2015年11月16日

68 第六十五話



「おい。佐竹は?」
総務部に顔を出した橘は次長の松任に声を掛けた。
「あぁ部長。あいつ昨日から長期休暇なんですよ。」
「はぁ?休み?」
「ええ。なんでも調子が良くないとか。」
「そうなん?」
「はい。」
「ってか…ちょ、ほら…あれどうするんや。」
「あれ?」
「ほうやって、ほらウチのシステムの件。」
「それは出向組がなんとかする。」
総務部に入ってきた山県が橘の後ろから声をかけた。
「あ…部長…。」
振り返った橘は思わず一歩下がって山県に頭を下げた。
「なんねん。あんたも晴れて部長やろ。俺と同格や。そんなへぇこらしとると小池田さんの後任は務まらんぞ。」
「いえ、突然のことで私も分からないことばかりです。今後共山県部長のご指導と御鞭撻の程よろしくお願い致します。」
「やめれま。堅い。」
ここで立ち話も何だということで、山県は橘を経営企画部の自室へ誘った。
「とうとうお前もこの地位まで来たか。」
ソファに腰を掛けた山県に促されて橘は照れくさそうに彼と相対するように座った。
「佐竹はな、持病が悪くなってな。」
「あぁ…精神の病ですか。」
「ああ。部長やったな、佐竹の様子がおかしくなったっちゅうて救急車呼ぼうとしたのは。」
「ええ、まぁ。」
「あの時からっちゅうもん、何かとあいつの面倒をみとんのは橘部長、あんたや。佐竹の長期休暇の件は本当は真っ先にあんたに知らせんといかんがやけどな…。小池田さんの件とかあってバタバタしとったんや。すまん。」
「いえ。」
「俺は俺なりにあいつにはいろいろ気を遣って接しとったんやけど、残念ながら今回のシステム侵入の件ばっかりは、あいつの責任や。それが相当の負担になったんやろ。」
「しかし、システムそのものの穴は佐竹に直接的な責任はありません。確かに課長という役職にあって、彼は運用の責任の一端を担っていますが、システム運用自体は総務部全体の責任でもあります。そしてシステムそのものはあいつが作ったものじゃなくて、システム会社が作ったものです。」
山県は暫く橘を見つめゆっくりと口を開いた。
「まぁな。ほやから俺はあいつの長期の休みの申し出を承認した。」
「と言うと?」
「俺はその手のシステム的なことはよく分からん。俺にできるのは判断だけや。誰の言っとることが一番最もらしいかってな。俺は佐竹のことを信用しとる。その佐竹が言うには出向組の真田と武田ってのは、かなりの腕を持っとるらしい。佐竹がその2人に委ねれば求める結果が出るって言っとるんやから、それを俺は尊重した。」
「あ…そうですか。」
「佐竹は佐竹なりに考えたんやろう。自分が変にいろいろ立ち振る舞うよりも、現場の人間に事の真相を調べてもらうほうが、検証の客観性が保たれるとな。」
「はあ。」
「なかなか大人な判断や。俺はあいつの判断は間違っていないと思っとる。ほやけど組織の中で一定の身分にあるものはそれなりの責任を負わされとる。残念やけど今回の件で佐竹は何の咎もないって事にはなりにくい。何かしらの処分は降りるやろ。」
「部長。なんとかならんがですか。その出向組がいくらできる連中やって言っても、責任者の佐竹は休暇中。その中で色々調べるとなると、それは一種の欠席裁判みたいなもんになりはしませんか。」
「欠席裁判か。」
山県は腕を組んだ。
「本多専務亡き後、当行は職員ひとりひとりに失敗からの再起を促す人事施策を取り入れてきました。その先導役が山県部長。あなたです。そのあなたがひとりの職員の再起の芽を摘むようなことをなさるのですか。」
「橘部長。あいつは自分自身の判断でその環境を選んだんや。」
「しかしあいつは病気です。」
山県の眉間にしわが寄った。
「病気病気って言うけどあいつは別に自分のことを自分で判断できん状態じゃないげんぞ。俺は俺なりにあいつの真意を汲んだつもりや。」
「しかし…。」
「確かにお前が佐竹を思う気持ちはわかる。ほやけど二言目には病気っていってあいつを庇うのはちょっと方向がおかしいんじゃないか?」
「と言いますと。」
「部長の発言は一見佐竹の病状に気を遣っとるようにみえる。ほやけど逆の見方をすれば、あいつは病気やからって変な特別扱いをしとるようにも見える。それは逆差別とも言うんじゃないか?」
「逆差別…。」
「佐竹が自分で決断した身の処し方を尊重してやるっていうのも、あいつに対する気遣いって言えんかな?」
「…そうかもしれません。」
