示を忠実にこなしてくださって、私としてもお礼を申し上げます。」
そう言うと古田は二人に向かって深々と頭を下げた。
「ちょ…待って…。」
「急な要請とは言え、囲碁で培った戦略眼を活かし、2人の見事な連携プレーで長谷部さんと下間さんを結びつけ、僅かな期間で下間さんをあちら側から引っ張り出した。」
「え?」
「え?」
この発言に長谷部と麗は言葉を失った。
「言ったでしょう。一色からの手紙を受け取ったのはあなたらだけじゃないって。一色の目に狂いは無かったということでございます。本当にありがとうございました。」
古田は再び彼らに頭を下げた。
「あ、岩崎香織さんですね。」
「え?」
古田はカメラマンジャケットの胸元からティアドロップ型のサングラスを取り出してそれをかけた。
「お久しぶりです。」
「あ…。」
「いつぞやはあなたの作品を見させてもらいました。」
「ふ…藤木…。」
「はい。あの時の藤木です。」
「え?下間さん。古田さんと合ったことあらんけ?」
長谷部が麗に声をかけるが、彼女は何の言葉も発せない様子である。
「流石にワシらの情報も掴んどるんですね。片倉だけならいざ知らず、まさかワシの似顔絵までもあんたのスケッチブックにあるとは思わなんだ。」
「…。」
「ほやけどアレやね。実際に会ったことも見たこともない人間やと、つい分からんと接触してしまう脆さがある。」
サングラスを外して古田は深呼吸をした。
「下間麗。日本の警察を舐めんなや。」
「くっ…。」
麗は拳を強く握りしめて、肩を震わせる。
古田から発せられる今まで経験したことのないほどのとてつもない威圧感に、その場の相馬と京子、長谷部は押しつぶされそうになった。当然二人の間に入る余地もない。
「下間麗。」
「な…なによ…。」
「心配すんな。お前さんの母親はいま、都内の病院におる。」
「え…?」
相馬も京子も長谷部も古田の言葉に驚きを隠せない。
「お前さん、祖国にひとり残してきた母親のことを思って、親父と兄貴の悪巧みの片棒を担いできたんやろ。」
「え…え…。」
「もう止めや。お前はそんなことせんでいい。お前はおとなしく母親の側で看病してやれ。」
古田はカメラマンジャケットのポケットから1枚の写真を取り出した。
「今の下間志乃や。」
震える手で麗はそれを手にした。
そこにはツヴァイスタンのものとは比べ物にならないほど清潔感あふれる病室。ベッドに横たわる女性の姿が写し出されていた。
「お…お母さん…。」
写真に写し出された女性は紛れもなく母の志乃のようである。麗の瞳から涙が溢れ出した。
「ツヴァイスタンじゃあバセドウ病って診断やったらしいがな。」
「え…違うの…。」
「パーキンソン病。」
「パーキンソン病…。」
「ああ。入院するだけで病状が改善するような普通の病気じゃない。我が国では難病指定されとる厄介な病気や。残念ながら根本的な治療方法はまだ見つかっとらん。」
「え…。」
「ほやけど進行を遅らせることはできるらしい。ワシは医者じゃないから詳しいことは分からん。そこら辺は医者に直接聞いてくれ。」
「でも…。」
「聞け。お前さんは幸い今川らの悪巧みに直接的な関与はしとらん。」
「え?」
「お前さんはコミュちゅうサークル活動を運営しとった人間のひとりに過ぎん。日本では集会を開いたぐらいやとなんの罪にもならん。むしろ憲法で集会結社の自由が保障されとるぐらいや。」
「…。」
「ほやけどお前さんは岩崎香織という人物に成りすます、背乗り行為を行っとったんは明らかや。ほやから刑法第157条の公正証書原本不実記載等の罪の疑いがある。ちゅうてもこいつで立件されてもせいぜいで5年以下の懲役または50万円以下の罰金。」
麗に近づいて古田は彼女の肩を叩いた。
「やり直せる。自主しろ麗。」
「う…あ…あ…あぁぁぁ…。」
麗はひざまずいて堰を切ったように泣き出した。
「でも…でも…。」
「なんや…兄貴と親父が心配か?」
麗は頷く。
「…残念やけど、お前さんの兄貴と親父はどうにもならん。あの国で何をどうしようと勝手やけど、この国の法を破ったやつは相応の罰を受けんといかん。」
「でも…兄さんも…父さんも…そんな…お母さんが…日本に居るなんて知らなかった…。」
「…。」
「お母さんが…ここに居るなんて知ってたら…そんなこと…。」
「やらんかったかもしれんな。」
「古田さん!」
長谷部が声を上げた。
「なんなんすかそれ!?警察は麗の母ちゃんが日本に居るってわかっとって、それを今の今まで黙っとったんですか!?なんで麗と一回会った時にそれをこの子に教えてやらんかったんですか!?」
「長谷部君とか言ったね。」
古田の目つきが変わった。
「言ったやろ。日本の警察を舐めるなって。」
「え…。」
突如として刑事の目になった古田を前に長谷部は固まってしまった。
「仮にワシがそん時にこの子にその事実を教えたとして、状況はどうなる。」
「そ・それは…。」
「言えんがか。」
「あの…。」
「状況はどういうふうに転ぶかって聞いとるんや。」
「あの…。」
「麗から兄貴に悠里にまず報告が入る。そしてそれは親父の芳夫にいく。事実を知った芳夫は今川と接触をする。なんで志乃が日本に居るんだと。」
「い…いいじゃないですか…。」
「下間一族の今回の悪巧みはすべてツヴァイスタンに人質に取られとる母の身を案じてのもの。計画を実行する意味がなくなるやろ。」
「だからそれでいいでしょ。」
「あいつらがいままで何年もかけて仕込んできた企みが一瞬にしてぱぁ。そうなるとどうなる?」
「今川がひとり残念な感じになってすべてが丸く収まるじゃないですか。そもそも今川が全部悪いんでしょう。」
「だら。なんで麗の母親がこの日本に居ると思っとれんて。」
「え?」
「志乃を日本に連れてきたのは今川なんや。」
「えっ!?」
「いいか。コミュなんてサークル使って人間を洗脳して、反体制意識を植え付けて、何かしらの行動をさせる。そんなもん今川ひとりの策謀やと思うな。」
「え…って言うと…。」
「今川も駒のひとつや。」
古田のこの発言にその場はざわついた。
「今川が駒となれば、奴の上にも人間が居る。そうなるとどうなる。」
「そ…それは…。」
「今川が消される。志乃を日本に連れてきた今川が消されれば、その下で動いていた下間一族もその手の人間に口封じのために消される。」
ポケットを弄って煙草を取り出した古田であったが、ここが剣道場であったことを思い出してそれをしまった。そして罰が悪そうに頭をポリポリと掻いた。
「長谷部君。確かにお前さんの言うように大事な話を直ぐに当事者に打ち明けるのもいいんかもしれん。ほんで当事者同士の話し合いですべてを解決するべきことなんかもしれん。善悪二元論で考えればな。」
「…。」
「ほやけど世の中ほんなに単純なもんじゃない。ましてや複雑な人間関係と事件性が絡んどる。そうなるとどういうスタンスで望むのがよりましかっちゅう判断を優先したほうがいい。下手な正義感がむしろ多くの犠牲を生み出すことだってあるんやわ。」
今川が志乃を日本に運んだという情報を聞いた麗は放心状態だった。
「な…なんで…。なんで今川が…。」
「麗よ。今川はおまえら下間一家のことを案じとったんや。自分の身に何かのことがあれば、せめてお前らだけは何とか救ってやりたいってな。」
「…え…自分の身に何かがあれば…って…。」
「今川は数時間前、警察によって逮捕された。」