「あいつの判断を尊重して結果的に良い方向に行けばそれでいいがいや。」
「はい。」
「まぁいい方向に動いとれんけどな。」
「え?」
「さすが佐竹のお眼鏡にかなう奴らや。早速システム的におかしな所がわかり出しとる。」
橘の顔つきが変わった。
「と言うと…。」
「出向組はドットメディカルの人間や。自分らのシステムの不具合は自分らでなんとかケリを付けるって息巻いとる。なかなか今時珍しい熱い職人連中やわ。」
「部長。切り分けはできているんですか?」
「ん?なんや切り分けって?俺はその手の専門用語はよくわからん。」
山県の困惑した様子を見て橘は言葉を引っ込めた。
「いや…出過ぎました。すいません。」
山県は机の中にしまってあった葉巻を取り出した。
「どうや。お前もやるか?」
「あ…ええ。」
山県はニヤリと笑って葉巻の吸口をハサミで切り落とし、ガスライターでそれに火をつけた。
「ほら。この部屋は喫煙に関しては治外法権や。」
「ありがとうございます。」
手渡された葉巻を咥えて橘は煙を口の中に含んだ。
「おう。部長は嗜んだことあるんか。」
「ええ、ほんのちょっとだけ。でもついいつもの癖で肺に入れてしまいそうになります。」
「そうかそうか。」
山県もそれに火を付けて咥えた。橘に比べて手慣れた様子である。様にもなっている。吸い込んだ煙を吐き出すのではなく、口を開いて立ち上がらせ、香りそのものを楽しんでいる。
「ここまで昇れば世の中の見え方も変わるやろ。」
「いえ…。私はまだそんな余裕はありません。」
「そのうち見えてくる。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんや。」
手にする葉巻を見つめながら山県は続けた。
「小池田さんは気の毒や。」
「はい。」
「ほやからって言って、お前がそれに引け目を感じる必要はない。お前が部長に昇格したのも、日頃の働きぶりが正当に評価された結果や。これも何かの巡り合わせやろ。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんや。」
葉巻の煙をくゆらせて山県は遠くを見つめた。
「HAJAB。」
「え?」
橘が手にしていた葉巻の灰が床に落ちた。彼は慌ててそれを素手で掬おうとしたが山県はそのままにしておけと言って続けた。
「HAJABはドットメディカルシステムの端末を作っとる。」
「あ、はい…。」
「橘部長。あんたがHAJABを総務部に斡旋したことは俺は知っとる。」
「あ…ええ…。」
思わず橘は葉巻を灰皿の上に置いた。
「そのことをネタにあんたが疑わしいとか言っとる連中が行内に居るっていうのも俺の耳に入ってきとるわけや。」
口を噤んだ橘をよそに山県は立ち上がった。
「ほやけどな部長。そんなもんは関係のない話や。部長は部長でその時の最善を総務部に提案しただけ。採用を決定したのは当時の本部や。な。」
「あ、ええ。」
「人間の妬みっていうのは厄介なもんや。俺も部長みたいにありもせん噂を流されたことは沢山あった。ほやからあんたが今置かれとる立場も理解できる。」
ソファに掛ける橘の横に立ち、山県は彼の方を軽く叩いた。
「お互い頑張ろうな。」
「あ、ありがとうございます。」
「あんたは期せずしてこのタイミングでこのポジションを射止めた。しかし地方銀行といえどもこのポジションに登ってくる人間はそれなりの実績と評価があってのもの。棚ぼただけじゃない。自信をもってこれから職務に励んでくれ。」
「は、はいっ。」
山県からの不意をつく激励の言葉に橘の涙腺が緩んだ。
「部長。俺は部長という人生の先輩に会えて、いま本当に良かったと思っています。」
頬を伝うものを手で拭う橘とは敢えて目を合わせずに山県は窓の外を眺めた。
「部長…。その先輩から一言だけ言わせてもらえんか。」
「なんでしょう。」
「部長は釣りが好きやったな。」
「はい。」
「釣りはポイント、餌、仕掛けが大事やと聞く。」
「ええ。」
「部長はそれが絶妙に上手いとか。」
「いや…それほどでも。」
「釣り上げるもんを間違えんなや。」
「え?」
橘は外を眺める山県を見た。
そこにある彼の背中には凄みがあった。
posted by 闇と鮒 at 00:00| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする
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