「た…逮捕…。」
「じきにお前さんの兄貴と親父も警察の手に落ちる。ほやからお前だけは母親の側におってやれ。」
その場に居合わせる者たちは、肩を震わせて再び泣き出す麗を見守るしか無かった。


自宅の書斎で本と向き合う朝倉の携帯電話が光った。彼は表示される発信者の情報を確認してそれに出た。
「どうした。こんな遅くに。」
「ドットメディカルにガサが入ったようです。」
「ほう。」
「CIOの今川はパクられたとの報告。」
「…そうか。」
「…でマルヒは。」
「完黙。」
「ふん。」
朝倉の机の上に置かれたノートには無数のアルファベットの文字が書かれている。そこのK.Iと書かれた文字には既に横線が引かれ抹消の跡がうかがえた。
「今回のガサですが、母屋(県警本部)の情報調査本部とやらの仕業のようです。」
「土岐か…。」
「はい。」
「所轄の動きは。」
「原発爆発事故のマルヒ藤堂の行方を未だ追っている状態。」
「母屋は。」
「情報調査本部はドットメディカルの七里とHAJABの江国のガラを抑えるべく、ほぼ空の状態。」
「七里と江国…。」
「それ以外に母屋には特に変わった動きはありません。」
朝倉はT.SとK.Eと書かれた文字に二重線を引いた。
老眼鏡を外した朝倉はため息をついた。
「本部長は。」
「昼行灯の名に恥じない素晴らしい采配ぶりです。」
「...貴様。言葉を慎め。」
「事実です。」
朝倉は不敵な笑みをこぼした。
「直江。」
「はい。」
「ところで古田の件は。」
T.Fと書かれた文字を上からペンで何度もなぞる。
「しばしお待ち下さい。」
「どこまで進んでいる。」
「カク秘でございますので。」
「いつできる。」
「一両日中には。」
「根拠は。」
「信頼のおけるエスが彼にたった今接触したようですので。」
「そうか。」
朝倉はT.Fの文字に三角形を描いた。
「私からの報告は以上です。」
「わかった。」
「部長。」
「うん?」
「明日の件よろしくお願いいたします。」
「あぁ…わかっているよ。俺が言い出したことだ。しっかりと予定に入っている。」
「では。」
「ああ頼んだぞ。」
電話を切った朝倉はペンを取って目の前のノートにS.Nのイニシャルを書き込んだ。
「ふふふ…。」
肩のコリをほぐす様に首を回し、一息ついた彼はノートを閉じてそれを引き出しにしまった。そしてその奥の方に手を伸ばして、そこから1台のスマートフォンを取り出した。
「お。」
画面には1通のメールが受信されている旨の通知が表示されていた。
朝倉はおもむろにそのメールを開いた。
「くくく…。」
イヤホンを手にした彼はそれを装着した。
「今度はどんな声で楽しませてくれるんだ?」
メールに添付されるMP3ファイルをタップし、しばらくすると彼は恍惚とした表情となった。
「あーいいぞ…。もっと…もっとだ…。もっと俺を愉しませろ…。」
彼の携帯からは若林と片倉の妻と思われる女性の逢瀬の音声が流れていたのであった。
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2016年11月07日

118 第百十五話



「相馬君。」
「はい。」
「君は熨子山事件に関心を示しているんだったね。」
「え?」
「一応、僕の耳に入っているよ。」
「そ、そんなことまで…。」
「済まないな。俺らの代のいざこざに君たちまで巻き込んでしまって。」
「…。」
「相馬くんだけじゃない。片倉さんも長谷部君も下間さんも。」
その場にいた四人は佐竹と目を合わせないように顔を伏せた。
「だけどもうすぐ決着をつけるから、心配しないで。」
「え?どういうことですか?」
「鍋島と決着をここでつける。」
「え!?」
佐竹は携帯電話を取り出した。
「つい数時間前からSNSで拡散された『ほんまごと』。こいつの存在を君は知っているよね?」
「え?」
「熨子山事件は終わっていない。真犯人は鍋島惇だ。」
「さ・佐竹さん…。」
「ここに書いてある熨子山事件のレポートは、確度の高い情報だよ。ただ鍋島の背後にツヴァイスタンが絡んでいたっていうのは俺も知らなかったけどな。」
咄嗟に麗は佐竹から目をそらした。
「まぁ俺にとってはあいつの背景がどうだとかは、はっきり言ってどうでもいい。熨子山事件は村上と一色、この俺の同期ふたりが死んでいる。そしてその戦友の死に鍋島が深く関与している。この事実だけで充分だ。あいつから直で事情を聞かないといけない。」
「事情…ですか。」
佐竹は頷く。
「ああ事情を聞く。」
「事情を聞いてどうするんですか。」
「決まってるだろ。一色がやろうとしていたことを俺が代わってやるんだ。」
「え?それは…。」
「とっ捕まえて法の裁きを下す。」
「とっ捕まえる?」
「ああ。」
「え?でも佐竹さんがですか?」
「うん。」
「そんなん無理ですよ。」
「なんで?」
「え?だって佐竹さん警察でも何でもないじゃないですか。それに鍋島さんは未だ行方知らずです。」
「そうだね。」
「警察が捜索しとるんです。そんなら警察に任せておけばいいじゃないっすか。」
「駄目だ。」
「なんで?」
「言ったろ。俺らには俺らの決まりがある。」
「え?」
「部内の揉め事は部内で処理。部長の責任でね。部長の一色がいなくなった今、誰かがその代わりをしないといけない。」
「え…でも…。」
「一度作られた決まりは守らないといけない。守らないとなし崩し的になんでもありの世の中になる。」
「あの…。」
「相馬くんも剣道部をまとめたことがあるだろ。一色が熨子山事件の犯人だって報道があって、部内で意見が別れた。一色はそんな人間じゃないってあいつのことを擁護する連中がいる傍ら、なんて厄介な先輩と関係を持ってしまったんだって頭を抱える連中。そいつらが自分たちの主義思想をぶつけ合うと部内に亀裂が生じる。それを君は一色なんて男は過去の人間。あのとき偶然ただ稽古をつけに来ただけ。確かに自分らにとっては立派な戦績を収めた憧れの先輩なのかもしれないけど、一色は一色。俺らは俺らって感じで一切関係ないって言って部内をまとめたんだろ。」
「…はい。」
「その時、相馬くんは一色擁護派から結構やられたのかもしれない。でも結果として君の判断が正しかったんだ。だから大会でベスト4までいった。そしてみんな受験に失敗すること無く高校を卒業することができた。」
「…。」
「相馬君。君は君なりに剣道部の掟を守ったんだよ。部内の揉め事は部長が責任を持って収めるってやつをね。」
相馬は京子の顔を見た。彼女は彼に頷くだけだった。
「方や俺らの世代はそれをまだ成し遂げていない。」
「でも…。」
「たかが剣道部内の取り決めにそこまで躍起になるなって言われるかもしれない。けどね…。」
佐竹は拳を握りしめた。
「代々受け継がれてきた伝統や習慣を俺らの代で勝手に放棄することはできないんだ。理屈じゃないんだよ。理屈じゃなんだ。」
佐竹はすっくと立ち上がった。
「人としての感情がどうにも収まらないんだ。」
道場の隅のカゴのようなものに収められていた竹刀を一本抜き取り、彼は人形の打込み台の前で構えた。
「たぶんあいつも同じだ。あいつも人として感情のまま挑戦している。」
「挑戦?」
「俺らの憲法に挑戦してるんだ。」
そう言って佐竹は打込み台の面めがけて飛び込んだ。


「わかった。相馬たちは佐竹と接触してるんだな。」
「はい。」
「そのまま古田を待て。」
「はいわかりました。それと先程、北署から応援の人員が到着しました。」
「そうか。それにしても最上本部長の采配は見事だな。」
「ええ。正に機を見るに敏。不在が多い若林を誰もが分かる形で捜査本部内で突如更迭。代わりに主任捜査員の岡田を捜査本部の本部長に据えました。岡田は忠実な捜査員です。若林のような妙な行動はとりません。」
「だが若林がこれをチクれば朝倉に先に手を打たれる。」
「松永理事官。何をおっしゃってるのですか?」
「ん?」
「まぁいいでしょう。」
「あ、うん。」
「最上本部長は藤堂捜索については発生署配備に留めています。」
「そうか。」
「警ら活動を徹底することで周辺住民に対する鍋島遭遇リスクを低減させる作戦をとっています。」
「なるほど。鍋島の方もPCがウヨウヨしているのを警戒して、古田の言うように人気のない熨子山方面から北高を目指すしか方法はなくなるか。」
「はい。」
「鍋島は。」
「まだです。」
「そうか。」
「理事官。」
「なんだ。」
「ひとつ気になる点が。」
「言え。」
「鍋島には刺客が派遣されています。」
「あぁそうだ。」
「北高にたどり着くまでにあいつが刺客にやられるなんて事は…。」
「ない。」
松永は即答した。
「どうして。」
「奴の特殊能力はお前も知ってるだろう。」
「はい。瞬時に他人を意のままに操ることができる能力を持っていると聞きます。」
「そうだ。となると殺す方法は自ずと限られてくる。」
「と言いますと。」
「鍋島と接近戦になって勝ち目はない。」
「確かに。奴の妙な力はサングラスを外したその目から発動されるとの報告ですからね。接近戦は危ない。」
「そうすればあいつを殺すには一定の距離を置いての攻撃しかないことになる。」
「はい。」
「鍋島の動きを刺客が把握していたとしても、奴が動き続ける限り刺客は手を出せないだろう。まさか奴が通りそうな場所にあらかじめマルバクを仕掛けるなんて芸当もできんだろうからな。」
「ならば念のためここの周辺にも目を光らせたほうがよいと思われます。鍋島の動きが止まることになるのはここ北高ですから。」
「鋭いな。関。」
「そのために我々をここに派遣したんでしょう。」
察庁の理事官室のソファーにかけていた松永は立ち上がった。
「そこに待機させているSAT狙撃支援班は直ちに全員屋上へ配置。不審な人間が鍋島を狙っていないか見張るんだ。」
「はっ。」
「併せて奴の襲来に備えて万全の体勢で臨め。指揮班はその場で指揮を執るんだ。」
「はっ。」
「あと北署からの応援部隊は教職員に成りすように指示を出せ。途端に人影が職員室から消えると怪しまれる。時々休憩を取る素振りをして窓の外の様子を窺うんだ。」
「了解。」
「あとはスリーエス(特殊部隊支援班)のお前が踏ん張れ。」
「私はあくまでも県警と察庁との調整です。」
「その調整が肝心なんだよ。」
「警視庁のSATの動きに恥じないよう全力を注ぎます。」
「そうだな。県警の縄張りにわざわざ警視庁のSATを出張らせているんだからな。ここでしくじるわけにはいかん。」
「3年前の汚名を挽回させてくださるチャンスを頂いたのです。命に変えてもこの任務、完遂します。」
「いい心がけだ。関。」
「私めもimagawaの末席で存分に暴れましょう。」
「その言葉…一色が聞いたら喜ぶだろうよ。」
松永は静かに電話を切った。眼下には東京霞が関の夜景が広がっている。
ふと腕時計に目を落とすと時刻は0時50分だった。
「こっちはあと4時間でケリをつけるぞ。片倉。」
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